生活

2009/11/11

誰かの救いを、安易にあてにしてはいけない

やっぱりmixiは、いかにも日本人的な足の引っ張り合いコミュニティーで、大して面白くないということが分かってきた。

「柴田淳」コミュニティーは、ニューアルバムのトピックスがあまりに荒唐無稽なので、退会した。

「私はこの曲が好き」「あの曲が好き」レベルの書込みが続くなら、まったく問題ない。

ところが、ある人(アマチュアバンドで自宅レコーディング経験者)が編曲やミキシング、プロデュースについて意見を書きこんだところ、それに対する反応が小学生レベルなのだ。

そんなことはプロに任せとけ、知ったかぶりをするな、音楽は心で聴くもんだ、などなど...。実に下らない。

最終的には、編曲などについての書込みをした人が、事態を収拾しようと、謝る必要もないのに謝罪の書込みをするまでに追い込まれた。

柴田淳のファンである以前に、人にはいろんな意見がある、という、当り前のことさえ許せない人たちだから、話にならない。

これが日本の初等教育における、悪平等主義教育の結果だ。しかも大人になっても、彼らには自分の思考様式に問題があるという自覚さえない。

ただ、mixiは日本社会の鏡でしかない。

僕が毎日過ごしているサラリーマン社会も、基本は同じようなレベルの人たちで構成されている。

そう考えると、mixiのコミュニティーは「退会」できるだけまだ良い。サラリーマン社会は「退会」するわけにはいかないので、なかなか厳しい。

まあ、その結果、3種類の薬を飲み続けないと普通の生活ができないようなことになっているのだが...。

SSRIの副作用が解消するだけでも、2か月かかったのだから、3種類の薬をすべてやめて、かつ、普通の生活をするには、たぶん最低3か月は休職し、ストレスのない環境で休養する必要がある。

今日も有休をとったが、午前中、気づいたら3時間半、熟睡していた。いつもどおり7時間半眠った上で、まだ3時間半眠れるのだ。基本的にそれくらい疲れているのだ。

だが、会社は休職は最大1か月と明言している。それ以上の休職はクビだ。なので、病気を治さず、薬で仕事を続けるしかない。

ところが会社は、僕の病気を治すためには、どんな協力でもすると言う。会社のメッセージは完全に矛盾している。この病気について基本的な理解が全くない。

まあ世の中そんなもんだ。誰かが助けてくれるなどと、安易に期待してはいけない。

以上、単なる愚痴になってしまったので、そのうち削除するかも。

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2009/11/09

メイラックス、完全に代謝されるまで21日間かぁ...

先日処方された「超長期」型の安定剤メイラックス1mgについて、ネットでたまたま血中濃度の減衰グラフをみつけた。

半減期は5日間だが、完全に代謝されるまで平均21日かかるようだ。

つまり毎日服用すると、21日間にわたって、最初は急激に、そして、だんだんゆるやかに血中濃度の最高値に達し、その後は一定になる。

今日は服用を始めて4日目。すでに血中濃度は、最高値の半分に達しており、しかも「加速度」がかなりついている。

道理で、強烈に眠いわけだ。

これから毎日、どんどん血中濃度が上がっていくので、この眠気との戦いはしばらく続きそう。僕はふつうの人より、眠気の副作用が強く出る体質なのではないだろうか?

こういう変化を、客観的に観察するのはそこそこ面白いが、面倒といえば面倒だ。

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2009/11/08

出ました、mixi八分!

出ました、mixi八分。

今さらながらmixiに加入させて頂いて、好きなアーティストのコミュニティーに参加している。

某アーティストの新譜について、ある人(プロフィールによれば自宅録音でアルバム制作経験のあるアマチュアバンド経験者)が、ちょっとセミプロな感じの書込みをした。

ちょうど僕が、ここで柴田淳の『ゴーストライター』や鬼束ちひろの『DOROTHY』について書いているのと同じような感じの、理屈っぽいレビューだ。

すると、その人に対して、自称「本当のファン」がかみつく。

そんなことは本人やスタッフ、そして本当のファンがいちばん分かっていることだ、という感じで。

要するに、自分が本当のファンであり、いちばんそのアーティストを理解しているんだから、分かったようなことを書くな、という主旨だ。

それに対し、そうだそうだ!という賛同の書込み。そして、音楽は屁理屈ではなく、心で聞くものだ、という書込み。さらにそれに賛同する書込み...。

ううん!素晴らしい!(もちろん皮肉)

日本人はこうやって、お互いの足を引っ張って、レベルを落とし合わないと、コミュニティーを形成することができないのだ。

ちょうど、どこかの小学校の運動会で、いちばん足の遅い子供に合わせて、全員が横一列でゴールする、みたいな。

僕は最初の書込みをした人に、もう少しつっこんだ話を聞く書込みをしたかったが、どうせ「炎上」あつかいされるので、止めておいた。

まあ、鬼束ちひろのコミュニティーは、僕のように理屈っぽい人や、メンヘル系の人や、ひねくれた人が多いので、大丈夫だろう。

...と書くと、上記のコミュニティーのアーティストが誰だが分かっちゃうけれど。

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2009/11/05

鬼束ちひろ『DOROTHY』宣伝用B2ポスターGET!

Yahoo!オークションで、非売品の鬼束ちひろ『DOROTHY』宣伝用B2サイズポスターをゲット!

Dorothyposter20091105

【歌うペンギン】くんも、ご満悦の様子...。

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2009/10/29

明日2009/10/30は鬼束ちひろ29歳の誕生日

ルボックス(SSRI)を夕食後まとめて飲むようになってから、2週間以上かかって、やっと昼間の眠気がなくなってきた。

その代わりに、昼間に予期不安が起こることが少し多くなり、昼間のソラナックスが少し増えた。

また、コーヒーなどのカフェインが、また効くようになってきた。

それでも発症前に比べると、一日中、水深5メートルあたりをゆっくり泳ぐエイのようにLowな気分だ。

抗うつ剤(SSRI)と、抗不安剤(ソラナックス)と、カフェインを組み合わせても、まだ、このどんよりとした気分。

頭脳は明晰にはたらくので助かっているが、こうどんよりした気分が、もう2か月以上も続くと、うんざりしてくる。そういう「負のスパイラル」的な感じ。

今日、会社の帰り、近所の紀伊國屋書店で、今月号の雑誌『papyrus』の中島美嘉のインタビュー記事を立ち読みしていた。

すると、背後のCD/DVD売り場から、どこかで聴いた太鼓の音。

アイルランドのボーランという太鼓だけのシンプルな伴奏にのせて、声が歌う。

A big white whale in my quiet dream...
(私の静かな夢の中の大きな白い鯨...)

鬼束ちひろのニューアルバム『DOROTHY』の1曲目だ!

思わずCD売り場に入ると、レジにいちばん近い棚の、いちばん上に、店員さんの手書きのPOPつきで『DOROTHY』が。

やがて『陽炎』のイントロが流れてきた。

結局、立ち読みしながら4曲目『ストーリーテラー』まで聴き入ってしまった。

中島美嘉さん、『papyrus』買わなくてごめんなさい。

明日、2009/10/30は、鬼束ちひろ、29歳の誕生日。おめでとう。

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2009/10/25

悲しいことに、もう週末も終わり

悲しいことに、もう週末も終わり。

大阪のビッグエコーは客のガラが悪くてイヤなのだが、今日、千日前アムザ店で禁煙室を希望したら、入口すぐ横の部屋になった。

自宅から持参した安物のオーディオテクニカのダイナミックマイクを、Premier DAM前面のマイク入力1に差し込んだら、ちゃんと歌えました。

大阪の北新地の下品な酔っ払いサラリーマンどもが、マイクをボロボロにしてしまっている梅田桜橋店に今度行くときは、自分のマイクを持って行くことにする。

で、今日も鬼束ちひろ、柴田淳、中島美嘉を歌っていたら、ドアの窓から男子と女子、交替であからさまにのぞきこまれた。

いつも外から顔を見られないように、部屋の照明を真っ暗にして歌う。それでも、モニタの明るさで顔は見られてしまう。

「けっこう歌うまいな。どんな奴や」と思ってのぞきに来るんだろうね。大阪の下品な客は。「黒ぶちメガネ!」と、ドア越しでも聞こえる声を上げて帰っていった女もいた。

がっかりさせて済まない。放っておいてくれ。

Tod_supper20091025

写真は今日の夕食。

セブンイレブンの、焼いたアジの身をほぐしてご飯にまぶしてある小さな弁当と、納豆と、蒸し鶏が少し入ったサラダ。ゼロカロリーのコカコーラ。そして「歌うペンギン」君。

40歳前の男性の夕食として、十分な栄養がとれているのかわからないが、量が少なすぎるのは間違いない。

でもウエストが76cmを超えたらおしまいだ。10年前と比べると、ウエストが確実に5cnは増えている。

先日の健康診断では...

身長 169.8cm
体重 57.6kg
肥満度 -9.0%
体脂肪率 14.9%
BMI 20.0

...だった。やはり体脂肪率が標準値に入ってしまっている。ダイエットは必要。首から上はただでさえ醜いのだから、首から下まで醜くなったら生きている価値なしだ。

何を書いているんだろうか。

鬼束ちひろがデビューした10年前、自分は何をしていたのかと思い、この「愛と苦悩の日記」を振り返った。

一言でいえば仕事中毒、いや、真面目に自己啓発にはげむ会社員。音楽はアッパー系のプログレ・ハウスやテクノ中心。

こんなにポジティヴでは、確かに柴田淳や鬼束ちひろが入り込む余地なしだ。何より、まだパニック障害になる前だし。

20歳の頃ならまだしも、40歳近くになって「腐敗した世界」にジャストミートするとは、悲惨きわまりない。

20歳の頃の僕にとって、鬼束ちひろの代替物は、高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)だったということか。

で、そこから20年たって、また「ふりだし」に戻ったと。中途半端に年をとるというのは、悲しいことだ。

この日記は、いったい何が書きたかったのだろうか。

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2009/10/21

やはり戦いはつづく...

やっぱりそう簡単にはいかなかった。

昨晩SSRIを飲まず、今日出勤してみたら、頭がスッキリしていい気分。テンションはまだ以前の6割程度だが、そこそこの調子で仕事ができてよかったよかった...

と思ったら、夕食後、爆睡して気づいたら夜10時だ。風呂に入るためにようやく起き上った。

まだこの戦い(?)を終わりにするわけにはいかなそうなので、かえって良かったかも。

そういえば日本で処方が許可されている、残り2種類のSSRIのうちの一つ、僕も以前飲んでいたパキシル関連ニュース。

毎日新聞によれば、パキシルを服用した妊婦から生まれた新生児に、先天異常を含む副作用被害報告が8年間で約30件あったらしい。

妊婦でなくてよかった。

よくわからないオチで申し訳ない。歌の練習します。

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SSRIが抜けて、いったい何がOKなんだ?

あっさりルボックス(SSRI)をやめられそうなので、かえって拍子ぬけな感じ。

いったんは夕食後にまとめて飲むことにしたが、量を減らしてみたら、日中の強烈な眠気もなくなってきたようだ。

飲みはじめの時の全身倦怠感といい、飲みつづけた後の強烈な眠気といい、僕にとってルボックスは、副作用しかなかったんじゃないかってくらい。

ネットで調べる限り、人によっては効果がはっきり出ないほど、マイルドな抗うつ剤だと書いてあるのに。

いずれにせよ、ソラナックスだけの生活に戻って、またカフェインと糖分がアッパー系の「薬」として効くようになったらOK。

・・・・・・

いや。いったい何がOKなんだ?

同年代の大人たちと、まともな雑談もできない、精神的に未熟で、コミュニケーション能力に致命的欠陥があるといっていい人間が、永遠に適応できないサラリーマン社会で、日々、一般人が決して感じない種類のストレスをためこみ続け、下手をすれば無駄に高い学歴のせいで、管理職の重責を十字架のように背負わされて、半ば溺れるようにして、辛うじて生き延びていく。

そのことの、いったい何がOKなんだ?

ピリオドは、打つか、打たれるか、どちらかしかない。

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2009/10/19

リクエストを頂いている皆さま、しばしお待ちを

もう日曜の深夜。明日からまた仕事の5日間が始まる。

...ということを、特に意識してもないのに、自動的に体調が悪くなる。

カフェインをとったわけでもなく、逆に、安定剤のソラナックスを飲んだばかりなのに、ヘンな動悸がする。息が苦しくなる。意味もなく、換気扇をつけた。

YouTubeや、DAM★とも(=第一興商のSNSサービス)や、ミクシィで、【歌うペンギン】ことわたくしに、たくさんリクエスト曲を頂いているのですが、お応えする時間がなくて済みません。

鬼束ちひろ『蛍』『螺旋』『嵐ヶ丘』、柴田淳『人魚の声』、小柳ゆき『あなたのキスを数えましょう』、中西保志『最後の雨』などなど、どれも良い曲ばかり。

早く覚えたいけど、覚えるからには、オリジナルの譜割りやニュアンスを尊重したいので、時間がかかるのです。

ようやく歌えるようになってきた柴田淳『Love Letter』や鬼束ちひろ『蛍』も、もう何十回聴いたか。

でも、オリジナルのしばじゅん(=柴田淳)や、ちーちゃん(=鬼束ちひろ)の歌唱に、自分の声をかさねて歌いながら、メロディーの一つ一つの音程と、譜割りを覚えていく作業は、至福の時間。

残念ながら、そろそろそんな時間もおしまい。

ちーちゃんの声を聴きながら眠り、そして目覚めたら、「圧迫的に」「稼がなきゃならない」5日間の「悲劇の幕開け」だ(鬼束ちひろ『育つ雑草』の歌詞より引用)。

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2009/10/16

ブーツインだ、ブーツイン!

Bootsin200910s_2
今日も夕食後、SSRIの副作用で2時間爆睡した。

どうしても、お気に入りのユニクロのグレーのスキニージーンズを「ブーツイン」したかったので、nissenの大きいサイズ専門女性向け通販サイトで、シンプルなデザインの、3WAYのブラックのスウェード・ロングブーツを買ってしまった。幅も履き口のサイズもぴったり。

完全に自己満足の世界だけど、堅いヒール(ったって2cm)をコツコツ響かせて街歩きするのは気持ちいいんだよ。

放っておいてくれ。

でも、ロングの状態にして履く勇気はない...。

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2009/10/15

はじめに

筆者のYouTube はこちら http://www.youtube.com/think0rdie/
筆者のmixi はこちら http://mixi.jp/show_friend.pl?id=24828696
このブログを最初から読みたい方は1997/12の記事からどうぞ!

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2009/10/14

ルボックス(SSRI)の意外な「副作用」

今日も夜7時~9時のゴールデンタイムに爆睡してしまった。

ルボックス(SSRI)の服用を始めて以来、副作用による昼間の眠気が強すぎて仕事にならないので、医者と相談して、毎食後ではなく、夕食後にまとめて25mg×3錠(ガスモチン併用)に変更した。

若干、昼間、会社での眠気が軽減された感じ。

実は先日参加した「全日本カラオケグランプリ」会場でも、オリエンテーションでメルパルクホールの狭い客席に、詰めて座らされたときに、久々の「全身脱力系」パニック発作が出た。

冷や汗をかきつつ何とかやり過ごしたが、そこから自分の番まで、異様な緊張感による心拍数の上昇を抑えるのに、ほぼ2時間半おきにソラナックス0.4mgを1錠。

ソラナックスは5時間で血中濃度半減らしいので、明らかにオーバードース気味。しかも副作用でお手洗い(小)が近くなり、ほぼ15分おきにトイレへ。

2002年頃のちーちゃん(=鬼束ちひろ)がコンサート前に2時間、楽屋に一人きりで缶詰になる気持ちが、ちょっと理解できたような気がした。

それでも、血糖値は冷静に計算できた。

昼食はいつもどおり、コンビニのおにぎり3個。そして本番1時間前にリンゴの100%ジュース。

おかげで、ソラナックスとの相乗作用で、舞台に上がるころには、ちょうど良いテンションに。

「カラオケグランプリ」は特別なケースだが、ふつうに出勤する日も、自分のテンションを薬と糖分で機械のように制御する日々。

ただ、ルボックスを飲み始めて、不思議なことが一つ。

ネットで調べると、ルボックスはカフェインの代謝を約5倍遅らせ、不眠になる人もいるという。

でも、健康を害するほどではなく、医師用のルボックスの取扱説明書には、カフェインについて書かれていないらしい。僕の主治医もカフェインは問題ないと言っていた。

ところが、僕の場合、ソラナックスにルボックスを併用し始めてから、コーヒーの覚醒効果がほぼなくなってしまったのだ。

ソラナックスだけのときは、「ソラナックスの後の甘めの缶コーヒー」でかなりハイになれた。でも今は、缶コーヒーを一気飲みしても、まったく効果がない。ただ、休日に缶コーヒーを飲むと、強烈に効く。

なので、カラオケボックスで録音するとき、事前にコーヒーは飲まない。心拍数が上がり過ぎて、声が安定しなくなるからだ。

職場などストレス要因がある場合に限って、僕の体がカフェインの覚醒作用を自動的に抑制してくれているのだろうか。

何だか自分の体が、生命体というよりは、調子っぱずれの機械のようで...。

ちなみに、自分で言うのも何だが、頭脳は常にきわめて明晰だ。ただ体がストレスに勝手に反応して、ときどき思うように動かなくなるだけ。

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2009/10/13

25年ぶりに、ファンクラブなるものに加入

実は最近、25年ぶりにファンクラブなるものに入った。

「蠍一座龍世柴田組」という純日本風の名前。

蠍(さそり)座で、辰年生まれの柴田淳が、デビュー9年目にして初めて作ったファンクラブに、勢いで(?)入ってしまった。

ファンクラブ加入者は「組員」と呼ばれ、柴田淳は「組長」と呼ばれる。

「組員」しかアクセスできないウェブサイトがあり、今後「組長」はそちらのブログを中心に更新するそうだ。

で、僕は中島美嘉の携帯公式サイトの会員にもなっている(こっちは無料)。

柴田淳のブログの更新頻度は高い。さすがブログの歌姫と呼ばれたことがあるだけのことはある。

でも中島美嘉の携帯公式サイトのブログの更新頻度の低さといったら...。

毎週、月曜日に更新されるQ&Aコーナーの中身の薄さといったら...。

まあファンの年齢層が全然違うし、明らかに柴田淳より中島美嘉の方が超多忙なので、ご愛敬ってことで。

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2009/10/09

自分を疑う能力の欠如した勝間和代という人物

勝間和代って、どうしてあんなに常に自信たっぷりで、自分が無謬であるかのような発言をし続けることができるのだろうか。

プライベートの生活での苦労は理解できるけれど、同じような境遇でも、人生の成功者と失敗者が別れるのは、必ずしも本人の努力だけではなく、偶然性に左右される部分も大きいはず。

それを、あたかも全て自分の努力、自分の戦略、自分の改心の成果であるかのような、ものすごく素朴な主体主義、自由主義的言説を、マスコミで臆面もなくふりまいて、聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。

おそらく彼女自身、30年後に自分の発言を振り返れば、その浅はかさに愕然とするだろう。

体調が悪くて休暇をとった日、『徹子の部屋』に出演していた勝間和代をたまたま見かけた。

恐ろしかったのは、語っている内容は、過去の自分の過ちを反省し、生まれ変わった自分自身がいかに幸福な人生を送っているか、ということなのに、本人の顔はこわばったままで、まったく笑わないのだ。

マシンガンのように、まったく余裕もなく、話の「間」というものもなく、能面のように無表情のまま自分のサクセス・ストーリーをしゃべりう続ける勝間和代の姿には、気味悪ささえ感じた。

デカルト曰く、哲学はまず疑うことから始まる。

フッサール曰く、考えるということは、いったん全てを括弧に入れることから始まる。

おそらく勝間和代は、現時点の自分の思想から、いったん距離をおいて考え直してみる、疑ってみる、括弧に入れてみるという能力が、完全に欠如している。

そういう意味では、勝間和代と大殺界で有名な某女性占い師の思考方式に、本質的な差異はない。

自分自身を疑うことを知らないという意味で。

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2009/10/05

「think or die」の由来と、鬼束ちひろ『育つ雑草』の歌詞

この「愛と苦悩の日記」の元になった親サイト「think or die」は、某大手電機メーカーの名古屋工場勤務で、名古屋に住んでいたとき、たまたま矢場町で見つけた、Dreams Come Trueの1997年発売のアルバム『SING OR DIE』の広告と、高校時代に勉強を始めたフッサール現象学のもとになった、デカルトの有名な「考えるゆえにわれあり(cogito ergo sum)」という言葉を組み合わせて、筆者が勝手に作った。

cogito ergo sumは、自分の存在を証明する唯一の根拠は、自分がいったい存在するのかどうか考えているという事実認識を否定できないことだ、という、だいたいそんな意味だ。

それを裏返せば、自分が考えているという事実がなくなれば、自分は単純に存在しなくなるというわけではなく、存在するか否かという問いそのものが存在しなくなる。

実際、自分自身の死というのはそんなもので、人間は自分が死んだという事実を認識することはできない。自分が死んだという事実を認識するには、生きていなければいけないからだ。

なので、考えるという行為の事実と、死という事実は、主観的には論理階層が異なっていて、第三者の目から見たときにしか、排他的にならない。だから「think or die」の「or」は、本当はおかしい。

...てなことは、どうでもよくて、今日書きたかったのは、最近はどうも「think or die」ではなくて、本当に「sing or die」になって来ちゃってる、ということだ。

歌がなければ生きていけないというか、僕の歌の上手さなんて、プロの歌手と比べれば「屁」みたいなレベルだ。

年齢的にも、これから劇的に歌が上手くなるなんてことはありえない。ただ自分の慰みに歌っているだけなので、逆に、声帯をささえる筋肉は衰える一方だろう。

歌を単なる趣味にできるというのは、プロの歌手ではなく、単なる「歌好き」の特権だ。

例えば、鬼束ちひろの『育つ雑草』の歌詞なんかを読んでいると、あらゆる意味で歌しかない、プロの歌手が置かれている立場の残酷さを感じさせられる。

柴田淳も最近のブログか日記で、同じようなことを書いていた。プロの歌手は歌えなくなったらそこでおしまいだと。

プロの歌手にとって「sing or die」は、直接、生活がかかっていることを意味する。

「悲劇の幕開け
花のようには暮らせない
食べていくのには
稼がなきゃならない 圧迫的に」
(鬼束ちひろ『育つ雑草』より)

歌手って、好きなことを仕事にできてうらやましいですねぇ、などといった生易しい境遇では決してないということだ。

では、会社員、というか、好きな事を仕事にできなかった人たち一般って何だろう。

イヤなことを仕事にして稼ぎながら、余ったわずかな時間で好きなことをして生きていくということだ。

そして、生きることに理由を求めるなら、その余ったわずかな時間でしかできない「好きなこと」でしかありえない。

「生きる理由」の物質的な基盤を維持するために、「生きる理由」に割り当てる時間を仕事で食いつぶす。

これって、冷静に考えると、全くバカげている。

「生きる理由」のための労力や時間を削らなければ、「生きる理由」を存続できず、「生きる理由」のための労力や時間を削れば削るほど、「生きる理由」を実行するための余裕が生まれるという、完全な矛盾があるからだ。

僕はいったい何を書きたいのだろう。よく分からなくなってきた。

というより、明日も仕事なので、そろそろこの楽しい作業をやめる必要がある。

「食べていくのには/稼がなきゃならない」し、そのためには、「圧迫的に」楽しい時間を削らなければいけない。

全くバカげている。

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2009/09/17

太宰治『眉山(びざん)』

今日はサービスで2連続。

いきなり尾籠な話で申し訳ないが、ソラナックスの後にコーヒーを飲むとお手洗いが近くなる。

そんなとき必ず思い出す太宰治の短編小説がある。最初に読んだのは20年以上前だが、いまだに記憶に残っている。

ネットで題名を調べてみたら『眉山(びざん)』だった。
下記の「青空文庫」から読めるので、ぜひご一読を。
涙が出そうになる。佳作だと思う。

『眉山』太宰治

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何も書くことがない

夕食後2時間ほど眠ったら、やっとブログを更新する元気が出てきた。

と言っても、特に書くことはない。

もうすぐ柴田淳の新譜が出る。
もうすぐ中島美嘉の新曲が出る。

もうすぐ鬼束ちひろの新譜『DOROTHY』が出る。
ジャケット写真から推測するに、たぶんジュディー・ガーランドの演じたDorothyのことだと思う。

今週は、一日も休まず出勤。幸い、めまいは完治。

ルボックス、ソラナックスに、さらにカフェインを摂って、普通に仕事できている。

Cokeandme20090917

同じカフェインを摂るなら、ということで、普段は飲まないコカコーラを最近よく飲む。鬼束ちひろがコカコーラ大好きらしいので。

昔はレコーディングのときも飲んでいたというから、よくゲップを出さずに歌えるなぁと思った。でもさすがに今はやってないんだろうな。

彼女とは、オーバードースで「そっちの旅行」へ行きかけたという共通点がある。彼女には迷惑だろうが、多少の親近感あり。

そのことが書いてある『BARFOUT!』2007年11月号が手に入らないかと思ったら、Amazon.co.jpで中古商品が10,000円(!)。

ただし、インタビューの内容はこちらのブログでだいたいわかる。

本人曰く「胃の洗浄もされずに」とのことだが、そう、オーバードースなどやっても「効かねえじゃん」なのだ。以前にも書いたが、人間の身体というのは、思った以上に頑丈にできている。

