音楽

2009/07/07

柴田淳シングル全曲カバー計画/のっちの手首から先など

早くも夏バテか。いくら寝ても寝足りない。朝から脱力感。薬が切れると頭痛がしてくる。薬を飲んだら飲んだで強烈に眠くなる。

全く、年を重ねても良いことなんか何もありゃしない。愚痴っぽくなるのも年をとった証拠?

柴田淳のシングル全曲カバー計画は残り3曲。『HIROMI』『花吹雪』『カラフル』。

『花吹雪』はいわゆる「卒業ソング」で男女問わず歌えるので問題なし(そのくせ発売が4月末なのでしばじゅんのプロデューサーのマーケティングの甘さを感じる)。

しかし『HIROMI』と『カラフル』はモロに女の子ソング。それを言ったら『没有如果』だってそうだろ、と言われればそうだけれど。

曲が良ければ歌詞なんてどうでもいい。

昨日「HEY!HEY!HEY!」で久しぶりにPerfumeのダンスを見た(ちなみに曲はいまだに『ワンルーム・ディスコ』)。あんな風に踊れたら楽しいだろうなぁ~と思いながら見ていた。

やっぱり、「のっちと付き合いたい!」目線じゃなくて、「のっちみたいに踊りたい!」目線になってしまう。ヘンだ。

その昨日放送分のダンスのHD動画がYouTubeにあった。そのうち削除されるので早めにどうぞ。

いちばん感動したのは、冒頭の歌詞「~半分の生活」のところの、のっちの右手の指の動き。手首から先の動きは、のっちがいちばん美しい。指先まで神経が行き届いた、実はかなり素晴らしいダンスだと思う。

下らない記事で申し訳ない。

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2009/07/03

Duran Duran's video clip 'Girls On Film' Uncensored Version

Today I took a day off. When I surfed YouTube as usual, I found EMI upload digital remastered version of Duran Duran's video clips.

After watching some of them, I came to 'Duran Duran - Girls On Film (Long Uncensored Version)...'. Please don't click this link when you're at office.

When I was a junior high school student, I was really a fan of Duran Duran and naturally watched the censored version of this video clip so many times. (By the way, I'm a Japanese)

This is the first time I watched uncensored version. And frankly speaking, I found this video is a mere pornography.

However, the last part of this video clip shows this is directed by Godley & Creme. Wait a moment. I've ever heard this name. Who are they?

I jumped into Wikipedia. I didn't know at all they are not only musicians but also video clip directors.

They directed video clips such as Asia's 'Heat Of The Moment' and 'Only Time Will Tell', The Police's 'Every Breath You Take' and 'Synchronicity II', Frankie Goes To Hollywood's 'Two Tribes', Peter Gabriel and Kate Bush 'Don't Give Up', etc...

All these video clips are the most beautiful moments of my youth. Why should I come to realize such an important thing now, after more than twenty years?

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2009/06/30

alan『久遠の河』のすごい英語版カバー発見!

うむむ。すごい。自分もYouTubeで中島美嘉何かのカバーを公開して、コメントをもらうことがあるので、他人のカバーもよく聴くのだが、これはすごすぎる。

オリジナル英語詞がついた、alan『久遠の河』のカバーを見つけた。

どう?alanのオリジナルと違って、完全にCelticな世界が広がっているよね。すごいよね。

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2009/06/28

暗号化された中島美嘉のHappy Birthdayメッセージ

先日、誕生日だったので、中島美嘉の携帯サイトから直筆のHappy Birthdayメッセージが届いた。

もちろん直筆のと言っても、直筆のメッセージをスキャンしたJPEGデータが、中島美嘉の携帯サイトから期間限定でダウンロードできるようになっているだけだ。

MicroSDカードに書き込んで、パソコンで開こうと思ったら、拡張子が「~.jpg.huf」となっていて、暗号化されているので開けない。

携帯電話でプロパティーを見たら、横480ドット、縦800ドットと、かなり大きな画像なのに、どうしてパソコンで見られるようにしてくれないのか。

理由は単純。パソコンで開けるようにすれば、画面キャプチャしてインターネットにアップロードされ、誰でもダウンロードできるようになってしまい、「直筆」メッセージのありがた味が薄れるからだ。

ソニー・ミュージックが中島美嘉の権利については、他のミュージシャンに増して非常に厳しく、言いかえれば「高く売ろう」としていることは理解できる。

たしかに中島美嘉の才能には、「高く売る」だけの価値がある。

ただ、Happy Birthdayメッセージ(なぜかBIRTH DAYと分綴されているのだが)くらい、暗号を外してくれないだろうか。

ここまでやられると、正直言って、逆に、中島美嘉をプロデュースしている人たちは、いったいどこまで貧乏くさいんだと思ってしまう。

もう少しファンの善意を信じてほしい気がする。

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2009/06/20

ヤマハの激安5.1chサラウンドシステムをしつこく紹介

少々しつこいかもしれないが、読者の方からも「買ってよかった」というメールが来ているので、ヤマハのホームサウンドシステムを、改めてご紹介したい。

ボーナスの季節。どの会社も業績不振で、ボーナスも減っていると思うので、そういう方にはこのサラウンドシステムは最適だと思う。

とにかく安く、3万円以内で、手持ちのテレビの音響を、5.1chのサラウンドシステムに変身させたい人にとって、たぶん最善の選択肢と思われるヤマハのTSS-20だ。

ヤマハ株式会社 TSS-20 紹介ページ

※ちなみに僕が購入したのはTSS-15で、TSS-20はその後継機種だ。細かい改良がされているはずなので、僕の評価はそのまま当てはまると思っていただいてよい。

26インチの液晶ハイビジョンTVが7~8万円で買えるのに、5.1chサラウンドシステムに、5万円以上かけるのはナンセンスだろう。

それに、一戸建てに住んでいて、近所に気兼ねなく、大音量で映画やコンサートのDVDを見られる環境なら話は別だけれど、マンションに住んでいて、特に低音がズンズン響くのを気にしなければいけない環境なら、大容量サブウーファーのサラウンドシステムに大金をはたくこと自体、無意味だ。

YAMAHAのTSS-20なら、税込み25,000円で、普通の2DK程度のマンションなら十分すぎる音質で、5.1チャンネルの迫力のサラウンドが楽しめる。

5つのサテライトスピーカーは、ルービックキューブぐらいの大きさしかないので、一見すると「こんなに小さくて大丈夫?」と思ってしまう。

でも、実際に接続すると、意外なほどよく鳴る。

8畳くらいの広さのリビングなら、センターから十分すぎるくらいはっきりと鳴ってくれる。さすがYAMAHAといった感じ。

サブウーファーは意外に大きめで、大ぶりのマスクメロンの化粧箱くらいの大きさはある。これも低音域をきっちり鳴らしてくれる。

試しにサブウーファーだけ外すと、ふつうのバラエティー番組でさえ物足りなくなってくるほどだ。

ましてライブの音楽番組や、スポーツ中継などは、サブウーファーを付けるのと付けないのとでは、臨場感がまったく違う。

スタジアムからのスポーツ中継だと、観客全体の地鳴りのようなどよめきが、この値段なのに、かなりズシズシと響いてくる。

一度、このサブウーファー付きでテレビを見始めたら、たぶんもうTV内蔵のスピーカーでは満足できないだろう。

ただし、カーペット敷きや畳ではたぶんダメ。フローリングの床に、説明書どおりに壁に対して45度の角度に置くのがいちばん鳴りが良いと思われる。

あまりに低音が鳴りすぎるので、下の階の人に迷惑かな、と思うくらい、よく鳴ってくれる。

25,000円以下の値段でこれだけ臨場感のある5.1chサラウンドを楽しめるのだから、買っても絶対に損はしない。

TV本体よりも高額なサラウンドシステムを、わざわざ買いたいというなら話は別だ。

ただ、TV本体より安く済ませたいなら、海外メーカーの不安の残る商品を買うより、このヤマハ TSS-20が品質的にも最善の選択肢だろう。

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2009/06/17

柴田淳の楽曲の魅力のごく一部をご紹介

今日はシンガーソングライター・柴田淳の歌を歌うのが難しい理由を、楽譜をつかって説明したい。

最近、柴田淳が作詞・作曲した曲を歌うのがとてもお気に入りなのだが、譜割りを正確に歌うのが異常に難しく感じることがよくある。

今おぼえている最中の7thシングル『あなたとの日々』のワンコーラスめのサビを楽譜に落としてみた。

サビの歌詞は次のとおり。

「もっともっと 愛してくれなくていい
 きっときっと あなたにはわからない
 ずっとずっと そんな想い秘めたまま
 続いてゆく毎日」

この「もっともっと」「きっときっと」「ずっとずっと」は、歌詞を見ただけだと、きっと同じ譜割りになっているんだろうなぁ~と期待してしまうが、残念ながらそう簡単にはいかない。

楽譜を見てほしい。手持ちのMusic CreatorにG# majorという調がなかったので、調はAb majorにしてある。
Anatatonobihi01

1段目が「もっともっと」
2段目が「きっときっと」
3段目が「ずっとずっと」だ。

すべて微妙に違っているのがお分かり頂けるだろう。

「もっともっと」は表拍から始まるので分かりやすいが、そう思って油断していると、次の「きっときっと」はシンコペーションで始まる。

なら次の「ずっとずっと」も裏拍からだろうと思っていると、また期待を裏切って表拍から始まる。

しかし、表拍から始まるのなら、最初の「きっときっと」と同じ譜割りだろうと期待していると、「きっときっと」の後半はすべて表拍なのに、「ずっとずっと」の後半はすべて裏拍になっている。

しかも、ツーコーラスめのサビの譜割りは、このパターンとはまた違っている。

柴田淳の書くメロディーは、このように、とっても繊細なのだ。

だから『あなたとの日々』のように、ふつうのアップテンポなPOPSに聞こえて、実は歌詞の内容と同様、かなりひねくれた曲がたくさんある。

それが柴田淳の楽曲の何よりの魅力になっている。

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2009/05/20

「全て投げ捨てたなら なにもかも終わるだろう」

もうそろそろ限界かも(何が?)...

...と思っている間は、まだぜんぜん限界じゃないんだよなぁ、これが。


毎晩柴田淳の『Single Collection』でぐっすり。

柴田淳、思ったより長期間ハマってます。もとは中島美嘉の『声』という曲の作詞作曲者ということから知ったのだけれど。

モバゲータウンの彼女の日記が面白い。

彼女、もう30歳過ぎてるけど、精神的に不安定な時期がときどきあるらしく、現在アルバム制作中で、かなり気分の上下が激しい。

それを、ありのままモバゲータウンの日記に書いてあるので、とっても面白い。僕と同じく、いつまでたっても子供の部分が残っている人だ。

でも彼女は音楽の創作活動で生活できているので、幸せな人だ。

はぁ...。

ため息しか出ない。

いま覚えようとしている曲は柴田淳の『ため息』。

「たとえば僕が 今を生きようと 全て投げ捨てたなら
 どうなるのかな 壊れるのかな なにもかも終わるだろう」

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2009/05/18

ビッグエコーで中島美嘉「Over Load」本人映像配信開始


今日あたりからBIG ECHOで、中島美嘉「Over Load」の本人映像(プロモーションビデオ)の配信が始まっているようだ。

そのうちインフルエンザにかかって、また歌が歌えなくなるので、今のうちにということで、今日、仕事が終わってから千日前2号店に行ってきた。

景気づけに「Over Load」でも歌おうかと思ったら、思いがけず本人映像が出てきたので、異常にテンションが上がった。

やっぱり、歌があれば、何とか生きていけそう。

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2009/05/04

YouTubeで初めてPalmyのPVを見た

タイは最近、何かと政情が不安定だけれど、2004年ごろ、毎日ヘビーローテーションで聴いていた、タイの女性シンガーPalmyの1stアルバム『Pamly』でいちばん好きだった曲「Yark Rong Dunk Dunk(大声で歌いたい)」。

今までどうしてYouTubeで検索しようと思わなかったのだろう?高画質版のPVを見つけた!

彼女の近況はネットで検索してもよくわからない。残念ながらタイ語が読めないので。

Palmy - PalmyiTunesストアでアルバム『Palmy』を購入!


こちらがデビューアルバム『Palmy』から「Yark Rong Dunk Dunk」

こちらは最新アルバム『Beautiful Ride』から美しいバラード「Kwarm Jeb Puad」


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2009/05/03

しばじゅんのカゼ、Jane Z.の「小城故事」など

しばじゅんのブログによれば、柴田淳は中島美嘉の東京国際フォーラムのライブに行った後、かぜをひいたらしい。僕も今日かぜをひいてしまった。インフルエンザじゃなくて助かった。

柴田淳は中島美嘉が「声」を歌うのを聴いて、自分が作詞・作曲したのに、この曲に命をふきこんでくれたのは中島美嘉だ、一人のリスナーとして泣きたいと書いていた。

かぜをひくと、声が出なくなって、歌を歌えなくなるのがつらい。たまには休めという神さまのおぼしめしか。

全然関係ないが、Jane Z.(张靓颖)がテレサ・テンの「小城故事」を歌っている『超級女声』(C-POPファンなら誰でも知ってる番組だな)の動画をYouTubeで発見した。


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2009/04/29

思わず国際フォーラムAホール前にぶらりと

単なる偶然だが、東京へ出張していた昨日と今日、ちょうど中島美嘉も東京国際フォーラムでライブをやっていたらしい。

僕は怠惰なファンなので、チケットを買っていない。

でも、今日、東京から大阪へ帰ってくる前に、思わず有楽町駅で降りて、東京国際フォーラムのAホール前まで歩いてしまった。

まだ13:30ごろで、中島美嘉のファンらしき人たちも数えるほどしかおらず、「入場開始 16:00」という張り紙があった。

ついでにビッグエコー有楽町店で2時間、中島美嘉と柴田淳の曲ばかり歌ってきた。

だが、この有楽町店のプレミアDAMが最悪だった。

プレミアDAMなら、中島美嘉の本人映像曲は全曲対応しているはずなのに、「Helpless Rain」も「GAME」も「雪の華」さえも、本人映像が入っていなかった。

まぁ、ど~でもいいことなのだけれど、かなり損した気分だ。

でも大阪の道頓堀店、千日前店、千日前2号店、梅田中央店などの、薄汚いビッグエコーと違って、禁煙ルームがちゃんとあるだけましだろう。

今のところ、大阪市内で行く価値のある清潔なビッグエコーは梅田桜橋店だけである。

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2009/04/27

土日連続ビッグエコーでフリータイムの成果は?

2日連続ビッグエコーのフリータイムの成果は、突然思い立って歌った昭和J-POP集。

意図した訳ではないのに、大学生の頃から歌っていた大好きな曲を集めると、なぜか女性シンガー・ソングライターの曲ばかり。

小坂恭子『想い出まくら』、西島三重子『池上線』、谷山浩子『河のほとりに』、竹内まりや『駅』。

YouTubeにアップしてから改めて聴くと、どれも思った以上にひどい。体調の良いとき、今度の連休にでも録音しなおしますか。

いちばんましなのは『想い出まくら』でしょうか。

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2009/04/26

結局、土日連続ビッグエコーでフリータイム

雨だし。結局、土日2日連続ビッグエコーでフリータイム。

でも嫌いじゃない。誰にも邪魔されず、誰に気を遣うこともなく、いつでも好きな歌を歌える場所に、19時まで何時間いても二千円しかかからない。

何とかしてファルセットをちゃんと出るようにしたい。「雪の華」のサビの最高音を、なめらかな換声点で裏声で歌いたい。

それができるようになって何の意味があると問われれば、何の意味もないと答えるしかない。

歌があれば何とか生きていける。でも会社員としての仕事の苦痛の大きさと、歌う楽しみのささやかさは、全く釣り合わない。

というか、「楽しい」という言葉の意味を忘れてしまったような気がする。何だったっけ?「楽しい」って。

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2009/04/19

Charles Aznavour 'La Boheme'のカバーをYouTubeにアップ


YouTubeでフランスの方からリクエスト頂いたシャルル・アズナヴールの「ラ・ボエーム」を、1週間かかってやっと覚えた。さすがに歌詞の暗記はできなかったけれど。シャンソンはいくら大げさに表現しても許される気がする。

YouTube上有一个法国人告诉我请唱一首法文歌曲叫《La Boheme(流浪者)》。一个星期练习后我才学好这首歌曲。不能背歌词了,可是唱得还好。唱法文歌曲(chanson)的话,我觉得连有点夸张的表达也可以。


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2009/04/14

中島美嘉の新曲『Over Load』はリプトンとのタイアップ

中島美嘉の新曲「Over Load」は、リプトン「リモーネ」とのタイアップだったのか。さっき初めてテレビCMを見た。

昨年来、ずっと「黒」のイメージが続いていた中島美嘉、『見えない星』ジャケット以来だろうか、久しぶりに透き通るような「白」のイメージになっている。








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2009/04/12

フランスの女性歌手Natasha St-Pierのブログ発見!

YouTubeにイヴ・モンタンの「枯葉」を歌ってアップしたら、フランス人の方からコメントを頂き、今度はシャルル・アズナブールの「ラ・ボエーム」を歌って欲しいとリクエストされた。

それで今、何度も原曲を聴きながら覚えているところだ。

ご存知のようにあの時代のシャンソンは語るように歌うので、シャルル・アズナブールの原唱では、わざと伴奏のリズムを外して音節を発音している。それを覚えるのがかなり難しい。

DAMには残念ながらシャルル・アズナブール版の伴奏はなく、金子由香利版しかないので、それで歌うことになるが、まだまだ先になりそうだ。

久しぶりにフランス語の歌を歌ったので、ふと、一時期この「愛と苦悩の日記」で連続して取り上げたナターシャ・サンピエ(Natasha St-Pier)というカナダのフランス語圏出身で、フランスで活躍している女性歌手のことが久しぶりに気になった。

すると、いつの間にか公式ブログができている。(僕も以前使ったことのあるWordPressを使っているようだ。個人的にはMovable Typeよりはるかに優れたコンテンツ管理システムだと思う)

Natasha St-Pier: Le Blog

彼女、今年の2月で28歳。音楽活動を休止しているのかと思っていたが、2月にシングル「1,2,3」を出している。

マイナーキーのメロディーと不釣合いに、子供たちと戯れる、相変わらずキュートなナターシャ。当然のことながら、もともとミュージカルでデビューしただけあって、素晴らしい歌の表現力は全く変わっていない。

30歳近くなると、なかなか数年前のようなヒット曲を出すのは難しいのかもしれないが、長く歌い続けて欲しいものだ。

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2009/04/07

柴田淳の歌詞における「いま」の宙吊りについて

やっぱり柴田淳はいい。中島美嘉の次にハマるアーティストが決まった。柴田淳。間違いなく柴田淳。

とりあえず最新アルバムの『親愛なる君へ』にどっぷりつかっている。並行して『Single Colletion』も。

当然全ての作詞作曲、インストのピアノ曲も含め、彼女自身の作品。

メロディーの美しさについては先日少し書いたので、今日は今までじっくり聴いた曲に関する限りで気づいた、柴田淳の歌詞の特徴について書きたい。

それは「いま」が存在しないこと。

歌詞というものは、「いま」この瞬間の気持ちを引き伸ばして表現したもの、「いま」という地点から過去を振り返ったもの、「いま」という地点から未来を展望したもの、またはそれらの組み合わせになっているものがある。

そして歌詞に書かれているその「いま」自体が、過去の場合もあれば、現在の場合もあれば、未来の場合もある。

例えば、最近ヒットしているアンジェラ・アキの『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』。

過去を「いま」に設定した十五歳の自分が、未来を展望する部分と、現在を「いま」に設定した現在の自分が、過去の十五歳の自分を振り返る部分の組み合わせでできている。

しかし、十五歳の自分に語る現在の自分が登場している時点で、この歌詞全体は、あくまで現在を「いま」に設定して、過去を振り返る歌詞だ。

また、純粋なラブソングのほとんどは、現在を「いま」に設定して、「いま」のこの気持ちを延々と歌う、引き伸ばされた「いま」という構造をもっている。

いずれにせよ、歌詞の中で、「いま」の設定が過去なのか、現在なのか、未来なのかを特定しやすい。

ところが、柴田淳の歌詞は「いま」が特定しづらい。

たとえば「君へ」だが、僕の理解する限り、この歌詞に登場する「僕」はすでに他界している。歌詞のほとんどが現在を「いま」とする過去の「君」との想い出の回想で、最後の部分は次のようになっている。

「笑顔がよく似合う 君が好きだったから
いつまでも笑っていてね 空見上げて

運命の相手が君だったら…って 何度も思った

君を愛してよかった
空の彼方 片想いしてるよ
願うのは 早く君に
こぼれ落ちる涙が消えることだけ…」

恋人を亡くして空を見上げて涙に暮れている「君」に、「僕」が空の上から呼びかける美しい歌詞だが、問題は冒頭部分だ。

「この空を見上げるのは あとどのくらいだろう
見上げる君に手を振って 笑う日はいつの日か」

僕の国語力不足かもしれないが、この冒頭部分は、まだ死んでいない「僕」が、空を見上げながら、自分が「この空」に昇った後つまり死んだ後、「君」との別れを嘆き悲しんだ末に、ようやく自分を見上げるまだ生きている「君」に、笑って手を振れるようになるは、いつだろうと考えている。

「僕」はまだ死んでいない。しかも、「僕」はすでに死んでいるかもしれないのに、まだ死んでいないという”矛盾”は、歌詞を最後まで聞かないと分からない仕掛けになっている。

たぶん柴田淳はそこまで考えて書いていないだろうけれど、この歌詞の中では、「いま」がどこに設定されているかを特定することができないのだ。

これほど繊細な歌詞の曲は、ちょっと今まで聴いたことがない。

詞も良い。曲も良い。中島美嘉の「声」を聴くまで柴田淳に気づいていなかった僕が悔しい。

でも「声」というアルバムの中の一曲を聴くほど中島美嘉にのめり込まなければ、柴田淳にも出逢えなかったということは、むしろそこまで引きずり込んでくれば中島美嘉に感謝しなければ。

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2009/04/02

iPod嫌いのための理想のMP3プレーヤー「Transcend 8GB MP320」

やっと理想のMP3プレーヤーを手に入れた。Trancend 8GB MP320だ。

iPod嫌いで、たかが携帯音楽プレーヤーに万単位のお金をかけたくない人にとって、このトランセンド MP320は、現時点でおそらく最良の選択肢だろう。

まず、音楽ファイルを転送するのに、いちいち専用ソフトが必要なプレーヤーは面倒。だから、iPodは最初からダメ。

音楽ファイルは、USBメモリと同じように、エクスプローラーを使って、マウスでドラッグ&ドロップするだけで転送できなければダメなのだ。

次に、タグ情報のアーティスト名やアルバム名を入力しないと、アーティストごと、アルバムごとの再生ができないプレーヤーはダメ。

よく語学教材に付属のCDを取り込んでMP3プレーヤーに転送するのだが、そういうCDには当然、タグ情報などないからだ。

タグ情報が不完全であっても、プレーヤー内部にフォルダを作成し、フォルダを選択して、フォルダ別に再生できる機種でないとダメ。

それから、軽いこと。必然的に内臓バッテリーの充電式になる。単4電池などが必要なプレーヤーはダメ。

それで、ストラップをとりつけられること。

しかも、ヘッドホン端子がプレーヤーのてっぺんに付いていること。端子が側面に付いていると、L字型コネクタのヘッドホンでないと見苦しくなるからだ。

首記のTranscendはこれらの条件をすべて満たす。

おまけに8GBも容量があるのに5,000円未満という破格の安さ。

それに、スリーピングタイマー付きで(最長60分)、眠るときにも使える。

イコライザーはカスタマイズできるので、全ての周波数を最小レベルに落とすと、眠るときに聞くための最小ボリューム設定ができる。つまりは、静まり返った深夜に、耳栓型ヘッドホンで聴いても、うるさくない音量というのが実現できる。

また、本体にUSBコネクタが付いているので、USBケーブルを持ち歩く必要がない。

FMラジオ付きだが、周波数帯が残念ながら日本ではほとんど使えない。でもFMラジオは聴けなくてもいいだろう。

以上、あらゆる面で僕にとって理想のMP3プレーヤーだ。

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2009/03/28

シャンソンのカバー曲集を再生リストにしてみた

気が向いたので、カラオケボックスでお気に入りのシャンソンを3曲連続で録音してみた。これでフランス語曲のカバーが5曲になったので、再生リストにしてみた。ぜひ聴いてみたいという奇特な方はどうぞ。

ところでカラオケボックスという場所は、録音環境としては最悪だろう。湿度は低いし、タバコの臭いが残っているし、エアコンを入れるとフィルターに付着したニコチンたっぷりの風が顔を直撃するし。趣味で歌ってるんだから仕方ない。


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柴田淳の透明なブルーノートについて

柴田淳の曲の特徴について一つ書き忘れた。多くの曲でブルーノートが使われているのに、まったくR&Bっぽくない。ブルースっぽくない。

中島美嘉のために作詞・作曲した『声』のサビにも、ブルーノートが多用されているが、どこまでも透明なメロディなのが不思議だ。

僕は中学、高校時代にエレキギターをやっていて、唯一何とかアドリブを弾けるスケールがブルーススケールだし、当時Culture Clubのファンだったりで、ブルーノートの気持ちよさにはかなり敏感だ。

ただ最近のJ-POPはR&Bの真似事が多すぎて、ブルーススケールのメロディーを聴くと、もうお腹いっぱいという感じだ。

ところが、柴田淳のブルーノートがたくさん出てくるメロディーは、まったく黒っぽくないのに、ブルーノートが居心地悪そうにしていない。それがとても不思議なのだ。

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2009/03/24

柴田淳を聴きながら寝入る毎日

最近、毎晩、柴田淳『親愛なる君へ』か『Single Collection』を聴きながら寝入っている。歌詞の世界は中島みゆき的1970年代ニューミュージックに近い。

なので、柴田淳の曲を聴きながら、自分が幸福な気持ちで眠れているのか、どんより落ち込みながら眠っているのか、どちらかよく分からない。

声質としては、時にやりすではないかと思うほどのロングトーン、独特の細かいビブラート、滑らかに移行するファルセットがとても心地よい。

それから、アレンジにコーラスが全く入らず、ユニゾンさえも入らず、ボーカルは彼女の声だけというのも、柴田淳作品の大きな特徴。

それにしても、柴田淳のブログはおもしろい。更新頻度が高いので毎日読んでも飽きない。プロのシンガーソングライターである彼女に、「そろそろ曲を作った方がいいんじゃない?」と失礼なツッコミを入れたくなってしまう。

美しい人だけれど、実年齢より精神年齢がかなり低い気がする。心の中にまだ少女が棲んでいるというか。

同時に、自信がなさそうに見えて、実は自分の才能をとても信頼している人のように思える。

より正確に言えば、自分の才能を信じてあげられるのは自分だけだ、ということを、誰よりもよく自覚している人のような気がする。

中島美嘉のために書いた『声』という曲も含め、たぶんまだまだ素晴らしい歌を書ける人だと思う。



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2009/03/20

ミニマルな感じのクラブジャズバンド jaz'presso


つい先日まで同じ職場にいた派遣社員の方が、クラブジャズバンドのメンバーだということを全く知らなかった。jaz'pressoというバンドだ。

jaz'presso official site
jaz'presso in myspace.com

jaz'presso jaz'presso in iTunes

ミニマルな感じが個人的に大好きなので、皆さんにもぜひご紹介したい。jaz'pressoの2008/05東京・表参道ヒルズでのライブ映像にのせて『moon』(album full version)をどうぞ。


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2009/03/19

ビッグエコーで玉置成実の顔を久しぶりに見た

ビッグエコーで曲間に、休憩しながら漫然とDAMチャンネルを見ていたら、久しぶりに玉置成実の顔を見た。本当に久しぶりでびっくりした。

別にファンだったわけではないが、歌番組で何度か『Believe』を踊りながら歌っているのを見て以来だ。この曲は2003年発売。デビューは14歳(!)だったらしい。たった6年前か。それほど久しぶりでもなかった。『ガンダムSEED』の主題歌だったらしい。意外なところで中島美嘉と「種ガンダムつながり」。

どうやらソニーからユニバーサルに移籍して2009/03/25に第一弾シングルを発売するらしい。所属事務所は山下達郎や竹内まりと同じスマイルカンパニーとのこと。

しばらく見ない間に何があったのか知らないが、とりあえず頑張ってほしい。
では14歳当時の『Believe』の切れのあるダンスを高画質版でどうぞ。

そしてこちらが2009/03/25発売の新曲(だが、懐かしい『Give Me Up』のカバー)。ほとんど路線は変わっていない。
http://www.youtube.com/watch?v=YMVcN5q9ccE

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2009/03/15

中島美嘉依存症の次は柴田淳依存症か?

