経済

2009/10/09

『ガイアの夜明け』でモーゲージプランナーのとんでもない提案

先日の2009/10/06の『ガイアの夜明け』で取り上げられていた、モーゲージプランナーの提案には、素人の僕でも頭をひねらざるを得なかった。

住宅ローンをかかえているご夫婦がいて、ローン残高2,000万円。相続で2,000万円の預金をもっている。

ご主人は53歳で、年齢的に先行きの雇用は当然、不安定だ。

であれば、相続した2,000万円で、ローン残高をきれいに完済してしまうのが、ふつうに考えれば最適な選択肢だろう。

ところが、某モーゲージプランナーが、このご夫婦に、500万円だけを住宅ローンの繰り上げ返済に充て、1,000万円のワンルームマンションを購入して、その新たなローン支払いと家賃収入の差額で、年67万円の収入(家賃保証付き)を得ることで、老後の生活が安定すると提案していた。

そして『ガイアの夜明け』も、まるでこの提案で円満解決したかのようなエンディング。

これって、普通に考えれば、ありえないハイリスクな選択なのではないか。

もしご主人が早期退職制度か何かで、定年前に肩たたきされたら、新しい1,000万円のローンはどうやって返済するのだろうか。年金を先食いするしかないのでは。(年67万円の収入ではとても生活できない)

たとえワンルームマンションを売却しても損が出るのは確実なので、やはり新しいローン残高は残る。

不動産不況のこの時代に、こんな内容の番組をさらりと放送してしまう『ガイアの夜明け』って一体...。

残念ながら、世の中のほとんどのサラリーマンが、終身雇用が神話と化した今、持ち家を購入すること自体が、ハイリスクな不動産投資だということを理解していない。

だからモーゲージプランナーの、こんなとんでもない提案に簡単に納得してしまうのだろう。

恐い、恐い。

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2009/07/15

本当に正しい「企業のためのパンデミック対策」

いろいろ考えていたのだが、事業継続のためのパンデミック対策について、適切な答えを出せたような気がする。

「在宅勤務」と「縮退業務」は間違いで、ただひとこと、「資金繰り」だ。

これまでこの「愛と苦悩の日記」では、某コンサルタントのパンデミック対策の事業継続計画(BCP: Business Continuity Plan)を批判的に検討してきた。

事業継続のためのパンデミック対策」のナンセンスさ(1)
事業継続のためのパンデミック対策」のナンセンスさ(2)
事業継続のためのパンデミック対策」のナンセンスさ(3)
佐柳恭威氏のパンデミックについての「机上の空論」は続く...

国内で強毒性の新型インフルエンザのパンデミックが起こった場合、本当に佐柳氏の言うように「縮退業務」と「在宅勤務」が事業継続計画の要になるのか?という疑問だ。

僕が考えたのは、次のような答えである。

国内で強毒性インフルエンザのパンデミックが起こった場合、厚労省の言うライフラインに関わる企業を除く全ての一般企業は、従業員の生命の保護を最優先するため、原則として全業務を停止し、倒産を避けうる最低限の資金繰り業務だけに集中すべきである。

そして政府は、特に中小企業の資金繰り対策のために、今から緊急融資制度を準備しておくべきである。

以上が僕の答えだ。少し補足する。

連鎖倒産と従業員の生命保護を防ぐための、非常時の資金繰りなので、全ての企業は従業員の給与の支払いを優先し、大企業・中堅企業は、社会的責任を果たすために、債権回収よりも取引先への支払いを優先する。

そして、この資金繰り業務に必要な、情報システムの稼働などの付帯業務を除いては、原則として企業はすべての業務を停止し、従業員は自宅待機する。

もちろん、電気・ガス・水道などのユーティリティー、公共交通機関、食料品・医薬品の流通に関わる企業は、ライフラインに関わる企業なので、「縮退業務」が必要になる。

しかし、それ以外の、たとえば鉱業、建設、衣類・住宅に関わる製造業、素材メーカ、機械・電器メーカ、開発系の情報・通信業、不動産業、ライフラインに無関係なサービス業は、すべて従業員の生命保護を最優先に、上述のような資金繰り業務だけを残して、全業務を停止すべきだ。

僕が最も恐れるのは、いま日経新聞社を中心に、佐柳氏のようなコンサルタントがキャンペーンを張っているような、「縮退業務」と「在宅勤務」を中心とする事業継続計画を、「全ての」企業がとった場合、パンデミック初期の罹患者や死亡者の増加ペースが、僕の考えた対策をとった場合と比べて、比較にならないほど速くなるのではないか、ということだ。

個々の企業にとっては「縮退業務」であっても、全ての企業が日経新聞社のキャンペーンにのっかって「縮退業務」を実施すれば、合成の誤謬で、パンデミックによる被害者を必要以上に増やす結果になることは間違いない。

誰か、僕より社会的発言力のある人が、佐柳氏のような間違ったパンデミック対策の事業継続計画キャンペーンを、阻止してくれないものだろうか。

このままじゃ、本当に悲惨な結果になると思うのだが。


※『日経ビジネスオンライン』の佐柳恭威氏の記事はこちら。
「強毒性インフル対策、時間に猶予なし」
「災害対策の経験だけでは不十分」
「新型インフル、フェーズ6に。究極の対策は「日常化」」

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2009/07/14

伊東乾氏『常識の源流探訪』のおかしな貨幣論

「日経ビジネスオンライン」の「常識の源流探訪」で伊東乾氏がまたおかしなことを書いている。

岩井克人の貨幣論は、貨幣には裏付けとなる実体がまったく存在しないからこそ、100%の流動性をもつという論旨だったはず。

その意味で「円天」は立派な貨幣であり、たまたま発行主体が政府でなかっただけの話だ。

発行主体が政府である通貨であっても、政府の信用がなくなれば、その通貨は紙きれになる。この点で「円天」と「円」に本質的な差異はない。それが岩井克人の貨幣論だ。

それとサブプライムローン問題に見られる、「すべての経済はバブルに通じる」的問題とは、論理階層が異なる問題だ。

伊東氏は、岩井克人の貨幣論で、2008年夏以降の信用収縮を説明できると書いているが、完全な間違いである。

バブル経済のような実体のない信用拡大は、ケインズの美人投票の話がベースになっている。

つまり、経済というものは、「客観的にいちばん美人なのはだれか」が問題なのではなく、「みんなは誰をいちばん美人だと思うか」が問題なのだ。

「他のみんながこの商品が儲かると思っているはずだ」と「みんな」が思えば、その商品の価値に実体となる裏付けがなくても、その商品についてバブルが起こる。

そして、バブルであれ、実体のあるものであれ、商品の価値を測る「ものさし」が貨幣である。

さらに踏み込んで、実はその「ものさし」にあたる貨幣にも、実体的な裏付けがないんですよ、というのが岩井克人の貨幣論だ。

伊東氏は論理階層の異なる2つの議論を、ごっちゃにしている。

そのため、今回の伊東氏のコラムは、岩井克人の貨幣論とも完全に矛盾した結論になっている。

曰く「実体のある約束をしてくれる政治家に投票しましょう」。

これはこれで全く正しい意見だが、岩井克人の貨幣論とは全く逆の話だ。

繰り返しになるが、岩井克人の貨幣論は、貨幣には実体となる裏付けがないからこそ流通するという「逆説」がミソである。

大丈夫ですか、伊東先輩。(一応、同じ大学の数年先輩なので)

※ちなみに、この記事から「日経ビジネスオンライン」の該当の記事へトラックバックしてみたが、見事に日経ビジネスオンライン編集部に拒否された。なお、該当の記事には2009/07/15現在、1件だけトラックバックが承認されているが、その記事はあきらかにアドセンス広告収入目当てのブログの記事である。日経ビジネスオンラインといえども、その程度のメディア、ということだ。

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2009/06/26

佐柳恭威氏のパンデミック対策は単なる「机上の空論」

『日経ビジネスオンライン』で、格付け会社スタンダード&プアーズ危機管理顧問の佐柳恭威という人物が、相変わらず的外れな事業継続のためのパンデミック対策を語っている。

ただ、他からもツッコミが入ったのか、微妙に発言が軌道修正されている。たとえば、社員の家族の感染を防止することも重要だと語り始めている。

しかし依然として企業目線の議論に終始しており、「企業が社員を通じて家族の啓蒙に努め、学校での感染拡大を防ぐ取り組みを支援する必要がある」などと書いている。

佐柳恭威氏は自分の議論の根本的な欠陥に、まだ気づいていないらしい。

一つは(1)パンデミックが起こったときの状況を、「国と自治体」「企業」など、個々のプレーヤーの観点のみで考えている点。

もう一つは(2)パンデミックによる被害を「予防」したり「最小化」する観点のみで考えている点だ。

(1)に関して言えば、社会を個人から国家まで、さまざまなレベルのプレーヤーの相互作用としてとらえていない。

繰り返しになるが、社員は社員である前に一人の人間だ。

会社が事業継続のために何を計画しようと、自分や家族の命がかかれば、会社の命令に従わない可能性も考えておく必要がある。

ところが佐柳恭威氏の議論は、一貫して、社員はつねに会社の命令に従い、会社の事業存続のためによろこんで協力するという、無理のある前提に立って組み立てられている。

危機管理の専門家なら、社員が会社の命令にしたがわないリスクも、当然、考慮に入れるべきだろう。

また、佐柳恭威氏の議論では、パンデミックの際に、国が個人の行動を規制する可能性についても、十分に考慮されていない。

国によって個人の行動が規制されれば、自動的に企業の行動も規制される。

しかし佐柳恭威氏は、あたかも国や自治体に対して、企業が独立して行動できるプレーヤーであるかのような前提で議論を組み立てている。

佐柳恭威氏は、コントロール可能(計算可能)なリスクしか考慮に入れておらず、コントロール不可能(計算不可能)なリスクを考慮に入れていない、とも言える。これは、格付け会社の限界なのだろうか。

計算可能なリスクしか考慮に入れていないことから、佐柳恭威氏の(2)の欠陥が生じる。

誰だって、強毒性ウィルスのパンデミックが起こったら、感染したくない。そのためなら喜んで在宅勤務もするだろう。

しかし、世界中の労働人口が、大人しく在宅勤務をして感染を防げるくらいなら、そもそもパンデミックなど起こらないのではないか?

たとえ佐柳恭威氏の言うとおりに、企業がパンデミック対策の事業継続計画を立てていても、それを発動しなければいけないほどの大騒ぎになっているころには、すでに、事業継続計画など、実行しても仕方ない状況になっている可能性の方が高い。

つまり、いまさら在宅勤務しても、すでに大半の社員やその家族は感染している可能性の方が高い。つまり、すでに在宅勤務どころではなくなっている可能性の方が高い。

パンデミックが「予防」できたり「最小化」できるなら、パンデミックは初めから起こるはずがない。

それでもパンデミックが起こったとすれば、パンデミックがそもそも「予防」したり「最小化」できない、不可抗力だからだ。

そういう理由で、僕は前回、パンデミックのことを地上戦にたとえた。

佐柳恭威氏は、パンデミックが地震などの自然災害とは違うと言いながら、地震のように事前の対策で、ある種類の被害を「予防」できたり、被害全体の規模を「最小化」できたりすると思いこんでいる。

しかし、たとえば日本で地上戦が勃発したとして、あなたやあなたの会社の経営陣が、その地上戦によってあなたの会社がうける影響を、「予防」したり「最小化」できるだろうか?

パンデミックとは否応なしに降りかかってくる、逃げ場のない事象であり、それに対して社会が結果としてどういう反応をするかは、関係者があまりに多すぎるために計算できないのである。

佐柳恭威氏はそのことを全く理解していない。

社会を構成するさまざまなプレーヤーの相互作用を単純化してしまい、パンデミックが社会に引き起こす影響を予測可能な性質のものと思い込んでしまっている。

こういった「机上の空論」におどらされて、セミナーに参加し、一所懸命、パンデミックのための事業継続計画を立案する企業関係者が哀れだ。


※『日経ビジネスオンライン』の佐柳恭威氏の記事はこちら。

「強毒性インフル対策、時間に猶予なし」

「災害対策の経験だけでは不十分」

「新型インフル、フェーズ6に。究極の対策は「日常化」」

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2009/06/12

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(3)

インターネットで企業のパンデミック対策に関する記事を探していて、やっとまともな考え方をしている企業を見つけた。

富士ゼロックスだ。

[ITproカンファレンス:パンデミック対策]BCPも大事だが,富士ゼロックスは人の安全を最優先する

この記事で富士ゼロックス総務部の方が、次のように話している。

「事態の鎮静化に要する期間は1年~2年に及ぶという専門家もいる。これは通常のBCP(事業継続計画)で対応できる範囲ではない」

「BCPも大事だが,社会の一員として企業責任を果たし,人の安全を最優先するのが当社の基本方針だ」

まさにパンデミックの特徴は、「通常の事業継続計画で対応できる範囲ではない」点にある。

それを分かっている人物が民間企業に存在したので安心した。

某格付け会社の危機管理顧問のような、問題の本質をよく分かっていない人ばかりではなさそうだ。

僕は先日のエッセーで、新型インフルエンザのパンデミックは、戦争や、原子力発電所のメルトダウンに例えられると書いた。

パンデミックは、直下型地震のような事態とは違って、今までの通常の事業継続計画では対応できない。

その理由は3つほどある。

・長期にわたる
・ほぼ、逃げ場がない
・国家の介入が起こる

一つの企業が、業務の縮退と在宅勤務によって、一定期間、なんとか事業を続けられたとしよう。

しかし、さまざまな社会インフラ(交通機関、道路、通信、電気・ガス・水道、郵便、運送)の機能低下や、取引先の社員の感染者が増えるなど、自社ではどうにもならない要因で、たちまち事前に立てた計画は役に立たなくなる。

そんなこと、少し頭をつかって考えればわかる。

しかも、各企業がこぞって「事業継続のためのパンデミック対策」を立てると、「合成の誤謬」が起こるリスクがどんどん高まっていく。

「合成の誤謬」というのは、一人ひとりが正しいことをやっても、その結果、全体としては間違ったことになる、という意味である。

つまり、こういうことだ。

各企業は、事業を継続するには、最小限の社員を出勤させる必要があるが、とくに都市部では、それらの社員が、お互い接触せずに出社することは不可能である。

たとえ通勤手段を、公共交通機関から自動車に変えたとしても、オフィスビルの中で、たとえば密室となるエレベータの中での感染などは、よほど強力な防護服でない限り防げない。

ここで重要な点は、こうして会社が出勤を命じる社員というのは、それくらい重要な社員だ、という点である。

つまり、「事業継続のためのパンデミック対策」は、まともに計画すれば、キーパーソンをもっとも感染のリスクにさらすことになる。

一つひとつの会社だけを見れば、こういった事業継続計画は正しいかもしれない。最低限のキーパーソンの出社だけで、事業を続けられるからだ。

しかし、国全体を俯瞰すると、結果として、各社のキーパーソンどうしをオフィスビル内で接触させることで、わざわざ各社が事業がストップするリスクを高めているような事態になっている。

一つひとつの会社としては正しい対策でも、すべての会社が同じような対策をとると、結果としてまったく逆効果になる。

まさに「合成の誤謬」だ。

ところで、上記の富士ゼロックスの総務の方の記事は、日経BP社のウェブサイトに掲載された、日経BP社主催の講演である。

その同じ日経BP社が、最近、某格付け会社の危機管理コンサルタントの言うことを鵜呑みにし、「事業継続のためのパンデミック対策」といったような、パンデミックの本質を完全に誤解した記事を掲載している。

こういう記事を掲載することで、日経BP社は国内の企業に対し、上に書いたような「合成の誤謬」を起こしましょうと、わざわざ呼びかけているようなものだ。

じっさいにパンデミックが起こったら、個々の企業が、自社の中だけで業務の優先順位付けをすることには、ほとんど意味がない。

むしろ政府が、国家レベルで、国内のあらゆる業種を優先順位づけし、優先順位の低い業種は、業務を完全に停止するよう指導し、場合によっては外出を強制的に禁止する措置をとるべきだろう。

