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2009年2月の記事

2009/02/25

excite musicの中島美嘉インタビューを聞いて

また中島美嘉の話だが、エキサイト・ミュージックの最新アルバム『VOICE』についてのインタビュー動画が興味深かった。

アップテンポな曲は自分には合わないのではないかと思っていた、と彼女は語っているが、『STARS』や『雪の華』のような彼女の歌うバラードを聴いていると、バラードなのに、ある種のスピード感というか、ビート感があると思っていたからだ。

普通バラードのボーカルは、伴奏のテンポに対してゆったりめに歌うものだけれど、中島美嘉のバラードは専門的なことはよく分からないが、かなりインテンポか、やや前ノリ気味で、明るいノリが感じられる気がする。

そして、もう一つ興味深かったのは、彼女が歌手として昨年『VOICE』をリリースした後でも、「やっぱり自信はないんですけど、徐々に、『あ、やっていけるかも』という自信はついてきたんじゃないですね」と語っていることだ。

先日購入したDVD『KISEKI』の中でも、7年前の彼女は、芸能界で仕事をするとしても、歌手はいちばん可能性がないだろうと思っていた、と語っている。

自信を持ってしまったら、そこで成長は止まってしまう。こういうところにも彼女の歌手としての魅力があるのかもしれない。

...なんて二流音楽誌のようなことを書いている場合か。

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2009/02/24

林知行著『標準ポピュラーコード理論』を読んだ

宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読み終わった後、林知行著『標準ポピュラーコード理論(改訂新版)』を読んだ。

たまに気が向くと音楽理論書を読むのだが、やっぱり楽器がちゃんとできないと無意味だと感じる。ギターは全く練習していないので、簡単なコードしか弾けないし。

それでも、例えばD7→Db7→Cというコード進行のDb7は、単に経過コードじゃなくて、ドミナントコード(G7)の裏コードで、D7はさらにそのドミナント(ダブルドミナント)ということが分かっただけでも良かった。

よっぽどヒマがあったら中島美嘉の『STARS』のコード分析でもしてみたいが、「答え合わせ」ができないのであまり意味がない。

後半のスケールの話はまったく理解できなかった。そもそもコードによってAvoid(避けるべき音)がどのように決定されるのか、肝心なことが説明されていないので分からない。

まったく同じテーマの本で、3倍くらいの分量で、ていねいに解説してくれている理論書を読みたいが、プロのポピュラー・ミュージシャンはそんな本を書くヒマがないのかもしれない。洋書ならありそうかも。

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2009/02/23

中島美嘉シングル全曲カバー計画いちおう完了

中島美嘉シングル全曲カバー計画はいちおう完了。「いちおう」というのは、2009/03/04に新曲『GAME』がリリースされるから。DAMで配信されたら速攻で録音したい。

カバー計画最後の曲は『愛してる』。この曲はさすがに男が歌ってはいけないと思い、やめるつもりだったが、一曲だけ残すのも落ち着かないので、やはり録音した。

番外編で最新アルバム『VOICE』の最後の曲、柴田淳作詞・作曲の『声』も録音しておいた。これは本当に良い曲。もっと力を抜いて歌えるようになったら録り直したい。『桜色舞うころ』も。

YouTubeには【歌うペンギン】シリーズとしてアップしてある。
あえて直リンクは無し。

http://www.youtube.com/view_play_list?p=A7417C0A49DF8084

ニコニコ動画には「みっかみっか計画」ということでアップした。

初音ミクの「みっくみっく」じゃなくて、ボーカロイドに頼らず、男が中島美嘉シングル全曲カバーというアホらしいことをやっているので「みっかみっか」。

ニコ動は日本人しか見ないので「みっかみっか」は完全無視されるだろうけど、YouTubeの【歌うペンギン】シリーズは、たまに海外から親切なコメントが付くのがうれしい。

生きてると感じるのは、ビッグエコーやバスルームやリビングで、歌を歌ってるときだけ。

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2009/02/21

『KISEKI the document of a star』と『道夏大陸』を見た

そういうわけで、テレビがつまらないので、Amazon.co.jpで中古DVD『KISEKI the document of a star』を買って見た。

2002年発売のデビュー当時の中島美嘉のドキュメンタリーで、まあ『情熱大陸』みたいなもの。今のところファンなので、見ておく必要があるだろうということで見た。

やはり、忘れ物をよくするのは彼女の悪い癖らしい。作られたクールビューティーは、実際はかなり「天然」だということがわかる。仕事に対する真摯さは当然ということだろう。

