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2008年12月の記事

2008/12/31

マクドナルドで隣の席にホームレスの老女

昨日、錦糸町駅近くのマクドナルドで昼食をとっていたら、隣の席に明らかにホームレスとおぼしき老女が座った。

僕のさらに隣の席がたまたま空いていて、そこへ何人かの客が座るのだが、すぐに立ち上がって別の席に去っていく。

要するに、あたりに強烈な臭いが漂っていたのだ。

僕も何とか我慢して食事を続けようとしたが、食欲が失せ、結局、ハンバーガは半分、ポテトは丸ごと残し、飲み物だけ持ち出して店を出た。

別の席に移動して食事を続けることもできたが、さすがにそれは露骨な悪意だと感じた。ただ、それがホームレスの老女に対する憐憫だったのか、他の客に対する見栄だったのか、定かではない。

こういうときは、どう振舞うのが最も適切なのだろうか?

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大久保松恵さんが亡くなったことについて(4)

飯島愛(大久保松恵)さんが亡くなったことについて、社会が芸能人に対して、過剰な倫理的要求をしており、彼女はその犠牲者の一人だったのでは、という気がしてきた。

芸能人がメディアを通じて、一般人よりはるかに大きな社会的影響力をもっていることは確かだ。

ただ、一般人は自分自身がどれだけ「正しく生きているか」は棚上げにして、芸能人が大きな社会的影響力を持っていることを口実に、芸能人の倫理的な失態なら、いくら叩いても構わないという「ワル乗り」に走る傾向があるのではないか。

もう一つ、これは大久保松恵さんと僕ら同じ世代の世代性かもしれないが、「強迫自己啓発症」のようなところがあるのではないか。

つまり、何だか理由はよくわからないけど、人間は一生向上し続けなければならないという強迫観念のようなものにとりつかれているのではないか。

例えば仕事で英語を使う機会などないのに、英会話の勉強にいそしんだり、『夢をかなえるゾウ』のような自己啓発本が相変わらずベストセラーになったり。

人間はつねに前向きで、ポジティブでなければならない、つねに向上しなければならないという強迫観念にとらわれているのではないか。

大久保松恵さんも、芸能人としての彼女は、一つは外側からの圧力として、一般人から、一般人以上に倫理的でなければならないという要求の「空気」を感じており、かつ、内側からの圧力として、つねに前向きでポジティブでなければならないという強迫観念にとらわれていたのではないか。

ましてAV女優という過去を背負っていれば、それを埋め合わせるために、余分にそれらの外的、内的な圧力を感じざるを得なかっただろう。

向上心もなく単に生き続けることが端的に悪いことだと言えるのか。

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2008/12/29

alan中国語ブログ試訳:2008/12/29

2008/12/29、alanさん中国語ブログに久しぶりに内省的な記事がアップされたので日本語に試訳する。日本語ブログと違い、ちゃんと物事の二面性が書かれている点が素晴らしい。

「長いこと本気で何かを書いていない感じがしますが、書きたくないわけじゃなくて、何を言ったらいいか分からないんです----言いたいことが多すぎて。
 この世界であなたに私を知ってもらえたこと、それが私にとって光栄なことで、私たちに縁があったということですね。
 2008年はあっという間に終わろうとしてますが、この一年、私はたくさん学び、たくさんの収穫があり、同時にたくさんのものを失いました。。。。でもはかりにかければ、価値があったと思います。私の今の生活を羨む人がいるかもしれませんが、決して私を羨まないで下さい、むしろ私が羨ましいのは皆さんの方なんですよ。。みなさんは私の今の気持ちがよく分からないかもしれませんね。でも実を言うと:私は今一日一日を楽しんで、今のこういう生活は宿命で、こうなるべくしてなったんだと感じているんですよ。
 2008年はあっという間に終わりです、どう言ったらいいか、楽しいときもあり、悲しいときもあり、寂しいときもあり、本当に悲喜こもごもでした。。。成功した喜びもあったかもしれないし。。。失望もあったかもしれない。。。。でもそんなことは重要じゃない!!!重要なのは喜びです。。。満足することです。。家族がいて、みなさんの思いやりがあって、私は自分が幸福だと思います。。。
 来月『RED CLIFF2』の宣伝で制作スタッフと北京、広東、成都、上海のロードショーPRに参加します、『RED CLIFF1』では中国に仕事に来なかったので、今度は何がなんでも参加しないと。
 ここで皆さんに新年のご挨拶を:皆さんの2009年、思いが実現し!万事思いのままに!努力が天を突き抜けますように!!!!」

最後の「牛劲儿冲天」のニュアンスが不明。辞書に載っている通りに訳すと「馬鹿力が天を衝く」だが。

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ビデオニュース・ドットコムの小幡氏出演回は必見

昨日、小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)をご紹介したが、著者の小幡氏が金融バブル崩壊後の世界経済について、ビデオニュース・ドットコム「第403回マル激トーク・オン・ディマンド」で宮台真司ととても興味深い議論をしている。

小幡氏によれば、現時点でバブルは米国債に移っているとのこと。小幡氏の「キャンサーキャピタリズム」という比喩を借りれば「転移」しているということか。

米国債が値上がりすると同時に、米国債のCDSも値上がりしていることから、投資家は米国が「倒産」すると期待しつつ米国債を買い続けており、これは明らかにバブルであるというのだ。

そこで小幡氏は、ドルがもはや基軸通貨たりえないのではと考え、基軸通貨が存在しない世界経済も論理的な可能性としてあると論じている。

その帰結は世界経済のブロック化で、そこから「コミュニティー」をめぐり、経済学の枠を超え、宮台氏の専門である社会学とクロスした非常に面白い議論を交わしている。

ぜひビデオニュース・ドットコムの会員になって(月額たった525円)視聴されることをお勧めする。

ビートたけしや爆笑問題の太田など、知識人ぶった芸人の中途半端な社会派バラエティーなど見る必要は全くない。

テレビは純粋な娯楽のために存在すべきであり、社会問題を真剣に考えたいならテレビなど見るべきではない。ビデオニュース・ドットコムさえ見ていれば十分だ。

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2008/12/28

大久保松恵さんが亡くなったことについて(3)

今朝の『サンデージャポン』を見ていて、爆笑問題の太田の言葉に納得させられた。

飯島愛さん(大久保松恵さん)は、芸能界で他のタレントに妥協を許さない分、自分自身にも一切の妥協を許さない結果、自分で自分を芸能界からはじき出さざるを得なかったのではないか、ということだ。

もっといい加減に生きてもよかったのではないか、というテリー伊藤の言葉もその通りだと感じた。

自分の存在そのものに罪の意識を抱かずに生きている能天気な人間はどうでもいいとして、大久保松恵さんのように、自分の過去も含めて、自分が生きていること自体に罪の意識を持ってしまう自罰的な人間を、どうにかして「赦す」ことはできなかったのだろうか。

大久保松恵さんは2008年1月、精神的に不安定になっていた頃、渋谷警察署に駆け込んでいたというが、そういうエピソードを聞いても、彼女は他人に依存すること、他人に「赦し」を得ることさえ、潔しとしないところまで自分を追い詰めてしまっていたのではないかと推測される。

本来、こういう場面では宗教が機能を果たす。人間にかわって超越的な存在が「赦し」を与えるというフィクションを提供し、自罰的な人間にとっての緩衝材になるはずなのだ。

病理解剖しないと死因が分からないというのは、おそらく神経症関係の薬が原因で、消化器にも残っていなかったためだろう。

大久保松恵さんは自殺でこの世から逃げることさえ、卑怯だと考えていたはずだし、大量に服用していれば胃があったあたりに残っているはずなので、薬の誤った服用など、何らかの事故で亡くなった可能性が高いと思う。

彼女のような人間に対して、今の社会はどのように「赦し」を与えることができるのか。

「赦し」を与える機能を失った社会は、結局、ある種の人たちを死へと追い詰める結果になる。

それが自殺であれ、経済的な困窮死であれ、事故死であれ、本当なら行き続けたい人間が、行き続ける余地を全く失ってしまうほど、今の社会には「のりしろ」がなくなってしまっている、ということだろう。

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小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』を読んだ

今さらながら小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書)を読んだ。証券化という金融技術のもつ機能を明快に解説し、世間のバブルについての常識をバッサリ斬っている。

サブプライムローンに端を発する金融危機が、過去のバブルとどう違うのか。現代の金融資本主義において発生するバブルに、とういう本質的な変化が起きているのか。解説は明晰だ。さすが東大経済学部主席卒業。

終盤にある今年2008年の、上海株式市場暴落に始まる世界の株式市場暴落の解説はやや退屈だが、実はその退屈さこそがバブルの本質をよく表現していると言えるだろう。

本書にはたびたび、岩井克人の「貨幣は貨幣であるから貨幣なのだ」という貨幣の定義が引用されている。小幡氏はバブルもあらゆる根拠付けを逃れ、かつ、現代の資本主義に構造的に組み込まれた不可避の現象だと書いている。

では世界経済はもう永遠に金融バブルから逃れられないのか。小幡氏は本書の最後に興味深い見通しを書いている。サブプライムローン問題とは何だったのか。総括する上で必読書。