パンデミックは個々の企業レベルで対策を立てるべき事態ではなく、国家レベルで対策を立てるべき事態なのだ。


>>このシリーズの他のエッセーを読む。

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(2)

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(1)

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2009/06/08

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(2)

最近、日経がやたらと新型インフルエンザのパンデミック発生時の事業継続計画を話題にしている。『日経ビジネスオンライン』やら『日経ITPro』やら。

たとえばこちらの日経ビジネスオンラインのコラム『会社を停止させないための心得 パンデミックに備えはあるか?』

登場するのはいつも、格付け機関スタンダード&プアーズの佐柳氏。

他人のリスクを利用してお金儲けするのは、サブプライムローンしかり、資本主義では仕方ないことだが、事業継続のためのパンデミック対策については、僕は完全に無意味だと考えている。

強毒性インフルエンザの爆発的感染が起こるという状況は、大地震などの自然災害とはまったく性質が異なる。

自然災害は、発生するのは一瞬で、災害による直接の死者が、数か月にわたって増え続けるということはない。

つまり、リスクの原因となる事象は、短期間で消える。

しかしインフルエンザのパンデミックが起こった場合、それによる直接の死者は、数か月にわたって増え続ける。

つまり、リスクの原因となる事象は、存在し続けるのだ。

長い期間にわたってリスクの原因となる事象が存在し続け、それによって多くの人命が失われるという意味では、パンデミックは、地震よりも戦争に近い。

パンデミックが地震よりも戦争に近い理由は、もう一つある。

それは、政府が一時的に国民の自由を制限する点だ。

パンデミックが起これば、政府は感染者を強制隔離したり、それ以外の国民の外出を禁止するなど、国民の自由を一時的に制限せざるをえないだろう。

そういう状況になると、もはや、個別の民間企業が、自助努力で事業継続を考えるなどというレベルの状況ではなくなるのだ。

民間企業が、それぞれ事業継続計画を準備していても、肝心の社員は政府によって行動の自由を規制され、または、自分自身や家族が生き延びることを最優先に行動せざるを得ない状況におかれる。

まさに、先の大戦で沖縄が経験したような、地上戦と同じような状況になるのだ。

そんな状況で、個々の民間企業が事業継続計画などといった呑気なことを言っていられないのは、少し考えれば誰にでもわかることだ。

パンデミックのような状況で、縮退業務だの、在宅勤務だのといった、お気楽なことなど言ってられるだろうか。

そういうことさえ分かっていない、視野の狭いコンサルタントが、大真面目に「事業継続のためのパンデミック対策」を語り、それを日経BP社のような大手出版社が担ぎ、いかにもそれが民間企業のとるべき正しい施策であるかのように宣伝する。

そしてそれに載せられた企業関係者がセミナーに押しかけ、パンデミック対策の事業継続計画に無駄な費用と時間をついやす。

結果、儲かるのはコンサルタントと、VPN構築技術をもつネットワーク業者というわけだ。

戦争の例えがピンと来なければ、原子力発電所がメルトダウンを起こし、放射線物質が首都圏まで届くような大惨事が起こったらどうするか、考えてみればよい。

生き残った人間は、放射線を防げるシェルター(そんなものがあればの話だが)に逃げ込むしかないだろう。縮退業務だの、在宅勤務だのといった、お気楽なことをやっている余裕などないのだ。

「逃げ場がほとんどない」という点でも、パンデミックは、戦争や原子力発電所のメルトダウンとよく似ている。

「事業継続のための地上戦対策」というセミナーは、誰がどう考えてもナンセンスだろう。

「事業継続のためのメルトダウン対策」というセミナーも、誰がどう考えてもナンセンスだ。

「事業継続のためのパンデミック対策」というセミナーは、それと同じくらいナンセンスなのだ。

こんなことが分からないで、企業のリスク対策の専門家を自称しないでほしいのだけれど。


>>このシリーズの他のエッセーを読む。

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(3)

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(1)

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2009/06/03

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(1)

今秋あたりに新型インフルエンザのパンデミックが起こるかもしれないということもあり、日経ITProが「いかにも」な連載を始めている。

「危機管理のプロに聞く パンデミック時代の事業継続」

危機管理のプロが、パンデミックを想定してどのような対策を事前に立てておけばよいのか、ありがたいアドバイスをして頂ける連載らしい。

しかし、残念ながら新型インフルエンザのパンデミックに対応して、いかに会社の事業を継続するか、という問題の建て方そのものが、完全に間違っている。

本当に新型インフルエンザのパンデミックのような事態になったとき、会社には、社員の一私人としての行動を、業務命令によってコントロールする権利はないし、現実にコントロール不可能になる。

当然のことだが、社員は被雇用者である前に、一私人である。自分の生命や財産を守るべく、自分の思うように行動する自由を持っている。

現実にパンデミックのような事態になったら、たとえ勤めている会社が倒産しようが、そんなことは知ったことではないのだ。

自分自身や、自分の家族や大切な人、そして財産を守ることを最優先に行動する自由を持っている。

パンデミックのような「異常事態」にあっても、社員は会社の命令どおりに動く、という前提そのものが、根本的に間違っているのだ。

なので、この日経ITProの連載に登場する佐柳恭威という「危機管理のプロ」の語っていることは、完全な「絵空事」である。

そんなこと普通に考えれば分かるだろう?

パンデミックが現実になって、自分や家族が死ぬかもしれないというとき、いったい誰が会社の命令に粛々と従って在宅勤務に精を出したり、「縮退」できない業務だからという理由で、危険をおかして出勤したりするだろうか。

パンデミックのような本当の意味での「非常時」には、ほとんどの人間は間違いなく、一私人としての利益を最優先に行動するだろう。

会社より社会の方が大きいのだ。会社員は会社員である前に、一私人なのだ。

この種の「危機管理のプロ」は、そんな当たり前のことさえ認識できていない。そんな人間に、そもそも本当の危機に際しての「管理」を語る資格などない。

「パンデミック時代の事業継続」などという言葉そのものが、完全なナンセンスなのである。


>>このシリーズの他のエッセーを読む。

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(3)

「事業継続のためのパンデミック対策」は無意味です(2)

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2009/05/03

電気自動車は地球にやさしくない

電気自動車がエコだなどと、本気で信じている人はこの「愛と苦悩の日記」の読者にはいないと思うが...

化石燃料を燃やして電気を作って、それを長距離送電してわざわざ損失をおこして、自動車を充電するのと、直接化石燃料を燃やして自動車を走らせるのと、どちらがより効率的かは明らかだ。

二酸化炭素が地球温暖化の原因だという「都市伝説」を仮に信じたとしても、火力発電にしろ、ガソリン車にしろ、化石燃料を燃やして二酸化炭素を排出しているので、地球温暖化への影響に差はない。

おそらく何千万台という自動車ごとより、火力発電所で集中的に温暖化対策をした方が効率がいいこともわかりきっている。

どうして電気自動車は地球に優しいみたいなCMが、いまだに消えないのだろうか。

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2009/03/01

ビデオニュースドットコムで楽しめる思い切り「転向」した中谷巌

今週のビデオニュースドットコムのマル激トーク・オン・ディマンドは、中谷巌氏が出演する「なぜ私はグローバル資本主義の罠に気づかなかったのか」というタイトルで、非常に面白かった

米国流の民主主義を無条件に肯定する経済理論にもとづき、自由化や規制緩和を実現させてきた中谷巌氏が、最近、自らの誤りを認める「懺悔の書」である『資本主義はなぜ自壊したのか』を出版した。それを受けてのマル激トーク・オン・ディマンドである。

真摯に自らの誤りを認める姿勢は素晴らしいが、ワールドビジネスサテライトなどで規制緩和論をくり返し展開していた氏が、いまごろになって日本固有の豊かな社会基盤などと言い出しているのを見ると、まあ中谷巌氏の世代なんて、しょせん素朴なアメリカかぶれだと言いたくなってしまう。

悲しいのは、梅田望夫のように、若い世代にもナイーブなアメリカかぶれの人間が絶えないことだ。アメリカさえ相対化できないで、二十一世紀を生きる日本人に対して偉そうなことを語るなと言いたい。

といいながら、この「愛と苦悩の日記」の過去記事をお読みになれば分かるように、僕自身も数年前までは悪い意味での新自由主義寄りの立場で、日本企業の組織の閉鎖性を批判していた。

なので、人のことは言えないのだが、勝間和代のようなナイーブな能率主義者の著書がもてはやされたり、漢字学習を中心とする自己啓発本が相変わらずの売れ行きだったりで(iPodのテレビCMがついに漢字学習ブームにのっかったりで)、まったく一般の日本人って、と思ってしまう。

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2008/12/29

ビデオニュース・ドットコムの小幡氏出演回は必見

昨日、小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)をご紹介したが、著者の小幡氏が金融バブル崩壊後の世界経済について、ビデオニュース・ドットコム「第403回マル激トーク・オン・ディマンド」で宮台真司ととても興味深い議論をしている。

小幡氏によれば、現時点でバブルは米国債に移っているとのこと。小幡氏の「キャンサーキャピタリズム」という比喩を借りれば「転移」しているということか。

米国債が値上がりすると同時に、米国債のCDSも値上がりしていることから、投資家は米国が「倒産」すると期待しつつ米国債を買い続けており、これは明らかにバブルであるというのだ。

そこで小幡氏は、ドルがもはや基軸通貨たりえないのではと考え、基軸通貨が存在しない世界経済も論理的な可能性としてあると論じている。

その帰結は世界経済のブロック化で、そこから「コミュニティー」をめぐり、経済学の枠を超え、宮台氏の専門である社会学とクロスした非常に面白い議論を交わしている。

ぜひビデオニュース・ドットコムの会員になって(月額たった525円)視聴されることをお勧めする。

ビートたけしや爆笑問題の太田など、知識人ぶった芸人の中途半端な社会派バラエティーなど見る必要は全くない。

テレビは純粋な娯楽のために存在すべきであり、社会問題を真剣に考えたいならテレビなど見るべきではない。ビデオニュース・ドットコムさえ見ていれば十分だ。

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2008/12/16

不景気に貯金・節約の美徳は悪循環

昨夜テレビを見ていたら、定時前の5分間番組で、ある自営業家庭の子供のしつけを紹介していた。小学生の子供二人が家業を手伝ったら、その分のお小遣いをあげる。子供たちはそのお小遣いを必ず貯金する。母親いわく、お金は使ってしまうのは簡単だけど、貯めるのは難しいから。

低成長時代の今ごろになって、まだこんな古くさい考えの大人がいるから、日本経済はいつまでたっても外需だのみで、内需が安定しないんだと思った。

今朝のの日経1面、竹中平蔵氏はこの景気急減速について、財政出動より金融政策の効果の大きさを力説している。銀行に強制的に金を貸し出させる制度を作れ、とまで言っている。まったく正しい。

不景気ということで一般家庭が貯金したお金は銀行にたまる。いま銀行は貸し渋り・貸しはがしなので、お金はそこで滞留し、景気はさらに悪化するという悪循環だ。

これに対し、消費者が一定の消費を続ければ、お金は銀行に滞留せず、直接企業に流れる。

もう高度成長の時代ではない。清貧という考え方は完全に時代遅れ。

消費者の消費性向を上げるためにも、企業の資金繰りを改善するよう、銀行に「強制」する金融政策は有効だ。さすが非正規労働者の拡大を強力に後押しした竹中平蔵氏だけのことはある(もちろん皮肉)。

不景気だから節約しましょう、貯金しましょうというのは、景気をなおさら悪化させるだけ。一定水準の収入がある世帯には、不景気にかかわらず、外車だろうが高級賃貸マンションだろうが、どんどん贅沢してもらうべきなのだ。

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2008/12/10

公務員はクビを切られていい理由って何?

民間企業の非正規雇用者削減で、マスコミは大企業批判をすると同時に公務員削減キャンペーンをやっている。

ただ、当面の景気への悪影響という点では、民間企業が人員削減しても、お役所が人員削減しても大差ない。

それに公務員だって仕事を失えば路頭に迷う点では、民間企業の社員と同じだ。

社員をクビにする民間企業は許せないが、公務員はどんどんクビを切れと言わんばかりのマスコミや多くの日本人は、自分自身の二重規範ぶりを自覚して、あえてそう言うのだろうか。

ならば、民間企業の社員の雇用確保は重要だが、公務員の雇用確保はどうでもいいと考えるその根拠を示してほしい。

公務員は自分たちの税金で雇っているようなものだから、クビを切る権利は自分たちにあるとでも?

一般人のこの公務員に対するルサンチマンは何なのだろう。正直言ってすべての公務員を無差別に既得権者扱いする世論の根拠が理解できないのだ。誰か教えてくれないだろうか。

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2008/06/13

御手洗会長のキヤノンで自殺労災認定

やはり、というべきか。2008/05/28に経団連会長に再任されたばかりの御手洗氏が会長をつとめるキヤノンで、自殺が労災認定された。富士裾野リサーチパーク勤務の男性社員が、263時間の残業をした月に自殺し、沼津労働基準監督署が労災認定したようだ。

毎日新聞によれば、この男性の奥さんは「キヤノンでは残業が慢性化していた」とおっしゃっているらしい。

御手洗会長といえばサマータイム導入提案の最先鋒だが、どうやらもっと労働強化して、もっと残業を慢性化させたいようだ。

そうでないと主張するなら、まず自分が会長をつとめる会社の残業を減らす努力をしたらどうか。「サマータイム導入はエコのため」という氏の議論には、全く説得力がない。

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2008/06/11

バイト勤務時間切捨てワタミ社長が「時間活用術」新連載

今日の日経ビジネス・オンラインを見て唖然とした。つい先日、アルバイト店員の賃金一部不払いが発覚し、当局の指導を受けたばかりのワタミ社長・渡邉美樹氏が、こともあろうに「時間活用術」をテーマにしたコラムの連載を開始したのだ。

まさにアルバイト店員を部分的にタダ働きさせることで、時間を「有効活用」していた経営者ならではのコラム!