中島美嘉がデビューして一気にブレイクしたのと同じころ結成され、泣かず飛ばずの3人組アイドルがいた。

こちらはニコニコ動画かYouTubeで『道夏大陸』という、『情熱大陸』のパロディ動画で、ブレイクまで苦節8年の軌跡を見ることができる。

広島から上京してからも、ハロプロの二番煎じで売り出そうとしていたことは全く知らなかった。

去年この3人組のライブをテレビで見て、スタジオで音を作りこんだ単なる口パクアイドルだろうと思っていたが、ダンスを含め、パフォーマンスが尋常でないと感じた。中学生のころから8年もいっしょにやってきたと知って納得。

それにしても彼女たちが木村カエラに発見されるまで、よく事務所のアミューズは見棄てなかったものだ。

下らない記事で申し訳ない。

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大阪に来たら『王様のブランチ』を放送していない

大阪に来て週末いちばん困ったのは『王様のブランチ』を放送していないこと(もちろん冗談)。朝っぱらからトミーズ雅なんか見たくない。

なぜ関西の芸人は年をとってくると偉そうな口をききたがるのだろうか。

その点、明石家さんまは飽くまで話芸に徹し、批評家めいた政治家批判やチャリティーのようなきれい事をテレビで一切やらないので、芸人として一級だと思う。

なのに日曜日の13時からフジテレビ系の関西テレビは『あっぱれさんま新教授』を放送しない。関西は明石家さんまを見捨てたのか。

他にも20年ぶりに地元に戻って来て、関西ローカルの番組を見ていて思うのは、関西人(大阪人?)の「何でもぶっちゃけてしゃべってしまえばいい」という気質の下らなさだ。気取るのも芸のうちだろ。

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2009/02/19

柴田淳作詞・作曲『声』を聴いて泣いてしまった

久しぶりに音楽を聴いて泣いてしまった。中島美嘉の最新アルバム『VOICE』の最後に収録されている『声』だ。

最後に音楽を聴いて泣いたのは矢野絢子の『ニーナ』で、それ以来の体験だ。

昨夜、今さら中島美嘉のアルバム『VOICE』の曲を試聴していて、最後の曲『声』が素晴らしいと思い、作詞・作曲を調べたら柴田淳だった。

YouTubeに柴田淳が中島美嘉の『ORION』をカバーしている動画がアップされているが、『声』は中島美嘉から柴田淳へのオファーらしい。

そして今朝、MP3プレーヤーで通勤途中に初めて『声』をじっくり聴き始めたら、サビの歌詞で泣いてしまった。

「私が生きて いつか この声だけが残って
気づいてくれた人が
愛を求め 抱きしめてくれるのなら

私は生きて生きて こうして声張り上げて
歌い続ける 燃え尽きるまで」

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2009/02/17

宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読み終えた

宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読み終えた。東浩紀批判と宮台真司の依拠するルーマンのコミュニケーション論からの着想に立脚した(?)2000年代サブカルチャー批評として、今までにない視点が得られ、非常に面白く読めた。

ただ、当然の批判として、そもそもサブカルチャー批評そのものが、大多数の人々にとってはどうでもいい「島宇宙」であること、そして先日書いたように、宇野氏の大きな議論の展開そのものが教養主義的な成長指向を無条件に是認していること、そして、コミュニケーションの善悪の判断基準の問題を宙吊りにして、とにかくコミュニケーションの回路を開け!(=「ドアを開けろ!」)という結論が、それまでのセカイ系=決断主義批判に対する結論としてあまりに拙速なことなどがあげられる。

もちろん本書は、宇野氏の模索の出発点と見るべきで、これらの批判は「早すぎる」批判だ。これから宇野氏がどのように議論を展開していくのか、非常に興味深いところだ。

もう一つ、個人的に気になったのはリファレンスの偏りである。特に音楽がほぼ無視されている点だ。

例えば、クラブが自閉的な島宇宙なのか、異なる者とのコミュニケーションの可能性を担保する場なのかによって、クラブミュージックの評価は正反対になるはずだ。

そして浜崎あゆみや倖田來未の、根拠不明の圧倒的なカリスマ性や、音楽ジャンルの無意味と思われるほどの細分化、「ひとりカラオケ」という没コミュニケーションの形態などは、むしろ少女漫画や『仮面ライダー』より、多くの人々に身近な問題として提示できる。