中島美嘉シングル全曲カバー計画がひとまず完了して(新曲の『GAME』も発売前にカバーできたし)、ようやく中島美嘉に夢中状態から脱出することができた。

中島美嘉のファンになり始めた頃から、数か月もすれば飽きることは分かっていたのだ。自分のことは自分がいちばんよく分かっている。

中島美嘉の次は危うくPerfumeにハマるところだったが、YouTubeで『気になる子ちゃん』の先週放送分まで全19回分を見たら、お腹いっぱいになった。

「あ~ちゃん」や「かしゆか」のぶりぶり振りには、ちょっとついていけない。「のっち」くらいボーイッシュなら、何とか耐えられるけれど、やっぱりアイドルはアイドル。

ということでこの記事はTSUTAYA DISCASで借りた柴田淳『Single Collection』を聴きながら書いている。

次は柴田淳か?

中島美嘉はブログをやっていないが、柴田淳のブログはハイペースで更新されていて飽きないし。何より、暗い歌が多いところが良い。

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2009/03/12

「音楽は国境と文化的性差を超える」および柴田淳について

昨夜「ありのままの自分を受け入れられるのは自分だけ」という題名の記事をアップしたが、今朝自分で削除した。きっと削除要請が来ると思ったからだ。

ところが昨夜のうちにこの記事を読んだ中国人のネット友達から、さっそくメールをいただいた。

中島美嘉の全曲カバーについて、男性として女性の曲を上手に歌える上に、フィッシュ・リョン(梁静茹)『可惜不是你』のオリジナルの日本語歌詞はすばらしいと、評価していただくメールだった。励まされる内容で、とてもありがたかった。

たしかに、YouTubeにアップした僕自身が歌っているカバー曲の中では、この日本語版『可惜不是你』がいちばんコメント数が多く、中華圏の方からの評価が多い。

音楽には、国境もジェンダー(文化的性別)もないといったところか。

最近、柴田淳の曲をCDに焼いて、聴きながら眠っているのだが、倍音成分の多い独特の声で、中島美嘉のハスキーボイスを聴き慣れた耳には、やや違和感がある。

柴田淳は中島美嘉の最新アルバムに『声』という名曲を提供しているシンガーソングライターで、オリジナル曲の歌詞も当然、すべて自分で書いている。

その歌詞が、聴いているこちらが恥ずかしくなるほど女性的で、大人っぽく冷めているんだか、子供っぽく夢見ているんだか分からないところが、また独特だ。

2007/09/21発売のシングルで、2008/06/18発売のアルバム『親愛なる君へ』に収録されている『カラフル』という曲の、「夢でしか会えないから/枕元に座るくまさんがあなただった/今まで・・・」という部分は、特に、こっ恥ずかしい。

メロディーは、短調の曲では特に、透明感のある歌声とは裏腹に、中島みゆき的な情念(初期の谷山浩子的な情念と言ったほうがいいだろうか)が感じられ、やや重い感じもする。

そのせいか夢の中に、柴田淳がマネージャらしき人と打合せする場面が出てきてしまった。

歌詞の内容からして、さすがにカラオケで歌うわけにはいかないが、柴田淳はしばらく聴きこんでみたい。

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2009/03/08

歌うとき、乳製品、甘いもの、柑橘類、アルコールはダメ

YouTubeでPerfumeの『気になる子ちゃん』(日本テレビ)を見ながら、ブログの記事を書いている場合か。

ビッグエコーの梅田桜橋店へ、地下鉄の駅から地上に出ずに行く道をさがしているうちに、梅田のヒルトンホテルの5階、6階にジュンク堂があるのを発見した。

エレベータは時間がかかるのでエスカレータで上ろうと思ったら、目もくらむほどの高さの吹き抜けを見下ろす、シースルーで脚がすくんで...

...ということはどうでもよくて、ボイストレーニングの本を何冊か立ち読みしていた。

週に1~2回、カラオケに通いつめていると、確かに半年前より声が出やすくなり、高音域がほんの少しだけ広がった。

ただ、ファルセットだけは、一定以上の声量では一向に出る気配がないので、きっとファルセットを出すには特別な訓練が必要に違いない。そう思って立ち読みしていた。

高校の音楽の授業でベルカント唱法を習ったとき、あくびをするように口の中を広げ、頭の上から声が抜けるような感じで発声するように言われた。

ところがボイトレの本を何冊か立ち読みすると、「頭の上から声が抜けるように」というのは正しくないらしい。

というより、ボイストレーニングの方法論そのものが、医療技術(声帯の様子を観察できる内視鏡など)や、音響分析技術の発達とともに、変化しているらしい。

僕の発声法の知識が、20年以上前に高校で学んだベルカント唱法で止まっているということは、CDでプロの歌手の発声を聞いたときの評価も、完全に間違っているかもしれない。

それから、立ち読みでの収穫は、歌を歌う前に、乳製品、甘いもの、柑橘系のものを飲食してはダメ。理由は痰が増えるから。はちみつ入りの物も甘いという点でダメ。

アルコールもだめ。理由はアルコールは体から水分を排出し、声帯に必要な水分も奪うから。

コーヒーもだめ。カフェインが何かに悪いから(立ち読みなので忘れた)。

がっつり食事をとるのもだめ。血流が消化器に集中して、声を出すのに必要な器官に十分な血液が供給されなくなるから。

熱い飲み物もダメ。飲み物は直接声帯に触れるわけではないが、食道と気管は隣り合っているので、温度で声帯がゆるんでしまうから。

そして、のど飴をなめることは、歌を歌うということに関しては、全く効果なし。

結局どうすればいいのかというと、ただの水を飲むこと。それも一日4リットル(!)と、とにかくたくさん飲むこと。水を飲めば、たとえ痰が出てもなめらかなになって、声を出す妨げにならなくなる。

ということは、ビッグエコーでワンオーダーしなきゃいけない飲み物のうち、飲めるのはアイスウーロン茶だけ、ということになる。

っていうか、こんなこと調べてどうする。

ちなみに現在、佐藤俊樹著『意味とシステム~ルーマンをめぐる理論社会学的探究』(勁草書房)を読書中。とっても面白いルーマン解説書。

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2009/02/25

excite musicの中島美嘉インタビューを聞いて

また中島美嘉の話だが、エキサイト・ミュージックの最新アルバム『VOICE』についてのインタビュー動画が興味深かった。

アップテンポな曲は自分には合わないのではないかと思っていた、と彼女は語っているが、『STARS』や『雪の華』のような彼女の歌うバラードを聴いていると、バラードなのに、ある種のスピード感というか、ビート感があると思っていたからだ。

普通バラードのボーカルは、伴奏のテンポに対してゆったりめに歌うものだけれど、中島美嘉のバラードは専門的なことはよく分からないが、かなりインテンポか、やや前ノリ気味で、明るいノリが感じられる気がする。

そして、もう一つ興味深かったのは、彼女が歌手として昨年『VOICE』をリリースした後でも、「やっぱり自信はないんですけど、徐々に、『あ、やっていけるかも』という自信はついてきたんじゃないですね」と語っていることだ。

先日購入したDVD『KISEKI』の中でも、7年前の彼女は、芸能界で仕事をするとしても、歌手はいちばん可能性がないだろうと思っていた、と語っている。

自信を持ってしまったら、そこで成長は止まってしまう。こういうところにも彼女の歌手としての魅力があるのかもしれない。

...なんて二流音楽誌のようなことを書いている場合か。

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2009/02/23

中島美嘉シングル全曲カバー計画いちおう完了

中島美嘉シングル全曲カバー計画はいちおう完了。「いちおう」というのは、2009/03/04に新曲『GAME』がリリースされるから。DAMで配信されたら速攻で録音したい。

カバー計画最後の曲は『愛してる』。この曲はさすがに男が歌ってはいけないと思い、やめるつもりだったが、一曲だけ残すのも落ち着かないので、やはり録音した。

番外編で最新アルバム『VOICE』の最後の曲、柴田淳作詞・作曲の『声』も録音しておいた。これは本当に良い曲。もっと力を抜いて歌えるようになったら録り直したい。『桜色舞うころ』も。

YouTubeには【歌うペンギン】シリーズとしてアップしてある。
あえて直リンクは無し。

http://www.youtube.com/view_play_list?p=A7417C0A49DF8084

ニコニコ動画には「みっかみっか計画」ということでアップした。

初音ミクの「みっくみっく」じゃなくて、ボーカロイドに頼らず、男が中島美嘉シングル全曲カバーというアホらしいことをやっているので「みっかみっか」。

ニコ動は日本人しか見ないので「みっかみっか」は完全無視されるだろうけど、YouTubeの【歌うペンギン】シリーズは、たまに海外から親切なコメントが付くのがうれしい。

生きてると感じるのは、ビッグエコーやバスルームやリビングで、歌を歌ってるときだけ。

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2009/02/19

柴田淳作詞・作曲『声』を聴いて泣いてしまった

久しぶりに音楽を聴いて泣いてしまった。中島美嘉の最新アルバム『VOICE』の最後に収録されている『声』だ。

最後に音楽を聴いて泣いたのは矢野絢子の『ニーナ』で、それ以来の体験だ。

昨夜、今さら中島美嘉のアルバム『VOICE』の曲を試聴していて、最後の曲『声』が素晴らしいと思い、作詞・作曲を調べたら柴田淳だった。

YouTubeに柴田淳が中島美嘉の『ORION』をカバーしている動画がアップされているが、『声』は中島美嘉から柴田淳へのオファーらしい。

そして今朝、MP3プレーヤーで通勤途中に初めて『声』をじっくり聴き始めたら、サビの歌詞で泣いてしまった。

「私が生きて いつか この声だけが残って
気づいてくれた人が
愛を求め 抱きしめてくれるのなら

私は生きて生きて こうして声張り上げて
歌い続ける 燃え尽きるまで」

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2009/02/12

また中島美嘉のことかよ(新曲『GAME』)

そう、また中島美嘉の話。

来月2009/03/04発売の新曲『GAME』はすごい。いまカネボウ化粧品「KATE」ブランドのテレビCMで流れている曲だ。

カラオケで配信されたらさっそくカバーするつもりで、先行してPVで何度も聴いているが、今までに聴いたことがない声の表現がとても面白い。

何と言ったらいいのか。歌詞の文末に独特の「節回し」があり、笑い声まであり、Aメロの基本のメロディーがかなり自由にフェイクされていて、アップテンポな曲なのにとても表情豊かなのだ。

Dメロもかなり長めで、アレンジも「やりたい放題」といった感じだが、タイトなリズムはきっちりキープされている。同じくらい短い曲で、ストレートなJ-POPの『LIFE』と比べると、はるかに密度が濃い。

音楽番組で中島美嘉が『GAME』をどんな風に歌うのか、早く聴いてみたいものだ。

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2009/02/09

また中島美嘉のことかよ(『よみがえれニューオーリンズ』)

今週末も自分が自分であることを確認しに一人でカラオケに。

中島美嘉シングル全曲カバー計画は、『Helpless Rain』『素直なまま』の録音が終り、残すはラバーズロックの『MY SUGAR CAT』、ラブバラードの王道『愛してる』の2曲のみ。

歌詞的に歌うのがいちばんこっ恥ずかしい2曲をわざと残してしまった。開き直って歌うしかない。

某動画サイトで2006/07/01にフジテレビで放送された中島美嘉出演・ナレーションのドキュメンタリー『よみがえれニューオーリンズ~再生への祈り~』を見た。

正直この番組を見て、僕は中島美嘉本人ではなく、中島美嘉の声や、歌っている曲が好きなのだと改めて確認した。

この番組自体は、中島美嘉のチャリティー・シングル『ALL HANDS TOGETHER』にもピアノで参加している、ニューオーリンズ音楽界の大御所アラン・トゥーサンが、ニューオーリンズの音楽や「セカンドライン」の起源について、中島美嘉に優しく語りかけるように丁寧に説明する部分が非常に参考になり、デビューしてたかだか5年の日本のPOP歌手に対しても、一人の人間に対する敬意を表すことを忘れないアラン・トゥーサンの偉大さが見事に現われていて、とても素晴らしい。

それに対して中島美嘉には、これからもっといろいろな音楽を浴びるほど聴いてみてはどうだろうかと言いたくなった。

アラン・トゥーサンとの対談彼女は、話の流れの中で、音楽を聴いてもジャンルがよく分からないと正直に告白している。

その正直さは素晴らしいと思うけれど、与えられた曲を拒まず歌うだけでなく、仮にもプロのミュージシャンなのだから、様々なジャンルの音楽を時系列で聴くくらいの「お勉強」はしてもいいのではないかと感じた。

音楽の「お勉強」が足りないことで、中島美嘉のヴォーカリストとしての素晴らしさが損なわれるわけでは全くないけれど、そのままじゃ浜崎あゆみと変わらない単なるJ-POP歌手でしょうが、と言いたくなる。

単なるJ-POP歌手ならもっと聴衆に媚びるべきだ。聴衆に媚びるのが嫌なら、音楽の幅を自分で広げる努力をする余地はもっとあるのではないか。

中島美嘉の可能性に期待するからこそ、彼女のあまりのナイーブさについ文句が言いたくなる番組だった。もちろんこの番組から2年半が経過して、彼女は変化しているのかもしれないけれど。

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2009/02/07

中島美嘉出演の『情熱大陸』

何年も前に見た中島美嘉出演回の『情熱大陸』をもう一度見たいと思っていたら、つい数日前に某動画サイトにアップされているのを発見。2004年放送というからもう5年もまえだった。

当時は中島美嘉のファンでも何でもなく、ただ「猫背で華奢な人だなぁ」という印象しか残っていなかった。

今見ると、意外なほどよくしゃべる人だと感じた。中学生時代の写真がいくつか出てくるが、臆病そうな表情から、本人の言うようにいじめられっこだったことが伺える。

高校に進学しなかったのは、本当に自分には歌しかないと決心したからなのだろう。番組の中で「うちの母親はいまだに夢を見てるんじゃないかって言ってますよ」と話しているのが印象的だった。

これしかないと願ったことがかなって、それで生活していけるのは何と幸福なことだろう。

もうやり直しの効かないところまで生きてしまった人間から見ると、そう見えてしまう。

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2009/02/01

引越で多忙中にも拘らず中島美嘉シングル全曲カバー計画進行中

諸事情あって東京から大阪への引越しで多忙のため、「愛と苦悩の日記」の更新が滞っているが、YouTubeへの【歌うペンギン】中島美嘉シングル全曲カバー計画のアップは着々と(?)進んでいる。

結局 MICA 3 CHU と NANA starring 中島美嘉の曲も一部カバーすることにした。残るは4曲だが、「Helpless Rain」以外はやっぱり男には歌いづらい。

「愛してる」が歌いづらいのは言うまでもないが、「MY SUGAR CAT」なんて冒頭からいきなり「私が死んだら/ちゃんと忘れてね/プレゼントも/全部捨てるのよ」だ。

「素直なまま」も「本当はすごく強がりで/泣き虫な私でいいかな/もっと素直でいたかった」。

それでもメロディーはだいたい覚えてしまったので、一種の”ゲテモノ”カバーとして近々歌ってみたい。

カバー済みの曲:「STARS」「CRESCENT MOON」「ONE SURVIVE」「WILL」「Love Addict」「FIND THE WAY」「雪の華」「火の鳥」「LEGEND」「桜色舞うころ」「ひとり」「CRY NO MORE」「見えない星」「LIFE」「SAKURA~花霞~」「ORION」「I Don't Know」「GLAMOROUS SKY」「接吻」「SEVEN」「ALL HANDS TOGETHER」「永遠の詩」

まだの曲:「Helpless Rain」「愛してる」「MY SUGAR CAT」「素直なまま」

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2009/01/25

フィッシュ・リョン『あなたじゃないのね』オリジナル日本語カバー

中島美嘉ばかりじゃなく、久しぶりにフィッシュ・リョンの名曲『あなたじゃないのね』を歌ってみた。ただし中国語ではなく、僕自身が書いた日本語の歌詞で。

今回初めて自宅のPCでの録音にオーディオテクニカのマイクを使ってみたら、確かにノイズがほとんど乗らず、クリアな音。

伴奏は中国Amazonで購入したカラオケビデオCDから。ボーカルはMusic Creatorで録音したものに、少しだけリバーブをかけた。6回くらい歌って、ようやくOKのテイク。


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男なのに女性歌手の歌しかキーが合わないから




コネタマ参加中: 男と女どっちに生まれ変わりたい?

ただそれだけの理由で女に生まれ変わりたい。

女性歌手の歌を、原曲のキーのまま、オクターブもそのままで歌いたい。

それだけの理由で十分。

それ以外のことでは、たぶん、どっちに生まれようと、まあまあの生活しかない気がするので。

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2009/01/20

華原朋美に歌を取り戻してあげてほしい

錦糸町駅前で華原朋美さんが急性薬物中毒らしい症状で病院に運ばれていたらしい。

週末はいつもぶらぶらしている錦糸町駅前南口なので、華原さんがこんなお世辞にも上品と言えない繁華街を生活圏にしていることに驚いた。

意識がもうろうとしていたというから、おそらく勢いで精神安定剤をアルコールといっしょに飲んでしまったのではないだろうか。

芸能活動を中止して、歌を歌えなくなった歌手は、何をよりどころに生きていけばよいのだろうか。

プロの歌手でも何でもない単なる凡庸な会社員である僕でさえ、もし「明日からいっさい歌を歌うな」と言われたら生きていけないだろう。二十歳のころの絶望の淵から僕を救ったのは、谷山浩子の歌だったりするからだ。

まして、一度はトップ歌手として活躍していた彼女にとって、歌は生きることそのものだったはず。歌う場を奪われて、ぽっかりと開いた穴を精神安定剤で埋めるしかない虚しさは、僕にもある程度想像できる。

彼女に誰か歌を与えられないものだろうか。そうでなければ最悪の事態が待っているのではないかと心配になる。

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2009/01/18

梁静茹が資生堂の中国CMに

いつの間に、中国大陸の資生堂の「PURE&MILD」という化粧品ブランドのイメージキャラクタ(代言人)にフィッシュ・リョン(梁静茹)が選ばれている。http://www.puremild.com/

Pure_and_mild00


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2009/01/08

COLDFEETを知らなかったなんて...

中島美嘉の『FIND THE WAY』や『Heaven On Earth』を何度も歌っておいてCOLDFEETを知らなかったなんて...。

COLDFEET公式ウェブサイト

COLDFEETの公式ウェブサイトを開くと写真が出てくるこの女性が、上記2曲の作曲者であるLori Fineというわけか。中島美嘉とLori Fineの組み合わせね。わかる気がする。

COLDFEETの2人が登場するPVをどうぞ。theoryブランドによるファッション・コーディネートは中島美嘉がやったそうです。

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2009/01/04

【歌うペンギン】中島美嘉シングル全曲カバー計画進行中

正月休みに「CRESCENT MOON」「LEGEND」「LIFE」の3曲しか覚えられなかった。

現在某所で【歌うペンギン】(Moody Penguin)シリーズとして勝手に中島美嘉シングル全曲カバー計画進行中。進捗状況は下記の通り。24曲中、16曲完了。中島美嘉公式サイトのディスコグラフィー参照。NANA および MICA 3 CHU 名義は除外。

本当は納得のいくまで何度でも録音しなおしたいが、体力・集中力に限界あり。こんな下らないことにしか生きがいを見出せないのが悲しい。

カバー済みの曲:「STARS」「CRESCENT MOON」「ONE SURVIVE」「WILL」「Love Addict」「FIND THE WAY」「雪の華」「火の鳥」「LEGEND」「桜色舞うころ」「ひとり」「CRY NO MORE」「見えない星」「LIFE」「SAKURA~花霞~」「ORION」

まだの曲:「Helpless Rain」「愛してる」「接吻」「SEVEN」「ALL HANDS TOGETHER」「MY SUGAR CAT」「素直なまま」「永遠の詩」

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2008/12/27

ビッグエコー店舗による録音音質の差異について

ビッグエコーの店舗で、伴奏、マイク、エコーの数値をどういうバランスにすれば、後から自宅のPCでダウンロードして、ボーカルが適切なレベルになるか分かってきた。

WMA形式でダウンロードした後は、シーケンスソフトでゲインをかけ全体の音量を上げると、YouTubeにアップしたときに聴きやすくなる。

ただ店舗によって音質が違うのが問題。

※ここからは「男が歌った中島美嘉など聴きたくもない」、「他人の下らない自己満足に付き合っている時間はない」という方は読み飛ばして欲しい。

ある店舗で録音したこの曲は、高音が比較的クリア。

別の店舗で録音したこの曲は、かなりくぐもった感じになっている。

いずれにせよ、ビッグエコーの「DAM★とも」は、自分でも吐き気のしそうな自己愛を満足させるのに、最適なサービスであることに違いない。

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2008/12/26

最近ほとんど中島美嘉しか聴いていない

しばらく中華圏ポップスにハマっていた反動で、最近はJ-POPしか聴いていない。というより、ほぼ中島美嘉しか聴いていない。

たしか以前この「愛と苦悩の日記」で、中島美嘉の活動を追うドキュメンタリー番組の中で、ライブで観客に「マイ箸」を勧めている彼女にツッコミを入れたことがある。

中島美嘉は今年25歳だが、alanもしかり、アイドル系ではない20代の女性歌手が何らかのメッセージ性を出そうとしたとき、環境問題が最も無難なので、仕方ないといえば仕方ない。

実際には、よくエコやロハスのメッセージとともに、企業広告に登場する坂本龍一を含め、本当にロハスな生活を送ろうと思えば、一定の生活水準が必要だ。ホームレスに転落した非正規雇用者や、アフリカで日々発生している大量の餓死者にとっては、エコもロハスもない。

これは構造的な問題で、中島美嘉個人に何の責任もないので、中島美嘉がエコのために「マイ箸」や「マイタンブラー」持参をファンに呼びかけることは、それほど社会的に害のあることではない。

それより、ポップス歌手はポップス歌手として評価されるべきだ。

ポップス歌手にとってはルックスも重要。

デビュー当時の下ぶくれの彼女の顔の愛らしさ、特に『Crescent Moon』のPVなどは笑ってしまうくらい可愛いが、『One Survive』のPVのクールさや、『ひとり』のPVのエキセントリックな美まで(リストカットを連想させる背中の大きな裂き傷の演出が似合ってしまうところがすごい)、美術素材として、アレンジの幅が広い彼女の顔の端正さは極めて興味深い。

個人的には『Resistance』のPVの最後、破壊された水槽から出てきた真っ赤なドレス姿や、『見えない星』での彼女は、何度見てもうっとりしてしまう。

歌唱法も、デビュー当時と最近ではかなり違っている。ハスキーボイスの部類に入るのだろうが、語りかけるような低音は鳥肌が立つし、高音のビブラートは野生的でさえある。

ライブで聴くと高音は意外と苦しそうなので、見るからに華奢だし、マヨラーはやめて、少し体を鍛えないと、30代になってから声が出なくなるのではと、余計な心配をしてしまう。

中島美嘉にはずっと歌い続けてほしいのだ。岩崎宏美のように。

また、楽曲のバラエティーも彼女の魅力の一つ。『雪の華』のようなバラードが真骨頂であることに違いない。

しかし、『Legend』のような、アンビエント系の細かいビートとバラードの王道のようなメロディーがないまぜになった不思議な世界は、彼女にしか創れないだろう。

彼女は今年発売した『LIFE』を、珍しくストレートなJ-POPを歌ったととらえているようだが、こういうJ-POPを狭義のJ-POPとすれば、
広義のJ-POPの本質はその雑食性にある。

その意味では、中島美嘉の『CRY NO MORE』のような、あえて中途半端なゴスペル「風」、『Love Addict』のようなクラブJazz系、『I Don't Know』のようなガールパンク系など、作風の幅広さは、まさに広義のJ-POPの雑食性そのもの。

PVやドラマで見せるビジュアルな素材としての幅広さも合わせて、ジャンルを横断した彼女のポップス歌手としての個性は、今のJ-POP業界で誰も真似できない位置にあるのではないか。

※ちなみに中島美嘉のPVをまとめて観たい方は、最寄のビッグエコーへ行ってPremier DAMのある部屋に入り、本人映像の彼女の曲をリクエストしまくればよい。

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2008/12/21

中島美嘉『ORION』はCメロ無しで少し物足りない

以前にも書いたが、僕は街の隠れた名店よりチェーン店が好きだし、ブランドショップよりユニクロが好きだ。理由はその匿名性にある。

街の隠れた名店に入るには、それを主体的に選択した自分が、たとえフィクションであれ必要だが、マクドナルドに入ることに自分である理由はいらない。

ユニクロの服を買うのに自分である理由はいらない。ユニクロの服なんて誰でも着ている。そこに自分らしさという、わざとらしい意味づけは不要だ。

そもそも大量消費財の購入に自分らしさなど必要ない。そこにあたかも「自分らしさ」があるかのように意味づけするのは単なるフィクションに過ぎない。フィクションと分かって楽しむことに意味がある。

ポップスについても同じことが言える。

最近のJ-POPのバラードは似たようなコード進行の王道を乱用し、映画・ドラマ・CMのタイアップだけで売っていると非難する人がいる。

でも、そもそも流行音楽はユニクロの服と同じような、誰もが消費できる「規格品」の側面を持っているし、持たなければ、一定の人気を獲得できない。

ところで中島美嘉のヒット中の新曲『ORION』。彼女の王道バラードにしては珍しくCメロ(Aメロ、Bメロ、サビ以外のメロディー)がない。

今年春の『SAKURA~花霞~』には「晴れ渡る旅の空に」で始まるCメロがある。『STARS』には「窓の外には夜があるよ」で始まるCメロがある。

『WILL』には「過ぎてく過去はすべて」で、『FIND THE WAY』には「答えを出すこと」で、『ひとり』には「勝手なことだと百も承知の上だよ」で、『CRY NO MORE』には「この寂しさにいつか終わりはあるの」で、『雪の華』には「もし君を失ったとしたなら」で、始まるCメロがある。

そういえば『桜色舞うころ』にもCメロがないが、間奏のフェイクがCメロっぽいといえばCメロっぽい。

なので『ORION』はちょっと物足りない。ポケットの少ないユニクロのジャケットみたいな感じ。そういうことを書きたかっただけ。

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2008/12/07

筆者の「clubDAMランキングバトル」今日の結果(2)