渡邉氏は自社グループに対する世間の評価を理解しているのだろうか。この鈍感さ、無神経さには、ただただ感服する。

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2008/06/04

ワタミ社長に民営化を論じる資格なし

やはり「ワタミ」社長に「もう、国には頼らない」などと偉そうなことを書く資格はなかったようだ。

日経ビジネスオンライン・コラム『ワタミ社長 渡邉美樹のもう、国には頼らない』

2008/06/01付け毎日新聞によれば、「ワタミ」の子会社「ワタミフードサービス」が、アルバイト店員の勤務時間の30分未満を切り捨て、労働時間を少なく算定していた。労働基準監督署の指導で、アルバイト店員217人に1,280万円の未払い賃金を支払っていたことが分かったらしい。

「ワタミフードサービス」の代表取締役社長も渡邉美樹氏である。日経新聞の会社コメントとして、従業員の教育が行き届いていなかったと、言い訳がましいことが書いてあり、どうやら経営陣は責任逃れをしたいようだ。

ワタミ株式会社のWebサイトのプレスリリースを読むと、30分未満切捨ては、内部関係者による監督官庁への内部告発で発覚したことがわかる。

仮に経営陣が事前にこの事実を把握し、改善の意思があれば、当然、労基の指導が入る前に改善し、内部告発もなかったはずだ。

内部告発という、いわば「最終手段」で事実がバレてしまったということは、30分未満の切り捨てをされたアルバイト店員に、相当な不満がたまっていたと考えるのが妥当である。

理不尽な勤務時間管理を、そこまで放置したことに、経営陣、少なくとも執行役員が一人も関与していないなどということは、普通の会社では考えられない。

本当に役員がこの事実を一人も知らなかったのだとしたら、「ワタミ」は普通の会社ではないということだ。現場の実態が経営陣までまったく伝わらない状況になってしまっていると言っていい。いわば「ワタミ」の経営陣が社内的に「裸の王様」と化している兆候とも言える。

そんな「ワタミ」の社長に、教育でも何でも「民」に任せれば必ずうまくいくなどと短絡的な議論を弄して欲しくない。不正な方法で勤務時間を削れば、費用削減など簡単にできるのは当たり前ではないか。

経営陣を信じて現場で汗している「ワタミ」の従業員の皆さんには申し訳ないが、「ワタミ」など所詮その程度の会社なのだ、と言われても仕方あるまい。

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2008/01/02

元日の日経新聞に東横インの全面広告

元日の日本経済新聞で東横インの全面広告を見て驚いたのは僕だけではないだろう。一昨年2006年初頭、障害者施設を一般施設に改造した違法行為で世間を騒がせた東横インは、おそらく反省期間が終わったと思ったのだろう、その件に全く触れない全面広告を年始早々打ってきた。

ご承知のようにあの違法行為当時の創業者社長は、その後も会長として君臨し続けている。当時指摘したように、この種のベンチャー企業が創業者なしで組織の求心力を維持できないのはやむをえない。

いまだに違法行為当時の社長が会長として君臨せざるをえないのは、もちろん両刃の剣である。創業者が居残ったからこそ短期間に施設の改善工事を成し遂げられたのであり、他方では当時の不祥事に全く触れない全面広告を、大胆にも元旦の新聞に掲載できるのだろう。

東横イン(繰り返しになるが東急グループとは全く無関係の企業)のWebサイトでは、障害者施設の改善委員会の最終報告を読むことができる。

この報告書は、障害者施設を違法に改造したのは、あくまでお客様のご要望にこたえるためだったと、自らの違法行為を正当化している。そして違法行為が発覚した後も、多くの顧客から励ましの声を頂いた点を強調している。

このように、客観的に自分たちを見つめることができない素朴さこそが、創業者が君臨するベンチャー企業の最大の強みでもあり、もろさでもあると実感した、元日の全面広告だった。

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2007/07/04

非正社員の正社員化は本当に合理的な判断か

人手不足のため、最近、非正社員を正社員化する動きが小売業を中心に広がっているようだ。今朝の日本経済新聞を見ても、とある小売業者が正社員化したパートの意欲が高まった結果、正社員化による経費増を収益増でまかなえた、とある。

ただ、この理屈はおかしい。

非正社員を正社員化することで一人あたりの生産性が上がったのが本当だとすれば、それは、非正社員だったときと、正社員になった後を比較して、一人当たりの収益が増えているということだ。

そうすると、正社員化による収益改善は、正社員化した瞬間にしか期待できないことになる。たとえ正社員になった後も、しばらくは生産性の向上を期待できるとしても、その向上分はだんだんと減っていくことは間違いない。

生産性の向上幅がだんだんと減っても、正社員化したことによる人件費は固定費であり、もっと言えば、ふつうは少しずつ増えていくものなので、長期的には正社員化したことによる経費増の効果だけが残ることになる。

ここで経営者はこう反論するかもしれない。いや、非正社員に比べて、正社員の方が持続的に生産性が向上するので、元非正社員は正社員化した後も持続的に生産性が向上するのだ。

しかし、この理屈もおかしい。正社員が持続的に生産性を向上させることができるなら、もともと正社員だった人たちも持続的に生産性を向上させているはずだ。もともと正社員だった人たちが持続的に生産性を向上させているなら、非正社員が正社員化したからといって、会社全体として、その経費増を相殺するほど生産性が向上するはずがない。

つまり、経営者が本当に正社員の方が持続的に生産性が向上すると分かっていたのなら、非正社員をはじめから正社員として雇用していたはずではないのか。

要するに非正社員を正社員化した経営者は、非正社員を非正社員として雇用したころは、目先の経費増を避けるために行動し、非正社員を正社員化したのは、目先の人手不足に対応したということで、何ら中長期的に一貫性のある考えにもとづいて行動しているわけではない。

重要なのは、この問題が雇用に関係しているという点だ。非正社員をいったん正社員化してしまうと、日本の法制度上、そうかんたんに解雇できなくなる。要するに、正社員化というのは「もどれない道」、不可逆な変化なのだ。

日本経済新聞はこうした正社員化の流れについて、反論もしないし、上に書いたような疑義をさしはさむことさえしない。日本経済新聞を読んでいると、ほとんどの場合、経営者の具体的な判断について、その正当性を相対化するために、記事の最後の方にひとこと反論を付け加えている。

ところがこの正社員化の流れについては、そうしたコメントがないので、あたかも全面的に是認しているかのように読める。それがとても不思議だったので、この記事を書いてみた。ぜひ次のような反論を付け加えてほしいものだ。

「正社員化で収益が改善するなら、なぜもっと早く正社員化しなかったのか」、あるいは、「正社員化による効果は短期的で、長期的には人件費増の負担を強いられることになる」などの反論を。

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2007/06/08

グッドウィルグループの行動は「合理的」か?

コムスンが行政処分を逃れるために、コムスンの事業をグループ会社へ譲渡しようとしたことに対し、厚生労働省が、法的根拠はないが、譲渡は凍結すべき、という見解を発表したようだ。

まさに、裁量行政は諸刃の剣。今回のようなケースでは、法的根拠のない道義的責任を追求する余地を生むが、ときには市民にとって不利に働く場合もある。

ところで、グッドウィルグループが徹底して法的に合理的なら、この見解を無視するだろう。しかし、介護保険の不正請求をしている段階で、すでに違法行為をしているのだから、グッドウィルグループの行動に一貫性はない。

コムスンの介護事業所指定をするのも、コムスンを行政処分をするのも、同じ法律であり、同じ法律を守ったり、破ったりするのは、法的に合理的な行動とは言えない。

したがって、グッドウィルグループについて、その「合理性の行き過ぎ」を批判するのは間違っている。グッドウィルグループは、単に非合理的な組織にすぎない。

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2007/05/05

三角合併を外資黒船説でしか論じられない愚かな日本のメディア

テレビがつまらないのでビデオニュース・ドットコムの「マル激トーク・オン・ディマンド」最新回、第318回の山崎養世氏と神保哲生、宮台真司の対談を観はじめたが、あまりに面白くて90分間ぶっ通しで観てしまった。

三角合併を「外資黒船説」という見方でしか報道できない日本のメディア非難から話は始まるのだが、そこから、楽天のTBS買収や、ホリエモン、村上ファンド事件、日本の規制業種批判、年金問題の抜本的な解決法、日本の皆保険制度擁護、教育に市場原理を取り入れようという安倍政権に対する批判、聖徳太子から頭山満にいたる日本の政治精神史まで、徹底した合理主義者である山崎養世氏が、あらゆる論点を縦横無尽に、「目からウロコ」でわかりやすく論じていく。(ちなみに『国家の品格』も斬って捨てられている)

この山崎氏は、東京大学経済学部卒で、米ゴールドマン・サックスの共同経営者の座にまで登りつめた人なのだが、まさに宮台真司の最近の亜細亜主義にずばりストライクゾーンの論客で、宮台真司が嬉々として対談している様子も見ものだ。

この第318回だけでも、月額525円支払ってビデオニュース・ドットコムの会員になる価値はある。「愛と苦悩の日記」の読者の皆さんは、絶対にこの山崎養世氏の回を観るべきである。

山崎養世氏の考え方をあらかじめ知っておきたい方は、僕自身は未読だが氏の著作『米中経済同盟を知らない日本人』をお読みになってからでもよいだろう。

ただ、ビデオニュース・ドットコムの対談を観て、神保氏や宮台氏の質問を通じて、ある程度相対化した方が、山崎氏の真意は正しく理解できるかもしれない。徳間書店から出版されているということもあり、もしかすると下記の書物を読んだだけでは、山崎氏の亜細亜主義が「親米ヘタレ右翼」と混同されるおそれがあるからだ。

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2007/04/14

「顧客第一」が産み出すおバカな社会

いまサービス業の社内情報システム部門で働いているせいか、顧客満足といえばできるかぎり顧客の要望を実現すること、という考え方が当たり前のように社内にまかりとおっている。しかし顧客の言いなりになるだけでなく、顧客を啓蒙することもサービス業の使命である。

わかりやすいのは環境問題だ。小売業がレジ袋を廃止すれば顧客の利便性は失われる。顧客の言いなりになることが営利企業の至上命題なら、レジ袋を廃止するのはナンセンスだ。しかし、現にレジ袋を廃止する企業が存在するのは、顧客を啓蒙するのも企業の使命だという暗黙の了解があるからだ。

家電製品やパソコン、携帯電話も、利用者のわがままをくみとって、できるだけ使いやすくというのが、一見、無条件に正しいことのようだが、実際には30年前の家電と比べると現在の家電の操作ははるかに複雑で高機能になっている。だんだん使いやすくなっているどころか、使いづらくなっている。

しかしこれは、より多くの人々が高性能な製品を使えるようになるように、家電メーカーが長い時間をかけて、製品を通して一般消費者を啓蒙していると言えないだろうか。

僕は情報システムの構築の仕事をしているわけだが、この業界では特に、顧客の言いなりになると、だいたいとんでもないシステムができあがる。だいたいはシステムを作る側よりも利用する側の方が、情報システムについての知識が不足しているためだ。

したがってシステム構築にたずさわる人たちは、自分たちが利用者の要望をくむだけでなく、利用者を啓蒙する使命もおびていることを忘れてはいけない。IBMクラスのシステム構築業者になれば、コンサルティングサービスを通じて顧客を啓蒙するということを自覚的におこなえるが、レベルの低いシステム構築業者は「安くていいものを」という顧客の言いなりになってしまい、「安くて悪いもの」を結果的に作ってしまう。

啓蒙されることを嫌がる自己中心的な顧客は、結局は良いサービスを受けることができないし、良い製品を使いこなすようになることができない。良い情報システムを構築したいなら、企業の経営者は顧客としての自社の要望が無条件に正しいなどと思ってはいけない。システム構築業者から学ぼうとする姿勢がなくてはならない。

人々を啓蒙するのは、けっして学校だけの役割ではない。一般消費者として僕らが受けるサービスや、購入する製品の一つひとつが、僕らにとっての「教師」になりうるのだ。ただし、そこから何か新しいことを学ぼうとする人たちにとってだけは。

たとえば、いま亀戸駅前のマクドナルドでこの文書を入力している僕の目の前には、僕が入店する前からコンセントつきのカウンター席で携帯ゲーム機に延々と興じている少年3人がいる。

マクドナルドは顧客の要望に忠実なので、彼らを叱り飛ばすことはないけれども、何時間にもわたって座席を占有することが、ほめられたことではないということを、これら3人の少年は学び損ねている。

高度成長を成し遂げて以降の、日本の(そしてもしかすると世界中の資本主義国家の)すべての企業は、これまで顧客満足、顧客至上主義を言いつづけることで、顧客のわがままを際限なく増長させてきた。それによって自分たちが製品やサービスを通じて顧客を啓蒙できるという、大きな可能性を自らドブに捨てるようなことをしてきた。

日本経済新聞の社説の論調も、企業の顧客至上主義を当然のことのように考えている。最近読んだ社説では、環境問題に敏感な若者のライフスタイルが、あたかも自然と環境問題をより良い方向にみちびくようなことが書いてあった。

しかしこれは完全なウソっぱちだ。環境のことを考えるなら、顧客は今までは通用したわがままを、どうしてもひっこめる必要がある。そして企業はそういう風にわがままをひっこめさせるために、顧客を啓蒙する努力をしなければならない。顧客の増大するわがままをひたすら実現することが企業の社会的責任ではなく、顧客を啓蒙することこそが、特定の製品技術やサービスについて、一般消費者より高度な知識・ノウハウをもつ企業の社会的責任ではないだろうか。

企業の管理部門にいると、現場の人たちはやたらと「管理部門は現場に対するサービス部門だ」などということを言い、まるで現場のわがままを無際限に聞き入れることが管理部門の使命のように言う。しかし、企業の管理部門は、本当は現場を啓蒙することの方が本質的な役割なのだ。

顧客満足、顧客第一という言葉がはびこることで、社会から啓蒙の機会がどんどん失われている気がする。典型的なのは学校に文句ばかり言う親たちだ。

まさに啓蒙の場である学校までが、単なるサービス業のようにみなされ、親たちはレストランやクリーニング屋の仕事に文句をつけるのと同じように、学校の教師たちに文句をつける。最後の啓蒙のとりでである学校までが、顧客第一の美名のもとに、単に顧客のわがままをくみとる機関に堕落してしまう。

関西テレビの健康情報番組のねつ造問題もまったく同型だ。啓蒙ということには、個人的に知りたくないことを知らされる、ということも含まれているのに、テレビ局は顧客の知りたいことだけを知らせるようになり、最終的には顧客の知りたいような情報を作り出す。

知らなかったこと、知りたくないことを知るという啓蒙の機会を失ってしまったら、人々はどうやって前に進むのだろうか。

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2007/03/18

堀江氏の実刑判決と日興の上場維持を並べてみると

元ライブドア社長の堀江貴文被告が、東京地裁で実刑判決を受けたのに対して、不正会計問題を起こした日興コーディアルグループは、東京証券取引所の上場廃止を免れた。単純に粉飾額を比べると、日興コーディアルグループの方が大きいにもかかわらず。

この二つの「判断」をならべると、非常にバランスが悪いことは明白だ。日本が大企業に甘く、成功者に嫉妬する社会であることが、端的にわかる。

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2007/01/15

いまさら気にしてみる三菱自動車の厳しい近況

ダイムラークライスラーが資本を引き揚げた後の三菱自動車が、果たして「復活」したと言えるのか、ときどき思い出したように気にしてみたりしている。

結論としては、やはり二度のリコール隠し問題の影響は避けがたく、「復活」したというより、以前とは全く別の会社になったというべきだろう。

自販連のブランド別年間新車販売台数の2005年から2006年への推移を見ても、軽自動車の伸びが全体の伸びに貢献するなか、三菱自動車は国内ブランドではシェアを落としてしまっている。

斬新なデザインの軽自動車「アイ」が各賞を受賞したということで、三菱自動車は「復活」を喧伝しているけれども、普通車や小型車の状況はとても厳しい。小型車「コルト」の勢いはもう完全に失われている。

輸出をふくむ年間販売台数で、三菱は2005年、スバル、マツダをしのいでいたが、2006年は「レクサス」ブランドを除くと国内最下位に転落した。車種別で三菱自動車はたしかに「軽」を伸ばしているが、普通車販売は半減という非常に厳しい状況だ。アウトランダーや新型パジェロが功を奏していないことになる。

おそらく三菱自動車は、奇抜な新車を単発で小ヒットさせ、限定された顧客層にアピールすることで生き残るといったタイプの自動車メーカに変質したと考えるべきだろう。

ダイムラーが去ったことで、三菱自動車はたしかに自社の伝統に回帰し、日本企業としての誇りをとりもどしたかもしれない。しかし他方で、完全にダイムラー傘下に入った三菱ふそうは、いまだに脱輪問題を引きずりながらも、対前年比で着実に新車販売台数を伸ばしている。

三菱自動車は最近、販社の大胆な統合策を打ち出したが、コスト削減にはなっても、販売台数の短期的な回復には結びつかない。これが開発部門の社内での発言力をまた肥大化させ、同じ過ちのくりかえしにつながらなければよいのだが。

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2006/08/13

近所のSHOP99が自動ドアに

今日から近所のSHOP99の出入口が、両開きの扉から自動ドアに変わっていた。

眼鏡店チェーンがつぶれてこの店に換わったときは、あまりに安っぽい造りなので早晩店じまいになるだろうと、この「愛と苦悩の日記」にも書いたおぼえがあるが、実際につぶれたのは目と鼻の先のampmの方だった。

やっぱり僕にはビジネスセンスがないらしい。数年前駅前にできた、スーパーマーケットと見まがうパチンコ屋は、真冬も真夏も毎週末、開店前から長蛇の列で、1000円美容室のQBハウスも週末は朝から赤ランプ。

以前から韓国の方は多かったけれど、最近ではムスリムの女性がママチャリをこいでいるのを見かけるほどで、目に見えて外国の方々も増えているご近所は、東京近郊でも比較的リーズナブルに生活できるのだろう。