がんばって鬼束ちひろのシングル全曲カバー計画やろう。
それくらいしか生き甲斐がない。

でも、出来ればロックは省略したいなぁ。
『X』とか、明らかに無理だ。

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2009/09/13

阪急三番街alan無料ライブと鬼束ちひろ『私とワルツを』

「愛と苦悩の日記」の更新がとどこおっているのは、本人が死亡したからではありません(笑)。

今日も午前中は、全く動く気力なし。

日曜日なのに朝7時前に目覚める。

FMラジオをつけると、先日の衆院選で大量の候補者を立てた某宗教団体の番組。病的に明るい内容。

朝食抜きでSSRI、ソラナックス、メリスロン(めまいの治療薬)を飲み、再びこんこんと眠る...。

昼前に体をベッドから引きずり上げ、朝食兼昼食のカレーをかきこむ。

その後、SSRIとソラナックスを、缶コーヒー1本で飲みほし、ふわふわした足取りで外出。

理由は、阪急三番街のalan(と平原綾香)の無料ライブに行くため。

とても仕事など出来るテンションではないけれど、短いライブくらいなら何とか聴きに行ける。

結局、先週は火曜、木曜と2日間、会社をお休み。

頭が冴えて、体が眠っているときがある。
体が眠って、頭が冴えているときがある。
頭も体も、眠っているときがある。
でも、頭も体も冴えているときがない。


平日、帰宅しても「愛と苦悩の日記」を更新する気力なし。

気力が残っていたら、今は鬼束ちひろの歌を覚えたい。

2009/9/2発売の17thシングル『陽炎』を歌って、YouTubeにアップした。
譜割りが比較的おぼえやすかった。

『月光』の他にもこんなに良い曲がたくさんあったんだ。

『私とワルツを』のサビなんて、鳥肌もの。

そろそろソラナックスが効いて眠くなってきた。
最高用量は1日2.4mgだが、何錠飲んだか覚えていない。


優しいものは とても怖いから
泣いてしまう 貴方は優しいから
誰にも傷が付かないようにと
ひとりでなんて踊らないで
どうか私とワルツを

(鬼束ちひろ『私とワルツを』より)

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2009/09/06

向こう数か月は鬼束ちひろ全曲カバー計画

SSRI(ルボックス25mg)を1日3回にした関係で、残りが少なくなったので、追加1か月分の処方をしてもらいに通院。ついでに倍量にして最高用量になっているソラナックスも。

結果、投薬の保険点数だけで906点。つまり9,060円!!もちろん自己負担は3割だけど、過去最高。

おかげで、今日は2時間きっちり、ビッグエコー千日前アムザ店で、柴田淳や中島美嘉になりきって歌えた。確実にSSRIが効いている。

向こう数か月間は「鬼束ちひろ」になるのが目標。

Amazonでレンタル落ちなのに新品同様の『インソムニア』と『This Armor』を仕入れた。

彼女のシングルは2009/09/02発売の『陽炎』まで含めると17枚。全曲カバーできない量じゃない。『眩暈』と『流星群』はもうカバーしたし。

でも彼女の自作曲は歌詞が先らしいので、曲先の柴田淳より譜割りを覚えるのが遥かに難しい。

でも柴田淳と同じく、良い曲が多そうなので、しばらくは生き続けていられそうだ。

歌があれば生きていける。


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2009/09/02

ゴールデンタイムに爆睡の日々

3日連続、夜7時~9時のゴールデンタイムにベッドで爆睡。

帰宅しても、何もやる気なし。

毎晩、寝入る時のヘビロテは鬼束ちひろ。

こんなに良い曲が多いとは知らなかった。

『シャイン』『螺旋』『Infection』『帰り路をなくして』『陽炎』...

TranscendのMP3プレーヤーには、同一フォルダ内の曲を
ファイル名の昇順、または、ランダムに
エンドレスで再生する機能がある。

60分間のおやすみタイマー機能をONにした状態で、
鬼束ちひろを聴きつつ眠る。

そのまま朝が来なくてもいいのだが、
それでも朝はやって来る。

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2009/08/31

「元気ですか!元気があれば何でもできる」byアントニオ猪木

仕事に支障をきたすほどになってきたので、かかりつけの医者に断ったうえで、SSRI(ルボックス25mg)を1日2回から3回に、1日3回のソラナックス0.4mgをほぼ倍量にした。

おかげで、仕事中のテンションは少し上がったのだが、ソラナックスがないと全く元気が出なくなってしまった。

ヘンな時間に眠くなって、今日も帰宅後、夜7時から8時のゴールデンタイムにベッドで爆睡。

完全に依存状態になっているが、この不況下、いまの生活水準を維持するためには、薬漬けになるのもやむを得ない。

週末、カラオケに行って2時間歌い続ける元気もなくなり、一体何のために生活しているんだか、よく分からなくなってくる。

まあ、人生そんなもんだ。

「何のために生きるか」なんて、生活に余裕のある暇人だけが考える問題で、生活に追われる人間は、薬漬けになってでも仕事をしなければならない。そういうこと~。

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2009/08/28

「覚せい剤反対!」は単なるきれいごと

失業率が1953年以来過去最悪となったらしい。

もはや「会社」という場所は、昔のように生活のよりどころではなくなっている。

正規雇用であれ非正規雇用であれ、いったん仕事を失えば二度と同じ生活水準にもどれないということが、普通になってしまった。

おそらく今年度の自殺者も、雇用悪化に比例して増えていることだろう。

たとえば若者に覚せい剤や違法薬物が蔓延していることについて、政府やマスコミはきれいごとしか言わない。

しかし、これらの薬物は、若者たちの絶望の表現だ。まともな仕事があったり、将来に希望があったりする若者が、どうして薬物に手を出す必要があるだろうか?

人間がかんたんに逃げ場のない絶望に追い込まれ、誰も手を差し伸べない、何のセーフティーネットもない。

そういう薄っぺらで、身もフタもない社会を作ったのは、端的にいって1980年代後半以降の自民党の、誤った新自由主義政治のせいだ。

それを改めるのに、今回の衆院選挙では、まず、最低限のこととして、日本で二大政党が交代で政権をつとめる素地をつくることが必要ではないか。

それさえできないなら、以前からここに書いているように、いっそのこと積極的な尊厳死を合法化するくらいのことをやったらどうか。

薬物に体をむしばまれたり、生活苦に追い詰められて首を吊ったり、誰にも知られることなく孤独死するくらいなら、より「人間らしい死に方」を選択できるようにすることも、成熟を通り越した先進国の社会では、遅かれ早かれ、いつかは避けられないと思うのだが。

カート・ヴォネガットJrの「自殺パーラー」は、決しておとぎ話ではないということだ。

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2009/08/22

ビッグエコー新店舗「千日前アムザ店」にがっかり

大阪千日前に開店した第一興商ビッグエコーの新店舗「アムザ店」に行ったのだが、やっぱり大阪は「後進国」だなぁと思った。

土曜日の午後1時半ごろ。まだ混雑し始める前の時間帯なのに、禁煙で、Premier DAMで、DAMステーションのある部屋が空いていなかったのだ。結果、喫煙室に通された。

今回の「アムザ店」開店で、閉鎖になった旧「千日前店」では、もっと混雑する日曜日の午後3時くらいの時間帯でも、こんなことは一度もなかった。明らかに「千日前店」と比べて、禁煙室の数を減らしているのだ。

公共の場所は禁煙または分煙に、という時代の流れに完全に逆らっている。

「ミツヤ」系列のエセ・シアトル風カフェ「CAFE BREAK」チェーンもしかり。やっぱり大阪中心部の公共マナーは、確実に東京都心より悪く、下品だ。

ちなみにアムザ店の平面図は下図の通り。

Bigechoamza20090822s

※なお、この記事を書いた後、ビッグエコーのウェブサイトから第一興商にクレームのメールを入れたら、ていねいな返事が来た。翌週、アムザ店に行ったら、Premier DAMとDAMステーションのある禁煙ルームが増えていた。さすが、第一興商!そのせいか、廊下で灰皿片手にタバコを吸っているチャラ男が一人いた。大阪市民の喫煙マナーを良くするという、パブリックな目的のためにも、BIG ECHO千日前アムザ店は、禁煙ルームを減らさないように!タバコを吸いたい奴は、ジャンカラ(関西ローカルのカラオケチェーン店)にでも行けばいい。

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2009/08/21

日本中がムダな新型インフル対策をやらかしてしまう理由

新型インフルエンザ、本格的な流行とのこと。

テレビのニュースを見ていたら、東京ビッグサイトは大勢の人の集まる展示会での感染を防ぐために、発熱者用の部屋を用意したり、例のサーモグラフィーを用意したりしているらしい。

でも、発熱者がいて、別の部屋に案内したからといって、もしその人が検査の結果陽性であれば、すでに展示会場で感染が広がっていた、という事実が後になって分かるだけのことだ。

サーモグラフィーにいたっては、売店で缶ビールをひっかけて体温が上がった人と、熱中症で体温が上がった人と、ただの風邪で発熱している人と、新型インフルエンザで発熱している人の区別さえつかない、まったく無意味な機器だ。

そんなこと、ちょっと冷静になって考えてみればわかる。

ところが、今年の初め、政府が空港での「水際対策」でサーモグラフィーを使っていた様子を、マスコミがこぞって取り上げ、まるでその「水際対策」に一定の効果があったかのような厚労省の発表を、鵜呑みにして報道した。

そのせいで、すでに本格的な流行が始まったこの時期になってまで、サーモグラフィーを利用しようというバカを増やしてしまった。

東京ビッグサイトの出入口で、サーモグラフィーで例えば38度以上体温のある人間が分かったところで、それがいったい何の対策になるのか?

そういうまったく無意味な対策を、東京ビッグサイトのような大勢の人間が集まる施設の職員にさせてしまうところに、厚労省の感染症対策の根本的なおめでたさが現れている。

最近、基礎疾患があって新型インフルエンザで亡くなった方々の、感染経路も分かっていない。新型インフルエンザは、すでに感染経路が特定できない程度にまで流行しているのだ。

そういう状態で、何万人という人の集まる展示会場で「感染を予防する」という発想自体が、完全にナンセンスだ。

たとえ東京ビッグサイトが、何らかの方法で完全に来場者間の感染を100%防止できたとしても、そこから一歩外に出て、ゆりかもめやりんかい線の混雑した電車に来場者が乗り込めば、それでおしまいだ。

ではなぜ東京ビッグサイトが、完全に無意味な対策をするのか。

それは、何もしなければ、何もしていないというだけで、日本中のおバカさんたちから非難されるからだ。

マスコミの情報を鵜呑みにして、いままでの厚労省の感染症対策は正しいと信じ込んでしまった国民から、「東京ビッグサイトは何も対策をしていないのか!」とクレームをつけられるのを恐れているからだ。

学校も民間企業も同じ。

生徒や社員に、手洗いとうがいの励行をしているが、それでも感染が広がっているから、本格的な流行期に入っているのであって、同じ教室や事務所に、大勢の生徒や教員、社員を入らせている段階で、いくら手洗いやうがいをしたって無意味なのだ。

そんなこと、ちょっと冷静になって考えればわかる。

なのに、完全に無意味な対策をとるのは、やっぱり世間から非難されたくない、それだけの理由なのだ。

まったく無意味だった厚労省の「水際対策」の映像が、マスコミを通じて大々的に報道され、国民の大部分がそれが有効だったと信じ込まされた。

そのせいで、本格的な流行期になった今になっても、日本中で似たような猿芝居が展開されているのである。

本当に流行拡大を抑え込みたいなら、高校野球や展示会は当然、中止勧告すべきだし、夏休み中の登校日などは、もってのほかで、当然、文科省が中止させるべきだ。(どうぜ文科省は、新型インフル対策は厚労省の仕事で、うちらの仕事じゃないと思っているんだろう)

これからも、日本各地で新型インフルの感染を「防止」するための猿芝居が、全面的に展開される。その様子が、マスコミを通じて報道されることになるだろう。

もちろん、あなたの所属する組織でも、ちょっと考えれば、完全に無意味な対策が励行されることになるだろう。

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2009/08/07

WHO統計で単純計算すると、秋冬には日本で26万人が死亡?

もう計算した方もいらっしゃるだろう。

WHO発表の、現時点で新型インフルエンザの全世界の感染者数。

そのうちの死亡者数の割合。

今年の秋~冬に北半球でパンデミックが起こった時の感染率。

それらを単純に掛け合わせると、今年の秋冬、日本で新型インフルエンザで死亡するかもしれない人数は、約26万人になる。

現時点の死亡者数は、医療レベルの低い国がたくさん含まれる。

なので、もっと少なくなる可能性はある。

逆に、現時点の新型インフルエンザは弱毒性だ。

秋冬に強毒性になると、死亡率はもっと高くなる。

なので、死亡者数はもっと多くなる可能性もある。

この2つを勘案して、日本では10万人くらいが死ぬと仮定しよう。

パニックが起こりそうな数字ではあるが、10万人が死んでも、日本全体としては大した経済的損失にならないだろう。

毎年、自殺で亡くなる方は3万人だが、実際にはずっと多いと言われている。10万人という数字がいいところではないか。

だとすると、毎年、自殺で死んでいく人と、だいたい同じ人数が、新型インフルエンザで死ぬ。それだけのことだ。

今のところ政府は、自殺対策に本腰を入れないので、新型インフルエンザで同じくらいの人数が死んだところで、政府にとっては、まあ大したことはない。

自殺志願者は、新型インフルエンザにかかりますようにと、今からお願いしておくといい。

生き延びたい人は、会社の「事業継続計画」にもとづく出勤命令など無視して、自宅に退避するといい。

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2009/07/11

寝不足の原因は大阪が「後進国」だから

なぜこうも寝不足なんだろうと、よく考えたら、暴走族のせいだ。

先々週は何故だか毎日のように、明け方に1号環状を暴走族がサーキット代わりにぐるぐる何度も走り回っていた。

こんな時代錯誤の暴走族、首都圏じゃ、いまどき神奈川か埼玉か茨城の、田舎の方に行かなきゃお目にかかれない。いまだにヤンキー文化、花盛りだ。

毎晩出没するのが分かっているのに、パトカーの出動も遅すぎるし。

他にも、電車の中やカフェなど、公共の場で必要以上に大きな声でしゃべる下品な20代~30代女性の多いこと。

芸人でもないくせに、声を張って面白いことを言うのが、かっこいいとでも思っているのだろうか?

それから、オフィス街を飛ばすママチャリの信号無視がはなはだしい。

一方通行の細い裏道をわたる横断歩道だから、信号無視したくなるのは分かるが、せめて速度を落とすくらいのマナーはないのだろうか?

本当に久しぶりに大阪に帰ってきて、大阪人の下品さ、マナーの悪さに嫌気がさす。

大阪が東京のみならず、神奈川や埼玉に置いてきぼりをくうのも無理はない。市民がこのレベルでは...。

ちなみに僕は大阪出身だが、とても橋本知事のように大阪を愛する気にはなれない。

あっ、今夜も1号環状の方から暴走族の音が...。

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2009/06/15

ベルギーのネット友だちが『にじいろジーン』に出演でびっくり

最近ちょっとおもしろいことがあった。

YouTubeに僕が自分で歌ってアップロードした『涙そうそう』とシャルル・アズナヴールの『ラ・ボエーム』のカバー動画に、あるベルギーの女性がコメントをくれた。

その女性は日本語が上手で、宇多田ヒカルの曲を歌ってYouTubeにアップしていた。その動画を見て、歌もとてもうまいので、僕もコメントを残した。

で、この間の土曜日の朝、フジテレビ系列『にじいろジーン』を見ていたら、ベルギーを紹介するコーナーで、番組キャラクターの「ジーンちゃん」を案内する役に、その女性とそっくりな女性が登場したのだ。

まさかと思ったが、YouTubeのメールで彼女に確認してみたら、何と本当に関西テレビからの依頼で『にじいろジーン』に出演していたのだ!

ちなみにこの女性だ。
http://www.youtube.com/user/KattSa87

いやぁ、偶然というか、世界は狭いというか...。

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2009/06/10

どんどんBIG ECHOへ行って、タダで歌おう

今日、会社の公休日といっても、やっぱり他にやることがないのでBIG ECHOに行って、フリータイムで歌うだけ歌ったけど、貯まっていたポイントでタダになった。

すっごく得した気分。

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全体的にすすけた感じの大阪の街

大阪の人には申し訳ないのだが、たまに東京に出張に行って、JRや東京メトロに乗ると、実感することがある。

「やっぱり、大阪って、なんだか全体的に、薄汚いなぁ」

たとえば、大阪市営地下鉄の駅の表示板や、タイル張りの壁は、すすけたまま放置されているところがほとんどだ。JR西日本の駅の階段の壁、エレベータの手すりも同じ。

中学生のころ、初めて大阪から東京に上京したときは、東京のいたるところが、意外にも薄汚いことに驚いた。バブルが始まる前のころだ。

それはたぶん、テレビを通してしか見たことのない東京が、中学生の僕にとっては、常に輝いて見えたからだろう。

もちろん今の東京にも薄汚い場所はたくさんある。街全体が清潔であることが、無条件に良いわけでもない。

しかし、壁や天井がすすけていて、どんよりと薄暗い大阪市営地下鉄の駅に立っていると、気分まですすけてくる。

20年ぶりに大阪にもどってきて、これが大阪の財政危機の一つの現れなのだなぁと実感する。

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2009/05/25

20年前の僕が語りかけてくる

20年前の僕が、今の僕に語りかけてくる。

「20年生きてどうだった?

何かが変わったと思うかい?

僕は谷山浩子の1stアルバムばかり聴いている。

君は柴田淳ばかり聴いているようだ。

僕は毎日ひとりギターを弾きながら、昔の歌を歌っている。

そのおかげでなんとか生きていけている。

君は平日でもカラオケに行って、最近の歌を歌っている。

そのおかげでなんとか生きていけているようだ。

何も変わってないじゃないか。

20年も生きてきたのに。

それって、君が20年後も、同じように歌を歌うことで生きていけることを意味しているだろうか。

違うんじゃないかな。

僕は学生だから何の責任もない。

部屋に引きこもって、吉祥寺あたりを昼間からぶらぶら歩き回って、1年くらい留年したって、大したことはない。

でも君は部屋に引きこもるわけにはいかないよね。

君の責任はこれからどんどん重くなっていくからさ。

きっとどんどん生きづらくなっていくよ。

それでも歌があれば生きていけるだろうか?」

こんな大事な質問に、そうかんたんに答えるわけにはいかない。

そうかんたんに、答えるわけにはいかないんだ。

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2009/05/20

ニュースの新型インフル感染者数は完全に無意味

毎日のニュースで、新型インフルエンザ感染数が発表されているが、何か意味があるのだろうか。

この感染者数は、「新型インフルエンザじゃないか?と思って遺伝子検査を受けたら、やっぱり感染してました」という人たちの人数だ。

感染者の近くにいた人や、発熱しても無理して出勤せずに、律儀に厚労省の指導どおり保健所などに連絡した人は、検査を受けるだろう。

だが、感染者と無関係な人や、発熱しても無理して仕事するのが美徳と考える大多数の日本人は、そもそも検査など受けない。

だから、感染者の発生地域が、見た目の上で限定されるのは当たり前だ。

実際にはその何十倍、何百倍の人たちが、すでに感染しているはずだ。

なので、毎日のニュースで発表される感染者数は、すでにまったく意味のない数字になっている。

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2009/05/17

新型インフル、在宅勤務に切り換えられる企業はほぼゼロだろうなぁ

新型インフルエンザ患者が、兵庫県と大阪府で次々と判明しているようだ。

これらの患者に海外渡航歴がないことからすると、おそらく他の大都市でも既に感染者がいるが、明らかになっていないだけだろう。

体調不良でも無理して出勤している会社員は、無数にいるだろうから、日本の都市部での新型インフルエンザの爆発的な感染拡大は時間の問題なのではないか。

こういうときに、素早く在宅勤務に切り替えられる体制がととのっている企業は、おそらくほとんどないだろう。

弱毒性である限り、普通のインフルエンザと同じなので、大して心配することはないし、むしろこの際、あえて感染して、自分の中に免疫を作っておいて、将来のパンデミックに備えるのも一つの手かも。

残る心配は、いつ新型インフルエンザが強毒性に変化するかだ。

死に際にあまり苦しみたくはないけれど、ここらあたりで「流行に乗って」死ぬのもいいかも...

...などということは、冗談にも言ってはいけない。

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2009/05/11

なつかしい咳止めシロップ

Drugminibottle20090511
抗生物質ジェニナックが少しずつ効いてきて、濃厚な黄色の鼻水や痰も出なくなり、やっと出社できた。

朝一番で近所の診療所に行き、追加4日分の薬をもらってから出社。

診療所に入ってから出るまで、たったの15分。オフィス街のど真ん中の小さな診療所なので、空いているのも当然。

まだせきが残っているので、せきどめを出してもらったら、これが子供の頃よく処方された、プラスチックの小瓶入り液状せき止め(フスコデシロップ)。

昼食後に飲んだら、甘ったるい中に少しだけ苦い、とてもなつかしい味。

でも、さすがに一日働いたら、夕方、頭が割れるように痛くなって、帰宅後、たまらず休日診療所でもらっていた鎮痛剤を飲んだらスッキリ。

ところで、しばじゅん(柴田淳)は、まだ風邪で寝てるみたいだ。

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2009/05/09

クラビット200mg1日2回から、ジェニナック400mg1日1回へ


柴田淳も「モバゲータウン」の日記を読むと、風邪をぶり返したらしい。僕の風邪も、もう1週間になる。

4日目の2009/05/05夜に、休日診療所で抗生物質クラビット錠100mg(1回2錠、1日2回)を処方してもらったが、3回、合計6錠服用してもまったく効果がなかった。

6日目の2009/05/07昼に、近くの診療所で抗生物質ジェニナック200mg(1回2錠、1日1回)を4日分処方してもらい、今日で3回服用。効いているのかまだ分からない。

もし月曜日の朝になっても、まだ効いてなかったらどうするの?

ちなみにクラビットもジェニナックもニューキノロン系の抗生物質出で、細菌に対してDNA合成を阻害することで作用するらしい。

ニューキノロン系は、天然物由来ではなく完全に人口的に合成されるため、厳密には合成抗菌薬と呼ぶのが正しいらしい。

日本でニューキノロン系はクラビットの独占市場だったらしく、そこへ登場したのがジェニナックとのこと。

ウィキペディアの「ニューキノロン」によれば、キノロン系は100mgを3回服用するより、300mgを1回飲んだ方が効果が高いらしい。

確かに僕の場合も、近所のお医者さんが、クラビット200mgを1日2回から、ジェニナック400mgを1日1回に変えたのも、そういうことなのか。自分では1日2回の方が良いんじゃないの?と思っていたが。

どちらにしろ、全身の倦怠感と、黄色い鼻水が止まらないのと、何度も鼻をかむので、左耳がつねに聞こえにくいのが鬱陶しい。

ちなみに中国語で抗生物質は「抗生素 kàngshēngsù」。
キノロンは「喹诺酮 kuínuòtóng」。

「诺」は携帯電話メーカーのNOKIA(诺基亚 nuòjīyà)にも出てくる音訳文字ですね。

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2009/05/06

大阪市内の休日夜間診療所で診察まで2時間待ち

抗生物質に頼らず、市販のかぜ薬と解熱剤でしのいできたが、一向に熱が下がらないので、昨夜とうとう大阪市内の休日診療所に出かけた。

大阪市内で休日夜間診療をしているのは、何とこの公立病院だけなのだ。僕が子供の頃は、そんなことはなかったはずだが。

おそらく市内のあちこちから駆けつけた、子供連れの家族が大半。人気のない大阪市の西の端で、この病院の建物だけが煌々とし、にぎわっている。

受付から診察まで2時間。処方薬を受け取るまでが2時間半。

ただ、待合室を見回したところ、それほどの緊迫感はない。高熱で顔を真っ赤にした子供は何人かいたが、ほとんどの子供は大人しく待っているか、元気に走り回っている。

僕はただの風邪なので、病院が診察の優先順位を低くしたこともあるだろうが、他の患者の多くも、おそらくインフルエンザではなく、風邪だろう。

それで、受付から処方薬を受け取るまでが、2時間半だ。

最近、国内で新型インフルエンザのパンデミックが起こったらどうなるかと、マスコミが連日のように騒いでいる。

平時の休日夜間診療がこの状態で、果たして発熱外来と病院の分業のような計画が、本当に機能するのだろうか。

非常に不安になった。

ところで、抗生物質って、ウィルス性の風邪に効果はないというのが最近の定説だと思ったのだけれど、僕が処方されたクラビット錠 100mgは、プラシーボ効果をねらったもの?

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2009/05/01

和歌山カレー事件の真犯人はいったい誰?

