« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月の記事

2006/03/30

品格を欠く藤原正彦のエッセー

■近所の小さな本屋に立ち寄ったら、今ベストセラーになっている『国家の品格』の著者、藤原正彦の『祖国とは国語』(新潮文庫)が平積みになっていた。どれだけつまらない本かを確かめるためにぱらぱらめくってみると、案の定、国家が折り目正しくなるためには、国民一人ひとりが折り目正しくならなければならない。そのためには小学生の国語教育が最重要である。などと当たり前のことが延々と書かれている。

きっと『国家の品格』という本にも同じようなことが書かれているに違いない。この種の本を読む人たちは、自分の考えで自分自身を洗脳したい人か、当たり前のことがいかに当たり前に書かれているかを確認して、著者の考えていることの凡庸さを嘲笑したい人くらいだろう。

しかしこの藤原正彦という人物は決して凡庸ではない。自分自身が「品格」を欠いていることに全く気付いていないという点で、きわめて非凡な数学者である。『祖国とは国語』の後半部分に、自宅と別に書庫専用の家を持ちたいという短いエッセーがある。その中で藤原氏は、どうせ書庫を作るなら愛人を一人囲えるくらいの小さな部屋が欲しいと書いている。下品である。

また、そのすぐ前のエッセーでは、旅行に出かけるときにはいつも自分の妻に、旅先できっと美しい踊り子を見つけてくる(つまり浮気してくる)と宣言して出かけるが、自分はどうしてももてない運命にあるようだ、などと書いている。下らなすぎる。

さて、この藤原という人のどこに「品格」があるのだろうか。小学生にはきっちり国語を教え込むべきだとか、国家の品格が大事だとか言う前に、自分に品格がないことを一日も早く自覚して欲しいものだ。繰り返し書くが、自分の書いていることの品格のなさに全く無自覚であるという点で、藤原正彦氏はきわめて非凡な数学者である。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

メルキオール『現代フランス思想とは何か』読書中

■最近書評がないとお思いの読者もいらっしゃるだろうが、いまJ.G.メルキオール著『現代フランス思想とは何か―レヴィ=ストロース、バルト、デリダへの批判的アプローチ』を図書館で借りて読んでいるところだ。邦題のとおり、現代フランス思想家3人に対する啓蒙主義の観点からの批判で、4年前の出版当時、たしか日本経済新聞の書評に取り上げられていたはずである。

それまでジャック・デリダの『エクリチュールと差異(上)』を面白く読んでいたのだが、比較的堅実なルソー読解の書『グラマトロジーについて』に比べると、いかにもデリダらしい言葉の戯れの側面が強くなっていて、かなり読みづらいことは否めない。

いっそのことデリダをバッサリ斬って捨てている本でも読んでみようかということで『現代フランス思想とは何か』を読み始めたというわけだ。メルキオールの「構造主義者レヴィ=ストロース」に対する評価は良い面、悪い面の両方にわたっているが、バルトについてはほぼ完全に斬り捨てている。辛うじて後期のセンチメンタルなバルトだけをプラス評価するにとどまっている。

その斬り捨て方が痛快で、この『現代フランス思想とは何か』は非常に面白い本である。肝心のデリダについてはこれからなので、読み終わったらまた書きたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/28

短命ドラマ『西遊記』に見る薄れゆく中国の影

■今朝の日本経済新聞に「上海の事業拡大見通しやや陰り」という記事があり、森ビルが外資系企業347社に調査したところ、今後三年間、上海で事業拡大が続くという見方が、一年前に比べ縮小しているとのことだ。その理由の一つに「反日」デモも含まれているという。

小泉首相が頑固に靖国参拝を続けていることと、麻生外相が外相でありながら露骨な中国脅威論をことあるごとに傍白してくれているおかげで、すっかり中国と日本の関係は改善のきざしが見えない。それに比べると、台湾や韓国との関係の良好さが際立つ。

中国と日本の関係が改善しようがしまいが、僕個人にはどうでもいいことで、米国政府が中国脅威論を捨てない限り、日本が単独で中国との関係改善にのりだせるはずもない。

フジテレビが並々ならぬ力を入れて1月から放送を始めた『西遊記』も、あっさり1クールで放送終了になったようだ。この外交的な雰囲気では、誰も中国の昔話など観たくもない。草なぎ剛が韓国なら、香取信吾は中国てなぐあいで、フジテレビが広告会社と組んで、妙な使命感を抱いて「こんなときこそ」という思いで『西遊記』を復活させたのかもしれないが、完全にあてがはずれたということか。