そういう商圏ではSHOP99が強みを発揮するということなのだろうが、それにしてもあのセンスの悪いBGMはなんとかならないのだろうか。

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2006/04/05

トラック架装メーカー偽装工事で国交省の機能不全

■毎日いろいろと面白い事が起こるものだが、トラックの架装メーカー47社、昨年末までの3年間で8670台の車両に、最大積載量を水増しするための偽装工事が行われていたようだ。(ある架装メーカーのWebサイトによれば、「架装」とはもともと「加装」つまり装備を追加すると書いたようで、車体の形状そのものを変更する一次架装と、車体に対して単なる補足工事を行うだけの「二次架装」があるようだ。今回のトラックの架装は二次架装ということになる)

発覚のきっかけになったのが三菱ふそうトラック・バス子会社の架装メーカー「パブコ」だったので、またもや三菱ふそうの不祥事かと思ったら、神奈川県警の調べによればトラック業界全体でメーカーと販売会社の共謀で長年にわたって横行していた不正行為というから驚きだ。

47社もある架装メーカーのうち、今回の最大積載量偽装が発覚したのが、なぜ三菱ふそうトラック・バス子会社からだったのか。この点が非常に興味深い。パブコが不正車検を国土交通省に報告したのが2006/02/03、それから2か月たってようやく業界全体での不正行為であることが判明したということだ。

2006/02/03より以前の2006/01/10に、元三菱ふそう関連社員が、同グループの販売会社から偽の発注で車両をだまし取り、詐欺容疑で逮捕されるというニュースが共同通信から報道されている。また周知のように、三菱ふそうトラック・バスは2004年以降のリコール隠し・ヤミ改修で国土交通省から「目をつけられていた」ということもある。

想像するにこれらの状況が「幸いして」、業界全体での不正が三菱ふそう系列から明るみに出たのではないか。三菱ふそうに関係する社員の内部告発である可能性もある。

しかし、神奈川県警や国土交通省が、三菱自動車と三菱ふそうのリコール隠しであれだけ両社や系列会社に調べを入れていたにもかかわらず、トラック業界全体での不正行為を明らかにできなかったというのは何故なのだろうか。

問題の大きさとしては、三菱自動車1社の不正行為と、業界全体でのトラックメーカーや系列販社を巻き込んでの不正行為と、比較するまでもなく後者の方が重大な問題である。それを監督官庁である国土交通省が、リコール問題であれだけ三菱自動車・三菱ふそうに踏み込んでおきながら発見できなかったというのは、監督官庁としての単なる怠慢ではないか。

もちろん不正行為におよぶトラックメーカーと販社に非があることに違いないのだが、三菱1社のリコール問題にあれだけこだわっておきながら、トラック業界全体の不正行為を発見できなかった監督官庁の責任も問われてしかるべきだろう。法制度の有効性が担保されるのは、それが正しく執行される限りにおいてである。

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2006/02/05

東横インに見るワンマン経営者チェック機能の重要性

■やはり東横インが支配人に女性を活用しているというのは、決して社会的貢献として誇れるような種類の女性労働力の活用(やっぱり労働力をモノ扱いするような表現が気になる)ではなかったようだ。

東横インの女性支配人の初任給は年収たった320万円で賞与なし。勤続10年でも570万円という。東横インが離婚暦のある女性などを積極的に支配人として雇用したのは、(1)安い労働力だから、(2)東横インぐらいしか雇ってくれないという弱みがあるため御しやすいから、この二つの理由があったからだと断言してもよいだろう。

あるテレビ番組で、元東横インの女性支配人だった女性が匿名の電話インタビューに答えていたのだが、全国の支配人を集めた会議では少しでも社長に対して意見すると、その場でやりこめられるのだという。多少の誇張はあるとしても、女性支配人の方がコントロールしやすいのは真実だろう。

違法改造直後の会見を見ても、この東横インという会社に経営に対するチェックがまったく機能していなかったのは明らかだ。経営陣に対して批判的な意見を進言できる体制が機能していれば、社長があそこまで無神経な語り口になるはずがない。社長の周囲にイエスマンやイエスウーマンしかいないために、あの社長は自分の言葉づかいがいかに常識からズレているかさえ分からなくなってしまっているのだ。

経営陣に対するチェック機能が働かない企業の抱えるリスクが、東横インのケースにはよく現れている。創業者のワンマン経営が、東横インのようなコンプライアンス問題を引き起こさないようにするには、よほどワンマン経営者自身の倫理観が強くない限り、労働組合や監査役などのチェック機能が必須なのではないか。

これは一企業の問題というよりも、日本の法制度の未熟さの問題なのではないか。

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2006/01/29

東横インの不正改造問題

■ほとんどの支配人が女性であるということで、以前から女性労働力の活用(人間をモノ扱いしたこの表現、自分で書いていて強い違和感があるのだが)で注目されていた「東横イン」というホテルチェーンで、身体障害者のために義務付けられている施設をいったんは建設しながら、法定検査の後、撤去、ロビー拡張や客室を増やすなどの偽装工事を行っていたとして、建築基準法違反に問われているようだ。

「東横」という名前が付いているので、てっきり東急グループ企業だと僕も勘違いしていたのだが、東急グループとはまったく無関係だ。コンプライアンス意識が低く、「バレなければ多少の違法行為は許される」という「赤信号みんなでわたれば恐くない」的意識は、耐震偽装やライブドアに限らず、官製談合も含めて、日本の実業界にあっては「古き悪しき伝統」であり、今に始まった話ではない。

したがって、最近になって急激に日本に拝金主義がはびこっているかのような、「関口宏のサンデーモーニング的」論調は浅はかすぎて、議論としてはまったく生産的でなく、自体の改善にもつながらない。

結局、一企業の中でそのような違法行為が始まったときに、同じ組織の中でそれを阻止する自浄作用が働くしくみが、違法行為が起こる以前から組織に組み込まれているかどうかが本質的な問題だ。

こういった急成長ベンチャーに典型的なのが、創業者の周囲をかためる経営陣に、創業者に根本的な批判や疑義をさしはさむことのできない「イエスパーソン」ばかりが集まってしまうという弊害である。創業者が意図してイエスパーソンばかりを集めているというよりも、創業以来、創業者の理念に心酔して、結果的に会社の中枢が創業者の単なるフォロワーで固められてしまう、と言った方が正確だろう。

このようなベンチャー企業でコンプライアンスが正常に機能するには、創業者自身が自分とは異質なものを、監査役なり適切な位置に配置するだけの、冷静さや、相対主義的な考え方を身につけているかどうかにかかっている。

おそらくヒューザーの小島社長や、東横インの西田社長は、ある意味「純粋」な人たちであったために、自分自身の経営理念に一転の疑問も抱かず、がむしゃらに事業に打ち込み、自分の周囲がイエスパーソンで固められていくことに無自覚だったのだろう。企業理念というものに対して純粋でナイーブ過ぎるがゆえに、社内の部門間牽制が働かず、違法行為を発生させる温床を作り出してしまったのだ。

ライブドアの堀江元社長に彼らのようなナイーブさはなく、まったく逆で、意図的に法制度の限界に知的に挑戦するゲームを楽しんでいたのだろう。

多くの日本人はこれらの企業家と同じようにナイーブで、企業理念の実現を目指して仕事に打ち込む企業家の純粋さを、かんたんに称揚してしまう。拝金主義を批判する前に、一つの企業には創業者の情熱という「熱い」側面と、コンプライアンスのような、ある意味「しらけた視点」の「冷たい」側面の両方があって、初めて永続的な法人として成立するのだという、当たり前のことを思い出すべきだろう。

そして企業内に「熱い」側面と「冷たい」側面の拮抗状態を作り出すよう強制する制度が、日本の資本主義には未整備であることが最大の問題である。日本のマスコミも、関口宏の『サンデーモーニング』に典型的に現れているように、制度の未整備という本質的な点を議論せず、拝金主義批判や「お金より大切なものがある」などといった安易な道徳論ばかりをふりかざす。それが結果として制度の未整備を放置するという悪循環がある。

創業者の周囲にイエスパーソンばかりという企業は、財務諸表に現れない経営リスクを抱えているということが、もう少し経済界の常識になっていいと思うのだが、歴史大河ロマンの好きな日本人はなかなか考え方を変えられないのだろう。

2月からの日本経済新聞の連載は堺屋太一の『チンギスハン』だというし。また歴史物か、という感じで、うんざりだ。

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2006/01/21

ライブドア狙い撃ちの底知れぬ恐ろしさ

■見事にライブドアは当局に狙い撃ちされたな、という印象だ。株式市場にこれほどの混乱を与える危険をおかしてまで、なぜ東京地検が一ベンチャー企業の摘発に血道をあげたのか。意図的なライブドア攻撃以外に理由は見あたらない。

他方では、なんど独禁法違反に問われても、飽かず談合をくり返す大企業集団がいるし、まだ明るみに出ていない粉飾決算は上場企業の中にも星の数ほどある(じっさい僕自身、過去とある勤務先で粉飾の片棒をかついでいたくらいなのだから)。

日本社会は時にこうして出る杭をきちんと打ちのめすことで、「バランス」という美名の下に悪しき平等主義をとりかえそうとする。そこに政府の意思がはたらいていない、単にライブドアは「運が悪かっただけだ」というのは、あまりに能天気な考え方である。

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2006/01/09

ニート問題の主因は企業の不作為

■日本経済新聞の若者についての記事を読むたびに、偏見に満ちた内容に怒りをおぼえる。そういう偏見に凝り固まった四十代、五十代が人事権を握っているから、ニートと呼ばれる人たちにはいつまでたってもまともな就業機会が与えられないのだが、もちろん日本経済新聞の記者にその自覚はない。

日本経済新聞の若者に関する論調をまとめると次のようになる。今の若者はひ弱だし、コミュニケーションも下手くそだし、企業にとって即戦力になるわけではない。しかしITを駆使できる人もいるし、外国人アレルギーのない人もいる。欠点より長所を見て若年層労働力を活かそう。

しかし、社会人経験のない若者が、企業にとってはさまざまな欠点のある労働力であるのは当然だ。これまで企業は、そういう「使いものにならない」若者を「使いものになる」労働力に育て上げるという社会的責任を果たしていた。

ところが今の四十代、五十代は、自分たちが会社に育ててもらう前は、ニートと同じく「使いものにならない」労働力だったことを見事に忘れ去り、まるで現代の若者が労働力として「使いものにならない」のは若者自身の責任であるかのように考えているのだ。

だからこそ、若者についての記事が、若者の長所やニート就業の成功例を必死になって探すといった論調になってしまうのである。もし企業の中核を担っている四十代、五十代の「おじさん」たちが、「自分たちも会社が育ててくれなかったらただのニートだった」という事実を自覚していたら、若者についての記事は、ただただ企業の怠慢を批判する内容になっているはずだ。


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2005/12/12

松下電器、一種の「リコール隠し」

■VIERAのテレビCMが完全になくなって、すべてファンヒーター回収のお知らせに差し替えられているが、読売新聞の2005/12/12の報道によれば、どうやら今年、2005/01/05最初の死亡事故の1か月後から顧客サービスキャンペーンと称して、すでに部品の無料交換を始めていたらしい。

キャンペーン上は「無料点検」、販売業者には「原則、部品交換を指示」していたとのこと。これはやはり一種の「リコール隠し」、家電なのでPL法に抵触することになるのではないか。松下電器は「事故を隠す意図はなかった」と話しているが、言葉どおりに信じるのは難しいだろう。

ある意味、「うまくいき過ぎ」の中村社長による大胆な事業構造改革の副作用で、非主力の旧製品でアフターサービスに穴が開いたのではと、非難されてもやむを得ないのではないか。本当に2005/02の時点で同社が事故の重大性を認識していたとしたら、ジャストシステムの「アイコン特許」訴訟に引き続き、パナソニック・ブランドはかなりのダメージを受けるのだろう。

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2005/11/29

リコール隠しと耐震強度偽装

■支離滅裂な言行で一躍、有名企業になったヒューザー。今回のマンション耐震強度偽装問題を、自動車のリコール隠し問題と比較すると、いかに不動産業界が消費者軽視の古い体質を残しているかがわかる。

自動車の場合は、設計に問題があろうと部品の強度に問題があろうと、消費者に対してその責任を負うのは、エンジニアリング会社でもなく、部品メーカでもなく、完成車メーカとされている。だからこそ、完成車メーカは外注先業者の選定にも責任を負う。電気製品のPL法だって、消費者に対する責任の所在という意味では、まったく同じ考え方だ。

ところが今回の醜い「罪のなすりつけ合い」を見ると、不動産業界では、なぜかこの消費者保護の基本的な考え方が通用しないようなのだ。少し前の森ビルの自動回転ドア死亡事故にしても、森ビルが全面的に責任をとるということがなかった。

完成品を販売する会社として、業者選定の責任や、業者の納入した設計図や部品・部材の品質チェック責任を負うのは当然だと思うのだが、なぜ不動産業界ではそうならないのだろうか。もう少しよく考えてみたい。

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2005/11/18

たばこ税を20倍に

■数日前、知っている人は知っている夜のTBSラジオ番組『アクセス』で、世の中の禁煙・分煙は行き過ぎではないかというテーマが取り上げられていた。この番組は一般聴取者が電話で参加できる討論番組なのだが、例によって喫煙者は肩身の狭さに憤り、禁煙・分煙を緩和しろという主張しかせず、新味のない議論が展開されていた。

ただし、僕は非喫煙者だが、禁煙・分煙を厳格にするよりもっと有効な策があると以前から考えていた。そして今朝の日本経済新聞の社説に、まさにその策が提案されている。それはたばこ税の大幅増税だ。

社説の題名は「安すぎないか日本のたばこ」なのだが、まさにその通り。思い切ってマイルドセブンを一箱2,000円にすれば、公共交通機関や各企業がこれ以上費用を負担して禁煙キャンペーンを行ったり、喫煙コーナーを設置したりする必要はなくなる。自治体が路上喫煙禁止のマークをわざわざ歩道に印刷したりする費用も不要になる。

これらの喫煙者対策費用が、まわりまわって非喫煙者の運賃や税金にはねかえっているのだから、非喫煙者にとってはいい迷惑である。ならば、これら公的機関・民間企業による禁煙キャンペーンを全部やめてしまう代わりに、たばこ税を20倍にすればいい。そうすれば、喫煙者だけが禁煙施策のコストを負担するという、極めて合理的な費用負担の仕組みができあがり、最終的には日本たばこがたばこ事業を廃業するところまでこぎつけることもできる。

実効性の乏しい禁煙・喫煙キャンペーンよりも、たばこ税の大幅増税ははるかに合理的で効果的ではないか。

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2005/10/24

ホワイドバンドにだまされた人々

■ようやくYahoo!JAPANのニュースに、毎日新聞の記事としてあがってきたが、OxfamというNPO団体が世界的におこなっている「貧困をなくそう」というキャンペーン。白いブレスレッドのような樹脂製のバンドを購入しようという、有名スポーツ選手や芸能人の呼びかけに、まんまとだまされた人が、やはりかなりいるようだ。

ホワイトバンド:趣旨説明不足で購入者から批判

そういう僕も、つい3週間前まで、あのホワイトバンドの売上が、すべてOxfamのふところに入っていることを知らなかったクチだ。TBSラジオの土曜朝の番組『中村尚登ニュースプラザ』の1コーナーに大宅映子が出演していて、OxfamなどのNPOが金の集まるビジネスになってきているという、米『NEWSWEEK』誌の記事をかんたんに紹介していた。それではじめて、あのホワイトバンドの売上が、寄付されるのではないということを知ったのだ。

そのNEWSWEEKの記事は、こちらで読むことができる。

Where the Money Is

読者の中にも、いまだにだまされている人がいるかもしれないので確認しておこう。あのホワイトバンドというのは、貧困をなくそうという「意識を高める」ためのキャンペーンであって、ホワイトバンドの売上が途上国に寄付されるわけではない。ホワイトバンドの売上はすべて、Oxfamの活動資金になるのだ。