いずれにせよサブカルチャー批評が音楽シーンを無視する理由が、まったく理解できない。この点は宇野氏に限らず、他のサブカルチャー批評にもあてはまる重大な欠陥だ。
サブカル批判は音楽を無視しないでほしい。

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2009/02/15

殺風景な部屋に彩りを

引越当初は殺風景だった自宅の新築賃貸マンションを、少しずつ自分の好きなように装飾している。以下は愛用のキヤノンEOS kissで撮影したその様子。

特にお気に入りは、昨日、梅田茶屋町のLOFTで見つけたばかりの2,000円の桜柄の風呂敷。タペストリ代わりに真っ白な壁に貼り付けた。お隣には自分でプリントアウトした中島美嘉の『SAKURA~花霞~』の写真。この風呂敷、いい。(少女趣味で悪かったね)

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テレビ周りはややうるさいけど、ぬいぐるみと100円ショップで買った華やかなバラの造花。「歌うペンギン」君もいます。

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お手洗いも殺風景だったので、棚の上に100円ショップで買った造花。ややシュールな雰囲気。

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玄関の目隠しの「のれん」は大きな柄入り。これは裏側で、表から見ると黒地。

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玄関横の目的不明のスペースにも100円ショップで買った造花を。

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パソコンの横、ギターを立てかけてある角にも100円ショップで買った造花。花瓶の前では新潮文庫のマスコットキャラクターが本を読んでいる。

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近所にできたばかりのカラオケボックス発見

格子状に道が走るオフィス街のど真ん中にある自宅賃貸マンション周辺をジグザグ散歩しているといろいろ発見がある。

歩いて5、6分の場所に2008/12/02にできたばかりの3階建てカラオケボックスを発見。大阪市営地下鉄堺筋本町駅すぐの「カラオケ 唄えもん 本町店」。今日初めて行ってみた。

カラオケボックスの例に漏れず既に個室はタバコ臭くなっているが、内装はまだきれい。DAM、JOYSOUND、UGAの3種類の部屋があるが、当然、使い慣れたDAMの部屋に入った。

PremierDAMの部屋もあるが、団体専用の広い部屋にしかないとのことで、残念ながら「ひとりカラオケ」の常用にはできそうにない。よほどのことがない限りもう行かないだろう。

といいつつBB CyberDAMで2時間で19曲歌った。うち中島美嘉の曲が18曲。明らかに依存症。Sing or die状態。歌があれば生きていける。

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宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』はめちゃ面白い

いま宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を読んでいるが、久しぶりに本格的で面白いサブカルチャー批評だ。「愛と苦悩の日記」の読者の皆さんにもぜひお勧めの一冊。

宮台真司の推薦文つきだが、全体としては、東浩紀のサブカルチャー批評に対する根本的な批判の書となっている。

『新世紀エヴァンゲリオン』のひきこもり系の克服としての『バトルロワイヤル』的決断主義とその蹉跌。その後にテレビドラマ、映画、漫画などのサブカルチャーが、どのように課題を解決しようと模索しているかを、シンプルな分析枠組みで、すっきりと論じている。

連載をまとめた本ということもあるが、テレビドラマや漫画のネタバレあらすじ紹介も豊富、同じ論点が繰り返し提示されており、そういった教育的配慮もゆきとどいた読者に親切な本だ。

ただ、面白いのは面白いのだが、東浩紀の自己慰撫的な批評を批判し、超克することで、本来の批評を復権させるという著者の宇野氏の意図自体が、きわめて教養主義的で、本書の存在そのものを自己言及的にメタレベルから見たとき、実は『新世紀エヴァンゲリオン』が葬り去ったはずの『機動戦士ガンダム』的教養小節を召還していることになっている。

また、東浩紀批判はいってみれば宇野氏による「父殺し」の試みであり、著者が必死になって東浩紀のサブカル批評を批判しようとすればするほど、実は宇野氏にとって東浩紀が「大きな物語」として機能している。

つまり本来的な批評を取りもどすという宇野氏の意図そのものが、批評というものをヘーゲル的な歴史観に回収する観点に立っている。

デリダ研究者である東浩紀はそれを分かった上で、サブカル批評には自己慰撫的な批評しか残されていないと決断したのではないか。僕はそう考えており、東浩紀の批評が単に堕落しているのだと切り捨てることには強い違和感がある。

