2008/05/08

船場吉兆批判は貧乏人のひがみ?

高級料亭「船場吉兆」が食べ残しの使い回しを隠蔽していた問題、マスコミも一般大衆も総攻撃だが、実際に船場吉兆で高額な食事をした人間が何割いるのか。

昨年の偽装問題後もなお、船場吉兆の営業再開時に「応援」に駆けつけた顧客は、そもそも高級料亭の看板で虚栄心を満たすことしか能がない富裕層で、彼らにとって法令遵守などクソくらえなのだ。

船場吉兆のような高級料亭は、元来そういう倫理観の乏しい富裕層を中心に商売しているのだから、僕らのような一般大衆がいくら非難したところで、船場吉兆の社長や顧客からすれば「貧乏人のひがみ」程度にしか見えないだろう。

日本はれっきとした階層社会で、法律もへったくれもない特権階級の世界が存在する。それだけのことだ。いくらマスコミや「企業リスク管理の専門家」が叩いたところで、船場吉兆はつぶれやしない。

船場吉兆がつぶれたって、第二、第三の「船場吉兆」は今も食べ残しの使い回しをしながら営業しているに違いないのだ。

| | トラックバック (0)

2008/04/24

看样子都没办法了


欧洲的哲学家叫齐克果说过致死的疾病就是绝望。对公司职员的生活我已经完全绝望了。如果我还很年轻的话我能开始新的生活。可是很遗憾我已经没有选择了。这种生活再继续下去或者只有绝望。我并不知道怎么办。我不自杀因为我不那么绝望了。可是我不想继续这种生活因为我并不感觉幸福。绝望和自杀之间有一条挺狭窄的路。我不得不走上这条路。有一天我会一脚踩空坠落到深渊了。那样的话就都没办法了。

| | トラックバック (0)

2008/04/05

高校同窓生のメーリングリストと自分の「不安」

高校時代の同窓生のメーリングリストが去年の秋にできて、参加しているのだが、テレビで取り上げられるような華々しい活躍をしている人、着実に実績をあげている人、近況報告を読むにつけ、自分が人生を台無しにしていることを実感する。

そのメーリングリストには、嘘ばっかりの無難な近況報告しかしていないので、いっそのこと20歳のときの「事実」や、いま僕が抱えている「問題」も告白しようと思ったが、バカらしくなってやめた。

成功している人間を妬むのは愚かしい。自分の人生を蔑むのも愚かしい。

でも年々昂じてくる僕の「不安」が、拭い去りようのないものであることも事実だ。

| | トラックバック (0)

2008/03/12

公的な意識がないのは日本人も同じ?

中国人は今でも街中など公共の場でのマナーが悪いというが、公的なものと私的なものをはっきり区別しないのは、日本人も同じことだ。

違うのは、中国人の私的なものが家族や一族、民族などの複数形なのに対して、日本人の私的なものが個人、せいぜい核家族の単位であることだろう。

だから中国人は電車やバスで、整列乗車をしなくても、老人に何のわだかまりもなく席をゆずり、日本人は老人を無視して座席に座り続ける。家族や一族の中で老人を敬うのは中国人にとって自然だし、老人と接したことの少ない日本人の若者が老人を無視するのも自然だ。

中国の公衆トイレに、まだ個室の仕切りのないところが多いのも、公的な領域にまでお互い家族のように分け隔てない意識が広がっているからだろう。

僕自身、仕切りのない公衆トイレで用を足したいとは思わないし、たぶん整列乗車しない中国のラッシュアワーは耐え難いだろう。しかし、中国と日本、どちらが進んでいるかという問題ではなく、単に違いがあるだけだという気がする。

今日の日本経済新聞に、中国の地方官僚の腐敗ぶりが書かれていたが、官僚が腐敗しているのは日本も変わらない。そもそも中国の官僚にも日本の官僚にも「公僕」の意識がないのだろう。

公的なものと私的なものの区別がはっきりしていないのだから、自分の扱っているお金が「公的な」税金や年金だという意識もないし、道路が「公的な」ものだという意識もない。だから税金や年金を使い込んで平気だし、道路を私的な利益のために誘致するのも平気。中国と日本はよく似ている。

サラリーマン生活を送っていても、よく思い知らされることだが、日本が中国よりも「発展」しているとか、より「進歩」しているとか、より「合理的」だとか、より「近代化」されているとか、そんなことを考えている日本人がいたとしたら、単なる思い過ごしだろう。

| | トラックバック (0)

2008/02/26

続・裁判所の命令を無視したプリンスホテルの恐ろしさ

さて、プリンスホテルが裁判所の命令に従わなかった件の釈明会見を行った。くり返すが、日教組など本当にどうでもいいのだ。

プリンスホテルという会社は、東京地裁と東京高裁の決定を公然と無視して、さらに厚顔無恥にも自分たちが正しいと記者会見まで開いた。

驚くべき事態だ。ますます株式会社プリンスホテルは信用ならない会社であることが明らかになった。

株式会社プリンスホテルが法律を公然と無視して、なお自分たちが正しいと言い張るなら、法律ではない企業会計原則など、破ることは何でもないだろう。さて、株式会社プリンスホテルの決算書は、企業会計原則にのっとって作られているのだろうか?

今回の記者会見を見れば、プリンスホテルには、お客様のためなら一切の法律は守らなくても構わないという強い意思があることがよくわかる。

いや、日教組もいちおう「お客様」だから、プリンスホテルは、気に入らないお客様に対しては法律は守らないという強い意思を表明したのだ。

ますます恐ろしい。もしあなたがプリンスホテルに宿泊して、プリンスホテルんお眼鏡にかなわなければ、何をされてもあなたは泣き寝入りだ。なにしろ民事訴訟を起こしても、ホテル側は裁判所の決定を無視するのだから。

プリンスホテルは法治国家の日本にあって「治外法権」を主張しているのだ。ちょっと正気とは思えない経営者の発言だ。


One of the largest Japanese hotel chains called 'Prince Hotel' formally ignored the court dicision. Japan Teachers' Union planned to hold their annual meeting in one of the hotels run by Prince Hotel in Tokyo. But Prince Hotel canceled their reservation unilaterally.

Tokyo District Court and Tokyo High Court ordered the hotel not to cancel their reservation. But Prince Hotel ignored this order.

Today Prince Hotel held the first press conference after this case and they insisted that they did nothing wrong!

I thought that Japan is a law-abiding country but I now doubt it. Prince Hotel is one of the most famous hotel chains in Japan. Even such a company can 'formally' ignore the court dicision.