今朝の毎日新聞の記事によれば、ファッション感覚でOxfamのキャンペーンにのせられてしまった日本人たちが、今ごろになってようやく文句を言い始めたらしい。

以前からここで話題にしている、『セサミストリート』の製作元、セサミワークショップもまたNPOである。日本での放送を、NHKからテレビ東京にくらがえした途端、マペットたちはじつにさまざまな企業のCMに登場しはじめた。NPOは人々の善意にうったえてお金を集めるところであり、純然たる慈善団体では決してない。

その存在の是非は別として、僕らはNPOと慈善団体の区別くらいは、ちゃんとつけられるようにならなければ。

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身近な偽造通貨

■今朝、最寄り駅のホームでいつものように自販機でミネラルウォーターを買おうとすると、二人のご婦人が自販機の連絡先電話番号へ携帯電話で連絡をとろうとしておられる。「ああっ、買うのはやめた方がいいですよ。ほら」と一人のご婦人が手のひらを僕のほうにひろげてみせた。

その上には五百円玉大の銀色の奇怪な貨幣が二枚。ほんとうなら「500」とあるべき場所に、「十」と「中」を足して二で割ったような奇妙な記号が二つ刻印されている。明らかに偽造通貨だ。「お釣りなしでお買いになるならいいですけれど、こんなヘンなのが出てきたんじゃぁねぇ」と、ご婦人は電話をかけ始めた。

さいわい僕はきっかり120円もっていたので、いつものミネラルウォーターを買うことができたが、偽造通貨が、東京郊外の住宅街で、こんなに身近なところで初めてお目にかかれるなんて。日本の国際化はまだこれからのようだ。

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2005/09/19

個人情報の「横並び」過保護

■今朝の日本経済新聞『経済教室』欄は、「個人情報保護に行き過ぎ」というテーマだった。筆者である青柳教授の主張は、保護すべき個人情報は飽くまでプライバシーにかかわる範囲に限定すべき、というものだ。例示として、先日のJR福知山線脱線事後で負傷者の搬送先の病院が、個人情報保護法を理由に、搬送された負傷者の氏名開示を拒否したことがあげられている。

この病院の対応は明らかに行き過ぎで、個人情報保護法上も第二十三条第2項に次のようにはっきりと書かれている。「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」。

筆者の青柳教授が問題にしているのは、このような日本社会の過剰反応である。僕もまったくその通りだと考える。病院だけでなく民間企業も、この法律に明らかに過剰な反応をしている。

個人情報の漏えいがあった場合、あたかも企業がすべての責任をとらなければならないかのように、この法律を解釈し、必要以上のセキュリティ対策を実施して従業員をがんじがらめにしている企業・組織は少なくないだろう。まるで、しっかり戸締りをしていても、泥棒に入られれれば入られた家の責任だ、と言わんばかりの、個人情報の過保護が広がりつつある。実際には泥棒こそが窃盗罪で起訴されるべきなのだ。

今年2005年4月に施行されたばかりの法律なので、当面は「過保護」が同業他社に対する差別化要素になるだろうが、いかにも日本人らしい「横並び意識」による過剰投資合戦にならないか、不安である。

と、言いながら、僕も一組織人としては、同業他社が「過保護」施策に出てきた場合には、対抗して「過保護」施策を取らざるを得ない立場にあるわけだが。

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2005/09/11

セブン&アイ・ホールディングスのお祭り騒ぎ

■いつも使う電車に乗っていると、車窓からセブン&アイ・ホールディングスの看板が見えた。たぶん元はイトーヨーカ堂のあの鳩のマークの看板だったはずの店舗だ。テレビでも設立記念セールのコマーシャルをさかんに放送しているが、日々イトーヨーカ堂やセブン-イレブンを利用している消費者には、持ち株会社の設立などどうでもいいことで、なぜテレビCMを放送するほど大騒ぎしているのだろうと、正直ピンと来ない。内輪のお祭りに無理やり消費者が付き合わされているような気分がするのは僕だけだろうか。

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2005/08/13

過程の陳腐さが結果の独創性を担保する

■ビジネス戦略を考えるという行為は非常に不思議である。デカルト風の誇張懐疑の手法を使って、自分が当たり前と考えていることをすべて疑っていけば、それぞれの業界で常識と思われていることなど簡単に捨て去ることができる。しかし、ビジネスの世界でこの方法的懐疑を押し進めすぎると、確実にどこかでただのナンセンスに突き当たる。

では、どこまでがビジネスとして有効性のある「斬新なアイデア」で、どこからが「単なるナンセンス」なのか、その境界線を演繹的に決定することはできない。演繹的に定義できないということは、仮説、検証のサイクルを繰り返すことで、帰納的にその境界を定めるしかないわけだ。つまり、やってみてダメなら、それは「単なるナンセンス」だったということが後からわかる、ということだ。

ところが問題をもっと複雑にしているのは、仮説、検証を行うビジネス環境そのものが、時とともに変化しているということだ。ある時期に失敗したものが、別の時期に成功することもあり得る。業界経験が長い人ほど「斬新なアイデア」と「単なるナンセンス」の境界線をより保守的に見積る確率が高いが、業界経験の短い人は「単なるナンセンス」の試行に経営資源を浪費する確率が高い。こういった問題に対しては、より多くの人の意見を聴くことが有効なのか、自分の信念にもとづいて仮説を立てることが有効なのか、それさえ事前に決定することができない。

一言で表現すれば、ビジネス戦略を練る行為は、純然たるバクチに限りなく違い。こういう問題系を相手にするとき、僕は正直言ってどう対応すればいいのか、ただ途方に暮れるだけだ。その点、社内SEとして利用者の要求を実現する過程で突き当たる問題群は、大部分が安定している。問題への対処方法を事前に決定できる。

しかし、本当にビジネス戦略を考えるという行為は、事前にコントロールできないバクチのような行為だろうか。僕がかつてドイツ人の上司から学んだことの一つに「方法論において独創性はいらない。独創性が求められるのは結果である」ということがある。

ビジネス戦略を考えるプロセスに独創性はいらない。教科書どおりにコントロールすべきである。真の問題は、その結果として産み出される戦略に独創性があるかどうかだ。プロセスさえコントロールできないのでは、産み出された戦略が戦略と呼べる代物なのかどうかさえ確認不可能になってしまう。

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2005/07/10

SE転職市場は堅調!

■僕が正社員として中途入社したものの、働きづらさから退職した某企業が、社内SEの求人広告を出しているのを偶然見つけた。僕が三十歳以降に転職した企業で、入社一年以内に退職したのは二社だけで、その二社ともが「半年と間をおかずに社内SEの求人広告を再び出し」ている。そのうち一社は、僕が退職した理由を改善しないまま後任の社内SEを中途採用し、その後任者も同じ理由で退職したと見られる。もう一社はもともと社内SEをかなり増員する計画だったので、計画どおりの求人のようだ。いずれにせよ、社内SEの求人は日本経済全体の動向と同じく堅調だ。数字を追いかけるより、モノづくりに専念したいITプロフェッショナルにとって、ますます転職のチャンスは広がってきていると言えるだろう。(何だか転職情報誌のコラムみたいな文体だ)

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2005/06/19

鉄道の安全と衆愚

■2005/06/17付けの共同通信配信のニュース。2005/06/04、午後3時過ぎ、JR中央線の国分寺駅で強引な駆け込み乗車をした乗客に対して、車掌が車内放送で「駆け込み乗車はおやめください。そのような乗り方でけがをした時は、お客さまの責任になります」と注意した。この放送についてJR東日本が行き過ぎた内容だったと謝罪したという。

僕にはJR東日本が謝罪しなければならない理由がまったく分からない。危険な駆け込み乗車をした上に、電車の発車を遅らせて、遅延回復のために速度を上げる運転を運転士に強要する原因を作ったのは、この乗客の方だ。こんな自己中心的な行為が、顧客として当然の「権利」であるかのように履き違えられていることこそ、鉄道の安全性に対する大きな脅威になっている。他の乗客にとってはいい迷惑だ。

少し前に起こった東武伊勢崎線の「開かずの踏切」での死亡事故にしても、踏切前で待たされている横断者が踏切の開閉を担当していた社員に対して、日常的に「早く開けろ」などの文句を言っていたという。ここにも顧客の理不尽なわがままが許され、社員が安全を守る立場として毅然とした態度に出ることが「悪」であるかのような了解ができあがってしまっている。

危険行為に対する当然の注意や管理を、逆に鉄道会社側が引け目に感じなければならないなどという主客転倒がまかりとおっているのでは、いくら鉄道会社が安全管理を行っても、乗客みずからそれを骨抜きにしているようなものだ。まさに「衆愚」の典型例である。

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2005/05/02

失敗から学んでいたJR東日本

東京大学名誉教授・畑村洋太郎著『失敗学のすすめ』(講談社文庫)を読み終えたが、文庫版だけに収録されている「あとがき」に一つ貴重な情報があったので読者の皆さんにぜひ紹介させて頂きたい。

2004/10に起こった新潟県中越地震で上越新幹線が脱線事故を起こしたとき、読売新聞をはじめとしてほとんどの報道機関が「新幹線の安全神話が崩壊した」などと否定的な論調だった。

しかし畑村名誉教授は一人の負傷者も出さなかったこの脱線事故の背景に、JR東日本の地道な安全対策があったことを指摘している。阪神大震災の教訓から、JR東日本は管内新幹線の高架部分の支柱補強工事を着々と進めていた。そのおかげで、新潟県中越地震が直下型だったにもかかわらず支柱はびくともせず、高架橋全体が崩壊するという最悪の事態を見事に回避したというのだ。

文庫版の「あとがき」には上越新幹線の高架のすぐ近くにあるマンホールが地盤の液状化で石塔のように1メートル以上も浮き出している写真が紹介されている。それくらい地盤が急激に軟弱化したあの地震にあっても、上越新幹線の高架橋は無事で、新幹線は車両が脱線しただけですみ、負傷者は出なかった。

阪神大震災の失敗から学んだJR東日本の地道な努力を評価せず、脱線の負の側面ばかりを非難する日本の社会(というより報道機関)こそが、企業が失敗から学ぶことを妨げる環境をつくりだしているのだという畑村氏の主張には説得力がある。失敗から学ぶことなく同じ失敗をくりかえす企業は論外だが、失敗から学んだ形跡がないかを注視することはたしかに重要だ。

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2005/04/16

手のひら認証カードのナゾ

■今、某銀行が手のひら静脈認証付きのカードを年会費無料で作れると、ものすごい勢いで宣伝している。ただ、この件についてまったく理解できないことが一つある。

同行のWebサイトに最小のフォントで書いてある「ご留意事項」を、よくよく読んでみると、こんなことが書いてある。「クレジットカード機能・電子マネー『Edy』機能では身体認証(バイオメトリクス)をご利用いただけません」。えっ?手のひら認証って、カードの安全性を高めるための機能じゃなかったでしたっけ。ところが手のひら認証付きカードを作るには、クレジットカードと「Edy」の機能をつけなければいけない。しかもこの2つの機能については手のひら認証機能が使えない。

とすると、万が一カードを盗まれたら、たしかに銀行のキャッシュカードとしては手のひら認証で保護されるかもしれないけれど、クレジットカードとして買い物にじゃんじゃん使われたり、キャッシングされたりしたら、手のひら認証の意味がない。たしかにクレジットカードのキャッシングには利用限度額があるが、ショッピング利用可能枠の範囲内で何度も買い物されてしまえば同じこと。そうとは知らずに手のひら認証カードを作ってしまった人たちは別として、預金者側のメリットはほとんどない。全銀協は先日カード盗難の場合の賠償には応じない方針を発表したばかりだし、なのにどうして手のひら認証をあんなに大々的に宣伝しているのだろう。本当に不思議だ。

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2005/03/29

おいしい対日投資とライブドア

■立花隆が日経BP社のWebサイトに新しい連載を始めており、ライブドアによるニッポン放送買収を取り上げている。『WEDGE』の記事を引用して、買収資金調達のために、ライブドアがリーマンブラザーズから不利なCB発行条件をのまされた点に注目しており、小泉改革が米国の対日投資を利する方向に効いているというところで第五回は終わっている。

ここからナショナリスティックな調子の議論が展開されることは想像に難くないが、今回の買収劇に関するもう一つの観点として注目できる(先日日曜朝のTBS『サンデージャポン』でも西和彦が同様のことを言っていたけれども)。

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2005/03/27

フィットネスと小売業界の類似性

■同じく日経の記事からだが、都心のオフィスビルを間借りして、一店舗あたりの会員数を200~300人に絞った狭小型フィットネスクラブが広まりつつあるらしい。会社帰りのOLが汗だくにならない軽い運動というコンセプトのようだ。ダイエーのような郊外型総合スーパーから、専門店・コンビニエンスストアーという、小売業界の流れにフィットネスクラブ業界も学ぶところがあるのではないか。

郊外型の大型フィットネス施設は、同じ郊外にある大型団地の高齢化とともにスーパー銭湯のような娯楽施設に置き換わるだろう。一方都心型の施設は、純粋に体を鍛えたい人たちのための専門店型ワークアウト施設と、今回日経が取り上げたような、会社帰りに軽い運動をするためのコンビニ型フィットネスに二分化するだろう。都心で大型店舗が生き残れるとすれば、六本木ヒルズ近辺にあるような外国人向け高級スポーツクラブだけになりそうだ...なんてことを僕が考える必要はまったくないのだが。

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2005/03/02

フジテレビの二重規範

■株式の時間外取引についての法律を改正して、ライブドアが行ったような取引がこれからは違法になる。そのことについてインタビューをうけたフジテレビ社長は、「株主に対する公平性の観点から望ましいことだ」と話していたが、株主に対する公平性を無視しているのは、明らかにフジテレビの方だ。

ニッポン放送の新株予約権の発行が本気なら、どう考えたって株式の発行数を増やしてニッポン放送の株価を下げ、買収をやりやすくする意図があるとしか考えられないではないか。フジテレビは村上ファンドやライブドアをふくむ、ニッポン放送の株主を、明らかに不公平に取り扱っている。よく「株主に対する公平性」などといったことを堂々と言えたものだ。

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2005/02/23

ニッポン放送の「内輪の理論」

■とうとうニッポン放送が既存の株主を犠牲にしてまでライブドアに買収されるのを避ける最終手段に訴えたようだ。新株予約権は飽くまで権利であって、今回これを買ったフジテレビが実際に新株の引受を行使するかどうかはわからないが、別に新規事業を展開するために資金調達するわけではないのだから、ニッポン放送という会社そのものの企業価値が変わらないまま、発行済み株式数だけがドカンと増えるので、一株あたりの価値が大幅に下がることくらいは、企業ファイナンスの素人の僕にだって分かる。これでは株価の下落は必至で、既存のニッポン放送株主は、他ならぬライブドアも含めて大損害をこうむるおそれがある。

ライブドアの堀江社長は、本当に実現できるかどうかは別にして、少なくとも、ニッポン放送の企業価値を高めるというポジティブな意図で買収をしかけているだけ、ニッポン放送の今回のやり口よりもまだましだ。今回のニッポン放送のグループ内での新株予約権の発行は、ただただフジサンケイグループが保身を図るためだけの、完璧に後ろ向きな内輪の理論にもとづく対抗策だ。

もしフジテレビが本当にニッポン放送との事業提携によるシナジーを、今まで少しでも本気に考えたことがあるなら、ライブドアに買収をしかけられて初めて、思い出したようにニッポン放送の株を買い始めるなどということにならなかったはずだ。ライブドアが行為に出るよりも前に、ニッポン放送を子会社化するなどの策を打っていたはずだ。今までそれをせずに、今ごろになってライブドアへの対抗上、ニッポン放送の株を買い始めるなど、一般の株主の利益を無視した、フジサンケイグループの保身以外の何物でもない。

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2005/02/03

松下製品不買運動

■松下電器がアイコン特許侵害裁判でジャストシステムに勝訴し、「一太郎」「花子」を製造販売中止の判決が下りたとのこと。仮執行は見送られ、すぐに販売中止になるわけではないが、すでにジャストシステムには株価のストップ安という経営上の実害が出ている。