(※2008/12/07もランキング・バトルに参加したため、再掲)
BIG ECHOが2008/12/01から「DAM★とも」というサービスを始めた。会員は自分の歌唱をボックスで録音してアップロードし、インターネットで公開できるようになった。究極の自己満足。

ただし第一興商のWebサイトからログインして公開申請すると、運営スタッフの検閲が入り、公開まで48時間かかる。昨日『ORION』を録音したので、聴きたくないだろうけれど、そのうちここで公開する。

本日時点の筆者のランキング・バトル結果は以下の通り。

競争率の低い『A Perfect Sky』は1位になった。今回、初めてエントリーした曲は、中島美嘉『桜色舞うころ』、SPEED『あしたの空』、Superfly『愛をこめて花束を』の3曲。

『愛をこめて花束を』は覚えるのに1週間かかったが、とても素晴らしい曲で、何度でも歌ってしまう。Superflyのボーカル(Superflyのメンバーは彼女1人だけらしいが)、越智志帆のいかにも1960~70年代風のフェイクは真似できないが、非常に良い。Wikipediaによればやはりジャニス・ジョプリンの影響を受けているようだ。

A Perfect Sky (5072-34)/BONNIE PINK  1位 (93.536点)
Love Addict (6308-27)/中島美嘉      2位 (95.26点)
RED CLIFF ~心・戦~ (7074-39)/alan   4位 (96.504点)
今夜も星に抱かれて… (7075-51)/絢香  4位 (93.009点)
SAKURA~花霞~ (7306-38)/中島美嘉  4位 (96.43点)
WILL(Short Ver.) (6308-32)/中島美嘉   5位 (96.261点)
見えない星(生音) (7306-09)/中島美嘉   5位 (93.267点)
愛をこめて花束を (4190-04)/Superfly   5位 (96.53点)
ORION(生音) (7306-13)/中島美嘉     6位 (96.428点)
あしたの空 (4704-84)/SPEED        6位 (95.219点)
桜色舞うころ [良音] (6308-56)/中島美嘉 6位 (95.522点)
FIND THE WAY (6308-30)/中島美嘉    8位 (95.174点)
三日月 [良音] (7075-10)/絢香       12位 (94.946点)
STARS(Short Ver.) (6308-31)/中島美嘉 16位 (95.37点)
雪の華 (6308-33)/中島美嘉         24位 (95.187点)

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2008/11/23

筆者の「clubDAMランキングバトル」今日の結果(1)

週末は「ひとりカラオケ」くらいしか楽しみがないので、土日連続で錦糸町、亀戸のビッグエコーに出かけた。

以前からclubDAMの会員カードを持っているが、今日初めて「ランキングバトル(全国の会員が採点結果を競う究極の自己満足ランキング)」に参加した状態で、いつも歌う曲を歌った。

コンピュータの採点がどこまで信用できるか分からないが、少なくとも音程とリズムの正確さだけは厳密に判定できるはず。

2時間半歌った結果、順位の高い順に以下のとおり。90点以下は一曲もない。(2008/11/23 19:00現在)

おかげさまで(何のおかげ?)本日時点、BONNIE PINK『A Perfect Sky』で全国2位、中島美嘉の新曲『ORION』で全国5位。中島美嘉『STARS』はここ数日で覚え、今日初めてカラオケで歌った結果12位。

冗談ではなく、僕にとって、ときに陥りがちな絶望から自分を救い出してくれるのは、常に歌を歌うこと。この点数をご覧いただければ、僕がどれだけ歌うことを愛しているか、分かって頂けると思う。

BONNIE PINK 『A Perfect Sky』 2位 (93.67点)
絢香 『今夜も星に抱かれて…』 4位 (94.148点)
中島美嘉 『ORION』 5位 (96.048点)
中島美嘉 『見えない星』 5位 (94.772点)
中島美嘉 『SAKURA~花霞~』 10位 (96.276点)
中島美嘉 『WILL(Short Ver.)』 11位 (96.148点)
中島美嘉 『STARS(Short Ver.)』 12位 (96.378点)
alan 『RED CLIFF ~心・戦~』 12位 (95.683点)
中島美嘉 『Love Addict』13位 (91.491点)
中島美嘉 『FIND THE WAY』 28位 (95.37点)
Misia 『Everything』 40位 (94.099点)
中島美嘉 『雪の華』 62位 (95.515点)
絢香 『三日月』 ランク外 (91.547点)

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2008/11/20

今さらフランク・ザッパの『Burnt Weeny Sandwich』


今さらフランク・ザッパ(Frank Zappa)の1970年のアルバム『Burnt Weeny Sandwich』を聴いて、「なるほど。フランク・ザッパってこんな音楽を作る人だったのか」と感心している僕って...。

いずれにせよこのアルバムの聴くきっかけを作ってくれたピーター・バラカンのNHK FMの土曜朝の番組『WEEKEND SUNSHINE』に感謝。

同番組で紹介された『Burnt Weeny Sandwich』の中の一曲はこちら。


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2008/11/14

活動再開SPEEDの『White Love』

大阪出張から帰宅して、幸運にも今晩NHK総合で放送された『恋うた2008』のSPEEDの登場時間に間に合い、晴海埠頭で彼女たちが歌う『White Love』を聴くことができた。

SPEED公式ウェブサイト

SPEEDは完全復活していたんだ。2008/11/12には新しいシングル『あしたの空』が発売されたらしい。知らなかった。

活動期間に空白のあるアイドルグループの歌は、ふつう、聴くに耐えないものだが、今井絵理子や島袋寛子のファルセットは意外に安定している。声量も決して期待はずれではないし、ダンスの切れもいい。

10年という時間が過ぎた結果が、失うものばかりではないと知ることが、ごくたまにあるというのは、悪くない。

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2008/11/09

都倉俊一作曲『カルメン'77』イントロの秘密!?

日曜朝、NHK FMの都倉俊一の番組『ミュージックメモリー』を布団の中でたまに聴く。ちなみに都倉俊一は1970年代J-POPの超有名な作曲家で、僕が一番すきな作品は『五番街のマリー』。

先週、都倉俊一自身が大学時代に影響を受けた洋楽を紹介しており、その中にBlood, Sweat and Tears『Spinning Wheel』があった。YouTubeで動画なしの高音質版が聴ける

都倉俊一は編曲家でもあり、番組の中で「この曲の曲作りは大いに参考にさせてもらいました。例えばピンクレディーのために作曲した『カルメン'77』など」と大胆な告白をしていた。

たしかに『Spinning Wheel』と『カルメン'77』のイントロはうり二つ。

なお、もう一曲、都倉俊一が大学時代に影響を受けたと話していたのが、Chicago『Saturday In The Park』だ。『Spinning Wheel』にしても、改めて聴くとかなり凝ったコード進行とリズム転換があり、金管が大胆に使われている共通点はあるが、実に独創的なPOPSだと感じた。

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2008/11/04

BoA米国デビューに意味はあるか?

どうやらBoAが米国デビューするらしく、YouTubeに「Eat You UP」という曲のミュージックビデオが掲載されている

しかし、アジア人アーティストが米国デビューすることを、アジア人がステータスと感じる時代はもう終わっているのではないか。

音楽、映画、野球、ゴルフなど分野は何でもいいのだが、特にブッシュが大統領になって以降の米国の凋落ぶり、世界の米国に対する失望ぶりを見ていると、米国が最終目標であり、世界そのものであるかのような考え方は、すでに過去のものではないのか。

古臭い世界観を引きずって米国デビューしてしまうBoAの姿を見て思うのは、もうこの人は韓国や日本に戻って来ても、5年前のような人気は出ないだろう、ということだ。

米国が世界の中心である世界観から、すでに世界中が脱しようとしているというのに、BoA米国デビューを日本語で喧伝するYouTubeのページを見て、時代錯誤もはなはだしいと、やや悲しくなった。

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2008/10/05

「SAYONARA」の映像にメーテルが出てこない!

どうでもいいことなのだが、ビッグエコーに行って案内された部屋が最新機種のPremier DAMだと喜んでいたら、『さよなら銀河鉄道999』のエンディングテーマが本物のアニメ映像ではなく、ただのイメージビデオではないか!

まさか松本零士が第一興商と契約解除したのか!?と驚いて、ゴダイゴ『Galaxy Express 999』を入力すると、ちゃんと劇場版『銀河鉄道999』のダイジェスト映像になっている。

おかしいと思って第一興商のウェブサイトで調べてみると、なんと2006年、2007年発売のDAMの最新機種(XG1000、G70)では、『さよなら銀河鉄道999』のエンディング「SAYONARA」から本物のアニメ画像が削除されているのだ。

どうやら新しいアニメ(涼宮ハルヒの憂鬱、ガンダム種DESTINY、ネギま!など)は、逆に最新機種にはあるが「BB cyber DAM」になかったりするようだ。

大学時代の研究室の助手さんが大ファンだったセーラームーンは、最新機種から完全に削除され、そのかわり、同じく小さな女の子向けのアニメ『ふたりはプリキュア』にそっくり入れ替わっている。セーラームーンはもう過去のものということか。そりゃ過去だろうよ。20年前の作品なのだから。

劇場版『さよなら銀河鉄道999』のダイジェストを見ながら、メアリー・マクレガーの「SAYONARA」を歌いたい人は、受付で「BB cyber DAM(G100)の部屋でお願いします」と言うのを忘れないように。

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2008/08/24

かおりくみこ『やさしくしないで』

遠出する気にならないので、近所のビッグエコーへ一人で行った。劇場版『銀河鉄道999』のエンディングテーマ「SAYONARA」(歌:メアリー・マックレガー)を歌っていたら、惑星ヘビーメルダーの酒場で機械伯爵の恋人リューズが、ギターを弾きながら歌う『やさしくしないで』(作詞:中原陽子、作曲:中村泰士、歌:かおりくみこ)のことを再び思い出した。

帰宅してからGoogleで検索すると、この曲のコード進行を分析したブログ「牧歌組合」の記事や歌詞を掲載したページが見つかった。

さらに、あえてリンクは張らないが、ニコニコ動画に、かおりくみこのオリジナル歌唱を使った動画がアップされているのを発見。早速、動画ダウンロード保存支援サイト「Vid-DL」でFLV形式でダウンロードし、HugFlashというフリーウェアで音声部分をMP3形式で抽出した。

(注意:このとき必ずHugFlashの「MP3VBRHeader(Xing)付加」のチェックを外して固定ビットレートで保存すること。そうしないと保存した結果のMP3ファイルの音飛びが激しい)

これで小学生のころ買ったシングル版『やさしくしないで』を、約30年ぶりに心ゆくまで聴くことができる。今回ネットを検索して知ったのだが、『やさしくしないで』シングル盤(1979年発売)のB面は『惑星メーテルのテーマ』だった。そんなことも忘れていた。

いま僕の枕元にあるラジカセには、劇場版のサウンドトラック『交響詩 銀河鉄道999』のCDが入っている。ここ1週間はこれを聴きながら眠りについている。

『惑星メーテルのテーマ』を聴いていると、小学生のころ感じた、映画の世界に引きずり込まれ、現実の世界に二度ともどれなくなりそうな、少し恐ろしいくらいの至福感が甦ってくる。もし穏やかに死ねるとしたら、BGMはサントラにしたい。

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2008/07/27

なぜAK(柿原朱美)は中国で知られているのか?

2008/02日本でインディーズ・デビューした中国人女性歌手ジェイド・イン(Jade Yin)さんだが、彼女がお気に入りの日本人女性歌手にクラブミュージック系の「AK」がいる。本名は柿原朱美というらしい。

日本ではクラブミュージックのファン以外はほとんど知らないと思うが、iTunes Storeのレビューに、6年前、中国・深センのタクシー運転手が車内でずっと彼女の曲をかけていたとある。たぶん中国の特定の地域ではかなり知名度があると思われる。

1980年代後半から1990年代前半ポリスター在籍時代に今井美樹や原田知世に楽曲を提供していたらしいが、当時の音源を試聴すると確かに中途半端。しかしその歌声がミニマルなクラブ系のビートに乗ると独特の雰囲気が出てくる。

しかし1990年前後、日本でまったく人気が出ず、米国へ移住した彼女が、なぜ中国で一定の知名度があるのだろうか。中国人のR&B系の歌手が紹介したのか?どなたかご存知の方は教えて頂きたい。

akmei"ak"kakihara - AK Trilogy akemi "ak" kakihara - AK Trilogy

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2008/06/21

ジェイド・イン(Jade Yin)『Danny Boy』日本語字幕版

ジェイド・インさんの歌う『Danny Boy』に、かなり個人的な解釈を含む日本語訳の字幕を付けて動画にしてみた。著作権のないアイルランド民謡なので問題はない。やはりこの歌声は非凡だ。


ジェイド・イン(Jade Yin)『ダニー・ボーイ』日本語字幕版

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2008/05/13

ジェイド・イン『仰げば尊し』動画

ジェイド・イン(Jade Yin)さんの公式サイトで無料ダウンロードできる『仰げば尊し』に動画をつけてみた。

動画を編集しつつ何度も聴いたが、日本語の発音の美しさに改めて驚かされた。何の説明もなく聴かされたら、中国人が歌っているとは誰も思わないだろう。この曲のもつ素朴な郷愁と、ジェイド・インさんの透明感のある歌声が、これ以上ないくらい調和している。

ジェイド・インさんのアルバムはiTunesでも配信されている→Jade Yin - 七彩音色~なないろねいろ~Prologue


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2008/04/27

我最愛的韓国歌星BADA



今晚我在YouTube上看了过去韩国歌手S.E.S的视频。我很想那些日子。十年以前在日本她们比较红了。我也是个她们的粉丝。其中我最喜欢BADA的超级歌唱力。可是我不会韩语,所以我无法知道BADA现在的情况。我只知道二,三年前她翻唱了中岛美嘉的《FIND THE WAY》。以后我爱唱这首歌。我很想那些日子。想到现在在日本电视上再也见不到她们了就我感到难过。
Bada - Made In Sea [Repackage] - Find the Way

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2008/04/24

王若琳の気だるいボーカル


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ジェイド・イン(Jade Yin)さんのブログで王若琳(ジョアンナ・ワン Joanna Wang)という台湾の女性歌手を知った。実は毎週木曜日BS日本テレビで観ていた台湾ドラマ『美味しい関係』の挿入歌の歌い手だったのだが、てっきり英語圏の歌手だと思っていた。


ところがその「I Love You」という曲の気だるいその女性ボーカルが、実は台湾の歌手だったのだ。「台湾の小野リサ」と呼ばれているらしいが、小野リサの声にラテン的な鮮やかな色彩とリズムがあるのに対して、王若琳の声にはモノトーンの街の静かな路地が似合う。
Joanna Wang - Start from Here - I Love You (From "Ai Hen Jian Dan")

残念ながらYouTubeで「I Love You」のミュージックビデオが見つからないので、「Let's Start From Here」をどうぞ。別のビデオでギターを弾く姿を見る限り、彼女は左利きのようだ。

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2008/01/02

梁静茹『崇拝』大成功で丸一か月の休暇を獲得

新華社Webサイトから昨年末2007/12/27付の梁静茹に関するニュースを一つ。新曲『崇拝』がカラオケ新曲売上げランキングで三週連続一位を獲得し、定番曲『分手快楽』はカラオケ歌唱100万回を突破したという。レコード会社がそれに合わせてアルバム『崇拝』大成功の功績を称えてパーティーを開き、彼女に二月丸一か月間の休暇を与えることを決定したとのこと。飛行機のチケットは二人分で、恋人と甘い休暇を過ごすことが期待されているそうだ。

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2007/12/30

『星は何でも知っている』と『月は何でも知っている』は全く違う歌

今朝、布団の中でNHK FMラジオの『ミュージックメモリー』(毎週日曜AM08:00~09:00)という平尾昌晃と葛西聖司アナウンサー司会の番組を聴いていたら、聴取者からのハガキで『星は何でも知っている』という平尾昌晃の歌うヒット曲が、中国ではテレサ・テンが『月は何でも知っている』と改題してヒットさせている、と紹介されていた。平尾昌晃は冗談で「中国でもよく歌われているのに印税は入ってこないんだよね」と言っていたが、大変な誤解である。


テレサ・テンが中国でヒットさせた『月は何でも知っている』は、『ミュージックメモリー』でも解説されていたように、確かに原題は『月亮代表我的心 yuèliang dàibiǎo wǒ de xīn』だが、『月は何でも知っている』という邦題は日本人が勝手につけたもので、純然たる中国人作詞・作曲によるテレサ・テン(鄧麗君)のヒット曲だ。

作詞は孫儀 sūn yí、作曲は湯尼 tāng ní。ネットで調べたところでは、孫儀という作詞家はジュディ・オング(翁倩玉 wēng qiàn yù)の台湾での代表曲『海鴎』の作詞家でもある。(参考:Judy Ongg Fan Site

作曲者の湯尼は、翁清溪 wēng qīngxī の別名で、台湾POPSの創立者と言われている大作曲家らしい。詳細は百度百科の翁清溪のページ(中国語)をご覧頂きたい

翁清溪氏は1936年生まれで、様々な楽器を演奏でき、23歳のとき台湾駐留の米軍クラブで演奏を始め、28歳で早くも自らトニー大楽団というビッグバンドを結成したらしい。台湾で500曲以上のPOPSを作曲し、編曲に至っては数万曲。映画音楽の作曲も多く、『小城故事』『原郷人』等の映画にテレサ・テンの歌う主題歌を作曲している。

ちなみに平尾昌晃は1936年生まれなので、同年輩のPOPS作曲家ということになる。NHK FMの『ミュージックメモリー』には訂正コメントをお願いしたいものだ。

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2007/12/15

梁静茹のヒット曲「暖暖」駅は実在する

梁静茹(フィッシュ・リョン)の2006年のアルバム『亲亲』には「暖暖」という、シューベルトの「ます」が引用されたチャーミングな曲があり、ミュージックビデオに「暖暖」という名前の駅が登場する。

ビデオ用に作った架空の駅だと思ったのだが、実際に台湾の最北部にある基隆市には暖暖区という区があるようだ(Internet Explorerでは文字のエンコードを繁体字(Big5)にしないと表示できない場合があるので要注意)。

暖暖区には暖暖里という土地があり、そこには確かに暖暖という名前の電車の駅が存在する。Googleマップで「暖暖火車站」をキーワードに検索すると地図が表示される。どうでもいいと言えばどうでもいいことだが、形容詞の重ね型がそのまま地名になっているのが愛らしい感じがしたので、ちょっと触れてみた。

元はといえばYouTubeに「le teaコンサート」で梁静茹がこの「暖暖」という歌を歌う様子がアップされていたからなのだ。このle tea、梁静茹がテレビCMに登場するのはリンゴ風味だが、他にもピーチ風味や、天然果汁入りの炭酸バージョンなどがあるようだ。le teaのメーカーのWebサイトをネットで探したが、見当たらないのであきらめた。

Tonyさんという方の暖暖駅周辺の古戦場跡訪問記
vivianfoxさんのブログの暖暖駅訪問記
琴さん田さんの台湾旅行写真記ブログから暖暖駅訪問記(梁静茹の「暖暖」の歌詞が引用されている)

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2007/12/01

『崇拜』の写真は蜷川実花さんの作品

はいはい。梁静茹の話題ばかりで申し訳ない。梁静茹の最新アルバム『崇拜』のクリエイティブはすべて、演出家・蜷川幸雄氏の娘である、写真家・蜷川実花さんの撮影した作品だったんだ。蜷川実花さんはタイトル曲『崇拜』のミュージックビデオのメイキングにも登場している。

そしてビデオに登場する教会、どこかで見たと思ったら、安藤忠雄を特集したテレビ番組で観たのだった。

しかもこのアルバムの4曲目「会呼吸的痛」のミュージックビデオもYouTubeで観ることができるが、東京都内や北海道の新夕張駅など、全編日本で撮影されていることがわかる。

これだけ日本と関係の深い新譜であっても、日本ではまったく問題にもされない梁静茹なのであった。もちろん来年30歳になる彼女を日本のレコード会社が新人として売り出すのは不可能だ。

でも同アルバムの5曲目「101」のミュージックビデオでは、美術学校のきゃぴきゃぴした女子学生役を演じているし、そういえば昨年発売のアルバム『亲亲』のタイトル曲のミュージックビデオでは女子高生役で制服を着ていなかったっけ。

まだまだいけるぞ!1978年生まれの梁静茹。

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2007/10/27

矢野絢子の優しい歌声がテレビCMから

高知県のライブハウス「歌小屋の2階」を中心に地味な活動を続けている女性シンガーソングライターの矢野絢子だが、個人的に一年以上フォローしていなかったところへ、突然テレビで見たバカボン一家が登場するヨド物置のCMのBGMが、何と2007/09/19発売の四枚目のアルバム「あいのうた」収録の「恋」という曲らしい!

知らぬ間にルックスがずいぶん変わっている。僕が「てろてろ」などの曲にハマっていた頃は、どちらかといえばベリーショートのボーイッシュな髪型だったり、長いときでも日本人形のような髪型だったりしたのだが、新しいアルバムのジャケットでは長い巻き髪になって、メイクもモードっぽく、印象が大きく変わっている。

しかも彼女は来年出産を控えているという。

彼女の曲の中で僕が最も好きな『ニーナ』→矢野絢子 - てろてろ - EP - ニーナ

ちなみに、上述のヨド物置のテレビCM「家族の思い出」篇は、こちらから動画が見られる。ここにもWindows Media Playerを埋め込んでおく。

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2007/10/08

ヤマハの2万円5.1chサラウンドシステムに大満足

YAMAHAの家庭用5.1チャンネル・サウンドシステム「TSS-15」だが、期待以上の性能でとても満足している。


特に、サラウンド用スピーカーを本来置くべき後方の位置に設置し(リビングの壁や天井にケーブルが這うのはやや見栄えが悪いが)、本来のサラウンドモードに切り替えて聴くようになってからは、5.1チャンネル・サラウンドが、本当にサラウンドで聞こえるので、非常に良い。

たとえばワールドビジネスサテライトなど、普通のニュース番組でも、ナレーションは前方からくっきり聞こえ、BGMは音楽っぽく響くので、両者がはっきり分かれて聞こえる。

何よりうれしいのが、クラシックの音楽番組を納得のいく音響で楽しめることだ。

たまたま今日、NHKのBSハイビジョンで、今年のチャイコフスキーコンクール優勝者、神尾真由子の特集を放送していたのだが、彼女の力強いチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を、とても2万円とは思えない迫力ある音で聴くことができた。

ちょっと低音が響きすぎで、下の階の人に迷惑かなと思えば、低音(ウーファー)だけ独立して音量を調節できる。

あまり低音が必要ないバラエティー番組などは、「ナイトリスニング」ボタンをポンと押すだけで、低音が切られて、人間の声が聞こえやすい中音域中心で残響の少ない設定に早変わりする。

サラウンド用スピーカーを後ろに置いて、本来のサラウンドモードに切り替えてから気づくのは、意外とテレビCMに5.1chサラウンドのものが多いということだ。いきなり背後に定位した音が響いてくると、何しろ今までにない音響体験なので、ちょっとびっくりするが、慣れると迫力があって心地いい。

よく考えると、このYAMAHAのサウンドシステムは、チャンネルを次々換えて観る「ザッピング」のために作られた製品なのかもしれない。リモコンのボタンひとつで音響設定を「映画」「音楽」「スポーツ」と、番組に合った設定に手軽に切り替えられるからだ。

またまたアフィリエイトブログのようになって申し訳ないが、2万円でこの音なら絶対買って損はないので、家でテレビを見る時間が長い方には、ぜひお勧めだ。

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2007/09/22

たった2万円で大満足のヤマハ5.1chデジタルサラウンドシステム

以前からずっと自宅のビクターの26インチ液晶テレビの内臓スピーカー音の悪さが気になっていた。日曜日の朝、「題名のない音楽会」などを聴いていいても、中音域しか出ず、解像度も悪い。人の声が聞こえればいいというスピーカーなのだ。いい加減イライラしてきたので、思い立って外付けのスピーカーを買うことにした。

スピーカーだけ買うなら、ステレオミニジャックやRCA端子など、昔ながらの端子にアダプター電源つきのアクティブスピーカーを買えばいちばん安上がりだ。

でも、この手のスピーカーはパワー不足だし、どうせ買うならアンプ経由でスピーカーケーブルをつかって接続する本格的なスピーカーを、と思って探し始めた。

ところがアンプは、見つけた限りで最も安いYAMAHA DSP-AX361でも3万円弱、左右のスピーカーを合わせると5万円近くになってしまう。

いろいろ探すうちに「ホームシアター」という選択肢を見つけた。ONKYO HTX-11はサブウーファーにアンプ内臓で、左右のスピーカー付きという、一見2.1chのサラウンドシステムながら、バーチャルに5.1chを再現できる。

しかし3点セットで3万円以上する。映画のDVDもめったに観ないし、たかがテレビのスピーカーに3万円もかけられないと、もっと安い価格帯のものを探して、ついにYAMAHA シネマステーション TSS-15に行き着いた。

アンプもないし、スピーカーとの接続はスピーカーケーブルでもないので、当初の想定からはかなり質が落ちるが、ネット上の口コミを読むと意外なほど評判がいい。価格も2万円と申し分ないので、購入してみた。

もっと質を落とせば、ロジクールやクリエイティブといったパソコン周辺機器メーカーの5.1chサラウンドスピーカーシステムもある。ただ、さすがにそこまでの妥協はできないので、辛うじてYAMAHAブランドにふみとどまった。

結果は口コミの評判どおり、価格の割りにかなりの音がする。部屋の構造上、サラウンドスピーカー(後ろに置くスピーカー)を設置する場所がないので、5本の直径5cmフルレンジスピーカーはすべて前面において、サラウンドモードをオフにした。

ケーブルテレビのセットトップボックスとは光ケーブルで、DVDプレーヤーとはRCAケーブルで接続し、DVDプレーヤーにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番や、バッハのパイプオルガン曲など、とっかえひっかえかけてみたが、テレビの内臓スピーカーと比べると、音の解像度と低音域の鳴りは天と地ほどの差がある。

低音だけを鳴らすサブウーファーをフローリングの床に置くので、低音の鳴りの良さは当たり前だが、直径5cmのおもちゃみたいなフルレンジスピーカーで、これほど解像度が改善するとは思わなかった。

たとえば、ちょっとしたことなのだが、ソフトバンクの携帯電話のテレビCMで、エレキベースってこんな音が鳴っていたんだ、とか、今までテレビの内臓スピーカーでは全く聞こえなかった音が聞こえるようになり、自宅のテレビでの音響体験が別物になってしまった。

サラウンドスピーカーを設置する場所があれば、ソースが5.1chサラウンドなら、ちゃんとサラウンドで聞こえるので、このコストパフォーマンスの良さは初めてホームシアターを購入する人に絶対におすすめだ。

「題名のない音楽会」も地上デジタル放送では実は5.1chサラウンドだし、野球ファンならジャイアンツのテレビ中継は5.1chサラウンド放送になっていることが多い。サラウンドスピーカーを設置できる部屋なら、日常生活がデジタルサラウンドになってしまう。

さすがYAMAHA。今回は安くても納得のできる買い物ができた。

(これじゃあまるでアフィリエイトブログじゃないか!!でも本当にこの音の解像度には納得したのでご紹介した。マンションにお住まいの方は、サブウーファーを鳴らしすぎて、下の階から苦情が来ないようにご注意を)

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2007/09/15

テレサ・テンの感動的な可愛らしさのビデオCD

引き続き鄧麗君(テレサ・テン)の話題で申し訳ないが、YesAsia.comに注文していた「歌迷小姐」のビデオCDが届いた。1970年代の彼女が観られるビデオCDで、プレミアがついておらず安価で入手できるのはこれですべてと思われる。

