書籍

2009/10/23

『思想地図』vol.2 ジェネレーション、vol.3 アーキテクチャ

何だか、どういう状態が「正常」な自分なのか、だんだん分からなくなってきた。

サラリーマンとしての仕事は、極めて単純な論理で完結している世界なので、「知らない」ということはあっても、「分からない」ということはない。

なので、気力の続く限りは淡々と仕事をこなすことはできる。

ただ、職場であると、私生活であるとに関わらず、他人とのコミュニケーションにおいて、自分がどう振舞うのが「正常」なのか、よく分からなくなってきた。

とにかく普通に話をするのが難しい。どういうテンションが普通なのか、よく分からない。

最近、ビデオニュース・ドットコムを聞いたり、中国語の勉強をしたりする気力がない。

気が向いて『思想地図』vol.3の「特集・アーキテクチャ」を読み終えて、そこそこ面白かったけれど、感想をまとめる気力がない。

でも『思想地図』vol.2の「特集・ジェネレーション」も続けて購入して読み始めている。相変わらずポストモダン思想は好きらしい。

| | トラックバック (0)

2009/10/19

香山リカ『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)を読んだ

香山リカ著『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)を読み終えた。

僕のように勝間和代が大嫌いな人は必読。本書の第10章だけでも立ち読みして、溜飲を下げましょう。

だいたい勝間和代みたいな人間が、いろんなメディアで、「がんばらない奴は生きてる価値なし!」というメタ・メッセージを発し続けるから、環境に適応できずに疲れている人たちは、ますます追い詰められるのだ。

勝間和代のような、アングロサクソン的新自由主義かぶれのアジテーターの存在こそ、先進国中最悪の、年間自殺者3万人という日本の国の「後進性」をよく示している。

他にも本書には、大事なテーマが提示されている。

その一つは「生まれた意味を問わない」という章にある、自分を誰とも交替のきかない存在だなどと思わない方がいい、という部分。

むしろ、「替えのきく存在」であった方がいい、という主張。

サラリーマンというのは、言うまでもなく交換可能な職業だ。異動の発令があったら、後任者にちゃんと自分の仕事を引き継げる状態にしておくのが、会社からすれば望ましい。

サラリーマンは、アーティストや職人と違って、むしろ交換可能でなくてはならない。

だからこそ、サラリーマンは決して自分のやっている仕事に生きる意味など求めてはいけない。香山リカは、そう言い切っている。

もちろん精神科医らしく、この章の最後には、ジャック・ラカン研究者によるラカンの「無意識」の解釈を紹介して、生きる意味は無意識だけが知っているのかもしれない、と付け加えている。

とても読みやすいので、出張の新幹線の中で読むには、ちょうどよい本ではないかと思う。

| | トラックバック (1)

2009/10/11

香山リカの<勝間和代>を目指さない生き方の本

「疑う」ことを知らない勝間和代が大嫌い、ということを書いたら、ちょうどいい香山リカの新刊を見つけてしまった。

香山リカ著『しがみつかない生き方~「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書)だ。

この本の最後の章、つまり10個めのルールが「<勝間和代>を目指さない」なのだ。ズバリでしょ。

まだ全部読んでいないので批評は後日。皆さんもとにかく勝間和代の本を読んで貴重な時間をムダにするくらいなら、この本でも読みましょう。

明日、全日本カラオケグランプリ関西大会なのに、こんな本を買って読み始めてる場合か。

| | トラックバック (1)

2009/07/22

村上春樹『1Q84』のベストセラーは「キセキ」でも何でもない

村上春樹の『1Q84』が200万部越えのベストセラーになっているらしい。もちろんこの日記も、それに便乗してアクセス数を稼ごうという魂胆だ。

ベストセラーになった理由について、識者がいろいろもっともらしいことを言うが、真相は単純で、みんな『1Q84』をネタにしたいだけのこと。まさに、この日記のように。

村上春樹の『1Q84』は、久しぶりの村上春樹の長編新作ということで、一部のテレビ番組が取り上げる。

すると、もともとの村上春樹ファンが買う。村上春樹のファン層は文芸書ではかなり多いので、それだけで「中ヒット」になる。

すると、先日の芥川賞の受賞者が、イラン人美女のシリン・ネザマフィさんではなく、地味な商社マンになってしまったこともあり、テレビは文芸ネタとして、さらに『1Q84』を取り上げるようになる。