どうやら松下電器は同じ特許についてソーテックやジャストシステムなど、特許係争対応力が弱い企業を狙い撃ちしているようだ。ジャストシステムはATOKに並ぶ主力製品の「一太郎」「花子」の販売を停止するわけにはいかないので、最終的にライセンス契約を結ばざるを得なくなる。わずかばかりのライセンス利用料が毎年松下電器に入るというわけだ。どう考えても進歩性の低いこのアイコン特許をネタに、日本で唯一マイクロソフトに対抗できるOAソフト「一太郎」や「ATOK」を開発するジャストシステムから小金を稼ごうという松下電器の特許戦略は、松下電器にとっては合理的な経営判断かもしれないが、企業の社会的責任の観点からすると明らかに誤った経営判断だ。

松下電器とソーテックやジャストシステムでは誰が見ても企業規模の差が大き過ぎ、一般消費者から「中堅企業の係争能力の弱みにつけこんだ小金稼ぎ」というそしりを受けることは避けられないのではないか。現に松下電器製品の不買運動を呼びかけるWebサイトもすでに出てきているようだ。一方で松下電器は好業績にもかかわらず今期中にデジタル家電部門で1000人、子会社の松下電子部品などで600人の人員削減も進めている。「消費者向け」製品メーカーとして、松下電器は社会的責任をもう少し考えた方がいい。もちろんこのWebサイトでも松下製品の不買を訴えておく。

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2005/02/02

リニアな世界観の限界

■2005/01/31の日経朝刊で、元米国通商代表部、現日本NCRの共同社長という人物が、自ら経営コンサルタントとして日本企業に経営改革を提案し、その部分的実行までに3年もかかった体験を引きながら、経営改革を阻止する五つの壁として「認識の壁」(=そもそもわかってない)「判断の壁」(=判断が甘い)「納得の壁」(=無理だとあきらめる)「行動の壁」(=計画だけ作って安心する)「継続の壁」(=三日坊主)をあげ、そして日本企業の経営改革に時間がかかるのは人材の流動性の低さが一因だと書いている。

いかにもアングロサクソン的な、リニアな因果論、キリスト教的終末論だ。アングロサクソンは世の中を、原因と結果が連鎖する、始まりと終わりのある一本のチェーンと見る。アジア人はさまざまな事象が互いに原因でもあり結果でもある網の目と見る。日本の労働市場の流動性が低いことと、日本企業の経営改革が遅いことは、お互いが原因となり結果となっており、一方を解決すれば他方が解消するのではない。労働市場の流動性を高めようとすれば、他の複数の要因がそれを阻害する。

アングロサクソン的世界観にもとづくコンサルティング手法は同じ世界観にもとづく組織に対してしか効果をあげない。現日本NCR共同社長の改革提案が三年を経ても一部しか実施されなかったのは当然であり、彼の議論はアングロサクソン的世界観の押し付けでしかない。

ただし、唯一、アングロサクソン的世界観の押し付けが日本企業に対して機能する場合がある。それは米国が外交で常にそうするように、力にものを言わせる方法だ。企業経営の改革なら、資本の力にものを言わせてその日本企業を買収し、経営陣をアングロサクソン化すればいい。これが唯一、アングロサクソン的な意味での日本企業の経営改革を成功させる方法だ。

そう考えると日本の政治問題について、通常の政権交代の文脈で現日本NCR共同社長の議論を援用するのはあまり意味がない。米国が軍事力にものを言わせて日本の総理大臣を共和党党員の白人にすれば、懸案の構造改革はあっという間に実現するだろう。敗戦直後GHQの強力な指導下であっという間に「民主化」が実現したように。この選択肢は明らかに非現実的なのだから、日本人はむしろ自分たちの改革能力の限界を自覚することから始める必要がある。

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2005/01/31

少子化問題記事がむなしく響くわけ

■日本経済新聞で少子化問題の記事を読むたびに、記事を書いている記者や大学教授たちに当事者意識がほとんど読み取れないことを歯がゆく思う。働く女性が妊娠したとき、日本企業の大多数を占める中小企業ではあからさまな「退職のすすめ」が行われている。中小企業が短期・中期的な人件費を抑えるために、女性社員に育児休暇をとらせまいと、結婚した女性社員や、妊娠した女性社員、結婚後も長く勤めている女性社員に退職の圧力をかけるということが横行しているのは、日本の会社員なら誰でも知っている事実だ。

ならば少子化問題を報道するメディアはまず、自分たちの職場の状況について考えるべきではないか。自分たちの職場で深夜残業が当たり前になっていて、女性社員はとても妊娠や育児どころではないという状況であれば、しかつめらしく少子化問題を論じるまでもなく、少子化は当たり前の帰結なのだ。

何も難しい問題ではない。自分たちの会社で育児休暇の取得率が増えなければ、世の中小企業でも取得率は増えないだろう。働く女性にとって子供を持ちやすい企業は、その企業独自の努力によるものだが、逆に、働く女性にとって子供が持ちにくい企業は、すべての企業に共通な理由によるものだ。

個々の企業に改善を呼びかけるような少子化問題の記事は、まったくの的外れだ。少子化問題とは、その99%が男性である企業経営者の考え方の問題、社会慣習の問題、文化的な問題なのである。少子化問題の改善を呼びかける新聞記事やコラム、社説が虚しく響くのは、その記事を書いている人々自身が「こんなこと書いてもムダだろうねぇ」と、すでにあきらめているからだ。そのあきらめは、記事が客観的で、社会全体に呼びかけるものであればあるほど、行間からにじみ出る。

ひとつ提案なのだが、マスコミが少子化問題をとりあげるときは、必ず自分の会社だけを標的にするということにしてみたらどうだろうか。大学教授が少子化問題に関する論説を新聞に載せるときも、自分の所属する大学しか批判の標的にしてはいけないということにしたらどうか。そうすれば少子化問題については非常に絶望的な記事しか書けなくなるだろう。それでこそ少子化問題の真実に迫っているのだ。

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2004/10/11

ライブドアの戦略に疑問

■休日にテレビを見ていると、ライブドアの堀江社長がよく登場すること。広告費ゼロの宣伝になると知って出演しているのだろう。しかしこうして球界再編などで頻繁にテレビに「ライブドア」の名前が現れるようになるまで、ライブドアがYahoo!と同じようなポータルサイト事業をやっていたり、パッケージソフトの開発・販売事業をやっているとはまったく知らなかった。

その他のインターネット証券業にしても、携帯電話へのコンテンツ配信事業にしても、IT活用の不十分な領域に他社に先んじて参入し、顧客の囲い込みを狙うというビジネスモデルは一貫している。ただ、いったん囲い込んだ顧客を維持する戦略は見えず、ひたすら新しい市場の開拓だけで利益水準を維持しているように見えるのは僕だけだろうか。

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2004/10/05

「井の中の蛙」としての中小企業

■やはり小さな会社が「井の中の蛙大海を知らず」になってしまうのは仕方ないのだろうか。僕は決してそうは思わない。環境の変化に比べて、自分たちの会社の変化が遅いことに対して危機感を抱けるかどうかは、同じ一つの会社、それも小さな会社にしか勤めたことがないという事実とは関係ないはずだ。たとえ大企業での勤務経験がなくても、社員に適切な自己反省の能力と、「差異」に対する敏感さがあれば問題ないはずだ。

せっかちであることと鋭敏であることとは違う。小さな会社で鋭敏と見られている人は、じっさいには厳密に考える力が弱く、単にせっかちである場合が多いようだ。なので、すでに先行する会社が実績をあげている業務分野で、それを真似て同じような成果をあげるのは早いが、独自性や変化を求められると、途端に段取りの悪さで失敗を繰り返す。この限界を乗り越えられるかどうかが、もう一段の成長を実現できるかどうかの分岐点なのだろう。

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2004/10/03

携帯でWeb閲覧できるのはいつ

■携帯電話各社はいったい何を考えているのかと思うのだが、携帯電話でパソコン向けのWebサイトを閲覧したいというニーズが、社会人ユーザのあいだで非常に強いのは分かりきったことなのではないか。自分たち自身も一人の携帯電話ユーザとして、そういうニーズを持っていることの自覚がないのだろうか。

株式会社jig.jpという会社が、2004/10/01にJava製の携帯電話向けWebブラウザのダウンロード販売を開始したところ、アクセスが殺到してサーバの能力を超えてしまい、現在は販売を中止しているという。携帯電話各社にJava版Webブラウザの開発を外注することができないはずがないし、このWebブラウザは利用料金を継続して支払う形態なので、たとえばパケット定額料金を契約したユーザに限って、定額料金にプラスアルファすることで使えるようにすれば、安定した収入源になるのは間違いないと思うのだが。

こういうビジネス展開ができないほど、携帯電話各社が有料コンテンツの提供業者に気をつかわなければならないのだとすれば、これはすでに携帯電話会社とコンテンツ業者のある種の「談合」と言ってもいいのではないか。

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2004/08/08

「夢」を語る未熟な「レジャー産業」

■仕事の関係で『月刊レジャー産業』(綜合ユニコム)という月刊誌の2004/07号を読むことがあったのだが、店舗改装による集客力向上が特集になっており、スポーツクラブ業界向けの某コンサルティング会社の代表取締役がこんなことを書いていた。

「M&Aは短期間で企業成長できるというメリットがある半面、急ぎすぎて業績が悪化したり、この事業に対する夢や希望が、利益を追求する会社による資本の論理につぶされてしまうといったデメリットもあり、メリットだけを得られるかどうかが明暗の差を生むのだろう」(p.38~39)。

国内ではM&Aによって急成長しているスポーツクラブ運営企業があるが、企業規模が大きくなっても好業績につながらない事例もあるという文脈で書かれている。しかし「夢や希望」が「資本の論理につぶされてしまう」というのは、あまりにも素朴すぎる考え方ではないだろうか。

夢や希望だけでビジネスが成り立つならそんなに素晴らしいことはないが、会社を運営していくためには資金を拠出してくれる株主の存在が不可欠であり、資金があるからこそ夢や希望を追いかけることができるのだ。M&Aの後に業績改善に失敗したとすれば、それは何も資本の論理が社員の夢や希望をつぶしたからではなく、単純に採算度外視の放漫な経営をしたツケが回っただけのことではないか。

この代表取締役は自分がオーナーであるコンサルティング会社の経営者でもあるので、所有と経営が分離している経営環境に馴染みがないのだろう。一般的な上場企業では所有と経営の分離など当たり前の環境なのだが、その厳しさに馴染みがないせいで、こんな未熟な物言いになってしまうに違いない。彼の言葉が『月刊レジャー産業』のような業界紙で専門家の意見として通ってしまうこと自体、この産業が未熟であり、経営の観点から改善の余地が大いにあることをはっきりと示している。

一度トヨタ出身のコンサルタントに店舗オペレーションの効率化でもお願いしてみたらどうだろうか。おそらくムダはたくさんあるはずだ。休憩時間でもないのに従業員が楽しくおしゃべりしているのを「現場の士気を高めるために必要な息抜きの時間だ」と言い張るなら、そもそもトヨタ式のカイゼン以前の問題ということになるが。

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2004/06/23

家族主義経営のウォルマートで性差別訴訟

■家族主義的な経営で有名な米ウォルマートで百万人以上が原告となる雇用上の性差別訴訟が起こったようだ。かなり意外な感じがしたのだが、以前の企業イメージが非常に良かっただけに、今回従業員から訴訟を起こされたという事実だけで、訴訟結果の如何に寄らず、同社の社会的な評判(reputation)はかなり悪化するのではないか。

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2004/03/30

独自動車業界誌の記事

■独『アウトモーターシュポルト』誌のWebサイトに独高級車メーカが傘下の日本の自動車メーカについて「V計画」と呼ばれる再建計画を作成しているとあったので、日本語で要約してみる。

数週間前から日本に派遣されている特別チームは十前後の車種を削減して再建を軌道にのせるとのこと。彼らが独本社の社長から得た使命は、最悪の場合この日本企業からの撤退も含めて全ての可能性を考慮することだったが、すでにそこまでする必要はないとのシグナルを送っている模様。

内部で「Vコンセプト」と呼ばれている再建計画は(ところでこのVはV字型の回復とVictoryの頭文字を掛けているとでも言うのだろうか。だとするとこの期に及んで言葉遊びが過ぎるようだが)不採算の十車種をなくし、その後傘下の米国自動車メーカと共同で低コストの新車を発売するとしているらしい。

さらに六十の銀行が保有する債権は独本社の財務担当役員が五月末来日し、日本国内の同旧財閥の重工業や商社、銀行などの大株主が肩代わりするよう説得するとのこと(はたして彼らの失敗を日本の系列会社がかぶることに同意するだろうか)。以上が記事の内容だが、計画名が漏れていることからすると信憑性が高そうか。十車種も削減してこの日本企業に何車種残るだろう。また十車種の削減が一体何人の人員削減に帰結するか想像もつかない。独系金融機関のアナリストがこの日本企業について語ったように「緩慢な死」が現実味を帯びてきた。

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2004/03/05

三菱自動車に関するドイツ語ニュース

■ドイツ語の勉強に独Yahoo!から日本第四位の自動車メーカのニュースを日本語に翻訳してみる。2004/03/04付けの最新ニュースだ。「日本第四位の自動車メーカの豪州の関連会社が木曜日(2004/03/04)南豪州工場を閉鎖するという噂は憶測に過ぎないと発表した。噂の背景はジュネーヴ・モーターショーでの同社社長の発言だ。社長はグループの中期事業計画が4月30日に発表されるだろうと述べたが、その際豪州の事業活動の詳細を説明するとし、それに続けて、損失を生む事業領域は受け入れられないと付け加えたのだ。豪州市場の収益性についての質問に同社スポークスマンは今までは利益を出すことができていたが、目下状況は容易でないと答えた。同社株式は東京株式市場で5.4%値上がりし294円で終えた」。記者の誘導尋問に引っかからずに答えるのは相当難しいようだ。

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2004/02/08

日本マクドナルドの新CEO起用は失敗では?

