先日書いた「このあまりに下らない、会社員生活」というエントリについてだが、もしかすると、こういうことが起こるのは僕ら30代会社員の決定的な弱点のせいではないか、という気がしてきた。
これまで僕が「愛と苦悩の日記」と親サイト「think or die」でおじさん世代(=団塊の世代)の批判を展開してきたのは、会社組織の中に世代間の政治的対立があるということを、大前提とした上でのことだ。
もう少し広げて言えば、会社組織の中にはさまざまな政治的対立があって、その一つに世代間の対立があるということだ。こういう認識があるからこそ、僕はおじさん世代批判を展開してきたわけである。
ところが「会社組織の内部に政治的対立が存在する」ということを認識できる僕は、30代会社員では例外なのではないかということに、今日、思い当たった。
僕個人は高校時代からフェミニズムを中心とした新左翼系の思想にかなりコミットしていた。そして東京大学入学後も、駒場寮で新左翼の残党たちの議論を横で聞くという、時代遅れの政治的な状況に慣らされてきた。
しかし僕の同世代は、このような特殊な状況におかれない限り、「政治的なるもの」とまったく無縁の学生生活だったはずだ。東京大学でさえ僕のような政治的体験をもつ同年代の学生は少数派だった。
ましてふつうの私立・公立大学に進学して、体育会系の活動や、合コンなど、当時よく言われた「遊園地」的な学生生活をエンジョイしていた人たちは、「政治的なるもの」とまったく無縁なまま社会人になったはずだ。
そんなフツーの社会人にとって、組織を運営するときの原理は学生生活の体験に根ざしている。学生のサークル活動などの組織運営の原理は、ひとことで言えば「一つの目標に向かってみんな仲良く一丸となって」である。そこでは、組織内部の対立などありえないものと考えられている。(対立するものは排除される)
しかし実際には、サークル活動にしても、小学校のクラスにしても、あの人は好き、あの人は嫌い、という単純な基準でいくつかの「仲良しグループ」に分裂する。しかしそうやって「仲良しグループ」を作っている本人たちには、「仲良しグループ」どうしの間にある利害対立は見えていない。
グループどうしの対立は、一段上のレベルにある「担任の教師」や「大学のキャンパス」という場によって、存在しないものとされる。したがって、気の合う仲間と付き合って、楽しい学生生活が過ごせればそれでいいし、「政治」みたいなことを言うウヨクだかサヨクだか知らないがいかがわしい人たちとは、できるだけ付き合わないのがいい。それがいま30代で社会人になっている僕ら世代の、ふつうの学生生活だった。
しかし会社組織には、60年安保、70年安保を直接・間接に経験した世代が存在する。徹底して政治に無関心で学生時代を過ごしてきた人も、同世代の仲間たちが政治闘争に巻き込まれていたというリアリティは、すくなくとも僕らの世代よりは濃厚に持っている。
創業30年を超えるような会社なら、どんな会社でもそういう「政治の季節」をリアルタイムで経験した世代が、経営層に存在している。そういった世代が組織を運営するとき、意識するとしないとにかかわらず、組織内部の政治的な力学を打算的に利用するのは、ある意味当たり前のことである。
ところが僕ら世代の会社員のほとんどが、そういう政治性に免疫がない。ではどう反応するかといえば、大きく二つにわけられる。一つは「完全な追従」、もう一つは、素朴な「仲良しグループ」主義を貫くことだ。
「完全な追従」というのは、政治性を打ち出す年長世代に対して、「長いものには巻かれろ」式に、大した考えもなく従ってしまう、あっさり洗脳されてしまうという反応のことだ。
もう一つの素朴な「仲良しグループ」主義は、考えようによっては「完全な追従」より始末が悪い。というのは、「仲良しグループ」主義的反応をする30代の会社員たちは、「人類皆兄弟」のような素朴な平和主義を本気で現実的で正しいものだと思い込んでしまっているためだ。
僕ら30代の中に、こういう素朴な平和主義者がかなりの数存在するのは、小学生のころ受けてきた道徳教育のおかげだ(もちろん皮肉)。とにかくみんな仲良くすることが無条件に正しいし、そういう状態は実現可能だという、とても素朴な考え方だ。
しかし、このような素朴な平和主義が、現実には政治的力学がシビアにはたらいている会社組織にもちこまれると、「仲良しグループ」どうしが組織の大義の奪いあいをするという、非常に醜い事態になる。
もう少し分かりやすく言えば、「私たちのやっていることこそが、経営ビジョンに合致している!」という風に言い出す「仲良しグループ」が林立する状態になってしまうのである。
僕らより年長の世代も、こうした政治的党派を作る点では変わりないのだが、彼らと僕らの最大の違いは、そうした党派間の利害調整のテクニックにはっきりとあらわれる。
年長世代は利害が対立する複数のグループに対して、打算的で政治的な利害調整の努力をする。つまり、グループAにはある面で妥協を強いる代わりに、別の面では譲歩し、グループBにはちょうどその逆のかたちで譲歩と妥協を求める、といった利害調整だ。
ところが僕ら30代には利害調整のテクニックが欠けている。その理由はかんたんで、僕ら世代の大部分は「最後にはみんな仲良くなれるはず!みんな分かりあえるはず!」ということを素朴に信じてしまっているからだ。(小学生時代の洗脳が効いている)
そういった素朴な「仲良しグループ」主義から抜け出すことができない僕らの世代の大部分の人たちは、僕のように政治的にふるまうことを知っている人間を目の前にすると、「どうして仲良くできないのか?どうしてわざわざ火に油を注ぐようなことをするのか」といった拒絶反応を示す。僕ら世代の「政治的なもの」への強いアレルギーが、会社組織の中では、年長世代の打算的な政治主義との間であつれきを生むというわけだ。
そして僕ら世代は、上述のように二つのまったく異なる態度をとる結果になる。一つは、年長世代の政治主義に対する無条件の追従、もう一つは、政治主義に対する過剰防衛の結果としての閉鎖的な「仲良しグループ」作りだ。
僕自身は年長世代の政治主義と戦えるだけの政治性を、これまでの人生で身につけているので、意図的な不作為(!)も含めて、組織内部の政治的対立に打算的な対応をとることができる。(もちろん体力がついていかずに傍観者を決めこんでしまうこともあるが)
しかし僕と同世代の人たちは、僕の政治的な振る舞いを理解できず、「立てる必要もない波風を立てようとしている」と、完全に誤解してしまう。
もっと大きな観点で僕が心配するのは、年長世代が退職して、僕ら世代が会社の経営を担うようになる20年後、利害調整のテクニックをまったく持たず、年長世代への追従だけで業績を上げてきたような人たちが経営を握ったとき、だれも組織内の利害調整できなくなってしまうのではないか、ということだ。
「みんな仲良く」ということを最優先に考える素朴な平和主義は、現実に存在する組織内の利害対立を前にしたとき、完全に無力だからだ。