NHKで放送されている『宮廷女官チャングムの誓い』がアニメ化までされてしまう(『少女チャングムの夢』)ほどの、相変わらずの韓流ブームとは天と地ほどの差がある。

僕自身、中国語の勉強を再開するか、韓国語/朝鮮語の勉強をやり直すか考えた末、韓国語の文法入門書を購入してしまった。年齢や結婚生活のせいもあるかもしれないが、フェイ・ウォンの新譜はここ2年くらい出ていない。女子十二楽坊の他に日本で目立って人気のある中国出身アーティストもいない。

女子フィギアスケートで日本の良きライバルになるのも韓国人の少女。国際野球やサッカーで韓国と日本の試合は話題になるが、中国の話題はまったくない。卓球選手・福永愛の中国での活躍も、他のスポーツに比べるとまったくと言っていいほど報道されない。

一般の日本人が日常的に触れる文化領域から、中国の影が確実に退いていっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富士通のココログは全然ダメ

■今日、2006/03/28に富士通が勝手にココログのシステムをバージョンアップした。当初、バージョンアップのためのシステム停止は07:00~13:00と予告されていたが、直前になって突然17:00まで延期する有様。

しかもバージョンアップ後のココログの動作が何と遅いことか。まったくお話にならない。今晩、バージョンアップ後のココログでこの記事を投稿するまでに何分待たされたか。また、とある過去記事から外部のブログへトラックバックを1個送信するだけの処理に10分以上もかかった。

バージョンアップによって、これだけココログの性能が悪化しているのに、ココログのトップページにはお詫びのお知らせが一言もない。バージョンアップによる追加機能が宣伝されているだけだ。

富士通の技術力はこの程度のものなのだ。ブログごとき「お遊び」システムでさえまともに能力増強やバージョンアップができないのだから、東京証券取引所のシステムで失敗するのは当然といえば当然である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/27

オール電化住宅の流行

■最近オール電化住宅が流行だけれど、10年後もガス代より電気代が安いという保証はどこにもない。一生の買い物でガスコンロやガスのアウトレットが一つもない住宅を選ぶことに、疑問を感じる人はあまり多くないのだろうか。

たとえば日本近海で大きなガス田が見つかって、ガス代が大幅に安くなったとき、一戸建てならまだガスの配管工事もやりやすいだろうが、マンションで建物の中にガスの配管を新設するというようなことが簡単にできるのだろうか。

ついに美輪明宏までが登場した東京電力のテレビCMを目にすると、ふと、そんなことを考える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高齢者のためのアニメの可能性

■昨日、本体サイト「think or die」に日本経済新聞の社説「日本のアニメに経営戦略を」についての反論『メタ言語としてのアニメと経済合理性』を掲載したが、ビジネスとしてのアニメを考える以上、世代とアニメの関係も無視できないことにも気づいた。

ガンダム世代ははたして50代、60代になってもガンプラ(ガンダムに登場する「モビルスーツ」と呼ばれるロボットのプラモデル)を愛し続けるのだろうか。『テニスの王子様』のやおい小説を楽しむ「腐女子」の皆さんは自分の子供が20代になっても少年同性愛小説を楽しみ続けるのだろうか。それともヲタクには、ヲタクを卒業適齢期みたいなものがあるのだろうか。

僕が某大手コンピュータメーカでERPパッケージのプリセールスをやっていた頃の上司には、自宅に漫画の単行本の書庫があるほどの漫画好きで、いまだにかなりマニアックに漫画を楽しむことができている人がいた。

アニメーションに一定の卒業適齢期があるのなら、いつの時代にもアニメの受容層は限定されることになり、さらに国内の少子化の進行は避けられないので、ますますアニメ市場は縮小に向かう。その代わり日本で創作されたアニメが新興国に輸出されることで一定の市場拡大は見込めるだろうが、それでもアニメが本質的に「お子様向け」のものであることに変わりはない。

ヲタクが社会的に軽蔑の対象となるのは、やはりアニメや漫画が所詮は「お子様向け」のものであり、ヲタクの人たちとはいつまでたっても子供っぽさの抜けきらない「不完全な大人」であるという暗黙の社会通念があるからだ。このことは否定できない。(酒、タバコ、ギャンブルなしでは生きていけない大人たちも、立派な「お子様」ではあるが)