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2008/12/27

ビッグエコー店舗による録音音質の差異について

ビッグエコーの店舗で、伴奏、マイク、エコーの数値をどういうバランスにすれば、後から自宅のPCでダウンロードして、ボーカルが適切なレベルになるか分かってきた。

WMA形式でダウンロードした後は、シーケンスソフトでゲインをかけ全体の音量を上げると、YouTubeにアップしたときに聴きやすくなる。

ただ店舗によって音質が違うのが問題。

※ここからは「男が歌った中島美嘉など聴きたくもない」、「他人の下らない自己満足に付き合っている時間はない」という方は読み飛ばして欲しい。

ある店舗で録音したこの曲は、高音が比較的クリア。

別の店舗で録音したこの曲は、かなりくぐもった感じになっている。

いずれにせよ、ビッグエコーの「DAM★とも」は、自分でも吐き気のしそうな自己愛を満足させるのに、最適なサービスであることに違いない。

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2008/12/26

最近ほとんど中島美嘉しか聴いていない

しばらく中華圏ポップスにハマっていた反動で、最近はJ-POPしか聴いていない。というより、ほぼ中島美嘉しか聴いていない。

たしか以前この「愛と苦悩の日記」で、中島美嘉の活動を追うドキュメンタリー番組の中で、ライブで観客に「マイ箸」を勧めている彼女にツッコミを入れたことがある。

中島美嘉は今年25歳だが、alanもしかり、アイドル系ではない20代の女性歌手が何らかのメッセージ性を出そうとしたとき、環境問題が最も無難なので、仕方ないといえば仕方ない。

実際には、よくエコやロハスのメッセージとともに、企業広告に登場する坂本龍一を含め、本当にロハスな生活を送ろうと思えば、一定の生活水準が必要だ。ホームレスに転落した非正規雇用者や、アフリカで日々発生している大量の餓死者にとっては、エコもロハスもない。

これは構造的な問題で、中島美嘉個人に何の責任もないので、中島美嘉がエコのために「マイ箸」や「マイタンブラー」持参をファンに呼びかけることは、それほど社会的に害のあることではない。

それより、ポップス歌手はポップス歌手として評価されるべきだ。

ポップス歌手にとってはルックスも重要。

デビュー当時の下ぶくれの彼女の顔の愛らしさ、特に『Crescent Moon』のPVなどは笑ってしまうくらい可愛いが、『One Survive』のPVのクールさや、『ひとり』のPVのエキセントリックな美まで(リストカットを連想させる背中の大きな裂き傷の演出が似合ってしまうところがすごい)、美術素材として、アレンジの幅が広い彼女の顔の端正さは極めて興味深い。

個人的には『Resistance』のPVの最後、破壊された水槽から出てきた真っ赤なドレス姿や、『見えない星』での彼女は、何度見てもうっとりしてしまう。

歌唱法も、デビュー当時と最近ではかなり違っている。ハスキーボイスの部類に入るのだろうが、語りかけるような低音は鳥肌が立つし、高音のビブラートは野生的でさえある。

ライブで聴くと高音は意外と苦しそうなので、見るからに華奢だし、マヨラーはやめて、少し体を鍛えないと、30代になってから声が出なくなるのではと、余計な心配をしてしまう。

中島美嘉にはずっと歌い続けてほしいのだ。岩崎宏美のように。

また、楽曲のバラエティーも彼女の魅力の一つ。『雪の華』のようなバラードが真骨頂であることに違いない。

しかし、『Legend』のような、アンビエント系の細かいビートとバラードの王道のようなメロディーがないまぜになった不思議な世界は、彼女にしか創れないだろう。

彼女は今年発売した『LIFE』を、珍しくストレートなJ-POPを歌ったととらえているようだが、こういうJ-POPを狭義のJ-POPとすれば、
広義のJ-POPの本質はその雑食性にある。

その意味では、中島美嘉の『CRY NO MORE』のような、あえて中途半端なゴスペル「風」、『Love Addict』のようなクラブJazz系、『I Don't Know』のようなガールパンク系など、作風の幅広さは、まさに広義のJ-POPの雑食性そのもの。

PVやドラマで見せるビジュアルな素材としての幅広さも合わせて、ジャンルを横断した彼女のポップス歌手としての個性は、今のJ-POP業界で誰も真似できない位置にあるのではないか。

※ちなみに中島美嘉のPVをまとめて観たい方は、最寄のビッグエコーへ行ってPremier DAMのある部屋に入り、本人映像の彼女の曲をリクエストしまくればよい。

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大久保松恵さんが亡くなったことについて(2)

亡くなった大久保松恵さんだが、行政解剖では死後1週間経過しており、死因の特定ができなかったそうだ。渋谷の高層高級マンションで、きっと空調は十分に効いていただろうから、遺体も一部腐敗し、死因の特定が難しいのだろう。

それにしてもあれだけの人気タレントが、引退後たった2年弱で、1週間も放置される「孤独死」とは、何とも哀れで言葉がない。

もちろんこれから失業した非正規雇用者が、路上で人知れず孤独死することが常態化するかもしれないが、これも日本社会がいかに「薄っぺら」になってしまったかの証拠の一つだろう。

死後の報道でどうしても気になったことが一点ある。

彼女のAVデビューが1992年とされていることだ。どこかの記事だけは、1991年にAV女優としてテレビ番組に出演し、ブレイクしたとあった。

彼女は1972年生まれなので、表向きには1992年AVデビューとしておかないとまずいという、大人の事情があるのだろう。

しかし、こんなことを書くのは恥ずかしいけれど、僕はすでに1989年に彼女が単体女優として出演したAVを見た記憶がはっきり残っている。当時僕は学生で、都内で何度か引越しをしているので、この年号は正確だ。

これは単体女優としてのAVなので、まだそれほど売れていない時期があったことを考えると、おそらく彼女が最初にAV撮影に参加したのは、実際には18歳未満なのではないかと思われる。

死してなお、自分の過去を糊塗しなければならないところに、彼女の持つ経歴の悲しさがある、と感じた。

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2008/12/24

大久保松恵さんが亡くなったことについて(1)

大久保松恵さんが亡くなったそうだ。死因はまだ自殺か病死か分からないそうだが、ブログの更新が2008/12/05から途絶えていたそうだから、いずれにせよ孤独死と言える。

大久保松恵さんについては、彼女が芸能界を引退した頃、2007/04/08に「今さらながら飯島愛の引退について(1)」「今さらながら飯島愛の引退について(2)」の2つも記事を書いている。

そのときは「彼女の新しい生活が幸福なものであればいいと思う」と書いて、本当にそう願っていたのだ。

やはり彼女にとっては芸能界が、たとえかなり生きづらい世界で、自分の虚飾に対する自責の念に耐えられないような場所であっても、独りである自分自身にじかに向き合う生活よりは、まだましだったのではないか。

それは僕にとって会社員生活が、やはり耐え難いほど下らなくても、そこで生活するしかない場所であるのと同様に。

僕がそこで生活するしかないのは主に経済的理由だが、彼女は不幸にしてと言うべきか、経済的に芸能界から離れて生活できてしまった。

ただ、川田亜子さんの自殺のときにも同じことを書いたが、生き続けることが耐え難かったのであれば、最期の瞬間が安らかなものであったことを祈るだけだ。

彼女の死については、もう少し事実が明らかになってきてから、また書きたいと思う。

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2008/12/23

住宅地図とストリートビューの違いについて反論あり

昨日の記事に論拠薄弱な反論のトラックバックがついた。「住宅地図」とストリートビューには決定的な違いがあるという。

その決定的な違いとは、ゼンリンは「表札だけしかみない」のに対し、ストリートビューのカメラはすくなくとも2mくらいの高さから「のぞき込んで」いることだという。

これが何の反論にもなっていないことは、書くまでもないと思うので、読者の皆さんにお任せする。

もう少しよく考えてから反論しよう。というより、トラックバックするくらいなら、もう少しよく考えてからにして欲しい。削除はしないけれど。

...と書き捨てようと思ったが、不親切なので一応反論しておく。

まずは不真面目な反論から。

では、身長2m50cmのゼンリンの調査員が表札だけしか見るのでなく、上からのぞき込んだら、住宅地図とストリートビューの差異は消滅するのか。もちろん答えはノーだ。

この不真面目な反論だけでも、昨日の記事へのトラックバックがほぼ無意味なことが分かる。

次に真面目な反論。

ストリートビュー反対論者が問題にしているのは、カメラで撮影した結果が公開されていることにある。

仮に撮影した映像をグーグル社が社内資料としてのみ利用するなら、というより、撮影した事実さえ公表しなかったら、誰もストリートビューに反対しない。

つまり、ゼンリンであれグーグルであれ、一方は表札しか見ておらず、他方がのぞき込んでいるという、調査時点の方法の差異は、ストリートビュー反対論者の論拠と全く無関係である。

ストリートビュー反対論者が問題にしているのは、調査時点の方法論の「程度の」差異ではなく、撮影結果が公開されている点だ。

公開されているから初めて、「プライバシーの侵害だ」というストリートビュー反対論が成立するのだ。こんなことは改めて論じるまでもない。

では、それが表札上の名前であれ、表札をマスキングした家の門構えの写真であれ、それが公開されている事実について、ゼンリンの住宅地図とストリートビューに「質的な」差異はあるだろうか。

全ての人が表札を出していることで、住宅地図上に公開されることを予期していたわけでも、許可したわけでもない。

にもかかわらずゼンリンは、いわば勝手な解釈で、「表札を出している全ての人が、地図上に公開されることに予め同意している」と見なして、住宅地図を作成している。(個人情報保護法の用語で言えば、いわゆるオプトアウト方式)

