新聞

2009/07/01

日本経済新聞なんて購読する必要ナシ!

今日、日経ITProの、ふだん読まないコーナーを何となく読んでいたら、SEとしてスキルアップして不況を勝ち抜こう!などと、頭の悪いことが書いてあった。

失業率の増加は、言うまでもなくマクロの問題だ。

直接的には、昨年の金融危機。間接的には、小泉首相の誤った新自由主義のせいで、政府が小さくなったのに、セーフティーネットになるべき社会を大きく育てる政策をとらなかったこと。

そんな中で「スキルアップで生き残れ!」なんて、まるで、気合いでガンを治せ!と言っているようなものだ。

先日来ここで批判している「パンデミック対策の事業継続計画」もしかり。日経BP社の記事は劣化が著しい。

実は大阪に引っ越してから、日本経済新聞をとるのをやめた。

理由は生活費を節約するためだったが、まったく困っていない。

ビデオニュース・ドットコムの「マル激トーク・オン・ディマンド」さえ見ていれば、十分、世の中のさまざまな論点を相対化できる。

記者クラブ制度で、大本営発表しか報道しない新聞など、最初から購読する必要はなかったのだ。

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2008/06/30

『日経ビジネスオンライン』の行き過ぎた読者コメント選別

『日経ビジネスオンライン NBonline』のコメントは信用ならない。編集部による選別が厳しすぎるからだ。

僕のコメントの採用率はほぼゼロに近いのだが、『日経ビジネスオンライン NBonline』のコラムにコメントを書き込むときは、感情的な負荷のない中立的なな単語を使うようにし、話し言葉でしか使わないような単語は避け、結論を先に、その説明を後にという、論理的な展開に注意しつつ、規定の500字以内にまとめている。

また『日経ビジネスオンライン NBonline』のコラム筆者や読者を誹謗中傷するような内容も避け、コラム自身の論理的な矛盾や不整合、偏向を指摘するようにしている。

それでも僕のコメントの採用率がほぼゼロである理由は明白で、僕のコメントのほとんどが、コラムとは違う、もう一つの考え方を示唆するものだからだ。

編集部にとってこの種のコメントが不都合なのは当然だが、異なる意見の対立からさまざまな考え方の可能性を提示するのもまた、メディアの責任であるはず。

その意味で『日経ビジネスオンライン NBonline』の読者コメントに対する選別は、行き過ぎていると言わざるを得ない。

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2008/06/11

日経社説のサマータイム擁護論は森林資源のムダ

今朝の日本経済新聞社説のサマータイム議論は完全にナンセンスだ。北海道は緯度が高く、夏冬の日照時間差が大きいのでサマータイムに適している。そこまではいい。しかし、そこからなぜ日本全体でも導入検討すべきという結論が出るのか。こじつけも甚だしい。

日本の中で北海道だけでサマータイムを導入するのは、どう考えても不合理である。

例えば、同じ会社の東京拠点と札幌拠点の勤務時間がずれれば、ほとんどの事業所で、札幌が東京に合わせて残業せざるを得なくなるのは目に見えている。

サマータイムを導入すれば、費用より効果の方がはるかに大きいというのは、所詮、経営者側の論理でしかない。数字など作ろうと思えばいくらでも作れるからだ。

地球環境のためにサマータイムを導入するというなら、サマータイム導入の前に経営者としてやるべきことは山ほどあるだろう。まず某下着メーカのように、強制的にホワイトカラーの残業を禁止したらどうか。週二日でもいい。そうすれば確実に省エネになる。

それさえやらない経営者が、サマータイムを労働強化のために利用しないわけがない。最初から底が見えている話で、こういう無駄な議論はもうやめてもらいたい。

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2007/10/26

この日経記者に教育問題を論じる資格なし

今朝の日経新聞の一面「ニッポンの教育」の冒頭に、とんでもない記述があった。要約すると、十六年間にわたって、わいせつ写真を雑誌に投稿し続けた元教頭は、勤務態度に問題がなくても、教員免許を更新させないような制度にすべきだ、という主張である。

この発想は公私混同もはなはだしい。法に触れてない限り、公務員であれ民間企業の会社員であれ、プライベートで何をしようが自由である。

なぜ教員だけ、私生活でいかがわしいことをしているからといって、教員免許を即取り上げるべし!という議論になるのか。

だとすれば、毎週キャバクラ通いをしている民間企業の社員がいたとしたら、その社員も即、解雇すべし!という話になってしまう。明らかにナンセンスな議論だ。

この特集記事を書いた日経新聞の記者は、教師に対して自分が不当に厳しい評価をしていることに気づいていないのだろうか?なぜ教師だけが、私生活まで監視され、解雇の理由にされなければいけないのか?