In addition, you try to take a glance at Japanese BBS. Most of internet users support this hotel chain and blame Japanese Teachers' Union.

When you travel to Japan, I stronglly recommend you to think over whether you should stay at a hotel run by Prince Hotel. Even if something goes wrong while staying there, Japanese court can't help you because Prince Hotel might ignore the court dicisions.

Please be careful to choose a hotel when you visit Japan.

| | トラックバック (0)

2008/02/09

裁判所の命令を無視したプリンスホテルの恐ろしさ

日本は皆さんが思っている以上に恐ろしい国かもしれない。ご承知のように先日、グランドプリンスホテル新高輪が契約を無視して日教組の集会を拒否した上に、東京地裁にも従わなかった。

日教組はどうでもいいのだが、問題はグランドプリンスホテル新高輪が、「自分のホテルは日本の民法が適用されない」と宣言したも同然だということだ。

たとえば皆さんがグランドプリンスホテル新高輪に宿泊しているときに、ホテル側の落ち度で何かの損害をうけ、民事訴訟を起こし、たとえ勝訴しても、グランドプリンス新高輪はその判決にしたがわないおそれがあるということだ。

プリンスホテル系列のホテルはすべて株式会社プリンスホテルが経営しているので、おそらく同じことが当てはまる。プリンスホテルに泊まるときは、覚悟が必要だ。

何しろ裁判所の言うことを聞かないホテルなのだから、宿泊者であるあなたのいろいろな権利が守られる保証はまったくない。

例えばこの記事についてプリンスホテルが僕を相手に民事訴訟を起こすかもしれない。裁判の結果がどうなっても、プリンスホテルはそれを無視して、刑法に触れないような手段で報復に出る可能性もゼロとはいえない。

みなさんもプリンスホテルに宿泊した後、インターネットに下手な口コミ記事を決して書かないように。何しろ裁判所の命令を無視するホテルなのだから、どんな因縁をつけられるかわからない。

いやぁ、恐ろしい、恐ろしい。

| | トラックバック (0)

2008/01/07

今日は仕事始め

年末年始の連休中は、好きなだけの時間を中国語学習に費やせたおかげで、一日で『地下鉄の恋』5分間分の字幕と、阿蘭さんのブログ数回分の日本語訳をできたけれど、仕事が始まるとほとんど進まなくなってしまう。出るのは、ため息ばかり。

去年は年末年始の休みを全部つぶして働いたのに、その努力を「できて当たり前」としか評価しないような、ひどい会社に勤めていたが、昨年中に首尾よく転職することができ、今年は9日間まるまる休むことができた。

語学学習は集中してやれば、忘れにくい短期記憶の利点を生かすことで好循環に入るのだが、時間がとれなくなると、忘れた短期記憶を辞書を引き直したりして取りもどすだけで、かなりの時間が必要になり、極端に効率が悪くなる。

もっと時間が欲しい。ただ、24時間365日中国語の勉強ができたとしたら、一体何のために中国語の勉強をしているのか、本末転倒ということになる。

いや、そもそも僕はいったい何のために中国語を勉強しているのだろうか?

| | トラックバック (0)

2008/01/03

夜見る夢のパターン2つ

僕が夜見る夢はほとんど次のどちらかのパターンに当てはまる。見知らぬ土地で同じ場所を何度も迷い歩くパターンか、大学生で卒業に単位が足りるか足りないかぎりぎりの状態になるパターン。

共通するのは目的をなかなか達成できないでいるのに、肝心のその目的が一体何なのかはっきりしない点だ。見知らぬ土地パターンでは実は目的地が明確でないし、大学生パターンでは卒業後の進路が夢の中で全く言及されない。

そうやって見知らぬ土地をさ迷い歩いたり、大学構内をうろうろしているうちに目が覚めると、それがそのまま現実の自分の状態なのかもしれないと、妙に納得してしまう。

僕が外国語学習を趣味にしているのも理由は同じかもしれない。外国語学習には終りがない。しかし自分が何の目的でその外国語を学んでいるのか、究極のところでは自分でもよく分からないのだ。

この無目的さこそ生きていることそのものの悪夢のような側面でもある。

| | トラックバック (0)

2007/12/18

佐世保乱射事件に対するあまりに短絡的な反応

佐世保乱射事件で、住民の事前の相談がありながら動かなかった警察に非難が集中しているが、一般大衆は自分たちの考えの甘さを疑ってみるべきだろう。

つまり、この種の不審人物についての相談や通報は、みんなが思うよりはるかに多く、とても警察が処理しきれない数になっているおそれがある。日本の治安はみんなが思うより実はずっと悪くなっているかもしれないということだ。

不審人物についての相談や通報など、そんなに多くないだろうと思い込んでいる一般大衆の方こそ、日本は安全だという夢をまだ見ているのではないか。

また、住民からの相談や通報があったら、警察はすぐにその不審人物から猟銃を取り上げるべきだというのも、きわめて危険な暴論だ。

これを許してしまったら、「あいつは怪しいから」という理由だけで、私有財産に対する警察の無制限な介入を許しかねない。いきなり猟銃を取り上げることに警察が慎重なのは、市民の自由を公権力はいたずらに制限しないという、まっとうな理由があるからだ。

この種の事件があると、一般大衆は「自由はなくても、治安がよければOK」という極めて危険な傾向を見せるので、危なっかしいったらありゃしない。自分たちが当たり前のように享受している「自由」が、いかに微妙なバランスの上に成り立っているか、もう少し冷静に考えるべきだろう。

「警察がもっとガンガン取り締まればいい」というのは、きわめて短絡的で危険な発想である。

| | トラックバック (0)

2007/11/04

亀田家に踊らされ続けるマスコミ

完全に亀田家の戦略勝ちのようだ。低脳なマスコミは亀田家のプロモーション戦略に踊らされている。世界戦の反則であれだけ叩いておきながら、結局は連日、亀田家の話題を伝え、おそらくプロデューサーである父・亀田史郎氏の思うツボだ。

亀田家の話題を伝える番組では、良識あるコメンテーターもレギュラーから外されるのを恐れて、局を批判することさえできない。こうしてマスコミは日本人の「民度」を一段と低下させるのに貢献する。うんざりだ。

| | トラックバック (0)

2007/10/14

中島美嘉の割り箸反対運動

僕は中島美嘉のファンだ。声量はないが歌が上手いことと、提供されている楽曲が良く、キーが合うのでカラオケで愛唱していること、ややエキセントリックな容姿も好きなことなどが、その理由だ。