グーグルのストリートビューも同じ論理だ。「その辺に家を建てていたり、住んだりしている全ての人が、ネット上にその映像を公開されることに予め同意している」と勝手に見なして、ストリートビューを作成している。これも一種のオプトアウト方式だ。

ただ、両者は完全意味でオプト・アウト方式とは言えない。本当のオプトアウトであれば、本人が要求すれば、その本人の情報は削除されなければならない。

しかし、ゼンリンやグーグルに対して、自分の家の表札名や映像の削除要求を出しても、削除されるとは限らない。

僕が昨日の記事で論じたのは、プライバシー侵害を理由にストリートビューに反対する人々の立場に仮に立ったとき、以上のような理由から、住宅地図とストリートビューに「質的な」差異はない、ということである。

もう一度書く。僕個人がどういう意見かに関わらず、プライバシー侵害を理由にストリートビューに反対する人々の視点に立った場合、ゼンリンとグーグルのやっていることに「質的な」差異はないはずだ、ということだ。

したがって、プライバシー侵害を理由にストリートビューに反対するなら、その人たちは同時にゼンリンの住宅地図にも反対しなければ、論理矛盾をきたしていることになる。それが昨日の記事の主旨である。

この記事に対して、ストリートビューは「のぞき込んでいる」から、住宅地図と決定的に違うという反論が、全く意味をなさないことはもうお分かりだろう。

大前提として、僕は「プライバシー侵害を理由にストリートビューに反対する人たち」の視点を借りて、論を展開しているのである。

彼らの視点を借りた場合、調査時点の方法論の差異が、程度の差異であれ、質的な差異であれ、彼らがストリートビューに反対する理由に全く無関係である。

彼らにとっては、調査結果の表札名や画像が、本人の許可なく公開され、また申請による削除が困難である事実こそが問題なのであり、この点において、住宅地図とストリートビューに程度の差異も、質的な差異もない。

繰り返すが、僕個人にとってではなく、「プライバシー侵害を理由にストリートビューに反対する人たち」にとって差異がない、と言っているだけである。

以上、かなりていねいにトラックバックに書かれていた内容の無効性を説明したつもりだが、それでもご理解頂けなければ、少なくともトラックバックはご遠慮頂きたい。

もちろん、ご自身のブログでいろいろな意見をお書きになるのは自由だが、トラックバックは今後ご遠慮頂きたい。

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2008/12/22

日本で「ストリートビュー」を絶対に規制できない理由

グーグル社の思い上がった技術屋たちが、誰の断りもなく作ったグーグル・マップの「ストリートビュー」を何とか粉砕できないか、いろいろ考えていた。

しかし、日本ではプライバシー侵害を理由に「ストリートビュー」を規制できないという確信にいたった。

その理由は住宅地図の存在だ。ゼンリンの住宅地図にはご承知のように一軒一軒の表札の名前が記載されている。ゼンリンの言うことには「表札は外部に公開している情報なのだから地図に載せてもいい」らしい。

日本ではこのゼンリンの住宅地図が全く規制されておらず、かつ、ゼンリンが住宅地図の販売で金儲けすることも規制されていない。

そうである以上、日本でプライバシー侵害を理由に「ストリートビュー」に規制することはできない。逆に言えば、「ストリートビュー」を規制するなら、ゼンリンの住宅地図はなおさら規制すべきだ。

「ストリートビュー」がプライバシー侵害だとわめいている連中は、同時にゼンリンの住宅地図にも反対しなければならない。そうしなければ、グーグル社に対する単なる私的怨嗟か羨望ととられても仕方ない。

以上、これが「ストリートビュー」問題に対する、ほぼ完全な結論だ。

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2008/12/21

「DAM★とも」カラオケ録音の検閲制度はいつまで持つか?

第一興商が2008/12/01から始めた「DAM★とも」というサービスのカラオケ録音機能だが、clubDAMのウェブサイトで公開したい場合は検閲を受ける必要がある。でもこのサービス、早くも限界に達しているのではないか?

カラオケ録音の自動採番を見ていると、一日あたり3,000件はあるようだ。一人当たり10曲しか公開できないという制限はあるが、この3,000件がすべて公開するために録音されているという、最悪の仮定をしてみる。

一曲平均5分として15,000分=250時間になる。

ウェブサイトでは検閲には48時間かかると書かれてあるが、これは単にバッファーとしての在庫を2日分持てるというだけで、作業自体は1日分の新規録音を全て処理しなければ、在庫がふくらむ一方になる。

カラオケ録音の検閲担当者が、休憩時間を除き、精神衛生を考えて、1人あたり毎日5時間、上手い歌から聞くに耐えない歌まで、検閲作業だけをしているとすると、土日祝日も含めて50人の要員が張り付いていることになる。

しかし現在、検閲作業は48時間で終わらなくなっているようだ。明らかに一日あたり録音件数の予測違いだろう。

(それにしても検閲作業に当たっている担当者の皆さん、おそらく非正規雇用の方々だろうが、心からご苦労様と申し上げたい)

ご承知のように通常のプロシューマ型ウェブサイトには、公開前の検閲はなく、事後通報による削除で対応している。そのスピード感があるから仮想コミュニティーとして機能する。

「DAM★とも」は「あしあと」機能などを持つSNS型、かつ、プロシューマ型のサービスだが、現時点では検閲制度を持ち込んでいるせいでスピード感が殺がれている。

さて、第一興商はカラオケ録音の検閲制度をいつまで維持できるだろうか。

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中島美嘉『ORION』はCメロ無しで少し物足りない

以前にも書いたが、僕は街の隠れた名店よりチェーン店が好きだし、ブランドショップよりユニクロが好きだ。理由はその匿名性にある。

街の隠れた名店に入るには、それを主体的に選択した自分が、たとえフィクションであれ必要だが、マクドナルドに入ることに自分である理由はいらない。

ユニクロの服を買うのに自分である理由はいらない。ユニクロの服なんて誰でも着ている。そこに自分らしさという、わざとらしい意味づけは不要だ。

そもそも大量消費財の購入に自分らしさなど必要ない。そこにあたかも「自分らしさ」があるかのように意味づけするのは単なるフィクションに過ぎない。フィクションと分かって楽しむことに意味がある。

ポップスについても同じことが言える。

最近のJ-POPのバラードは似たようなコード進行の王道を乱用し、映画・ドラマ・CMのタイアップだけで売っていると非難する人がいる。

でも、そもそも流行音楽はユニクロの服と同じような、誰もが消費できる「規格品」の側面を持っているし、持たなければ、一定の人気を獲得できない。

ところで中島美嘉のヒット中の新曲『ORION』。彼女の王道バラードにしては珍しくCメロ(Aメロ、Bメロ、サビ以外のメロディー)がない。

今年春の『SAKURA~花霞~』には「晴れ渡る旅の空に」で始まるCメロがある。『STARS』には「窓の外には夜があるよ」で始まるCメロがある。

『WILL』には「過ぎてく過去はすべて」で、『FIND THE WAY』には「答えを出すこと」で、『ひとり』には「勝手なことだと百も承知の上だよ」で、『CRY NO MORE』には「この寂しさにいつか終わりはあるの」で、『雪の華』には「もし君を失ったとしたなら」で、始まるCメロがある。

そういえば『桜色舞うころ』にもCメロがないが、間奏のフェイクがCメロっぽいといえばCメロっぽい。

なので『ORION』はちょっと物足りない。ポケットの少ないユニクロのジャケットみたいな感じ。そういうことを書きたかっただけ。

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2008/12/19

alanさん2008/12/22中国でお仕事予定

alanさんが2008/12/22に中国でお仕事をするらしい。

一つはavex Chinaのクリスマスツリー点灯式。12/22 17:30~18:00。場所は北京の王府井東方新天地。北京にお住まいの方や北京出張予定の方はぜひどうぞ。

もう一つ、同じ12/22に南寧で行われるボクシングの国際試合の54kg級が終わった後、『RED CLIFF~心・戦』を歌う様子がCCTV5で放送される。

日本からネットでCCTV5を観たい方はこちらから。おそらく通信状況が安定しないと思うけれど。

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2008/12/17

自殺手段の規制までお上頼みの無責任日本人

硫化水素自殺の材料に悪用された薬用入浴剤のメーカーが、ついに廃業に追い込まれたらしい。メーカーにとっては不本意に違いないが、日本人の間に手軽な自殺方法に対する潜在的な需要が強く存在する事実を無視することはできない。

なお、硫化水素で「きれいに」「楽に」死ねるというのはネット上の完全なデマで、呼吸器系の炎症による窒息でのたうち回りつつ死ぬのが事実らしい。

ただ、未確認の情報でも手軽に入手できる自殺の手段が見つかると、多くの人が群がるということは、日本人の間に楽に死ねる方法に対する潜在的な需要が相当あるということだ。

また、楽天市場で大量に鎮静剤を購入して自殺を図った19歳の青年が後遺症で寝たきりになったことから、医薬品の通販規制がさらに強まるのではと言われている。

僕は自殺の手段を自殺志願者から完全に奪うことができない以上、自殺手段の規制が自殺の防止にさほど有効とは考えない。

ましてその規制を立法に頼るというのは、単に「臭いものにフタ」をして、国家による情報の独占と制御を許し、かえって市民への情報公開や自主的な決定を阻害する結果になる。