日本マクドナルドの持ち株会社が元アップルコンピュータの社長をCEOとして招くらしい。現CEOは会長に就任するとのことだ。目的はマクドナルド・ブランドを再生するためらしいが、この的外れな人事を見ても、いかに米マクドナルド本社が日本に適合した経営に失敗しつつあるかがわかる。確かにアップルはパソコン業界で非常に高いブランドイメージを持っているが、それは対象とする消費者を、映像制作、音楽、服飾など、いわゆるクリエイティブ系の人たちに絞り込んできたからだ。

そもそもアップル社はウィンドウズとシェアを争う拡大路線を捨て、市場占有率と無関係な戦略に転向して成功した。他方マクドナルドにとって、シェアを捨ててブランドイメージを向上させることは業績回復に不適切な方法だろう。むしろ創業者の藤田氏が多角化の一環として着手していたプレタマンジェのような業態に最適な戦略だったはずだが、米経営陣はすでにこのサンドイッチチェーンから撤退を決めてしまった。プレタマンジェタリーズなどにふさわしい、シェアを捨ててブランドイメージを向上させるという戦略を、マクドナルド本体で採用するのは完全な誤りなのだ。マクドナルドがすでに獲得している顧客層が広すぎるからである。

そこでヒントになりそうなのは、マッキントッシュよりもむしろユニクロではないか。薄利多売でありながらブランドイメージを向上させることにある程度まで成功したユニクロにこそ、マクドナルドは学ぶべき点が多いと思うのだが、新CEOをアップルから持ってくるような完全な見当違いをする米国本社の経営陣では、日本マクドナルドの未来はおぼつかない。

少しずつシェアを落とし、かといって商品単価もそう簡単には上げられず、そうこうしているうちにアルバイトの士気が落ち込んで、レジの前に行列ができたり、先日指摘した物流のまずさから欠品を起こしたりしながら、ゆっくりと三流バーガーチェーンに落ち込んでいくのが、もっともありそうな未来だと個人的には考える。

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2004/01/16

ウォルマート支配下の西友不買運動のすすめ

■社会運動に縁のない方々も、西友の不買運動でもひとつやってみるというのはどうだろうか。ご存知のように西友は2002/12に米国のウォルマート・ストアーズが筆頭株主になってから、同社から役員を迎えるなど、ウォルマートの経営手法を導入して再建を進めてきた。

しかし「エブリデー・ロー・プライス」など、そもそも米国でしか通用しない手法を日本で無理やり実施したため、業績はまったく良くならなかった。そしてついに今日報道されていたように、社員の25%を上限として希望退職者をつのり、希望者が少なければなんと退職勧告までするのだという。

とんでもない。ウォルマートから乗りこんできた経営陣は自らの経営責任は棚上げで、本国では絶対にやらないようなやり方で、30歳から58歳までの中堅社員をバッサリ切り落とすというわけだ。西友で買物をする人たちと、明治屋や成城石井で買物をする人たちをくらべれば分かるように、ウォルマートに首を切られる社員は、まさに西友で買物をする人たちではないか。

今日から西友で買物をする人たちは、レジにならんでいる間にちょっと考えてみるべきだろう。このスーパーを経営している米国のウォルマートという会社は、自分の夫だったり妻だったり、父親だったり母親だったり、学生時代の友人だったりしたかもしれない人たちを、この不況の世の中で路頭に迷わせようというのだ。ウォルマートに首を切られた元西友社員の家族は、もう西友で買物をすることさえできなくなるかもしれない。もちろん意図的に感傷的な書き方をしているのだが、米国人は米国だけが世界ではないということを、いい加減に認識したらどうだろうか

Even if you have no experience of participating in any demontrations, why don't you stop purchasing things in SEIYU supermarket? As you know, Wal-Mart Stores became the major shareholder of SEIYU in 2002 and dispatched its management to SEIYU. Since then SEIYU was trying to improve its performance by introducing the various strategies of Wal-Mart Stores. But all that Wal-Mart strategies produced was chaos among the store staffs. Wal-Mart Stores completely failed until now because they forced SEIYU to introduce their own measures, such as "Everyday Low Price" which can never be effective in Japan, whose distribution system is widely different from that of the United States. Finally Wal-Mart Stores have decided, as Japanese mass media reported today, to dismiss up to 25% of SEIYU employees. Such a recommended dismissal rarely happens in Japanese companies. The management who came from Wal-Mart Stores to SEIYU plans to dismiss the employees from 30 to 58 years old while they don't take responsibility for their own terrible and self-centered management. Wal-Mart Stores are said never to do the same thing in their home town. The SEIYU employees who will be dismissed by Wal-Mart Stores are just the same middle class as those who do shopping in SEIYU itself. From today, everybody shopping in SEIYU supermarket should deliberate as follows, standing in a queue in front of cash registers. An American company called Wal-Mart Stores, which manages this supermarket, throws away those who could be your husband or wife, father or mother, or one of your old highschool friends and make them homeless. Those who are dismissed by Wal-Mart Stores will never be able to enjoy shopping in SEIYU again. Of course, I intentionally describe things too sentimentally here. By the way, when on earth will the 'stupid' Americans, as Michael Moore called, notice that the United States don't represent the rest of the world?

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2003/11/08

主力選手を手放すダイエーの愚行

■高橋和巳の『わが解体』はすでに読み終えているのだが(河出文庫では『死者の視野にあるもの』『内ゲバの論理はこえられるか』も収録されているが、さすがに『内ゲバ』はあまりに僕にとって現実感がなくて最後まで読めなかった。樺美智子その他にふれた『死者』の方はまだ読むことはできたが)、もしかすると大学を運営する立場の人々は、あの大学紛争にもかかわらず、というよりも大学紛争がうやむやのうちにい終結してしまったからこそ、自分たちの世界とそれ以外の世界の違いについて考えずに現在まできてしまっているのではないか。

紛争は大学を運営する立場の人々が、外部との多様な意思疎通のやり方を学習する絶好の機会だったかもしれないのだが、その機会は高橋和巳のような特定の個人の苦悩に転じてしまい、大学は無傷のまま、外部に汚染されないまま、純粋なままで終わってしまったのかもしれない。

■昨夜、妙な夢を見た。フランス人だかアメリカ人だかの男性と住宅街を歩きながら、「右とは何か?左とは何か?」ということについて英語で議論する夢だ。随分早足で歩きながらの議論だった。「右」や「左」という言葉をつけて使うことのできる名詞は何か、そこから「右」と「左」ということは何かを考えようと議論していた。その途中で僕はふと思いつき、「『神様』について、『神様の右』や『神様の左』とは言えない。なぜなら『神様』には大きさがないからだ」と話した。そこから、「右」や「左」などの方向が意味を持つのは、有限な大きさをもつものについてだけであることがわかった。夢の中でまでこんな抽象的な議論を、本気でやっている自分にあきれた。

■僕は野球にほとんど興味がないので、このページでも野球にふれることはないのだが、経営の観点から気になることがあったので、ちょっと。ここまで書けばすでにおわかりのとおり、今たいへん話題になっている主力選手の巨人への無償トレードのことだ。

主力選手を無償でトレードするなどということは、野球界ではありえないことのようで、中内正オーナーが純粋に人件費削減のためにいわば「指名解雇」したと解釈されても仕方ない。オーナーは他の選手の反発を招き、事態の収拾に努力しているが、いまのところ相手にされていないという。

ダイエーは先日の中間決算で再建目標を達成できず、福岡三事業と呼ばれるホテル、ドーム球場、球団のうち、ホテルと球場を米国の投資会社に売却することを発表している。逆に言えばダイエーにとって球団は金の卵を産むガチョウだった。しかしその球団の経済的な価値を完全に失わせるような愚行に、中内オーナーは出たということになる。

球団の経営状況を改善するためには、いちばん給料の高い人間を解雇するのが効率がいいのは誰が考えても分かるが、球団の無形資産の価値が何によって、誰のおかげで高められているのかについて、オーナーはまったく理解していなかったことになる。この主力選手がトレードを承諾した背景には、オーナー代行との確執もあったようだが、それでも無償トレードを最終的に決定するのはオーナーである。

これではせっかく手元に残した球団事業というガチョウを、ダイエーがみずから絞めてしまったようなものだ。ダイエー経営陣のおそまつさが、今回の無償トレード問題にはっきりと現れている。...なんていう記事がそのうち日本経済新聞に掲載されるのではないかと予想しているのだが。

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2003/10/24

公共事業失敗の典型例:大阪フェスティバルゲート

■天王寺動物園からJR環状線新今宮駅への途中にフェスティバルゲートというという官製事業の典型的な失敗作があり、日曜日の昼間だというのに店舗にテナントがほとんど入っておらず閑散としていた。ビルの中をジェットコースターが縫うように走り、商業施設と娯楽施設を兼ねた建造物なのだが、東京で言えば新宿西口の思い出横町のような飲み屋街「ジャンジャン横町」がある典型的な下町で、天王寺動物園の集客力もなく、高速道路の高架下に広がる町並みも全体にくすんだ色合い。こんな環境に文字通り場違いなあのような施設を作ってなぜ成功すると考えたのかは定かでないが、官僚出身者を経営トップに頂いて問題を起こしたユニバーサルスタジオ・ジャパンも同様、大阪は役人に頼らざるを得ないほど人材が枯渇しているということなのだろうか。松下電器あたりから経営者を引き抜いてはどうか。

■いま『言葉にのって』を読んでいるのだが、久しぶりに読むデリダだからか、インタビューで分かりやすいからか、適度な知的刺激になって面白い。『フッサール哲学における生成の問題』の日本語訳がまだ出ていないのは何故なのだろうか。誰か知っていたら教えて頂きたい。

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2001/12/03

「ジブリ美術館」チケットがネットオークションで高騰

■今年10月に開園した「三鷹の森ジブリ美術館」のチケットが正価大人1,000円のところネットオークションで最高10倍の価格で取引されているとのこと。美術館側がネットオークション会社に取引停止を求めたが、そもそも規約上個別の取引に介入することができないと断られ、頭を痛めているというニュースを聞いた。日時指定の予約制で来年春まですでに予約が埋まっているため、高値取引されてしまうとのことだ。

市場原理に忠実になれば解決策は一つしかない。ネットオークションで10,000円の値が付くということは、そもそも1,000円という価格設定がジブリ美術館のサービスの需要と供給の均衡点よりも不当に低く設定されているということである。従ってチケットを少なくともディズニーランド並に値上げして、まず需要の水準を下げる。それによって増加した収益で美術館を拡張し、より多くの子供たちが来館できるようにする。

それからチケットの価格を下げればよい。これで10,000円などという不当な高額でチケットを買わされる消費者は少なくなるし、将来的に美術館のサービスを享受できる人数が増える。美術館側にとっても増加した収益でより質の高いサービスを提供できるし、映画の制作費に還元することで『千と千尋』に続く宮崎作品が期待できる。みんなハッピーで言うことなしだと思うのだが、元新左翼の宮崎氏が市場主義への忠誠を思想的に受け入れるかどうかだけが問題だろう。

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2001/02/27

日本タオル業者のセーフガード申請は間違い

■やはり日本のタオル生産者を中心とした中国製輸入繊維製品に対するセーフガード申請は間違っている。安価な労働力を求めて日本の地場のタオルメーカーが中国に進出、日本製の高性能な機械が稼働する工場が『ニュースステーション』で報道されていた。その工場で働く中国人の女工さん曰く「中国企業の工場より給与も福利厚生もいいんです」。

日本企業が国内産ではコスト競争に勝てないと中国に進出すれば、中国の生活水準向上や経済成長にも寄与する。中国の生活水準が高まれば、日本製品に対する需要も拡大し、日本経済も恩恵を受ける。

セーフガードを申請した日本の繊維業界関係者は「われわれはゴールキーパーのないゲームをしているのです」と訴えているが、そのキーパーとはいったい何を守るキーパーなのだろうか。「経営努力が水の泡になってしまうんです」と言うが、では中国に進出しているあの地場タオルメーカーは何なのか。(と『ニュースステーション』の演出意図にずっぽりハマってしまっている僕)

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2001/01/18

持ち家か賃貸かにつき読者から大反響

■持ち家か賃貸かの話題についてとても反響が大きいので今日もその話。家計と企業は違うという指摘を頂いた読者の方から、企業は価値の最大化が目的だが、家計は破綻しなければよい、家計はキャッシュフロー・ベースで考えればよく、持ち家が資産であるか負債であるかは本質的な問題ではない、とのメール。なるほど、大変参考になる。

別の方からは『ゴミ投資家のための人生設計入門』という参考書をご紹介いただいた。ぜひ読んでみたい。いずれにせよ僕が問題提起したかったのは「家は買うのが当たり前、しかも新築を」という常識はもはや常識ではなくなっているのではないか、ということだ。

さすがthink or dieの読者の方々、常識という先入観ではなく、キャッシュフローなど合理的な基準で持ち家と賃貸を比較しておられる。経済のことはまだまだ勉強が足りないと痛感したので、これを機会に賢明な選択のための知識を仕入れたい。

読者のみなさんにお礼を申し上げます。現時点の結論としては、買うなら築10年以内の中古マンションを買おうということ。しかもすぐは買わない。理由は(1)地価の二極化がまだ進むだろう、(2)郊外も含めて住宅供給はしばらく増え続けるだろう、(3)新築にこだわる一般人がまだ多いので中古マンションの価格はまだ下がるだろう、以上3つ。

もちろん貯金がないからすぐ買えないってのもあるが。家に余分なお金をかけるより、豊かな生活のためには何が必要か、その「ほんとうに必要なもの」のための流動性を手元に残しておきたい。たとえば「もっとも効率のいい投資は、頭脳に対する投資である」と言った人もいる。

IT革命で単なる情報収集・分析が大幅に効率化されれば、人間にはますます創造的な能力や、情緒的な表現力が要求される。そうなったとき、豊かな生活のためには頭脳やハートにお金をかけることがますます重要になってくる気がするのだが。

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2000/12/25

続・繊維製品業界のセーフガード申請について

■繊維製品業界がセーフガードを申請することについて健全な企業努力を罰する結果になるのではないかと論じたことについて、読者から反論を頂いた。反論の趣旨は次のとおり。繊維業界の平均従業員数は10名に満たず、零細企業がほとんどであり、「経営努力」におのずと限界がある。しかもここ数年で繊維業界の従業員数は20.3%も減少している。20.3%もの現象は明らかに緊急事態である。

また、欧米政府もあらゆる産業分野についてダンピング訴訟などの形で同じような輸入規制をしいているので、今回のセーフガードが国際的に見て特別なこととは言えない。ファーストリテイリングが本当に企業努力をするなら、高価な国内産原料でも同じ価格で消費者に衣料を提供できるはずだ。

以上のような反論の趣旨である。

まず、零細企業ゆえの企業努力の限界という点だが、ではトイザラスのせいでつぶれた町のおもちゃ屋さんや、HMVやTOWER RECORDSのせいでつぶれた町のレコード屋はなぜ保護されなかったのか。繊維製造業と玩具小売の違いは何なのだろうか。

また、繊維業界の雇用が20%減少したというのは、それだけの人が路頭に迷った、破産した、ということではない。繊維製造では生計が成り立たなくなったから、別の商売に鞍替えしたということだ。これがどうして繊維業界を保護しなければならない理由になるのか。

次に、今回の日本の措置が国際的に見て特別なこととは言えないというのは、制度として日本政府がセーフガードを発令しうるということの理由にはなるが、今回ぜひとも発動すべきだということの理由にはならない。

最後に、ファーストリテイリングの企業努力が本物と言えないという論点は単なる詭弁だ。すべての経営努力は「まだまだ努力が足りない」というのは当たり前ではないか。基本的に「努力」というものに限界などないのだから。例えば国内半導体メーカーが台湾に生産委託しているのは経営努力が足りない、国内の製造拠点で全量生産すべきだ、という詭弁も成り立つ。

よく考えてみよう。ここ数年間で20%も雇用が減少しているということは、日本の繊維業界を救わなければならないということの兆候ではなく、それだけの人が繊維製造をやめて商売替えしているのだから、日本がそろそろ繊維製造という産業から脱皮する(あるいは高付加価値品の生産に特化する)時期にさしかかっているという兆候なのだ。

だとすれば日本政府のすべきことは沈みかかった泥船に船頭を縛りつけることではなく、もっと儲かる商売に鞍替えしやすくする制度を定着させることだ。そうすれば例えば繊維業界の雇用が40%減少した時点で、国産繊維製品の需給が均衡し、残った国内繊維メーカーについては事業がちゃんと立ちゆくということにもなろう。

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2000/09/21

ユーロ安の評価がまっぷたつ

■NYタイムズと英『The Economist』でユーロ安について評価がまっぷたつに分かれている。英国はEU不参加組だから『The Economist』の方が酷評だろうと思ったら逆だった。今週の同誌はたしかに原油高を引き金にした欧州各地のトラック運転手たちによる抗議行動に対し、ガソリン税の減税を決めたフランス政府の腰抜けぶりを非難してはいる。しかしユーロ安そのものについてはきわめて建設的だ。

おそらく他方のNYタイムズが米国エコノミストたちの意見を代弁している。つまり「そらみたことか、ユーロなんて始める前から大失敗なんだよ」という意見だ。しかしNYタイムズの議論の大前提にあるのは「通貨はそもそも強くあるべきだ」という見解である。

『The Economist』誌はこの大前提そのものを疑問に付している。通貨が強いということよりもっと大事なことがあるのではないか?ユーロの登場によってEU参加国間のあらゆる経済障壁が低くなり、域内での市場競争が始まっている。英ボーダフォン社による独マンネスマンの買収が好例として挙げられている。それによって域内には効率的な商品・資本市場が広がりつつあり、欧州の経済はユーロのおかげで確実に成長しつつあるという論旨だ。

さらに円安が日本の輸出産業に有利であるように、ユーロ安は欧州域内の輸出産業にとっては追い風になる。現時点でユーロ安を欧州の凋落のように語るのは時期尚早だというわけだ。さすが『The Economist』。「通貨安=悪」という単純な発想にとらわれているNYタイムズの記者とは格が違う。むしろ要注意なのは原油高による米国のインフレ懸念だろう。