ただ、先日、偶然、衛星放送でコンサートを見て驚いてしまった。曲間のMCで、彼女がいきなり、地球環境を保護するため「マイ箸」を持ち歩こうという話を始めたのだ。

もう20年前になるが、大学生のころ、学生劇団に誘って頂いた女性の先輩が、やはり割り箸は環境破壊につながるという理由でマイ箸を持ち歩いていた。

僕個人は、この手の草の根運動に懐疑的で、一人二人が割り箸を使わなくなったところで、日本全体の割り箸消費量が劇的に減るわけはないと、自分は同調しなかった。

その後、割り箸は間伐材の有効利用なので、環境破壊につながるというのは大ウソだ、という議論をどこかで聞いて、やっぱりと溜飲を下げた。

今回も、コンサート中に割り箸反対を呼びかける中島美嘉を見て、一ファンとして正直がっかりした。割り箸反対を呼びかけるくらいなら、石油から作られた合成樹脂が原料のCDをやめて、楽曲はすべてダウンロード販売のみにしますと宣言する方が、よほど地球環境のためになるだろうと、画面の中の彼女に向かって突っ込んだ。

...という主旨の記事を「愛と苦悩の日記」に書こうとして、僕自身の「割り箸は間伐材から作られているから環境破壊にならない」という認識が、ほんとうに正しいのか自信がなくなった。

そこで、東京大学の「環境三四郎」という団体のWebサイトに、中立的でかなり客観的と思われる論文を見つけたので、僕の稚拙な見解を披瀝する代わりにご紹介しておきたい。

東京大学「環境三四郎」

このWebサイトの資料室の調査報告書で、「割り箸から見た環境問題」の1999年版、2006年版をお読みいただきたい。

ざっと通読して僕が理解した限りでは、以下のようなことだ。

日本国内で流通している割り箸のほとんどが中国からの輸入品で、原料は間伐材ではなく、割り箸のために伐採された木材である。かつ、伐採された跡地は農地に利用され、森林再生のための植林は行われていない。

ただ、仮に日本が中国からの割り箸輸入を政策的に全面停止したら(事実上不可能だが)、中国の割り箸産業が壊滅的な打撃を受け、当然、割り箸産業に依存して生活する人々にも影響が出る。

割り箸問題一つとっても、中国の地方経済(そして地方と都市部の経済格差)と、日本の大量消費社会が、密接につながっていることを考えるきっかけになる、ということだろう。

したがって、割り箸について立ち止まってよくよく考えてみることに大きな意味はあるが、「マイ箸」を持ち歩くことに自己満足して、思考停止してしまうのは、かえって問題を見えなくするおそれがある。

短いサイクルで新曲を売り出す商業主義にどっぷりつかっているアーティストが、社会的な発言をするとき、どうすれば偽善的にならずに済むか、というのは、かなり難しい問題だと思う。

たとえば、環境保護を訴えるコンサートで、大量の電気を消費して、PAで大音量の音楽を演奏することに違和感をおぼえるのは、僕だけではないだろう。

僕自身、大量消費社会にどっぷりつかって、決して無罪ではない。そういう立場の人間が考えるべきなのは、どうすれば資源を使わずに済むかということではなく、使ってしまった資源を、どれだけ再利用できるか、ではないかという気がする。

割り箸問題についていえば、割り箸を使わずにすませることよりも、使ってしまった割り箸が再利用されるには、どういう制度設計が必要か、という議論の方が、はるかに実効性があるのではないか。

中島美嘉にこんなことを要求しても無理ということはわかっているが、有名タレントとしての発言力を利用するなら、もう少し実効性のある利用方法というのがあるような気もする。

...なんてことを書く資格が、僕のような人間にあるのかということは、棚上げして書いているのだが。


| | トラックバック (0)

2007/10/11

アイリバー製携帯プレーヤーに買い換えてビデオニュース・ドットコムを聴く

夏に購入したパナソニックSDカード携帯音楽プレーヤー、やはり専用の音楽転送ソフト「SD Jukebox」の処理速度がきわめて遅く、使いづらいこと、また、アルバム1枚あたりの曲数が99曲と、語学CDの管理が事実上不可能なことから、Yahoo!オークションで市価の3分の2の格安で売り払った。


そして、アイリバー社のDP100(2GB)に買い換えた。

こちらはUSBメモリと同じようにWindowsのエクスプローラーでかんたんにファイル転送でき、語学CDに不便な機能制限もない。付属耳栓型イヤホンや音響性能はパナソニック製品に劣るし、記憶容量を拡張することも不可能だが、任意の曲の間を反復再生する機能もあり、語学学習のための使い勝手は非常に良い。

本体のデザインもシンプルで悪くない。しかも、容量が松下電器製品の倍で価格が半分とコストパフォーマンス抜群。こんなことなら初めからiriver社の製品を買っておくんだった。

曲転送がパナソニックの「SD Jukebox」に比べると、大げさでなく50倍ほど高速になったので、ビデオニュース・ドットコムのストリーミング放送を「GetASFStream」というフリーウェアでダウンロードし、「PetirDecoco」というフリーウェアで音声部分だけWMA形式で抽出してDP100に転送、通勤途中で聴くということもやっている。

ようやく快適な携帯プレーヤー生活が始まった。

(ますますアフィリエイトブログっぽくなってきて申し訳ない)

| | トラックバック (0)

2007/09/30

海のないアフガニスタンとテロ特措法

アフガニスタンには海がない。海がない国の復興支援のために、海上給油が必要不可欠だろうか。もちろん、そうではない。その給油は、他の目的なのだ。

そして、海上給油の根拠になっている国際法と、それを受けた日本のテロ特措法は、実はアフガニスタンだけを対象にした法律ではない。なのに自民党の皆さんは、「これはイラクのためではない。アフガニスタンのためだ」と言い張る。

さて、特措法を延長したがっている自民党の皆さんは、何がやりたいのだろうか。

| | トラックバック (0)

時津風部屋の集団殺人と「聖域」について

時津風部屋で集団殺人が起こったのは、角界が「国技」として聖域化されていることが根っこにある。学校現場のいじめに警察が動因されないのと同じ構造だ。聖域ゆえに、一般社会から隔離され、当たり前のことが通じなくなっている。

時津風親方は集団暴行の後、救急車も呼ばず、警察の事情聴取で弟子たちと口裏合わせをし、火葬を急いで証拠隠滅までしようとした。朝青龍の病状診断や処分についての不透明さも同じ。

