AKB48総選挙は秋元康による若年層の搾取である
大島優子が前回トップの前田敦子を破り、AKB48の総選挙で1位になったらしい。全くどうでもいいニュースだ。
それでもここで取り上げたのは、秋元康のAKB48ビジネスが、「貧困ビジネス」の一種ではないかという気がしてきたからだ。
秋元康のAKB48プロジェクトは、すでに秋元康という一人の金持ちによる、若年層のワーキングプアの搾取の域に達しているのではないか。
昔のアイドルの音楽賞争奪戦は、レコード会社や所属事務所という法人がアイドルを育てるための資金を拠出していた。レコードの売上は、飽くまでその結果としての売上にすぎなかった。
ところがAKB48は、アイドルを育成する資金の部分まで、CD購入という形でファンたちに拠出させようというビジネスモデルで、レコード会社や所属事務所としては、非常に投資効率がよい。
逆に言えば、ファンたちは体よくボラれている。
秋元康がアイドルを育成する原資そのものを、ファンから集めるために、「ファン参加型」という美名のもと「総選挙」を行い、「CDを買わなければ投票権を得られない」と、投資をなかば強要している。
ファンは自分が特定のメンバーを応援したくて、自己責任でCDを買うのだから、自分には何の責任もないと、秋元康は言うだろうが、それこそ大人の無責任だ。
AKB48のファンはCDを購入するという「投資」に対し、自分が投票したメンバーが1位になるかもしれないという「リターン」を期待している。
メンバーが1位になることは確かに物理的、金銭的な「リターン」ではないが、AKB48のファンにとっては実質的な意味を持つ、事実上の「リターン」になる。秋元康はそれを分かった上で、ファンに「投資」させている。
「総選挙」というビジネスモデルによって、秋元康は、AKB48の付加価値を産み出すために、自身の資金をできるだけ食いつぶさず、そのつどファンから資金を集めて付加価値を産み出す原資にする仕組みを考え出したことになる。
例えば、ふつうの商品の例で考えると、こんな感じになる。
携帯電話会社が、携帯の新機種を10種類売り出すことになったとする。
そこで消費者に、それぞれの機種の優先的な購入権を数千円で売り出し、もっとも人気を集めた機種の販売価格を、その機種の購入権を買った消費者だけ大幅に値下げする。
AKB48「総選挙」で秋元康がやったのは、ほぼこれと同じことだ。
消費者の購買動機が違うだけで、消費者が金銭を支出していることに変わりはない。この携帯電話の例でも、値下げの便益を受けられたとしても、消費者にとっては差し引きマイナス、つまり支出があるだけだ。
どちらも消費者の動機づけにつけこんで、ある種の「投資」するように誘導し、消費者どうしの「投資」行動の結果だけに基づいて、「投資」した消費者の一部だけに「リターン」を配分するというスキームは同一だ。
この意味で、AKB48の「総選挙」は、秋元康が株式市場を勝手に開設したのに限りなく等しい。
株式市場は、特定銘柄を購入する人数が多ければそれだけ株価が上がり、その株を購入した人だけが、売却益を得る可能性を手に入れる。
AKB48の「総選挙」もほぼ同じことだ。
自分がより多くCDを購入して特定メンバーに投票すれば、そのメンバーが1位になる可能性が高まり、自分たちだけが「そのメンバーが1位になった」という「リターン」を得られる。
CDに収録されている楽曲が良いかどうかなどは、CDの購入動機とまったく無関係になっている。AKB48のファンは「総選挙」においては、ただ「投資」(=投票権を得ること)のためだけにCDを買う。
倫理的に言って、これは明らかに音楽家のやるべきことではない。
秋元康は若年層から「総選挙」という、自己責任の動機づけを装った巧みなスキームで、AKB48という事業の運転資金を搾取していると非難されても、仕方ないのではないだろうか。
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