医薬品のネット販売も、禁止するのではなく、許可した上で市民の側が、同じネットを使って情報共有や啓蒙活動を進めるのが適切だ。何でも法律で規制してくれと、お上に頼りつつ、他方でお役所の肥大化を非難する日本人は矛盾している。

また、常に自殺の手段を求めている自殺志願者にとって、倫理的な啓蒙活動の有効性はほぼ皆無と考えていい。「命の授業」的な訓話に感動したり共感できるのは、まだ自殺を考えるほど絶望していないということの証明だ。

以前からこの「愛と苦悩の日記」に書いていることだが、人生に既に絶望している人たちに対して、「生きたくても生きられない難病の人たちもいるんだから、健康な命は大切にしろ」という正論や、「あなたが苦しいのはよくわかる」という共感は、自殺への思いを捨てさせるのに何の役にも立たない。

それらの言葉は簡単に反論できるからだ。例えば「そんなことを言えるのは、あなたが本当に絶望していない証拠だ。本当に絶望していたら、そんな脳天気なことを言えるわけがない」など。

自殺念慮の絶望に追い詰められた人々と、それ以外の人々の間には、死者と生者の間と同じくらいの、意思疎通の不可能性が横たわっていると考えるべきなのだ。

ただし、本当は生きたいのに、さまざまな理由で自殺を選ばざるを得ない人たちは、自殺ではなく社会による他殺であり、自殺と見なすべきではない。こうした社会による他殺はセーフティーネットの整備で予防すべきである。

そうではなく、生き続けることの希望を完全に相対化していて、生きていても死んでも大差ないが、どちらかといえば死ぬ方が自分にとって望ましい、あるいは、このまま生き続けることは自分自身に対する屈辱であるなどと考える人たちの自殺は、将来、いつかは尊厳死として、管理された自死として制度化されるのが望ましいと思う。

残念ながら社会の厚みがいくら厚くなっても、すべての人がこの社会に適応できるわけではない。適応できない人が、例えば薬漬けになりながら、あるいは悲惨な生活状況にありながら、強制的に生き続けさせられるというのは、端的に不幸だからだ。

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2008/12/16

不景気に貯金・節約の美徳は悪循環

昨夜テレビを見ていたら、定時前の5分間番組で、ある自営業家庭の子供のしつけを紹介していた。小学生の子供二人が家業を手伝ったら、その分のお小遣いをあげる。子供たちはそのお小遣いを必ず貯金する。母親いわく、お金は使ってしまうのは簡単だけど、貯めるのは難しいから。

低成長時代の今ごろになって、まだこんな古くさい考えの大人がいるから、日本経済はいつまでたっても外需だのみで、内需が安定しないんだと思った。

今朝のの日経1面、竹中平蔵氏はこの景気急減速について、財政出動より金融政策の効果の大きさを力説している。銀行に強制的に金を貸し出させる制度を作れ、とまで言っている。まったく正しい。

不景気ということで一般家庭が貯金したお金は銀行にたまる。いま銀行は貸し渋り・貸しはがしなので、お金はそこで滞留し、景気はさらに悪化するという悪循環だ。

これに対し、消費者が一定の消費を続ければ、お金は銀行に滞留せず、直接企業に流れる。

もう高度成長の時代ではない。清貧という考え方は完全に時代遅れ。

消費者の消費性向を上げるためにも、企業の資金繰りを改善するよう、銀行に「強制」する金融政策は有効だ。さすが非正規労働者の拡大を強力に後押しした竹中平蔵氏だけのことはある(もちろん皮肉)。

不景気だから節約しましょう、貯金しましょうというのは、景気をなおさら悪化させるだけ。一定水準の収入がある世帯には、不景気にかかわらず、外車だろうが高級賃貸マンションだろうが、どんどん贅沢してもらうべきなのだ。

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2008/12/15

中国ドラマ『地下鉄の恋』字幕で中国語をマスター75


中国电视剧《地下铁》的字幕翻译。今天是第七十五次。上个星期工作很忙没有时间做这个翻译了。终于第十一集(还是第十集?)翻译完了。

二十一集电视连续剧《地下铁》 第十一集

谭丽娜:小妹妹 我是一只善良的狼
xiǎomèimei wǒ shì yīzhī shànliángde láng
お嬢ちゃん、私は良い狼だよ。
我虽然有尖牙齿 可是我不吃肉 我更不会吃你
wǒ suīrán yǒu jiānyáchǐ kěshì wǒ bù chī ròu wǒ gèng bùhuì chī nǐ
牙はあるが、肉は食べない。なおさらお前を食べるものかい。
我是吃素的 小妹妹 你别跑
私は菜食主義なんだ。お嬢ちゃん逃げちゃだめだよ。
你过来让我看看 你别走 我不会吃你的
你别跑呀 哈哈(和丹丹玩得真愉快。程高发现这样的谭丽娜和丹丹看来放心了)

谭丽娜:程高 这个给你
程高、これあなたに。
程高:这怎么在你这儿
これがどうしてここにあるんだ。
谭丽娜:是小芳让我给你的
小芳が私からあなたに渡してって。
好像是盒录音带
hǎoxiàng shì hé lùyīndài
カセットテープみたいよ。
(※「盒」は箱に入ったものを数える量詞)
程高:对啊 这事我完全忘得一干二净耶
duìa zhèshì wǒ wánquán wàngde yīgānèrjìng ye
そうだ。この事を完全に忘れてしまってたよ。
(※「一干二净」は成語。「きれいさっぱり」の意。「干净」で「きれいである;清潔である」)
谭丽娜:啊 对了 最近晶晶找寻那个小鹿
あ、そうだ。最近晶晶が探しているあの小鹿という人
情况怎么样了
状況はどうなの?
程高:小鹿也一直没打电话来
谭丽娜:听说 晶晶最近的收听率降温了是吗
jīngjīng zuìjìnde shōutīnglǜ jiàngwēnle shìma
晶晶の最近の聴取率は下がっているそうね。
程高:没有 其实小鹿的事件呢是个意外
いいや。実際小鹿の事件は思いがけなかった。
晶晶的节目呢一直收听率都很稳定
晶晶の番組はずっと聴取率は安定している。
只是余总有些失望
ただ余社長はやや失望している。
谭丽娜:最近业界的竞争确实挺厉害的
zuìjìn yèjiède jìngzhēng quèshí tǐng lìhaide
最近この業界の競争は確実に激しくなってるわ。
程高 你就帮晶晶一下吧
程高、晶晶を助けてあげて。
不管怎么说她也是个残疾人 怪可怜的
bùguǎn zěnmeshuō tā yě shìge cánjirén guài kěliánde
何と言っても彼女は身体障害者で、とてもかわいそうだわ。
(※「不管怎么说」で一つの言い回し。「どのように言うかにかかわらず」ということで「ともかく」などの意味)
再说 晶晶的节目录好了
ところで、晶晶の番組の録音がうまくいけば
对你的前途和事业也是有帮助的 你说呢
あなたの前途と仕事にも助けになるわ。そうでしょ。
程高:你放心 我知道怎么做了
那我走了 拜拜
谭丽娜:路上当心啊
(※「当心」は「気をつける」。「请您当心不要感冒了〔お風邪を召しませんように〕」)

小芳:到底怎么回事啊
一体どうしたのかしらね。
晶晶啊 程监制正在找你呢
晶晶、程プロデューサがあなたを探してるわよ。
好像说要开什么检讨会议
hǎoxiàng shuō yào kāi shénme jiǎntǎo huìyì
何かの検討会議を開くと言ってるみたいよ。
晶晶:哦 好啊
小芳:那我扶你过去
じゃあ連れて行ってあげるわ。
晶晶:

