おじさん批判

2004/10/24

ニートは団塊世代の「滅私奉公」へのアンチテーゼ

■とある読者の方から「団塊の世代」批判のメールを頂いた。台風の異常発生を見て、企業の自然破壊を非難している父親が、一方ではバイクを趣味に楽しんでいるという、その「団塊の世代」らしい無自覚さを批判したメールだ。経済成長を無条件に良いことと信じて「団塊の世代」は生きて来たわけだが、自分たちも環境破壊の片棒をかついでいることを忘れてしまうほど、彼らの世代が単純素朴なのは、ある意味、仕方ない。それほどまでに単純素朴だからこそ、経済成長を是として彼らの世代は突き進んできたのだ。

もしも彼らの世代が、もっと思慮深い人たちで占められていたら、いま僕らが享受しているような豊かな生活はなかっただろう。そしていまだに「団塊の世代」は、根本的な自己批判をできないでいる。メールを送って下さった読者も指摘しているように、NHKの『プロジェクトX』のような番組で、いまだに自分たちの栄光の時代をなつかしむことしかできず、いつまでたっても過去に拘泥している、「団塊の世代」はそういう人たちなのだ。

僕ら「団塊の世代」の子供たちは、彼らの姿を反面教師にすることで、自己批判することができる。忘れてならないのは、僕らがいまのような僕らであるのは、「団塊の世代」が生み出したものの結果であり(たとえばこのインターネットという技術も)、僕らは「団塊の世代」の罪を完全に逃れているわけではないということだ。すでに大量消費社会に汚染されている僕ら自身が、そんな社会を生み出した「団塊の世代」を批判することは、自分のよって立つ地面をひっくり返すことになり、僕らの批判そのものを無効にする。

僕らに問われているのは、彼らの世代が引退した後の世界に、何を生み出せるかということだ。僕らが何を生み出しつつあるのか、分かっていることが一つある。それは、大量の働かない若者だ。「団塊の世代」が引退した後の社会には、代わって大量の働かない若者が生まれつつある。「団塊の世代」は企業のさまざまな組織的な不祥事で、身をもって、働くことは無条件に良いことではないと示してしまった。その必然的な結果が、滅私奉公の精神で死ぬまで働きつづけるという生き方へのアンチテーゼとしてのNEETだ。


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2004/10/06

団塊の世代、通勤電車の虚勢

■このWebサイトを始めた当初は「団塊の世代」に対する敵愾心ムキ出しだったけれど、最近その矛先をおさめたわけではないということだけは改めて書いておこう。ほんとに50代のおっさんらは人を人とも思わない勢いで、いたるところでエラそ~にふるまって、自分のことをそんなに偉大な人物とでも思っているのだろうか。

団塊の世代なんて単なる組織の歯車だっただけじゃないか。少なくとも電車の中でふんぞりかえったり、店員をアゴでつかったりするほど偉くはない。会社の外でも会社の中と同じ権力を自分が持っているかのように振舞うのはやめた方がいい。ただただ、見苦しいだけだ。

ずぶぬれの子犬が、必死でキャンキャン吼えて、虚勢を張っているようにしか見えない。偉そうにふるまえばふるまうほど、恥の上塗りというか、ますます自分が下らない人物であることを、周囲に知らしめているというか、腐臭がただよってくるというか、こっちの目まで腐りそうというか、とにかくウザい、超ウザい。

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2004/08/12

「目算」を「メサン」と話す中年オヤジ

■帰宅途中の地下鉄に、赤ら顔でアルコール臭を撒き散らしながら中年会社員が同僚と二人で乗り込んできた。座席に座るなり右足首を左の膝頭に載せるという周りの迷惑をかえりみないデカい態度で、なおかつ大きな声で「金がなくたって幸せってことはあるんだよ」と、自分ではもっともらしい人生哲学でも語っているつもりなのだろうが、傍から見るとどう見ても頭が空っぽのバカオヤジにしか見えない。

こういう態度がデカい上に声もデカく、いちいち偉そうにしゃべるオヤジに限ってIQが低いんだよと密かに思っていたら、「だいたい金額のメサンはついてるんだけどね、メサンは」と大声で話し続けていた。それを言うなら「目算(もくさん)」だよ、バカオヤジ。

かつてこのページの一部のエッセーは団塊の世代に対する敵意むき出しだったが、自分の年齢が上がるにつれてその敵意はやわらぐかと思えば全くそんなことはない。電車の中で大股を広げて座る中年男性を見るたびに(このことは以前にも書いたが)、お前は自分の一物の大きさでも自慢したいか、それとも股関節脱臼か、と尋ねたくなる。

四十歳以上の中年男性たちは、景気の動向や社会問題を憂う前に、まず公共の場所での紳士的な振る舞いを見につけるべきだ。換言すれば「お前らの存在自体が『社会問題』なんだよ!」ということだ。もちろんこのページの読者の紳士的な皆さんは別である。

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2003/12/22

成果主義の負の効果を予測できない経営者たち

■今日も日経新聞に横河電機が成果主義を導入するという記事があった。一方では、ニ、三日前の同じ日経新聞に、新入社員の考え方が年々保守化している、つまり、年功給を望む若者が増えているという、人事担当者の嘆きが紹介されていた。

日本企業の経営者はいつもながら頭をつかわず「右へならえ」で、成果主義、成果主義と、本当にバカとしか言いようがない。若者が保守化しているところへ成果主義を導入したらどういうことになるか、経営者たちは真剣に考えたことがあるのだろうか。

ますます保守化する若者たちは、管理職になって、成果によって評価される部分が大きくなり、そのために給料が大きく上下するくらいなら、あえて出世を避けて「低空安定飛行」を望むに決まっているではないか。理由はかんたん。そのほうが生活設計がやりやすいからだ。

給料はあまり増えないけれど、一定の幅におさまることが予想できれば、じゃあ中古マンションで我慢しておこうとか、子供は作らないことにしようなど、ちゃんと生活防衛ができる。日本企業がつぎつぎ成果主義を導入することで、「低空安定飛行」を望む大量の若者層が、実業界に出現するのだ。

日本企業を経営者するおじさんたちは、日本の将来を担う若者たちのことを、頼りにならないとか、覇気がないとか批判することがあるけれども、若者をますますそんな風に仕向けているのが自分たちだということに気づいていないみたいだ。彼らは若かった頃の自分たちと、いまの若者では、生きている環境がまったく違うということを理解していないし、いまの若者が何を考えて仕事に向き合っているかということも、まったく理解していない。しかも、それらのことを自分たちが理解していないという事実を、理解しようともしない。これだからオジサン連中は救いようがないのだ。

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