それを差し引いても、この『ゼロ年代の想像力』は2001年以降のサブカルを本格的に論じた初めての批評であり、非常に面白い。

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ビデオニュース・ドットコムで裁判員制度賛成派が反論

先々週、ビデオニュースドットコムで放送分の裁判員制度賛成派の河合幹雄桐蔭横浜大学教授の議論は非常に参考になった

河合教授によれば、そもそも裁判員制度は司法制度改革ではなく、いつまでたっても主体的に民主主義という制度の維持に参加しない日本国民を、強制的に「教育」するというマクロの目的があるのだという。たしかに裁判員制度導入によって、司法関係者は誰も得しない。

また、日本は優秀な裁判官を刑事事件のような、国家レベルで見ると瑣末な裁判まで緻密に審議しすぎであり、全体の費用対効果から考えて、これまでの刑事裁判の品質をある程度落としてでも、より重要な裁判にリソースをより重点的に配分すべきだという。

したがって裁判員制度による審議の短縮化は、全体の費用対効果から考えると合理的とのこと。

残る問題は被害者家族の裁判への適切な参加をどう実現するかという、既に始まっているもう一つの司法制度改革だが、これについても、まず、(1)裁判員制度の対象となる事件では、被害者家族イコール加害者であることが少なくないこと、(2)裁判員制度が始まると、犯行現場の惨状が証拠として法廷で開示されたり、被害者家族のメンタル面の支援が重要になること、(3)被害者家族が有罪と確信してきた被告の無罪が目の前で証明されたとき、逆に被害者家族の無念さが深まることなど、被害者家族の参加が必ずしも被害者家族の利益にならない場合が多い点が指摘されていた。

ただ、個人的に思ったのは、僕自身も含め、民主主義は戦い取るものであるという認識のない日本国民に、民主主義を再教育するという壮大な目的は結構だが、市民革命を経ていない日本という国で、たかが裁判員制度ごときでその目的が実現されるとは思えない。

また、河合氏自身も認めているように、裁判員制度は結局、余裕のある大企業が社員に特別休暇をあたえて参加させることを期待しており、結果として制度に参加するのは、大企業の正社員に非常に偏ることになる。裁判員制度の推進者はこのことを認めている。

ならば、日本国民に民主主義を再教育するというマクロの目的と矛盾する。政治参加に無関心で、小泉元首相のポピュリズムに、いとも簡単に動員されてしまうのは、むしろ裁判員に参加する余裕のない国民の方だからだ。

以上のことから、僕個人としてはやはり裁判員制度はあまりに拙速な税金の無駄遣い制度で、導入には反対だ。

河合氏は合法的に裁判員を拒否する国民が多く出てくることは、制度導入の関係者は折込済みだと話していたので、裁判員に選ばれたら拒否できないと、まだ本気で信じている方のために、西野喜一氏の著作を改めてご紹介しておく。

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2009/02/12

社内でFlash動画を教材として作成・公開する手順

今日は半分仕事の話。

イントラネットでFlash動画を、ユーザ部門向けの画面操作の研修教材にしたい場合の手順をまとめておく。

(1)CamStudioで画面操作をAVI形式で動画キャプチャーする。
(2)Windowsムービーメーカーで説明の字幕をつける。
(3)WindowsムービーメーカーでWMV形式で書き出す。
(4)Any Video ConvertorでFLV形式に変換する。
(5)JW FLV MEDIA PLAYERを埋め込みプレーヤーとして再生する

まず画面動画キャプチャーソフト「CamStudio」を入手し、インストールする。必要にして十分な機能のフリーウェアだ。
http://nonn-et-twk.net/twk/CamStudio/

このソフトはSWF形式で画面操作を保存できるが、後ほどWindowsムービーメーカーで説明字幕をつけるので、AVI形式で保存する。

また、WindowsムービーメーカーでWMV形式で書き出した後、FLV形式に変換するときの最大サイズは640×480なので、CamStudioでキャプチャーするときも、必ず640×480に収まる大きさにすること。

次にWindowsムービーメーカーに、操作を記録したAVIファイルを読み込ませ、新規プロジェクトを作成し、説明の字幕をつけていく。画面の配色にも夜が、赤い太字ゴシックが適切と思われる。ここの字幕は短く簡潔に。