誤解があるといけないので、念のため書いておく。

僕が、林真須美被告が冤罪だと主張するのは、別に林真須美被告を擁護したいからではない。

真犯人が見つからないまま、和歌山カレー事件が幕引きになるのは、事件の被害者の皆さんにとって、何の利益にもならないからだ。

だからこそ裁判所は林真須美被告の弁護団の再審請求に応じ、警察は捜査をしなおすべきだと考える。

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2009/04/29

和歌山カレー事件の状況証拠がこれほど脆弱だとは!

状況証拠だけで死刑判決が出た和歌山カレー事件について、最高裁の判断がいかに不適切だったか、ビデオニュース・ドットコムが緻密に検証している。

要するに、ほぼ冤罪に間違いない。やや長文になるが、そのごく一部をご紹介したい。

ビデオニュース・ドットコムの「第420回マル激トーク・オン・ディマンド」の放送内容にしたがって、検察が死刑判決の状況証拠としている点を以下に説明してみる。


■被告以外の全員がヒ素を持っていなかった証明はされていない

犯行に使われた135グラムのヒ素は、ふつうの白い紙コップで、4つある鍋のうち1つだけに入れられた。

紙コップでヒ素を入れるだけなら、一瞬でできる。したがって、現場で一人きりになるまで待つ必要はない。

しかし検察は一人きりにならないとできない行為であるとし、鍋の近くで一人きりになったのが被告だけだったという目撃証言を根拠に、被告を実行犯だと論証している。

しかし実際にはヒ素の混入時刻とされる昼12時から1時の間、鍋の付近には被告の娘と、町内会の男性2名がいた。この点ですでに検察の論証は破綻している。

また、検察は、混入時刻に現場にいた人々のうち、被告が自宅にヒ素を持っていたことは証明したが、被告以外の全員がヒ素を持っていなかったことを証明していない。

にもかかわらず、検察は被告一名だけを起訴した。検察は、十分な理由もなく、なぜか犯人が複数である可能性を最初から否定しているのだ。


■あやふやな目撃証言

また、被告が鍋の付近で不審な動きをしていたという目撃証言は、夏祭り会場の近くに住んでいた女子高校生の証言だ。

ただ、その証言は、カーテン越しにたまたま外を見ていたら、被告が鍋の付近をうろうろし、鍋のふたを開けた、という内容である。

ヒ素を入れたのを見た、という内容ではない。

しかも、最初は一階からカーテン越しに見た、という内容だった証言が、後に二階から見ていたという内容に変わっている。

さらに、最初はその不審な人物が、タオルを首にかけていたという証言が、後にタオルをかけていなかったと変わった。

ところで、「鍋の付近をうろうろしていた」という行動を、「不審だ」ととらえるか、とらえないかは、純粋に目撃者の主観的判断であり、本来、客観的な証拠にはなりえない。

さらに、この目撃者が、被告がフタを開けたのを目撃した鍋は、ヒ素の入っていなかった鍋だと分かっている。

また、この目撃者が見た不審人物は、髪型や体型などから、被告ではなく、被告の娘であることも分かっている。

要するに、この目撃者の証言は、状況証拠としてはあまりに脆弱すぎる。


■ヒ素鑑定の不審点

次に、被告の自宅にあった亜ヒ酸と、カレーから検出された亜ヒ酸と、上述の紙コップから検出された亜ヒ酸の成分が、一致したという状況証拠について。

ちなみに被告がヒ素を所有していたのは、被告の夫がシロアリ駆除業をしており、ヒ素は殺虫剤として一般的に使われているためだ。

亜ヒ酸の鑑定は、最初、科学警察研究所でおこなわれたが、「同一性については判断できない」という結論になった。

そこで、経緯は不明だが、東京理科大学の教授が自ら鑑定を名乗り出て、スプリングエイトという非常に大規模な設備で分析を行った。

その結果、亜ヒ酸そのものではなく、亜ヒ酸に含まれる不純物が同一であることが確認された。

したがって、3つの亜ヒ酸が、同一時期に、同一工場で製造されたものであることが確認された。

そして、その亜ヒ酸は中国から輸入されたもので、日本に3トン輸入されていることも分かった。

しかし、その3トンの日本国内での販売経路は分かっていないし、中国の工場の場所も特定されていない。ただ亜ヒ酸の缶に「中国製」と印刷されているだけである。

また、不純物は同一だが、不純物の量が同一であることまで確認されたわけではない。

さらに、不純物は亜ヒ酸と化学的に結合するものではなく、いわば単なる「ゴミ」であり、しかも、ごく微量しか含まれていなかった。

したがって、製造や販売の経路でいくらでも混入しうるし、製造・販売経路で混入したと考えるのが自然だ。

そして、3つの亜ヒ酸以外に、事件と無関係な20個以上の亜ヒ酸も集めて比較分析された。

しかし、それらは工場や、学術研究などに使われていた亜ヒ酸ばかりで、殺虫剤や肥料など、類似の用途の亜ヒ酸とは比較されていない。

用途の全く異なる亜ヒ酸と比較して、3つの亜ヒ酸がそれらと特徴が異なるから、3つの亜ヒ酸は同じものだ。これが東京理科大学の教授の鑑定結果である。

用途の類似する、他の殺虫剤用の亜ヒ酸と比較しなかったのは、鑑定の手続きとして明らかに不備がある。

東京理科大学の教授が行った鑑定は、比較対象とする基準の亜ヒ酸を設定せずに比較検証するという、明らかに不適切な手続きによるものだった。

しかも、亜ヒ酸そのものが合致したわけではなく、不純物の合致が検出されただけであり、かつ、不純物の量は一致していない。

したがって、この亜ヒ酸の鑑定も、状況証拠として非常に脆弱である。


■被告の髪の毛から検出されたヒ素の不自然さ

次に、林真須美被告の髪の毛からヒ素が検出された件だ。

被告は逮捕当時、4か所から髪の毛を採取され、その2ヵ月後に鑑定に出されている。

最初は某医科大学に鑑定に出したが、鑑定できなかった。

そこで、経緯は不明だが、再び上述の東京理科大学の教授に鑑定を依頼する。

この東京理科大学の教授は、再びスプリングエイトという大規模設備で被告の髪の毛に含まれる亜ヒ酸の分析を行った。

分析されたのは、長さ約16cmの髪の毛で、髪の毛が採取されたのは事件の約4か月後だ。

分析の結果は、亜ヒ酸が発見されたのは、髪の毛の切断点から4.8cmの一点だけという内容だった。

事件発生から約4か月後の採取であることを考えると、髪の毛の伸びる速度から推定して、切断点から4.8cmという分析結果はいかにも真実らしく見える。

しかし、仮に事件発生時に亜ヒ酸が髪の毛に付着したとして、密集して生えている髪の毛の根元だけに付着するというのは、いかにも不自然である。

亜ヒ酸は外から髪の毛にふりかかって付着したとしか考えられないが、そうであれば、毛先から根元まで、亜ヒ酸が散らばって付着するのが自然である。

いったいどうなれば、外からふりかかったヒ素が、髪の毛の根元の一点だけに付着するなどということが起こりえるのか。

髪の毛の根元だけに亜ヒ酸が付着するということが、合理的に説明できない以上、この分析結果そのものにも問題があると言わざるを得ない。


■保険金詐取の「プロ」である被告夫婦

また、林真須美被告が過去に、保険金を詐取するためにヒ素を使っている点も、状況証拠としてあげられている。

被告が殺そうとした相手は夫と、被告の自宅に居候していたIさんである。

夫についてはヒ素入りの「くず湯」を飲ませて殺害し、保険金を取ろうとしたが失敗した。Iさんについては牛丼にヒ素を入れて殺害しようとした。

こういった保険金目当ての殺人をするような人物だから、カレーへのヒ素混入をする可能性が十分にあるというのが、検察の立証だ。

しかし検察は一方で、カレー事件の目的が保険金詐取でないことを認めている。カレーを食べた結果、誰が死ぬかわらかないし、事前に町内会の全員に生命保険をかけることも不可能なので、当然である。

一方は保険金詐取という目的が明確な殺人未遂であり、他方は全く目的のない殺人である。

この両者を検察は類似した事件とみなし、「だから被告がカレー事件もやった」と立証している。

しかし、これは逆ではないか。

むしろ被告は過去、目的が明確でない殺人を計画したことがない。保険金詐取という、目的の明確な殺人未遂しか実行したことがない。

したがって、被告を目的の全く分からないカレー事件の容疑者とすることには無理がある、というのが合理的な推論である。


■実際には被告の夫は自らくず湯を飲んだ

さらに、実際には、くず湯事件について「被害者」である夫は「自分でくず湯を飲んだ」と証言している。

ビデオニュース・ドットコムは、つい最近、被告の夫である健治さんにインタビューをしており、それもビデオニュース・ドットコムで見ることができる。

ふつうのマスメディアが絶対に報道しない内容なので、このインタビューは必見である。

ところで、くず湯にヒ素を入れたのが、林真須美被告である証拠が何もないことは、検察も認めている。

要するに、くず湯にヒ素を入れて被告の夫・健治さんを殺そうとしたのは、別人の可能性があるのだ。

では検察は、なぜくず湯事件についても被告がヒ素を入れたと判断したのか。実はこれも単なる状況証拠なのだ。

その状況証拠も、きわめて脆弱なものである。

上述の同居人のIさんが、くず湯を飲んで入院した夫を見舞いに来た林真須美被告が、あんたなんか早く死んじゃえ、と言ったのをたまたま耳にした、と証言しているのだ。

そのIさんの証言だけを根拠に、検察はくず湯にヒ素を入れたのは被告であると断定しているのだ。

Iさん自身が、ヒ素入りの牛丼で殺害されかけた事件も、同様に単なる状況証拠で、林真須美被告がヒ素を入れたと断定されている。

つまり、Iさんが被告に「牛丼作って」と頼んで、作ってもらった牛丼を食べたら、突然体調がおかしくなったというIさんの証言だけを根拠に、検察はこの牛丼にヒ素を入れたのは被告だと断定しているのだ。

ところで、体調がおかしくなったIさんは、実は、その日は病院に行っていない。体調がおかしくなったと言っても、病院に行くほどではなかったのだ。

くず湯の件も、牛丼の件も、そしてカレーの件も、被告がヒ素を混入した現場を目撃した人物は一人も存在しない。

くず湯については、被告が病院で被害者である夫に対して「あんたなんか早く死んじゃえ」と言ったのを聞いたというIさんの証言だけが状況証拠となっている。

しかも、当の被害者である夫・健治さん自身が「自分で飲んだ」と言って、林真須美被告の犯行であることを明確に否定しいてる。

牛丼については、Iさんが自分が作ってと頼んだ牛丼を食べたら体調がおかしくなったという経緯だけだ。

カレーについては、近所の女子高校生の上述のような目撃証言があるだけである。

こういった脆弱な状況証拠だけで、この3件すべてについて、ヒ素を混入したのは林真須美被告であると、検察は断定したのだ。

なお、被告が最初に逮捕されたのは、保険金詐取を目的とする殺人未遂容疑であり、夏祭りのカレー事件で再逮捕されたのは、最後である。

さらに、被告の夫・健治さんは有罪判決をうけて服役しているが、それは保険金詐欺罪である。

つまり、妻である林真須美被告と共謀して、自らの体をこわすことで、保険金を詐取しようとした容疑で有罪となり、服役したのだ。

よく考えてみよう。

被告の夫・健治さんが保険金詐欺罪で有罪になったということは、検察は健治さんが、彼自身の言うとおり「自分でくず湯を飲んだ」ことを認めていることになる。

つまり、妻である林真須美被告と共謀して、自らくず湯を飲むことで、保険金を詐取しようとしたという認定をしていることになる。

にもかかわらず検察は、もう一方のカレー事件では、被告の夫は、知らない間にくず湯にヒ素を混入され、林真須美被告に殺されかけた、だから林真須美被告はカレーにもヒ素を混入した、という推論をしているのだ。

同一の保険金詐欺事件、つまり「くず湯」事件について、検察は完全に矛盾した推論をしているのだ。

ちなみに、自らヒ素入りのくず湯を飲んだ理由については、健治さん自身が次のように説明している。

林真須美被告の母親が、平成8年に死亡したときの保険金を、健治さんは競輪で三~四千万円使ってしまった。

それがバレたために林真須美被告は夫に対して激怒し、被告の夫は、じゃあ自分の体を張ってその金を取り返すよと言い、自らヒ素入りのくず湯を飲んだ、ということだ。


■健治さんの証言が一審で取り上げられなかった理由

ところで、健治さんのこの「自分でくず湯を飲んだ」という証言は、身内である林真須美被告をかばうための嘘だとされている。

その理由は、健治さんが一審ではこの証言をせず、二審になって初めてこの証言をしたためである。

ところが、実際には、健治さんは一審のとき、すでにこの証言を検事に伝えていた。しかし、一審で検察はこの証言を無視したのだ。

健治さんは、検事から、一審の法廷の進行は弁護士に従うように言われたため、そのとおりにしていたところ、一審でこの証言は取り上げられず、結果として、健治さんが一審で自分自身のこの証言について話す機会がなかったのだ。

検事自身が健治さんの重要証言を、一審で意図的に取り上げないでおいて、一審でその証言が出されなかったことを理由に、その証言自体を信用するに足りないと判断したというわけだ。

さらに、くず湯事件の経緯について、健治さんの入院した病院に被告が見舞いに来たのは、入院の10日後であることがわかっている。

仮に林真須美被告が、健治さんに気づかれないようにくず湯にヒ素を混入して殺そうとしたなら、入院してすぐに死んだかどうか、または、一命をとりとめたとすれば、自分がヒ素を混入したことに気づいていないかどうか、それを確認するために、すぐに病院に行くはずだ、と考えるのが合理的である。

しかし実際には入院して10日間たって初めて、被告は夫の病院を訪れている。

この事実からしても、夫である健治さんの証言どおり、健治さん自身が「じゃあ自分で飲んでやる!」と言ってヒ素を飲んで病院にかつぎこまれた。

そして、母親の死亡保険金を使い込まれて、林真須美被告は健治さんに腹を立てており、10日間放っておいた、という、ある種の夫婦げんかと考えるのが自然である。


■保険金詐取については夫婦は密接な共犯者

というのは、それまでに林真須美被告と健治さんは、さまざまな方法で保険金詐取を繰り返しており、健治さん自身、その総額が数億円にのぼることを認めている。(だからこそIさんのような居候を食べさせられるわけだが)

もちろん保険金詐取を繰り返す夫婦は、それはそれでひどい人間たちである。

しかし、二人で協力して数億円にのぼる保険金を詐取してきた夫婦で、しかも林真須美被告からすると、夫の協力なしには保険金詐取ができないのである。保険金詐取ができなければ、生活できないのである。

そういう、長年にわたって密接な共犯関係にある夫婦の妻、つまり林真須美被告が、夫に気づかれないようにくず湯にヒ素を混入し、夫を殺害しようという合理的な理由とは何だろうか。

しかも、仮に本当に林真須美被告が致死量のヒ素をくず湯に混入していたとしたらどうなるだろうか。

健治さんは自宅のその場で死亡するはずである。警察に通報すれば間違いなく林真須美被告が容疑をかけられる。

長年にわたって数億円にものぼる保険金詐取をくりかえしてきた、いわば犯罪のプロ(それで生活していたのだから文字通りプロ)である夫婦の妻である林真須美被告が、そんなずさんな殺人を計画すると考えるのには明らかに無理がある。

同じことがカレー事件にも言える。

仮に本当に被告が犯人だとしたら、犯行にはヒ素が使われており、被告の家族がシロアリ駆除業でヒ素を扱っていることは、警察が調べればすぐに分かる。

しかもカレー事件の犯行現場は被告の自宅の近くだ。真っ先に林真須美被告に嫌疑がかけられるのは間違いない。

自分に疑いがかけられ、逮捕されることが、実行する前から分かっているのだ。

しかも林真須美被告は、ヒ素が猛毒であることも知っていて、カレーに混入すれば複数の死亡者が出て、死刑が確実であることも十分予想できる。

そんな割に合わない殺人を、保険金詐取のプロがやるだろうか?

ところが検察は、被告は保険金詐取を繰り返すことで、犯罪に抵抗感がなくなっており、したがって、カレー事件の犯行に及んだと主張している。

しかし、これはまったく逆だろう。

林真須美被告は、保険金詐取という犯罪のプロであるからこそ、簡単にバレることが最初から分かっており、しかも死刑が確実であるような殺人事件を、わざわざ犯すはずがない。

こう考える方が、はるかに合理的である。


■犯行推定時刻の不合理

また、カレー事件におけるヒ素の取扱い方法についても、不合理な点がある。

ヒ素は水に溶けない。また、比重が大きく、すぐに凝固してしまう。

検察によれば、カレーにヒ素が混入されたのは昼の12時から1時の間で、そのとき、カレー鍋の火は止まっていた。

カレーが実際に配布されたのは夕方の6時だ。

仮に被告がカレーにヒ素を混入して殺人を計画していたなら、水溶性ではないヒ素はカレーと混ざらないことは当然知っているので、鍋の中を十分にかきまぜる必要がある。

しかしそれでもヒ素の比重は大きいので、夕方6時までには鍋の底に沈んでしまい、凝固してしまっている恐れがある。

つまり、6時に配布されることが分かっているカレーに、ヒ素の性質を知っている被告が、昼の12時にヒ素を混入するのは、殺人が目的だと仮定すると、実に不合理なのだ。

6時まで露呈することなく殺人を実行しようとすれば、6時のカレー配布の前、誰かがカレーを温めなおす直前にヒ素を混入するのが、もっとも確実で、露呈しない方法である。

また、林真須美被告が単独犯で、自分の犯行計画を家族にも話していなかったとすると、自分の夫や娘がカレーを食べて犠牲になる可能性がある。

長年にわたって保険金詐取を繰り返してきたくらいなのだから、林真須美被告が、十分に利己的で、自己中心的だと仮定できる。

であれば、まず保険金詐欺の重要なパートナーである夫が死ぬかもしれないような殺人を計画するはずがないし、まして自分の娘が死ぬかもしれないようなことを計画するはずがない。

どう考えても林真須美被告が、上述のような極めて露呈する危険性が高い、稚拙な方法で、しかも死刑が確実である殺人事件を実行するための、合理的な理由が見つからないのだ。


ビデオニュース・ドットコムの議論は、ここからさらにマスコミの集団過熱報道(松本サリン事件や光市母子殺害事件との関連)、裁判員制度の是非などに進んでいく。

ただ、以上をお読み頂いただけでも、死刑の根拠になっている状況証拠が、いかに脆弱であるか、お分かりだろう。

そして、一つひとつの状況証拠を検証すると、逆に、林真須美被告がとても今回のカレー事件のような、割に合わない犯罪を犯しそうにないことの証拠になることも、お分かりだろう。

あとはビデオニュース・ドットコムをじっくりとご覧いただきたい。

僕個人は、林真須美被告が過去に保険金詐取を繰り返していた点については、れっきとした犯罪者であるが、カレー事件については冤罪だと、ほぼ確信した。

ところで、カレー事件の起こった夏祭りには町内会の人たちしか参加していないらしい。

だとすると、真犯人はカレー事件の起こった町で、いまだに平気な顔をして生活している可能性が高いということになる。

死刑判決が確定した後、カレー事件の被害者の皆さんは、これは一つの節目に過ぎず、私たちの苦しみは一生続くのだと訴えられていた。

まさにその言葉通り、カレー事件の起こった町の人たちは、誰が本当の犯人なのか分からないまま、一生、生活し続けなければならない可能性が高い。

果たして、これがあるべき司法の姿だろうか?

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2009/04/23

まだ起訴もされていない教授を懲戒免職にした東洋大学の不見識

東洋大学が高橋洋一教授を懲戒免職にしたらしい。法学部を持つ大学としては、その良識を疑う。

まだ有罪の判決が出ていないどころか、起訴されるかどうかさえ分からない段階で、高橋洋一教授を懲戒免職にするとは、大学側の自己保身の意図が見え見えだ。

高橋洋一教授は逃亡などのおそれがないということで、逮捕されずに書類送検にとどまっているが、これでもし教授が起訴猶予になったり、起訴されても無罪になったりした場合、東洋大学はどういう釈明をするつもりなのだろうか。

もちろん日本の社会では送検されたり逮捕されたりするだけで、「人生おしまい」という側面もあるが、良識の府としての大学はそのような誤った「常識」に流されず、せめて有罪が確定するまで処分を待つのがあるべき姿だろう。

東洋大学には法学部があるが、これから進学しようという高校生の皆さんは、こんな大学で法律を学ぶべきか真剣に考え直したほうがよい。

東洋大学公式サイトの高橋洋一教授の処分に関する告知には、このように書いてある。

「当該教員の行為は、教育に携わる者として許し難い行為であり」

まだ起訴されるかどうかさえ分からない人間を、平気で有罪と決め付けて何の疑問も持たない東洋大学とは、いったいどういう大学なのだろうか。

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状況証拠だけで死刑になっちゃう恐い国、日本

和歌山カレー事件は結局、状況証拠だけで死刑判決(上告棄却)になったようだ。これから皆さんも近所のお祭りに参加するときは注意しよう。

近所の人たちにちょっと嫌われていて、たまたまそのお祭りで殺人事件が起こったら、あいまいな目撃証言だけで逮捕されること必至だ。

あとは警察が一生懸命になって状況証拠を集めれば、裁判官のみなさんはその努力を無にすることもできないので、皆さんがいっさい自白を拒否して黙秘を続けようと、10年にわたって根気よく犯行を否定しようと、死刑になること請け合い。

まあ逮捕された時点で、起訴猶予になろうが、起訴されて無罪になろうが有罪になろうが、皆さんの人生はそこでおしまい。

日本って案外恐ろしいところだ。

今日のSMAPの草なぎ君のニュースにしたって、見出しに「公然わいせつ」などと書いてあるから、何をやったのかと思えば、泥酔して公園で服を全部脱いだだけのことだ。

酒ぐせの悪い人間なんて、世の中に腐るほどいる(ちなみに僕はお酒を一滴も飲めない)。これで草なぎ君の人生が終わりだとしたら悲しすぎる。

清潔でまじめなキャラクターを演じ続けなければいけない芸能人としてのストレスを理解して、一度の失敗くらい許してあげようよ。社会にそれくらいの寛容さはあってもいいでしょう。

状況証拠だけで死刑になるような国では、叩かれるだけ叩かれるのは仕方ないのかもしれないけれど。

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2009/04/09

大阪に来て唯一うれしかったこと(?)

大阪で生活するようになって、土曜日『王様のブランチ』が見られなくなったり、週末のテレビが関西のコテコテ芸人ばかりでうんざりしていた。

ただ、FMラジオはなぜか妙に充実している。とりわけFM COCOLOがすごい。

何がすごいって、毎日、深夜と早朝にBBC Newsをイギリス英語で放送しているのだ。毎日、BBCの英語ニュースが聴けるんですよ。

さすがBBC、日本の特定地域に偏ったニュース番組と違って、世界中のいろいろな地域のニュースをまんべんなく放送していて素晴らしい。

また、時間帯がゴールデンタイムなのでめったに聴けないのだが、中国語DJによるC-POPを紹介する番組もある。

FM COCOLOのようなFMラジオ局が東京都内で聞けないのは不思議だ。

テレビ・ラジオで言えば、大阪に来て良かったと思ったのは、このFM COCOLOだけ。それ以外は全然ダメ。

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2009/04/07

書きたいことはあるけれども

書きたいことはあるけれど、これこれこういう内容は書いてはいけないという人もいるし、ネットに公開されているブログじゃ書けないこともあるし。また大学ノートを買ってきて、手書きの日記を始めるか?