「歌迷小姐」とは鄧麗君主演の香港映画だが、インターネットで調べると製作年が1972年で、鄧麗君17歳の時とあり、彼女は1953年生まれなので計算が合わない。撮影当時は17歳だったが、映画の公開が1972年になった、ということなのだろう。

今回購入したのは「The Legend of Teresa Teng」、ジャケットにも「鄧麗君成名史」と書かれているだけなので、一見「歌迷小姐」とはわからない。

「歌迷小姐」が収録されているビデオCDで、現在入手可能なものは二種類あるようだ。

一つは「歌迷小姐:鄧麗君成名史」という題名の書籍に、映画のビデオCDが付録になっているもの。こちらはHMVのオンラインストアからも購入でき、在庫があれば24時間以内に発送される。HMVストアの「歌迷小姐:鄧麗君成名史」のページはこちら。税込価格が約3,500円と、やや高めだ。

僕が購入したのは、おそらくこの書籍の付録ビデオCDだけを取り出したものらしく、約600円という超廉価版。ジャケットのどこにもクレジットがないので、海賊版なのかもしれない。でも肝心の映画は約75分全編収録されており、繁体字と英語の字幕もついているので、映画を楽しむには”没问题”だ。

「歌迷小姐」というミュージカル映画は、田舎からレコード会社のオーディションをうけるために上京した高校生の少女が、レコード会社のオーディションに合格し、一夜にしてスターになるというご都合主義的な物語。

鄧麗君の他にも、当時の香港の人気歌手が数人登場して歌を披露するので、映画というよりは、お芝居をはさんだミュージックビデオ集と考えた方がよさそうだ。

十年ほど前にトーラスレコードから「GO!GO!テレサ」という、ちょうどこの時代の鄧麗君が歌うポップスばかりを集めたコンピレーションCDが発売され、今は廃盤になってプレミアがついているが、「歌迷小姐」」はまさに「GO!GO!テレサ」といったキャッチがぴったりの、元気いっぱい、ちゃめっ気たっぷり(死語)の鄧麗君を見ることができる。

ミニスカート姿で踊りながらよく通る声で歌う鄧麗君は、しっとりと「つぐない」を歌う日本の歌謡曲歌手としてのテレサ・テンとは全くの別人だ。

途中、鄧麗君以外の歌手が、美空ひばりの「りんご追分」や、カルメン・マキの「時には母のない子のように」の中国語カバーを歌っていたりもする。美術や衣裳は、大陸中国ではなく香港映画だけあって、1970年代のポップなカラーにあふれ、鄧麗君のあこがれる男性歌手が乗る車はBMWだったりする。

意外に楽しめる映画で、たった600円のビデオCD。出演者はみな国語(北京語)を話し、字幕は繁体字だが英訳併記なので中国語の勉強にもなる。冷やかしに買ってみても損はないビデオCDだと思う。

なお、この「愛と苦悩の日記」では、時間の許す限りこの映画の字幕をご紹介していきたい。

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テレサ・テンの感動的な美しさのビデオCD

鄧麗君(テレサ・テン)のビデオCDを輸入してみた。YesAsia.comというWebサイトで、購入したのはTeresa Teng 1976 Concert In Hong Kong Karaokeと、Teresa Teng In 1978 Karaoke VCDの2枚だ。

鄧麗君の中国製のカラオケ機能つきビデオCDには、本人映像が収録されていなかったり、収録されていても勝手な編集がなされたものだったりで、注意が必要だ。

インターネットであちこち調査した結果、この2枚にはは1970年代後半の鄧麗君の映像が、勝手な編集なく収録されていることがわかり、購入した。

「Teresa Teng 1976 Concert In Hong Kong Karaoke」の方は1976年の香港利舞台でのコンサートを収録したもので、ショートカットの当時23歳の鄧麗君が、ロングドレス姿で北京語、英語、日本語の歌を落ち着いたステージングで歌っている。

最後に特別映像として、何のテレビ番組なのか、同じスタジオのセットで3曲を歌う映像が収録されている。これも髪型が同じなので同じころのものらしい。

個人的には日本語や英語曲には興味がないので、王菲がアルバムでカバーした「千言萬
語」や「黄昏裡」(といってもこれは原曲は日本語)が楽しめた。

ただ、ビデオCD再生機能つきのDVDプレーヤーにかけると、最後に近づくほど読み取りエラーが頻発するので、パソコンの方が安定して観ることができる。また、ステレオの左音声がカラオケ、右音声がライブ録音となっているのが、やや困ってしまう点だ。左音声のみ、または、右音声のみをモノラルで再生できるプレーヤーでの視聴をおすすめする。

「Teresa Teng In 1978 Karaoke VCD」の方は、この商品名だけを見てもわからないが、1978年香港で収録された鄧麗君の特集テレビ番組と、どうやらファンが撮影したらしい8mmビデオの秘蔵映像を収録したものだ。以下に内容を詳しくご紹介する。

オープニングは「小村之恋」のイントロをBGMに、香港に飛行機で到着した鄧麗君の、飛行場からスタジオまでの映像。そしてスタジオで黒いチャイナドレスを着た本人が、カメラ目線で語る次のようなナレーションが入る。

各位观众你好。每次我来香港都觉得特别的亲切。因为我在香港的时间不多,每年只不过来香港两次。每次逗留的时间,也不会超过一个星期。但是香港的朋友,对我还是那么热情和爱护。所以每当我来香港不管有多忙。我都要抽时间为位朋友唱歌。不知道为什么,每次当我踏入无线电视台,我就觉得好像回到自己的家一样。

そのまま広いリビングルームを模したセットで、アップテンポな一曲目「謝謝你常记得我」が始まる。

二曲目の「香港之夜」は、後ほど「月亮代表我的心」にも登場する、一軒家の庭のようなセットのブランコで本人が歌っている。一曲目と同じ衣裳だ。

三曲目の「小村之恋」はYouTubeでも観ることができる映像で、農村を歩きながら本人が歌う屋外ロケーションによるプロモーションビデオになっている。

四曲目が「月亮代表我的心」。個人的にはこの部分だけを観たくてこのビデオCDを買ったようなものなのだが、二曲目と同じスタジオセットをスパンコールのロングドレスでゆっくりと歩きながら歌う。

五曲目の「多情的玫瑰」(玫瑰とはバラの花のこと)は一曲目と同じセットで、ソファーに座り、ひざの上に子犬を抱きながら口パクで歌っている。

六曲目の「四个愿望」(ちあきなおみの原曲をかなりアップテンポに編曲)も一曲目と同じセットで、オレンジのスパンコールのロングドレスで、軽く踊りながら歌う。

七曲目の「水涟漪」(涟漪とはさざ波のこと)は公園のような場所でのロケ。ワンピースでゆっくり歩きながら歌う。

八曲目はなぜか再び「小村之恋」で、東京の多摩川(?)近辺とおぼしき場所でのロケ。白いノースリーブのロングのワンピースで、街中をゆっくり歩きながら歌っている。三曲目のビデオはなぜかノーメイクで、かなり老けて見えるが、こちらはしっかりメイクをしている。もちろん口パクだが、録音は三曲目のものと全く同じだ。

九曲目は「你在我心中」。スタジオの舞台形式のセットで、臙脂色のロングドレスで歌っている。中ほどと最後の部分だけ、緑色のスパンコールドレスに衣裳換えする。原曲は「夜のフェリーボート」で、王菲もカバーした曲だ。

十曲目は「又见炊烟」で、九曲目と同じセットで歌っている。これは日本では「里の秋」として知られている曲で、やはり王菲がカバーしている。左耳に花を一輪つけていて、他のスタジオ収録部分と明らかにメイクが違う。アイシャドーが軽めな代わりに、チークの赤が目立ち、少女っぽい雰囲気になっている。

十一曲目は「雨不停心不定」。九曲目、十曲目と同じセットで、鮮やかなオレンジのロングスカートで歌っている。メイクは十曲目と同じメイクのようだ。

十二曲目は「我心深处」で、続けて同じセットで、今度は真っ赤なロングドレスで髪を後ろでまとめたところに大きな赤い花をつけ、腰掛けたまましっとりと歌う。

十三曲目の「相见在明天」も同じセットで、紫のワンピースだが、メイクは九曲目までのスタジオ収録のものに戻っている。

そしてエンディング。ホテルでベッドの上に開けたスーツケースに洋服をたたんで入れながら、鄧麗君がカメラに向かって次のように語る。

我又要走了。有时候我就是要这样来去匆匆的。不过只要相聚的时刻。我们和我同样的开心。那么时间的长短也不重要呢。对不对。

ナレーションの終わりに重なるように、「再见!我的爱人」のイントロが流れ、ホテルの部屋からボストンバッグを提げて出てくる鄧麗君。スローモーションがスチルになり、鄧麗君の題字が出て、ここで特別番組は終了。

ここからはおまけで収録されている映像になる。

まず、東京の原宿にあった鄧麗君の自宅と言われている部屋で、いやに豪華なソファーに草色のワンピースで腰掛けている本人が、くつろいだ様子でカメラに向かって次のように語る。

冒頭の自己紹介以外はQ&A形式になっていて、質問というか、話題は、字幕で出てくる。

なお、話しているのが広東語なまりの北京語なのか、広東語なのかよくわからない。鄧麗君の両親は大陸出身で、北京語が母語のはず、北京語がなまってしまうことはないはずなので、広東語を話しているのだと思われる。

各位朋友,你们好。我是邓丽君。这里就是我在东京的家。我来这里已经有四年的时间了。如果问我比较喜欢东京还是香港,那我一定是比较喜欢香港了。因为香港的人情味很重。

四年来在日本的生活情形-我在日本的生活,平常除了上班以外,就是留在家里看看电视,听听音乐,有时候开车,带我妈妈去横滨吃中国菜。那里除了中国餐厅以外,也没别的好看了。

还有没有去过别的地方-啊,还有就是我上一次,去了欧洲和美国回来以后,我在美国纽约看过他们的音乐剧。那些人跳得又好唱得又好。所以我回来日本以后,我现在正在学现代舞和弹钢琴。

四年も日本に住んでいるのに、東京よりも香港の方が人情が厚くて好きで、横浜は中華街の中華料理屋のほかに見たいところはなかった、という感想が、日本人としてはやや悲しいところだ。

語りの最後に、いまモダンダンスとピアノを習っていると話していることから、本人がピアノで「知床旅情」をアップライトのピアノで弾き語りする場面に変わる。日本語字幕つき、日本語での歌唱だ。日本語の歌詞の譜割りがややおかしいのは、ご愛嬌といったところか。ただ、途中でフェイドアウトして、この原宿の自宅での場面は終わりとなる。

そしてこのビデオCDの最後、1978/09/18、香港でのファンの集いらしき場面の8mm映像。おそらくフィルムの退色が激しいのだろう、画面全体が赤紫で、画質も非常に悪いのだが、舞台上で長机の前に座って、ファンからの質問に笑顔と大げさなジェスチャーで快活に答える鄧麗君の様子が微笑ましい。

そしてこの映像のBGMが、美しいバラードの「心里梦里」なので、鄧麗君の追悼という趣旨のビデオCDのエンディングとしては、少し涙が出そうなほどだ。この曲の歌詞に「我知道我不能没有你」とあるが、おそらくそれは、この8mmで撮影された会場にいた彼女のファンの心情も代弁しているからだ。

そしてこのビデオCDにはブックレットが付録になっていて、1978年の鄧麗君の動向を写真入りで伝えている。冒頭だけ引用すると、1978/01/28は香港の飛行場で記者会見、02/18はマレーシアでコンサート前に旧暦新年の記者会見、02/12はクアラルンプールでコンサート...という具合だ。

そういうわけで、どちらも1200円そこそこのビデオCDだが、特に「Teresa Teng In 1978 Karaoke」の方はロングヘアーの鄧麗君が非常に美しく、それだけに悲しい余韻をたたえた内容になっている。香港、台湾での鄧麗君ファンなら買って間違いのない商品だ。

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2007/07/07

YouTube自作自演動画第二弾「月亮代表我的心」

「歌うムーディー・ペンギン」シリーズ第二弾としてテレサ・テン「月亮代表我的心」をYouTubeにアップしてみた。伴奏のMIDIデータは自作、歌は筆者自身によるもの。

WAVファイル変換した伴奏をシーケンサ・ソフト「SONAR」に読み込んだ後、SONARに直接自分の歌声をWAVファイルで録音、軽くリバーブをかけてから一本のWAVファイルにまとめ、Windows Movie Makerで音声を無音化した動画と統合。歌詞の英訳の字幕を追加、WMV形式で書き出してからYouTubeに掲載するという手順だ。

次はカーペンターズの「青春の輝き」かノラ・ジョーンズの「Don't Know Why」にでも挑戦してみるか。

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2007/07/05

YouTubeに自作自演の動画を掲載

著作権法違反の動画を観てばかりいるのも何なので、YouTubeに自作動画を掲載してみた。

といっても、MIDIシーケンサで自作したカラオケを伴奏に、テレサ・テンの1970年代後半のヒット曲「千言万語」を自分で歌っているだけ。

画面には僕の代わりに、ムーディーペンギンと名づけたペンギンのぬいぐるみに登場してもらうことにした。今後は「歌うムーディーペンギン」としてシリーズ化してみたい。


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2007/06/21

鄧麗君のコスプレ・ビデオ?

鄧麗君(テレサ・テン)について近所の図書館で『テレサ・テンが見た夢―華人歌星伝説』(平野久美子著・晶文社)を借りて読んだ。この本からわかったこと、そしてネット上で見つけた彼女の台湾、香港時代のほぼ完全なディスコグラフィーについては後日まとめてみたい。

台湾、香港で十代前半から活躍していた彼女が、なぜ主に国語(北京語)で歌ったのか、今までよく分からなかったのだが、上掲書を読んで、彼女の家族が第二次大戦後、大陸から台湾に逃れてきた「外省人」で、大陸の中でも北方の北京語を話す地域の出身であることがわかった。

それはそれとして、YouTubeでなんと彼女のコスプレ・ビデオを見つけてしまった。「コスプレ」などという単語を入れると、いかがわしいトラックバックがついて、いちいち削除するのが面倒なのだが、事実なので仕方ない。

「説一説、笑一笑」というポップな曲のプロモーションビデオで、ウェイトレス、看護婦(お約束の極太注射器を持っている)、婦人警官(カメラにむかってウィンクまでする)、ビリヤード選手、タクシードライバー、プロカメラマンと、次々に衣装を換えて登場するおどけた感じの彼女は、やはり1980年代の日本での、しっとりした演歌歌手というイメージとかけはなれた明るさだ。

ただ、こうした自分自身の活躍を、単なるコマーシャリズムだと冷めた目でふり返る一面が、鄧麗君にあったことも忘れてはいけない。

今日は他にもネット上で、彼女が台湾の宇宙唱片と契約して1967/09、14歳で発売したデビューアルバムの一曲、中国安徽省の民謡「鳳陽花鼓」も入手できた。こうなったら徹底的に鄧麗君の楽曲を渉猟してみたい。

ちなみに同じく宇宙唱片から発売したセカンドアルバムのタイトル「心疼的小宝宝」とは、日本では梓みちよが歌ったヒット曲「こんにちは赤ちゃん」のカバーである。

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2007/06/09

YouTubeで鄧麗君にはまる

再びYouTubeの話題で恐縮だが、『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズにはまった後、最近はテレサ・テンの1970年代の映像にはまっている。

ご承知のように、2007/06/02テレビ朝日で彼女の生涯を描いた木村佳乃主演のテレビドラマ『テレサ・テン物語~私の家は山の向こう』が放送された。ドラマの出来は観ずとも分かっていたので、ザッピングした程度だが、その番組宣伝として、彼女の日本での音楽活動をふりかえる特別番組が放送されていたことから、テレサ・テンの動画検索にはまったというわけだ。

以前は僕もほとんどの日本人と同じく、テレサ・テンは「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」が代表曲の演歌歌手という程度の認識だった。それ以上のことを知ったのは、フェイ・ウォンのおかげだ。

10年以上前、フェイ・ウォン(王菲)という北京出身の歌手のファンになり、彼女がたまたまテレサ・テンへのトリビュートアルバム『菲靡靡之音(マイ・フェイバリット)』(1995年)を発売したのを、オンタイムで購入して聴き込んだことからだ。(そういえばテレサ・テンが急死したのは、偶然にもこのアルバムの発売とほぼ同時期だった)

おそらく中国人アーティストにとって、鄧麗君(テレサ・テン)は日本人にとってとは比較にならない重要性をもつ歌手なのだろう。

ただ、フェイ・ウォンのトリビュートアルバムを聴き込んだ10年前の僕は、せいぜいこのアルバムの2曲目、邦題「夜のフェリーボート」一曲を中国語で歌えるようにしただけで、それ以上、鄧麗君に深入りすることはなかった。

それが今やYouTubeをはじめとするネット上の厖大なリソースを検索できる時代になり、10年前なら大型CDショップを何軒もはしごしなければ見つからなかったような音源が比較的かんたんに手に入る。

おかげで1970年後半の鄧麗君のふくよかな姿と、伸びと艶のある美しい歌声をパソコンで楽しむことができる。

フェイ・ウォンのトリビュートでも取り上げられていた「又見炊烟」(日本語では「静かな静かな里の秋」で始まる童謡として知られている)を歌う姿や、同じくトリビュートに収録されていた「但願人長久」を、中国の古典的な民族衣装を身にまとって小舟のセットで歌う姿など、1970年代後半の鄧麗君の美しい声には時間を忘れて聴き入ってしまう。

トリビュートにもあった「南海姑娘」を歌う1970年代の鄧麗君も見つかった。ゆったりしたテンポに合わせて、バックダンサーはフラダンスを踊り、鄧麗君自身も間奏で優雅に踊っている。

フェイ・ウォンの『マイ・フェイバリット』に収録されていない曲で、これまで聴いた鄧麗君の曲の中でも、僕のいちばんのお気に入りになったのが、「月亮代表我的心」だ。とても美しいバラードで、テレサの少し中国歌唱風の味付けもあいまって、何度聴いてもうっとりしてしまう。

YouTubeで見つけた動画では、1970年代の彼女がスパンコールのロングドレスで、月明かりのさす西洋庭園風のセットの中をゆっくりと歩みながらこの曲を歌っている。

そしてもう一曲、お気に入りになったのが「小村之恋」(日本語原曲「ふるさとはどこですか」)というバラード。YouTubeには、題名のとおり地方の小さな村のロケで歩きながら歌う化粧気のない鄧麗君の姿を観ることができる。

こうしたバラード曲以外にも、ミドルテンポやアップテンポで、今の僕らが聴くと少しふき出してしまいそうな、愛らしい曲を歌う一面もあるようだ。

その典型が「甜蜜蜜」だろう。中国では知らない人がいないほど有名な歌らしい。同じ系統でかなりチャーミングだと感じたのは、アップテンポな「阿里山的姑娘」と「陪我去買菜」だ。この2曲はまさにアイドル時代ど真ん中だが、鄧麗君の歌唱力の幅の広さを教えてくれる。

他にYouTubeでは洋楽を英語で歌う1970年代の彼女の姿も見ることができる。トーラスレコード(ユニバーサル)には『GO!GO!テレサ』をぜひとも再発して欲しいものだ。

彼女の「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」的な面しか知らない日本人は、彼女の音楽性の大きな広がりの、ごくごく一部分しか知らないことになり、鄧麗君を正当に評価できていないままなのではないかという気がする。

なお、鄧麗君の北京語CDを買うならHMVのインターネットショップが良い。Amazon.co.jpよりも品揃えがはるかに豊富だ。

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2007/05/18

マイケル・ジャクソン「あの娘が消えた」と水越恵子「Too Far Away」

夜中に目が覚めてNHK『ラジオ深夜便』をつけたらマイケル・ジャクソン特集で、彼がまだ若い頃の美しいバラード「あの娘が消えた」(She's Out of My Life)が流れていた。

正直言ってマイケル・ジャクソンはあまり好きではないので、1979年発売のアルバム『Off The Wall』収録のこの曲も初めて聴いたのだが、イントロを耳にした瞬間、どこかで聴いたような...。

そう、伊藤薫作曲、水越恵子が歌う「Too Far Away」のイントロにそっくりなのだ。剽窃と言っても言い過ぎではない。ぜひ聞き比べてみてほしい。「She's Out of My Life」の方はYouTubeを検索すればすぐに見つかる。だからといって「Too Far Away」という曲の美しさにも変わりはないのだが、ここまで酷似したイントロもいかがなものか。

安倍なつみ版の「Too Far Away」→安倍なつみ - Too Far Away ~女のこころ~ - Single - Too Far Away

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2007/05/06

水越恵子は一発屋アイドルにあらず

引越してからAMラジオの入りが悪くなったので、寝入りばな、やむなくFMばかり聴いている。土曜日の深夜、NACK5という埼玉ローカルのFM放送で『WEEK-END PARTY~forever young~』という番組があることに最近気づいた。題名から想像がつくように、40~50代向けの番組で、一か月ほど前はキャンディーズの元プロデューサーがゲストで、たまたま聴いた昨日のゲストは、なんと水越恵子だった。

と言っても、スマッシュヒットになったサードシングル『ほほにキスして』しか知らなかったのだが、谷村新司がカバーした『Too Far Away』がもともと彼女のサードアルバム『アクエリアス』の収録曲だったことを初めて知った。

彼女は山梨県の信用金庫に勤めていた19歳のとき、友人となかば冗談で応募したアイドル発掘番組『スター誕生』の県予選に、思いがけず勝ち残ってしまう。

しかし、彼女は高校時代から友人とアマチュアバンドを組んでおり、東京の決勝で歌った曲も明らかにアイドル路線ではなく、年齢も高めということで、どのレコード会社からも声がかからずに終わった。

ところが、その後しばらくして、とある事務所から勤務先の信用金庫に直接電話があり(当時一人暮らしをしていた彼女の部屋には電話がなかったらしい)、叙情フォーク系の新人として売り出したいので上京してくれないかと誘いがあったらしい。

上京した彼女は事務所の言うままに、その事務所の養成所出身の奥谷美保子とフォークデュオ「姫だるま」を結成し、当時のかぐや姫などと同系統の叙情派フォーク曲『道祖神のある坂道を』でテイチクレコードからデビューした。

道祖神のある坂道を
姫だるまという名前は、彼女自身の談によれば、前髪を切りそろえ、二人そろって顔が丸かったので、お姫様みたいなだるまということで事務所が付けたのだろうとのこと。『道祖神のある坂道を』のジャケット写真を見ると分からないでもない。もう一つは、おそらく「かぐや姫」を意識した名前でもあったのだろう。

ただ、奥谷美保子は事務所の意図どおり叙情派フォークのシンガーソングライターだったのに対して、水越恵子のバックグラウンドは飽くまで洋楽だったため、奥谷美保子が姫だるまのマネージャと結婚したのを期に、2枚目のシングル『吉田川』を最後に解散した。

『吉田川』は明らかに『神田川』を意識したタイトルだが、奥谷美保子の作詞・作曲によるもので、水越恵子の作詞・作曲した『流れるままに』はB面になっている。おそらくデビューシングルの『道祖神のある坂道を』も奥谷美保子の作品で、B面の『恋人の条件』が水越恵子ではないだろうか。

姫だるま解散の翌年、1978年に水越恵子はシングル『しあわせをありがとう』でソロデビューすることになる。このデビュー曲は歌唱法も含め、同じニューミュージックでも荒井由美の都会的センスより、中島みゆきを連想させる。

本格的なブレイクは3枚目のシングル曲『ほほにキスして』だが、アイドル的な曲調で大ヒットになり、コンサートの観客がいきなり「ヤンキーの皆さん」(本人談)ばかりになってしまったことに、かなり戸惑いを感じていたようだ。

大ヒットの後、彼女はテレビ番組への出演を控え、アルバム制作とコンサートを中心とした活動にシフトしたため、当初の「大人のニューミュージック」を指向するファン層がもどってきたという。

とくにサードアルバム『アクエリアス』の最後に収録されている『Too Far Away』は、シングルカットされているわけでも、特別なキャンペーンをしたわけでもないのに、結婚式のキャンドルサービスのBGMなどとして少しずつ全国に広まっていき、ついには谷村新司がカバーするまでの隠れた名曲となっている。

NACK5の番組の中でしきりに強調されていたのは、ソロデビュー当時の水越恵子のルックスの良さが、『ほほにキスして』で「アイドル一発屋」的なイメージを定着させてしまったのではないかということだった。たしかに彼女のことを、1980年代にはロサンジェルスでアルバム制作をしたり、TOTOと共演したこともあるアーティストだと認識している人は少ないのではないか。

最近では、日経新聞や読売新聞で、ダウン症児の一人息子を女手ひとつで育てていることで再び知られるようになっているが、番組では最新アルバムの発売が歌詞の書き直しで延期になっているといった、妥協を許さない女性アーティストとしての変わらない側面も見せていた。

その他詳細は彼女自身の著書『神さまレイくんをありがとう』を直接あたって頂くのがよいだろう。

ちなみに韓国のUNという男性デュオも『Too Far Away』をカバーしていたようだ。韓国POPSにまったく詳しくない僕には、UNが誰なのかわからないが。

また、YouTubeを検索すると、安倍なつみまでが『Too Far Away』をカバーしていることがわかる。しかも来週発売の新曲としてで、インターネット上の解説を読むと、どこもかしこも「谷村新司の1988年の曲のカバー」と書かれてある。オリジナルは水越恵子なので、皆さんお間違えなきよう。

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2007/04/29

カーペンターズ『青春の輝き』

先日NHKでカーペンターズのドキュメンタリー番組が放送されていたが、彼らの有名なヒット曲の中で唯一弾き語りしたことのなかった「I Need to be in Love」(邦題『青春の輝き』)を、ふとどうしても覚えたくなって、迷わずYouTubeで検索してみた。こういうときにYouTubeは強力な道具になる。カーペンターズ - Carpenters: Gold - Greatest Hits - I Need to Be in Love


期待どおり、本人たちが歌唱する歌詞の字幕つきライブ版と、プロモーションビデオ版が見つかり、歌詞は別のWebサイトから入手してMS-Wordで行間をたっぷりとって印刷し、メロディーを聴きながら、行間の余白にギターをつかって伴奏のための和音を自分でつけていく。

我流なので自信はないが、メジャー7thやディミニッシュコードが多様された優雅なコード進行で、カーペンターズ作品のメロディーの美しさにはいつもながら鳥肌が立つ。

歌詞も素晴らしい。文字どおりには、理想を追い求めすぎた過去の恋愛を悔やむ内容だが、過度の完全主義を自省する、より普遍的な解釈もできそうなので、思わず替え歌を作りたくなる。言うまでもなくもっとも美しい部分は次の一行だ。

I know I ask perfection for a quite imperfect world
And fool enough to think that's what I'll find

Youtubeでカーペンターズの他の曲、「Close to You」「Rainy Days and Mondays」などを検索して観るうちに、偶然、関連する動画一覧にREO Speedwagonが現れ、そこから1980年代に熱中していたBillboardヒットチャートに脱線してしまった。

そこでふと思い浮かんだ名前がTracy Ullmanだ。「They Don't Know」のプロモーションビデオを20年以上ぶりに観て、そういう意味だったのかと今さらながら納得した。所帯じみた主婦が1960年代の若かりし頃を振り返る内容だったのだ。中学生の頃の僕はまったく理解していなかった。