そして先日、集団恐喝の末、高校生が自殺したが、当初、校長がいじめを隠蔽しようとしたように、いじめがあるたびに学校側がまず隠蔽に走るのも同じ構造。

同じく聖域である皇室と比べても、角界や学校の閉鎖性はひどい。雅子さまは時間はかかったけれど、適応障害でまともな治療をうけられたのだから。

| | トラックバック (1)

2007/09/09

たまに跳ね上がるアクセス数の謎

この「愛と苦悩の日記」のアクセス数が、1か月に1回ほど、いつもの3~5倍くらいに跳ね上がるときがある。今までは、特定キーワードでの検索エンジンからの流入が一時的に増えるのだろうと思っていたが、昨日、生ログをチェックしてその正体を突きとめた。

自動巡回ソフトだ。

おそらくこの「愛と苦悩の日記」を初めて知った読者の方が、まとめ読みするために自分のパソコンにいったん全文書をダウンロードされるのだと思われる。

だとすると、アクセス数統計は少しゆがんでしまうけれど、非常にありがたいことだ。

| | トラックバック (0)

2007/08/10

朝青龍の処分に関する連日のバカ騒ぎ

朝青龍について、相撲協会の処分が厳しすぎるだの、甘すぎるだの、下らない論争が毎日のように朝のワイドショーを騒がせている。

日を追うごとに論点がずれていくのは、日本人の「民度」の低さをよくあらわしているが、結局この問題、ウソの理由で仕事(=夏巡業)をサボった人間をどう処分するか、というだけのことだ。

「自宅謹慎」や「モンゴルへの帰国はダメ」というのは、私人としての自由を制限するものなので、明らかに違憲である。騒ぎがここまでになったのは、相撲協会の下した処分のうち、この部分にある。相撲協会は即刻この部分については取り下げるべきだ。

残る問題は、「二場所出場停止」という処分が適切かどうかという点だけだが、これについては、角界の外部の人間に意見する権利はない。いくら反論されても相撲協会は毅然とした態度をとればいい。

もし朝青龍本人が不満なら、相撲協会を相手に民事訴訟にもちこめばいいのであって、第三者が騒ぎ立てる話ではまったくない。

以上、これだけのことなのに、毎日、毎日、いったい何を騒いでいるのだろう。実に馬鹿げている。

| | トラックバック (0)

2007/08/02

プロジェクトを「潤滑に」、グッドウィルグループ

テレビ東京のワールドビジネスサテライトを見ていると、シーテックという技術開発分野のアウトソーシング会社のCMが流れるが、最後のグッドウィルグループというアナウンスがなくなった。コムスン問題でイメージが悪化しているので、わざと外したのだろう。

それにしてもこのCMのナレーションに出てくる、「プロジェクトを潤滑に進めます」という日本語が以前から気になって仕方ない。「潤滑」はふつう形容動詞としては使わないだろう。

おそらく「円滑に」の間違いだと思うのだが、誰も事前に訂正できなかったらしいのが、いかにも体育会系のグッドウィルグループらしく、このCMを見るたびに失笑してしまう。

| | トラックバック (0)

隅田川花火大会をYouTubeにアップ

先週末の隅田川花火大会の模様をYouTubeにアップした。花火を安物のビデオカメラで撮影すると、かなり不便があることがわかった。

自動露出では夜空を標準露出にしようとして感度が上がりすぎるので、液晶モニタで夜空が黒く、花火が肉眼と同程度の残像になるように、手動で最低の露出にした。

ところが撮影後に再生してみると花火が貧弱すぎる。液晶モニタはあまり当てにならないということで、もう少し露出を上げてもよかった。

それから、自動焦点ではピントが合わない。当然といえば当然で、花火が上がる前の真っ黒な夜空にカメラを向けても、カメラは何にピントを合わせていいのかわからない。花火が連続して上がると、ピントが合い始める。

そこで手動焦点にしてみたが、調整ダイヤルではちょうどいいとろこに合わせられない。一眼レフカメラや業務用のビデオカメラのように、フォーカスリングがないと思ったところにピントが合わせられない。

ファインダーは業務用ビデオカメラでも液晶のようなので、せめてフォーカスリング付き家庭用ビデオはないものだろうか。

| | トラックバック (0)

2007/07/16

クリーニングでズボンなくされ後味悪し

都内の下町に越してから、チェーン店のクリーニング屋が近所にないので、自営の店を利用するようになった。店番はお世辞にも愛想が良いとはいえない老婦人で、たまにお嫁さん(娘さん?)のこともあった。

お嫁さんのときには釣銭を台の上に投げ出されたことさえあり、料金が安いから仕方ないと思いつつ毎週末洗濯物を出していた。

ところが、今月最初の日曜日に出したスーツの下をなくされてしまった。会社帰りに引き取りに行くと、しばらく店内をさがしまわったが見つからないのだ。

仕方なくその週末にまた取りに行くと、もう少し探したいので4~5日後に来てほしいとのこと。そしてふたたび引き取りに行くと、やはり紛失したようなので、クリーニング代の10倍で勘弁してもらえないかという話が来た。

あまりの金額の低さに納得できず、帰宅してインターネットで調べた結果、クリーニング生活衛生同業組合の事故賠償基準というものがあった。

スーツの下だけを紛失された場合、スーツ全体が着られなくなるが、賠償範囲はスラックス部分だけだという。それでも同業組合の基準からして、店の提示した金額は安すぎる。

その店が東京都の同業組合に加盟していないことも分かり、基準にもとづいた交渉が難しそうなので、区役所の消費者センターに電話してみた。

センターの対応はとても親切で、10分後、折り返しの電話で、同業組合の基準にもとづいた賠償基準金額を連絡してもらえた。また、まずは自分で交渉することを勧められ、交渉のやり方についても細かく助言があった。

翌日クリーニング店に行き、センターに相談したことを正直に伝え、助言どおりに交渉した。しかし店番の老婦人はわずかに高い金額を提示しただけで、それ以上ゆずろうとしない。

やむを得ず店の了解をとって、消費者センターにあっせんに入ってもらうことにした。消費者センターに交渉の結果を伝えてあっせんを依頼すると、一度あっせんに入ると当事者どうしの直接交渉はできなくなること、また、今からすぐ店に連絡するとの返答。

その言葉どおりおよそ30分後、センターから結果の電話が入った。そのクリーニング店は個人商店で顧客が限られており、他の洗濯物に混じっている可能性が高いので、今月いっぱい捜索の時間としてほしい。それでも見つからなければ金額交渉に入る、とのことだった。