家族や肉親に対しても、一定の礼儀や気兼ねは必要だ。ただ、気兼ねなく話せる相手が自分自身だけというのも悲しい話だ。

孤独な女は、まだ、絵になるけれども、孤独な中年男は、ただ醜いだけだ。

YouTubeにたくさんカバー曲をアップしているおかげで、毎日のように日本語や、中国語や、英語のコメントが届く。当然、中には罵倒もある。

僕の中島美嘉のカバーを、たくさん「お気に入り」に登録してくれた人が、どうやらゲイらしいことが分かったこともあったが、それほど悪い気はしない(僕自身は異性愛者で女性しか愛せないが)。

そんな脆い世界とのつながりだけを頼りに、毎日を生きていかなければいけないというのは、一見寂しいようだけれど、でも、この40近い年齢にして、いまだに自分だけの世界を、自分自身にしか打ち明けられないような世界を、胸の中に抱きつづけることができているのは、よく考えれば幸せなことではないかとも思う。

頭と胸の中がすっからかんで、ストレス解消といえば、お酒を飲んで大騒ぎするくらいしかできない人たちよりは、ずっと幸せなのかもしれない。

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2009/04/05

ユニクロのスキニージーンズがお気に入り

最近外出のとき、ユニクロのスキニー・ジーンズを気に入って穿いている。色はグレーとブラック。気に入ったので2本目を買ってしまったというわけ。

残念ながら年齢には勝てず、以前は穿けたウェスト73.5cm(ヌード寸法)が今は穿けず、最近は30インチ(ウェスト76cm)を買っている。

このユニクロのスキニー、綿の他にポリウレタンが少しだけ入っているので、伸縮性とぴったりしたフィット感が気持ち良い。

こういう気持ちい洋服がたった2,990円で売っているから、ユニクロはやめられない。

以前にも書いたけれど、ユニクロの柳井正社長の「洋服は部品」という考え方には大賛成。

女性のように華やかなファッションを楽しむ権利を、文化的に剥奪されている男性にとって、洋服の選択は、どれだけ効率的な部品であるかによって決まるんじゃないかと思う。

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2009/04/02

僕が引っかかったエイプリル・フールのネタ:エヴァ実写化計画

昨日、ネット上のエイプリル・フール企画のうち、2つに、ふつーに引っかかってしまった。

一つはGoogleが川柳を詠むようになるサービスの開始。

昨日だけでGoogleのトップ画面は何度も開いているが、そのたびに「へぇ、そうなんだ。今の検索技術があれば、それくらいのことはできるだろうなぁ」と、ふつーに納得していたが、ウソだったらしい。

もう一つは、新世紀エヴァンゲリオンの実写化計画。

じっさいに実写化計画のサイトにアクセスして、キャスト投票に僕自身もよほど投票しようかと思った。パチンコで著作権料をかなり稼いでいるはずだから、実写化もできるだろうと、ふつーに納得していたが、これもウソだったらしい。

ただ、投票結果はちゃんと公開されていて、みょーにうなずける顔ぶれがならんでいる。

エヴァ実写ドラマ化計画 夢のキャスト投稿

「なるほど、それ良い!」といちばん思ったのは、碇シンジを神木隆之介にする案。「逃げちゃダメだ」と言いつつ、徹底的に鬱屈して逃避する演技をしてくれれば、最高の碇シンジになりそう。

次に良い!と思ったのは、赤木リツコを真矢みきにする案。これは声からしてハマっているし、凛としつつも、実は後ろ暗さをかかえている役柄にぴったり。

碇ゲンドウの阿部寛(1964年生まれ)案も、碇シンジの父親という年齢から考えると妥当な線か?やや軽すぎるかもしれないが、大杉漣では重すぎる。

葛城ミサトの松嶋菜々子案はまったく理解できなかった。イメージ的にお嬢様っぽすぎる。伊藤美咲も同じくおしとやか過ぎるイメージ。篠原涼子ならまだ分かる。仲間由紀恵じゃ、きっちりしすぎていて、葛城ミサトの、実は愛とアルコールに溺れている面が出ない。

綾波レイの堀北真希はダメ。志田未来の方がはるかに良い。確かに志田未来の綾波レイとしての無機質な屈折ぶりは見てみたい気がする。

アスカ・ラングレーが戸田恵梨香はないだろう。中川翔子も論外。いちばん難しいのは意外にアスカかも。

以上、どうでもいいエイプリル・フール反省記事でした。

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2009/03/25

十数年ぶりに女性モード誌を購入。『SPUR』2009年5月号

十数年ぶりで女性モード誌を買った。『SPUR』だ。


大学生時代は、角川書店に買収される前、中央公論社時代の『マリクレール』を毎月購入して愛読していたものだ。『SPUR』も十数年前に一度買ったことがある。

今回は、即決!「ゆる」アイテム・オンパレードをチェックするために購入した...


...わけでは決してない。ダナキャランの服を着た中島美嘉の写真が6ページにわたって掲載されている部分だけを目当てにセブンイレブンで購入した。

個人的にはp.273のミニワンピ、p.275のトレンチコート、p.276の蛍光イエローのボーダーワンピースが良いと感じた。

この写真を見ても、今日NHKで19:30から放送されていた『春うた』を見ても分かるが、やっぱり中島美嘉の左右の手首の内側にあるタトゥーは本物のようだ。

ところで、久しぶりに女性モード誌を買って、たった720円で何てぜいたくな雑誌だろうかと感動してしまった。

いちばん驚いたのはp.165からのシャネルのメイクオーバーショーのページ。

厚手の光沢紙に、それこそレンピカの絵の中から抜け出したようなモデルさんの顔が紙面いっぱいに美しく印刷されていて、ちょっとした芸術作品ではないか。

それから、『マリクレール』もそうだったが、巻頭にしばらく続く、さまざまなブランドのイメージ広告のページも、絵画のように美しい。

シャネルはシャネルらしいし、ラルフローレンも20年前『マリクレール』で毎月見ていたラルフローレンの広告と変わらない。

バーバリーもかっこいい。p.66~67のKENZOの多重露光写真も美しい。

p.182のアナスイのワンピースの目が覚めるようなブルーのグラデーションが美しい。

p.314からのボーホースタイルという言葉は初めて知った。ボヘミアン風ファッションのボヘミアンと、ニューヨークのSoHo地区を掛け合わせた造語らしい。

p.389ではBONNIE PINKが「日々が潤うチャージ本」というコーナーで愛読書を紹介している。

いちいちアクリルフォトフレームにでもはさんで、壁に掛けたいくらい美しいページばかりを、たった720円で楽しめる。何て贅沢な時間。

中島美嘉を見るためとはいえ、久しぶりに買った女性モード誌に感動してしまった。

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火災警報でたたき起こされた未明

僕と同じマンションに住んでいる人は、これを読むと僕の住所が分かってしまうけど、今日未明3時半ごろ、マンション全館の火災警報が一斉に鳴り出し、たたき起こされた。

左右の部屋からも壁を隔てて警報が聞こえてくるほどの大音量だったが、とりあえず自分の部屋の警報を止めた。

すぐにパッチリ目が覚めた。こういうときは低血圧でなくて助かる。

高層階に住んでいるのでベランダから見下ろしたが、煙や炎が立ちのぼっている気配はない。

でもさすがに下から炎と煙であぶられながら丸焦げになるのはイヤなので、鍵と、お財布と、携帯電話を持ち、冬物の分厚いコートを羽織った。

そしてマンション管理会社の24時間窓口の電話番号を調べ、携帯電話で電話をかけながら、エレベータは当然「停止」になっていたので、非常階段を延々と降りて地上まで避難した。

管理会社に第一報は届いているようだったが、詳細が分かりしだい折り返し電話するとのこと。

地上にはほぼ住民全員が同じように、ジャージやパジャマにジャケットやコートという姿で避難していて、親子3人の家族連れもいた。

このマンション、てっきり全室ワンルームだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。あるいは単身赴任のために旦那さんが引越ししたばかりで、荷物の整理のために、一時的に3人で住んでいるだけなのだろうか。

しばらくすると管理会社の人と近所の交番の警官が一人やってきた。

警報の発信源は2階の一室らしく、しばらくすると管理会社の人が、火災発生の事実はなく、急病か何かで誤って火災警報ボタンを押してしまったのでは、ということだった。

こういうときは、いつも下らない人物の一人くらいはいる。

一人の若い男性が、警官と管理会社の人に、「早く警報止めろよ!何夜中に起こしてくれてんだよ!」と、いわれのない怒号を何度も浴びせていた。

火災警報が鳴ってから5、6分しか経っていないのに、いち早く駆けつけた管理会社の人と警官には、むしろお礼を言うべきだろう。

本当にこういう低級な人間がいる世界に(というより同じマンションに)住んでいると思うだけでも悲しくなってくる。

そのうち消防隊も到着したが、やはり火災の発生はないと分かり、僕も含め、住民の皆さんはエレベータで自室に戻っていった。

ただ、マンション火災は怖いなと思った。特に高層階に住んでいるので、低層階で大きな火災を出され、唯一の非常階段も使えないとなれば、逃げ場を失うことになり、たまったものではない。

久しぶりに死を身近に感じた瞬間だった。

それにしても、眠い...。

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2009/03/22

久しぶりにランキングバトルに参加してみた


毎週末本当にヒマなのでビッグエコーに行くぐらいしかする事がない。久しぶりにランキングバトルをやってみた結果は次の通り。

每周末非常无聊。除了去KTV之外没有要做的事情。好久没有参加BIG ECHO(日本最大的KTV公司)的网上KTV排行榜比赛,不过今天我试着参加。我的成绩如下。

中島美嘉『LIFE』 2位
中島美嘉『SEVEN』 1位
中島美嘉『GAME』 2位

『SEVEN』と『GAME』は参加者が少なかったが、『LIFE』はたしか800人以上で2位になった。なお、ランキングバトルのランキングは毎月末にクリアされるらしい。

关于《SEVEN》和《GAME》参加者很少。可是《LIFE》的参加者超过了800,所以可以说我的成绩不错。

ところで先日も書いたが、大阪のビッグエコーの個室はやはり東京と比べて汚い。一つは客の平均年齢が高く、喫煙者率が高いので、古い店舗は非常にタバコ臭い。

大阪BIG ECHO的包厢没有东京那么干净。一是因为客人的平均年龄更高,所以吸烟者率更高,包厢有香烟的臭味。

もう一つは若い客もガラが悪いので、片方のスピーカーが壊れていたり、エレベーターのボタンやトイレの壁が割れていたりする。

二是因为年轻的客人也比东京看来低级,例如一方的音箱坏了,电梯的按钮坏了,然后在厕所的墙壁上打了眼等。

困ったものだ。
真烦人!

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2009/03/11

日本人の子供は本当に自分が嫌いなのか?

大阪に転居して1か月以上、新聞を読んでいないが、大して困らない。ニュースはテレビとネットで十分。

Yahoo!ニュースの産経新聞の記事に『都教委、小学生に“自尊教育” 中高生の半数「自分に否定的」』というのがあった。

東京都教育委員会や、財団法人「日本青少年研究所」の調査によれば、日本の子供たちは他の国に比べて自分が嫌いな率が高いとのこと。そこで東京都は小学校1校で、試験的に”自尊教育”を実施するらしい。

しかし、子供たち自身に、自分のことが好きか嫌いか、「私は他の人々に劣らず価値のある人間である」か(上記財団法人の調査質問)質問して、回答がNoだから、すなわち日本の子供たちの自尊感情が低いというのは短絡した発想だ。

子供たちの心情をより正確にくみ取れば、単にこういうことじゃないか。

「『自分が好きだ』なんて思っていたら、ウザいヤツだといじめられるだけだから、『自分が嫌いだ』と思っておくのがが安全だ」

これは日本の子供社会に限ったことではない。日本の大人社会だって、自尊心の高い人間は組織からはじき出される。子供だって小学生にもなれば、その程度の「空気」は読める。

日本人は子供のころから自己卑下のポーズをとることで、社会との摩擦を少なくするノウハウをすでに身につけている。それだけのことだ。

本音を言えば、きっと誰でも自分のことが好きなはずだ。

「私は『自分のことが嫌い』なんて言っているけれど、本当は、好きなところがある。でもそういうところは誰かに認めてもらえなくたっていい。どうせ自慢したってウザがられるだけだから、私自身が分かっていればいい。私自身が私のいいところを理解してあげれればそれでいい」

なんだかJ-POPの歌詞の要約みたいだが、こういう、いわば屈折した強力な自己愛こそが、自分のことが嫌いだというポーズをとり続けるパワーになっているのだ。

東京都教育委員会や、財団法人「日本青少年研究所」は、アンケート結果の読み方を完全に間違えている。

社会との関係で、子供だけでなく、大人も含めた日本人一般が、いかに屈折した自尊感情を持っているかという読み方をすべきである。

そして、むしろストレートに「自分が好き」と言える他国(例えば米国や中国)の子供たちのナイーブさに疑問を持つべきなのだ。

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2009/03/01

大阪のビッグエコー店舗評価

近所にコンビニが一気に2店舗、セブンイレブンとローソンが開店した。東京に比べると街の規模がはるかに小さい大阪とはいえ、都心に住むと便利きわまりない。

開店の理由はおそらく、隣接する三越百貨店跡地に、今週、超高層マンションが完成するからだろう。

ただ、いただけないのはビッグエコーだ。(以下、Google検索でひっかかるように店名をいちいちフルネームで表記する)

一度、ビッグエコー道頓堀店に行ったときは、最初に案内された部屋が左のスピーカーがこわれて音が出ないまま放置されていて、店員に指摘したら、片方のスピーカーが聞こえないぐらいで、何の問題があるのかというような対応をされた。

それでも別の部屋に通されたら、今度はDAMステーションの無線LANの不具合で会員ログインできない。別の部屋に案内されたがやはりダメで、その階のルータか何かが故障しているのだろうと思いつつ、店員に案内されて別の階に行った。

ところが、その階のDAMステーションもログインできず、第一興商の社員でないと対応できないとのことで、仕方なくそのまま歌った。

スピーカーを壊れたまま放置するビッグエコー道頓堀店は、機器のメンテナンスが悪すぎる。東京のビッグエコーでこんなことは一度もなかった。

それから、ビッグエコー千日前2号店がこじんまりしてお気に入りなのだが、週末に行くとPremierDAMの部屋がふさがっていることが多い。

通りすがりのカラオケ客が、Premier DAM目当てでビッグエコーに入るはずがないので、Premier DAMでなくてもいい客をPremier DAMの部屋に案内しているに違いない。

そのせいで、Premier DAMで歌いたいヘビーユーザーを逃すとは、千日前2号店の店長はバカじゃないかと思う。

ビッグエコー千日前店は、一人で行くには部屋が広すぎるし、どの部屋もタバコ臭が強烈、内装も古いので、あまり行く気がしない。

あと信じられないのは、ビッグエコー阪急東通り店。案内されたのは4階の部屋だったが、エレベータがないのだ。

そして、LOFTの帰りにビッグエコー茶屋町店へ行ったときも、やはりPremier DAMの部屋がないということで、梅田中央店にお願いしますと言われた。

大阪のキタ、ミナミでビッグエコーに行くなら、おそらく梅田桜橋店がベスト、その次は、内装が東京・亀戸店と同じ年代でやや古めだが、梅田中央店だろうか。

ビッグエコー梅田桜橋店は、東京・錦糸町駅前店と同じ、新しく、シックな色合いの店内で、落ち着いて歌える。

ビッグエコー梅田中央店は、部屋数が多く、週末でも昼間ならほぼ確実にPremier DAMの部屋が空いているので良い。ただ、底上げの床に色が変わる照明があり、落ち着いて歌える雰囲気とは言いがたい。

こういう大阪のビッグエコー・ガイドって、ほぼ無意味だな。

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2009/02/21

『KISEKI the document of a star』と『道夏大陸』を見た

そういうわけで、テレビがつまらないので、Amazon.co.jpで中古DVD『KISEKI the document of a star』を買って見た。

2002年発売のデビュー当時の中島美嘉のドキュメンタリーで、まあ『情熱大陸』みたいなもの。今のところファンなので、見ておく必要があるだろうということで見た。

やはり、忘れ物をよくするのは彼女の悪い癖らしい。作られたクールビューティーは、実際はかなり「天然」だということがわかる。仕事に対する真摯さは当然ということだろう。

中島美嘉がデビューして一気にブレイクしたのと同じころ結成され、泣かず飛ばずの3人組アイドルがいた。

こちらはニコニコ動画かYouTubeで『道夏大陸』という、『情熱大陸』のパロディ動画で、ブレイクまで苦節8年の軌跡を見ることができる。

広島から上京してからも、ハロプロの二番煎じで売り出そうとしていたことは全く知らなかった。

去年この3人組のライブをテレビで見て、スタジオで音を作りこんだ単なる口パクアイドルだろうと思っていたが、ダンスを含め、パフォーマンスが尋常でないと感じた。中学生のころから8年もいっしょにやってきたと知って納得。

それにしても彼女たちが木村カエラに発見されるまで、よく事務所のアミューズは見棄てなかったものだ。

下らない記事で申し訳ない。

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2009/02/15

殺風景な部屋に彩りを

引越当初は殺風景だった自宅の新築賃貸マンションを、少しずつ自分の好きなように装飾している。以下は愛用のキヤノンEOS kissで撮影したその様子。

特にお気に入りは、昨日、梅田茶屋町のLOFTで見つけたばかりの2,000円の桜柄の風呂敷。タペストリ代わりに真っ白な壁に貼り付けた。お隣には自分でプリントアウトした中島美嘉の『SAKURA~花霞~』の写真。この風呂敷、いい。(少女趣味で悪かったね)

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テレビ周りはややうるさいけど、ぬいぐるみと100円ショップで買った華やかなバラの造花。「歌うペンギン」君もいます。

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お手洗いも殺風景だったので、棚の上に100円ショップで買った造花。ややシュールな雰囲気。

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玄関の目隠しの「のれん」は大きな柄入り。これは裏側で、表から見ると黒地。

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玄関横の目的不明のスペースにも100円ショップで買った造花を。

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パソコンの横、ギターを立てかけてある角にも100円ショップで買った造花。花瓶の前では新潮文庫のマスコットキャラクターが本を読んでいる。

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近所にできたばかりのカラオケボックス発見

格子状に道が走るオフィス街のど真ん中にある自宅賃貸マンション周辺をジグザグ散歩しているといろいろ発見がある。

歩いて5、6分の場所に2008/12/02にできたばかりの3階建てカラオケボックスを発見。大阪市営地下鉄堺筋本町駅すぐの「カラオケ 唄えもん 本町店」。今日初めて行ってみた。

カラオケボックスの例に漏れず既に個室はタバコ臭くなっているが、内装はまだきれい。DAM、JOYSOUND、UGAの3種類の部屋があるが、当然、使い慣れたDAMの部屋に入った。

PremierDAMの部屋もあるが、団体専用の広い部屋にしかないとのことで、残念ながら「ひとりカラオケ」の常用にはできそうにない。よほどのことがない限りもう行かないだろう。

といいつつBB CyberDAMで2時間で19曲歌った。うち中島美嘉の曲が18曲。明らかに依存症。Sing or die状態。歌があれば生きていける。

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2009/02/07

大久保松恵さんが亡くなったことについて(5)

大久保松恵さんの死因は肺炎だったそうだ。

フォローの記事をいくつか読んだところ、36歳の年齢で肺炎で死に至ることは普通ありえないので、不規則な生活や、偏った食事、ストレスなどで、極端な栄養不足になり、肺炎を悪化させたのだろうとのこと。

確かに一般的な意味での自殺ではないが、彼女が本当に新しい生活に希望を見出していたなら、タレントとしてあそこまで頭のよく回り、細かいことにまで注意の行き届く人が、十分治療できたはずの肺炎のような病気を、死に至るまで放置するだろうか。

僕にはやはり、大久保松恵さんは一種の「緩慢な自死」を選んだのではないかと思えてならない。

「死にたい」と思ったのではないにしても、「このまま死んでもいいかな」と思ったのではないか。

36歳という年齢は、もう人生を一からやり直せないという意味で、ある人たちにとって「もう死んでもいいかな」と、結論を出すことが可能な年齢だと僕は考える。

大久保松恵さんも、不幸にしてと言うべきか、幸運にもと言うべきか、「もう死んでもいいかな」と思ったときに、本人は肺炎と知らないまま、急激に体調が悪くなるという、一つの「チャンス」にめぐり会ってしまったのではないか。

本当に生き延びたかったなら、救急車を呼ぶくらいのことは簡単にできたはずだ。(大して生き延びたくなかった僕でさえ、死の恐怖から逃れたいためだけに救急車を呼んだくらいなのだから)

そこで救急車さえ呼ばなかったのは、彼女自身の選択があったと考えるべきだと思う。

そして大久保松恵さんに限らず、ある人間が死を選択する意思は、つねに尊重されるべきだと、僕は考える。もちろんこういう考えが、非倫理的であることを承知でだ。

むしろ大久保松恵さんの死について、彼女自身が「死んでもいいや」と思ったかもしれない可能性を、ひたすら否定することが、無条件に正しいという考えの方が、彼女の人生を単純化しすぎていると思う。

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2009/02/04

環境が変わっても音楽の位置づけは変わらない

引越が一段落。今晩やっとモデムが届き、VDSLでネットできるようになった。大阪のオフィス街。家賃8万円強の新築ワンルームマンション。生活感のかけらもない環境。

昨日はネット接続できないPCで、引越前にダウロードしてあった映画『NANA』を観た。中島美嘉のファンになったからには、出演作は全て観るべきという義務感からなので、シネフィルとしてはどうコメントしていいのか分からない映画だった。

女優としては宮崎あおいの天真爛漫さの演技が輝いている。途中まで観た『NANA2』の市川由衣と比較すると歴然。中島美嘉は役柄なので仕方ないが『傷だらけのラブソング』に比べてあまりに感情表現が少ない。ただ原作マンガのナナ役として、歌を本人が歌うとすれば中島美嘉以上の適役はいないだろう。

引越早々また中島美嘉の話題で申し訳ないが、今週はビデオニュース・ドットコムもまだ聴いていないし、『自閉症の現象学』もまだ読み終えていないし。

それより生活環境が変わったことで、自分の精神状況がどう変わっていくのか、不安。自分も大阪出身のくせに、100円ショップや電器量販店の店員が関西弁を話す状況に強い違和感あり。

ただビッグエコーで中島美嘉の曲を歌っていると、何となく「自分は自分であまり変わってない」と確認できる。環境がどれだけ変わろうと、僕にとっての音楽の位置づけは全く変わらない。それが何よりの救い。

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2009/01/25

中島美嘉出演『傷だらけのラブソング』を観終えたが...

一度好きになったものに飽きてしまうのは時間の問題。楽しい気持ちは長く続かない。

それと分かっているのに、いや、それと分かっているから、未来の楽しみまで先に食いつぶそうとしてしまう。

フッサール現象学における生成の問題についての、デリダのフランス語の原書。ルーマンのシステム論のドイツ語原書。

20代のテレサ・テンの歌。フェイ・ウォンの『我願意』。フィッシュ・リョンのいくつかの歌。そして中国語。

どんな楽しいことでも、そのうち飽きてしまう。すっかり飽きて冷めてしまう。

それと分かっているから、一日でも早くその楽しみを食いつぶそうとする。

なんと悲しいことだろう。何一つ、いつまでも続くようなものはない。

唯一、いつまでも続くのは、毎日がつじつま合わせのような、会社員としての仕事だけ。

中島美嘉のシングルを全曲覚えようとしているのもそう。中島美嘉の曲だって、そのうち飽きてしまうことは分かっている。飽きて、すっかり冷めてしまうことも。

彼女がデビューのとき主演したテレビドラマ『傷だらけのラブソング』全11話。この時間まででやっと観終えた。

そうか、こういうドラマだったんだ。『CRESCENT MOON』はラストにこういう使われ方をするのか。塚本高史ってほんとにチョイ役だったんだ。加藤あいが途中で家出したことになるのは、きっと大人の事情があったに違いない。劇中の島崎未来が大成功を収める『STARS』は、CD録音じゃなくて、中島美嘉のライブ歌唱だったんだ。しかも曲の最後にフェイクを入れてる。中島美嘉の母親役の川島なお美は、金子賢より遥かに良い芝居してる...