小鹿:(录音带)我在此感谢各位的关心
私はここに皆さんのご関心に感謝します。
也同时声明 我绝对不会到你们电台去
また同時に絶対ラジオ局には行かないことを声明します。
而且我和傅小姐之间的事情也没有必要跟任何人交待
それに傅さんとの間のことは誰にも説明する必要はありません。
我要说的都说过了
話したいことは全て話しました。
希望你们 不要为难傅小姐
みなさんどうか傅さんを困らせないで下さい。
至于我的莽撞给各位带来的麻烦
zhìyú wǒde mǎngzhuàng gěi gèwèi dàiláide máfan
私の無鉄砲さが皆さんにご面倒をおかけしたことに関して
我在此道歉
ここにおわびいたします。
程高:晶晶 你来了 来 坐(晶晶和小芳、男同事进来)
我今天突然召开这个会议呢
wǒ jīntiān tūrán zhàokāi zhège huìyì ne
今日突然会議を開いたのは
是因为晶晶的从心出发这个节目
晶晶の『心から出発』という番組が
(※晶晶の番組は「从心开始」だったような気がするのだが、いつの間に題名が変わったのだろうか)
最近收听率呢有所下降
最近聴取率が少し下がっているからだ。
那么余总希望加强节目的内容
そこで余社長が番組の内容を強化して
还有吸收听众和广告商
リスナーと広告主を引き込みたいと言っている。
我不知道大家有什么意见
皆さん意見はあるかな?
小芳:我认为不是说晶晶的节目收听率下降
私は晶晶の番組の聴取率が下がったとは思いません。
而是前些日子大家都被那突如其来的小鹿吸引住了
この前の数日はみんながあの突然現われた小鹿に引きつけられていたんです。
(※「不是~而是~」で「~ではなく~」。また字幕は「突如而来」だが女優は「突如其来」と正しい成語を話している。字幕の間違いと思われる)
收听率上升而已
それで聴取率が上がっただけです。
现在只不过是回到从前的样子
今は以前の様子にもどったというだけです。
(※「只不过是~」は「~に過ぎない」)
男同事:我想啊 不仅仅如此
私は、それだけではないと思います。
再说了 那个神秘的小鹿老是不出现
その上、あの神秘的な小鹿はずっと現われないので
很多的听众都特别的失望
多くのリスナーが特別がっかりしています。
再加上其他电台的节目质量都纷纷上去
zài jiāshang qítā diàntái de jiémù zhìliàng dōu fēnfēn shàngqù
それに加えて他のラジオ局の番組の質もみんな次々と上がっています。
(※「加上」で「それに加えて」。「纷纷」は「雑多なさま」「次から次へと」)
我想我们的收听率自然而然都会下来的
私たちの聴取率は自然とみんな下がってきますよ。
(※「自然而然」で成語。「ひとりでに、自然に」)
晶晶:对不起 我想是我的节目缺乏新意
ごめんなさい。私の番組は新鮮味が欠けると思います。
(※辞書に「缺乏新意 quēfá xīnyì」の事例があった。例文によっては「マンネリ」と訳されている。「没有新意」で「ワンパターン」という訳もある)
我会检讨一下 再想一些新单元的内容
もう一度新しいコーナーの内容を検討しようと思います。
程高:可是已经没有用 这是小鹿寄来的录音带
しかしもうムダだ。これは小鹿が送ってきたテープだ。
我们要不要一起听一下
いっしょに聴こう。
云翔:我是上次给你打电话的小鹿
私は先日電話をした小鹿です。
小鹿班比的小鹿 听说我上次打去的电话
小鹿のバンビの小鹿です。先日の私の電話が
引起了相当大的回响
相当大きな反響を引き起こしたと聞いています。
很多听众朋友都要求我到傅小姐的电台
たくさんのリスナーが私が傅さんのラジオ局に行って
详细的说明我们从前发生的一些事情
私たちの間に起こった出来事を詳細に説明するよう要求したそうですね。

云翔:(在晶晶的回忆里)真巧啊 又在这里遇到你
(晶晶の回想)偶然だな!またここで君に会うなんて。
晶晶:你的声音好熟啊 我好像在哪里听过
あなたの声は聞き覚えがあるわ。どこかで聞いたことがあるみたい。
云翔:我是送你那把伞的那个人嘛
僕は君に傘をあげた人ですよ。

云翔:(在晶晶的回忆)我知道你有所顾虑
(晶晶の回想)君が心配していることも分かってる。
要不然 这样好了 明天呢
なんならこうしよう。明日ね
我送一本我的作品到你电台去
君のラジオ局に僕の作品を送るから
你可以请你同事看看
同僚に見てもらうといいよ。
也可以请他们打电话到我工作的地方
彼らに僕の仕事場へ電話をかけてもらってもいい。
查证一下 好不好
そうして調べてもらえばいいだろ。
这样你应该可以放心了吧
そうすれば君も安心できるに違いないさ。

云翔:(在晶晶的回忆里)你觉得时间是问题吗
(晶晶の回想)君は時間が問題だと思うのかい。
我觉得感觉才是问题
僕は感覚だけの問題だと思うよ。
晶晶 我们好像认识很久了
晶晶、僕らは昔から知り合いだったような気がする。
这种感觉不曾有过
こんな感覚は今までなかった。
你这么善良的人应该不会怪别人吧
君はこんなに良い人だから他人に腹が立たないに違いないよ。
(晶晶终于发现了小鹿的声音正是云翔的)
(晶晶は終に小鹿の声が雲翔の声だと気づく)

程高:晶晶 你在听吗
晶晶、聞いてるかい?
晶晶
晶晶。
晶晶:
小芳:晶晶 你怎么了 你脸色不大好耶
晶晶、どうしたの?顔色がよくないわ。
晶晶:我没事
大丈夫。
程高:好 那我们继续听
よし。じゃあ続けて聞こう。

小鹿:我在此感谢各位
ここで皆さんに感謝します。
也同时声明 我绝对不会到你们电台去
同時に宣言します。絶対にあなた方のラジオ局には行きません。
而且我和傅小姐之间的事情
それに私と傅さんの間のことは
也没有必要跟任何人交待
誰にも説明する必要はありません。
我要说的都说过了
説明すべきことは全て説明しました。
希望你们不要为难傅小姐
どうか皆さん傅さんを苦しめないで下さい。
至于我的莽撞给各位带来的麻烦
zhìyú wǒde mǎngzhuàng gěi gèwèi dàiláide máfan
私が無茶をしたために皆さんにご迷惑をお掛けしました。
我在此道歉
ここにおわびします。
晶晶:(在心里)他为什么要这么做
(心の中で)彼はなぜこんなことをするんだろう。
程高:我希望大家想一下
みんなに少し考えて欲しいのは
怎么样借助这一段小鹿亲自寄来的声带
この小鹿自ら送ってきたテープにどう助けを借りたらいいかだ。
来帮助节目提高收听率
番組の聴取率を上げるためにね。
晶晶:这录音带是寄给我的吧
この録音テープは私に送ってきたものよね。
小芳:是啊 晶晶 怎么了
そうよ、晶晶。どうしたの?
晶晶:那就是我私人信件了
じゃあ私への親展だわ。
你们没有经过我的同意就听了内容
あなたたちは私の同意なしに内容を聞いたのよ。
现在还要利用我的私事来提高收听率
今はその上私のプライベートを利用して聴取率を上げようとしている。
程高:晶晶 我不是曾经跟你说过
晶晶、私は以前君に言わなかったか。
在这个商业的社会里 哪怕是一点回忆
このビジネス社会では、少しの回想であろうと
只要是值钱我们都要拿出来卖
金になりさえすれば全て売り出さなきゃいけない。
晶晶:那如果有人口贩子想买丹丹
じゃあもし人買いが丹丹を買いたいと言ったら
你也会把丹丹卖了吗
丹丹を売り飛ばすの?
程高:这根本是两回事
それとこれとは別のことだ!
晶晶:对我来说 这是一回事
私にとっては同じことよ!

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テレビ大阪で初代『ガンダム』放送中

また下らない記事で申し訳ないが、大阪出張するとホテルを8:40に出ても間に合うので、今まで特に理由もなくNHK朝の連続ドラマを見ていた。

ただ『瞳』から『だんだん』になって以降、脚本のあまりのセンスのなさに見るに耐えなくなった。

『瞳』は脚本は別として、西田敏行や安田顕が上手いのでまだ見られたが、『だんだん』は例えば「しじみ汁」というネーミングや、思い出の歌だか知らないが『赤いスイトピー』という選曲など、視聴者をバカにしてるのかと腹立たしくさえなってくるのだ。

そこでチャンネルを適当に変えていたら、何とテレビ大阪で初代『機動戦士ガンダム』が再放送されているのを見つけてしまった。しかも帯で放送している。(残念ながら同系列のテレビ東京では放送していない)

『機動戦士ガンダム』放送当時、僕はガンプラに熱中する友人を何となく軽蔑して全く関心がなかったが、以前ここに書いたように、最近になって同じ富野由悠季監督の『ザンボット3』や、『ガンダム』の初代劇場版を観て、後世のロボットアニメに与えた影響の強さを始めて知った。

ただ初代のテレビシリーズは一度も観たことがなかったので、大阪のビジネスホテルで出勤前の40歳前後のサラリーマンが、朝食をとりながら『ガンダム』に見入っているという図になるわけだ。

先週放送回に登場した『ガンダム』のランバ・ラル、クラウレ・ハモン夫妻の設定は、明らかに『交響詩篇エウレカセブン』のチャールズ夫妻に影響を与えている。

これからも大阪出張のちょっとした楽しみになりそうだ。

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2008/12/14

中国EPSONウェブサイトのalanさんFlash動画ゲーム


中国EPSON(愛普生)のウェブサイトに、いつの間にかalanさん大活躍の「EPSON为学习加油!有ME」というFlashのページが出来ている。

ここをクリックして「EPSON为学习加油!有ME」を開く。

日本では実力派カッコイイお姉さん系の売り出し方だが、このEPSONのウェブサイトでは、学生向け廉価版インクジェットプリンタのイメージキャラクタのせいか、かなりキュートなイメージ。

小明というかわいいキャラクターまで登場している。その4コマ漫画はこちらをクリック。

「alan专区」という文字をクリックするとYouTubeにアップされていたEpsonMEの広告メイキング動画のオリジナルを見ることができ、中国語版の彼女の曲が5曲、ハイライト部分だけ聴ける。

「给伙伴加油」(学生の仲間たちにエールを!という感じの意味か)というFlashゲームのコーナーは、alanさんファンならかなり楽しく遊べるかも。特に「电子版加油卡」(電子版がんばれカード)は。

alan(阿蘭達瓦卓瑪) | | トラックバック (0)

2008/12/13

日本語版「i'm lovin' it」がない理由は?


どうでもいい話だが、この間マクドナルドでカップに印刷されていた各国語の「i'm lovin' it」を一つずつ読んでいて気づいたことがある。

我就喜欢、ich liebe es、c'est tout ce que j'aime...

