ニートは団塊世代の「滅私奉公」へのアンチテーゼ
■とある読者の方から「団塊の世代」批判のメールを頂いた。台風の異常発生を見て、企業の自然破壊を非難している父親が、一方ではバイクを趣味に楽しんでいるという、その「団塊の世代」らしい無自覚さを批判したメールだ。経済成長を無条件に良いことと信じて「団塊の世代」は生きて来たわけだが、自分たちも環境破壊の片棒をかついでいることを忘れてしまうほど、彼らの世代が単純素朴なのは、ある意味、仕方ない。それほどまでに単純素朴だからこそ、経済成長を是として彼らの世代は突き進んできたのだ。
もしも彼らの世代が、もっと思慮深い人たちで占められていたら、いま僕らが享受しているような豊かな生活はなかっただろう。そしていまだに「団塊の世代」は、根本的な自己批判をできないでいる。メールを送って下さった読者も指摘しているように、NHKの『プロジェクトX』のような番組で、いまだに自分たちの栄光の時代をなつかしむことしかできず、いつまでたっても過去に拘泥している、「団塊の世代」はそういう人たちなのだ。
僕ら「団塊の世代」の子供たちは、彼らの姿を反面教師にすることで、自己批判することができる。忘れてならないのは、僕らがいまのような僕らであるのは、「団塊の世代」が生み出したものの結果であり(たとえばこのインターネットという技術も)、僕らは「団塊の世代」の罪を完全に逃れているわけではないということだ。すでに大量消費社会に汚染されている僕ら自身が、そんな社会を生み出した「団塊の世代」を批判することは、自分のよって立つ地面をひっくり返すことになり、僕らの批判そのものを無効にする。
僕らに問われているのは、彼らの世代が引退した後の世界に、何を生み出せるかということだ。僕らが何を生み出しつつあるのか、分かっていることが一つある。それは、大量の働かない若者だ。「団塊の世代」が引退した後の社会には、代わって大量の働かない若者が生まれつつある。「団塊の世代」は企業のさまざまな組織的な不祥事で、身をもって、働くことは無条件に良いことではないと示してしまった。その必然的な結果が、滅私奉公の精神で死ぬまで働きつづけるという生き方へのアンチテーゼとしてのNEETだ。
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