すると、村上春樹の名前ぐらいは知っている人が、とりあえず書店で『1Q84』の上巻ぐらいは買ってみようということになる。

すると、書店が『1Q84』を入口のいちばん目立つ場所に平積みするようになる。

すると当然、さらに発行部数が伸び、テレビがますますネタにするようになり、NHKはヤナーチェクの『シンフォニエッタ』をBGMに、栗山千明に『1Q84』の冒頭を朗読させたりする。(なぜ栗山千明なんだ?)

あとはこの循環で、マスコミのネタとして鮮度が落ちるまで『1Q84』は売れ続ける。

人々の趣味嗜好が個別化すればするほど、こういう、日本人共通のネタになるものが、突出して売れる。

それだけのことだ。

『1Q84』という作品そのものの評価に関わらず、『1Q84』は運よく売れるスパイラルに入ってしまったというだけのことだ。

それに対して、あとづけで、村上春樹のエルサレム賞でのスピーチの影響だとか、地下鉄サリン事件以降、社会派色の強まった村上春樹作品がより多くの読者層を獲得したとか、もっともらしい解説がつく。

でも、実体は、ドラマ『ルーキーズ』の主題歌が、ギネスブックに掲載申請されるほど、携帯電話でダウンロード数を稼いだのと、大して変りない。

もちろん「キセキ」をダウンロードした人たちと、『1Q84』の購入層はまったく違うだろうけれど。

| | トラックバック (0)

2009/07/20

中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの』を読んだ


中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)を読んだ。

もっとも説得力のある梅田望夫批判で、本書に付け足すべきものは何もない。

この「愛と苦悩の日記」では以前、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』を徹底的に批判した。

しかし、ニュースサイトの現場で、僕のような「バカと暇人」ばかりを相手にしている中川淳一郎氏の批判は、具体的で説得力がある。

あえて留保をつけるとすれば、少なくとも日本ではウェブは「バカと暇人」のものだが、他の国では分からない、ということだ。

ただ、ネットの受容に文化的差異があるであろうことが、梅田望夫氏の、まるでウェブがすべての国に均等に「革命」をもたらすかのような考え方が完全に間違っていることの何よりの証拠だろう。

2000年ごろまではウェブの世界にも一種の先行者利益があったかもしれない。

何しろ僕のように、今ではYouTubeに「中島美嘉シングル全曲カバー」「柴田淳シングル全曲カバー」といった「ゴミ」コンテンツを発信しているような「暇人」が運営していた、「think or die」というサイトが、@niftyの取材を受けたくらいだからだ。

Movable Typeが登場する前、HTMLが書けて、それなりの内容のある文章をネットで発信することが先行者利益だった。というより、単なる先行者利益でしかなかった。

そしてまさに梅田望夫氏のいう「ウェブ2.0」という「革命」が起こったがゆえに、少なくとも日本ではウェブは「バカと暇人」のものになってしまった。

梅田望夫氏は「ウェブ2.0」のおかげで、ネット世界がより理想的なものになるという、完全に間違った幻想を抱いてしまったが、日本で実際に起こったことは、ネットの世界が極めて凡庸で、当り前で、単なる日常になってしまった、ということだった。

