社会的転換点としてのキャンディーズ
昨年末NHK総合で放送されていた「プレミアム10」枠の『わが愛しのキャンディーズ』が、2007/01/04にBS2で再放送されていた。前回は解散コンサート部分しか観られなかったが、今回は90分すべてを観ることができた。
社会的文脈に置いたとき、キャンディーズというアイドルグループが「大人vs若者」、つまり、若者から見た「大人は判ってくれない」という図式に見事にはまっていたことがよくわかる。
『微笑がえし』や『つばさ』といった解散間近のシングルの歌詞の中で、「青春」という言葉が忘れられたもの、二度と取り戻せないものとして語られているし、解散コンサートでも伊藤蘭が、自分たちの未熟さと大人たちの分別を対比させている。
もちろんこれはプロデューサ側の「演出」でしかないのだが、アイドルというものが「大人は判ってくれない」という図式で商品化されていた点に1970年代的なアイドルの位置づけがはっきり現れている。
ただ、キャンディーズはおそらくそうした「大人vs若者」という図式から、「これって私」という図式への過渡期にあったアイドルではないかと思われる。
解散コンサートの観客のほとんどが、若い男性ファンであり、全国的に組織化されたファンクラブ「全キャン連」だったのは確かだが、他方で、後期のキャンディーズは少女たちのファッションリーダにもなっていた。
少女たちにとってのファッションリーダ、少女たちにとってのあこがれの対象としてのアイドルという側面は、キャンディーズ解散後のピンクレディーにおいてより強力なマーケティング戦略として採用される。
その結果、1980年代のアイドルからは、若い男性ファンにとっての「大人は判ってくれない」的な側面(もちろん演出された反社会性でしかないのだが)がきれいさっぱりなくなり、ほとんど少女ファンにとっての「これって私」的な側面だけが残る。
女性アイドルの男性ファンは「大人は判ってくれない」的な社会に対する反抗という外向きの動機づけから、「僕だけの○×ちゃん」という私的な夢想という内向きの動機づけで女性アイドルを応援するようになったと言える。
キャンディーズの頃までは、女性アイドルの親衛隊に不良やヤンキー、学生運動の武闘派くずれが多かったのに対し、1980年代以降の女性アイドルの親衛隊が「ヲタク」化するのはまさにこのような背景からだろう。
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