そういうわけで今月末まで回答待ちとなった。

こちらには何の落ち度もなく、スーツを一着損した。店番の老婦人は言葉は荒げないものの、まるで賠償を要求する方がおかしいという口ぶりで、胃が痛くなるほど不愉快だった。反対に、区役所の消費者センターの対応は、予想以上に迅速かつ親切で、とても心強かった。

ただ、この件で東京の下町に住む難しさを考えさせられた。

狭い路地が入り組み、老人の世帯主が多い下町に、突然こぎれいな賃貸マンションが建つ。そして僕のようなよそ者が、都市郊外の生活スタイルそのままに引越してくる。

つまり、近所づきあいは一切なく、ほとんど家と職場、スーパー、繁華街の往復だけで生活するというスタイルだ。

それに対して狭小住宅のクリーニング店は、昔からそこで商売を営み、同じように昔からその地に住む老いた世帯が固定客になっている。

そこへ価格が安いというだけで僕のようなよそ者が新しい顧客になる。他の常連は洗濯物を出すついでに店番の老婦人としばらく立ち話して帰るが、こちらは用が済めば1分もかからず店を出る。

おそらく他の客は洗濯物をなくされても、日ごろの付き合いのよしみで安い額をのむだろうし、長く着たものならタダで済ませるかもしれない。

こちらが被害者なのに後味の悪さが残る、東京の下町である。

| | トラックバック (0)

2007/07/15

旭山動物園への旅:その2

いよいよ旭山動物園に入った後の詳細な報告、「旭山動物園への旅:その2」を書こうと思ったのだが、額と左手を真っ赤に日焼けしながら撮影したビデオがあるので、Windowsムービーメーカーで編集してYouTubeに掲載しておいた。まずはこちらをご覧下さい。


| | トラックバック (1)

2007/07/10

旭山動物園への旅:その1

2007/07/10(火)、貴重な有休をつかって札幌に来たついでに、足をのばして旭山動物園に行ってきた。札幌に来た最大の目的は、じつは決して観光ではないのだが、そのことについては別途書きたい。

年間入場者数が東京・上野動物園にせまるというので、夏休み前の平日だったが、それなりの混雑を予想し、札幌中心街にあるビジネスホテルを朝6時過ぎに出発した。

札幌から旭山動物園まで公共交通機関で往復するには、JRみどりの窓口で専用のチケット、大人5,500円を購入するのがいちばんお得だと思われる。

旭川までの往復の乗車券・自由席特急券、旭川駅から動物園までの往復のバス乗車券(ちなみに単独で買うと片道400円)、動物園の入場券、これらすべてがセットになっているのだ。

札幌~旭川間は意外に遠く、特急で1時間半かかる。旭川まで乗換えなしで行ける直通の各駅停車は一日数本しかなく、朝早く札幌を出ても旭川着が午後になるので、動物園をたっぷり楽しみたいなら特急を使おう。

僕は朝6:55分発の始発の特急に乗った。定期券をもつ通勤客もいたようで、自由席はほぼ満席だった。この分だと夏休みなどのハイシーズンにはよほど早くから並ばないと自由席は座れないに違いない。1時間半立ちっぱなしが嫌な方は、事前に指定席を予約しておこう。

特急の中は指定席も自由席も左右2列ずつでゆったり座れ、車内販売こそないものの、自動販売機や洗面所、男性用、女性用トイレもあり、設備は新幹線並みの快適さだ。

とはいえ、終点の旭川駅に到着するときの車内放送まで、音楽が「鉄道唱歌」、日本語の後に英語のアナウンスつきと、新幹線並みになっている理由は謎である。

札幌を出て15分もするとすでに周囲は大自然。進行方向に向かって左側の窓際にすわると、地図を見る限りおそらくピンネシリという山だと思うのだが、遠くになだらかな山並みが望める。

途中の停車駅周辺のさびれ具合に比べ、旭川駅に着いてみると意外なほど都会で、駅前にはA館、B館にちゃんとわかれた西武百貨店まである。

札幌にもある「エスタ」(たぶんスペイン語からとっているのだろうが)という駅ビルの前を歩いて、そのまま横断歩道をわたり、すぐ右へ曲がると少し古めかしいアサヒビルという商業ビルがある。

そのビルの東南角を左に曲がってすぐの5番バス乗り場が、旭山動物園行きの41番線、47番線バスが出る停留所だ。他の番線のバスも出るので、間違って乗らないようにしよう。

この動物園行きバスは、運転席左上の天井部分にオレンジ色の数字で料金表示が出る、いたって普通の乗り合いバスで、まったく旅行気分がもり上がらない。ここは逆に、旭川市民になったつもりで乗るのがよい。

駅前から動物園までおそよ40分もかかる。決して山道をくねくねと遠く登っていったりするわけではないのに、なぜそんなに時間がかかるのか。

旭川市の市街地も、北海道の他の大都市と同じく、タテヨコに整然と区画が割られているので、バスも平坦な市街地の中を、ほとんど曲がることなく走る。

なのにどうして40分もかかるのかと言えば、途中、旭川市民にとって必要なバス停に、ふつうに一つずつ停車しながら進むというだけのことだ。もちろん誰も「止まります」ボタンを押さず、待っている人もいないバス停は通過する。

当たり前のことを書いているようだが、動物園行きのバスは、そういう元アイヌの土地も含めて日本国中、どの街にもある当たり前のバスであり、たまたまそれを観光客が占領しているだけなのだ。

ただ、個人的にこのバスに乗っていて驚いたことがあった。それは病院の多さだ。誰か旭川市出身の人がいたら教えてほしいのだが、路線バスのルートになっている通りの南側が、おそらくおよそ1キロくらいにわたって、内科、小児科、歯科、皮膚科、泌尿器科と、ありとあらゆる病院が建ち並んでいるのだ。

旭川駅前にも、大型ホテルと見まがうばかりの総合病院の立派な建物が目立っている。旭川市は北海道の他の市よりも医者が儲かる仕組みにでもなっているのだろうか。

インターネットで調べてみると、やはり旭川四条近辺の国道39号線沿いは「病院銀座」と呼ばれているらしい。

それはどうでもいいとして、路線バスは動物園の直前でようやく、旭山にいたるゆるやかな坂道を登り、ほどなく動物園の正門前に到着する。バスは正門前の駐車場には入らず、左折して路肩の操車場のような広場に入り、ぐるっと方向転換してから停車する。