そしてWindowsムービーメーカーから「最高画質」で640×480のサイズ、毎秒30フレームのWMV形式ファイルで字幕つきの動画を書き出す。

次にAny Video Converter フリー版を入手し、インストールする。
http://www.anvsoft.jp/any-video-converter-free.php

このAny Video ConvertorでWMV形式ファイルを読み込み、640×480サイズのFLV形式ファイルに変換する。音声がない場合は、変換時に音声出力を無効にしておくと良い。

これでFLV形式の動画教材ができた。

次に、社内に公開するための埋め込み式FLVプレーヤー「JW FLV MEDIA PLAYER」を入手する。

http://www.longtailvideo.com/players/jw-flv-player/

ダウンロードしたZIPファイルの中にある player-viral.swf が埋め込みプレーヤーの本体で、swfobject.js がプレーヤー制御用のJavaScriptだ。

この二つのファイルを社内の適当なWebサーバにアップロードする。全社員がアクセス権を持つディレクトリにアップロードすること。

そしてFLV形式のファイルは別のWebサーバでも構わないので、適当なWebサーバにアップロードする。

次に、埋め込みFLVプレーヤーをユーザに見せるためのHTMLファイルを作成する。1ページのHTMLファイルに、いくつでも埋め込みプレーヤーを並べることができる。

当然のことながらユーザのパソコンにAdobe Flash Playerがインストールされている必要がある。(たぶんAdobe Flash Player 6以上でないとダメ)

基本的なコードは以下の通りだ。

まずHTMLのヘッダーセクション<head></head>の内部に次の1行を追加する。

<script type="text/javascript" src="http://XXXXXXX/XXXXXX/swfobject.js"></script>

ここでは先ほど swfobject.jp をアップロードした場所のURLを正確に入力するようにしよう。

次にbodyセクションの任意の場所に以下のコードを追加する。

<div id="container1"><a href="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer">このページを見るにはFlashプレーヤーをインストールして下さい。</a></div>
<script type="text/javascript">
var s1 = new SWFObject("http://XXXXXXX/XXXXXX/player-viral.swf","ply","660","500","9","#FFFFFF");
s1.addParam("flashvars","file=http://XXXXXXXX/XXXXXXXX.flv");
s1.write("container1");
</script>

最初のdivタグのid属性に指定した名前(ここではcontainer1)と、JavaScript内の最後の行のwriteメソッドの引数は一致していなければならない。

なぜなら、id属性に指定された名前をターゲットにして、JavaScriptが埋め込みFLVプレーヤーを表示させるからだ。

JavaScriptの冒頭に player-viral.swf のURLを入力する部分があるので、こちらも先ほど player-viral.swf をアップロードした場所のURLを正確に入力しよう。

次の660、500という数字は埋め込みプレーヤーのタテ・ヨコの表示サイズだ。動画自体が640×480なので、少し余裕をもった大きさにしておく。

次の行では再生したいFLV形式ファイルへのURLを正確に入力する。

JavaScriptの最後の行の引数は、先ほど解説したとおり、冒頭のdivタグのid属性と同一の文字列にしなければならない。

このdivタグのid属性を変えることで、同じページの中に複数の埋め込みプレーヤーを並べることができる。つまり2つめの埋め込みプレーヤーは「container2」などの違う名前にしておけばよい。

作成したHTMLファイルを社内の適当なWebサーバにアップロードする。こちらは閲覧制限されたWebサーバでも構わない。

以上で、フリーウェアだけで社内での研修用FLV動画公開が可能になる。

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また中島美嘉のことかよ(新曲『GAME』)

そう、また中島美嘉の話。

来月2009/03/04発売の新曲『GAME』はすごい。いまカネボウ化粧品「KATE」ブランドのテレビCMで流れている曲だ。

カラオケで配信されたらさっそくカバーするつもりで、先行してPVで何度も聴いているが、今までに聴いたことがない声の表現がとても面白い。

何と言ったらいいのか。歌詞の文末に独特の「節回し」があり、笑い声まであり、Aメロの基本のメロディーがかなり自由にフェイクされていて、アップテンポな曲なのにとても表情豊かなのだ。

Dメロもかなり長めで、アレンジも「やりたい放題」といった感じだが、タイトなリズムはきっちりキープされている。同じくらい短い曲で、ストレートなJ-POPの『LIFE』と比べると、はるかに密度が濃い。