こうして食いつぶされた楽しみは、失われて、もう過去のものになってしまう。

半年後の僕は、どうして中島美嘉にあんなに入れ込んでいたんだろうと、きっと不思議に思っているに違いない。

何かに飽きることの繰り返しで、時間が過ぎていく。悲しいことだ。

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2009/01/23

DMMの郵送CDレンタルを使ってみた

DMMの単品CDレンタルを初めて利用してみたのだが、期待したほど印象は良くなかった。

僕がレンタルした商品は最も借りにくい「星1つ」だったからかもしれないが、商品を予約したのが01/09、商品発送のお知らせが01/19で10日間も待たされたことになる。

商品が届いたのが01/21、商品を郵便ポストに投函したのが01/22、DMMで返却日と見なされたのが01/23、返却期限が01/27。

ちなみにレンタル料金は送料込みで240円。ただし普通の封書と同じ90円の郵便で送られてきて、返却時もあらかじめ90円の切手が貼ってある封筒で返送する。

僕は東京都内に住んでいるので返却日数は2日。つまり01/25に投函しないとダメ。商品が届いた日と返送日は、実質的に借りたCDを楽しめないとして、レンタルして楽しめる日数は、実質3日間。

まとめると、レンタル日数が実質3日間で240円。延滞料金が1日あたり210円。今回借りたのは旧作なので、TSUTAYAの店舗でCDを借りるのに比べると、かなりシビアな条件だ。

感覚的には、商品が届いたら、PCで音楽ファイルに変換して、ラジカセで聴いて楽しむ間もなく、翌日には返却しなければいけないといった感じ。

ただ、同じ作品をネットダウンロードで購入すると1,500円以上かかるので、安く上がったことには違いない。

1曲だけ欲しければ、確実にネットダウンロードを選ぶだろう。アルバム1枚欲しければ、コスト面でDMMを使う意味はあるかもしれないが、10日も待てるかどうか...。

DMMの郵送レンタルは、派手なテレビCMの割りには、使いたくなるか、使いたくなくなるか、微妙な線のサービスだ。

ちなみに僕が借りたのはCOLDFEETのLori Fineのアルバム『FOOTWORKS』だった。

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2009/01/13

まだまだ私愛し足りない/貴方になりたい

また中島美嘉の話かよ。その通り。最近中国語の勉強はどうなってるんだ?19曲目に覚えた中島美嘉のシングル曲は『SEVEN』。作曲は『FIND THE WAY』『Heaven On Earth』と同じCOLDFEETのLori Fine。作詞は中島美嘉。

『SEVEN』のDメロの歌詞に現れた中島美嘉の感覚こそ、僕が彼女を含む女性歌手の歌を歌うときの感覚にぴったりだ。

「まだまだ私愛し足りない/貴方になりたい」

男性が女性歌手のファンになるのは普通のことだが、なぜほとんどの男性がカラオケで男性歌手の歌を歌うのか、僕にはよく分からない。

ある女性歌手を愛したら、その女性歌手の歌を歌いたくなるのが自然なのではないのか。僕の場合は、単に歌うだけでなく、その女性歌手のように歌いたくなり、さらに進んで、その女性歌手になりたくなる。

対象を愛するからこそ、その対象と同一になりたいと願ってしまう。まさに「貴方になりたい」という感覚。女性を愛する感情と、女性になりたいという感情は、矛盾なく一人の人間の中に同居でき、それが自然という気がする。

たとえその女性を愛し、「貴方になりたい」と思っているのが男性と女性のどちらであっても。そして、ある男性を愛し、「貴方になりたい」と思っているのが女性と男性のどちらであっても。

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2009/01/06

JOY SOUNDの最上位機種を初体験

正月休み中、初めてJOY SOUNDの最上位機種「WAVE」でカラオケを歌う機会があった。

本人映像(プロモーション・ビデオ)の数は第一興商のPremier DAMに比べるとはるかに少なく、問題にならないのだが、驚いたのはJOY SOUNDのWAVEでは完全版で収録されているのだ。

たとえば中島美嘉『ORION』だと、Premier DAMの場合は最初の無音の部分がカットされ、戸田恵梨香の泣き顔のアップから始まる。しかしWAVEでは本当にPVの冒頭、彼女のイアリングのアップから始まるのだ。

また、この曲は前奏がないので、カラオケでは最初の音をとるために何か音を出す必要がある。

Premier DAMの『ORION』は1小節半の短い前奏が付けられているが、JOY SOUNDではピアノが和音を一発弾くだけのシンプルなもの。どちらかというとJOY SOUNDの方がプロっぽい。

それから気づいたのは、JOY SOUNDの方が歌詞字幕のフォントが小さく、画面をじゃましない。DAMの字幕はときどき画面の3分の2くらいを占めてしまうことがあるが、JOY SOUNDの字幕は左下にコンパクトにおさまっている。

それでも個人的には、本人出演画像の数でPremier DAMの方がいい。

(これまた何てくだらない記事なんだろう)

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2009/01/05

名古屋ビッグエコーの過剰サービス

去年、出張ついでに名古屋駅太閤口のビッグエコーに行ったとき、東京や大阪との違いに驚いた。

受付の女性が部屋まで案内してくれること自体、東京や大阪の店舗では考えられないのに、部屋の戸口で、本日はお越しくださいましてありがとうございますだの、一通りのあいさつをしてから立ち去っていくのだ。

料金は東京や大阪と同じであるにもかかわらず、である。

太閤口店が新しい店舗だからか知らないが、東京や大阪では考えれない過剰サービスにやや辟易した。

ことごと左様に名古屋は独特だから困る。まさか名古屋人は日本全国、名古屋の常識が通用すると勘違いしてるんじゃないだろうな。いや、閉鎖的な名古屋人のことだから、勘違いしてそうだ。

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2009/01/03

大麻は叩くが酒・タバコ・サラ金・パチンコは叩けないマスゴミ

正月休みで頭が働かない。大麻について「大して害がないなどとウソの情報を垂れ流している」とネットを非難するマスコミは、酒やタバコの方がはるかに日本社会に害悪を及ぼしていることを忘れているのか。

大麻の害悪がほとんどの場合、使用者本人にしか及ばないのに対して、アルコールは無関係な人間を飲酒運転の事故に巻き込み、タバコは肺ガン治療や公共の場の喫煙スペース設置費用など社会に無用な負担をかけている。

要するに大麻よりも、酒やタバコに対する寛容さの方が、はるかに社会に対して大きな負担をかけているのだ。

なぜマスコミが酒やタバコを叩かないのか。理由は簡単。ビール会社やJTがスポンサーだからだ。

そんなマスコミが大麻の学生への蔓延を取り上げるのは、決して中立的な立場ではないことを忘れてはいけない。

マスコミは、酒やタバコ、そこに消費者金融やパチンコ・パチスロを含めても良いかもしれないが、そうしたものを叩けない代わりに、大麻を叩いて正義ぶっているに過ぎない。日本のマスコミ何て、その程度のものだ。

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2008/12/31

マクドナルドで隣の席にホームレスの老女

昨日、錦糸町駅近くのマクドナルドで昼食をとっていたら、隣の席に明らかにホームレスとおぼしき老女が座った。

僕のさらに隣の席がたまたま空いていて、そこへ何人かの客が座るのだが、すぐに立ち上がって別の席に去っていく。

要するに、あたりに強烈な臭いが漂っていたのだ。

僕も何とか我慢して食事を続けようとしたが、食欲が失せ、結局、ハンバーガは半分、ポテトは丸ごと残し、飲み物だけ持ち出して店を出た。

別の席に移動して食事を続けることもできたが、さすがにそれは露骨な悪意だと感じた。ただ、それがホームレスの老女に対する憐憫だったのか、他の客に対する見栄だったのか、定かではない。

こういうときは、どう振舞うのが最も適切なのだろうか?

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大久保松恵さんが亡くなったことについて(4)

飯島愛(大久保松恵)さんが亡くなったことについて、社会が芸能人に対して、過剰な倫理的要求をしており、彼女はその犠牲者の一人だったのでは、という気がしてきた。

芸能人がメディアを通じて、一般人よりはるかに大きな社会的影響力をもっていることは確かだ。

ただ、一般人は自分自身がどれだけ「正しく生きているか」は棚上げにして、芸能人が大きな社会的影響力を持っていることを口実に、芸能人の倫理的な失態なら、いくら叩いても構わないという「ワル乗り」に走る傾向があるのではないか。

もう一つ、これは大久保松恵さんと僕ら同じ世代の世代性かもしれないが、「強迫自己啓発症」のようなところがあるのではないか。

つまり、何だか理由はよくわからないけど、人間は一生向上し続けなければならないという強迫観念のようなものにとりつかれているのではないか。

例えば仕事で英語を使う機会などないのに、英会話の勉強にいそしんだり、『夢をかなえるゾウ』のような自己啓発本が相変わらずベストセラーになったり。

人間はつねに前向きで、ポジティブでなければならない、つねに向上しなければならないという強迫観念にとらわれているのではないか。

大久保松恵さんも、芸能人としての彼女は、一つは外側からの圧力として、一般人から、一般人以上に倫理的でなければならないという要求の「空気」を感じており、かつ、内側からの圧力として、つねに前向きでポジティブでなければならないという強迫観念にとらわれていたのではないか。

ましてAV女優という過去を背負っていれば、それを埋め合わせるために、余分にそれらの外的、内的な圧力を感じざるを得なかっただろう。

向上心もなく単に生き続けることが端的に悪いことだと言えるのか。

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2008/12/28

大久保松恵さんが亡くなったことについて(3)

今朝の『サンデージャポン』を見ていて、爆笑問題の太田の言葉に納得させられた。

飯島愛さん(大久保松恵さん)は、芸能界で他のタレントに妥協を許さない分、自分自身にも一切の妥協を許さない結果、自分で自分を芸能界からはじき出さざるを得なかったのではないか、ということだ。

もっといい加減に生きてもよかったのではないか、というテリー伊藤の言葉もその通りだと感じた。

自分の存在そのものに罪の意識を抱かずに生きている能天気な人間はどうでもいいとして、大久保松恵さんのように、自分の過去も含めて、自分が生きていること自体に罪の意識を持ってしまう自罰的な人間を、どうにかして「赦す」ことはできなかったのだろうか。

大久保松恵さんは2008年1月、精神的に不安定になっていた頃、渋谷警察署に駆け込んでいたというが、そういうエピソードを聞いても、彼女は他人に依存すること、他人に「赦し」を得ることさえ、潔しとしないところまで自分を追い詰めてしまっていたのではないかと推測される。

本来、こういう場面では宗教が機能を果たす。人間にかわって超越的な存在が「赦し」を与えるというフィクションを提供し、自罰的な人間にとっての緩衝材になるはずなのだ。

病理解剖しないと死因が分からないというのは、おそらく神経症関係の薬が原因で、消化器にも残っていなかったためだろう。

大久保松恵さんは自殺でこの世から逃げることさえ、卑怯だと考えていたはずだし、大量に服用していれば胃があったあたりに残っているはずなので、薬の誤った服用など、何らかの事故で亡くなった可能性が高いと思う。

彼女のような人間に対して、今の社会はどのように「赦し」を与えることができるのか。

「赦し」を与える機能を失った社会は、結局、ある種の人たちを死へと追い詰める結果になる。

それが自殺であれ、経済的な困窮死であれ、事故死であれ、本当なら行き続けたい人間が、行き続ける余地を全く失ってしまうほど、今の社会には「のりしろ」がなくなってしまっている、ということだろう。

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2008/12/26

大久保松恵さんが亡くなったことについて(2)

亡くなった大久保松恵さんだが、行政解剖では死後1週間経過しており、死因の特定ができなかったそうだ。渋谷の高層高級マンションで、きっと空調は十分に効いていただろうから、遺体も一部腐敗し、死因の特定が難しいのだろう。

それにしてもあれだけの人気タレントが、引退後たった2年弱で、1週間も放置される「孤独死」とは、何とも哀れで言葉がない。

もちろんこれから失業した非正規雇用者が、路上で人知れず孤独死することが常態化するかもしれないが、これも日本社会がいかに「薄っぺら」になってしまったかの証拠の一つだろう。

死後の報道でどうしても気になったことが一点ある。

彼女のAVデビューが1992年とされていることだ。どこかの記事だけは、1991年にAV女優としてテレビ番組に出演し、ブレイクしたとあった。

彼女は1972年生まれなので、表向きには1992年AVデビューとしておかないとまずいという、大人の事情があるのだろう。

しかし、こんなことを書くのは恥ずかしいけれど、僕はすでに1989年に彼女が単体女優として出演したAVを見た記憶がはっきり残っている。当時僕は学生で、都内で何度か引越しをしているので、この年号は正確だ。

これは単体女優としてのAVなので、まだそれほど売れていない時期があったことを考えると、おそらく彼女が最初にAV撮影に参加したのは、実際には18歳未満なのではないかと思われる。

死してなお、自分の過去を糊塗しなければならないところに、彼女の持つ経歴の悲しさがある、と感じた。

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2008/12/24

大久保松恵さんが亡くなったことについて(1)

大久保松恵さんが亡くなったそうだ。死因はまだ自殺か病死か分からないそうだが、ブログの更新が2008/12/05から途絶えていたそうだから、いずれにせよ孤独死と言える。

大久保松恵さんについては、彼女が芸能界を引退した頃、2007/04/08に「今さらながら飯島愛の引退について(1)」「今さらながら飯島愛の引退について(2)」の2つも記事を書いている。

そのときは「彼女の新しい生活が幸福なものであればいいと思う」と書いて、本当にそう願っていたのだ。

やはり彼女にとっては芸能界が、たとえかなり生きづらい世界で、自分の虚飾に対する自責の念に耐えられないような場所であっても、独りである自分自身にじかに向き合う生活よりは、まだましだったのではないか。

それは僕にとって会社員生活が、やはり耐え難いほど下らなくても、そこで生活するしかない場所であるのと同様に。

僕がそこで生活するしかないのは主に経済的理由だが、彼女は不幸にしてと言うべきか、経済的に芸能界から離れて生活できてしまった。

ただ、川田亜子さんの自殺のときにも同じことを書いたが、生き続けることが耐え難かったのであれば、最期の瞬間が安らかなものであったことを祈るだけだ。

彼女の死については、もう少し事実が明らかになってきてから、また書きたいと思う。

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2008/12/17

自殺手段の規制までお上頼みの無責任日本人

硫化水素自殺の材料に悪用された薬用入浴剤のメーカーが、ついに廃業に追い込まれたらしい。メーカーにとっては不本意に違いないが、日本人の間に手軽な自殺方法に対する潜在的な需要が強く存在する事実を無視することはできない。

なお、硫化水素で「きれいに」「楽に」死ねるというのはネット上の完全なデマで、呼吸器系の炎症による窒息でのたうち回りつつ死ぬのが事実らしい。

ただ、未確認の情報でも手軽に入手できる自殺の手段が見つかると、多くの人が群がるということは、日本人の間に楽に死ねる方法に対する潜在的な需要が相当あるということだ。

また、楽天市場で大量に鎮静剤を購入して自殺を図った19歳の青年が後遺症で寝たきりになったことから、医薬品の通販規制がさらに強まるのではと言われている。

僕は自殺の手段を自殺志願者から完全に奪うことができない以上、自殺手段の規制が自殺の防止にさほど有効とは考えない。

ましてその規制を立法に頼るというのは、単に「臭いものにフタ」をして、国家による情報の独占と制御を許し、かえって市民への情報公開や自主的な決定を阻害する結果になる。

医薬品のネット販売も、禁止するのではなく、許可した上で市民の側が、同じネットを使って情報共有や啓蒙活動を進めるのが適切だ。何でも法律で規制してくれと、お上に頼りつつ、他方でお役所の肥大化を非難する日本人は矛盾している。

また、常に自殺の手段を求めている自殺志願者にとって、倫理的な啓蒙活動の有効性はほぼ皆無と考えていい。「命の授業」的な訓話に感動したり共感できるのは、まだ自殺を考えるほど絶望していないということの証明だ。

以前からこの「愛と苦悩の日記」に書いていることだが、人生に既に絶望している人たちに対して、「生きたくても生きられない難病の人たちもいるんだから、健康な命は大切にしろ」という正論や、「あなたが苦しいのはよくわかる」という共感は、自殺への思いを捨てさせるのに何の役にも立たない。

それらの言葉は簡単に反論できるからだ。例えば「そんなことを言えるのは、あなたが本当に絶望していない証拠だ。本当に絶望していたら、そんな脳天気なことを言えるわけがない」など。

自殺念慮の絶望に追い詰められた人々と、それ以外の人々の間には、死者と生者の間と同じくらいの、意思疎通の不可能性が横たわっていると考えるべきなのだ。

ただし、本当は生きたいのに、さまざまな理由で自殺を選ばざるを得ない人たちは、自殺ではなく社会による他殺であり、自殺と見なすべきではない。こうした社会による他殺はセーフティーネットの整備で予防すべきである。

そうではなく、生き続けることの希望を完全に相対化していて、生きていても死んでも大差ないが、どちらかといえば死ぬ方が自分にとって望ましい、あるいは、このまま生き続けることは自分自身に対する屈辱であるなどと考える人たちの自殺は、将来、いつかは尊厳死として、管理された自死として制度化されるのが望ましいと思う。

残念ながら社会の厚みがいくら厚くなっても、すべての人がこの社会に適応できるわけではない。適応できない人が、例えば薬漬けになりながら、あるいは悲惨な生活状況にありながら、強制的に生き続けさせられるというのは、端的に不幸だからだ。

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2008/12/13

日本語版「i'm lovin' it」がない理由は?


どうでもいい話だが、この間マクドナルドでカップに印刷されていた各国語の「i'm lovin' it」を一つずつ読んでいて気づいたことがある。

我就喜欢、ich liebe es、c'est tout ce que j'aime...

日本語がない!日本語版の「i'm lovin' it」がない!

もしかするとこのパッケージは日本用に各国語版の「i'm lovin' it」をサービスで印刷してあるのかもしれないと思い、各国のマクドナルドのウェブサイトを見てみた。

大陸中国のウェブサイトのタイトルは「麦当劳 我就喜欢」。
フランスはロゴの下に「c'est tout ce que j'aime」。
ドイツもロゴの下には「ich liebe es」。
ロシアでもロゴの下にキリル文字で書いてある。
アルゼンチンもロゴの下にスペイン語がある。
オーストリアはサイト自体はドイツ語だがロゴの下には英語で「i'm lovin' it」。
バーレーンはアラビア語。
ベルギーはネーデルランド版がロゴの下は英語、フランス語版も英語。
ブラジルはロゴの下はたぶんポルトガル語。
ブルガリアはロゴの下は英語。
カナダはロゴの下は何も書いていない。
チリはロゴの下にたぶんスペイン語。
コロンビアはロゴの下にたぶんスペイン語。
クロアチアはロゴの下は英語。
オランダはロゴの下は英語。

全て調べるほど暇じゃないので、時間のある方はこちらのマクドナルド各国語サイトへの入口から調べて頂きたい。

ただ、英語が公用語ではない国で「i'm lovin' it」なのは日本だけではないようで安心(?)した。

個人的に気になったのが韓国も台湾も英語の「i'm lovin' it」を採用している点。特に台湾が「我就喜歡」を使っていないこと。

例えばマクドナルドのロゴの下に「それって好き」などと日本語で書いてあると、日本人が違和感を抱くだろうことは容易に想像できる。だからマクドナルドは日本語版を作らなかったに違いない。

韓国も日本と同じく、大多数の国民が素朴に親米派なので同じ理由でマクドナルドは「i'm lovin' it」で問題ないと判断したのだろう。

しかし台湾も、韓国や日本と同じ理由なのだろうか?

どうでもいいことなのだが、気になるといえば気になる。

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2008/12/03

舞鶴少女殺害、冤罪の臭いプンプン

舞鶴少女殺害で家宅捜索をうけた男性は、おそらく冤罪だろう。

下着泥棒で逮捕された60歳の無職の男性の家宅捜索が6日間にもなったのを、警察は「雑品や鉄くずの山のせい」と言うが、物証も供述もない中で、事件発生から半年もたった今ごろ、下着泥棒で逮捕した60歳の男に疑いをかけるとは、いかにも冤罪の臭いがする。

周囲から変人扱いされ、独身で、おそらくまともな身寄りもない60歳の男性と来れば、無実の罪をおっかぶせるのに格好の相手だ。

自宅に鉄くずをためこみ、下着泥棒するような男が、警察の恫喝に虚偽の自白をすることなく最後まで耐えられるか。

殺したのは1人だけだから死刑にはならないと、無理やり罪を認めさせられ、どうせ刑期中に刑務所で死ぬだろうというところまで見込んで、冤罪にするに違いない。

「変人」がいなくなれば地域住民もハッピー、検挙率が上がれば警察もハッピー、被害者の肉親も犯人が見つかってハッピー、無関係な人たちも犯人が見つかって溜飲を下げてハッピー。

これだけ大勢がハッピーになるなら、60歳の「変人」一人くらい冤罪になって刑務所にぶち込まれても構わない。日本というのは、その程度の国だ。

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2008/11/19

加護亜依がブログで難病を告白?

「加護亜依がブログで難病を告白」という見出しに思わずクリックしたら、ただのメニエール病じゃないか。

以前も書いたが、僕も激しいめまいで死ぬかと思って救急車を呼び、市民病院に担ぎ込まれた後、症状がおさまって、後日、耳鼻科にかかったら、ストレスによるメニエール病だと診断され、「こんな病気で救急車なんか呼ばないで下さい!」と耳鼻科医にこっぴどく叱られた。

メニエール病はたしかに難病(特定疾患)指定されているが、「メニエール病ごときで救急車を呼ぶな!」と医者に叱られるくらいで、まったく命に別状はない。わざわざ「告白」する必要すらない。

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2008/11/16

「インフルエンザ」を売る病院

下らない話その2。近所の総合病院でインフルエンザの予防接種を受けた後、会社に提出するための領収書をもらったら「インフルエンザ代」と書いてある。いやいや、それを言うなら「インフルエンザ予防接種代」か「インフルエンザワクチン代」でしょ。僕は「インフルエンザ」を買うのにお金を払ったわけじゃないし、病院が「インフルエンザ」を売ってどうするの。でも「椎間板ヘルニア」とか「慢性胃炎」とか「双極性気分障害」を売って領収書を出す病院があったらちょっと面白いかも。

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東京レジャーランドのカラオケは全然ダメ

下らない話。ヴィーナスフォートでのalanさんの『恵みの雨』発売記念ミニライブまでの時間をつぶすのにお台場・ゆりかもめ青海駅の東京レジャーランドのカラオケボックスに初めて入ったがDAMの機種が古すぎて中島美嘉の本人映像がほとんどないし絢香『今夜も星に抱かれて』の『スカイ・クロラ』ダイジェスト映像も出てこない。東京レジャーランドのカラオケボックスは全然ダメ。中島美嘉のPVを大画面で観たいから中島美嘉の曲を歌うのに。

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2008/10/29

この世界って、何て醜いんだろう

この世界って、何て醜いんだろう。

昨日、押井守監督の『スカイ・クロラ』製作過程を追ったドキュメンタリーが放送されていて、その中で押井守監督が同作品は、初めての試写会を行った横浜国立大学の上映後の講演で、大学生たちに、人生って基本的につらいものだけど、そんなに悪くないんだぜってことを伝えたかった、と話していた。

それはあなたが映画監督として成功したから言えることでしょ。とツッコミを入れたくなった大学生は多かったはずだ。

映画監督のような著名人とは言わないまでも、自分の希望とかけ離れた人生を歩まざるを得ない人間が山ほどいる中で、映画監督にとって人生が「そんなに悪くない」程度のものなら、自分の希望とかけ離れた人生を歩んでいる人にとっての人生は、ただただ醜いものに違いない。

昨年自分が辞めた会社に、自分が辞めた一因を捨て台詞にして退職したはずの人間が舞いもどっている事実を知り、改めてこの世界の醜さを思い知らされた。実に醜い。耐え難い醜さだ。

僕が醜いのではない。世界が醜いのだ。ただ、世界が醜い理由は、世界そのものが醜いからではなく、僕の理想が高すぎて、単に醜く見えているだけかもしれない。

しかし、理想が高いことの、一体何が悪いのか?

自分の信じる理想に背かないためなら、いっそのこと醜い世界を捨てるのも選択肢の一つだ。

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2008/10/22

給食パンで窒息死は学校の責任?