さらに脱線して、1980年代後半に放送されていたらしい「Tracy Ullman Show」で、彼女が主役を演じるコントもいくつか観ることができた。英語を完全に聴き取れないのが残念だったが、エキセントリックな女性キャラを演じさせると一級のコメディアンであることが確認できた。

そうするちにふとStrawberry Switchbladeの名前を思い出して検索し、プロモーションビデオを観たのだが、ゴシックロリータ・ファッションの原点はもしかすると彼女たちなのではないかと思った。

そんな風に、YouTubeの著作権違反動画を観つつ、無為に過ごす黄金週間である。

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2007/01/27

キャンディーズ『GOLDEN☆BEST』批評

毎朝通勤電車の中で聞いているMP3プレイヤーの中には、まだキャンディーズの2枚組ベストアルバム『GOLDEN☆BEST』が入ったままだ。

『あなたに夢中』から『微笑がえし』までのシングルを音楽的に分析すると、『あなたに夢中』をはじめ、田中好子がメインボーカルだった初期のシングル群は、ザ・ピーナッツの妹分としてのコーラスグループ色が強く、一曲中で三人がハモっている小節数の割合がとても高い。

例えばファーストシングル『あなたに夢中』では、Aメロの冒頭から、伊藤蘭のメロディーに藤村美樹、田中好子が順にハーモニーをかぶせていき、最後までハモったまま歌われる。Bメロでは田中好子がメロディーを歌い、残りの二人がバックコーラスとなる。この曲はAメロ、Bメロしかないので、一曲を通して三人が常にハモっている。

よく言われるようにキャンディーズの転換点は、メインボーカルが田中好子から伊藤蘭に入れ替わった5枚目のシングル『年下の男の子』だが、この曲ではまったく正反対に、伊藤蘭が一曲を通してメロディーを歌い続け、残りの二人はBメロで「ハウ・ハウ」という目立たないバックコーラスと、二度目のAメロで伊藤蘭に合わせてユニゾンするだけ。

この曲もAメロ、Bメロしかないので、一曲を通してほぼ伊藤蘭がメロディーを歌っているだけなのだ。『年下の男の子』の二番煎じである『内気なあいつ』も状況はまったく同じで、藤村美樹、田中好子はバックコーラスに徹している。

キャンディーズのコーラスグループ色が復活するのは森田公一作曲の『ハートのエースが出てこない』で、この曲はサビから始まるが、ここで三人がいきなりハモっている。Bメロでは『あなたに夢中』のAメロ同様、ハーモニーがかぶさっていく展開になる。この曲はAメロ、Bメロ、サビという構成で、Bメロとサビで三人が迫力のあるハーモニーを聴かせる。

ところが次の9枚目のシングル『春一番』ではふたたびコーラスが後退する。ただ、この『春一番』という曲、ちょっと聴くと何でもないようでいて、かなり前衛的でミニマルな名曲だ。

コーラスは二度目のAメロの「春ですねぇ」の部分だけに意図的に限定されていて、それ以外はひたすらユニゾンのみ。しかも三番の歌詞は一番の使い回し。

その上、一番の中の構成がAメロ/Aメロ/Bメロ/Aメロとなっており、最後のAメロの繰り返しを含めると、一曲中Aメロが10回も使い回されている。「POPミュージックは反復である」という本質に忠実なヒット曲だ。

ただしよく聴くと一曲を通して伴奏に電子楽器が使われている(左のヘッドフォンから聞こえる)。また、一番の歌詞を使いまわしている三番の冒頭は、いきなり伴奏が電子楽器とドラムスだけにしぼられる。

ライブ映像を観ていても、この三番の冒頭、伴奏がドラムスと電子楽器だけになる部分は、『春一番』の反復の中でも独特のアクセントをもたらしていることがわかる。

次のシングル『夏が来た!』は『春一番』の二番煎じで、キャンディーズのシングルには非常に珍しく、歌詞が男言葉の男目線になっていること意外に特記すべきことはない。ユニゾンとコーラスのバランスも凡庸である。

『哀愁のシンフォニー』はキャンディーズのシングル中、唯一の三木たかし作曲作品のせいか、曲の展開が他になくドラマティックで、『春一番』のようなミニマルな作品の対極にあると言える。特にサビの「こっちを向いて/涙をふいて」という部分は、それまでの曲展開から予想できない劇的な盛り上がりで意表を突く。

藤村美樹が初めてメインボーカルをつとめた『わな』は、キャンディーズのシングル曲中ではあらゆる意味で異色だ。音楽的にはどうでもいいことなのだが、個人的にはサビの部分の、藤村美樹のやたらとキレのいい振り付けが素晴らしい。

『微笑がえし』は改めて何も書く必要はないので、その次にメンバーの意図に反して発売されたというシングル『つばさ』。イントロがオーボエで始まり、オーケストラ伴奏で終曲に向かって劇的に盛り上がるという、涙なくして聴けない感動の一曲だ。

作詞は伊藤蘭で、新しい人生に旅立っていく自分たち自身を主題にした内容。しかも間奏部分に伊藤蘭からファンへの感謝をこめた「語り」入り。

「・・・私たちは自分たちのことをまだ大人だとは思っていません。人間としてもまだまだ未熟で、たとえれば小鳥のようなものです。でも、私たちは、私たち自身の『つばさ』で飛び立ちたくなったんです。さみしくないと言ったら嘘になります。でもその勇気を下さったのは皆さんです。ありがとう・・・」

終曲では突然アップテンポになり、『春一番』のサビの引用で終わるという、やはり泣かせる一曲だ。

この2枚組ベストアルバム『GOLDEN☆BEST』にはその他にも気になる曲がいくつかある。1枚目の最後には『キャンディーズ1676日』という11分04秒にもわたる大曲が収録されている。この曲の製作経緯はよく分からないのだが、間奏に主要なヒットシングルのメロディーがひととおり引用されていて、曲全体が三部に分かれている。独立した三つの曲を無理やり一曲にしたような感じだ。

その一曲目はミドルテンポのしっとりした曲、二曲目はアップテンポで歌詞の中に「イエスタデイ」「イマジネーション」「コミュニケーション」「センセーション」「メイクアップ」「テイクオフ」「イルミネーション」など、英語がやたらと織り込まれているのが特徴。

三曲目はストリングスとギターのアルペジオ伴奏のゆったりしたバラードで、『つばさ』に雰囲気が似ている。『つばさ』はマイナーコードだが、こちらはメジャーコードでサビの三人のコーラスが非常に美しい。

そして三曲目が終わった後、この三曲目のAメロをかすかに聞こえる寂しいピアノが若干ジャジーな編曲で奏でて、そのままフェイドアウトするという、意外なほど雰囲気のある終曲となる。この『キャンディーズ1676日』を聴くためだけでも『GOLDEN☆BEST』を聴く価値があると言ってもよい、秀逸な一曲だ。

2枚目の収録曲の中でどうしても気になる一曲は、何と言っても『インスピレーション・ゲーム』である。曲調はAORなのだが、歌詞が阿木燿子ならでは。全くアイドルグループらしくない、とんでもないシュールさなのだ。引用してみる。

「ブラックコーヒー/日曜日/スポーツ中継/アメラグ/ウェストコースト/太陽/砂浜/青い瞳の金髪娘/ビキニ姿の金髪娘/A ha ha A ha ha/あとは言えないよ/A ha ha A ha ha/あとは言えないよ」

別に僕はアイドル評論家でも何でもなく、POPミュージックもミニマルミュージックの一種として分析的に聴きたいだけなのだが、キャンディーズのこのベストアルバムは何度聴いても飽きのこない不思議なアルバムだ。

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2006/12/10

『GOLDEN☆BEST/キャンディーズ』

キャンディーズ『GOLDEN☆BEST/キャンディーズ』((c)2002 Sony Music House Inc.)。2002年リリースのベスト盤。CD1はシングルA面コレクション。CD2はその他の曲。

キャンディーズというアイドルグループはシングルの曲数だけ見ると大したことないと思ったが、アルバム収録曲も含めると活動期間中に200曲以上も録音しているらしい。2004/06発売の『CANDIES PREMIUM~CANDIES ALL SONGS CD BOX~』がほぼ全曲網羅しているようだ。

―ジャケット写真―







―CD1―
曲名作詞作曲編曲
01 キャンディーズ山上路夫宮川 泰宮川 泰
02 あなたに夢中山上路夫森田公一竜崎孝路
03 そよ風のくちづけ 山上路夫 森田公一 穂口雄右
04 危ない土曜日 安井かずみ 森田公一 竜崎孝路
05 なみだの季節 千家和也 穂口雄右 穂口雄右
06 年下の男の子 千家和也 穂口雄右 穂口雄右
07 内気なあいつ 千家和也 穂口雄右 穂口雄右
08 その気にさせないで 千家和也 穂口雄右 穂口雄右
09 ハートのエースが出てこない 竜 真知子 森田公一 竜崎孝路
10 春一番 穂口雄右 穂口雄右 穂口雄右
11 夏が来た! 穂口雄右 穂口雄右 穂口雄右
12 ハート泥棒 林 春生 すぎやまこういち 船山基紀
13 哀愁のシンフォニー なかにし礼 三木たかし 馬飼野康二
14 やさしい悪魔 喜多條 忠 吉田拓郎 馬飼野康二
15 暑中お見舞い申し上げます 喜多條 忠 佐瀬寿一 馬飼野康二
16 アン・ドゥ・トロワ 喜多條 忠 吉田拓郎 馬飼野康二
17 わな 島 武実 穂口雄右 穂口雄右
18 微笑がえし 阿木燿子 穂口雄右 穂口雄右
19 つばさ 伊藤 蘭 渡辺茂樹 渡辺茂樹
20 キャンディーズ1676日 島 武実 穂口雄右 穂口雄右
―CD2―
01 ラッキーチャンスを逃さないで竜 真知子 宮本光雄 渡辺茂樹
02 悲しきためいき山上路夫 宮川 泰 竜崎孝路
03 雨と涙とあのひとと千家和也 穂口雄右 あかのたちお
04 どれがいいかしら千家和也 穂口雄右 穂口雄右
05 恋のあやつり人形竜 真知子 馬飼野康二 馬飼野康二
06 あなたのイエスタデイ喜多條 忠 吉田拓郎 馬飼野康二
07 キャンディ・ツイスト森 雪之丞馬飼野康二 馬飼野康二
08 銀河系まで飛んで行け喜多條 忠 吉田拓郎 馬飼野康二
09 銀河空港竜 真知子 馬飼野康二 馬飼野康二
10 アンティック ドール伊藤 蘭 伊藤 蘭、渡辺茂樹 渡辺茂樹
11 午前零時の湘南道路田中好子 田中好子、渡辺茂樹 いじだかつのり
12 あこがれ藤村美樹 藤村美樹、渡辺茂樹 渡辺茂樹
13 インスピレーション・ゲーム阿木燿子 穂口雄右 穂口雄右
14 100% ピュア・レディ島 武実 穂口雄右 穂口雄右
15 グッド・バイ・タイムズ阿木燿子 穂口雄右 穂口雄右
16 暑中お見舞い申し上げます Part2喜多條 忠 常富喜雄 穂口雄右
17 アン・ドゥ・トロワ パートⅡ喜多條 忠 吉田拓郎 馬飼野康二
18 Candies Beats
(Exteneded Version)

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2006/11/21

古本屋でCocco『Raining』

先日、隣の駅にある古本屋に入ったら、聞いたことのある歌だけど、誰の歌だっけ、という曲が流れていた。髪がなくて今度は、腕を切ってみた、切れるだけ切った、温かさを感じた(中略)、教室で誰かが笑ってた、それはとても晴れた日で。

この力強いリスカ(リストカット)ソング、誰だっけ...。帰宅してインターネットで検索したら、約10年前のCoccoのヒット曲『Raining』だった。最近のヒットチャートでここまでネガティブな歌詞の曲は全く聴かなくなってしまったのには何か理由があるに違いない。Cocco - Raining - Single - Raining

10年前といえば『新世紀エヴァンゲリオン』の大ヒットとアダルト・チルドレンという流行語。『Raining』もそのサブカルチャーの系列に収まる。いまやこうした自傷癖、OD(薬物の過量摂取)も、エヴァンゲリオンがパチンコになってしまうくらいで単なるネタと化し、誰も真面目に取り上げない。

こうした内向的な生き方は超少数派になり、大多数の日本人はワールドカップのプチナショナリズムに共振したり、下らない問題について恐ろしく保守的な正論を吐いたりする「思考停止右派」になってしまったのだろう。そして残りは、その場その場で異なる人格を使い分ける「冷笑派」で、僕はいまだに「内向派」を引きずっている冷笑派といったところか。

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2006/08/28

avexの「a-nation」初体験

この週末、avex主催の国内最大級の野外ライブ『a-nation』を初体験した。直前になって「棚ぼた」式にチケットが手に入ったのだ(チケットをくれた人には重ねて感謝!)。とりあえずのお目当ては「パワーステージ」という入場無料の会場に出演する「天上智喜」

身長165cm以上の韓国人女性4人組で、ダンスも日本語もうまく、ルックスもそれなりに良く、歌唱力はゴスペラーズばりのアカペラをこなすほどというスーパーグループ。パワーステージでもABBAの『ダンシング・クイーン』をアカペラで聞かせてくれた。天上智喜 - Graceful 4

せっかくチケットがあるので、有料全席指定のスタジアム会場(味の素スタジアム)にも入った。15時に開演する直前の前座、謎のレゲエ・バンドのボーカルが吉本新喜劇の間寛平だったのは意味不明だが、オープニングアクトの鈴木あみから、スタジアムはいきなり盛り上がった。『Be together』など、知っている曲が多かったのも助かった。鈴木亜美

サプライズアーティスト(要するにavex以外のレコード会社所属のアーティスト)としてm-floも登場したが、個人的にはLISAが抜けたあとのm-floに興味はない。

同じくソニー所属のサプライズアーティスト、T.M.Revolutionは曲間のMCが面白かった。「去年も出演していて『サプライズ』もないんですけどね。ソニー所属ですので、一生、ソニーに骨をうずめるつもりでございます」など、自分で自分にツッコミを入れていた。

hitomiは最近ヒット曲が少ないせいか、僕も知っている曲ばかりで、会場全体も一気にヒートアップ。ただ、スタジアムでの演奏全般に言えたが、音量が大きすぎて音が割れ、音楽そのものを楽しむというより、振動を楽しむといった感じだった。

それでも会場の雰囲気や、暗くなってからのライティング、会場をおおいつくす星空のような「光るうちわ」の圧巻の眺めは楽しめた。

音響の悪い中、唯一、音楽として聴けたのは大塚愛のピアノの弾き語りによる『花火』。曲のクライマックスで本当に打ち上げ花火が2発だけ上がったのには、不覚にも目頭が熱くなった。『さくらんぼ』では会場全体がお祭り騒ぎ。大塚 愛 - さくらんぼ - EP - さくらんぼ

早めに帰るつもりだったのが、結局、倖田來未の終わりまで残っていた。倖田來未は、知っている曲が『Butterfly』だけだった。彼女は「信じれば夢はぜったいかなうから!」と客席に向かって絶叫していた。信じればかなう夢のある世代の観客にだけ通じる言葉だ。倖田來未 - Butterfly - EP - Butterfly

最後の浜崎あゆみも物珍しさに見たい気はしたが、数万人が殺到する満員電車に乗る気がしなかったので、やむなく帰ってきた。豆粒ほどの大きさではあるが、7,800円でメジャーなアーティストを何人も見られるのだから、随分お得な「a-nation」だ。何なら来年も行きたいぐらいである。


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2006/08/18

やはり、ちあきなおみは良い

やはり、ちあきなおみは良い。毎朝、通勤電車で耳を完全に覆うタイプのヘッドフォンをつけて、携帯MP3プレーヤーで音楽を聴いている。そろそろ『エウレカセブン ORIGINAL SOUNDTRACK』も飽きてきたということで、またノラ・ジョーンズ『Come Away With Me』や、中島美嘉の『LOVE』を引っ張り出したりしていた。

また、最近、ちょっとしたことからYAMAHA株主優待CDというものが手に入り、谷山浩子、遊佐未森、中島みゆきなどが収録されていて、なかなかコアなファンを泣かせる内容で感動しながら聴いていた。

それも聴き飽きてきたので、昔に某ファイル交換ソフトで入手したMP3ファイルを探していたら、久しぶりに聴きたい曲がいくつか見つかった。たしかEL&Pのキース・エマーソンが作曲しているローズマリー・バトラー『光の天使』(映画『幻魔大戦』主題歌)、マイク・オールドフィールド『チューブラベルズ』、ケイト・ブッシュ『クラウドバスティング』。

洋楽ばかりではつまらないということで、見つけ出したのがちあきなおみの歌う2曲。『アカシアの雨がやむとき』と『喝采』である。

『アカシアの雨がやむとき』はオリジナルの西田佐知子よりも、ちあきなおみの方が曲本来のもつけだるさが際立って何とも言えない。『喝采』は何度聴いても、なぜか鳥肌が立ってしまう名曲だ。今朝も二度、リプレイしてしまった。

ちあきなおみの声は低くて艶があって、ハスキーすぎず、実は細かいこぶしがよく回る。それでも決して演歌っぽくならず、飽くまでポップスの気どらなさに徹していて、完全に力が抜けているようで、細部のフレージングには驚くほど技巧が行き届いている。

ちあきなおみは、この「愛と苦悩の日記」で以前にも絶賛していると思うが、改めて良いと感じた。


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2006/03/21

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/09/08-11/01)

■(ナターシャ・サン=ピエール経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/09/08 次のアルバムは一部はフランス(パスカル・オビスポとのコラボレーション)、一部はモントリオールで録音される。

ナターシャフランス入り。6週間にわたって多くのテレビ・ラジオ番組の録画・録音がある。そしてセカンドアルバム『A chacun son histoire』から2枚目のニューシングル『Tu m'envoles』(訳注:ふつうenvolerという動詞は代名動詞として自分自身の「飛び立つ」「吹き飛ばされる」などの動作を示すためにしか使われず、この曲の題名のように「あなたが私を飛び立たせる」のような形では使わない)を発売する。

―2001/09/12 本日からガルーのツアーがモンペリエのゼニト(訳注:会場の名前)で始まり、12/01モントリオールのサンドニ劇場での公演まで続く。ナターシャは前座をつとめる。

―2001/09/15 30分間のガルーの前座でナターシャが歌ったのは以下の6曲。
1.『A chacun son histoire(人それぞれの物語)』
2.『Tous les cris les SOS(SOSの叫び)』(ダニエル・バラヴォワンヌの曲)
3.『Tu m'envoles』
4.『Can't find the moonlight』(映画『コヨーテ・ガールズ』から、リーン・ライムの曲)
5.『Je n'ai que mon âme』
6.『The winner takes at all』(アバの曲)

―2001/09/18 ナターシャが『Je n'ai que mon âme』でフランスのゴールデン・シングルに。30万枚以上の売上!

―2001/09/28 今晩午前1時からTV5がモントリオールのモルソン・センターからの中継で特別番組を放送。ケベックのアーティストが多数出演し(セリーヌ・ディオンも!)、米国9.11テロの犠牲者に哀悼の意を示す。ナターシャはベルギーでツアー中だが、激励のメッセージを録画しており、番組中で放送される予定。

―2001/10/04 第23回ADISQ授賞式が開かれる(訳注:ADISQとは1978年にケベック州の音楽振興のために設立された団体。Association québécoise de l'industrie du disque, du spectacle et de la vidéo〔ケベック州レコード・芸能・ビデオ産業振興会〕の略)。ラジオ・カナダの19時30分からのテレビ放送で10/28に開催される第23回授賞式のノミネートがサンドニ劇場からの中継で発表される。

ナターシャは「年間最優秀女性歌手」と「ケベック州の外で最も名声を上げたケベック出身のアーティスト」の2つのカテゴリーでノミネートされている。一般の人たちは2001/10/14まで「最優秀女性歌手」と「最優秀男性歌手」に投票できる。

―2001/10/11 ナターシャは明日の晩、リヨン郊外のラジオ・スクープでプライベート・コンサートを開く。フランスでナターシャが初めて開くソロコンサートである。

―2001/10/16 ナターシャの最新アルバムは予告された今年秋にはケベックで発売されず、2002/02になる予定とのこと。2002/03にはヨーロッパでも入手可能。

―2001/11/01 ナターシャはADISQで受賞することができなかった。彼女は新たなパートナー、セバスチャン・ブノワに抱かれて輝かしく登場。公式の場に初めていっしょに現れた。

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2006/03/18

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/06/21-08/26)

■(ナターシャ・サン=ピエール経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/06/21 今晩20:50、テレビ局「フランス2」のミシェル・ドリュッカー、ジュリー・スニダー司会による番組『レッド・カーペット』が音楽祭について放送。ナターシャは『Je n'ai que mon âme』を歌った。

―2001/06/27 『スタークラブ』誌2001年7月号の記事。『ナターシャ・サン=ピエール、私は決して泣かない』

「彼女は上位5位に入った。賭けに勝ったのだ!先日、5月21日のユーロビジョン・コンクールで第4位に入賞したナターシャ・サン=ピエールはカナダ出身で、フランス代表として目覚しい活躍をした。それでも人々は彼女に『ノートルダム・ド・パリ』英国公演でのフルール・ド・リ役としての輝かしい演技を期待していた。

私はカナダ南東部、米国国境近くのバトゥルストで、1981年2月10日に生まれました。結婚も、婚約もしていません。

16歳のジョナサンという弟がいます。私のことを誇りにしてくれていますが、私も弟のことを誇りに思っています。私たちの国ではホッケーの名選手ですから。

パパは刑務所の所長で、母はある種の病院の看護師長をやっています。基本的に母は看護師ですが、今はもう看護の仕事はしていないんです。ただ監督をしているだけです。私は今モントリオールに住んでいます。

歌のほかには映画、読書、友だちが好きです。友だちとはあまり会えませんけど。自由な時間があるときは、できるかぎり友だちと過ごしたいですね。

勉強の面では、理系の大学入学資格試験に合格しました。大学の生物学科に入るはずでしたが、ちょうどそのときに『ノートルダム・ド・パリ』の公園が始まったんです。生物学の勉強がしたいのか、研究所で研究をしたいのか、よくわかりませんでした。でも基本的に大学で4年間生物学を勉強して、それから先生になるために5年目も勉強するか、そのまま研究室に行くつもりにしていました。

夏は、海水浴や水泳、足こぎボート、水上スキーをします。冬は、ウォーキング、ジョギングや、むしろ室内スポーツをしますね。寒いのがちょっと嫌なので。

私はとても物静かで、とても内向的なタイプです。感情を表現しにくい性格です。日常生活を語るならそれでもいいのですが、感情を表現するには、たとえば誰かが私を苦しませたとしても、それを言うことに困難を感じます。私は決して泣かないです。一人きりのときでもです。何かとっても悲しいことが起こっても、泣くことはできません。泣くことについて一種の難しさがあるんですが、決して教育のせいではないんです。私の家ではタブーの話題というのがないので。ただ、私は快活ですし、ほとんどの場合、とてもまじめです。まじめというよりも、メリハリがある感じかしら。仕事をするときは仕事をするし、遊ぶときは遊ぶ。それぞれの物事にはそれぞれの時間があって、そんなふうに私は生活してます。とっても合理的なんですね。

私の両親は26年か27年前に結婚しました。だから当然私も結婚すると思っています。結婚は可能だと思ってますよ。たしかに私たちの社会では結婚することはだんだんと難しくなっていますけど、いつか一生を過ごすような男性と出会えると願っています。でもそんな男性に出会うまで、当然、ちょっと恋愛関係にはなれないような、いろんな人たちに出会うでしょうね。でもいつかは子供を持ちたいと思うような(子供は2人欲しいです)、そして一緒に年を重ねたいと思うような男性と出会えると期待してます。

正直な男性がタイプです。自分に正直であることを怖がらない人です。だから場合にもよるでしょうし、その人にもよるでしょうね。人はそれぞれいろんな長所と短所が混じっていて、それでその人独特の個性が生まれているわけですから。その混じり具合が良く出るときもあるでしょうし、悪く出るときもあるでしょうし。おいしいチョコレート菓子もあれば、おいしくないのもある。それは、中に何を入れるかによるってことね。

食べることは大好きです。でも実際には日によりますね。朝食はたくさん食べるほうではありません。でも15時以降はとってもおなかがすきます。肉は好きではありません。マッシュポテト、チョコレートが大好きで、ひどい虫歯が一本あります。ピーナツバターも大好き。ピーナツバターをぬったバナナがおいしいんです。

着心地のいい洋服が好きです。だからジーンズが強烈に好き。冬は大きなセーターを着るのが好きですね。着心地がいいし、すごくかわいいのがありますから。靴もすごく好きです。いちばんよく買うのが靴かしら。

今は実家から車で8時間くらいのケベック州に住んでいます。実家に住んでいたときはいつも犬か猫を飼っていました。でも家を空けるときは家に置いて行っていました。今住んでいる部屋にはサボテンしかありません。あまり世話をしなくてもいいですから。1か月に一度水をあげるだけでいいですからね。

学校で音楽の先生が舞台に立つように勧めてくれたのは8歳のときでした。そこでは生で歌ったんです。それ以来、何度も舞台に立つようになって、だんだんと私の歌が知られるようになりました。14歳のときに2人の方から契約のお話があって、15歳でファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音しました。」

―2001/07/06 ナターシャはCDシングル『L'un avec l'autre』の録音に参加。2001年7月にカナダで開催されるJeux de la Francophonie(訳注:フランス語圏の祭典=オリンピックの翌年4年に一度開催され、3,000人のフランス語圏の若者が一堂に会する唯一の祭典。2001年は第4回大会で、カナダとレバノンの共同開催。51か国から3,000人が参加。スポーツ分野では陸上競技、バスケットボール、ボクシング、サッカー、柔道、卓球、ビーチバレーが行われ、芸術分野では歌、演劇、ダンス、文学(詩)、絵画、写真、彫刻の展示が行われた)にあわせて発売される。

―2001/07/08 リュック・プラマンドンに捧げる大フランス祭 7月7日、オタワで『フランス語圏、プラマンドンを歌う』という公演が大フランス祭の一プログラムとして行われた。一時間半以上にわたり、イザベル・ブーレイ、ブルーノ・ペレティエ、ナターシャ・サン=ピエールなど、多くのアーティストがケベック人作詞家リュック・プラマンドンの美しい歌を歌った。数千人の観客が国会のある丘の上に集まってこの公演に参加した。

―2001/07/11 ナターシャはフランスの最優秀ゴールドディスク賞を受賞した。『Je n'ai que mon âme』がシングル売上チャートで第2位を獲得。

「ナターシャ・サン=ピエール:フランス最優秀ゴールドディスク賞受賞

フランスの人々はセリーヌ・ディオンのせいでナターシャ・サン=ピエールに惚れ込んだのか?ケベック出身のこの女性歌手はたしかに若々しい美貌を持ち、自信にあふれているが、ナターシャが私たちの心と耳を魅了したのはやはりその澄み切った声のせいだろう。その声はセリーヌの声を思い起こさせるのだ!