正門前の駐車場には一般車や観光バスが駐車されており、当然のことながらアスファルトで舗装され、普通の駐車場のように車一台ごとの空間が白線で描かれている。

ところが路線バスの停留所は、驚くべきことに舗装されておらず、白い砂利のまま。しかもバス停は停留所の標識がぽつんと立っているだけで、雨風よけの屋根もなければ、待合用のベンチもない。

人気動物園のバス停がこんなに貧相でいいのかと思ったが、これも路線バスを経営する旭川電気軌道株式会社の良心なのだろうか。

というのも、旭山動物園がこれだけ人気なのだから、普通のバスの内装を、ぬいぐるみを天井からぶら下げたり、園内の写真を車内に貼り付けたりして安上がりに改装し、駅前から動物園までノンストップにする代わりに、通常運賃400円を580円くらいとればちょっとは儲かりそうなものだからだ。

それ以外にも動物園人気に便乗しようと思えば、記念乗車券や、バスにホッキョクグマがまたがったぬいぐるみなど、いくらでもできそうだ。そうやって得た利益で動物園前の停留所を整備して、バス待ちの乗客目当てのみやげ物屋を開けばさらに儲かりそうだ。

旭川駅発着の特急が1時間に2本しかないので、バスは増便しても乗客の実数は増えないだろうが、地元企業も巻き込んで、地域振興のために動物園人気をもう少し活用するのは決して悪いことではないと思うのだが。

動物園とまったく関係ない話に終始してしまった。肝心の動物園の話は後半にゆずる。

| | トラックバック (0)

2007/06/09

住めば都の東京下町

東京都墨田区に引越して数か月になる。最寄の繁華街、錦糸町は、僕にとっては典型的な、あまりぶらぶらするのに気の進まない、雑然としてくすんだ色合いのJR沿線の街だった。

でも、実際に毎週末、通いつめてみると、意外に居心地のいい街だとわかる。

過去、総武線で通過するだけだった錦糸町のイメージは、車窓から見えるロッテの商業ビルのもので、昭和40年代を思わせるその外観から、勝手に錦糸町の街全体をくすんだ色合いに塗りつぶしてしまったのだろう。

ところが、同じJR北口に隣接するアルカキット錦糸町と、少し離れたオリナスという商業施設が、それまでの錦糸町のイメージを大きく裏切ってくれた。アルカキット奥のロッテリアは週末も客が少なく、BGMがなぜかつねにJAZZということもあり、お気に入りの読書の場所になった。この文章もそのロッテリアで書いている。

土曜日の午後、このロッテリアの2階に上がると、OLらしき若い女性2人が、かなり太った中年白人男性から英語のレッスンをうける様子が見られた。

白人男性の教え方は懇切ていねいで分かりやすいのだが、レッスンの内容は初級英会話で、OL2人の質問を横で聞いていると、英文法をまともに勉強したことがないらしいのがよくわかる。

最近、この英語のレッスンの様子が見られなくなって、少しさびしい。

錦糸町のお隣の亀戸駅は、北口の商店街を歩き始めるときりがないが、駅周辺はこじんまりとまとまって、東武亀戸線のワンマン運転の列車で家路につく下町風情は悪くない。

「住めば都」の言葉どおり、墨田区(といっても亀戸駅は江東区だが)は日本橋や丸の内のオフィス街にも近く、通勤も便利、電車は東京西部のような混雑もないし、狭い路地の入り組んだ住宅街は僕の生地、大阪市生野区を思い出させ、そこここで出会う野良猫もかわいらしく、思っていたよりはるかに住み心地がよいのだ。

| | トラックバック (0)

2007/05/29

「株はバクチではない」一部訂正

昨日の記事を掲載した直後に、競馬などは特定の馬券が多く売れると、勝敗の確率は変わらないが、オッズは変わるというご指摘を頂いたので、訂正させて頂きます。

特定の馬券が多く売れるほどオッズが下がるのは、おそらく馬券の購入者に分配する原資の金額が、ある程度の変動幅であらかじめ決まっているからなのだろう。

いずれにせよ、賭けの参加者の行動によって勝敗の確率が変動しないのは、株のような市場での取引との本質的な違いだ。もちろん株取引での「勝ち」をキャピタルゲインを得ることである、と定義した上での話しだが。

さらに、当然のことだが、馬券と株券ではリキディティが違う。買った馬券を転売してキャピタルゲインを得ることはできないが、買った株券は転売しないと儲けを得ることができない。そして売るという行為そのものが、株価に影響を与える。

株式市場は株券を媒介にした、自己言及的な閉じたシステムで、市場内での行動はすべて株の売買という形態でおこなわれ、その売買行為のすべてが株価を通じて、他のすべての売買行為が決定される条件となる。

...とか、まあどうでもよくなってきた。いずれにせよ、賭け事と株取引を、そこで行われている行為どうしの関係という観点から観察したときには、本質的に異なるものであり、「株もバクチみたいなもの」という言表は、そういう観察からは明らかに誤っている、ということだ。

| | トラックバック (0)

2007/05/28

株はバクチではない

「株はバクチみたいなものだ」と言って株式投資に反対する人は、株と賭け事の本質的な違いがわかっていない。かんたんなことで、例えば競馬は、特定の馬券を何十万人が買おうが、その馬券のオッズは変わらない。一方、株は、特定の株券を買う人が増えれば増えるほど、その株券の価格が高騰する。

賭け事は、賭けに参加する人の行動によっても、勝敗の確率は変わらない。参加者が同時に競技者であるような賭け事は別として、パチンコ台の設定、宝くじの当選確率、競走馬やボートの調子は、賭けに参加する人の行動に影響をうけない。

それに対して、株は売る人と買う人の合意で価格が決まる市場取引なので、売買に参加することで儲かるか儲からないかの確率そのものが変わる。というよりむしろ、売買に参加する人がいなければ、株取引そのものが成立しない。

ところで、僕はギャンブル好きの人間を心底軽蔑している。ギャンブル好きは必ず人生において誰かを不幸にするからだ。ギャンブル好きは自分が他人を不幸にする資格があると勘違いしている傲慢な人間であるか、ギャンブル好きであることで誰かを不幸にしていることにさえ気づかない馬鹿であるかのどちらかである。ましてや自分のギャンブル歴を武勇伝のように語る人間は、単なるクズである。

| | トラックバック (0)

2007/05/25

自殺サイトと16歳の高校生について

ひきつづき、エヴァンゲリオンTVシリーズを第八話、アスカ・ラングレー登場まで観終わってテレビをつけると、自殺サイトで知り合った40代の男性と行方不明になっていた16歳の男子高校生が、ご両親の懸命の捜索もむなしく、40代男性とともに遺体で発見されたとの報道。