音楽番組で中島美嘉が『GAME』をどんな風に歌うのか、早く聴いてみたいものだ。

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2009/02/09

また中島美嘉のことかよ(『よみがえれニューオーリンズ』)

今週末も自分が自分であることを確認しに一人でカラオケに。

中島美嘉シングル全曲カバー計画は、『Helpless Rain』『素直なまま』の録音が終り、残すはラバーズロックの『MY SUGAR CAT』、ラブバラードの王道『愛してる』の2曲のみ。

歌詞的に歌うのがいちばんこっ恥ずかしい2曲をわざと残してしまった。開き直って歌うしかない。

某動画サイトで2006/07/01にフジテレビで放送された中島美嘉出演・ナレーションのドキュメンタリー『よみがえれニューオーリンズ~再生への祈り~』を見た。

正直この番組を見て、僕は中島美嘉本人ではなく、中島美嘉の声や、歌っている曲が好きなのだと改めて確認した。

この番組自体は、中島美嘉のチャリティー・シングル『ALL HANDS TOGETHER』にもピアノで参加している、ニューオーリンズ音楽界の大御所アラン・トゥーサンが、ニューオーリンズの音楽や「セカンドライン」の起源について、中島美嘉に優しく語りかけるように丁寧に説明する部分が非常に参考になり、デビューしてたかだか5年の日本のPOP歌手に対しても、一人の人間に対する敬意を表すことを忘れないアラン・トゥーサンの偉大さが見事に現われていて、とても素晴らしい。

それに対して中島美嘉には、これからもっといろいろな音楽を浴びるほど聴いてみてはどうだろうかと言いたくなった。

アラン・トゥーサンとの対談彼女は、話の流れの中で、音楽を聴いてもジャンルがよく分からないと正直に告白している。

その正直さは素晴らしいと思うけれど、与えられた曲を拒まず歌うだけでなく、仮にもプロのミュージシャンなのだから、様々なジャンルの音楽を時系列で聴くくらいの「お勉強」はしてもいいのではないかと感じた。

音楽の「お勉強」が足りないことで、中島美嘉のヴォーカリストとしての素晴らしさが損なわれるわけでは全くないけれど、そのままじゃ浜崎あゆみと変わらない単なるJ-POP歌手でしょうが、と言いたくなる。

単なるJ-POP歌手ならもっと聴衆に媚びるべきだ。聴衆に媚びるのが嫌なら、音楽の幅を自分で広げる努力をする余地はもっとあるのではないか。

中島美嘉の可能性に期待するからこそ、彼女のあまりのナイーブさについ文句が言いたくなる番組だった。もちろんこの番組から2年半が経過して、彼女は変化しているのかもしれないけれど。

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2009/02/07

大久保松恵さんが亡くなったことについて(5)

大久保松恵さんの死因は肺炎だったそうだ。

フォローの記事をいくつか読んだところ、36歳の年齢で肺炎で死に至ることは普通ありえないので、不規則な生活や、偏った食事、ストレスなどで、極端な栄養不足になり、肺炎を悪化させたのだろうとのこと。

確かに一般的な意味での自殺ではないが、彼女が本当に新しい生活に希望を見出していたなら、タレントとしてあそこまで頭のよく回り、細かいことにまで注意の行き届く人が、十分治療できたはずの肺炎のような病気を、死に至るまで放置するだろうか。

僕にはやはり、大久保松恵さんは一種の「緩慢な自死」を選んだのではないかと思えてならない。

「死にたい」と思ったのではないにしても、「このまま死んでもいいかな」と思ったのではないか。

36歳という年齢は、もう人生を一からやり直せないという意味で、ある人たちにとって「もう死んでもいいかな」と、結論を出すことが可能な年齢だと僕は考える。

大久保松恵さんも、不幸にしてと言うべきか、幸運にもと言うべきか、「もう死んでもいいかな」と思ったときに、本人は肺炎と知らないまま、急激に体調が悪くなるという、一つの「チャンス」にめぐり会ってしまったのではないか。

本当に生き延びたかったなら、救急車を呼ぶくらいのことは簡単にできたはずだ。(大して生き延びたくなかった僕でさえ、死の恐怖から逃れたいためだけに救急車を呼んだくらいなのだから)