給食のパンをのどに詰まらせて亡くなった児童の父親が報道陣のインタビューに答えて、児童たちがパンの早食い競争のようなことをやっており、それが事故の一因になったのは、学校の監督不行き届きのせいだと発言していた。

自分の子供が、パンの早食い競争に参加するような子供に育ったことについて、この父親は自分の家庭に一切責任がないとでも言うのだろうか。

今回の事故の主因が、仮にパンの早食い競争だったとしても、その早食い競争に参加していない賢明な児童がいる以上、全てを学校の責任だと主張するのはナンセンスだ。お子様を亡くされた悔しさは理解できるが、学校を悪者にしても、何も得るものはないと思うのだが。

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2008/10/19

鶴山台は生きている

僕が小学生時代をすごした大阪府和泉市にある鶴山台という団地を、1年8か月ぶりにおとずれた。

前回は底冷えする2006/12で、記録をとるためにビデオ撮影しながらということもあり、散歩を楽しむどころでなかったが、今回は穏やかな秋の晴天で、思い出に浸りつつ散歩するには最適だった。

ちなみに2006/12のときの記事はこちらをクリック。

30年前に過ごした土地が、この2年弱でさして変わらないだろうと思っていたが、その間に当時の思い出が二つ消え去っていた。

一つはこのあたりにあった駄菓子屋

以前も書いたが、ともだちと当たり付きのガムやアイスを何度も買いに行った駄菓子屋の建物が、2年前にはあったのに、今回はなくなっていた。正確な場所もわからなかったが、どうやら駐車場になったらしい。

今年の夏、YouTubeに僕がアップしたこの動画の6:00あたりに、在りし日の駄菓子屋が映っている。

そしてもう一つは、そこから坂道を上がり切ってすぐのところにある珠算教室。2年前すでに閉鎖されていたが、こちらも取り壊されて駐車場になっていた。上述のYouTubeの動画の7:20あたりに、やはり取り壊される前のこの珠算教室が映っている。

大阪郊外のさびれた団地とはいえ、利益を生まない物件は利益を生む用途に転換される。

駐車場になった駄菓子屋や珠算教室など、単に個人の思い出としての価値しかないのだから、駐車場に変えられて当然。2年前に訪れて、最後の姿を映像に収め、YouTubeにアップできたのは幸運だった。

ただ、今回、鶴山台を訪れて、意外な喜びもあった。

前回、真冬に訪れたときは、団地の中で子供の姿を一人も見かけなかったが、今回は元気に遊ぶ子供たちをたくさん見ることができた。

鶴山台も高齢化が進んで子供がいなくなったのだと勘違いしていたが、僕が通っていた国際幼稚園(昔は経営者の名前を冠した嶋田幼稚園)の前の公園でも、当時のままの滑り台で、子供たちが遊んでいるではないか。鶴山台南小学校裏の惣ヶ池公園でも、キャッチボールをする親子がいた。

1号棟、2号棟横の、今はディリーカナートという名前のスーパーの中にある小さなマクドナルドで昼食をとったが、そこにも小学生が6、7人いた。2号棟の前でバレーボールをして遊んでいる子供たちもいた。

何だ、鶴山台もまだ生きているんだと思った。

1号棟、2号棟の商店街をぐるっと歩いていると、有線放送からalanの『RED CLIFF~心・戦~』が偶然流れてきた。僕にとっての今の時間と、30年前の時間が、alanの歌声で不思議と結ばれたようだった。

そして今回、北信太駅から鶴山台へ向かうとき、小学生のころ通っていた書道教室「書志塾」の前を通った。

2006/12に訪れたときは、玄関につながる門が閉じられ、古びた建物がひっそりしており、先ほどの珠算教室と同様、もう閉じてしまったのだと思った。

今回はその門が開いていたが、建物はひっそりと人気がなく、やはり教室は閉じたのだろうと前を通り過ぎた。

ところが、である。鶴山台のいちばん奥の配水所までぐるりと回って駅へもどる途中、書志塾の前を通るちょうどそのとき、今風のカジュアルなファッションをした小学生らしい女の子が、門の前で降りた自転車を押して門をくぐったのだ。

思わず後ずさりして、気づかれないように様子をうかがっていると、その女の子は玄関の前に自転車をとめ、30年前そのままの、古びた木製の引き戸を開けて中に入っていた。

今も30年前と同じように、「書志塾」で書道を習う子供がいたのだ。

その女の子が玄関の引き戸を入っていくとき、まるで彼女ではなく自分自身が入っていくような錯覚を感じ、教室の中のあの墨の匂いがあざやかによみがえった。

「ほんちゃんの日記」というブログに、「書志塾」の中塚如慧(にょけい)先生の作品展が、2008年夏、鶴山台団地にある「信太の森ふるさと館」で開かれたとある。もちろん小学生の僕が習っていたのも中塚先生だ。

どうやらこの「ほんちゃんの日記」というブログの筆者の方は、ご自身か、親族の方が鶴山台団地にお住まいらしく、今年の鶴山台の夏祭りの様子もブログに書かれている。

ところで、僕の母校、鶴山台南小学校も、今回はちゃんと「生きている」姿を見せてくれた。昔のままの体育館の中からは、バスケットかバレーボールかを練習する子供たちの甲高い声が聞こえ、グラウンドでは運動会の準備中だった。どうやら近くの幼稚園が小学校のグランドを借りて運動会をするようだ。

小学校の本館を見上げ、窓越しに6年生の教室の前の廊下が見えたとき、涙があふれそうになった。もうあのころは二度ともどらない。

ただ、あのころにもどって欲しいのかどうかはわからない。

実は今回、鶴山台に行く前、阪和線を三国ヶ丘駅で南海電車に乗り換え、白鷺駅で降り、小学生のころ無理やり通わされて、今でもちょっとしたトラウマになっている中百舌鳥スイミングスクールの「跡地」に30年ぶりに立ち寄ってきたのだ。

ダイキンの工場や中百舌鳥公園の池は30年前と変わりないが、ダイエーはコーナンに変わっており、スイミングスクールは跡形もない。

当時、中百舌鳥スイミングスクールといえば、おそらく日本有数の競泳選手を輩出し、50mプールの隅でシンクロの練習もよく目にしたので、関西地区の水泳競技のメッカといえる場所だったはず。

そのスイミングスクールの厳しい練習に、幼いながら死ぬ思いをして、その現実から逃避したい気持ちが、『銀河鉄道999』のメーテルに僕をのめりこませたと言ってもいい。

しかしその「跡地」は清潔な大規模ショッピングセンターと化し、昔の面影をまったく残していない。どのあたりがあの大きな50mプールだったのかさえ分からない。

中百舌鳥スイミングスクールをネットで検索して、面白い情報を見つけた。僕が通っていたころの女性コーチが、いまもスポーツインストラクタとして活躍されているようなのだ。

それは「己抄呼~Misako~の“健康エンターテインメント”」というブログの筆者の己抄呼さんだ。

別ページのプロフィールによれば、確かに1976年「競泳の強豪選手を作り出すことで当時有名だった中百舌鳥スイミング(ダイエーレジャーランド)に水泳コーチとして入社」とある。

ハスキーボイスで元気が良く、美人の女性コーチがいた記憶は確かにある。もしかするとこの己抄呼さんだったかもしれない。

なぜか一つ、鮮明に覚えている場面がある。50mプールの横に練習前の準備体操をする広い部屋があって、その女性コーチの指導の下、みんなで体操をしていると、一人の生徒が背中にイボがあるといってむずがり始めた。

すると女性コーチは自分の長い髪を一本抜き、イボの根元に髪の毛をくるっと巻いて左右に引っ張り、あっという間にイボをとってしまった。

スイミングキャップをとったときの、そのコーチの長い髪と、大声で指導するせいで完全につぶれてしまったハスキーボイスが強く印象に残っている。

Wikipediaによれば、ダイエーレジャーランド(現ファンフィールド社)は、1998年にスポーツクラブ運営事業をコナミスポーツ&ライフに譲渡したらしい。

こちらのページによると、どうやらいったんは50m×9コースという大規模のまま、コナミが運営を引き継いだが、ダイエーが現在のコーナンに改築されるときに取り壊され、道路を挟んで向かい側に、現在のコナミスポーツクラブなかもず店ができたようだ。これで経緯がはっきりした。

上記のページにあるように、たしかに50m×9コースというのは大阪で最大級の屋内プールで、僕が通っていたころも、競技会でない限り、通常は横20mのコースとして使っていた。

こうして調べていると、徐々に記憶がよみがえってくる。20mのコースをろくに息継ぎもできないバタフライで、何度も往復させられ、このままでは死んでしまうと思ったり、あまりのつらさに、おなかが痛いとウソをついてトイレに駆け込んだこともあった。

小学校4年生のとき、やっと両親の許しが出て、というより、中学受験に専念するということでスイミングスクールを辞めることができたときは、地獄の底から救われたような気分だった。

ただ、すぐに始まった受験勉強のために、妙に大人びた厭世観は引き継がれ、小学生の癖に世をはかなむようなことを口にしていたのを覚えている。

だめだ。小学生のころのことを書き出すときりがない。

ただ、いい季節に鶴山台をひとめぐりし、鶴山台がたしかに生きていることを確認できたのは何よりよかった。

やはり、できることならあのころに戻りたい。本当に幸福だった小学校5年生と6年生の、あの2年間に。

あれ以上幸福な時間は、これから先、僕の人生に二度とやって来ないと断言できる。もちろん、もう一度あの人に逢うことができれば、話は別だが、それはただのワガママというものだ。

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2008/10/06

このブログの検索フレーズ

このブログにたどりつく検索フレーズは、過去、概ね「雅子様 適応障害」「you raise me up 歌詞」「mysql 文字化け」がトップだったが、何故かここ1~2週間「ザンボット3 人間爆弾」と「エウレカセブン 最終回」が多い。いずれも随分以前に書いた記事なのだが、一体ネットの世界で何が起こっているのか。まさか「スーパーロボット大戦」とかいうゲームソフトの新版が発売されたせいか?たしかに同ソフトのテレビCMにはザンボット3と、エウレカセブンが登場するが...。

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2008/09/29

NHK視聴率トップはテレビ離れが主因

2008/09/29時事通信によると、上半期ゴールデンタイムの視聴率でNHKが首位だったらしい。このこと、実はビデオニュース・ドットコムの最新の第391回マル激トーク・オン・ディマンドで、社会学者・宮台真司がコメントしている。

別にNHKが視聴率主義に走っているわけではなく、「テレビ離れ」であり、テレビに娯楽を求める日本人が確実に減っているということだ。

19時の視聴率トップがよくNHKの7時のニュースになることからも分かるように、おそらく若者がゴールデンタイムのテレビを観なくなり、その時間を携帯電話やインターネットを使ったコミュニケーションに割いているということなのだろう。

若者の携帯電話やネットへのシフトもここまで進んだか、という感じがする。

そういう僕自身も、帰宅後、ゴールデンタイムのテレビはつけっぱなしだが、音を聴いているだけ。もっぱらインターネットで時間をつぶすので、世間のテレビ離れに貢献しているわけだが。読者の皆さんもその一人だろう。

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2008/09/19

テイラー氏の提訴は川田亜子さんの死に対する冒涜

元TBSアナウンサーの川田亜子さんが2008/05/26に自殺してから3か月になるが、J-CASTニュースの2008/09/16付け記事によると、彼女の元恋人とされる平和活動家マット・テイラー氏が、川田亜子さんの所属していた芸能事務所の幹部を提訴したらしい。

ネットを検索するとマット・テイラー氏の平和活動は宗教色が強いもののようで、川田亜子さんがテイラー氏のドキュメンタリー映画を通じてその思想に共鳴したのは事実らしい。

川田亜子さんがマット・テイラー氏に心酔するのは個人の自由として、他人に非難されるべきことではない。

にもかかわらず、川田さんの所属する芸能事務所が、いかにも日本企業らしく(あるいは日本人らしく)、特定の思想性に川田さんが傾倒するのを、芸能人としての仕事への影響を恐れて、やめるように本人に直接指導していたのは十分に考えられることだ。

とは言え、仮にそのような事実があったとしても、芸能事務所の幹部が彼女を自殺に追い込んだと認定し、提訴したマット・テイラー氏の行動は、日本社会の文脈では明らかに行き過ぎだ。

おそらくここにはテイラー氏の「計算」があるのだろう。勝訴すれば自分の平和活動の正当性を証明できるが、敗訴しても失うものは何もない。氏の資金力にとって訴訟費用が微々たるものなら、自身の活動にとっては提訴しないほうが損だ。

ただ、川田亜子さんがマット・テイラー氏に心酔したのは、その頃すでに彼女が将来についての不安などから、神経症にかかっていたにもかかわらず、芸能事務所を含め、彼女の周囲の人々が、心療内科や神経科にかからせるなど、適切な処置をとらなかったからではないか。

その結果、川田亜子さんは宗教的な平和活動にすがった。それによって川田亜子さんは一定の精神的な安定を得たかもしれないが、テイラー氏の活動は、宗教的であるがゆえの排他性を持つので、神経症患者の「治療」としては明らかに不適切だった。

その排他性は、今回テイラー氏が川田さんの所属事務所を「悪者」扱いしている点に端的に現れている。

宗教的な排他性とは、正義と悪の二元論にもとづき、自身の観点から悪と見なしたものを排除する考え方だ。

米国のプロテスタンティズムが、本来のキリスト教の教義から離れて、善悪二元論に傾斜しているのは有名な話だ。ブッシュ政権が容易に「悪の枢軸」という言葉を使うのも、その背景にはネオリベ派のマニ教的な善悪二元論がある。

おそらくテイラー氏の宗教的なバックグラウンドにも、この二元論があったのだろう。テイラー氏に悪意はなかったとしても、客観的に見れば、川田亜子さんは二元論的な宗教に依存するより、適切な医学的治療を先ず受けるべきだった。

テイラー氏が川田亜子さんの所属事務所と係争したところで、川田亜子さんの自殺の「真の原因」が明らかになるわけでもないし、もちろん川田亜子さんが戻ってくるわけでもない。せいぜい、テイラー氏が自分の「善」を証明できるかもしれない、というだけのことだ。

誰が「悪」かをはっきりさせるために川田亜子さんの事務所幹部を提訴したテイラー氏の行動は、いかにも単純素朴な米国人らしく、川田亜子さんの死の原因を著しく単純化してしまうという点で、死者に対する冒涜でさえある。

本当に川田亜子さんのことを思うなら、テイラー氏はなぜ、川田亜子さんを静かに眠らせてあげることができないのだろうか?

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シェーバーに技術の進歩を実感

家電量販店のパソコンやAVコーナーにぶらりとよく立ち寄るので、技術の進歩には疎くないつもりなのに、知らないうちに意外なところで技術は確実に進歩しているらしい。

先日、3年くらい使ったSANYOの電気シェーバーのバッテリーが、フル充電してもすぐ切れるようになり、寿命だと考え、ヨドバシカメラの貯まったポイントだけで買える同じSANYOの「T-SOLID NEO」という機種を購入した。

ヒゲなんて、朝、出勤前に剃っても夕方になればどうせ生えてくるので、シェーバーに4,000円以上使う気は全くない。店頭価格で3,000円を割る機種を探すと、結果的にいつも三洋電機の製品になる。

ところがこの「T-SOLID NEO」、驚くほど軽いのだ。買い換える前の機種と価格帯も性能(キワゾリ刃付き、水洗い可能)も全く同じなのに、本体も充電用のアダプタも、半分くらいの重さになった感じがする。

おそらく三洋電機の充電池技術が進歩した結果、ここまで軽くなったのだろう。もしかすると携帯電話や電気自動車の充電池、同じ三洋電機の蓄電池「eneloop」などの技術進歩とも関係あるかもしれない。

意外なところで技術の進歩を実感させられたというお話。

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2008/09/15

第4回自殺予防デー・シンポジウムに行ってきた


NPO 自殺対策支援センター ライフリンク主催の第4回「WHO世界自殺予防デー」シンポジウム(東京ビッグサイト・国際会議場)に行ってきた。

我去东京国际展示场参加日本的非营利组织《自杀对策支援中心 LifeLink》主办的第四届《WHO世界自杀预防日》研讨会。

シンポジウム第一部は自殺遺児の体験談。冷静な語り口ながら、ときどき長時間言葉につまる場面があり、実母を自殺で失って8年の年月でも癒されない複雑な感情が胸に迫ってきた。

第二部は2008/07に発刊された「自殺実態白書2008」の概要紹介。大部の白書だが、会場で販売されていたので実費600円で購入した。これから時間をかけてじっくり読んでみたい。

第三部はパネル討論。前半は、姜尚中(東京大学大学院教授)、宮台真司(首都大学東京教授)、町永俊雄(NHKアナウンサー)、清水康之(NPOライフリンク代表)の4名がマクロ的な観点からの議論。


後半は北海道の地方都市で実際に自殺対策に取り組んでいる現場担当者と、「自殺対策基本法」を議員立法で成立させた国会議員も加わって、現実的な自殺予防対策の議論。

第三部パネル討論の前半から、発言者の論点をいくつか抜粋してみる。

姜尚中:

統合失調症の例にならい、「自殺」という名称を例えば「困窮死」と言い換えてはどうか。「自殺」というと個人が自分の意思で選択した死という印象が強い。現実には生き続けたいのに、経済的・精神的に困窮して死に追い込まれるのが自殺だ。

また、「自殺実態白書」では明らかに工業地帯、企業城下町と呼ばれる地域で自殺者が多い(愛知県豊田市など)。特に製造業のリーディングカンパニーの、職場実態のリスクを解明すべき。日本のマスコミ、特に新聞は、これら大企業のプロモータと化してしまっている。


宮台真司:

1990年代にかけて個人的に身近な人間4人が自殺したこと、特に1990年代後半に教え子と読者の若者が自殺したことから、研究の方向性を変えた。「サイファ」概念がその一つの結果。たかが経済低困窮くらいで死なざるを得ない社会の薄っぺらさ、社会的包摂性の欠如が問題。自殺への経路は、郊外ニュータウンの孤独死への経路に酷似。

姜尚中:

開発主義国家である日本、韓国は、『三丁目の夕日』にあるような社会的包摂性は実は存在せず、高福祉が実は企業丸抱え体質で実現されており、グローバル化による企業の変質とともに、実は欧米より「情け容赦ない社会」であることが露呈したのではないか。生きるも死ぬも自己責任という考え方自体がおかしい。

ライフリンク清水代表:

自殺の追い込まれ方は、加速度的。最初はじわじわと追い込まれ、自殺の直前は急速に状況が悪化する。また、既存の支援策は少なくないのに、その情報が末端まで伝わらないのが問題。

宮台真司:

情報が末端まで伝わらないのも、実は社会的包摂性の欠如が原因。包摂性は、血縁、地縁、職縁(職場の人間関係)、階級縁(欧州)、宗教縁(米国)。包摂性が失われた日本では、支援策を末端まで伝達する経路が失われ、個人と行政が直接向き合う必要がある。中でも日本の企業社会の共同性イコール地域社会(水俣の事例)、企業の不調が地域社会の空洞化に直結する。

清水代表:

有効な対策は自殺への追い込まれ方のパターン化と、各パターンに対応する対策のパッケージ化。既存の社会資源でも十分対応できるはず。

姜尚中:

グローバル化後の地方振興の唯一の望みは企業誘致。各地方都市が必死で企業誘致に励み、何とか地域経済をつなぎとめてきた。しかし現在FTA締結により生産拠点の海外移転で地方経済は空洞化している。地方の産業基盤をどう内発的に育てるか。川辺川ダムの例にあるように、地方公共事業も地方経済の内発的成長を阻害し、地域共同体を破壊している。

宮台真司:

1980年代女子高生の売買春のフィールドワーク時に、地方工業都市の高自殺率と女子高生売買春の比例関係に気づいた。企業城下町は企業が撤退したときのリスクヘッジができないのでまずい。グローバル化は不可避で、企業がグローバル化に対応するのも不可避だが、経済を外需で回る部分と、内需で回る部分の両方を維持する必要がある。

過去の日本で「経済さえ回れば社会が回る」が可能だったのは、高度経済成長下で職縁が社会的包摂性の殆どをまかなっていた特殊な条件にあったから。これからは「経済さえ回れば社会が回る」とは行かない。

清水代表:

地域特性と自殺に到る経路の実態が、今回の「自殺実態白書」で初めて明らかになった。なぜここまで遅れたのか?

姜尚中:

身内から責められる遺族の例(あの人が自殺したのはあなたのせい等)にもあるように、自殺を発言できない、自殺がuntouchableになる構造があった。また、正規労働の派遣化など、労働力を代替可能化する雇用環境の変化で、労働者が使い捨てられ、労働者側に見捨てられているという意識が蔓延した。被雇用者にかかわらず、見捨てられているという意識が社会に蔓延しているのでは。

宮台真司:

個人的な経験からも、当事者が自責するのは当然なので、別の誰か、例えばライフリンクのようなNPOが声を上げる必要がある。英国は、実はネオリベ政策と同時に地域の包摂性を保全する政策を始めている。日本はネオリベ政策だけをやった。日本の地域社会の復活は困難であり、新しいタイプの相互扶助が必要。例えばCSRを指標化し、投資家向け情報とすることで企業にインセンティブを与える等。炭素税、環境税などの税制の手当ても必要。


パネル討論の後半では、主な論点は、官僚の縦割り組織をどう克服し、少子化問題同様、省庁横断的な対策の必要な自殺対策を実現するか、また、地方まで下ろしていくかだった。

宮台真司はこの問題について、官僚がイニシアティブをとることは期待できないと明言し、自動車産業におけるプロジェクトリーダ制にならい、課題を集約し、官僚に対して明快な指示を出せる位置づけの人間が必要だと提言していた。

個人的な感想として、このシンポジウムの最後に、会場から突然、自殺遺族の中年男性の方が、政策実現の場に遺族も参加させるべきだと叫ばれたが、自殺遺族の方の感情的な手当てと、戦略的な政策立案の場は、分けるべきだと考えた。

その意味で、ライフリンク・清水代表の、感情に訴えかけるコミュニケーションと、冷静な政策提言者としての顔の使い分けのバランスは、非常に優れていると感じた。

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2008/09/13

alanライブ前に横浜中華街カラオケ3時間


18:30からの川崎でのalanさんのライブまで、一か月以上ぶりに横浜中華街「カラオケの鉄人」に行き、一人でカラオケを3時間歌ってきた。体力が続けばまだ歌い続けたかったが、動悸が激しくなり、3時間が限界だった。

たまにはJ-POPも覚えなきゃと、最近覚えた日本語曲、絢香『今夜も星に抱かれて』(映画『スカイクロラ』主題歌)、中島美嘉『SAKURA~花霞~』(かなり季節はずれ)、Bonnie Pink『A Perfect Sky』(夏にぴったりだが男が歌うのはどうか)でまずのどを慣らしてから、中国語曲を歌い始めた。

中国語曲では、最近、周杰倫の『彩虹』と『牛仔很忙』がレパートリーに加わった。『牛仔很忙』は短い曲だが、歌って爽快。今日はたっぷり時間がありフリータイムにしたので、久々に邓丽君の『月亮代表我的心』『甜蜜蜜』『千言万语』もしっとりと歌ってみた。

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夢でジェイド・インさんと中国人の男の子と東京散策

一昨日の夜は、昨日の朝早くの米国支社とのテレビ会議のために、いつもより1時間早く起きる必要があり、睡眠時間が短かったせいか、久しぶりに鮮明な夢を見た。

その夢の内容というのが、このブログでたびたび紹介している、今年2008/02に日本でインディーズデビューした中国人女性歌手のジェイド・インさんと、もう一人、小学4年生くらいの小さな男の子が中国から日本に遊びに来て、僕と東京の街中をぶらぶらするというもの。

夢の中なので、何故かお互いに話している言葉は日本語に翻訳されていて、その利発そうな中国人の男の子が、きゃっきゃとよく笑うのが可愛くて、かなり楽しい東京旅行になった。

ところが一日で中国に帰るというので、電車の駅のような場所でジェイド・インさんとその男の子と、名残惜しい別れをしたところで目が覚めたら、夜中の3時半だった。

あんなに楽しい時間を過ごしたのは久しぶりだったので、覚めてほしくない夢だった。あんなに楽しい夢なら、永遠に覚めなくても構わなかったのだが。

Jade Yin - 七彩音色~なないろねいろ~Prologueジェイド・イン 七彩音色~なないろねいろ~Prologue

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2008/09/11

自殺予防週間と『生きてることが辛いなら』

ご承知のように昨日の2008/09/10の自殺予防デーを中心に、09/10から09/17までは2003年世界保健機構が決めた自殺予防週間だ。


2008/09/14に東京ビッグサイトの国際会議場で開催される世界自殺予防デー・シンポジウムには出席しようと思っている。主催者である日本最大の自殺対策NPO自殺対策支援センターライフリンクのウェブサイトはこちら。

日本は景気循環から言えば再び下り坂なので、来年の自殺者も増えこそすれ減りはしないだろう。やり直しがきかず、同調圧力が強く、悪しき結果平等主義で、若者にとっては先が未来に希望が持てないこの国が、年間自殺者3万人のトンネルから抜ける方法は、そう簡単に見つからないだろう。

最近、自殺に関連して話題になっているのは森山直太郎の「生きてることが辛いなら」か。「生きてることが辛いなら/いっそ小さく死ねばいい」という歌詞が自殺を助長するおそれがあるということで、賛否両論が起こり、一部のコンビニが店内放送でこの曲を流さないと判断したとか。

このコンビニのように、自殺について語らず、「臭いものにフタ」する「事なかれ主義」こそ、年間自殺者3万人を生み出す土壌になっているのだが、自殺志願者に対して「死ぬな」というメッセージが有効だと誤解している人が、まだまだ多数派らしい。これではやはり自殺者は当分減りそうにない。

森山直太朗 - 生きてることが辛いなら - EP森山直太朗 - 生きてることが辛いなら - EP

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2008/09/08

池袋の「東京中華街」構想は資金が問題

2008/08/28付け朝日新聞によれば、池袋に「東京中華街」を作ろうという中国人店主たちの動きに賛否両論があるという。

賛成の主な理由は、池袋を通る新しい地下鉄ができて人が新宿に流れてしまうのではという不安があること。

反対の理由は、中国人が経営する店は地元の町会に加盟する店がほとんどなく、共用設備の費用も負担せず非協力的だからということらしい。

ただ、これは表面上の理由で、おそらく本当の理由は2008/05/22付けのニュースによると、池袋のカラオケ店店長に中国人マフィアが暴行して逮捕されるなど、「池袋の治安が悪い原因は中国人だ」と考える日本人が多いからだろう。

治安の悪化を心配するなら Broken Window Theory ではないが、横浜と同じように中華街として整備した方が、状況が改善されることは間違いない。

しかし問題は、あの池袋駅北口の見苦しい街並みを、横浜中華街と同じくらい美しくする膨大な資金を誰が出すのかということだ。「東京中華街」と称して観光客を呼べる街にするには、数十億単位の資金が必要なはずだ。その資金そのものが、合法的な経路で調達できなければ元も子もない。

個人的には横浜中華街の「カラオケの鉄人」と同じように、清潔な中国式カラオケ店が出来ればうれしいのだが...。

というのも、池袋北口の中国式カラオケ店「富麗華 Fùlìhuá」へは、一度行ったきりで、あれ以来行っていない。やはりあの汚さは、日本人にとってはやや勇気が必要なのだ。

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2008/08/29

森岡正博氏の鼎談に田中エリスを思い出す

ビデオニュース・ドット・コムの第386回マル激トーク・オン・ディマンドに大阪府立大学教授・森岡正博氏が登場し、男らしい男の対極にある「草食系男子」の恋愛について宮台真司と議論していた。

森岡正博氏は、もう十年くらい前か、氏の出席する何かのシンポジウムを聴きに行ったことがあり、そのシンポジウム終わりで長い黒髪の美しい田中エリスさんといっしょに出てきたのが印象的だった。

当時、僕は田中エリスさんと知り合いだったのだが、なぜネットアイドルの彼女と知り合いだったのか、これも抗不安剤の副作用か、残念ながら完全に忘れてしまった。推測するに、当時僕が自分のウェブサイトに書いた『エヴァンゲリオン』の評論に感想メールを頂いたのではないか。