日本語がない!日本語版の「i'm lovin' it」がない!

もしかするとこのパッケージは日本用に各国語版の「i'm lovin' it」をサービスで印刷してあるのかもしれないと思い、各国のマクドナルドのウェブサイトを見てみた。

大陸中国のウェブサイトのタイトルは「麦当劳 我就喜欢」。
フランスはロゴの下に「c'est tout ce que j'aime」。
ドイツもロゴの下には「ich liebe es」。
ロシアでもロゴの下にキリル文字で書いてある。
アルゼンチンもロゴの下にスペイン語がある。
オーストリアはサイト自体はドイツ語だがロゴの下には英語で「i'm lovin' it」。
バーレーンはアラビア語。
ベルギーはネーデルランド版がロゴの下は英語、フランス語版も英語。
ブラジルはロゴの下はたぶんポルトガル語。
ブルガリアはロゴの下は英語。
カナダはロゴの下は何も書いていない。
チリはロゴの下にたぶんスペイン語。
コロンビアはロゴの下にたぶんスペイン語。
クロアチアはロゴの下は英語。
オランダはロゴの下は英語。

全て調べるほど暇じゃないので、時間のある方はこちらのマクドナルド各国語サイトへの入口から調べて頂きたい。

ただ、英語が公用語ではない国で「i'm lovin' it」なのは日本だけではないようで安心(?)した。

個人的に気になったのが韓国も台湾も英語の「i'm lovin' it」を採用している点。特に台湾が「我就喜歡」を使っていないこと。

例えばマクドナルドのロゴの下に「それって好き」などと日本語で書いてあると、日本人が違和感を抱くだろうことは容易に想像できる。だからマクドナルドは日本語版を作らなかったに違いない。

韓国も日本と同じく、大多数の国民が素朴に親米派なので同じ理由でマクドナルドは「i'm lovin' it」で問題ないと判断したのだろう。

しかし台湾も、韓国や日本と同じ理由なのだろうか?

どうでもいいことなのだが、気になるといえば気になる。

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2008/12/12

英タイムズ紙の雅子様記事を『とくダネ!』が誤報

今週フジテレビ『とくダネ! 』が、英「タイムズ」紙の雅子様に関する記事を批判していた。雅子様を「朽ち果てた蝶」と表現した部分を取り上げ、司会の小倉智昭も、僕と同じ大学の研究室の後輩の(どうでもいいことだ)佐々木アナもうなずいていた。

しかし原文を読むと、この批判がまったくの間違いであることがわかる。むしろタイムズ紙は、日本の週刊誌が手のひらを返したように雅子様を非難し始めたことや、一般の日本人の適応障害に対する無理解を紹介し、雅子様を擁護しているのだ。

『とくダネ!』のスタッフは、英語が読めないなら英語の新聞の記事を紹介すべきでない。以下に記事全文の試訳を掲載する。

2008/02/05付け記事の原文はこちらから読める。
Tabloids turn against the Crown Princess Masako(タブロイド紙が皇太子妃雅子様に攻撃開始)」

「画質の粗い写真でも不況の危機にある日本にとっては十分すぎた。高価なメキシコ料理のディナー、皿一杯の貴重な黒トリュフ、皿一杯のフカヒレスープで、メディアは未来の日本の皇后に前例のない一斉射撃を爆発させた。

何年もの間、敬意を表して注意深く攻撃を避けてきたが、日本の記者は皇太子妃雅子様への攻撃を始めた。同情は糾弾に、寛容は攻撃に変わった。

皇太子妃雅子様の行為はヨーロッパ王室の標準では取るに足りないものだ。夕方にたまの休養をとり、6歳の娘をベビーシッターに預けて友達と夜の街に出かける。高価なフランス料理店と中華料理店で知人たちと一度か二度食事をし、乗馬し、東京の中心街でショッピングをする。サラリーマンなら金額も見ずにサインするようなディナーを食べたが、彼女の一年の家計は150万円に過ぎない。しかし日本の皇族の質素な標準からすれば、雅子様は贅沢しすぎというわけだ。

4年間もうつ病と診断されつづけた女性は、たった数週間で犠牲者から非難の的に変わった。かつてメディアは彼女が適応障害から回復する必要があると認めていたが、いまや公費を無駄づかいしていると攻撃する。一般大衆は雅子様の味方だが、週刊誌は友人とのディナーが見つかるや、なぜ公務を避けるのかと騒ぎ立てる。

海外の多くの人にとって、皇太子妃は究極の朽ち果てた蝶(ultimate broken butterfly)だ。ハーバード卒の民間人で、結婚によって格式ばった皇室の生活に入り、その精神は無慈悲な官僚主義に押しつぶされた。しかし日本では、雅子様はほとんど失敗だとする人もいる。男子の世継ぎを産むことができず、2004年以来病気で公務もできない。

何よりもgaman(我慢)の精神を尊ぶ国では、彼女のような原因不明の病気は単に心が弱くて克服できないだけだと見なされる。

日本の記者は数年来、皇太子妃雅子様に対する批判を控えていたが、彼女の病気を十分理解しておらず、最近の回復の兆しを仮病だと見なしている。

皇太子妃に近い筋がタイムズ紙に語ったところによると、問題の核心は、普通の日本人がうつ病をひどく誤解していることにあるという。日本人はうつ病を、努力して克服すべき病気と誤解しており、克服できないのは心の欠陥だと見なしているとのことである。」

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2008/12/10

公務員はクビを切られていい理由って何?

民間企業の非正規雇用者削減で、マスコミは大企業批判をすると同時に公務員削減キャンペーンをやっている。

ただ、当面の景気への悪影響という点では、民間企業が人員削減しても、お役所が人員削減しても大差ない。

それに公務員だって仕事を失えば路頭に迷う点では、民間企業の社員と同じだ。

社員をクビにする民間企業は許せないが、公務員はどんどんクビを切れと言わんばかりのマスコミや多くの日本人は、自分自身の二重規範ぶりを自覚して、あえてそう言うのだろうか。

ならば、民間企業の社員の雇用確保は重要だが、公務員の雇用確保はどうでもいいと考えるその根拠を示してほしい。

公務員は自分たちの税金で雇っているようなものだから、クビを切る権利は自分たちにあるとでも?

一般人のこの公務員に対するルサンチマンは何なのだろう。正直言ってすべての公務員を無差別に既得権者扱いする世論の根拠が理解できないのだ。誰か教えてくれないだろうか。

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2008/12/07

筆者の「clubDAMランキングバトル」今日の結果(2)

(※2008/12/07もランキング・バトルに参加したため、再掲)
BIG ECHOが2008/12/01から「DAM★とも」というサービスを始めた。会員は自分の歌唱をボックスで録音してアップロードし、インターネットで公開できるようになった。究極の自己満足。

ただし第一興商のWebサイトからログインして公開申請すると、運営スタッフの検閲が入り、公開まで48時間かかる。昨日『ORION』を録音したので、聴きたくないだろうけれど、そのうちここで公開する。

本日時点の筆者のランキング・バトル結果は以下の通り。

競争率の低い『A Perfect Sky』は1位になった。今回、初めてエントリーした曲は、中島美嘉『桜色舞うころ』、SPEED『あしたの空』、Superfly『愛をこめて花束を』の3曲。

『愛をこめて花束を』は覚えるのに1週間かかったが、とても素晴らしい曲で、何度でも歌ってしまう。Superflyのボーカル(Superflyのメンバーは彼女1人だけらしいが)、越智志帆のいかにも1960~70年代風のフェイクは真似できないが、非常に良い。Wikipediaによればやはりジャニス・ジョプリンの影響を受けているようだ。

A Perfect Sky (5072-34)/BONNIE PINK  1位 (93.536点)
Love Addict (6308-27)/中島美嘉      2位 (95.26点)
RED CLIFF ~心・戦~ (7074-39)/alan   4位 (96.504点)
今夜も星に抱かれて… (7075-51)/絢香  4位 (93.009点)
SAKURA~花霞~ (7306-38)/中島美嘉  4位 (96.43点)
WILL(Short Ver.) (6308-32)/中島美嘉   5位 (96.261点)
見えない星(生音) (7306-09)/中島美嘉   5位 (93.267点)
愛をこめて花束を (4190-04)/Superfly   5位 (96.53点)
ORION(生音) (7306-13)/中島美嘉     6位 (96.428点)
あしたの空 (4704-84)/SPEED        6位 (95.219点)
桜色舞うころ [良音] (6308-56)/中島美嘉 6位 (95.522点)
FIND THE WAY (6308-30)/中島美嘉    8位 (95.174点)
三日月 [良音] (7075-10)/絢香       12位 (94.946点)
STARS(Short Ver.) (6308-31)/中島美嘉 16位 (95.37点)
雪の華 (6308-33)/中島美嘉         24位 (95.187点)

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2008/12/06

今晩のNHKスペシャル『裁判員制度』は「八百長」番組

今晩のNHKスペシャル『日本の、これから―裁判員制度』の最後の部分を見ていたが、キャスターの三宅民夫氏は番組の最後の最後で、予想どおり「議論を深めながら裁判員制度を行っていく必要がある」と、裁判員制度の来年5月の開始にはっきりと賛成の立場を示した。