何という皮肉。

そして梅田望夫氏は、その皮肉な結果をいまだに自覚せず、日本のネットの現実から目をそむけ、ネットが世の中に変革をもたらし続けると信じているようだ。

そんな梅田望夫氏の「イタさ」に気づかない人が、いまだに梅田望夫氏の理想論を持ち上げている。

ただ、中川淳一郎氏のような本が出てきたということは、日本人がインターネットの世界に対して、冷静に対処できるようになってきた証拠で、良い兆候だと、僕は考える。ネット上の「バカと暇人」の一人として。

| | トラックバック (2)

2009/07/11

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』を読んだ

たまには哲学の本も読まなきゃと思って、出張の新幹線で読むために仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書)を読んだ。

高校時代にハイデガーの『存在と時間』を読んでおきながら、実はいまだにアーレントは1ページも読んだことがない。

そこへたまたま書店で、大好きな仲正昌樹が書いた本書を見つけたので「衝動買い」してしまった。

中身は予想にたがわず、いかにも仲正昌樹らしいひねくれたハンナ・アーレント解説書になっていて、思わずニンマリしながら読み進めてしまう面白さ。

仲正昌樹は世の中にはびこる「わかりやすさ」症候群みたいなものを、徹底して批判しながら、あえてハンナ・アーレントのような難解な思想家の著作を、とってもわかりやすく解説してくれる。

そのひねくれ具合が絶妙で、仲正昌樹はクセになってしまう。

公的な領域と私的な領域の峻別についてのアーレントの思想は、たしかに右翼とも左翼ともつかない、独特の徹底性があるのだなと分かった。

本当はここで満足することなく、次はアーレント自身の著作を読まなきゃいけないのだけれど、残念ながらもう大部の哲学書を読むだけの集中力がない。

まだ若くて集中力の続く方は、本書『今こそアーレントを読み直す』の冒頭で解説されている、アーレントの主著『全体主義の起源』からどうぞ。

ちなみにハンナ・アーレントはこんな女性。
Hannah_arendt20090711

| | トラックバック (0)

2009/06/01

たった11ページで裁判員制度が完全に無意味だと分かる本


国民の過半が反対している裁判員制度が、強引に施行されてしまった。

宮台真司著『日本の難点』(幻冬舎新書)では、p.215~225のたった11ページで、「司法の民主化」を目指しているという裁判員制度が、どれだけ間違った制度であるかが、とても簡潔に説明されている。

他のトピックについても、本書は必読だ。

| | トラックバック (0)

2009/05/24

宮台真司『日本の難点』(幻冬舎新書)を読んでいる

社会学者・宮台真司の書いた『日本の難点』(幻冬舎新書)を読んでいる。


縦横無尽にさまざまな問題を、あざやかに、わかりやすい言葉で整理していく手法には、相変わらず感心させられる。さまざまな社会問題を考えるにあたって、とても参考になる観点を与えてくれる。

ただ、読んでいて非常に虚しくなる。

というのは、この本に書かれていることを実践できる立場にある人たちは、宮台真司のいう公共心を持つ少数のエリートだけだ。

僕は東京大学で、宮台真司がこの本の中で引用しているジャック・デリダなどの現代思想を学んだおかげで、この本の内容を、おそらく正しく理解できている。

しかし、僕のサラリーマンとしての日常生活は、実に下らない問題に忙殺されるだけの毎日だ。

サラリーマンとして長く働けば働くほど、仕事の内容のほとんどが、社内・社外のいろいろな人たちの「わがまま」を調整することになる。

社内のそれぞれの部署は自分の利益を主張し、社外の関係者も自分の利益を主張する。

それらがお互いに衝突するのを、どうやって調整して、妥協点を見つけるか。中堅サラリーマンの仕事をひとことで表現すれば、単なる「利害調整」である。

そういう下らない利害調整に、毎日、胃が痛くなるような思いをして、神経をすり減らして、疲れ切って家に帰ってきて。そういう毎日の繰り返しだ。

サラリーマンの利害調整の仕事には、公共性のかけらもない。

また、僕にしかない能力を発揮する機会もない。

宮台真司の書いていることはもっともだし、僕自身、ほぼ完全に同意する。

しかし、僕のように、社内外の利害調整で疲弊しているサラリーマンには、宮台真司の提唱するような、社会をより良くするための活動に参加する力は残っていない。

宮台真司は、こういう本を新書として出版することで、いったい誰に語りかけているのだろうか?