自分の過去を推測で再構築しなければいけないとは、何と悲しいことだろう。過去の自分がまるで他人のようだ。

それはいいとして、トーク・オン・ディマンドの議論の中で森岡正博氏は、自分が男性であることに対する嫌悪を、宮台真司は小学生時代、女の子とばかり遊んでいた原体験を語っていた。

過去にこの「愛と苦悩の日記」にも書いたが、僕も小学生時代は女の子とばかり遊び、自分が男性であることを今でも嫌悪している男性の一人だ。性同一性障害というわけではないが、「男らしい男」のステレオタイプに自分がハマることを意識的に拒絶している。

驚いたのは、森岡正博氏にとってそのような「男性学」的な問題意識が、いまだに問い続けるべき課題として存在していることだった。ということは、おそらく男性性への嫌悪は年齢によって解消する問題ではなく、僕もこのままずっと自分の男性性に嫌悪を抱き続けるのかもしれないと思った。

ただ、同じ男性であっても、男性性への嫌悪という「草食系男子」的な感覚に共感できる人々と、そうでない人々は、森岡正博氏や宮台真司より若い僕の世代であっても真っ二つに別れそうな気がする。

僕より若い、たとえば今二十代の男性の間ではどうなのだろうか。僕の世代よりもさらに「男らしくない男」への許容度は上がっているのだろうか。

いずれにせよ今回のトーク・オン・ディマンドの森岡正博氏の話は、大学一、二年生の頃、ほとんど女装に近い服装をして、男性性の拒否を行動に移していた自分自身を、懐かしく思い出してしまう鼎談だった。

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2008/08/25

北京オリンピック閉幕式にジミー・ペイジ


北京オリンピックの閉幕式の最後の最後、《远方的客人请你留下来》で成龙 chénglóng(ジャッキー・チェン)、刘德华 liú déhuá(アンディ・ラウ)、周华健 zhōu huájiàn(エミール・チョウ)、莫文蔚 mò wén wèi(カレン・モク)までは分かったが、新華社のウェブサイトによれば、孙燕姿 sūn yàn zī(ステファニー・スン)がいたようなのだ。全く気づかなかった。残念。

北京奥运会闭幕式

それにしてもロンドンの2階建てバスからジミー・ペイジが登場した時は、テンションが上がってテレビの前で叫んでしまった。

いつの間にロマンス・グレーの長髪で、俯瞰のカメラでは一瞬、誰だか分からなかったが、レスポールのギターと『胸いっぱいの愛を』のリフで鳥肌が立った。Led Zeppelin - Mothership (Remastered) - Whole Lotta Love

北京奥运会闭幕式

開幕式に劣らず、閉幕式もショーとしての演出は非常に感動的だった。


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2008/08/23

ささやかな幸せ

最近のささやかな幸せといえば、毎朝、起床時間よりも一時間以上早く目が覚めて、トイレに行って水を飲んでから二度寝することくらいだろうか。

そういうときはいつもNHK FMの邦楽(J-POPのことではなく小唄や長唄の類)番組か朝のバロックをヘッドホンで、ぎりぎり聞き取れるくらいの最小の音量にして聴きながら二度寝する。

先ほどまで見ていた夢の中に再び入っていけるか、そのまま意識を失って目覚まし時計のアラームで目覚めるか、眠れずにラジオを聴き続けるか。

本当なら永遠に夢が覚めないでほしいのだが、当然のことながら目は覚めて、残酷にもまた朝がやって来て、一日が始まる。

会社から帰ってくると頭がぼんやりして、何も話す気になれない。食事が終わるとソファーに横になって、ただテレビを観ているだけ。

お風呂に入ると、何とか『地下鉄』の中国語字幕の翻訳のつづきをやろうという程度の気力はもどってくるが、ギターを弾くことはすっかりなくなってしまった。弦を張り替えるのさえ面倒に感じる。

今日の昼間も久しぶりに中国語カラオケに行こうと思ったが、往復の電車がおっくうで引き返してきた。何もかもが少しずつ面倒になってくる。もう若くはないと言ってしまえば、それまでのことだが。

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2008/08/16

お金で達成感は買えるか?

下記の記事の続きになるが、最近、社会科学系の専門書を読む気にならなくなった。日本社会をより良いものにするために、どんな政策が必要か、などということを真剣に考えるのが虚しくなってきたからだ。

要するに、上場企業の40歳近い雇われ労働者が、いくら社会科学的に正しい現状認識や分析力を身につけたところで、自分個人の生活を破壊することなく、それを実行に移す機会はもう望むべくもないからだ。

結果として、宮台真司などの言説を消費して、ひとり溜飲を下げ、この「愛と苦悩の日記」のような薄っぺらな内容のブログに、個人的な不満をないまぜに宮台真司擁護論を展開する。せいぜいその程度のことしかできない。

40歳前後というのは、そんな風に、もう自分自身の可能性の限界が見える年齢だ。中国語だって今からネイティブの水準になれるわけがない。ネイティブの水準に達するだけの時間的余裕がない。

何かをやったという達成感を得るためには、40歳近くになると残念ながら時間をお金で買うしかなくなる。

本来なら20代の頃のように、じっくり時間をかけて、語学をマスターするとか、大部の書物を一冊読み上げるとか、そういった達成感を得たい。

しかしこの年齢になると、毎日の仕事の精神的な疲労で、帰宅後それだけの集中力が続かない。そうすると、何かを消費してまとまった財を所有することで、本来的な達成感をごまかすしかなくなる。

悲しい事ではあるが、これが現実である。

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自己愛の強いベンチャー経営者に日本は未来を与えるか?

日本の自殺率が急増した1998年は橋本内閣時代なので、年間自殺者が3万人に増えたのは小泉政権の政策が原因ではない、というトラックバックを頂いた。『微妙に日刊?田中大介』という「自分が一番大好き」と自ら書いてはばらかない、20代のアニメ愛好者のブログだ

すべての記事を「田中大介です」で始め、「田中大介でした」で終えるナルシストぶりには正直ついていけない。ただ、自分が20代の頃、自己愛が強くなかったと言えば嘘になる。

よく考えれば、これだけの自己愛を維持できる20代というのは幸福だ。この「田中大介」なる人物も、今はベンチャー企業の若き取締役として、未来にさまざまな可能性を思い描いているのかもしれない。

しかし、遅かれ早かれこの自己愛を、彼からすれば愚かで凡庸な年長者たちに、叩きのめされることになるだろう。同調圧力の強い日本社会の恐さを、たぶん彼らはまだ経験していない。

これから日本の経済政策は、おそらく小泉政権のネオリベ政策に対するバックラッシュの時代に入る。本当にネットベンチャーで食いつなぐつもりなら、早めに米国西海岸へ移住した方がよい。

有権者の大多数を占める、零細自営業者とサラリーマンは、ベンチャー企業の経営者に対して「田中大介」氏たちが考える以上に嫉妬深い。

彼らがこのまま日本にとどまるなら、15年後にそのことを思い知らされるだろう。それからでは遅い。日本社会はやり直しが効かないからだ。

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2008/08/13

夢の中で号泣する僕自身


昨晩、久しぶりに夢の中に、小学校から高校まで付き合っていた人、正確に言えば恋人として交際していると僕が一方的に思っていた人が登場した。

我昨天晚上在梦里好久没见过去的女朋友。我和她从小学到高中谈恋爱。正确地说来,我还以为和她谈恋爱。

縁起でもない話だが、彼女の通夜に参列している夢だった。人目もはばからず冷たくなった彼女の顔を抱きかかえて僕は号泣していた。

真是不吉利,不过在梦里她死了,我为她灵前守夜。然后也不管别人看见没看见就我抱着她的头,大声哭了起来。

久しぶりに彼女の顔をじっくり見つめたが、たしかにこんな顔だったと納得させられるほど真に迫っていた。そして老け具合も現実的で、相変わらず美しく長い黒髪も本物のようだった。

虽然好久没见她的脸,但是我发现她确实是这样的。当然比过去她显得有点老。长黑色的头发还是真油亮。它很真实。

号泣している僕を背後から見つめているもう一人の僕がいて、眠りながら本当に泣きそうになってしまった。

另外的我从背后凝视这个大声哭的我。我一边睡着一边差一点哭起来。越来越珍惜美好的回忆。

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続・放置された3万個の落とし穴

再び日本には「自殺」という落とし穴が3万個あって、毎年確実にそこに落ちる人が3万人新たに出てくるというお話の続き。

日本国内の自殺実態に関する白書がNPO 自殺対策支援センター ライフリンクのWebサイトで無料で公開されている。

この「ライフリンク」代表・清水氏がビデオニュース・ドットコムのマル激トーク・オン・ディマンド第382回に出演しているので、ぜひご覧頂きたい。

また、ネット上で自殺に関する統計の豊富なサイトを見つけた。社会実情データ図録というサイトだ。

例えば「自殺率の国際比較」では、日本が世界で自殺率10位、先進諸国では韓国と並び抜群に悪いことがわかる。米国の約2倍、イギリスの約4倍の自殺率だ。

日本より上位の9カ国のほとんどがロシアを含む旧ソ連邦で、社会体制の大変革が自殺の主因だと容易に想像できる。それについで日本が10位というのは、やはり日本も大きな社会体制の変革を経験したことを示している。

そこで「主要国の自殺率長期推移」を見てみると、日本と韓国の自殺率がここ10年で急増していることが分かる。

日本の自殺率が急増した時期は、大型金融・証券の破綻、「貸しはがし」などにより、中小事業者の大量倒産、大企業のリストラによる大量の失業者が発生した時期と重なる。

竹中平蔵氏をブレーンとする、日本政府のネオリベ的経済政策が、セーフティーネットを整備しないまま、小泉首相のポピュリズム的な人気を背景に猛然と実施された。

その結果、日本のいたるところにある自殺という「落とし穴」の数が、一気に3万個まで増え、そのまま固定化してしまったということがわかる。

確かに日本経済は復調したかもしれないが、その代償が、毎年コンスタントに3万人が自殺するような社会だとすれば、いったい何のための景気回復だったのか。

企業や経営者、機関投資家のための景気回復であり、決して一般市民のための景気回復ではなかったのは明らかだ。これが小泉政権の誤ったネオリベ政策の帰結である。

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2008/08/11

放置された3万個の落とし穴

最近、突発的な集中豪雨で川遊び中の人が命を落とすことが多いので、某大学が事故の履歴を調査したところ、ある中部地方の川ではこの3年間で7名もの死亡者が出ている。

NHKのニュースがそう言っていたが、3年で7人死んでいる河川災害よりも、日本で毎日100人もの人間が自殺している事の方が、遥かに重大な問題だろう。

首都高速道路で火災が起きて、完全な復旧に数か月かかるとか、連日の猛暑で熱中症で何人が死んだとか、そんなことよりも、テレビのニュースは毎日必ず昨日の自殺者数を報道する決まりにしてはどうだろうか。

例えば、天気予報の前に毎日アナウンサーが、「昨日は全国で85名の方が自殺で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。さて次は天気予報です」などと言うことにするのだ。

そうすれば、海外のテロで何人死んだとか、飛行機事故で何人死んだとか、そんなニュースは霞んでしまうだろう。日本で毎日コンスタントに100人が自殺していることの異常さを、僕ら視聴者は嫌でも認識せざるを得なくなる。

当たり前のことだが、もしも自殺しやすい性格の人だけが自殺するなら、自殺者が生き返らない限り、自殺者の数は段々と減っていくはずだ。

現実にはそうならず、毎年一定数どころか、むしろ少しずつ自殺者が増えているというのは、それまで自殺に至らずに済んでいたごく普通の人が、今年は自殺に追い込まれたということだ。

ビデオニュースドッドコムの自殺を取り上げた放送の比喩を借りれば、日本社会には常時3万個の落とし穴があって、毎年必ずその落とし穴にはまって自殺する人が出てくるのである。

そして政府がその3万個の落とし穴をふさぐ努力をまったくしないために、着実に毎年3万人が自殺で死ぬことになる。

要するに、自殺は個人の責任ではなく、明らかに3万個もの落とし穴を放置している社会に責任があるのだ。

集中豪雨による河川の急激な増水に税金をつかって、3年間にたった数名の命さえ救おうとするなら、同じ政府がなぜ3万個の落とし穴をふさぐために税金を使わないのか。明らかに理屈に合わない。

放っておけば、毎年確実に3万人が死ぬことが分かっているのに、なぜ日本政府は手をこまぬいているのか。読者の皆さんも、不思議だと思わないだろうか?

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2008/08/04

最近夢に出てくる奇妙な海水浴場

最近、また夢に同じ土地がしばしば出てくる。海沿いの街で、鉄道の駅からバスで海沿いの道路をしばらく走ると、小高い丘をトンネルで何度かくぐり、操車場を兼ねたバス停に一旦止まる。

そのバス停は海浜公園のようなものに隣接していて、レストランや土産店があるのだが、そのバス停に僕の乗っているバスが停車している間に、決まって奇妙な動物が林の中から現れるのだ。

この間は球形になると直径2メートルはあろうかというアルマジロが、ごろごろと転がってきた。現実のアルマジロは灰色だが、その直径2メートルのアルマジロは深い柿色なのだ。

再びバスは海沿いの道路を走り、終点に着く。そこは海水浴場の砂浜なのだが、なぜか数百メートル沖まで鉄骨で組まれた広大な屋根が、支柱もなしに張り出して、海に降り注ぐはずの太陽の光を完全にさえぎっているのだ。

その屋根が低いせいで、砂浜から遥か遠くに見渡す水平線は、ぎりぎり屋根に隠れずにすんでいるといった風で、せっかくの海なのに、その低い屋根のために海にまったく開放感がない。海はかなり波が荒く、海水浴客の姿もまばらだ。

いったい何のために信じられないほど広大な屋根を、わざわざ砂浜の上に建築したのか。

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2008/07/24

交通死減らせるなら、自殺も減らせるはず

時事通信によれば今年の交通事故死は56年ぶり(!)に5,000人を下回る可能性があるという。飲酒運転の厳罰化などが影響しているらしい。

立法・行政の努力で交通事故死を減らせるなら、当然、年間3万人の自殺者も減らせるはずだ。

自殺者が増加の一途なのは、小泉政権時代の偏ったネオリベ政策の結果、「失敗者」「負け組」に対するセーフティーネットがなくなり、「死ぬしかない」状況に追い込まれる国民の人数がそれだけ増えたから、としか説明しようがない。

交通事故死も、自殺も、人の命が失われることは、国家にとっては経済的損失でもある。とくに働き盛りの年代が就業機会を奪われたり、過労によるうつ病で自殺したりする事例の増加は、長期的に確実に経済的な損失をもたらす。

長時間残業に対する規制を強化することは、短期的に企業のコスト増になるが、長期的には再生産を通じて国家にとって利益になるはず。飲酒運転の厳罰化が、短期的にアルコール飲料メーカや飲食店の減収になっても、長期的には利益になるのと同じこと。

だとすれば、長時間残業の規制を強化せず、飲酒運転は厳罰化する、というのは、明らかに「偏った」政策だ。

長時間残業の規制を強化すれば、短期的に労働生産性を向上できない企業は、同じ結果を出すために雇用を増やすしかない。そうすれば一定の雇用機会の拡大につながる。

もちろん経営者団体は猛反発するだろうが、一般大衆の支持という点では、飲酒運転の厳罰化よりも、長時間残業の規制強化の方が、政府にとってははるかに支持を得やすいはずだ。

それでも政府は自殺者を減らすための立法に、あまり積極的でないように見える。

交通事故が減っているのに、自殺者が減らないのは、明らかに政府の怠慢だ。

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2008/07/22

自作動画『鶴山台への旅』をYouTubeに掲載

先日、僕が小学生時代を過ごした大阪府和泉市の鶴山台団地に住んでいたという方からメールを頂いた。

少し年上の男性で、この「愛と苦悩の日記」で公開した自作の動画『阪和線の車窓から~鶴山台への旅』について、「BGMも最高で何度観ても涙がでます。いい作品をありがとうございます」というご感想を頂いた。

そこで、他にも鶴山台に思い出のある方があるかもしれないと、2006/12に撮影した28分間の動画を分割してYouTubeにアップロードした。

僕がこの動画に、久保田早紀やタテタカコなど、かなり感傷的な音楽をつけたのは、鶴山台に忘れがたい初恋の思い出があるからだ。団地の中を歩くと、そこかしこに初恋の人との思い出の場面が浮かぶ。

実は動画の中で、初恋の人の自宅の前を歩いている部分もある。万一人生に行き場をなくし、行き倒れるしかなくなったら、鶴山台の中のどこかの児童公園でブランコを漕ぎながら死にたいとさえ思う。

無関係な方にとっては単に退屈な映像だが、以下に埋め込んでおく。鶴山台の部分だけを見たい方は二つめの動画からご覧になるとよい。





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2008/07/13

偶然出くわした中古レコード販売イベント

alanさんのライブ会場の真裏で、たまたま中古CD,DVD販売イベントをやっていた。意外にも中古アナログレコードも販売していたので、探してみると薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』が見つかった。
Hirokoyakushimaru

小学生のころ、自分で買ったEPを思い出した。ジャケットには左頬の小さな傷口から少しだけ血を流した、ベリーショートの薬師丸ひろ子。そしてB面は、そうだ。そうだった。「あたりまえの虹」だ。あの頃、「あたりまえの虹」を聴いたときの胸の切なさがよみがえってきた。

その他にもピンクレディー、キャンディーズ、おニャン子クラブのレコードがたくさん見つかった。不思議とプレミアなしの手ごろな価格だったので、10枚なり買い込もうかと余程思ったが、わざわざそのためにアナログプレーヤーを買うだろうかと、思い直してあきらめた。

ジャケットの薬師丸ひろ子は、信じがたいほど愛らしい。あの頃は二度と戻らない。なぜ人生は少しずつ美しくなる代わりに、少しずつ醜くなっていくのだろうか。

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『瞳』『ホームレス中学生』失われた共同体への不可能な郷愁

最近大阪出張が多く、ホテルを8時半に出ても間に合うので、ニュースの後そのままNHK朝の連続ドラマ『瞳』を見ることが多い。そして昨日はあまりの暇さに、つい『ホームレス中学生』のドラマ版を見てしまった。

どちらも物語や演出に特筆すべき点はないが、『ALWAYS 三丁目の夕日』と同じく、失われたコミュニティーを描いている点が共通している。小泉政権時代のネオリベ的規制緩和政策によって、日本から完全に失われた共同体である。

『瞳』は典型的な東京下町の地域共同体が今も生き残っているという想定。『ホームレス中学生』は両親を癌で亡くしても、兄弟三人だけの家族そのものが小さな共同体たりうること、そしてもう一つ、学校のクラスも共同体として、経済的貧困にあえぐ三兄弟を支え得ることを描いている。

『ホームレス中学生』原作者、漫才コンビ麒麟の田村は1979年大阪府吹田市出身らしい。1990年代の大阪郊外には、辛うじて身寄りのない三兄弟を支える共同体が存在したということなのだろう。

2008年の今、同じように両親のいない兄弟が生き延びることができるか。その答えは是枝裕和監督の『誰も知らない Nobody Knows』(2004年)に示唆されている。

こちらは1988年に発覚した東京・巣鴨の子供置き去り事件を題材としたようだが、この頃の巣鴨にはもはや子供たちを支える共同体は存在しなかったということか。

いずれにせよ『瞳』も『ホームレス中学生』も、今となっては取り戻せない共同体への不可能な郷愁でしかない。落伍者を救う共同体を、昔そのままの形で復活させることなどできない。何かまったく別のかたちでしか再構築できないだろう。

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2008/06/29

光市母子殺害事件報道に見る日本の後進性

もう一つ、インターネット放送の「ビデオニュース・ドットコム」で、光市母子殺害事件にからめて死刑についての放送回を観た。こちらは無料放送回なので、「愛と苦悩の日記」の読者はぜひご覧いただきたい。

「なぜ日本人は死刑が好きなのか」

この放送を見て、まさに目からウロコだった。


光市母子殺害事件は犯人の死刑が確定している。被害者の家族である本村洋氏の言動がメディアで大々的に取り上げられ、世論を煽動したことが、死刑の確定に貢献したことは間違いない。

ところが、犯人が幼いころから母親とともに、父親の凄惨な家庭内暴力を受けつづけ、精神鑑定にあるように精神的な発達が四、五歳で止まっているという事実がある。

『報道ステーション』などのマスメディアは、この精神鑑定が、差し戻し審の段階になってから、安田好弘を主任弁護人とする弁護団が、死刑を避けるためにでっち上げた荒唐無稽のつくり話であるかのように報道しつづけた。

おそらく「愛と苦悩の日記」の読者のほとんどもそう思い込んでいるだろう。


しかし現実は、この精神鑑定は複数の医師によって妥当性を確認されており、十分に「客観的」と言えるものである。にもかかわらず、安田弁護団がつくまでの裁判の過程で、なぜか一貫して無視されていた。

安田弁護団は、その無視されつづけていた材料を、正しく裁判の俎上に戻しただけなのに、現大阪府知事の橋本元弁護士が代表するように、世論は完全に感情的な反発しかしなかった。

さらに、犯人の母親は、夫の家庭内暴力に耐え切れず、ついに犯人が十二歳のときに首吊り自殺をしている。その第一発見者は、十二歳当時の犯人だった。

また犯人の身体には、父親から受け続けた暴力の外傷が、犯行時の十八歳一か月当時もまだ残っていることが医師の診断で確認されている。

マスメディアが本村洋氏の被害者として訴えを大々的に取り上げる一方で、犯人に関するこうした客観的な事実は一切報道されなかった。

その結果、見事にほとんどの日本人が、この精神年齢、四、五歳の犯人に死刑判決が下されなければ気がすまないような、大きな社会的復讐感情の渦をまきおこすことに成功したのだ。


精神発達が四、五歳で止まっている人間が、例の「ドラえもん」の件や「性交によって生き返る」などの犯人の証言をするのは、むしろ自然である。

しかし日本のあらゆるメディアは、それを罪を逃れるための荒唐無稽な猿芝居として、逆に容赦なく非難を浴びせた。そしてそれを補完したのが、本村氏を悲劇の主役として祭り上げる報道方針だった。

この事件を通じて言えることは、犯人の死刑を確定させることで、日本全体が感情的な満足を得た、というだけのことだった。

宮台真司は、被害者の家族は、犯人に対する刑罰を通じて、感情的な回復を得る権利があるが、当事者でない人間が、感情的な回復を得ることは許されず、感情の問題と法律の問題を厳密に分けるべきであると訴えている。

その分離ができて初めて成熟した市民社会と言えるのであり、その意味で、この光市母子殺害事件に見られるように、被害者への同情から、社会全体が感情的に噴き上がる日本社会は、未成熟な市民社会だと断じている。

だから、OECD諸国の中で、唯一、日本は死刑を執行し続けている。そしてこのまま裁判員制度が始まれば、この光市母子殺害事件と同じ「感情的な噴き上がり」が、裁判の公正性を歪める危険性が高いと、警鐘を鳴らしている。

少なくとも、マスメディアが犯人側についての上述のような客観的事実を、客観的事実として全く報道せず、それどころか、極刑を逃れるための見え透いた猿芝居としてしか報道しなかったその偏向ぶりは、異常だ。

結局、日本人の民度は、その程度のものでしかないということである。

経済的には先進国でも、日本人の民度は発展途上国並みであり、だからこそ先進諸国の中で、死刑が執行されている唯一の国なのだ。

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秋葉原事件で宮台真司の絶望の深さ

インターネット放送の「ビデオニュース・ドットコム」で、秋葉原の通り魔殺人事件についての宮台真司、東浩紀、神保哲生の鼎談を見た。(正確に言うとGetASFStreamとうフリーウェアでwma形式でダウンロードして携帯音楽プレーヤーで電車の中で聴いた)

いつもながら宮台真司の論旨は明快だ。

「大きな政府」は原理的に永久に維持できないのは明らかなので、「小さな政府」を実現するネオリベ(新自由主義)思想が台頭し、世界各国が経済のグローバル化に巻き込まれ、「勝ち組」「負け組」がはっきり分かれるのは必然的な結果。

しかし他の先進諸国と異なり、日本は決定的な過ちを犯した。

一つは日本社会において、「負け組」に対するセーフティーネットとして唯一機能していた、地域共同体社会まで破壊してしまったこと。

欧州では労働組合を中心とするサンディカリズムの伝統が、米国ではNPOやキリスト教を基盤とする地域共同体が残存している。そのため、欧州では学生を巻き込んだ労働者の大規模なストライキが、「負け組」の異議申し立ての機会として機能し、米国ではNPOの形態をとった相互扶助組織があり、結果として「負け組」を社会の一部分として抱き込むことに成功している。

ただし欧州のサンディカリズムは移民を排除しており、米国のNPOやキリスト教を基盤とする地域共同体も同様の排除の構造を持つ点で、決して万能ではない。

もう一つの日本の失敗は、いまだに都会の大組織に勤めることが成功であり、地域に埋もれる生活を失敗とする教育を続けていること。

秋葉原の事件の容疑者を例にとれば、地方の中学を優秀な成績で卒業しながら、高校に進学したとたんに落ちこぼれになること自体、かなりありふれたことだ。

ところが、これを取り返しのつかない決定的な挫折と認識させてしまい、なおかつ、日雇い派遣しか生活するすべがない境遇に落ち込ませてしまう。

当然、それによって殺人が正当化されるわけでは決してない。しかしこの事件に「インターネットに依存した若者の心の闇」といった切り口しか見ないのでは、日本社会はまた根本的な問題解決の機会を逃してしまうことになる。