視聴者からのリアルタイムの意見集計では、反対が賛成の約2倍もあったのに、裁判員制度に賛成の三宅民夫氏が司会するとは、「八百長」番組と非難されても仕方ないだろう。

スタジオにいた裁判員制度を「熱狂的に」支持している市民は、いずれも高齢者。対して、冷静に反対している市民は、僕と同年代の30代と20代がほとんど。

これで来年5月からの裁判員制度がどうなるか見えた。

積極的に裁判員に参加するのは、現役を引退した比較的裕福な、つまり保守的な年金生活者で、近代司法の原則(権力の国家への集中と推定無罪の原則)を全く理解しておらず、古き良きムラ社会の延長線上に、現代社会が成り立っていると勘違いしている老人が大半を占めるだろう。

そして20代、30代、40代の働き盛りのほとんどが裁判員を辞退・拒否するだろう。

これで「市民感覚の反映」という美辞麗句は、文字通り単なる美辞麗句になる。非常に偏った保守的な意見が刑事裁判の審議の場に反映されることになる。

今晩のNHKスペシャルは、司会の三宅民夫の、最初から決まっていたとしか思えない結論づけも含め、裁判員制度の暗い行く末の、見事な「状況証拠」になっていたと言える。

番組の最後の方で、反対派の会社員の一人が、裁判員制度を含む司法制度改革は、米国からの政治的圧力の結果であり、「市民感覚の反映」など、後づけの美辞麗句ではないのかと、裁判員制度を作った関係者に詰め寄った。

それに対して、関係者は意図的にまったく的外れな回答をし、かえって裁判員制度が国民の総意にもとづくものではないことを露呈していた。

質問者の会社員は、回答がまったく的外れであることを正しく理解して、ただただあきれたような表情をしていたのに、司会の三宅民夫氏はその意図的に的を外した回答に、真剣に耳を傾けるという愚かさ加減。この場面は、かなりの見ものだった。

まあ日本というのは、この程度の国なのだ。

(今回も『裁判員制度の正体』を紹介しておく。裁判員制度が廃止されるまで何度でも紹介する)

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エセ良識派の橋下知事、ケータイ叩きよりリテラシー教育を

大阪府知事が、公立小中学校へ児童の携帯電話の持ち込みを禁止する方針を発表し、話題になっているが、親や学校関係者の無責任ぶりが如実に現われている。

何でもかんでもお役所まかせ。自分たちでルールを作って自分たちで守る気がまったくない。

そんな程度の国民だから、官僚の言いなりにしかならない政治家を自分で選んでおいて、その政治家に文句を言うはめになるのだ。まさに自業自得。

それに、『8時だよ全員集合』のような「低俗」バラエティー番組が子供たちの大人気を博したころも、同じような議論があったはずだ。

テレビを見る時間が増えたせいで学習時間が減ったという統計を引っ張り出して、だから子供にテレビを見させないようにしましょうなどなど。

そうやって低俗バラエティーを見ながら育った子供たちが、いまや小中学生の親になって、テレビ同様、新しいメディアである携帯電話を使う時間が増えたせいで学習時間が減ったという統計を見せつけられて、だから子供に携帯電話を使わせないようにしましょう。

これをデジャヴュ(既視感)と言わずして何と言おう。橋下知事だって「低俗」バラエティー番組を見て育ち、そして大人になってからは自ら出演してきたのではないのか。

テレビにせよ、ゲームにせよ、携帯電話にせよ、新しいメディアが子供に悪影響を与えると言って叩かれるのは、いつものこと。そのたびに橋下知事のような「エセ良識派」が登場する。本当に下らない。

テレビについても、結局、「低俗」バラエティーに対する表面的な批判に終わり、本当に子供たちに必要だったはずのメディア・リテラシー教育は、いまだに行われていない。

携帯電話についても、禁止をぶち上げる「エセ良識派」が一時的に注目を集めるだけで、本当に子供たちに必要なはずの情報リテラシー教育は行われずじまいになるのだろう。

日本というのは、この程度の国だ。

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2008/12/05

さすがNHKのニュース、裁判員辞退事例のレポート

今晩のNHK9時のニュースで、裁判員の通知を受け取った漁船の熟練操縦士が、社長と相談の上、辞退の返信をしたというレポートが放送された。なかなか画期的な報道だ。

操縦士がいなければ、当然、漁師がいても船を出せないので漁ができない。1日漁に出られなければ数百万円の損失というから死活問題だ。

仮にこの漁師の辞退を裁判所が認めなければ、裁判所は国民に「失業しても裁判所へ来い」と行っているのと同じことになる。

漁師のような一次産業者や自営業者、非正規雇用者にとって、裁判員の審議に強制的に呼び出されることは、まさに死活問題だ。

この漁師さんはもちろん顔を映さず、匿名で紹介されていたが、その後姿や社長の顔は放送されたので、分かる人には分かるだろう。そもそもこの人を知らない人は、顔を見たって誰だか分からない。

これが裁判所の禁じている、裁判員になったことを公にすることに当たらないのか興味のあるところだ。

また、この漁師さんはインタビューに答えて、誰彼かまわず裁判員にするんじゃなくて、やりたいという人だけを裁判員にすればいいじゃないかと、非常に全うな意見をおっしゃっていた。

その通り。だから「裁判をやりたい」という人間を、何年もかけて法律家として養成し、裁判官にして人を裁かせてきたのだ。

この漁師さんの率直な感想に、裁判員制度が国民の意見とまったく無関係に、裁判員制度導入の「狂信者」によって無理やり作られた制度だということが、はっきりと現われている。

さすがNHK、裁判員のテレビCMの広告費というエサに食いついて、裁判員制度に対する批判的な報道に及び腰の民放と違う。NHKにはどんどん裁判員辞退者の事例を紹介してほしい。

先日もご紹介したように、裁判員を合法的に辞退する方法はたくさんある。

『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)の第9章に書いてあるので、みんなで辞退して、国民の合意に基づかない、ずさんな制度は一日も早く廃止に追い込もう。

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2008/12/03

舞鶴少女殺害、冤罪の臭いプンプン

舞鶴少女殺害で家宅捜索をうけた男性は、おそらく冤罪だろう。

下着泥棒で逮捕された60歳の無職の男性の家宅捜索が6日間にもなったのを、警察は「雑品や鉄くずの山のせい」と言うが、物証も供述もない中で、事件発生から半年もたった今ごろ、下着泥棒で逮捕した60歳の男に疑いをかけるとは、いかにも冤罪の臭いがする。

周囲から変人扱いされ、独身で、おそらくまともな身寄りもない60歳の男性と来れば、無実の罪をおっかぶせるのに格好の相手だ。

自宅に鉄くずをためこみ、下着泥棒するような男が、警察の恫喝に虚偽の自白をすることなく最後まで耐えられるか。

殺したのは1人だけだから死刑にはならないと、無理やり罪を認めさせられ、どうせ刑期中に刑務所で死ぬだろうというところまで見込んで、冤罪にするに違いない。

「変人」がいなくなれば地域住民もハッピー、検挙率が上がれば警察もハッピー、被害者の肉親も犯人が見つかってハッピー、無関係な人たちも犯人が見つかって溜飲を下げてハッピー。