(中略)

ナターシャが成功したのは2001年のフランスデビュー以来、懸命に仕事をしてきたおかげだろう。高視聴率のテレビ番組に何度も出演し、いま人気絶頂のガルーのコンサートの前座をつとめ、フランスの主要都市をプロモーション・ツアーで回り、その成功を確固たるものにした。アルバム『A chacun son histoire』をソニー・ミュージックから発売するとやはりヒットし、フランスとベルギーの売上チャートに悠々と浮上した。

ケベックではシングルというものが存在しないので、ニューアルバムが店で売り出されたところだ。この弱冠20歳の歌手のファンはフランス語版と英語版の『Je n'ai que mon âme』を見つけて満足している(中略)。

ナターシャは7月から8月にかけてヨーロッパに滞在する。秋にはとても忙しくなるだろう。しかしそれもまた私たちが時宜を得て出会う、美しいサクセス・ストーリーではないだろうか。」

―2001/07/16 ナターシャは2001/09/12から12/01まで行われるガルーのワールド・ツアーの前座として参加することが決定した。

―2001/07/25 第4回フランス語圏の祭典が昨夜終わった。歌のパフォーマンスは閉会式のときに一回だけ行われた。ナターシャ・サン=ピエールとマリオ・ペルシャはこの祭典のためにリュック・プラマンドンが作詞した『L'un aven l'autre』を歌った。約40人のダンサーと800人のエキストラも参加した。

―2001/08/14 ベルギーの人々もナターシャが好きなようだ。彼女のシングル『Je n'ai que mon âme』はベルギーで35,000枚を売り上げ、ゴールド・ディスクとなった。

―2001/08/26 『Paris Match』誌の表紙に登場。そしてパスカル・オビスポとの競演。ナターシャは既に真のヨーロッパのスターになった。先日『Paris Match』誌の表紙に登場し、パスカル・オビスポは2002年春発売予定の次のアルバムでナターシャと競演することになった。

また、ナターシャは服装と髪型を新しくして、快活な性格ときらめくような若々しい美貌にぴったりの、もっと快活な雰囲気になった。『Le Soleil(太陽)』誌の2001/08/21付けの記事にナターシャは新しいルックスで登場している。

「ナターシャ・サン=ピエールはいつもファッションを気にしていると言えばそれはウソになる。『以前は何が流行か、何が流行でないかには、関心がありませんでした。ショッピングに行くのは大好きですが、流行よりも着心地のいい服を探していました。一年前から、とくにこの仕事をしているせいで、服に気をつかわなきゃいけなくなったんです。そんなことに興味を持つなんて、自分でも驚きなんですよ」と彼女は語る。幼い頃はむしろ男の子っぽい服装をしていたという。

『小さな頃は、母親が私にきれいな洋服を着せたがったんですが、4歳のころパンツとスニーカーしかはかないって決めたんです。別に誰かが私の髪をとかすわけでもないので、髪も短くしていました』。おてんばだった彼女は木で小屋を作り、サイクリングをし、彼女にけんかをしかけて来た男の子の鼻をへし折った。

『基本的に私は今風のファッションが好きな、よくいる女の子なんです。変なかっこうはしませんが、今は前よりも少しだけ思い切ったファッションをしています。両方を混ぜた感じにしようとしてるんです』。彼女はファッションの趣味はパリに何度も滞在するうちに身についたと告白した。パリで、パコ・ラバンヌ、ジャン・シャルル・ド・キャステルバルジャック、ランヴァン、ジャンポール・ゴルティエ、ロリータ・レンピカなどなどの洋服を着るようになったということだ。ロリータ・レンピカは彼女がユーロビジョンに出演したときの衣装である。」


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2006/03/12

『Find the Way』も『You Raise Me Up』も偶然ニ長調

■数寄屋橋HMVでパダのサード・ソロ・アルバムを入手できた。新大久保あたりまで行かないと買えないのではと思っていたが、それほど広くない数寄屋橋HMVの店舗の韓国POPSコーナーに1枚だけ在庫があった。明日から通勤電車は『Made in Sea』の毎日になる。

中島美嘉のオリジナルの『Find the Way』はEフラット(変ホ長調)だが、パダの歌う『Find the Way』は半音低いD(ニ長調)。僕がぎりぎり歌える高さのキーだ。偶然にもCeltic Womanの『You Raise Me Up』もやはりキーがDで、自分のあまり美しくないファルセットで個人的には気持ちよく歌える。どちらも2日でギターの弾き語りができるようになった。


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2006/03/11

nirgilis『sakura』オリコンチャート12位

■3月末でテレビもクールの区切り。終わる番組は終わる。2006/03/13付けオリコンCDシングル週間チャートの12位に新登場しているのは、nirgilis(ニルギリス)という1993年頃に近畿大学の学生が結成したグループのスマッシュヒット。『アメイジング・グレイス』をリミックスした軽快なアレンジと、「聴きやすいChara」といった感じの岩田アッチュの舌っ足らずなヴォーカルが印象的。

メジャーシーンではおそらくこの曲の「一発屋」で終わるだろうと思うと残念だが、この曲が主題歌になっている番組が今クールで終わるのだから仕方ない。USENのストリーミング放送で毎週無料で最新話を視聴できるし、日曜日の夜23:30までに布団に入ってAMラジオをつければ『RADIO RAY-OUT』が聞こえてくるのだから、下らないと言いつつ観てしまう。


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2006/03/10

『You Raise Me Up』についていろいろ

フィギュアスケートの荒川静香選手がエキシビジョンの音楽として採用したことで有名になった『You Raise Me Up』という曲。荒川選手がつかったのはCeltic Womanというアイルランド出身の女性グループ演奏によるものだが、元々はノルウェー人男性とアイルランド人女性のニューエイジ・ミュージックのデュオ「Secret Garden」が2002/02/08にオランダで発表したアルバム『Once in a Red Moon』の2曲目に収録されている曲だそうだ。

Secret Gardenの公式Webサイトによれば、Secret Gardenは南ノルウェー出身のロルフ・ロヴランド(Rolf Lovland)という作曲家、プロデューサ、キーボード奏者と、フィオヌァラ・シェリー(Fionnuala Sherry)というアイルランド出身のバイオリン奏者のデュオである。『You Raise Me Up』の曲はロルフ・ロヴランド、歌詞はアイルランド人の小説家・作詞家のブレンダン・グラハム(Brendan Graham)によるもので、Secret Gardenのアルバムではブライアン・ケネディという歌手が歌っている。

ブレンダン・グラハムは1945年生まれ。小説は『The Whitest Flower』(1998年)と『The Element of Fire』(2001年)のたった2冊という寡作ぶり。前者はアイルランドでベストセラー第2位になったそうで、『Die Irische Nacht(アイルランドの夜)』という題名でドイツ語訳されている。この作品はアイルランドの大飢饉を伝えるドキュメンタリー小説とされており、マサチューセッツ工科大学の教科書として採用されているとのこと。彼はまた作曲家でもあり、元アイルランド音楽権利団体の首長。現在は西アイルランド在住。

『The Element of Fire』はアイルランドの大飢饉で未亡人となったヒロインのエレンが、生き残った二人の子供、そして飢饉のさなか取り残されていた「物言わぬ少女」とともに1850年代の米国ボストンに逃れるという物語。当時のボストンは米国交通・文化の要所で、エレンは安定した生活と新たな恋人を得るが、旧世界を捨ててきた絶望感と、米国で始まろうとしていた南北戦争の動乱の中、人生と愛の葛藤に翻弄されるという物語らしい。

話を『You Raise Me Up』にもどすと、この曲は多数のアーティストによってカバーされており、中でも有名な演奏がジョシュ・グロバン(Josh Groban、1981/02/27米国カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ)によるもので、2004年にはアダルト・コンテンポラリー・チャートで1位を獲得しているらしい。

ケルティック・ウーマン - Celtic Woman - You Raise Me Up

この曲の歌詞は宗教的な内容だという噂がインターネット上でも書かれているが、作詞者ブレンダン・グラハムの上述のような作風を考えると、素朴で力強いラブソングと考えるのが自然だろう。Celtic Womanの演奏では一番の歌詞しか歌われないが、Secret Gardenのオリジナルでは二番まである。

When I am down and, oh my soul, so weary;
When troubles come and my heart burdened be;
Then I am still and wait here in the silence,
Until you come and sit awhile with me.

ああ、打ちひしがれ、疲れきったとき
もしも困難がおとずれ 心に重荷を負ったとしても
じっとここで静かに待つ
あなたがやって来て しばらく座ってくれるまで

You raise me up, so I can stand on mountains;
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... to more than I can be.

あなたが力づけてくれるから、山の頂に立つこともできる
あなたが力づけてくれるから、嵐の海もわたることができる
あなたの力を借りれば、私は強くなれる
あなたが力づけてくれるから、ひとりでできないこともできる

There is no life - no life without its hunger;
Each restless heart beats so imperfectly;
But when you come and I am filled with wonder,
Sometimes I think I glimpse eternity.

飢えのない人生などない
気ぜわしい胸の鼓動はひどく乱れている
でもあなたが来て、私が奇跡に満たされるとき
時に永遠をかいま見たと思うほどになる

(※筆者による試訳)

この曲の誕生についてSecret Gardenの公式Webサイトには以下のような記述がある。

「この曲は有名なアイルランド民謡の断片をメロディーに織り込んで、ゆったりしたアリアとして生まれた。この曲は不採用にしようとしたのが、どうしても心に引っかかった。おそらくこの曲は別の形になりたがっているのだろうと考え、歌詞をつけることを思いついた。そこでアイルランドの作家ブレンダン・グラハムにこの曲を聴いてもらった。彼の本『The Whitest Flower』『The Element of Fire』はエレン・ルア・オマリーの生涯を描いたベストセラー小説だが、この2冊が私たちに強い印象を与えたからだ。彼は即座にこのメロディーの中に「物語が聞こえてくる」と言った。そしてその晩、歌詞の第一稿を仕上げた。冒頭のバイオリンソロは、原版のデモテープのためにフィオヌアラが最初に録音したもので、そのまま手を付けずにおいた。バグパイプの名奏者、リアム・オ・フリンが曲の中盤をリードしている。ブライアン・ケネディーとトレイシー・キャンベル=ネイションの心のこもった歌声は、ロンドン・コミュニティー・ゴスペル合唱団、アイルランドのコーラスグループ「アヌナ」とともに、この歌詞の深く精神的な切望を完全に表現している」。


※2008/02/20付記:この「You Raise Me Up」は透明でおだやかな歌声の女性歌手にぴったりと思っていたが、たまたま先日、日本でインディーズデビューしたジェイド・インという中国人女性歌手を見つけた。彼女の声はまさに「You Raise Me Up」のためにあると言って過言でない。ご興味のある方は右の1stアルバム『七彩音色』のジャケットイラストをクリックしていただきたい。無料で「仰げば尊し」と「Danny Boy」の歌唱を聴くことができる。
1stアルバムはiTunesでも配信されている。ここをクリック→Jade Yin - 七彩音色~なないろねいろ~Prologue

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2006/03/07

知らぬ間にBADAが3枚目のソロアルバム

■フランスの実力は女性歌手、ナターシャ・サン=ピーエルの「ヴァーチャル追っかけ」をやっている間に、元S.E.S(1997年デビューの韓国人女性3人組アイドルグループ。パダ(韓国語で海〔Sea〕の意味)、ユージン、シューというメンバーの名前の頭文字をとったグループ名。日本でもMisiaのプロデューサーなどを迎えてアルバムを作成し、R&B色の強いPOPSでそこそこ活躍していた。BoAのようなR&B系韓国女性シンガーが日本で活躍できる道を切り拓いたグループでもある)のパダが3枚目のソロアルバムを発売していた。

この日記で以前、彼女のセカンド・ソロアルバムについて、楽曲やジャケットのイメージが随分「セクシーなお姉さん系」になっていてがっかりした、というようなことを書いた覚えがある。S.E.S時代の彼女はメンバーの中で韓国民謡パンソリ仕込みの非常のパワフルなボーカルを聞かせてくれていたからだ。ちなみに日本でS.E.Sが活躍していたころの代表曲は、フジテレビ系のバラエティー番組のエンディングテーマにもなっていた『(愛)という名の誇り』などである。この曲はカラオケで歌える。

今年になって発売されたサード・ソロアルバムで、パダは大きくイメージを変えてきたようだ。「セクシーなお姉さん系」から一転、黒髪で少年っぽい雰囲気になっている。某ブログからの孫引きで恐縮だが、たとえばこちらのサイトに最近の写真がある。

http://www.newsen.co.kr/news_view.html?news_uid=38825

このブログにあったリンク先で、パダのサード・ソロアルバムの収録曲『Find The Way』のプロモーションビデオを見ることができる。韓国のこちらのWebサイトである。S.E.Sのファンが観ればすぐに分かるのだが、このプロモーションビデオでは何とパダも含めてS.E.Sのメンバー3人が出演している。元S.E.Sファンとしては涙もののPVである。

そしてこのビデオのストーリーそのものがまた涙ものなのだ。パダやS.E.Sに関心のない方もだまされたと思って上記のリンクからこのプロモーションビデオをご覧頂きたい。韓国語がまったく分からなくても、短編ドラマの感覚でうるうるできる内容になっている。

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2006/02/27

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『OH LA!』誌の記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

今週の『OH LA!』掲載のナターシャに関する記事

「ナターシャ・サン=ピエール、フランス語圏の新チャンピオン

『私の大好きなセリーヌ・ディオンと比べてもらえるのはうれしいけれど、彼女の単なるコピーだと思われたくはない』

彼女の輝く青い瞳、フレッシュで澄み切った声、第46回ユーロビジョンを見守る1億2千万人の視聴者を魅了した。ロベール・ゴールドマン(ジャン・ジャックの兄弟)による曲『Je n'ai que mon âme』で、ナターシャ・サン=ピエールはフランスに第4位をもたらした。この数年では思いがけない成績だ。このヌーボー・ブランシュヴィック出身のアカディア(訳注:カナダ南東部のこと)の少女は20歳で輝かしい未来を約束された。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でその姿を現し、ガルーのフランス・ツアーの前座を実際にしっかりとつとめた。ナターシャは輝かしいキャリアの始まりを私たちに語ったが、それはもう一人のカナダ女性、セリーヌディオンのことを思い出させずにはいられない。彼女はセリーヌ・ディオンを敬愛するが、もう彼女とは比べてほしくないと言う...。

あなたのセカンドアルバムは『À chacun son histoire』というタイトルですね。あなたの経歴(histoire)を聞かせてもらえますか...

私はヌーボー・ブランシュヴィック州の北部にあるバトュルスト出身です。歌はほんの幼い頃から始めました。8歳のとき歌の先生が舞台に参加するように提案して下さったんです。公演回数はだんだんと増えて、地元を公演して回るようになりました。14歳のときフランス語圏へということでケベック州に出発しました。2つの事務所が私を見出してくれました。15歳のときファースト・アルバム『Emergence』を発売しました。でもプロデューサと仕事に対する見方が違っていました。契約を打ち切るのに一年半もかかったんです。その期間にバカロレア(訳注:大学入試資格試験)に合格することができました。それからギィ・クロティエと出会ったんです。ルネ・アンジェリルとともにセリーヌ・ディオンを見出した人物です。そして2枚めのアルバムを出しました。間もなくギィは私にリュック・プラマンドンを紹介してくれました。そこから今につながっています。

まさに『ノートルダム・ド・パリ』で見出されたというわけですね。でもあのミュージカルに出演できたのはひょんなことからだったとか...

あっという間で実感がありませんでしたよ!リュック・プラマンドンに出会って10日後にはもうケベック公演ですよ。ジュリー・ゼナッティがアルバム録音の準備のために、予定より早くフランスに帰らなければならなくなりました。ある日の午後のうちに、フルール・ド・リ役を練習しました。いままででいちばんプレッシャーを感じました。舞台の上であんなに緊張したのは初めてでした。

そんな経験の中で何が印象に残っていますか。

とてもいい思い出と、とてもいい友人たちのことです。たとえばガルーのような。すばらしいアーティストたちと出会いましたし、歌について多くを学びましたし、いろんな人たちと出会うことができました(訳注:des gens du milieuの訳し方不明)。

ガルーのツアーではフランスの観客にどんな風に受け入れられましたか。

とても熱狂的でした。何を期待していいのかわかりませんでしたが、公演をしたすべての都市でスタンディング・オベーションでした。

フランスは最近ケベック出身の歌手に熱を上げているようですね。イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、ガルー...。この現象をどう説明しますか。

そういう好みは昔からあって、また繰り返しているだけだと思います。ロベール・シャルルボワ、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・テルなどの名前をあげるだけでも、フランスで成功しているということがわかります。フランス人とケベックの人たちの間には美しい兄弟愛がずっと続いています。フランス人は昔からカナダ人の感受性や作品を評価してきました。

よくもう新生セリーヌ・ディオンだと言われますね。そう言われて満足ですか、うれしいですか、それともいらだちますか。

ものすごくうれしいです。私は彼女の声とカリスマ性、彼女が歌にかたむけるエネルギーや誠実さを素晴らしいと思っているからです。でも同時に恐ろしいという思いもあります。私のことを単なるコピーだと軽蔑されるのは嫌なんです。私たちの似通ったところだけでなくて、違いもわかってもらえたらと思います。

これほどの力強さと説得力で愛を歌い上げるには、恋愛感情を経験する必要があるのではないですか。

必ずしもそうではありません。今のところ恋愛はしていませんし。恋愛感情を表現するために、アーティストは何よりもまず、自分の感情と想像力に語らせる必要があると思っています。

あなたはどんなタイプの女性ですか。

感情のままに生きる、とってもシンプルな人間だと思ってます。音楽やスポーツ、読書が好きですし、気分によってすることを変えます。家族や友だちともとても親しいです。1年に二度は海岸沿いにある実家に帰ります。自分が海辺を必要としている感じです。海辺が好きで、海辺にいるとリラックスできるからです。」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier声の変遷

■ご承知のように、この「愛と苦悩の日記」でナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)がユーロビジョンで4位入賞した2001年当時の雑誌記事を翻訳していると、セリーヌ・ディオンのことがよく話題になっている。ナターシャ自身、セリーヌ・ディオンのような歌手を目標にしているところがあったようだ。

今年に入ってから発売されたニューアルバムを聴くと、全体にマイナーでやや暗めの曲が多く、あまり彼女をセリーヌ・ディオンの明るく突き抜けるようなボーカルと比較しようという考えが起こらないが、先日、セカンド・アルバム『À chacun son histoire(人それぞれの物語〔恋愛〕)』をMP3サイトからダウンロードして聴いてると、なるほどこれはセリーヌ・ディオンだと納得できた。

このアルバムは1曲目に彼女がユーロビジョン・コンクールで歌った『Je n'ai que mon âme』が収録されているが、三連符による4拍子のいわゆるロッカバラードで、歌い始めはささやくように静かなヴォーカルが、終曲に向かって徐々に盛り上がり、最後は「エーイエー!」と力いっぱいの声量で歌い上げる。

2曲目のアルバム表題曲『À chacun son histoire』もイントロはいきなり無伴奏のささやくような歌声から始まるが、こってりしたペンタトニック・スケールのエレキギターがうなるブルースで、ナターシャのヴォーカルもブルージーなフェイクを織り交ぜながらうなっている。

3曲目の『Laisse-moi tout rever』にいたっては、セリーヌ・ディオンの域を超えて、ホイットニー・ヒューストンばりのたくましく伸びる声を響かせている。セリーヌ・ディオンはいくら声を張っても「うなり」はあまり目立たず、透明に響き続けるけれども、ナターシャの声はこの曲のラスト近くでちゃんとうなっている。

最新アルバムで聴けるようないかにもフレンチポップスっぽい「ささやき」型のヴォーカルから、セカンド・アルバムに顕著なホイットニー・ヒューストン並みに「うなる」ソウルフルなヴォーカルまで、この表現の幅を聴くとナターシャの表現力はすでにセリーヌ・ディオンを超えていると言えるのではないか。

ただ心配なのは、元S.E.Sのバダにも同じことが言えるのだが、20代半ばを過ぎると制作側の意向で不必要に大人びてしっとりした曲ばかりを歌わされるようになってしまうのではないかということだ。

S.E.S時代のバダは韓国の伝統芸能パンソリを色濃く受け継いだ「うなる」ようにソウルフルな声を聞かせてくれていたが、最近のアルバムでは「ささやき」型の妙にセクシーな曲ばかりでややうんざいさせられる。ナターシャ・サン=ピエールも今後同じように「ささやき」系セクシーヴォイス路線に入ってしまうのではないかと危惧する。

最新アルバムでナターシャの本来の声量が聴けるのは、辛うじて『À l'amour comme à la guerre』のサビくらいで、この曲はR&Bではなくフォークなので、力強い「うなり」は期待すべくもない。女性歌手が本来もっている表現の幅を保持したまま作品を発表し続けるというのはそんなに難しいことなのだろうか。

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2006/02/26

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

『Ciné Télé Revue』誌

ケベックのテレビ番組でセリーヌ・ディオンを敬愛していると宣言したことでいろいろと言われていますが、どういう状況だったんですか。

『De toutes les couleurs』というバラエティー番組に呼ばれたんです(訳注:en dire de toutes les couleurs à~ という熟語で「~をこきおろす」と言う意味。おそらくゲストを呼んで質問攻めにする感じの番組ではないかと思われる)。まだアルバムは録音していませんでしたが、そのとき既に名前は知られていました。15歳で2つの事務所と契約して、ファースト・アルバムを出しました。18か月の間はそれでうまくいっていましたが、彼らの仕事の進め方が好きではなかったんです。スタッフを変えたかったのですが、契約期間がまだ残っていたので一年半続ける必要がありました。途中解約ができなかったのです。バカロレア(訳注:大学入学資格試験)に合格して、16歳の頃に歌手になりたいんだと自覚しました。その頃まで歌は単なる趣味でした。契約交渉のため歌をやめざるを得なくなって、初めて歌が自分にとっていかに大切かが分かったんです。

セリーヌ・ディオンがあなたのお手本なんですか。

ええ。だって彼女の声は素晴らしいですから。それに彼女は地に足をつけて歩むことができる人です。性格も素敵だし、優しくて、誠実で。あくまで自分らしいし、あれだけ成功しているのに、そういう人はめったにいません。正直に言うと、彼女のようになりたいと思っています。

ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でロマンティックな少女役を演じていましたね。純真無垢な作中人物は、あなたと近いですか。

50%はそうですね。フルール・ド・リは情熱的な少女です。彼女はとても感情的で、周囲で起こるすべてのことに心を動かされます。彼女はまた決意の固い人物でもあります。ここまでは私に似ていますね。でも私はマキャヴェリのようになるほど頑固じゃないですよ!(笑)

あなたのアルバムは愛の言葉を思わせますが...

愛は私たち全員に関係することです。私は今のところ恋愛はしていませんが、とても感傷的な性格なんです。愛の感情を表現する方法はたくさんあります。だから歌えるということは幸せなことです。

恋愛経験はありますか。

ええ。『ノートルダム・ド・パリ』の公演中も恋愛をしていました。とてもいい恋愛でした。残念なことに二人の間がうまくいかなくなって、終わってしまいましたが。そのとき私は『ノートルダム・ド・パリ』を演じていて、ケベックではアルバムの録音で忙しかったんですが、恋愛をする時間を見つけ出していました...。

あなたに歌の仕事をさせてくれるような男性に惹かれるんですか。

特に関係ありません。私たちの仕事上の要請についてお互いに理解できるので、ときどき助けにはなります。この仕事にはいろんなことが必要ですし、会社員と私とでは優先すべきことが違いますから。

恋に落ちやすい方ですか。

いいえ。自分から声をかけたりしませんし、極端に内気なんです!だから思い違いをしないように、確認するためにじっくり時間をかけるんです。

ユーロビジョンが近づいてきましたが、どんな心境ですか。闘志や勝ちたいという気持ちですか。

自然な気持ちです。戦いに行くわけではありませんから。私らしく、ベストを尽くしたいと思っています。ユーロビジョンではとりわけ好みが問題になりますから。私の声が気に入られるかどうか。とにかく私らしくありたいです。」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌インタビュー記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

『Ciné Télé Revue』インタビュー記事

『私は20歳だけれども、20歳が人生で最も美しい年だなどと誰にも言わせない』。これは哲学者でも作家でもあったポール・ニザン(1905~1940)の引用だが、ナターシャ・サン=ピエールには全く当てはまらない。満20歳のナターシャは、話題の絶えないセカンド・アルバム(ただし欧州では最初のアルバム)『À chacun son histoire』を発売したばかりだ。彼女の物語(histoire)はカナダ北東部の英語圏にあるヌーボー・ブランシュヴィックに始まる。ナターシャは幼い頃から抑えられないほど歌に引かれていることに気付いていた。ケベック州では15歳の頃から歌手として有名になり、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』では若くしてすでにジュリー・ゼナッティの代役を演じた。それからフルール・ド・リ役という肩書きを得て、英語版アルバムの録音に参加。今ではソロシンガーとして活躍している。ついに、と言ってもこれが最後ではないが、先日12日土曜日、ユーロビジョン・コンクールでフランス全土が彼女を後押しし、『Je n'ai que mon âme』という曲をフランス代表として歌った。つい数年前まで生物学者になることを夢見ていた、この未来のスターとのインタビューである。

カナダの輸出産業の中では、女性歌手はメープルシロップと並ぶシェアを占めているとか。あなたも流れ作業で生産されたんですよね。

(笑)違うわ、私の知る限りではね!実際には波があるんじゃないかしら。1970年代には、たくさんのケベック人がヨーロッパで有名になったし。ロベール・シャルルボワ、ディアンヌ・テル、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・デュフレーヌ...。今また波が来たのよ!