キャスターは若い命を道づれにした40代の男を憎悪するコメントだったが、果たしてそう言いきれるだろうか。

たとえば、「この40代の男性のおかげで、自殺という望みをかなえることができた男子高校生は、幸運だった」という言表は、倫理にもとると言いきれるだろうか。

先日、かんたんに自分の命に終止符を打てる「壁のスイッチ」があれば、僕は迷わずそれを押す、という記事を書いた。さっそくトラックバックを頂いたが、その方は「日々のささやかな喜びさえあれば、生き続けるのに十分だ」そうだ。

ただ、これは裏を返せば、その方の「生きづらさ」の水準が、ささやかな喜びさえあれば十分相殺される程度のものでしかないだけのことだ。つまり、この方は十分に幸福なのである。

もっと生きたいのに、不運にして不治の病で夭逝された方々は、確かに不運だが、決して不幸とは言えないだろう。なぜなら、もっと生きたいという希望を持つことができていたからだ。

こういうことを書くのは、倫理にもとると言いきれるだろうか。

不運にして不治の病に苦しむ方々が、この16歳の男子高校生に対して、「自分で殺す命があるなら、私に下さい」と言ったとしても、その言表は残念だけれども完全に無意味だ。理由は単純で、命のうけわたしなどできないからだ。

ある命が絶望して自らの命を絶つという事実と、別の命が希望にあふれているのに自らの意に反して失われてしまうという事実は、おたがいに独立した事実で、どちらからどう働きかけても、どちらも救われない。

希望にあふれながら不治の病に犯された人が、絶望している人に対して、「生きろ」というのも完全に無意味だ。この二人が別の人間であるのは、まさに異なる環境におかれているからで、だからこそ、一方は希望にあふれ、他方は絶望するのだ。

その「違い」を無視して「どちらも同じ命だ」と考えることは、この二人が別個の独立した人格であることを否定することになる。非人格的な命といった、抽象的なものを優先させ、一つひとつの人格を無視することが、はたして倫理的と言えるだろうか。

件の40代の男性は、自らの自殺の意思と同時に、16歳の高校生の自殺の意思も尊重し、行動にうつしたわけだが、このことははたして非倫理的なのだろうか。自殺を望むことは、非倫理的なのだろうか。自殺というのは、どうして端的に悪だと言えるのだろうか。

自殺を悪だと言うためには、どうしても一つひとつの人格を超越した「生命全体」のようなものの意思を持ち出さざるをえないのではないか。よく言われる「人は生きているのではなく、生かされているのだ」という言葉も、生命が個々人の人格を超越した何物かであることを、言外にふくんでいる。

しかし、自分の命が、そういった何か超越的な存在の所有物であって、自分の所有物でないという考え方こそ、非倫理的ではないのか。「この命、お国のために捧げます」という考え方と同形ではないか。

であれば、ある人たちにとって、自殺が、個として生きるための最後の手段として残されていることは、正しいことではないのか。

「自殺もひとつの生き方である」と、なぜ言ってはいけないのか。人間は遅かれ早かれ、みな死ぬ。したがって、すべての生き方は死に方でもある。その人がどのように生きたかは、その人がどのように死んだかということだ。

「どのように生きたか」のうちの一つの可能性、一つの選択肢として、自殺があってはなぜいけないのか。なぜ端的に自殺という生き方を悪だと言いきれるのか。

残された者たちがみな悲しむのは、死因が病死であれ、事故死であれ、自殺であれ、どんな場合でも仕方ないこととして、この16歳の高校生と40代の男性は、自殺という最後の希望を実現できて幸福だったと、どうして言ってはいけないのだろうか。

残されたご両親はたしかに無念かもしれないが、息子の最後の望みをかなえ、自らも自殺した40代の男性を憎むことが、はたして正しいことなのだろうか。

| | トラックバック (0)

2007/05/05

「熱狂の日」のバカ親たち

三年目にして初めて「熱狂の日」(La Folle Journée)に行ってきた。90人編成のオーケストラのムソルグスキー『展覧会の絵』がたった1,500円で聴けるのだから、朝一番9:45開演でも行かないわけにはいかない。

しかし、5,000人のホールで「0才からのコンサート」なので、お子様の泣き声がうるさく、音量の小さな部分は聴くに耐えなかった。

こんなことを書くと、「0才からのコンサートなのだから、子供の泣き声に文句をつける方が筋違いだろ」と非難を受けそうだが、決してそんなことはない。これは「熱狂の日」のWebサイトにも表記されていないのだが、演奏が始まる前、司会者が聴衆に向かって「3つだけ約束してください」という話をするのだ。

一つは、親御さんに向けての注意で、「どうしてもお子さんが泣きやまない場合は会場の外に出てください」というもの。もう一つは言葉のわかる子供に向けての注意で、「お父さんやお母さんとお話ししたくなっても、演奏が終わるまで待ってください」というもの。三つめは、「演奏中は場内を歩き回らないで下さい」というものだ。

この3つの約束がまもれない親は(乳幼児に罪はなく、もっぱら親の責任と考えるべきだろう)、たとえ「0才からのコンサート」といえども、本来は中座すべきなのだ。

しかし、はじめから約束など守る気のない大人は腐るほどいる。1,500円のクラシック・コンサートに珍しがって来る大人のうちの数パーセントの人々のレベルなど、その程度のものでしかない。

いちばんひどかったのは、全席指定席であるにもかかわらず、二階席の後方がすいているからといって、そこを勝手に自由席あつかいして、泣きやまない子供の避難場所にする親だ。

僕は当日券を買ったので、二階席の中ほどに座らざるをえなかった。すると演奏が佳境に入ったころ、そういうバカ親の一人が、泣きわめく子供を抱いて通路の階段を上ってきたり、子供を走りまわらせて遊ばせたりし始めるのだ。

それでも二曲目のラベルの『ラ・ヴァルス』は面白かったし、これに懲りて乳幼児のいないプログラムにも入場したが、こちらのバルトークのピアノ協奏曲第3番と、弦楽のためのディベルティメントは素晴らしかった。

くり返すが、乳幼児が突然泣き出すのは当然だし、子供たちに罪はない。問題は演奏前の約束を守れない親であり、指定席を勝手に自由席あつかいするような、約束以前の社会的不適合を示す親である。