そもそもこのように、教師という職業を「聖職」視する古くさい考え方こそが、日本の教育改革をはばんでいるのではないのか?

この記事を書いた日経新聞の記者は、知ってか知らずが、学校や教育を聖域視する旧来の発想の片棒を担いでいるのだ。学校や教育を聖域視する発想は、教育改革に抵抗する側の発想と、まったく同じではないか。

こんなことさえ分かっていないような記者に、日本の教育を論じる資格はない。

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2007/10/22

自衛隊給油問題を支持し続ける愚かな日経新聞社説

日経新聞の社説は、ここ最近非常にしつこく「自衛隊の給油活動を継続すべきだ」「それこそ今の日本ができる国際貢献だ」と寝ぼけたことを書き続けているが、さて、米国政府が日本の給油がイラクに使われていないとは言い切れないことを認め、守屋前防衛次官の山田洋行との癒着が明らかになり、さらに、防衛省が給油量の誤りを隠蔽していたことが分かった。

それでも日本経済新聞は会社の意見として、給油活動が国際貢献だと書き続けるのだろうか。それでも日本経済新聞は、読者に対して防衛省を信用しろと言い続けるのだろうか。いい加減にしてもらいたい。

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2007/01/07

日経の新連載の「イエコノミー」という題名

日本経済新聞の朝刊1面の新連載は「イエコノミー」だが、そもそもエコノミー(economy)という言葉はご承知のように、古代ギリシア語の「オイコス(oikos)」と「ノモス(nomos)」の合成語である。

古代ギリシア語で「oikos」とは「家」、「nomos」とは「法」という意味で、つまりエコノミー(economy)という言葉の語源そのものが「家の中の法」なので、「イエコノミー」という題名は「馬から落ちて落馬して」式の冗語法なのだ。

おそらく日本経済新聞の記者はこのことを知っていて、かつ、日経の読者の大半がeconomyの語源を知らないだろうと踏んで、新連載にこんな題名をつけたのだろうが、だとすると日本経済新聞の読者もなめられたものである。

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2005/12/23

少子化に戦争の比喩

■今日の日本経済新聞朝刊の「人口減と生きる」はまるで大本営発表の戦意高揚プロパガンダだ。

「出生減の連鎖をくい止め、反転上昇につなげることを国家目標に位置づけねばならない」「手綱を緩めれば私たちの世代は次世代、次々世代から恨みを買う」「国や自治体、企業経営者、家庭や地域社会が総力戦で立ち向かうときだ」

何なんだろうか、この事大主義は。読者数が減る新聞社にとっては死活問題なのかもしれないが、明らかに煽り過ぎの文体に強い違和感を抱くのは僕だけでないはず。

そもそも少子化と国力を直結させるこの発想こそが、個人に犠牲を強いることで結果として少子化を進行させているのだが、経済成長至上主義の編集部に洗脳されてしまっているのか、大林尚という記者は、そのことに気付いているふしはない。

何が問題かといって少子化が絶対悪であるかのような、バランスを欠いた議論だろう。いやがおうでも出生率を反転させなければならないという強迫神経症のような論調のことだ。

社会のレベルでの危機感をあおればあおるほど、個人は考えにゆとりを失って生活防衛に走り、少子化はさらに進む。マスメディアとしてとるべき効果的なスタンスは、むしろ少子化の利点を取り上げることではないか。

少子化対策をよびかけなければならいのは、主に都市部の二十代、三十代だが、少子化によって都市部の過密が緩和されるとか、地方の過疎化が進むことでムダな道路やハコモノに税金が浪費されずにすむとか、少子化のメリットを訴求すればいい。そうやって世の中に対する悲観的な考え方をとりのぞき、子供を産もうと思える希望を抱かせることこそ正しい少子化対策なのである。