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2000/08/25

『The Economist』日銀ゼロ金利解除を断罪

■日銀がゼロ金利政策を解除したのは少し前の話だが、それについて先週の『The Economist』は「間違いだった」と断じている。消費者物価指数が前年比でマイナスが続いているので、名目金利はゼロでも実質金利はすでにプラスになっているというのがその理由。金融政策としてゼロ金利を解除する必要はまったくなかったということだ。今日、8月の都区部の消費者物価指数が発表されたが、依然として前年比マイナスで0.8%。企業の設備投資はIT関連が牽引役になってハイテク関連を中心に伸びていると言うが、来年になって急上昇すると言われる長期金利が足を引っ張るのではと懸念される。

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2000/08/07

ジャック・ウェルチを知っている米国人はたった11%

■先週の米『BusinessWeek』によれば、消費者向け製品・サービスを提供する米国企業は欧州に進出しても失敗するのが通説だが、インターネット関連企業は例外らしい。amazon.com、AOL、Yahoo!いずれもドイツ・テレコム、フランス・テレコムの通信2社をのぞくすべての地元同業他社を圧倒しているという。米企業の技術的な優位は地元ブランドでもくつがえせなかったということだ。

同誌にもう一つ興味深い記事。アメリカ人の97%はビル・ゲイツの顔を知っているが、GEのジャック・ウェルチを知っているのはたった11%で、その11%のうちウェルチの職業を正確に言えたのは3割強だったというお話。たしかに徹夜でプレステ2を買う行列を作ってた人たちに出井会長の写真を見せて「このおじさんはだれでしょ~?」って聞いても誰も分からなかっただろうな。

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2000/05/25

クルーグマン教授のニューエコノミー批判

■日本の各種メディアではIT革命によって日本は不況から脱出できるというニューエコノミー論者がいまだに人気だ。しかしMITのクルーグマン教授はそんな楽観論をバッサリと切って捨てている。インターネットでマイクロソフト分割関連の記事を読んでいて『New York Times』紙に連載されている教授のコラムが無料のユーザ登録で読めることを知った。

2000/05/14に掲載された同紙のコラムで、題名も「Nihon Keizai Shambles」と日本経済新聞をもじった気の利いたものになっている。日本は大規模な財政出動によってどうにか全面的な不況からは逃れたが、こんなことを永久に続けられるわけはない。

教授は以前からインフレターゲットと日銀によるより攻撃的な金融政策(国債買い切りなど)の必要性を説いているが、このコラムでも日銀を批判している。日本政府の言う「自律的回復」は政策ではなく、単なる希望的観測にすぎないと手厳しい。

様々な経済指標はまだ不況を示しているのに「自律的回復」を言い続ける日本政府を、とある投資アナリストは『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の騎士に例えているらしい。手足を次々に切り落とされているのにまだ戦おうとしている騎士のようだ、というわけだ。

そして日本の楽観論者はまたまた新しい論拠を見つけだした。それがテクノロジーだというわけだ。教授のコラムは皮肉たっぷりにしめくくられている。今日も今日とて経済企画庁が昨年10~12月のGDP成長率を下方修正したが、教授の言うとおり、日本の不況はIT革命やさらなる規制緩和などといった構造改革どうこう以前に、単に金融政策上の技術的なミスなのではないかという気がしてくる。

その同じコラムで教授はマイクロソフト独禁法訴訟について、同社をOS会社とアプリ会社に水平分割するのは百害あって一利なしだと断じている。「Microsoft: What Next?」という2000/04/26のコラムだ

英『The Economist』誌は2000/05/20-26号でマイクロソフト分割問題を論じて、教授の「相補的独占」論を引用している。つまり現状のマイクロソフト社にはOSビジネスを壊滅させてしまわない程度に価格を下げておくというインセンティブが働いている。

しかし水平分割してしまうと、分割後の二社は少しでも譲歩すれば相手の利益になってしまうと分かっているだけに際限なく暴利を貪ろうとする。利幅を少なくしてWindowsの価格を下げれば、それだけMS-Office製品を普及させる基盤を広げ、MS-Officeの方は価格を下げなくても売れ続けることになる。

逆にMS-Office側が価格を下げれば、MS-OfficeのプラットフォームとしてWindowsの売れ行きを後押しすることになる。どちらの会社にとっても価格を下げることは自社の利幅は少なくなるのに相手の会社に儲けさせることになり、得なことは一つもない。

だから分割された二社は一社だったときの制約から解き放たれて、自社の利益を確保するためにそれぞれの分野での独占の力を利用して思う存分価格を釣り上げることになる。それでは消費者の利益にならないというので、教授は水平分割ではなく、垂直分割を支持している。

つまり、WindowsやOfficeを開発・販売する会社を複数つくるという案だ。そうしてお互いに競争が始まれば、各社は価格を下げたり、差別化によって複数の「Windows」が生まれたりすることになる。今日の新聞によればジャクソン判事も教授の議論に賛同しており、司法省の提出した水平二分割案について「独占会社を二社つくるだけだ」と批判的らしい。マイクロソフトの裁判引きのばし作戦も失敗したようなので、さまざまな「元Windows」OSが店頭に並ぶ日もそう遠くないかもしれない。

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2000/01/17

米国の低失業率とインフレ抑制

■日本の景気が米国に大きく左右される以上、米国経済のマクロ指標に敏感にならざるをえないが、米国労働市場が未曾有の低失業率でありながらインフレは抑制されているという事実を誰もが不思議がっているようだ。

今週の『The Economist』によればその要因は(1)労働力供給の拡大、つまり女性やマイノリティー、不法移民がどんどん労働市場に参入していること(当然不法移民は政府の正式な統計には現われない)、(2)失業とインフレの関係そのものが変化している、つまりドル高と物価の低さのおかげで労働者が低い名目賃金でも満足できていること、あるいは従来の賃金指標が賞与やストックオプションを性格に測定できていないかもしれないこと、あるいはNAIRU(インフレを起こさない失業率水準)そのものが本当に低下していることがある。

NAIRU低下の原因としては、男性労働力の2%が何らかの理由で投獄されていること、契約労働者の増加など労働市場の流動化などの説がある。他にグリーン・スパン議長がよく持ち出す説として(3)労働環境の不安定さがある。急速な技術革新による失業を恐れ、たとえ賃金が上がらなくとも今の仕事を続ける労働者が増えていること。いずれにせよマクロ経済学者にとっては興味深いサンプルなんでしょうね。

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1999/11/28

『The Economist』の痛快な『BUSINESS WEEK』批判

■『BUSINESS WEEK』誌は1999/11/22号の「U.S.Economics」ページで米国商務省による過去のGDP成長率見直しにより米国経済の回復はNew Economyのおかげであることが明らかになったとNew Economy派の勝利を宣言した。

ご承知のようにMITのポール・クルーグマンをはじめ新ケインズ派はNew Economyに超懐疑的。「The Economistが反論してくれたらなぁ」と思っていたら、ホントに1999/11/20-26号で『The Economist』が『BUSINESS WEEK』批判をやってくれた(p.39)。痛快!

『The Economist』によればGDP成長率見直しの3分の1は正確な生データ、次の3分の1は「コンピュータ・ソフトウェア」の定義を変更したこと、最後の3分の1が統計手法の改善によるもの。要はNew Economy派の勝利をうたうのは気が早すぎるということ。僕が『BUSINESS WEEK』誌を読んでいて感じる難は、あまりに楽観的で素直すぎるという点。アメリカ人の欠点がもろに出てる。日本でもイケイケの経営者には気に入りそうだけど、個人的には皮肉と懐疑に満ちた堅実な英『The Economist』の論調の方が好きだなぁ。

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1999/11/16

商工ローン経由で利ざやを稼ぐ大手銀行・外銀

■1999年上半期の倒産集計が発表され、信用保証協会の特別枠の効果が薄れ、倒産が増加し始めているらしい。大手銀行・外資系銀行にとって中小企業に高利資金を貸す商工ローンは優良な融資先と言われる。別の見方をすれば大手銀行・外銀は商工ローン経由で中小企業から利ざやを稼ぎ、その結果得た資金が不良債権の処理やリスクの低い融資先に回る。

これって一体どういうこと?金融市場が中小企業向けと大企業向けで完全に分離していて、中小企業向け金融市場の需要が下がって商工ローンの高利が大手銀行の融資の金利水準に下がるまで中小企業の倒産は止まらないということ?株式・社債など直接金融市場との関係は?うむむ。英『The Economist』で日本の商工ローン問題の特集をやってくれないかなぁ。

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1999/11/13

『The Economist』にマイクロソフト独禁法違反訴訟の記事

■久しぶりにまともに『The Economist』を読んでいる(1999/11/13-19号)。特集はMicrosoftの独禁法違反事件訴訟。この11/05にワシントン連邦地裁が同社は独占状態にあると事実認定した。同社がシロかクロか、英エコノミスト誌はliberalとinterventionistの二つの相反する立場をあげている。前者は変化の激しいIT業界に反トラスト法を適用すれば技術革新が阻害されるとしてMSを擁護する。後者はIT業界にはポジティブ・フィードバック・ループが起こるだけに独占状態を引き起こしやすいとしてMSへの制裁を求める。

連邦地裁はMS擁護派の論拠をつかってMSの独占を証明する離れ業をやってのけた。擁護派のliberalは「神の見えざる手」に任せておけばWindowsより優れたOSが出てきたときMSの独占状態は自然と解消される、だから反トラストを適用する必要はないと考える。連邦地裁は逆に、だからこそMSは違法行為に出たのだとする。

Interventionistの言うポジティブ・フィードバック・ループが本当なら、MSの地位は安泰、わざわざ違法な独占行為に出る必要はない。Liberalの言うとおりMSの地位が将来脅かされる可能性があるからこそ、MSは独占状態を死守するために違法行為に出たのだ。これでMS擁護派の論拠がそのままMSのクロを証明することになる。なるほどね。

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1999/10/22

『ファクタリング入門(新版)』

■ずいぶん前にGAAP(米国の会計基準)の解説書を英語で読んでいたときからfactoringって一体なんじゃ?という疑問が払拭されずに残っていた。Factoring with recourse、factoring without recourse。もう一生関係ないと思っていたが転職後の会社で担当することになった会計パッケージの説明をしに金融関係の顧客を訪問したときファクタリングの話が出た。

こりゃ債権管理業務といっしょに勉強し直さなきゃと思い、八重洲南口のブックセンターで探し回った結果、一冊だけファクタリングの専門書が見つかった(「債権流動化」関連書にはたいてい一項目としてあげられているのだが)。東京布井出版という聞いたこともないマイナーな出版社(失礼)の『ファクタリング入門(新版)』1800円で手頃な価格。

三和銀行系のオリエントファクター社長が筆者だが、今Yahoo!Japanでオリエントファクターと検索しても存在しない。factoringは普通の英和辞典にはない。ちょっと大きめの辞典で調べても「債権買い取り業」くらいの訳しかない。

ふつう企業は商品を掛けで売って、代金は1か月、2か月遅れで、現金や手形の形で回収する。売上が現金化されるまでタイムラグがある分、資金を圧迫する(売掛金の増加はキャッシュフローの減少)。手形なら銀行に持ち込んで割り引いてもらうという仕組みがあるが、売掛債権をそのまま買い取ってもらうのがファクタリングで、買い取る業者をファクターと呼ぶ。

手形が不渡りになるのと同様、債権も回収不能になるリスクがある(不良債権化)。ファクターは優良債権も不良債権もまとめて一つの企業(クライアント)の全債権を手数料を取って買い取ることでそのリスクを回避すると同時に、与信調査力を駆使して危ない債権は買い取らないようにする。

ファクタリングの原形(オールドライン・ファクタリング)では、ファクターは買い取った債権を売り戻さない。これが償還請求権なし(without recourse)のファクタリング。これはファクターのとるリスクが高すぎるので、現実には償還請求権付き(with recourse)のファクタリングが多い。つまりいざとなったらファクターは債権を売り戻して、クライアントが再びその債権を自分で回収するはめになる。

手形債権を償還請求権付きでファクタリングするのは、単なる手形割引と変わらない。日本では手形制度が根付いているので、ファクタリングがなくても手形割引で債権を現金化することができる(もちろん手形払いの取引に限られるけれど)。

Yahoo!でファクタリングと名前の付く企業を検索してホームページをのぞいてみると、だいたいが手形のコピーで債務保証をするというパターンが多い。これは日本では企業の情報開示が遅れており、ファクターが独自の与信調査網を持てない(個々の買い取り債権のリスクを事前に把握できない)ためらしい。なるへそ、ファクタリングは奥が深い。ファクタリングの勉強をしたい人にはこの本『ファクタリング入門(新版)』はおすすめの一冊。

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1999/04/30

名鉄駅ビル開発の読み違え

■駅前に3階建てのビルができた。1階はスーパー、パン屋、マクドナルド、百円ショップ。2階は本屋、くすり屋、各科のお医者さん、そば屋。3階は劇場になっている。明らかに子連れの主婦をターゲットにしたテナントだが、名古屋郊外の家族はほとんどが駅から1km以上の距離に住んでいて、家庭の主婦でも買い物は車、広い駐車場のあるパワーセンターに出かけるのがふつうだ。

つまり名古屋郊外の主婦は駅前のビルを使わない。駅前のビルを使うのは日常生活で電車に乗る必要のある人々、学生や帰宅途中のサラリーマンだけだ。つまりこの新しい駅ビル、完全に名古屋人の生活スタイルを読み違っている。

開店日は大賑わいだったが、一週間たった今、買い物の主婦で混雑するはずの平日の夕方でさえ、ビルの中には数えるほどしか主婦の姿がない。目立つのはマクドナルドにたむろしている高校生の集団と、僕のような独身サラリーマン、そして駅の近くに住んでいると思われるお年寄り。名古屋人の商売センスのなさには、ただただ脱帽だ(僕にひとこと相談してくれればよかったのにねぇ)。

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1999/02/06

中央銀行による赤字国債引きうけ

■おおっ。野中官房長官は日銀の国債引受けに積極的らしいぞ。ってことで部屋にあった日本経済新聞社『ゼミナール経済学入門』をめくると、339ページ「財政政策と金融政策との関連」に中央銀行による赤字国債引受けについてちゃんと書かれているじゃないですか。

でもよく分からないのが、中央銀行が公開市場で債権や手形を買い取る「買いオペ」と、国債引受けの違い。テレビ東京のワールド・ビジネス・サテライトのコメンテーターは、赤字国債引受けの前に、「買いオペ」などまだやるべきことがたくさんあると言っていた。でも今問題なのは積極的な財政出動で赤字国債をじゃんじゃん発行したせいで長期金利が上がって、それが投資支出をおさえこんでいること。赤字国債のせいで上がった利子率は、「買いオペ」で下げられるものなの?市中に赤字国債がダブついていても、その他の債権や手形を日銀が買い取れば、ちゃんと利子率は下がってくれるの?誰か教えてちょうだい。

もし下がらないなら、やっぱり日銀が赤字国債を引受けるのもアリなんじゃない。やっぱりクルーグマン教授の言うように、世間のエコノミストは「インフレは絶対悪」と思ってるのかな。同書352ページ「政策効果のIS・LM分析」には、政府支出が赤字国債の市中消化のみでまかなわれるのにくらべて、中央銀行引受けの場合は、利子率を上げずに完全雇用国民所得を実現できると書いてある。それに投資を左右するのは、今現在の利子率というより、将来利子率が下がるか上がるかの「期待」じゃないの?「しばらく金利は上がりつづけるぞ」という「期待」がなければ、一時的に金利を引き下げても投資につながらないんじゃないの?...ううっ、わからん。まだまだ経済学の勉強が必要だぁ。

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1999/02/04

いよいよ日本でクルーグマン教授のインフレ誘導策が浮上

■いよいよクルーグマン教授のインフレ誘導作戦が浮上してきたねぇ。ルービン財務長官が日銀による国債引受けを提言したらしい。通貨供給量が増えて人為的にインフレが起こり、長期金利が下がって円高もおさまる。宮沢蔵相や日銀総裁は絶対反対みたい。戦費調達に同じことをやって悪性インフレを招いて以来「禁じ手」だとか。反対するなら振興券みたいなバカをやらずにまともな政策を打ち出してよね。

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