こういう本を読んで、たしかに勉強にはなるけれども、実に下らない利害調整に忙殺されるサラリーマンとしては、読んでいて、ただただ虚しい。

| | トラックバック (0)

2009/04/01

香山リカ著『雅子さまと「新型うつ」』を読んだ

香山リカ著『雅子さまと「新型うつ」』(朝日新書)を読んだ。香山リカの他の一般向け書物同様、精神医学の現場の実態を反映させながらも、とても読みやすい本になっている。

雅子さまに対する「適応障害」という診断や治療経過について、香山リカはいくつか重要な指摘をしている。

たとえば、宮内庁の対外的なコミュニケーションの問題。宮内庁は雅子さまの病状や治療経過について、ことあるごとに皇室という特殊な環境の重圧によるストレスに言及している。

このことがいくつか深刻な誤解を生んでいると、香山リカは指摘する。

一つは、「同じような環境で、秋篠宮紀子さまは病気にならないんだから、やっぱり雅子さまの忍耐が足りないんじゃないの」という、心無い誤解。

一つは、皇室の生活は重圧に満ちた息苦しい環境であるというネガティブな印象を、宮内庁自ら国民に喧伝しているようなものだ、という点。

そしてもう一つ、最も重要なのが、本書のタイトルにある「新型うつ」とも関係する誤解。

僕も含めて、この本を読むまで、多くの人は「雅子さまは皇族としての公務の重圧によるストレスで病気になった」と考えているが、香山リカは「新型うつ」を一つの例として、まったく逆ではないかと推測している。

ここから先はネタバレになるので、本書をじっさいに読んでいただきたい。

香山リカの言っていることが正しいとすると(おそらく正しいと思う)、彼女の書いている通り、「静養」「安静」を中心とする治療方針は、完全に間違っており、かえって病気を長引かせることになる。

雅子さまの回復を願う国民の一人として、この香山リカの指摘は非常に重要であり、宮内庁が真摯に受け止めるべき意見の一つだと考える。

| | トラックバック (0)

2009/03/18

佐藤俊樹著『意味とシステム』を読んでいる

佐藤俊樹著『意味とシステム~ルーマンをめぐる理論社会学的探求』(勁草書房)はやっぱり面白い。

二クラス・ニューマンの社会システム論の解説書なのだが、いきなりルーマンのシステム理論の限界を指摘するところから始まるので、ルーマンに埋没することなく、冷めた目でルーマンを理解することができる(あるいは理解した気になることができる)。

前半はルーマン理論のコアな部分の解説になっていて、第二章は長岡克行氏の佐藤氏に対する批判への反論をしつつ、ルーマンのシステム理論の限界をつきつめていくスリリングな展開。

後半はシステム理論の応用編で、おそらく会社員にとっては「第五章 官僚制と官僚制化:組織システム論の視界と限界」が非常に面白いだろう。

法システムと官僚制システム(よく誤解されるのだが、官僚制というのはいわゆるお役所組織のことではなく、マックス・ウェーバーの定義によれば、私企業の会社組織こそ典型的な官僚制組織ということになる)の違いと、この2つのシステムの相互関係から、会社組織の本質をシステム理論の観点から理解できる。

著者の佐藤氏は、ルーマン理論の魅力は、抽象的な理論体系としてではなく、実際の社会事象の分析に幅広く適用できる点にあると、本書の中でくり返し書いているが、この官僚制組織の章は、まさにそのことがはっきりと示されている。

僕はルーマンの『社会システム』の英訳本を最初の50ページで挫折してしまったが、ルーマンってこんなに面白かったのかと思わせてくれる貴重な本だ。

って、まだこの本を読み終わっていないのだけれど。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