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2009/07/11

児童ポルノ「単純所持」禁止のバカさ加減(1)

ユニセフによれば、児童ポルノの単純所持を禁止していないのは、先進8か国中、日本とロシアだけとのことで、自民党、公明党、民主党の3党が、ようやく禁止の方向で合意したとのこと。

日本が「児童ポルノ天国」になっていて、規制が必要なのは当然だ。

ただ、2つ素朴な疑問がある。

1つめの疑問は、なぜ「児童ポルノ」というものに限って、「単純所持」が法律で禁止されるのか?

2つめの疑問は、「単純所持」とはどういう意味か?

まず1つめの疑問。なぜ児童ポルノに限って単純所持が法律で禁止されるのか?他にも単純所持を禁止すべきものが、たくさんあるのではないか?ということ。

児童ポルノの「製造」と「販売」は、それによって金銭的な利益を得ようとする人が出てきて、子供たちが搾取の対象になる危険性に直結するので、禁止するのは妥当だ。

しかし「単純所持」の禁止は、児童ポルノを麻薬と同等に扱うことになる。

児童ポルノを楽しむことは、当然ほめられたことではないが、麻薬を楽しむことと同様、個人的な嗜好の問題だ。

それでも麻薬の「単純所持」が禁止されているのは、(1)依存性が原因で他人に危害を加える可能性があるから、(2)本人の健康被害が明白だから、この2つの理由からだろう。

(2)の本人の健康被害については、「自業自得」という観点からすると無視できる。

問題は(1)の理由だ。依存症になり、麻薬を手に入れるためなら人殺しでもやる、となると、他人に危害を加える危険性が高まる。

ただ、そうであれば、麻薬の販売を合法化するという方法がある。

実際に、タバコと酒は、「製造」「販売」「単純所持」のすべてが合法化された麻薬である。タバコも酒も依存性がある。本人の健康被害の点でも、過度の摂取は明らかに被害がある。

日本の政府が、タバコと酒を一種の「麻薬」と認めている証拠がある。これらの「製造」「販売」を規制する法律が存在するということがその証拠だ。国内のタバコの製造はJTの独占事業だし、酒の「製造」「販売」にも一定の規制がある。

自宅で勝手にビールを造れば、自宅で大麻を栽培するのと同じように、犯罪になる。

このように、タバコと酒の「製造」「販売」は、一定の規制がされている。しかし「単純所持」はまったく規制されていない。タバコと酒には依存性があることが明白なのに、「単純所持」が全く規制されていないのだ。

さて、児童ポルノの「単純所持」は、(1)依存性が原因で他人に危害を加えることにつながるだろうか?(2)本人に健康被害があるだろうか?

念を押しておくが、僕は児童ポルノの「製造」「販売」は、明らかに子供たちを経済的な搾取の対象にする危険性を生むので、禁止すべきだと考えている。

しかし、児童ポルノの「単純所持」を、タバコや酒の「単純所持」と比較した場合、はたして法律で禁止すべき問題かどうか、ということだ。

まず、(1)依存性が原因で他人に危害を加えることにつながるか?

児童ポルノに依存性があるなら、成人女性の登場する一般のポルノにも依存性があると考えないと無理がある。

一般のポルノには依存性がなく、児童ポルノだけに依存性があるということは、おそらくどんな科学的手法をつかっても立証不可能だろう。

たとえば、成人が児童の演技をして登場するポルノと、児童ポルノの間に、依存性の点で線を引くことはできない。

児童ポルノの愛好者が、依存性が原因で、じっさいに子供に性的な危害を加えるおそれがあるという理由で、「単純所持」を禁止するなら、同じ理由で、すべてのポルノの「単純所持」も禁止すべきである。

子供がレイプされるのは許されないが、大人がレイプされるのは許されるということか?

そんなことはない、と言うのなら、すべてのポルノの「単純所持」を法律で禁止すべきである。

さらに言えば、恐怖映画や残虐な殺人の場面を含む映像などの「単純所持」も、あわせて禁止すべきである。

たとえば、人体を切り刻むなどの残虐な殺し方を、たとえ特殊効果であれ再現した映像や、死刑執行の場面を集めたビデオなど。

児童ポルノに依存性があると仮定するなら、これらの映像に依存性がないという議論には無理がある。

要するに何が言いたいのかというと、「単純所持」は純粋に私的領域の問題であり、国家が足を踏み入れることを、どうやっても論理的に正当化できるはずがない、ということだ。

世の中には、愛煙家から、児童ポルノ愛好家、恐怖映画愛好家まで、いろんな嗜好をもった人間がいる。そういう嗜好そのものは私的な領域であり、それを法律という公的なもので規制すること自体が、ナンセンスなのだ。

児童ポルノ愛好家の頭の中には、たとえ目の前に児童ポルノがなくても、児童ポルノのイメージが存在する。恐怖映画の愛好家も同じことだ。

愛煙家は、じっさいにタバコを吸っていなくても、頭の中に、タバコを一服したときの気持ちよさがある。だからタバコをやめられないのだ。

そういう私的な嗜好、つまり、個人の頭の中のイメージに対して、物理的な対象、つまり、実際の児童ポルノ映像の「単純所持」を禁止しても、その人物の嗜好がなくなるわけではないので、実質的な効果がまったくない。

児童ポルノの「製造」「販売」を法律で禁止することは、子供に対する経済的な搾取を減らすことができるという点で、実質的な効果があり、意味のある法律だ。

しかし、児童ポルノの「単純所持」を法律で禁止しても、個人の嗜好を矯正できるわけではないので、実質的な効果がないのだ。

児童ポルノを根絶しようと思えば、需要と供給の両面を法律で禁止すればよい、というのが、この発想のもとにあるのだろう。

しかし、供給側は「製造」「販売」の禁止によって、実質的に流通量を減らす効果のある法規制ができるが、需要側、つまり「単純所持」の禁止は、人間の頭の中にあるイメージまで法律で規制できないので、法律を作っても全く効果がないのだ。

そこで2つめの疑問が重要になってくる。「児童ポルノの単純所持」とはどういう意味か?

児童ポルノ「単純所持」禁止のバカさ加減(2)へ続く)

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