一定の知名度の他に、あなたが『ノートルダム・ド・パリ』の経験から得たものはなんですか。

実際はフランス、ケベック、英国すべての『ノートルダム・ド・パリ』公演に参加しているの。だからものすごくたくさんのことを学んだわ。リシャール・コキアントやリュック・プラマンドン、演出家のジル・マウーとの出会いだけじゃなくて、それぞれに違っていた3か国の公演での共演者たちからもね。共演者のほとんどが年上の人たちだったから、なおさら学ぶところが多かったわ。

正確にはどうやって出演者に選ばれたんですか。

(やや興奮して)あらら。ほんと、誰も私を信じてくれないんだから!1999年にケベック州公演のためにリュック・プラマンドンが開いたオーディションに合格したの。ケベック州での公演はフランス公演の後に予定されていて、私はフルール・ド・リ役をもらったというわけ。ところが、私が代役をしたジュリー・ゼナッティはケベックを去って急遽フランスに戻らなければならなくなったの。突然、舞台にフルール・ド・リがいないってことになってしまった。そこである日の正午、私が呼ばれて、『ノートルダム・ド・パリ』公演に予定よりも早く出演準備をして欲しいと言われたの。私が「はい。で、いつからですか」ってたずねたら、「今晩から」ですって!私はモントリオールのサン・ドニ劇場に駆けつけて、パトリック・フィオリ、ジュリー・ゼナッティとその日の午後、役の練習をしたのよ!歌は覚えていたの(フルール・ド・リは劇中で3曲、途中から歌に入るものも含めると4曲しか歌わない)。だって、オーディションに合格したばかりだから。でもそれだけ。何の準備もなかったから、私の身長に合った衣装さえなかったのよ。その晩8時に舞台は始まって、8時半には舞台に上がっていた。あれは人生でいちばん緊張した舞台と言ってもいいわ。

午後の練習だけで十分でしたか。

そうするしかなかったの!舞台上での立ち位置の移動とか、役についてのすべてのことを午後だけで覚えたの。その後2年間、ずっとその役を演じ続けているわ。時が経つにつれて、確実にフルール・ド・リの演じ方は少しずつ変わってきている。

その舞台では間違えませんでしたか。

ええ。すべてがうまく行ったわ。きっとビギナーズ・ラックってやつね。最初の公演が完璧だってことは、たまにあるわね。二回目はほどほどで、三回目は安定してきて。でもあのときの二回目と三回目がどうだったかはよく覚えてないけど...。

英語版でもその役を演じることに問題はありませんでしたか。

逆にうれしかったわ。だって英語で歌うのは好きだから。それから、おかげでジル・マウーと仕事をすることができたし、舞台に変化をもたらすこともできたし、自分の役柄を見直すこともできたし...。同じ役を400回やったとしても、常にその役にまで自分を高める必要があるの。それがミュージカルでいちばん難しいところね。実際、同じ役をやっていると疲れてしまうし、自分の体をいたわろうとしてしまうし。でもそうすることはできないの。劇場の観客には、初めてその役を演じたときの驚きを伝えなければいけないから。だからものすごく集中力が必要だし、エネルギーも必要ね...。

米国版の『ノートルダム・ド・パリ』を見たことはありますか。

いいえ。私が見損ねたのはラス・ヴェガス公演ね。ちょうどそのとき私はケベックと英国にいたから。どちらにしてもそれほど興味を引いたかどうか。歌手としては、私はヨーロッパとカナダを目指して始めたの。たぶん米国にも行くかもしれない。国際的なキャリアを積みたいから。でも、今のところその必要はないと思う。それに、ギャンブルの街で上演される『ノートルダム』はほぼ半分にカットされているし、最初のバージョンを400回以上演じた後にそこへ行っても、あまり幸福じゃないでしょうね。

15歳の頃にすでに『Emergence』を録音しているので、『À chacun son histoire』はセカンド・アルバムですよね。『Emergence』のときは批評家や一般の人たちはどんなふうに受け入れてくれましたか。

とっても、とっても良かったわ。ラジオでもたくさん成功したし、それにモントリオールではあのアルバムの曲をいろんなラジオ局で何度も耳にしたし。売上も良かったわ。ただ、当時私がいっしょに仕事をしていた人たちは、私とは違った見方をしていたみたい。だからスタッフを変えたいと思って、5年契約でまだ3年間契約が残っていたんだけれど、裁判に一年半かかってしまった。その期間は歌うことができなかったから、すごく長く感じられたけど、改めて本当に私は歌手になりたいんだって分かったの。

今のようにヨーロッパで活躍したいと思ったのは何がきっかけですか。

幼い頃の夢がかなった、というわけではないの。だってこんな日がいつか来るなんて夢にも思っていなかったから。でもそれが現実になってとってもうれしいわ。これは一つのチャンスだと思うし、きっとこのチャンスをつかんでみせる...。

ケベック出身の女性歌手が何人もヨーロッパで成功しているので、むしろ良い前兆だと思いませんか。

たしかに私も夢が持てるから!今のところケベック出身の女性歌手はヨーロッパで大活躍しているし。でもそれぞれに違いがあるというのは確かね。たとえばリンダ・ルメは私よりもずっと詩的で、素晴らしい作詞の才能を持っているわ。私たちはお互いにアドバイスできることはあっても、それぞれが自分らしさを証明しなきゃいけないと思ってる。

もしケベック出身の女性歌手ベスト10を選ばなければいけないとしたら誰ですか。

あらら!だって私まだこんなに若いのよ。ケベック出身のフランス語で歌う女性歌手を全員あげることさえできないのに...。でも順番に言うとすれば、セリーヌ・ディオン、ララ・ファビアン、イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、フランス・ダムール、それからナンシー・デュメかしら。

まだ6人しかいませんよ!

他にもいるはずだけど、英語の音楽もたくさん聴くから!英国に6か月滞在して、今はヨーロッパを走り回っているから、ケベックの音楽については、だんだん分からなくなってきてるの、正直に言うと...(苦笑)。

じゃあ、その10人の中に自分を入れるとしたら、何位になりますか。

たぶんフランス・ダムールとナンシー・デュメの間!

生物学者になりたかったそうですが、後悔はしていませんか。

ええ。確かに最終学年で、この夏から研究室での研究を始めなければいけないの。でも自分のやっていることをとっても愛しているから。それに大学に戻ろうと思えば後からでも戻れるし...。」

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2006/02/19

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23-05/23)

■お気づきのようにNatasha St-Pierのカタカナ表記を「ナターシャ・サン=ピエ」から「ナターシャ・サン=ピエール」に変更させて頂いた。動詞の不定詞でない限り通常フランス語の末尾の「r」は発音される。ただ、弱く発音されるのでカタカナで「ピエール」と表記してしまうと St.Pierre(聖ペテロ)のように聞こえるので「サン=ピエ」と表記していたが、今日、近所の新星堂で彼女のセカンドアルバムの日本発売盤を見つけ、「ピエール」と表記されていたのでそれにならうことにした。

いい加減飽きてきたという読者の方々は「ナターシャ・サン=ピエール」カテゴリーの記事は読み飛ばして頂いて構わない。単に個人的に日本で唯一のナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)のファンサイトを目指しているだけなので。

(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャに関する記事をいくつか。

『Télé 7 jours(テレビ1週間)』より
「ナターシャ・サン=ピエール セリーヌ・ディオンの弟子

注目、一人のスターが人気を拡大しつつある。ナターシャ・サン=ピエール20歳は、プラマンドンのスターの中の新星だ。ケベックと英国の観客は去年この青い瞳のカナダ女性がミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役になったのをを発見した。ジュリー・ゼナティの代役である。最近彼女が一段ステップアップしたのは、ユーロビジョン・コンクールへの出場だ。デンマークのコペンハーゲンで2001/05/12にフランスを代表して歌った。(中略)

大部分が英語を話すカナダの極東の土地ヌーボー・ブランシュヴィックに生まれ、ナターシャはフランス語にこだわりをもつ。『英語で歌手としてキャリアを積めるかどうかなんて、一度も考えたことがないわ。両親もフランス語を話していて、母の先祖はアカディア、父はイタリアなの。最初に歌った歌はモリエールの言葉で書いた歌だし、最初に契約したのもフランス語を話す人よ。でも、いつかまた別の目標を達成したくなったら、英語でも歌うでしょうね』

ナターシャのキャリアはとても早くから始まった。『8歳で音楽の先生が舞台に出ることを進めてくれたの。そこでエルザ(訳注:フランスの女性歌手)の『Mon cadeau(わたしの贈り物)』という歌を歌ったわ。そこから毎年の夜の公演にひっきりなしに招待されるようになったの。私のバンドと一緒に出演して歌っていたわ』

私的な公演はもはやその成功を隠していることもできなくなり、14歳でファースト・アルバムを録音する。そして大当り!しかし彼女の所属した2つの事務所間の係争のために、1年半の活動停止を余儀なくされる。最後にはケベックで非常に有名なプロデューサー、ギィ・クロティエが彼女との契約を勝ちとり、リュック・プラマンドンに『ノートルダム・ド・パリ』に出演させるよう、彼女を紹介。そして彼女の名が知られるようになった。ニューアルバム『A chacun son histoire』はピエロ・カッサーノとイタリアで制作され、売上好調だ。次のステージはオランピア劇場に決定している。ガルーのコンサートの6回目の前座をつとめるのだ。

この力強く澄み切った声をもつ少女の新しいキャリアの始まりを、ある人々はセリーヌ・ディオンと比較する・・・しかし、それはまた別の話だ」

『Télé Club Plus(テレビクラブ・プラス)』よりインタビュー記事

たった20歳なのに、新人っぽいところが全くないね...
8歳で、母が私に歌を教え込んだの。突然舞台に立って歌っていたって感じ。私の番が来て、歌い始めたの。そしたらスタンディング・オベーション。だって、みんな帰っちゃうだろうって思ってたのよ。それでおしまいじゃなかった。12歳でケベック州の「歌の力」っていうコンクールに出場して名前を知ってもらうようになって、少しずつ歌う機会が増えていったわ。14歳でファースト・アルバム『Emergence』を録音して、チャートで1位をとったの。

ケベック出身じゃなかったっけ?
ちがうわ。もっとフランス語の強いヌーボー・ブランシュヴィック出身よ。私の家族は外では英語、家ではフランス語を話してるの。

だから『ノートルダム・ド・パリ』では英語で歌えたんだ
ええ、その通り。でも最初はフランス語で「フルール・ド・リ」役をやってた。新しいチームを結成するためのオーディションを受けて、一週間後にジュリー・ゼナッティがフランスに帰らなきゃいけなくなったの。エレーヌは病気だったし、二役をやる代役が一人しかいなかったから、私がフルール・ド・リ役をすることになった。それまでそのミュージカルはたった一度しか見たことがなかったのよ。パトリック・フィオリが私に午後と夜の二度リハーサルをさせて、舞台に立ったの。そこから2か月、フランスのチームと『ノートル・ダム』に出演して、ケベックのチームでもフルール・ド・リを演じることになったの。ツアーが終わってアルバムを作った後、ロンドンに出発した。フランス語ではかわいくて優しい女の子だって言うのに、英語では意地悪でセクシーって言うのね。みんな嫌いだって言っても、私は私に満足よ!

アルバムではとっても落ち着いた感じだよね。もっと年上の女性みたいな...
たぶん同じ年の友だちが多くないからかも。普通の人が2年、3年で生きるところを、私は2か月、3か月で生きてるって感じなの。面白くて話上手な人と話していると、私の実年齢をなかなか信じてもらえないのよ。

どんなタイプの恋愛をするの?
ロマンティックで情熱的!前は子供なんて欲しくないと思ってた。だって両親がどんなリズムで生活してたか見てるから。今は、いつかは欲しいなって思う。でも当分は恋愛はしない。家庭を持ちたいと思わせてくれるような人とまだ出会ってないから。

どんな男性が好き?
正直言って、今のところ2人としか付き合ったことがないの。私の仕事を理解してくれる人がいいんだけど。愛情を示してくれるけど、束縛しないような人。私ってかなり独り占めしたい方なの。だから、けっこうわがまま。本当に愛してるってことを証明してほしいの。

ガルーの前座をやってるけど、大変だった?
『ノートルダム』の舞台裏で、彼は私をリラックスさせてくれたの。ロンドンでも守ってくれたし。お兄さんみたいな存在ね。お兄さんと友だちの中間くらいかな。本当のお兄さんだったら、親が同じだから全部話すわけにはいかないでしょ。友だちだったら、お兄さんほど信用できないから、やっぱり全部話すわけにはいかない。ガルーは、両方が混じった感じなの。お兄さんのようにすべてを話すことができるけれど、私の両親にいちいち報告したりしないし。二人でいると楽しいしね!それにフランスの人たちとたくさん会えるし。ガルーはどれだけ私を助けてくれてるか、自分では気づいていないけど...」

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2006/02/18

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier『天使が私の扉をたたく』試訳

■昨日書いたTV5MONDEのナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)出演、スタジオ・アコースティック・ライブを見ることができた。約30分の番組で、テレビで初めてじっくりと見る「動くナターシャ」である。

アコースティックでアルバムのアレンジよりゆったりしたテンポの演奏、しかも『À l'amour comme à la guerre』以外はすべてマイナー・コード(短調)の曲だったので、彼女の声量を堪能できたというよりは、しっとりしたスタジオ・ライブになっていた。

フランス語の勉強を怠っているだけあって、インタビューはほとんど聞き取れなかった。『Un ange frappe à ma porte』がなぜ日本文化に着想を得ているのか、インタビューの冒頭で話題になっていることまでは分かったが、その理由までは聞き取れなかった。TV5MONDEのWebサイトのストリーミングを何度も巻き戻して、聞き取ってみようと思う。

その代わりと言っては何だが『Un ange frappe à ma porte』の歌詞の翻訳をどうぞ。なんて陰惨な歌詞なんだろうか。間違いがあればご指摘下さい。

Un signe, une larme,
un mot, une arme,
nettoyer les étoiles à l'alcool de mon âme
しるし、涙、
言葉、武器、
心の酒で星を清め

Un vide, un mal
des roses qui se fanent
quelqu'un qui prend la place de
quelqu'un d'autre
しおれるバラの
虚しさ、苦痛
他の誰かの代わりの誰か

Un ange frappe à ma porte
Est-ce que je le laisse entrer
Ce n'est pas toujours ma faute
Si les choses sont cassées
天使が私の扉をたたく
入れてあげるのか
ものが壊れても
私のせいとは限らない

Le diable frappe à ma porte
Il demande à me parler
Il y a en moi toujours l'autre
Attiré par le danger
悪魔が私の扉をたたく
私と話したいという
いつも私のなかには
危険にひかれる他人がいる

Un filtre, une faille,
l'amour, une paille,
je me noie dans un verre d'eau
j'me sens mal dans ma peau
フィルター、ひび割れ
愛、ストロー
グラスの水に溺れる私
私は私に苦しんでいる

Je rie je cache le vrai derriere un masque,
le soleil ne va jamais se lever.
私は笑って仮面の下に真実を隠す
陽は二度と昇らない

Je ne suis pas si forte que ça
et la nuit je ne dors pas,
tous ces reves ca me met mal,
私はそんなに強くない
夜も眠らない
夢見るたびに苦しい

Un enfant frappe a ma porte
il laisse entrer la lumière,
il a mes yeux et mon coeur,
et derrière lui c'est l'enfer
子供が私の扉をたたく
その子は光を招き入れる
私のような目と心をして
その子の後ろは地獄

(c) Sony BMG Music Entertainment

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/17-05/21)

■ついにこの「愛と苦悩の日記」がキーワード「ナターシャ・サン=ピエール」でYahoo!JAPAN検索のトップに躍り出た。って、こんなマイナーなキーワードであっさりSEOが成功するのは当たり前。「ナターシャ・サン=ピエール」なんてキーワードで検索する日本人なんて一人もいない。

(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/17 盗作の訴え:『Je n'ai que mon âme』が議論の的になっている。というのはベルギーの女性歌手シャンタル・エデンが、数年前に作曲した自分の歌『La vigne de mon père(私の父のぶどう)』とメロディーが非常によく似ていると主張。

―2001/05/18 ナターシャがフランスのセールスチャート入り!ナターシャのアルバムが今週フランスのセールスチャートで37位にランクイン。約10万枚が売れた。そしてシングル『Je n'ai que mon âme』は8位に!

―2001/05/20 ベルギーでは『Je n'ai que mon âme』がフランス語シングルの2位に!ナターシャのアルバムとシングルはフランスのセールスチャートのランクではそれほど良くないが、フランスのテレビ局はナターシャの広告を流している。

―2001/05/21 「(www.dhnet.beの記事より)コンクールの後、ユーロビジョンの参加者たちは暗色の服装と長いドレスを着て盛大で粋なレセプションに参加する。アフター・パーティーと呼ばれるこのレセプションに、ナターシャ・サン=ピエールはほとんどいなかった。彼女はいちばんに会場を後にしてホテルに帰った。たぶん第4位という成績に少しがっかりしていたのだろう。もっと上位を期待していたのに。この若いケベック女性はフランス代表としてコペンハーゲンに出発したが、確かにその活躍を恥じる必要はない。彼女は最下位に甘んじるかもしれなかったのだ。デンマークのテレビカメラの前に、しかも、パルケン競技場の38,00人の観客を前にして、コーラスもダンサーもなしで、ひとりで立ち向かうことを選択したアーティストは、彼女ただ一人だったのだ。あの巨大な空間の中で、彼女はとても小さく見えた。それにもかかわらず、彼女は人々が見守る中、素晴らしい歌唱を見せた。満員の観客たちは言うまでもなく、テレビでも彼女はいつも美しいイメージを見せる。とくにこの会場では座席が四角く配置されていた。ライティングの束が天井から降りてきて、すべてが妖精のように見えた。ナターシャは女王のように歌った。確実にこの2001年のユーロビジョンの中では最も素晴らしい声だった。

逆におそらく選曲が悔やまれるだろう。アルバムのうち、彼女の本当の個性を引き出す曲とは程遠い曲が選ばれてしまった。『Je n'ai que mon âme』は彼女の将来の名声を築くためのシングルだ。もっとセリーヌ・ディオン風の曲に賭けた方が良かったのではないか。そしてユーロビジョンの最近の傾向、とくに何でもかんでも英語に頼る傾向(ドイツやフランスまでがそんな傾向になっている)のことを考えると、セリーヌ・ディオン風の曲というのは一つの大きな特徴になる。新しいものを求めるよりむしろ、前例を踏襲せよということだ。

それは1999年のシャルロット・ニールセンのヒット曲のケースに既に現れている。あの曲はアバの時代を思い出させる。去年はオルセン・ブラザーズが完全にサイモン&ガーファンクル風のスタイルを採用していた。ここからメッセージが読み取れる。みんな分かっていることなのだ。スウェーデンの人々はアバに賭けていたし、再びアバ風の曲に賭けている。リトアニアはリタ・ミツコの曲をとてもよく研究していた。ロシアは去年第3位だったラトビアの曲を単純に焼きなおす考えだったようだ。ファッションさえも同じだ。優勝者のタネル・パダール&デイヴ・ベントンでさえも(ユーロビジョンでグランプリをとった『Everybody』という曲を歌った)、ヴィレッジ・ピープル風であることを否定できない。

しかし、なんというサスペンスだろうか。4つもの国(ラトビア、デンマーク、ギリシア、フランス)が他の国をリードした。長い間、誰もがチャンスを信じていた。この4か国のうち一つが突然他の国を引き離すと、次の審査員はその国には投票せず、またグループに引きもどした。最後の3人の審査員のときは、エストニアとデンマークがたった1点だけ引き離していた。しかしマルタ島とギリシアの票は主催国であるデンマークのチャンスを奪った。ラトビアは、旧ソビエト連邦の国というよりは、白人と黒人のデュオで、アメリカ風のイメージに結びつけたおかげで優勝した。デイヴ・ベントンはカリブ諸島生まれで、プロのドラマーになり、トム・ジョーンズ、ビリー・オーシャン、ジョゼ・フェリッチアーノなどのバックミュージシャンをしていた。彼がエストニアに住むようになったのは、タネル・パダールと出会ったためで、これがデュオ結成のきっかけになった。ナターシャ・サン=ピエールがカナダからユーロビジョンに出演したように、デイヴ・ベントンはカリブ諸島から出演した。

エストニアがユーロビジョンで幸運を勝ち得ても不思議ではない。エストニアは1994年に初めて参加した。7回の参加のうち、エストニアは上位5位以内に4回選ばれている。したがって来年は、バルト海をはさんでデンマークと反対側にある、エストニアの首都・タリンでユーロビジョンが開催される」

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本日CS1/991ChのTV5MODEでナターシャのスタジオライブ放送

■この「愛と苦悩の日記」では先日来、フランスの実力者女性歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)の経歴をご紹介しているが、うれしいことに日本のテレビで視聴できる彼女の番組の情報をリアルタイムでお伝えすることができる。

CS110度放送を視聴できる皆さんは、今日、2006/02/18 18:45から、CS1の991チャンネルで放送されているTV5MONDE(テ・ヴェ・サンク・モンド)の『ACOUSTIC』という番組で、彼女のスタジオでのアコースティック・ライブを見ることができるのだ!

僕がこのことを知ったのは、昨晩TV5MONDEをなんとなく見ていたときの番組宣伝で、初めて自宅のテレビ画面で、動くナターシャを見たのだが、最新アルバム『Longueur d'Ondes』から『À L'amour Comme À La Guerre(愛は戦いのように)』を熱唱する場面と、インタビュー場面が流れた。

何に驚くかといって、『À L'amour Comme À La Guerre』のサビを歌うその口が信じられないほど大きく開くこと。半端な声量ではないその歌唱力は、やはり本物だ。僕は最近、毎朝、通勤電車の中でこの最新アルバムを聴いていて、ほぼ全曲メロディーは覚えてしまったので、この番組はかなり楽しめると思う。

ちなみに上記のTV5MONDEの番組ページからライブ映像をストリーミングで見ることができるので、時間の合わない方はぜひどうぞ。ページの左下に「Chansons(歌)」とあって、その下に「A l'amour comme à la guerre (acoustic)」などの曲目リストがある。こちらをクリックするとストリーミング放送が始まる。

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2006/02/11

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/11-05/16)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/11 マルク=オリヴィエ・フォジェル司会のテレビ番組『On ne peut pas plaire à tout le monde(みんなに好かれるなんて無理)』で(今週はユーロビジョンについてコメントし、先週はナターシャが出演した)、デルフィーヌ・キャンテリがナターシャはシングル、アルバムとも売れ行き好調と知らせた。いずれも売上上位に入っている(シングルは11位、アルバムは51位。カナダではアルバムはゴールド・ディスクを獲得している)

―2001/05/11 フランスのテレビ局TF1でナターシャを紹介するレポートが放送された。ガルーの前座をつとめたときのインタビューを放送。この2人のアーティストを結び付けている複雑なつながりがよく分かる番組だった。

―2001/05/11 フランスのテレビ曲キャナル・プリュスの番組『Nulle Part Ailleurs Midi(ほかのどこにもない正午)』で、マスコミ時評で有名なコロンブが、ナターシャやそのライバルたちを紹介するレポートとともにユーロビジョン・コンクールを紹介。

―2001/05/12 ナターシャは今日ロベール・ゴールドマン(別名ジル・キャプレ)作曲の『Je n'ai que mon âme』でコペンハーゲンのユーロビジョン・コンクールのフランス代表として出演する。彼女は曲の最後を英語で歌い、赤いドレスで登場する予定。土曜日にはみんなナターシャに投票するように呼びかけたい。参加国はすべて投票することができる(もちろんフランスは除いて)。デイヴとマルク=オリヴィエ・フォジェルの解説付きの放送はフランス3で21時から0時10分ごろまで。ナターシャ、がんばれ!

―2001/05/13 ナターシャはユーロビジョン・グランプリで第4位に終わった。第1位はエストニアのタネル・パダールとデイヴ・ベントンの歌う『Everybody』(198点)、第2位はデンマークのロロ&キングが歌う『Never ever let you go』(177点)、第3位はギリシアのアンティークが歌う『Die for you』(147点)、そして第4位がフランス代表ナターシャ・サン=ピエールの歌う『Je n'ai que mon âme』(142点)。フランスに12点を投票したボスニア、ロシア、ポルトガルには感謝しなければ。ナターシャはミス一つない歌唱。セリーヌ・ディオンは放送直前、少し彼女を呼び止めて励ましたそうだ。その黄金の声でナターシャはヨーロッパを制覇し、国際的なキャリアに一歩を踏み出した。

―2001/05/16 ユーロビジョンでの第4位という成績についてのナターシャのコメント記事。

「ナターシャ・サン=ピエールは第4位を喜んでいる

フィリップ・ルノー『ラ・プレス』

審判はモントリオール時間で昨日18時に下った。歌手ナターシャ・サン=ピエールはユーロビジョンの壮大なコンクールでフランス代表として、5月初めに発売されたセカンド・アルバム『À chacun son histoire』からのバラード『Je n'ai que mon âme』を歌い、第4位を勝ち得た。

(中略)

『私の目標は5位以内に入ることだったの。だから目標は達成したわ!』。結果の公式発表から数分後、ナターシャは喜びをあらわにした。輝かしいコンクールの第46回大会の結果に失望した様子は全くなく、ナターシャは自分の歌に十分満足している様子だった。『ステージの上では気分が良かったし、だから自分自身に満足しているの。こういうイベントってとてもプレッシャーだけど、終わった今ではずっと気分がいいわ』

そのプレッシャーは、彼女のマネージャであるギィ・クロティエも感じていた。彼は彼女の新たなキャリアの階段となる新しい舞台に付き添っていた。『ああ、プレッシャーの1週間だったよ。ガルーとのコンサート・ツアーを終えたばかりだったからね。先月4月3日のアルバム発売以来、プロモーションで駆けまわっていたし。だから結果にはとても満足しているよ。とくに去年は23人が参加して、フランスは23位だったんだからね!』

実際フランスはここ8年ほど良い数字を残していなかった。そしてコンクールで優勝したのは1977年のことだ...。今年は皆が期待をかけていた。ヌーボー・ブランシュヴィック出身の歌手ナターシャは、リハーサルの段階ですでに印象的で、多くの人々が彼女に注目していた。(中略)

『ここに来たことで多くのことを学んだわ。巨大なショーウィンドーのようなもので、世界中のとてもたくさんの人たちに見てもらえたわけだし。でも何よりこの経験そのものが貴重だった。プレッシャーの中でも歌えるようになったという意味でね』

しかしコンクールが終わったからといって、20歳の歌手ナターシャは休みを取れるわけではない。パリで1週間のプロモーション活動の後、モントリオールでもう1週間のプロモーション、続いてまたフランスに戻ってくる。『この夏はケベックで2か月を過ごすはずよ。一つは新しいアルバムの録音と、もう一つは休みをとるためにね』」

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2006/02/05

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/02-05/10)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/02 フランスのテレビ局、フランス3でナターシャに関するルポルタージュが放送された。

―2001/05/02 J.キャプレ作曲のシングル『Je n'ai que mon âme』発売。カップリングは同曲の英語版『All I Have Is My Soul』とアルバム『À chacun son histoire』収録の『Près d'une autre』の2曲。

―2001/05/03 ナターシャが前座をつとめるガルーのコンサート最終日。3月29日から始まって、特にオランピア劇場での4月2,3,4,14,15,16が評判だった。今後ナターシャは来週開催されるユーロビジョンの準備に専念する。いよいよ秒読みが始まった!