これだけ大勢がハッピーになるなら、60歳の「変人」一人くらい冤罪になって刑務所にぶち込まれても構わない。日本というのは、その程度の国だ。

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2008/12/02

中国ドラマ『地下鉄の恋』字幕で中国語をマスター74


中国电视剧《地下铁》的字幕翻译。今天是第七十四次。

二十一集电视连续剧《地下铁》 第十一集

云翔:不好意思 问一下
すみません。ちょっとおうかがいしますが
这里是麦氏宣传公司没错吧
zhèli shì màishìxuānchuán gōngsī méicuò ba
ここは麦氏宣伝会社に違いありませんか。
职员:哦 对 没错 你稍等 老板快忙完了
あっ、そうです。その通りです。しばらくお待ち下さい。社長はすぐ手が空きますから。
云翔:好 好
职员:你那边请坐一下
怎么了
云翔:哦 没事 没事
职员:陆先生 老板请你进去
陸さん。社長がお入り下さいと。
云翔:哦 可以了是吧
あっ、よろしいんですね。
职员:老板 陆先生
老板:陆先生 坐 你忙吧
陸さん。座って。君は下がっていいよ。
云翔:谢谢
老板:哎呀 不好意思
刚才我在忙一些重要的事情
さっきまでちょっと重要なことがあってね。
(※少し上の「你忙吧」と言い、中国語の「忙」はいちいち「忙しい」と翻訳するとかなりくどくなる。日本語の「忙しい」と中国語の「忙」は意味が違うと言ってもよさそうだ。中国語の「忙」は自分のやるべきことをやる、やらなきゃいけないことをやる、時間をとられるなど、日本語の「忙しい」よりもかなり意味が広い)
没工夫看你的履历
méi gōngfu kàn nǐde lǚlì
君の履歴書を読む暇がなかったんだ。
云翔:没关系 没关系
老板:那么自我介绍一下
じゃあちょっと自己紹介をしてもらえるかな。
云翔:哦 老板不好意思 这是我的一些作品
あっ、社長済みません。これは僕の作品です。
请你稍微过目一下
qǐng nǐ shāowēi guòmù yīxià
少し目を通して頂けますか。
嗯 老板
请问一下你们这边是应征美术设计吗
qǐngwèn yīxià nǐmen zhèbian shì yìngzhēng měishù shèjì ma
お尋ねしますが、こちらでは美術デザインの仕事も募集していますか。
(※「应征」は辞書には「応募する」の意味しかないが、この続きを見るとここは「募集する」と訳さないとおかしくなる)
老板:报上怎么说
新聞(の求人広告)には何と書いてあった?
云翔:报上 等一下
新聞ですか。ちょっと待ってください。
报上说这边有应征的
新聞にはこちらでは募集があると書いてあります。
(※ここで雲翔は新聞の求人広告〔何故か全て繁体字の小道具〕にピンクのマーカーで丸をつけたものを社長に見せる。そこには確かに「聘请美术设计师」と繁体字で書いてある)
老板:那就对了
ならそうだ。
画功不错啊 很适合我们公司的要求
絵の腕前は素晴らしい。わが社の要求にぴったりだ。
这样吧
こうしよう。
月薪三千五 三个月试用期怎么样
月給3500元。三か月は試用期間。どうだ?
云翔:嗯 不是 你这么快就决定要用我吗
えっ。いいえ。そんなに早く私を雇うと決めるんですか?
老板:怎么 有问题吗
どうした?問題があるか?
云翔:没有 没有
老板:那就行了 不是还有三个月试用期吗
じゃあいいだろ。まだ三か月の試用期間があるんだぞ。
(※ここの「不是~吗」は念押しの意味か)
其它问题等试用期满了以后 会有经理专门找你谈的
qítāwèntí děng shìyòngqī mǎnle yǐhòu huì yǒu jīnglǐzhuānmén zhǎo nǐ tánde
その他の問題は試用期間が終わった後、経理部門が君と話すだろう。
(※「会有~的」が文法的にどういう構造なのかわからない。「会」は未来の助動詞だが「有~的」はどういうことなのか。また「专门」は辞書には「専門家」しかないが「部門」の意味か?)
云翔:嗯 谢谢
老板:什么时候可以上班
いつ出社できる?
云翔:我 我随时都可以的 我随时都可以
わ、私はいつでも大丈夫です。いつでも出社できます。
老板:那就明天吧
じゃあ明日からだ。
云翔:
老板:明天上午九点
记得千万别迟到 我最讨厌别人迟到
いいか絶対に遅刻するな。私は遅刻する人間がいちばん嫌いだ。
(※この「别人」は単に「人」という意味。以前にも同じ用法が出てきた)
云翔:我不会迟到的 老板
遅刻はしません。社長。
(※やはり中国語で「会」が「can」の意味で使われることはほとんどないようだ。ほとんどの場合が「will」である)
老板:那就好
你可以走了
もう行ってもいいぞ。
云翔:哦 谢谢老板

谭丽娜:(在录音室里)听众朋友们 你们好
今天我们特别难得地请到了美容界的大师
今日は特にめったにお呼びできない美容界の大家
白美丽小姐来我的节目做客
白美麗さんにゲストとしてお越しいただきました。
(※美容界の大物で「白美丽」とは笑えるネーミング)
请她为大家谈一谈她的感情世界
白さんにはリスナーの皆さんに愛情の分野についてお話頂きたいと思います。
白美丽:好的 能回答 我尽量回答
わかりました。できる限りおこたえします。
谭丽娜:好 白女士
那您能不能谈一谈跟您交往时间最长的男士
ではいちばんお付き合いの長かった男性が
他最吸引你的地方是什么
あなたのどこにいちばん惹かれたのかお話いただけますか。

余总:谭丽娜的主持风格 有了很大的改变
譚麗娜の司会のスタイルは大きく変化したね。
不在那么伶牙俐齿了
bùzài nàme língyálìchǐ le
以前はあれほどしゃべりがうまくなかった。
(※「伶牙俐齿」で「弁舌さわやかなさま;口上手なさま」。ただ「不在那么」が辞書になく意味不明。「没那么」と同義か?文脈からは譚麗娜を誉めているので「(今と比べると以前は)あれほどしゃべりがうまくなかった」としか訳しようがない)
程高 你的功劳啊
程高、君の功績だよ。
程高:哪有
いいえ。
其实她在生活上也算是一个挺有母性的人
実は彼女、生活のうえではとても母性的な人なんですよ。
余总:是吗 这倒看不出来呀
本当か?そうは見えないが。
程高:我也是最近因为女儿生病
私も最近娘が病気になったために
她主动要求帮我照顾家里的事
彼女が自ら私の家のことの面倒を見たいと言って来て
我才 才慢慢地发现
初めてゆっくりと気づいたんです。
余总:哎 我问你啊 她到底有没有男朋友
程高:我哪儿知道 这是怎么问 这傻小子
私がどうして知ってるんですか。そんなこと聞かないで下さいよ。ばかですね。
(※いくら親しいといえ、社長に向かって「这傻小子」と言えるのだろうか。程高は社長と二人だけで話しているので、「这傻小子」は社長のこと以外にありえないのだが...)
余总:这样吧 有机会我帮你打听打听
こうしよう。チャンスがあれば私が代わりに聞いてやるよ。
我告诉你啊
いいか。
这样的女人才是你追求的目标 要加油啊
こういう女性こそ君が追い求めるべき目標だ。頑張れよ!
(※「才」のニュアンスは「こういう女性であって初めて追い求めるべき」ということで、言外には当然、晶晶ではダメだという意味が含まれている)
程高:唉 怎么加油 我这条件还敢要求别人
ええ、どうやって頑張るんですか。私のような条件でまだあえて人に要求しろと?
(※「我这条件」とは子持ちであることを指す)
余总:你看你 你看你
よく考えてみろ。
她同意帮你带孩子 就说明她接受丹丹了
彼女は君の子供を(病院へ)連れて行くのを手伝った。彼女が丹丹を受け入れている証拠だろ。
程高:再说吧 反正这事一个巴掌也拍不响
zàishuō ba fǎnzhèng zhèshì yīgè bāzhang yě pāi bùxiǎng
また話しましょう。どのみちこの事は一人ではどうにもなりませんから。
(※「一个巴掌拍不响」で辞書にあった。「巴掌」は掌。掌一つでは打っても音が鳴らないことから、一人ではどうにもならないこと)
余总:我告诉你啊 兄弟
我可是希望你 早点解决家事
wǒ kěshì xīwàng nǐ zǎodiǎn jiějué jiāshì
でも私は君が家のことを早く解決してほしいと思っている。
好集中精力来投入事业
hǎo jízhōngjīnglì lái tóurù shìyè
精力を傾けて仕事に打ち込むように。
你看你现在 左边是谭丽娜 右边是傅晶晶
君は今、左には譚麗娜、右には傅晶晶
在咱们广播界那是实力超群呐
zài zánmen guǎngbōjiè nà shì shílì chāoqún na
我々放送業界で実力は群を抜いている。
(※「那是」の「那」が何を指しているのか分かりにくい。左に譚麗娜、右に傅晶晶という事実を指しているのか?)
得抓住机会啊 做出点好节目来啊
děi zhuāzhu jīhuì a
チャンスを逃すな。いい番組を作るんだ。
(※「抓住 zhuāzhu」で「つかむ」。「一把抓住他的胳膊〔ぐいと彼の腕をつかんだ〕」「抓住一个小偷〔こそどろを捕まえる〕」)程高:放心 余总 我一定会全力以赴的
wǒ yīdìng huì quánlìyǔfù de
ご安心ください。余社長。きっと全力で対処します。
(※「全力以赴」で成語)
余总:好 拜托了
よし。たのんだぞ。

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2008/12/01

社員持ち株会ほどバカらしいものはない

ぺ・ヨンジュンさんが所属プロダクションの親会社の株式を保有していて、金融危機で年初来10億円の損失になっているそうだ。

このニュースで思い出したが、「社員持ち株会」ほどバカらしいものはない。

資金運用の基本は「リスク分散」だ。同じカゴにすべての玉子を入れれば、そのカゴがひっくりかえると、すべての玉子が割れる。玉子はいくつかのカゴに分散すべきである。

「社員持ち株会」で勤務先の会社の株など買えば、自分の会社の業績が下がれば、賞与も下がるし、株価も下がる。

もちろん業績が上がれば、賞与も株価も上がるが、そんな風にリスクをとりたいなら、インサイダー取引規制で売買しづらい勤務先の株より、もっと他に買うべき株があるはずではないか。逆にリスクを分散したいなら、勤務先の株と逆の値動きをする銘柄を買うべきだ。

こんなこと少し考えれば分かる。既に上場している会社の場合、「社員持ち株会」など完全なナンセンスで、会社への安っぽい忠誠心以外の何物でもない。

年収の何十倍ものレバレッジを効かせて(銀行から数千万単位で借金して)、買った瞬間に価値が下がり続ける資産、つまり「持ち家」に投資するのと同じくらいナンセンスだ。

日本の一般的な会社員の生活は、高度経済成長以降の数十年間はこうした「常識」の上に成り立ってきた。

それは日本の株価が長期的には上昇し続け、不動産の資産価値も長期的には上昇し続けるという、2008年にはまったく当てはまらない前提条件があって、辛うじて成り立っていた「常識」にすぎない。

前提条件がすっかり変わってしまったのに、いまだに自分の親の世代と同じように「社員持ち株会」で自分の会社の株を買い、「持ち家」で家計の貸借対照表をふくらませることを「常識」だと勘違いし続けているようなレベルの会社員たちが、都市票を支えているのだから、こんな自民党総裁が生まれるのは当然といえば当然だ。

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