ただ、鼎談の中で宮台真司は、だからといって日本の地域社会を復活させればいいといった単純な解決法も存在しないことを認めている。また、大組織に就職することが唯一の幸福だという価値観を変えることの難しさも認めている。

日本の地域社会は、復活することが不可能なほど完全に破壊されている。そして大組織に就職することが唯一の幸福という価値観を変えるには、結局のところ、地域に埋もれてまったりと生活することもまた一つの選択肢であることを、教育の場で根気強く説いていくしかない。

宮台真司の絶望の深さに、少々驚かされた鼎談だった。

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2008/06/27

東京・多摩動物公園


多摩动物公园
※レタッチ、トリミングは一切していません。用佳能EOS kiss拍的。一点都没有润饰和剪裁等。
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2008/06/21

全く無意味なコンビニ深夜営業規制論

完全に無意味。地球環境ブームに便乗して、各自治体がコンビニの深夜営業規制をする動きがあるようだ。東京都の石原都知事にいたっては、若者がたむろして風俗を乱すことも理由の一つと言っているらしい。

しかし都会では、警備員、ビルの管理人、データセンタの保守要員、風俗嬢、倉庫などの単純労働者など、深夜労働者が無数に存在し、彼らにとってコンビニは生活のよりどころになっている。

また、時給が高めのコンビニの深夜枠そのものが、定職に就けない人たちにとって一種の「セーフティーネット」になっていることも確かだ。

石原都知事は、コンビニの深夜営業が持つ社会的意義の、マイナス面だけをとらえ、地球環境保護の美名の下に社会的弱者を切り捨てたいらしい。今に始まったことではないが、石原都知事のこの偏向した思想には、ただあきれるばかりだ。

コンビニの深夜営業を規制する前に、サラリーマンの深夜残業を完全に禁止する法律でも作ったらどうか。その方がはるかに事業所の電力消費削減の実質的効果があるはずだ。

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2008/06/19

賃貸エイブル不当表示、やっぱり。

賃貸住宅のエイブルが「おとり広告」で公取委の排除命令を受けたらしい。やっぱりか、という印象だ。

以前この「愛と苦悩の日記」にも書いたが、僕自身、以前、1か月分の家賃を差し入れて取り置きしてもらった物件を、翌日キャンセルしに行ったところ、嫌がらせに近い交渉を延々3時間もさせられ、ようやくお金を返してもらったことがある。

日曜日の貴重な午後の時間をまったく無駄にさせられたわけだが、そのエイブルの営業マン(男性だったのであえて「マン」と書く)は、途中、別のお客の対応と称して時間稼ぎをしたり、上司と相談するなどして時間を引き延ばし、非常に不愉快な思いをした。

エイブルの強引な営業姿勢は明らかで、今回のコンプライアンス違反も、起こるべくして起こったと言っていいだろう。

皆さんも、「エイブルで決める」という固い決意がない限り、エイブルの店舗にそうそう気楽に入るべきではない。一見善良そうなのに、たちの悪い営業マンに引っかかると、断るときになって不愉快な目にあう可能性が高い。

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2008/06/14

秋葉原事件のとばっちり、池袋で職務質問

今日、池袋北口付近を、中国語カラオケに入ろうかどうしようかと迷いながらブラブラしていたら、眼鏡をかけた三十代前半の真面目そうな男性に「すみません」といきなり呼び止められた。

その外見から新興宗教の勧誘だとばかり思ったのだが、「こういうものですが」と胸元から取り出したのは警察手帳。「この間、秋葉原でああいう事件があったでしょ。なので危険物とかないか、ちょっとカバンを調べさせて頂いても結構ですか」

週末にリラックスしたいい気分で繁華街を歩いているのに、正直言って内心、ムカッと来たのだが、警察官に下手に逆らえば、当然、無実の罪を着せられるために留置場行きだ。立場の弱い一市民は職務質問を断ることはできない。

笑顔を絶やさず「はい、いいですよ」と、カバンを開いて中身を調べてもらった。運転免許のない僕がいつも身分証がわりに持ち歩いているパスポートと、健康保険証を確認し、刃物などがないかをしばらく確認してから、「どうも申し訳ありませんでした」と立ち去った。

あの警察官、痩せ型で、少しおでこが広く、短髪で、線が細くて、気が弱そうで、地味な服装をしている、二十代後半から三十代の男性という、外見だけで職務質問をしまていたのではないかと思う。

職務質問をされた事実よりも、周囲の人間が職務質問されている僕をどう思うかを考えて、非常に不愉快になった。職務質問されているだけで、何だか怪しい人物のように思われるではないか。

僕と同じく東京在住で、痩せ型で、遠目に見るとあの秋葉原の事件の容疑者になんとなく似ているかもしれないという自覚のある方は、当分の間、秋葉原は当然として、繁華街を、一人で、カジュアルな服装でぶらぶらしないことをお勧めする。

かなりの確率で、私服の警察官に職務質問され、せっかくの休日に不愉快な思いをすること間違いなしだ。

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2008/06/10

脱・「答えがほしい」症候群

秋葉原の通り魔事件で、例によって各種媒体が犯人の動機を分析している。当然、動機分析の目的は、犯人の犯した罪を正当化することではなく、二度と同じような犯罪が起こらないようにすることだ。

再発を防止するいちばんの近道は、犯罪を実行する手段を取り上げることなので、殺傷力の高いサバイバル・ナイフなどに限定した販売規制などは一つの策だろう。ただし銃刀法の単純な運用強化は慎重に考えるべきだ。

そして再発を防止するための、遠回りだが根本的な方法は、潜在的な犯罪者が同じような動機を抱きにくくなる社会環境づくりということになる。

今回の犯人は典型的な、自己肯定を強く求めるタイプで、自殺志願者も多くは「自分のことを認めてほしい」と強く願っているのに、その承認を誰からも得られないことが動機になっている。

自己啓発ブーム、スピリチュアル・ブームも、同じように自分の行動や価値観を誰かに肯定して欲しいと強く願う、そういった心性が社会に広くはびこっていることを背景としている。

ところが、この自己肯定を強く求める風潮は、マッチポンプ的なところがある。自己肯定を強く求めるあまり、それを容易に得られなくなっている。

そして、容易に自己肯定を得られなくなって落ち込んでいる人たちに対して、J-POPの歌詞を含む各種のメディアは、あなたはあなたらしくいればいいんだという自己肯定を、繰り返し、必死で与えようとする。

そうすると、まるで自己肯定、自己承認を得ることが、現代人にとって不可欠であるかのような先入観が、社会全体に刷り込まれていき、さらに自己肯定、自己承認を求める人々が増える。

このように、社会全体が自己肯定のゲームを増幅しつづける構造になっている。

しかし、そもそも自分の行動や価値観を、いちいち誰かに肯定してもらう必要などあるだろうか?自分の行動や価値観が正しいかどうかを、そんなに簡単に誰かに決めてもらう必要があるだろうか。

今の自分の行動や価値観に対して、誰かに良いか悪いかの答えを出してもらう必要など、そもそもあるだろうか?

そもそも誰かの行動や価値観に対して、容易に答えを出せる人間などいるはずがない。そういう人間がどこかにいるということ自体が、根拠のない思い込みにすぎない。

今の自分の行動や価値観が良いか悪いかは、今答えが出る問題ではない。答えは常に、後から振り返ってみて初めて出るものだ。

J-POPの歌詞も含めて、あまりにも安易に誰かが与えてくれる「答え」のようなもの、ニセの解答に飛びつくことは、逆に絶望の始まりでしかない。

大切なのは、良いか悪いかをいちいち判断することではなく、いろいろな選択肢を考えてみることではないのか。大切なのは、その場その場でいちいち答えを出したり、答えを求めたりすることではなく、他にどんな選択肢があるかを考えることではないのか。

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サマータイムは議論するだけムダ

夏が近づき、またサマータイム導入議論が起こって、また見送りになるようだ。以前にも書いたが、日本でサマータイムを導入しても、その分残業が長くなるだけで、事務所の省エネにもならないし、仕事の後の消費も増えない。

一般の日本人の仕事に対する考え方は、他の先進諸国とは違うのだ。日本人は「仕事のために生活する」。他の先進諸国は、米国は例外かもしれないが「生活のために仕事をする」。そんなこと導入する前から分かっているのだから、サマータイム導入など、毎年思い出したように議論するだけ無駄だ。

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2008/05/28

死刑願望による犯罪と「自殺の制度化」

またまた自殺の話で申し訳ない。今日2008/05/28 18:12配信の毎日新聞の記事に「<死刑になりたい>なぜ? 凶悪事件、犯行動機で供述相次ぐ」というのを見つけた。

今年になってから、死刑願望を動機として供述した事件がすでに3件起こっているという。

大阪教育大付属池田小の乱入殺傷事件で8人を刺殺した宅間守元死刑囚も、犯行前2~3か月の間に2度、自殺未遂をし、死刑判決確定から1年弱で望みどおり死刑に処せられたらしい。

死刑願望から凶悪犯罪を起こす人間は、たしかに極端な事例だが、強い自殺願望をもつ人間を「無理やり」生き延びさせた場合に、社会が払わなければならないコストの一例でもある。

仮に自殺が制度化されていて、苦痛のない「安楽死」的な方法で自殺をさせてくれるような施設があったとすれば、宅間守は無事に自殺に成功し、池田小の8人の児童の命は救われたのだ。

したがって、自殺志願者に対して「生きなさい」と言うことが、無条件に倫理的・道徳的に正しいかどうかは、実は微妙なのである。自殺志願者も社会の構成員である以上、自殺願望を持つことで、陰に陽に周囲に何らかの影響を与えることは避けられない。

その極端な例が、死刑願望による凶悪犯罪だったり、硫化水素自殺で無関係な人間を巻き添えにすることだったり、飛び込み自殺で電車の遅延を引き起こして数万人の通勤・通学客に迷惑をかけることだったりする。

こうした社会的コストを考えたとき、自殺志願者を「安らかに」自殺させる手段を提供することも、これからの社会にとって一つの選択肢になるのではないか。

もちろん自殺の手段が悪用され、自殺志願者でない人が、無理やり自殺に追い込まれるようなことがないよう、運用には細心の注意を払う必要がある。制度設計は非常に難しいだろう。

しかし、高齢化が急激に進み、今までのように未来に単純な希望を抱けない社会において、「自殺の制度化」は避けられない課題になるに違いないと僕は考える。

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再び「自殺の制度化」を考える

連日自殺の話題で申し訳ない。以前にも書いたが、公式の統計上把握されているだけで、年間3万人も自殺で死んでいるのだから、政府は交通事故以上に対策のための予算を計上するか、いっそのこと自殺を制度化する方向へ踏み出すか、どちらかを実行すべきだろう。

カート・ヴォネガットの「自殺パーラー」は、もし自殺が制度化されたら、という一種の悪い冗談だが、自殺する直前の5月24日、最期のテレビ出演の明るい川田亜子さんの姿を見ても分かるように、本気で自殺を考えている人間が、周囲にはっきりと助けを求めるなどということはない。

自殺志願者を周囲が救おうとすれば、まず誰が自殺志願者かを特定する必要がある。しかし本気で自殺を考えている人は、そのことを口に出さない。なので、自殺を未然に防ぐ対策には、根本的に限界がある。

かといって、誰でも自殺する可能性があるという前提に立って、社会全体が他人に対するさまざまな要求水準を下げるのも、非現実的だ。実際にはそれと正反対のことが起こっている。

たとえば、先日ここに書いたような「モンスター・カスタマ(怪物のように要求過多な顧客)」や、今日の日経朝刊にあったような、医者に対する「モンスター・ペイシェント(患者)」の存在がある。

そういう社会で、身体的に健康で、かつ、さまざまな理由から生活保護やホームレスのような、経済的にぎりぎりの生活に適応できない人は、この社会で行き続けられないと自分で認めてしまえば、つまり、自分の「負け」を認めてしまえば、自殺しか手段が残されていない。

その意味で自殺は決して特殊なことではなく、宗教的な観点から自殺を「罪だ」と断罪することで自殺が減るなどということも決して期待できない。

「この命は自分のものだけではない。人は生きているのではなく、生かされているのだ」などという考え方も、単なる一つの考え方、イデオロギーであって、自殺志願者に対して意味のある説得には全くならない。

こういった「精神論」で自殺を減らせるほど、今の社会は単純素朴ではない。僕らが生きているのは、人の命さえ相対化されてしまう社会なのだ。

そう考えると、自殺を制度化するという発想も、決して完全な絵空事ではない。

例えば、以前にも書いたが、自殺志願者を、自殺をやめさせるというお題目ではなく、自殺するまでの日々を穏やかに過ごしてもらうというお題目で収容するような施設を、地方の景色のいい場所に国の予算で建設してはどうか。

そうすれば、結果として一定数の人たちに、自殺を思いとどまらせることが可能だと思うのだが。

「自殺の制度化」という言い方が悪ければ、「人生を降りることの制度化」と言い換えてもいい。数か月、あるいは数年間、いったん「人生を降りてもいいですよ」という施設を国の予算で運営すれば、確実に自殺者を減らせると思う。

逆に言えば、それくらい逆説的なことを実行する覚悟がこの社会になければ、年間3万人という水準の自殺者を減らすことなど、絶対にできないと思うのだが。

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2008/05/26

川田亜子さんの自殺

元TBSアナウンサーの川田亜子さんが2008/05/26早朝に乗用車の中で自殺しているのが見つかったそうだ。ご冥福をお祈りする。
Akokawada20080526b

産経新聞掲載の事務所コメントによれば、5月上旬頃から様子がおかしかったとある。おそらく鬱病の兆候だろう。詳しい経過はオーマイニュースの記事『フリーアナウンサー川田亜子さんが自殺』にある

川田亜子さんのオフィシャルブログ『Ako's Style』は、今日現在まだ閲覧できる。オーマイニュースの記事によれば、2008/05/12付けの下記の日記が、その後削除されるということがあったようだ。

「母の日に私は悪魔になってしまいました。生んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりませんでした。母の涙が耳の奥で響いているのです」

この日記の後、2008/05/14に川田亜子さんは「元気になるまで」いったんブロクの更新をやめることを宣言する。おそらく自分の鬱病を自覚していて、落ち着くまでブログを書くべきでないと感じたのだろう。

しかしその同じ日に「自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね」と、すぐ更新を再開している。この記事から、読者コメントの数が突然100を超える。過去の日記を読むと、川田亜子さんはウィルコムの「Advanced/W-ZERO3 [es]」でブログを更新していたことがわかる。

亡くなる前、私的な感情を書いた最後の2008/05/22の日記にも心が痛む。タイトルは「仕事の合間」。

「一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」

平凡な幸せの光景が、自分とまったく縁のない、まるで別世界の出来事のように感じられ始め、他人にとって当たり前のことが、自分にとっては手の届かないことに思えてくると、この世界に生き続ける意味は、たしかにほとんどなくなる。

2008/05/20の「移動」というタイトルの日記は、よく理解できる。

「移動しているときって好きなんです。移動しているから…。わかるかな…車窓から 電車の中から…動いている風景。

こうしてメイクをして仕事の準備をして移動しない空間にいると取り残されている感じ」

以前この「愛と苦悩の日記」に、僕も移動中の電車が好きだと書いたことがある。そのまま永遠に電車に乗り続けられたらと。川田さんが表現したかったことを表現すれば、移動中の場所は、いわば「どこでもない場所」だからだ。

移動が終わり、ある場所にたどりつくと、否応なしに僕らはまた「日常生活」に引き戻される。「日常生活」に自分の居場所をさがしにくい人にとって、それがいかに苦痛であるか。

他の人たちが「日常生活」に何の違和感もなくおさまっているとなりで、自分だけが居心地悪く生きなければいけない。「取り残されている感じ」がするのも当然だ。

日曜日の夜。最近、日中暑くなってきたとは言え、朝晩はまだ涼しい。練炭を炊いても、車内はそれほど暑くならなかっただろうか。芝浦埠頭の人気ない場所で、川田亜子さんが、最期くらいは穏やかな気持ちでいられたことを祈りたい。

もう電車を降りなくてもいいですね。車窓を流れる風景を、心静かにずっと眺めていて下さい。

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2008/05/08

船場吉兆批判は貧乏人のひがみ?

高級料亭「船場吉兆」が食べ残しの使い回しを隠蔽していた問題、マスコミも一般大衆も総攻撃だが、実際に船場吉兆で高額な食事をした人間が何割いるのか。

昨年の偽装問題後もなお、船場吉兆の営業再開時に「応援」に駆けつけた顧客は、そもそも高級料亭の看板で虚栄心を満たすことしか能がない富裕層で、彼らにとって法令遵守などクソくらえなのだ。

船場吉兆のような高級料亭は、元来そういう倫理観の乏しい富裕層を中心に商売しているのだから、僕らのような一般大衆がいくら非難したところで、船場吉兆の社長や顧客からすれば「貧乏人のひがみ」程度にしか見えないだろう。

日本はれっきとした階層社会で、法律もへったくれもない特権階級の世界が存在する。それだけのことだ。いくらマスコミや「企業リスク管理の専門家」が叩いたところで、船場吉兆はつぶれやしない。

船場吉兆がつぶれたって、第二、第三の「船場吉兆」は今も食べ残しの使い回しをしながら営業しているに違いないのだ。

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2008/04/24

看样子都没办法了


欧洲的哲学家叫齐克果说过致死的疾病就是绝望。对公司职员的生活我已经完全绝望了。如果我还很年轻的话我能开始新的生活。可是很遗憾我已经没有选择了。这种生活再继续下去或者只有绝望。我并不知道怎么办。我不自杀因为我不那么绝望了。可是我不想继续这种生活因为我并不感觉幸福。绝望和自杀之间有一条挺狭窄的路。我不得不走上这条路。有一天我会一脚踩空坠落到深渊了。那样的话就都没办法了。

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2008/04/05

高校同窓生のメーリングリストと自分の「不安」

高校時代の同窓生のメーリングリストが去年の秋にできて、参加しているのだが、テレビで取り上げられるような華々しい活躍をしている人、着実に実績をあげている人、近況報告を読むにつけ、自分が人生を台無しにしていることを実感する。

そのメーリングリストには、嘘ばっかりの無難な近況報告しかしていないので、いっそのこと20歳のときの「事実」や、いま僕が抱えている「問題」も告白しようと思ったが、バカらしくなってやめた。

成功している人間を妬むのは愚かしい。自分の人生を蔑むのも愚かしい。

でも年々昂じてくる僕の「不安」が、拭い去りようのないものであることも事実だ。

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2008/03/12

公的な意識がないのは日本人も同じ?

中国人は今でも街中など公共の場でのマナーが悪いというが、公的なものと私的なものをはっきり区別しないのは、日本人も同じことだ。

違うのは、中国人の私的なものが家族や一族、民族などの複数形なのに対して、日本人の私的なものが個人、せいぜい核家族の単位であることだろう。

だから中国人は電車やバスで、整列乗車をしなくても、老人に何のわだかまりもなく席をゆずり、日本人は老人を無視して座席に座り続ける。家族や一族の中で老人を敬うのは中国人にとって自然だし、老人と接したことの少ない日本人の若者が老人を無視するのも自然だ。

中国の公衆トイレに、まだ個室の仕切りのないところが多いのも、公的な領域にまでお互い家族のように分け隔てない意識が広がっているからだろう。

僕自身、仕切りのない公衆トイレで用を足したいとは思わないし、たぶん整列乗車しない中国のラッシュアワーは耐え難いだろう。しかし、中国と日本、どちらが進んでいるかという問題ではなく、単に違いがあるだけだという気がする。

今日の日本経済新聞に、中国の地方官僚の腐敗ぶりが書かれていたが、官僚が腐敗しているのは日本も変わらない。そもそも中国の官僚にも日本の官僚にも「公僕」の意識がないのだろう。

公的なものと私的なものの区別がはっきりしていないのだから、自分の扱っているお金が「公的な」税金や年金だという意識もないし、道路が「公的な」ものだという意識もない。だから税金や年金を使い込んで平気だし、道路を私的な利益のために誘致するのも平気。中国と日本はよく似ている。

サラリーマン生活を送っていても、よく思い知らされることだが、日本が中国よりも「発展」しているとか、より「進歩」しているとか、より「合理的」だとか、より「近代化」されているとか、そんなことを考えている日本人がいたとしたら、単なる思い過ごしだろう。

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2008/02/26

続・裁判所の命令を無視したプリンスホテルの恐ろしさ

さて、プリンスホテルが裁判所の命令に従わなかった件の釈明会見を行った。くり返すが、日教組など本当にどうでもいいのだ。

プリンスホテルという会社は、東京地裁と東京高裁の決定を公然と無視して、さらに厚顔無恥にも自分たちが正しいと記者会見まで開いた。

驚くべき事態だ。ますます株式会社プリンスホテルは信用ならない会社であることが明らかになった。

株式会社プリンスホテルが法律を公然と無視して、なお自分たちが正しいと言い張るなら、法律ではない企業会計原則など、破ることは何でもないだろう。さて、株式会社プリンスホテルの決算書は、企業会計原則にのっとって作られているのだろうか?

今回の記者会見を見れば、プリンスホテルには、お客様のためなら一切の法律は守らなくても構わないという強い意思があることがよくわかる。

いや、日教組もいちおう「お客様」だから、プリンスホテルは、気に入らないお客様に対しては法律は守らないという強い意思を表明したのだ。

ますます恐ろしい。もしあなたがプリンスホテルに宿泊して、プリンスホテルんお眼鏡にかなわなければ、何をされてもあなたは泣き寝入りだ。なにしろ民事訴訟を起こしても、ホテル側は裁判所の決定を無視するのだから。

プリンスホテルは法治国家の日本にあって「治外法権」を主張しているのだ。ちょっと正気とは思えない経営者の発言だ。


One of the largest Japanese hotel chains called 'Prince Hotel' formally ignored the court dicision. Japan Teachers' Union planned to hold their annual meeting in one of the hotels run by Prince Hotel in Tokyo. But Prince Hotel canceled their reservation unilaterally.

Tokyo District Court and Tokyo High Court ordered the hotel not to cancel their reservation. But Prince Hotel ignored this order.

Today Prince Hotel held the first press conference after this case and they insisted that they did nothing wrong!

I thought that Japan is a law-abiding country but I now doubt it. Prince Hotel is one of the most famous hotel chains in Japan. Even such a company can 'formally' ignore the court dicision.

In addition, you try to take a glance at Japanese BBS. Most of internet users support this hotel chain and blame Japanese Teachers' Union.

When you travel to Japan, I stronglly recommend you to think over whether you should stay at a hotel run by Prince Hotel. Even if something goes wrong while staying there, Japanese court can't help you because Prince Hotel might ignore the court dicisions.

Please be careful to choose a hotel when you visit Japan.

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2008/02/09

裁判所の命令を無視したプリンスホテルの恐ろしさ

日本は皆さんが思っている以上に恐ろしい国かもしれない。ご承知のように先日、グランドプリンスホテル新高輪が契約を無視して日教組の集会を拒否した上に、東京地裁にも従わなかった。

日教組はどうでもいいのだが、問題はグランドプリンスホテル新高輪が、「自分のホテルは日本の民法が適用されない」と宣言したも同然だということだ。

たとえば皆さんがグランドプリンスホテル新高輪に宿泊しているときに、ホテル側の落ち度で何かの損害をうけ、民事訴訟を起こし、たとえ勝訴しても、グランドプリンス新高輪はその判決にしたがわないおそれがあるということだ。

プリンスホテル系列のホテルはすべて株式会社プリンスホテルが経営しているので、おそらく同じことが当てはまる。プリンスホテルに泊まるときは、覚悟が必要だ。

何しろ裁判所の言うことを聞かないホテルなのだから、宿泊者であるあなたのいろいろな権利が守られる保証はまったくない。

例えばこの記事についてプリンスホテルが僕を相手に民事訴訟を起こすかもしれない。裁判の結果がどうなっても、プリンスホテルはそれを無視して、刑法に触れないような手段で報復に出る可能性もゼロとはいえない。

みなさんもプリンスホテルに宿泊した後、インターネットに下手な口コミ記事を決して書かないように。何しろ裁判所の命令を無視するホテルなのだから、どんな因縁をつけられるかわからない。

いやぁ、恐ろしい、恐ろしい。

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2008/01/07

今日は仕事始め

年末年始の連休中は、好きなだけの時間を中国語学習に費やせたおかげで、一日で『地下鉄の恋』5分間分の字幕と、阿蘭さんのブログ数回分の日本語訳をできたけれど、仕事が始まるとほとんど進まなくなってしまう。出るのは、ため息ばかり。

去年は年末年始の休みを全部つぶして働いたのに、その努力を「できて当たり前」としか評価しないような、ひどい会社に勤めていたが、昨年中に首尾よく転職することができ、今年は9日間まるまる休むことができた。<