―201/05/04 ナターシャは23時20分から放送のマルク=オリヴィエ・フォジェル司会のフランス3の番組『On ne peut pas plaire à tout le monde(みんなに好かれるなんて無理)』に出演。マルク=オリヴィエは、デイヴとともにフランス3のユーロビジョン中継の司会をつとめる。ナターシャはLââmとソフィア・メタリ(2000年ユーロビジョンのフランス代表)の横にすわっていた。いつもどおりナターシャはリラックスして感じのいい雰囲気。5月12日のユーロビジョンでは『Je n'ai que mon âme』の3番の歌詞を英語で歌うと話した。

―2001/05/09 『Télé Star(テレビスター)』誌と『Gala』誌の今週号にナターシャの記事。

「『Télé Star』誌

ユーロビジョンでフランス代表となるカナダ女性歌手

ナターシャ・サン=ピエール『私は「新セリーヌ・ディオン」じゃない』

その晩、コペンハーゲンで、彼女はフランス代表として戦う。20歳のナターシャ・サン=ピエールはカナダのスターだ。ガルーはコンサートの前座に彼女を選んだ。

TÉLÉ STAR:一人のケベック女性としてユーロビジョンはどういう存在ですか。
ナターシャ・サン=ピエール:私はケベックの人間じゃないって!カナダの南東にあるヌーボー・ブランシュヴィックというところの生まれです。私たちの国ではユーロビジョンと言っても誰も知らないわ!この2月になって初めて、みんながユーロビジョンのことを話すようになったくらいかな。私の所属しているレコード会社がロベール・ゴールドマン(ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟)作曲の歌を歌うように提案して、コンクールのフランス代表選定委員会で歌ったの。私が選ばれたと知ったのは、4月だった。
TS:ラッキーだったと?
ナターシャ:フランス代表として歌いたいっていう思いはあったから。みんなが私を励ましてくれたのでとても感動したの。舞台では、日に日に(ナターシャはガルーのフランス・ツアーで前座をつとめている)私の歌を受け入れてくれて、今では覚えていっしょに歌ってくれているの。感動的だわ。
TS:昔から歌手になりたかった?
ナターシャ:音楽の先生がコンサートで歌うように誘って下さったのは8歳のとき。それ以降、舞台が好きになったの。バンドといっしょに舞台に立って、マイクを握って、さあ歌うわよ!って。14歳でファースト・アルバムを録音して(フランスでは未発売)、17歳でモントリオールで一人暮らしするようになったの。リュック・プラモンドンが私を『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役に選んでくれたのは、カナダのモントリオールにいたときね。
TS:みんなが声高にセリーヌ・ディオンと比べるのはイライラする?
ナターシャ:むしろ褒め言葉だと思ってるわ。だってセリーヌは、ずっと幼い頃から私のあこがれの歌手だから。でも、そんな風に言われると恐い気もする。私が彼女のマネをしたがっていると思ってほしくないから。私たちの違いもちゃんと見てほしいと思う。
TS:間違いなくこんなに忙しい中で、プライベートの時間はあるの?
ナターシャ:当面は何より仕事ね。私の最初の2枚のアルバムはカナダではとてもよく売れたの。この夏にはサード・アルバムを録音する予定。今度も成功するかですって?それはみなさん次第ね。」

―2001/05/10 ソニー・フランスの協力で、ナターシャはフランス国境にもっとも近いドイツ・ザール地方のザール・ラジオに出演。「ミュージックマガジン」という番組の「DOUCE FRANCE」と「FRENCH CONNECTION」というコーナーに出演し、シングル『Je n'ai que mon âme』が放送された。(『DOUCE FRANCE』は週一回フランス音楽を紹介するドイツ唯一のラジオ番組。1999年6月15日の初放送以来、最新のフランス音楽をドイツに紹介している。始まった当初は1920年代から70年代のオールディーズだけを放送しており、2:00までの45分間の放送。エディット・ピアフ、フランシス・キャブレル、シャルル・アズナヴールなどのフランスの歌手、フランコフォリなどの大きな音楽祭、ドイツで活躍中のフランス人歌手などを紹介。音楽の面でザール・ラジオは素材に事欠かない。ドイツ全土でもフランス音楽のコレクションは最も充実している。『DOUCE FRANCE』はビストロ音楽の録音も放送している。1996年からは、ラ・トルドュ、ヴィルジニ・ラミール、モワナ・エリクソン、エンゾ・エンゾ、ケントなど、現代の歌手も掘り起こして紹介し、国境をはさんで両側にいるフランス好きを楽しませている)

―2001/05/10 ナターシャにとって有望な記事が掲載。「第46回ユーロビジョン・グランプリ:フランスが一番人気」

「第46回ユーロビジョン・グランプリ:フランスが一番人気

2001/05/09 コペンハーゲン(AFP)―23人の候補を迎えてコペンハーゲン、パルケン・スタジアムで土曜日に開催される第46回ユーロビジョン・グランプリで、スウェーデン、スロヴェニアとならび、フランスが一番人気となっている。38,000人の聴衆と、1億から
1億2000万人のテレビ視聴者がその模様を見守る。

ナターシャ・サン=ピエールの『Je n'ai que mon âme』を聴いた後、多くの人々が『Listen to your heartbeat』を歌うスウェーデンの3人組フレンズや、『Energy』を歌うスロヴェニアのヌーザ・デレンダよりも、このカナダのフランス語圏出身の歌手を選んだ。

デンマークの国立競技場パルケン・スタジアムでの非公開リハーサルで、ナターシャ・サン=ピエールは印象的な声で、ライバルたちも含めて人々の心をつかんだ。

しかし彼女は、もう彼女のグランプリは間違いないだろうと思っている人たちを前にしても謙虚である。『人気のアーティストに入るだけでも光栄だわ。私にとっては、トップ10に入れば十分。上から5番目までに入れば幸せね。競争するのはとても好きだけど、負けたからといってうんざりしたくはないの!』と彼女は言う。

ナターシャ・サン=ピエールはケベックでの名声は高く、1988年、20歳でユーロビジョンのグランプリを受賞したカナダ人のセリーヌ・ディオンと比べられることに『満足』している。『セリーヌ・ディオンと比べられるのはうれしいことだわ。彼女には才能があるし、お気に入りのアーティストの一人だし。でも彼女のように歌いたいわけではないの』と20歳のナターシャはそう打ち明ける。ナターシャは8歳のときから歌っているのだ。

ユーロビジョンは公共テレビ放送局のデンマーク・ラジオ系列で放送されるが、記録的な観客数の恩恵を受けるだろう。

毎年開かれるこのヨーロッパの歌の祭典は1956年に始まったが、今回はユーロビジョンの歴史で最も重要となるだろう。

昨年のストックホルムでは18,000人だった観客が、今回主催者側では記録的な38,000人を期待している。主催者はスタジアムに350平米の巨大な舞台と、330平米のスクリーンを5個設置する。

またヨーロッパからカナダ、オーストラリア、日本、韓国にまでテレビ中継され、世界中の視聴者は1億2000万人と見積もられている。こちらも過去最高の人気となる。

さらに予算も6,000万クローネ(804万ユーロ)と過去最高。デンマークの人々はこのコンクールを観光の目玉になるとして、予算を惜しまずつぎこんでいる。

2回のリハーサルと土曜日のフィナーレに携わるスタッフはのべ8万人。土曜日のフィナーレは前売り券のみの入場となっている。

ブラックマーケットでチケットを手に入れたければ、グランプリのファンは350クローネ(47ユーロ)の立ち見席に3,000クローネ(402ユーロ)をためらわず払わなければならない。そして座席の場合は7,000クローネ(938ユーロ)になるだろう」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/04/21-04/30)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/04/21 フランスのテレビ局フランス2のティエリー・アルディソン司会の番組『Tout le monde en parle(みんなのウワサ)』(TV5でも再放送中)に出演。ナターシャはリラックスして微笑みながら登場。はっきりしない質問もあったが、ナターシャはくつろいだ雰囲気で答えていた。(当然のことながら)「初体験インタビュー」を受けることになった。初めての思い出は、従姉妹のベッドの上で飛び跳ねていたとき背中をケガしたときのこと。初めてのショックな出来事は、4歳のとき電気のコンセントに鍵を差し込んでしまって感電したときのこと。初めて悪いことをしたのは、ウソをついたこと。でも両親からビンタされるようなことは決してなかったとか。初めてあこがれたアイドルはセリーヌ・ディオン。そしてインタビューの中で、15歳のときは波乱に満ちた一年間だったこと、彼女はタバコをすわないこと、などが分かった。ちなみにタバコを吸わないことを、アラン・ド・ラ・モランデ氏はしきりに褒めていた(パリ在住の作家・評論家・映画監督らしい。アラン・ド・ラ・モランデ Alain de La Morandais のブログはこちら)。最後に彼女が初めて身につける最も美しい洋服は、今度の5月12日、ユーロビジョンでの衣装になるだろう。

―2001/04/24 フランスのテレビ局TF1のクリストフ・ドシャヴァンヌ司会の番組『Ciel mon mardi!(うれしい!私の火曜日)』に出演。『Je n'ai que mon âme』の一部を歌った。マルク=オリビエ・フォジェルとともに5月12日、フランス3のユーロビジョン中継で司会をつとめるディヴが見守る中、いくつかの質問に答えた。

―2001/04/28 ミシェル・ドリュッカー司会の『Tapis Rouge Spécial Séductrices(レッド・カーペット~魅惑の美女スペシャル)』に出演。『Je n'ai que mon â』を歌い、司会のミシェルと数分間おしゃべり。ミシェルは彼の選んだ曲を歌ってほしいと提案。その曲はダニエル・バラヴォワンヌの『Tous les cris des S.O.S(SOSと叫ぶ声)』。

―2001/04/29 TV5の『L'invité(招待席)』に出演。

―2001/04/30 雑誌『7 jours(1週間)』に「インターネットのナターシャ・サン=ピエール」という記事掲載。

「インターネットのナターシャ・サン=ピエール

『Je n'ai que mon âme』という曲はナターシャ・サン=ピエールが来月5月、デンマーク、コペンハーゲンで開催される第46回ユーロビジョン・コンクールで歌うことになっている曲だが、アルバム『À chacun son histoire』のフランス版に収録されている。しかしケベックで発売されている版には未収録だ。そういうわけでケベック州のナターシャ・ファンはこの秋に次のアルバムが発売されるまで待たなければならない。しかし待ちきれないなら、Webサイト www.eurosong.net でこの曲をダウンロードできる。1988年にセリーヌ・ディオンがスイス代表としてユーロビジョン・コンクールに参加し、優勝したときのことを思い出してみれば、当時フランス代表のララ・ファビアンは第3位に終わった。そのほかの歌手たちも、ユーロビジョン・コンクールに出演することで、国際的な舞台で有名になっている。特にスウェーデンのABBA(アバ)や、ジュリオ・イグレシアス、ナナ・ムスクーリ、フランス・ギャル、オリヴィア・ニュートンジョンなどが有名な例だろう」

―2001/04/30 ケベックで発売されている雑誌『Echos Vedettes(女性スターのうわさ話)』と『7 jours(1週間)』に新しいナターシャに関する記事が掲載。

「名声を確立したナターシャ・サン=ピエール

『幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』

セリーヌ・ディオン以来、カナダ人の女性スターが多国語で出版されている『Oh La!』誌の巻頭を飾ることはほとんどなかった。同誌がセリーヌの赤ん坊、ルネ=シャルルをケベック州に初めて紹介して大成功を収めたように、今度は発行部数を増やしてケベック州の読者たちに巻頭で女性スターたちを紹介した。ナターシャ・サン=ピエールは同誌のケベック版の第一面に選ばれたが、20歳の若い女性歌手にとってまさに素晴らしい出来事だった。
私たちはリヨンで数時間後に舞台を控えていたナターシャに直接インタビューすることができた。フランスでガルーのコンサートの前座をつとめて以来(すでに20回以上に及ぶ)、彼女は観客の反応に感動している。『コンサートが始まる前、いつもホールの観客はガルーの名前を叫んでいるの。でもブザンソン公演で、とても特別なことが起こったわ。舞台袖にいたとき、みんなが私の名前を叫ぶのが聞こえてくるの。幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』

すべてがつながっている

ナターシャがユーロビジョン・コンクール(セリーヌ・ディオンが1988年にスイス代表として優勝している)でフランス代表をつとめることは、フランスではようやく人々が知るようになったばかりだ。『ソニーはジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟、J.キャプレが作った「Je n'ai que mon âme」で出演することを決めたの。審査員は十数人いた他の候補者の中から、今度の5月12日にデンマークのコペンハーゲンでフランスを代表する歌手として私を選んだの。とても光栄に思ったし、その信頼にぜひこたえたいと思っているわ』

ナターシャにとってはすべてがつながっている。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役でフランスで知られるようになった後、『Oh La!』誌の巻頭を飾った。巻頭を飾ったのはケベック版だったが、取材などはすべてパリで行われた。『あの取材ではH&K事務所の写真家、リュック・ルーと一日を過ごしたわ。あのとき撮影してもらった写真は他の雑誌にも使ってもらえたし。リュック・ルーはイザベル・アジャーニや、ソフィー・マルソーのような大スターの写真も撮影した人なのよ。ほんとにうれしかった』

ユーロビジョンに参加するために、ナターシャはガルーのコンサートの前座をジュリー・ゼナッティに譲らなければならないだろう。『ガルーは5月12日にコンサートを終える予定で、私は4日から12日までコンクールのためにデンマークに滞在するの。だから「ノートルダム・ド・パリ」では私が彼女の代役をしているので、今度はジュリー・ゼナッティがガルーの前座をつとめることになったの』

ナターシャの場合、スケジュールは非常にタイトだ。5月半ば、ケベックに帰るとすぐに
サード・アルバムの録音のためにスタジオに入る。『すべてがうまくいけば、アルバムは秋には発売できると思うわ。その後、みんなの反応にもよるけど、ソロコンサートを開くかもしれない。でも今のところは、ガルーの前座として歌う6曲に集中することね(そのうちの1曲、『Tous les cris, les S.O.S』は当地ではマリー・ドニズ・ペレティエが歌って有名になった)。ほんとにすべてのことがうれしいわ。とてもうまく行っているの』

彼女は大好きなツアーで多忙なので(彼女によれば『私、ギャングの素質があるのかも』とのことだが)、恋愛について考えるひまはないようだ。『今のところ本当に恋人はいないの。でも人生を賭けてもいい人に出会ったら、何とか彼のための時間を作るようにするつもりよ』」

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2006/02/04

久しぶりに普天間かおりの歌声『花星賛歌』

■今日までまったく気付かなかったのだが、何とテレビ東京系放送『美の巨人たち』で、いまエンディングテーマになっている『花星賛歌』(はなほしさんか)という曲を歌っているのが普天間かおりではないか。しばらく訪れていなかった普天間かおり公式Webサイトもこの曲のジャケットがトップページになっている。『美の巨人たち』でつかわれているのがロシア語バージョンなので、普天間かおりだと分からなかった。相変わらず美しい歌声。沖縄中心の活動で、東京のマスメディアではなかなかお目にかかれないのが残念だ。


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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(1995/01-2001/04/19)

■今回もナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)の経歴の続きを翻訳しようと思ったが、続きの部分は彼女のコンサートやディスコグラフィの羅列で面白みがない。事実としての彼女の経歴についてはLe site de référence sur NATASHA ST-PIER (ナターシャ・サン=ピエール情報サイト)という網羅的なWebサイトが見つかった。このサイトでは1995年、彼女が歌手として最初の契約を結んでから現在までの、公演、テレビ出演、ゴシップ誌の記事、アルバム、シングルなどが時系列で紹介されている。

―1995/01 最初の契約に署名(プロダクション・ミ・レ・ラ)
―1995/07 モーリス・タンゲ基金(病気や体に障害を持つ子供たちのために1991年にカナダ、ケベック州で設立された基金)のテーマソングを録音
―1996/02スティーヴ・バラカットによるファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音
―1996/08ギィ・クロティエ・コミュニケーションズによるアルバム『Emergence』のトリプルリリース
―1996/09 アルバム『Emergence』からのファースト・シングル『Il ne sait pas(彼は知らない)』が13位に
―1996/09 アルバム『Emergence』からのセカンド・シングル『Sans le savoir(知らないあいだに)』のビデオクリップ発売
―1997/02 『Sans le savoir』のビデオクリップがデコント・ミュジーク・プリュスで第1位に。
―1997/03 『Sans le savoir』がラジオ・カナダのチャート5位に。
―1997/04 アルバム『Emergence』からのサード・シングル『Portés par la vague(波に運ばれて)』発売
―1999/10 ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』に出演
―2000 『ノートルダム・ド・パリ』の英国公演に参加、「フルール・ド・リス」役。
―2000/11/10 フランスのテレビ局TF1のヴェロニク・クロティエ司会の番組「La Fureur(フィーバー)」に出演。ガルーとデュエットでジョー・コッカーの曲『Up Where We Belong』を歌う。
―2000/11/25 この日、ナターシャを初めてフランスとベルギーのテレビに『Tapis Rouge(レッド・カーペット)』という番組で出演させたのはミシェル・ドリュッカー氏。番組の中でナターシャは『Tu m'envoles(あなたは私を飛び立たせる〔訳注:s'envolerは再帰動詞としてしか使わないはずだが〕)』を歌った。
―2001/03/28 Yahoo!フランスのニュースにナターシャの記事。「ユーロビジョンのフランス代表は誰?」。

「間もなく開催されるユーロビジョン・グランプリでフランスのために戦うのは『ノートルダム・ド・パリ』でブレイクしたカナダの女性歌手。ナターシャ・サン=ピエールは実際フランスではまだ知られていない女性歌手だが、第46回ユーロビジョン・コンクールにわが国代表として出演し、3月12日のコペンハーゲンでの模様はフランス3で生中継される。この20歳の少女はガルーと同じヌーボー・ブランシュヴィック出身、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役(フランスではジュリー・ゼナッティが演じた)で注目され、ケベックやロンドンでもこの役を演じた。また2001年4月2, 3, 14, 15, 16とオランピア劇場で開催されるガルーのコンサートの前座を担当する。彼女のセカンド・アルバム『À chacun son histoire』は4月3日に発売。コンクールではこのアルバムからのシングルカット曲『Je n'ai que mon âme』を歌う。この曲は誰もが知るゴールドマン兄弟のロベール・ゴールドマン作曲。昨年のコンクールではソフィア・メタリが最後から2番目だったため、ナターシャ・サン=ピエールはソフィアより悪くなりようがなく(よほどの不運がおとずれないかぎり)、両肩に何のプレッシャーもなく旅立つ。」

―2001/03/29 フランスのテレビ局、フランス3でジュリアン・ルペール司会の番組「Questions pour un champion(チャンピオンに質問)」に出演し『Je n'ai que mon âme』を歌う。

―2001/04/01 「ケベック音楽情報」に記事「第46回ユーロビジョン・コンクールにナターシャ・サン=ピエール参加」掲載。

「1956年以来、欧州参加国の楽曲から毎年1曲が栄冠に輝く有名な歌のコンクール、ユーロビジョンの第46回が2001/05/21夜に開催される。歌の国民性は何よりも作曲家の出身国によって決まるもので、作曲家は自分で歌手を選ぶことができる。そういうわけでダブリンで開催された1988年にはスイスを代表してセリーヌ・ディオンが『Ne partez pas sans moi(私をおいて行かないで)』でグランプリを受賞、同じ年にはララ・ファビアンがルクセンブルク代表で出演した。2001年の今回は、ナターシャ・サン=ピエがフランスを代表し、ロベール・ゴールドマン作曲『Je n'ai que mon âme』を歌う。ちなみにロベール・ゴールドマンは、わがセリーヌ・ディオンがリスペクトする作曲家の一人、ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟だ。ユーロビジョン2001はデンマーク、コペンハーゲンにあるパルケン・スタジアムから生中継され、23か国が代表を送り込む。ユーロビジョンで賞を得た楽曲は羨望の的となるが、1965年のユーロビジョンで、セルジュ・ゲンスブール作曲、フランス・ギャルが歌った『Poupée de cire, poupée de son(夢みるシャンソン人形)』ほどの成功を収めた曲はない。その他の受賞者としては、1960年ジャクリーヌ・ボワイエ(フランス)の歌った『Tom Pillibi』、1966年ウド・ユルゲンス(オーストリア)の歌った『Merci ch&ecute;rie』、1967年サンディ・ショー(英国)の歌った『Puppet On A String(あやつり人形)』、1971年セヴェリーヌ(モナコ公国)の歌った『Un banc, un arbre, une rue(ベンチ、樹、道)』、1974年アバ(スウェーデン)の歌った『Waterloo(ウォータールー)』、1988年セリーヌ・ディオン(スイス)が歌った『Ne partez pas sans moi』、1999年シャルロット・ニルソン(スウェーデン)の歌った『Take Me To Your Heaven(あなたの天国に連れてって)』、2000年オルセン・ブラザーズ(デンマーク)が歌った『Fly On The Wings Of Love(愛の翼に乗って)』。歌われる歌の完全なリストと最近の受賞結果は、几帳面なファンのWebサイトにあるユーロビジョン・データベースで検索できる。ナターシャの話に戻ると、彼女は3月28日からガルーとともにフランス・ツアーを行っている。そして彼女のアルバム『À chacun son histoire(それぞれの愛の物語)』はソニー・ミュージック・レーベルから2001年4月3日火曜日に発売される。ユーロビジョン・コンクール公演は各国で同時生中継される」

―2001/04/01 ナターシャはフランスのテレビ局フランス2のミシェル・ドリュッカー司会『Vivement Dimanche(日曜日が待ち遠しい)』に出演。『Je n'ai que mon âme』を歌う。

―2001/04/03 ナターシャに関する記事。

「ナターシャ・サン=ピエールはセリーヌの軌跡を歩む・・・もしセリーヌ・ディオンが好きなら、ナターシャ・サン=ピエールも好きになるだろう。ケベックのスター、ナターシャは15歳でファーストアルバムを録音。リュック・プラマンドンが『ノートルダム・ド・パリ』のケベック公演、欧州公演で彼女を「フルール・ド・リ」役に抜擢。以来、彼は彼女のニューアルバムにいくつか詞を提供し、この春『À chacun son histoire』として発売。20歳にしてナターシャは話題の人となり、3月5日と、4月14,15, 16日、オランピア劇場でのガルーのツアーの前座をつとめる。セリーヌ・ディオンのように、このカナダ人の少女は5月21日のユーロビジョンでフランスを代表する。Tabernacle!(訳注:訳し方が分からない)」

―2001/04/03 セカンド・アルバム『À chacun son histoire』発売。
―2001/04/09 サーシャ・ディステル司会のフランス3のテレビ番組『En attendant l'Eurovision(ユーロビジョンを待ちながら)』に出演。彼女の曲『Je n'ai que mon âme』を二度歌った。TV5での再放送はない。
―2001/04/17 フランス2のローラン・リュキエ司会のお笑い番組『On a tout essayé』でナターシャが取り上げられた。番組スタッフは『Je n'ai que mon âme』を検証し、ダン・ボランデは自らのレポートの中で、オランピア劇場でのガルーのコンサート出演以来、カナダ人歌手がユーロビジョンでフランス代表となることに抗議していると述べた。ダンのインタビュー・カフェのコーナーではナターシャは今までになく好感の持てる態度で接し、スタッフは彼女の優しさを強調。歌に関しては、意見が割れた。
―2001/04/19 カナダの『CANOE』誌にナターシャの記事。

「『ここまでやってこれたことに満足しています。すべてがうまくいけばいいと願っていますが、期待しすぎてもいけないでしょうね』。翌日のパリのオランピア劇場での公演でガルーの前座をつとめる前、ナターシャ・サン=ピエールは浮き足立っていた。『公演前にそれほど緊張することはないんです。本当に緊張するのは舞台に上がるほんの5分前。でも歌い始めると、気持ちがすっかり入れ替わります』。舞台に上がる直前、ガルーは彼女を前座として紹介するのがほとんど恥ずかしいくらいだったと語る。ずっと以前から彼女は一人で舞台に立っていたのだから。そしてヌーボー・ブランシュヴィック出身のナターシャは今やもっぱら賞賛を浴びるようになった。彼女は6曲を歌い、スタンディング・オベーションを受けた。オランピア劇場の前座としては初めての出来事だ。『公演の後、コカトリックス夫人(長らくオランピア劇場のパトロンだったブルーノ・コカトリックス氏の未亡人)が私に会いにいらして、目に涙をいっぱいにためてお祝いの言葉を頂いたの。とっても感動的な瞬間だったわ。彼女、前座をつとめたアーティストのために観客が立ち上がるのを見たのは初めてだって言ったの』とナターシャ・サン=ピエールは話した。オランピアの後、ナターシャはガルーとともにフランス・ツアーに出た。『各地を訪れるのにいくら時間があっても足りないくらいです。とっても忙しい日々でした。フランスではたくさんのプロモーション活動があったし。私のアルバム『A chacun son histoire』がカナダでも発売されました。たくさんインタビューを受けて、午後の終わりには音声のチェックのためにコンサート・ホールに入らなきゃいけなかったんです』。ナターシャは5月半ばにケベックにもどるつもりだ。『今年の夏は、ニュー・アルバムの録音のためにスタジオにこもる予定です。当面何が待ち受けているのかよく分かりません。あまりに多くのことが起こりすぎて。ユーロビジョンの後は、全てのスケジュールを再調整すると思います』。ユーロビジョンと言えば、彼女が5月12日にコペンハーゲンでフランス代表歌手として歌うことはすでにご存知の通り。先週末にはフランスのテレビでこのコンクールを取り上げたスペシャル番組『ユーロビジョンを待ちながら』が放送された。残念ながらケベックのTV5ではこのスペシャル番組は再放送されない。この放送の中で、ガルーはナターシャ・サン=ピエールを、自分がコンクールに推薦したのだと紹介した。コンクールでは彼女は『Je n'ai que mon âme』を歌う。ジャン=ジャックの兄弟であるロベール・ゴールドマンの作曲だ。このコンクール、第46回ユーロビジョンは、昨年33か国7億人に向けて放送された。セリーヌ・ディオンは1988年に『Ne partez pas sans moi』を歌ってグランプリを受賞している。」

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2006/02/02

フランスの人気実力派歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)

■今フランスでナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)という女性歌手が人気らしい。たまたま愛用のmp3ダウンロードサイトにフランス語の題名で新譜が掲載されていたので、購入して聴いてみると、エレクトロポップのわりに非常に上品かつ繊細なアレンジで、何より歌い手のファルセットが美しい。しかも1曲目のイントロでいきなり「オハヨ、スミマセン、コンニチハ」と片言の日本語をしゃべっている。

これはインターネットで検索して調査しなければと思い立ち、Natasha St. Pierの公式サイトを見つけた。このサイトで新譜『Longueur d'Ondes(波長)』の1曲目、『Un Ange Frappe A Ma Porte(天使が私の戸をたたく)』のプロモーションビデオを見ることができる。このビデオは必見である。ああ、やっぱりフランス人もいまだに中国と日本の区別がついていないんだな、いつになったら西洋人は日本について正しいイメージを持ってくれるのだろうか、と嘆かずにはいられない内容になっている。

ビデオにおける日本文化の描写がとんちんかんなのはどうでもいいとして、とにかくPOPSとしては僕の非常に好きな部類の優美なつくりである。ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)のファルセットの美しさは、クランベリーズの影響を受けて歌唱法を変える以前の王菲(フェイ・ウォン)にとても似ている。日本人の女性歌手でここまで伸びのある艶やかなファルセットを聴かせてくれるのは、たとえば岩崎宏美くらいしか思い浮かばない。

ナターシャのファンサイトNatasha St-Pier - Onlineから経歴を翻訳しておく。

「1981年2月10日、カナダのヌーボー・ブランスヴィック州バトゥルスト生まれ。幼い頃から歌に愛着をもち、8歳のときアマチュアのショーで初舞台をふむ。力強く心を動かすたぐいまれな声によって、ほどなくカナダの人々を魅了する。初舞台の後に多くの公演や舞台に参加。

しかし本当の意味でのデビューは1992年、12歳のとき。Sweet People(スイスのイージー・リスニング系ボーカル4人組グループ)の公演へアラン・モリゾー(Sweet Peopleのメンバー)に招待されて参加した。同じ年、テレビに初出演。ナターシャは地域では有名人になった。

しかし誰もが知るスターになる前、ナターシャは優秀な学生でもあった。クラスではトップの成績で、生物学科に入学する準備をしていた。ちょうどその頃、歌の力で彼女は冒険の世界へと旅立つことになる。

1993年がその旅立ちを決定付けた年だ。彼女は「歌の力」というケベック州のコンクールに出演し、史上最年少のチャンピオンになったのだ。その後、彼女はためらうことなく多くのテレビ番組に出演するようになった。同じ年に最初の事務所と契約することになり、歌手の仕事にいっそう力を入れることができるようになった。

2年後の1995年、『Le parcours du coeur(心の路程)』という曲で、彼女はカナダ全土の60以上のラジオ局で注目されるようになる。そして1996年夏、スティーヴ・バラカットのプロデュースによるファーストアルバム『Émergence(出現)』を発売する。多くの人々が、たった15歳のアーティストの、衝撃的で驚くほど成熟したその声を初めて耳にした。このアルバムから多くの曲がケベック州のヒットチャート上位にランクインした。
1999年、18歳のとき、ナターシャ・サン=ピエールは新しい出発をとげた。ギィ・クルティエにプロデュースを依頼する重要な契約を結んだのだ。クルティエは彼女の中に将来の大スターの素質を見抜いていた。
同じ年、今度はリュック・プラマンドンがこの若い天才歌手の手をとり、ヴィクトル・ユーゴー原作のミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ドゥ・リ」役を託した。彼女のたぐいまれな声はすべての批評家の注目の的となり、本当に彗星のように現れた才能だと評された。

勢いに乗った彼女は