そこで救急車さえ呼ばなかったのは、彼女自身の選択があったと考えるべきだと思う。

そして大久保松恵さんに限らず、ある人間が死を選択する意思は、つねに尊重されるべきだと、僕は考える。もちろんこういう考えが、非倫理的であることを承知でだ。

むしろ大久保松恵さんの死について、彼女自身が「死んでもいいや」と思ったかもしれない可能性を、ひたすら否定することが、無条件に正しいという考えの方が、彼女の人生を単純化しすぎていると思う。

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中島美嘉出演の『情熱大陸』

何年も前に見た中島美嘉出演回の『情熱大陸』をもう一度見たいと思っていたら、つい数日前に某動画サイトにアップされているのを発見。2004年放送というからもう5年もまえだった。

当時は中島美嘉のファンでも何でもなく、ただ「猫背で華奢な人だなぁ」という印象しか残っていなかった。

今見ると、意外なほどよくしゃべる人だと感じた。中学生時代の写真がいくつか出てくるが、臆病そうな表情から、本人の言うようにいじめられっこだったことが伺える。

高校に進学しなかったのは、本当に自分には歌しかないと決心したからなのだろう。番組の中で「うちの母親はいまだに夢を見てるんじゃないかって言ってますよ」と話しているのが印象的だった。

これしかないと願ったことがかなって、それで生活していけるのは何と幸福なことだろう。

もうやり直しの効かないところまで生きてしまった人間から見ると、そう見えてしまう。

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2009/02/04

環境が変わっても音楽の位置づけは変わらない

引越が一段落。今晩やっとモデムが届き、VDSLでネットできるようになった。大阪のオフィス街。家賃8万円強の新築ワンルームマンション。生活感のかけらもない環境。

昨日はネット接続できないPCで、引越前にダウロードしてあった映画『NANA』を観た。中島美嘉のファンになったからには、出演作は全て観るべきという義務感からなので、シネフィルとしてはどうコメントしていいのか分からない映画だった。

女優としては宮崎あおいの天真爛漫さの演技が輝いている。途中まで観た『NANA2』の市川由衣と比較すると歴然。中島美嘉は役柄なので仕方ないが『傷だらけのラブソング』に比べてあまりに感情表現が少ない。ただ原作マンガのナナ役として、歌を本人が歌うとすれば中島美嘉以上の適役はいないだろう。

引越早々また中島美嘉の話題で申し訳ないが、今週はビデオニュース・ドットコムもまだ聴いていないし、『自閉症の現象学』もまだ読み終えていないし。

それより生活環境が変わったことで、自分の精神状況がどう変わっていくのか、不安。自分も大阪出身のくせに、100円ショップや電器量販店の店員が関西弁を話す状況に強い違和感あり。

ただビッグエコーで中島美嘉の曲を歌っていると、何となく「自分は自分であまり変わってない」と確認できる。環境がどれだけ変わろうと、僕にとっての音楽の位置づけは全く変わらない。それが何よりの救い。

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2009/02/01

引越で多忙中にも拘らず中島美嘉シングル全曲カバー計画進行中

諸事情あって東京から大阪への引越しで多忙のため、「愛と苦悩の日記」の更新が滞っているが、YouTubeへの【歌うペンギン】中島美嘉シングル全曲カバー計画のアップは着々と(?)進んでいる。

結局 MICA 3 CHU と NANA starring 中島美嘉の曲も一部カバーすることにした。残るは4曲だが、「Helpless Rain」以外はやっぱり男には歌いづらい。

「愛してる」が歌いづらいのは言うまでもないが、「MY SUGAR CAT」なんて冒頭からいきなり「私が死んだら/ちゃんと忘れてね/プレゼントも/全部捨てるのよ」だ。

「素直なまま」も「本当はすごく強がりで/泣き虫な私でいいかな/もっと素直でいたかった」。

それでもメロディーはだいたい覚えてしまったので、一種の”ゲテモノ”カバーとして近々歌ってみたい。

カバー済みの曲:「STARS」「CRESCENT MOON」「ONE SURVIVE」「WILL」「Love Addict」「FIND THE WAY」「雪の華」「火の鳥」「LEGEND」「桜色舞うころ」「ひとり」「CRY NO MORE」「見えない星」「LIFE」「SAKURA~花霞~」「ORION」「I Don't Know」「GLAMOROUS SKY」「接吻」「SEVEN」「ALL HANDS TOGETHER」「永遠の詩」

まだの曲:「Helpless Rain」「愛してる」「MY SUGAR CAT」「素直なまま」

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