« 自殺増を抗うつ剤のせいにするのは厚労省の保身 | トップページ | 会社を変える最適な方法論 »

2007/07/01

故宮沢喜一氏の身もふたもない合理主義

宮沢喜一元首相が死去した翌日の日経朝刊二面に、記者が氏と初めて対談したときのことを書いていた。誕生日が同じなんですよ、と切り出したところ、宮沢喜一氏は「それが何か?」と身もふたもない返答をしたという。

また、大平元首相などの地方出身者は、何かにならなければという思いがあるのに対し、東京生まれの自分はその必要がないと、とあるインタビューに答え、大平元首相を憤慨させたということも紹介されていた。

宮沢氏が70歳を過ぎるまで首相になれなかったのは、本質的に義理人情の世界である政界をうまく渡れなかったからだと言われているらしい。

この日経の記事を読んで、日本の政界で合理的な意思決定を堅持し続けた宮沢氏に、いまさらながら敬意を抱いた。

そして小泉氏のワンフレーズ・ポリティクスから、安倍氏のいわば「開き直りポリティクス」にいたる流れを見ると、宮沢氏のような「異端」を失った日本の政界は、これからますます合理性を軽んじる衆愚政治の方向へ突っ走っていくのだろうと、暗い気持ちになった。

僕が日々生活している日本のサラリーマン社会も、本質的には合理的判断よりも義理人情が優先される。日本の政界は、日本社会が本質的に合理的判断を軽視するものであることを、凝縮して表現しているに過ぎない。

最近、日本の選挙戦についてのドキュメンタリー映画が公開されたという

先輩議員が初出馬の候補者を体育会系のノリで(英語の字幕では「軍隊式に」となっていた)叱りつけているその一場面を見ると、民意を反映させる場である選挙そのものがこの状態では、とても日本の政治が合理的判断にもとづいて運営されていくとは思えない。

いってしまえば、日本というのはそういう国なのだ。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/70828/15615460

この記事へのトラックバック一覧です: 故宮沢喜一氏の身もふたもない合理主義:

» 宮沢喜一氏死去 [Authentic=ホンモノ?]
昨日のことですが、元首相の宮沢喜一氏が亡くなりました。氏の経歴についてはこちらに詳しく書かれています。 政治的業績についてはどちらかというとあまり良くない評価をする人が多いようです。丁度タイムリーに「河野談話」が問題になっていますが、これは宮沢内閣の時代の出来事です。 でも、ボクはこの方のキャラクターは嫌い... [続きを読む]

受信: 2007/07/05 17:57