こういう大人たちは、他人の沈黙によって保たれている会場の静寂にタダ乗りするフリーライダーなのだ。外見は大人だが、0才なのはこういった一部の親の方である。

| | トラックバック (0)

2007/04/28

壁のスイッチに関する合理的な判断

明日、何かうれしいことが起こるとして、それが今までの人生でいちばんうれしかったことよりもうれしい確率をHとしよう。明日、何かイヤなことが起こるとして、それが今までの人生でいちばんイヤだったことよりもイヤな確率をSとしよう(ちなみにSはShit!の頭文字)。

四捨五入すると40歳であるこの年齢を前提とした場合、H<Sとなることはほぼ議論の余地がない。僕がまだ十代であれば、H>Sだと自信をもって言うこともできただろうが、四捨五入して40歳という年齢は、自分が死ぬまでにどれくらいのことしか出来そうにないか、ほぼ予想がつく年齢である。

例えば僕は今からプロのピアニストになることはできない。フランス現代思想の研究者として准教授の座につくこともできない。そうなる前にホームレスになるのがオチだ。

H<Sとなることがほぼ議論の余地がないのであれば、いったい明日という日は何のために存在するのだろうか。前にも書いたかもしれないが、もし自分の部屋の壁にスイッチがあって、それを切ると何の苦痛もなく自分の人生が終わるのだとすれば、僕は迷わずそのスイッチを切るだろう。残念なことに世の中にそんな便利なスイッチは存在しないが。

このように書くと、頭がからっぽな人は、すぐに僕のことを慢性のうつ病あつかいしたくなるだろうが、残念ながら僕は絶望しているわけでもないし、何事にもやる気が出ないわけでもない。毎日をそこそこゆかいに暮らしている。

にもかかわらず、そういうスイッチがあれば迷わず切るのだ。H<Sとなることに議論の余地がないのだから、そういうスイッチがあれば切る、というのは極めて合理的な行動だ。つまり、僕は単に合理的なだけであって、うつ病でもないし、絶望しているわけでもないのである。

このような僕の考え方を、おかしいと思う人たちは、あまりに能天気すぎて、人間だけに与えられた知性を自ら放棄した人たちである。

| | トラックバック (1)

2007/04/15

QBハウスにブロンドの美女

今日、QBハウス(1,000円理容のチェーン店)に行ったら、背の高い、正直なところあまり冴えない日本人の中年男性と、ブロンドの白人女性のカップルが順番待ちをしていた。白人女性はカジュアルなファッションをしていたが、痩せ型の美人で、もの珍しそうに入口にある券売機や、理髪中の他の客をちらちら見ながら相手の男性と話していた。

白人女性の番が来て席にすわると、相手の男性がスタッフに後ろ髪だけを切りそろえるように言い、男性は男性で自分も髪を切ってもらっていた。

髪を切り終わると、白人女性は満足した様子でスタッフに片言の日本語でお礼を言い、ほぼ同時に髪を切り終えた男性とともに店を出て行った。

駅ビルの中にあったそのQBハウスの店舗は、例えば神保町にある店舗と違って、できたばかりのせいかとても明るく清潔な感じで、仮にこの白人女性が米国人だとすれば、簡単なカットとはいえ、東京都内でたった1,000円で済んだことに驚いたのではないか。

おそらく相手の男性が連れてきたのだと思うが、あの白人女性は実は留学生か何かで、ふつうの美容院に行くお金がなかったのか、お金はあるけれども男性の誘いで、ちょうど後ろ髪を少しだけ切りたいところだったし、興味本位でQBハウスに来てみたのか、いったいどちらだったのだろうか。

1,000円美容院でアジア系やヒスパニック系の外国人は見たことがあるが、明らかにアングロサクソン系の白人で、しかも女性は見たことがなかったので、どうでもいいことだがここで報告してみた。

| | トラックバック (0)

2007/04/09

錦糸町生活

最近引っ越したため、週末、通勤定期をつかって電車賃を使わずに通える繁華街が新越谷から錦糸町に変わった。新越谷のような郊外の繁華街に比べると、錦糸町はたしかに土地柄が悪い。しかし大阪でいえば天王寺に似た香りがして、すこしだけ懐かしくもある。

僕にとって週末の繁華街でもっとも居心地のいい場所は、2階以上のフロアがあるファーストフード店の、2階より上の閑散としたフロアのソファ席だ。家族連れの多い店舗はうるさくて集中できないのでダメ。駅から少し離れた、お客の少なめの店舗がいちばんいい。

ソファ席に腰かけて、昼食にハンバーガーセットのハンバーガーを食べた後、フレンチフライとソフトドリンクを、少しずつ飲み食いしながら、日経新聞や哲学書を読んだり、ノートPCで「愛と苦悩の日記」の記事を書いたりして、一人で二時間近くねばる。これが僕にとって週末の至福の時である。

錦糸町にもこの条件にぴったりと当てはまるファーストフードの店舗を見つけた。

錦糸町の北側には、この春開店一周年を迎えた「オリナス」というショッピングモールがあるのだが、ディズニーショップがあるせいで家族連れが多く、ここの3階のフードコートは子供の泣き声が騒々しく読書に集中できない。オリナスは吹き抜けの空間が心地よくて良いのだが、子供連れが多いのは頂けない。

アルカキットは大型書店や、広大な100円均一ショップがあって、意外に使える。オリナスにしてもアルカキットにしても、錦糸町の北口方面は、比較的新しいビルが多いので快適なのだが、南口方面はリヴィンにしても丸井にしても年季の入ったビルで、ややげんなりする雰囲気だ。

読者の中で錦糸町の穴場をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただきたい。僕が「穴場」という場合は、当然、食事のおいしい店でもなく、お酒のおいしい店でもなく、パチンコ屋でも場外馬券上でもなく、子供連れが少なく静かに本が読めて、数時間ねばっても千円以上かからない、清潔な店のことだ。

| | トラックバック (0)

2007/04/02

タミフル服用せず異常行動

やはりタミフルを服用しないのに、異常行動で死亡する事故の実例が出てきた。毎日新聞によれば、2007/03/27夜、京都市伏見区で、小学校6年生の男児が、インフルエンザにかかっていて、タミフルを服用していないのに、マンションから「転落死」したようだ。

各種メディアはいまだに厚生労働省たたきに熱心で、厚生労働省が従来の見解を改めたことに「それみたことか」という風情だが、本当ならタミフルと異常行動の間の因果関係の有無がはっきりするまで、誰にも厚生労働省をたたく権利はないはずなのだが。

感情的な日本人たち...。

| | トラックバック (0)