ところが最近の日本のマスコミは、米国型の危機感ばかりをあおる報道姿勢にすっかり感化されてしまって、少子化問題についても、まるでこのままいくと日本中が不幸のどん底におちいるかのように書き立てる。そんな不幸な将来へ誰が子供を送り出そうと思うだろうか。

日本経済新聞の記事は少子化を解決しようとして、まったく逆の効果を生み出している。この皮肉な結果から、今のマスコミの根っこにある問題、事大主義と煽動というスタイルが浮き彫りになる。

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2005/05/31

戦闘的少子化対策論の誤り

■どうやら今日で日本経済新聞朝刊一面の『少子化に挑む』という連載コラムが終わったようだが、少子化問題に対して「挑む」とか「闘う」などという勇ましい筆致であることに僕は強い違和感を抱く。

少子化問題については別に誰かが何かの規制や障害に対して挑んだり闘ったりしているわけではなく、不妊治療の保険適用を求めている人たちなど少数の例外を除けば、単に消極的な理由で子供をなんとなくもたない、なんとなく結婚しないほうが楽だという人たちの行動が、原因の大部分を占めているのだ。

問題の取り上げ方からしてすでに日本経済新聞は間違っているのであって、政府や官僚も同じ間違いをしているから少子化問題は一向に解決しないのだ。自らのアプローチの間違いに気づかない限り、日本経済新聞のコラムがいくら吼えたって本質的な問題提起にさえならない。そのことに気づけないのは、やはり日本経済新聞という会社や記者の皆さん自身が、少子化問題を他人事としてしか論じられていない何よりの証拠だ。

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2004/12/02

武田國男氏「私の履歴書」完結

■そういえば武田薬品工業会長・武田國男氏の「私の履歴書」がようやく終わった。予想どおり後半はありきたりの苦労話プラス自慢話だった。やはり親の七光りだけで社長にのし上がったような人物が社長になって無茶なリストラをやっても、会社が利益を急激に伸ばせたのは、武田薬品工業という会社がそれまでの優秀な経営者のおかげで、しっかりした背骨を持っていたからなのだ。

医薬品への集中で成長軌道に乗れたのは、それまでの経営者たちが優秀な技術者を時間をかけて育てる社風を保って来たからであり、バブル期に浮かれて財テクに走らなくてすんだのは、前会長の小西氏が武田國男氏を止めたからだ。

そのように武田國男氏以外の、会社の中のあらゆるパーツがそれまでの伝統のおかげで保守的に出来ていたからこそ、氏が社長として成立していたわけで、タケダほど保守的でない会社が仮に氏のような経営者を頂いたら、おそらくガタガタになっていただろう。

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2004/11/15

武田國男氏批判の反響

■武田國男氏の「私の履歴書」を批判したことに対して、2人の読者からほぼ同じ反論メールがとどいた。どうして彼のような生き方に共感できるのか理解に苦しむ。

連載の第一回目に、氏の兄が死んだとき、氏が父親から自分の存在を否定されるようなことを言われたという下りは僕もちゃんと読んでいる。しかし、だからといって親のスネをかじりながら、親の期待にそむくという矛盾した生き方を、社会人になってまで続けていいということにはならないだろう。

せいぜい大学生までなら、若者らしい反抗期とでも言えるが、会社から給料をもらってなお遊びほうけるなど、単なる無責任な大人としか言いようがないではないか。そんなに商家の厳格な家庭が嫌だったなら、親からの独立を決意して家を出るなりすればいい。そうでなければ、いつか父親を見返してやるぞと決意して、黙々と努力すればいい。

そのどちらにも踏み切れずに、親の経済力に頼りながら親に反発しつづけるという矛盾した生き方のどこがまっとうな生き方なのか。こんな生き方にどうして共感できるのか僕にはまったく理解できない。

以前ここにも書いたかもしれないが、僕も「自分はこの世に存在してもいいのだろうか」という疑問を抱きながら生きてきた種類の人間だ。しかしそういう疑問を抱いているからこそ、自分の存在理由を何とか見出そうと、さまざまな努力を積み重ねるのではないか。それが倫理的に生きようとするということではないのか。

もう一度書くけれども、世の中には経済的な理由で大学に行けない、留学ができないという人がたくさんいる。そのような人たちの境遇を考えれば、武田國男氏の生き方は徹底して自己中心的、自己陶酔的である。

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