ただ、僕はガンダム世代が50代、60代になるころには、熟年向けのアニメーションが登場しているだろうと期待する。現時点で人気のアニメは10代の少年・少女が主人公になっているので、不可避的に10~20代の受容層しか産みださない構造になっている。

しかしこれからは50代、60代でも感情移入できる10代の主人公が登場したり、むしろアニメの強い虚構性を利用して、たとえば「コナン」が少年の姿をした大人であるように、少年少女の姿をした老人や、そもそも年齢という概念を超えた存在が主人公であるようなアニメ作品がもっと増えてくるのではないだろうか。

この表現の自由さや可能性こそが、ビジネス上の経済合理性を軽々と超えたところでアニメーションという分野を成立させているのであり、日本経済新聞の社説はアニメのこういった側面、というよりも本質を看過している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/23

右傾化しても左翼健在のフランス

■少し前のクーリエ・ジャポンに特集記事があったのだが、フランスは先進国中でも例外的に出生率が高く、2.0近い。その特集記事によれば、別にフランスの少子化対策が功を奏しているからではなく、子供を産まない女性に対する社会の風当たりが異常に強いためらしい。

要するにフランス社会は保守化しているようなのだ。僕が高校生のときに読んで、フランス現代思想を研究しようと思い立つきっかけになった『第二の性』で有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワールを輩出したとは思えない保守化ぶり。もちろんもともとフランスは女性差別が根強く、だからこそ逆にボーヴォワールのような偉大なフェミニズム思想家を生み出したのだとも言えるのだが。

ただ、報道でもご存知のように、政府の新しい雇用政策に反対してフランス各地で大学生たちのデモが続いており、沈静化の気配がないらしい。来週には労働組合も含めてフランス全土でゼネストに突入しそうな勢いだという。こういう報道を耳にすると、フランス国内の政治は左右のバランスがとれていると感じる。政府は自ら右傾化を否定しなければならないほど右傾化しているが、激しいデモをやめる気配のない左翼学生たちも健在というわけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/21

『交響詩篇エウレカセブン』第47話

■毎週日曜あさ7時からMBS・TBS系で放送中、もうすぐ最終回のアニメーション『交響詩篇エウレカセブン』の話である。なんとか『新世紀エヴァンゲリオン』の二匹めのどじょうを狙おうと1年にもわたって放送を続けているロボットものだが、以前この日記にも書いたようにストリーミング放送で最新話を無料で視聴できるので毎回観ている。

壮大で哲学的な世界観を何とか劇的に描こうという努力の空回りぐあいがとても痛々しい作品である。第47話『アクペリエンス・4』という題名からして何のことだか分からない最新話では、ついに謎の生命体「スカブコーラル」の正体が明らかにされた。主人公の少年レントンの姉がなぜかすべてを知る者として登場し、スカブコーラルの一万年前にさかのぼる歴史を語るという構成だ。なぜレントンの姉が語り手として選ばれているのかもよく分からない。

スカブコーラルは一万年前に地球に落下し、海中深く生息し始めたが、その唯一の自己表現の方法が他の生命体を同化することらしい。そういうわけでスカブコーラルは周囲の生命体を同一化しながら少しずつ成長し、ついには地球全体を同一化し尽くしてしまう。人類はそこから逃れるために地球を脱出してしまっていた。

地球全体を覆いつくしたとき、スカブコーラルは初めて自分が孤独であること、もはや同一化すべき他者が存在しないことに気付いたのだという。そして一万年ぶりに地球にもどってきた人類を深い思慕の情で迎え入れるのだが、やはりその表現方法は同一化しかないことには変わりない。で、主人公の愛する少女、エウレカはそのスカブコーラルの一部分であるコーラリアンと呼ばれる種類の生命体ということらしい。

ところが以前も書いたようにこの『エウレカセブン』の脚本は、ほとんど少年レントンが少女エウレカに出会ったときから一貫して彼女を愛しているという設定で、視聴者は毎回この二人ののろけ具合を見せられるという、緊張感のかけらもない展開なのだ。

スカブコーラルにとって人類が本当の意味で「他者」であるなら、人間であるレントンとコーラリアンであるエウレカの間には、乗り越えることができない断絶が延々と描かれてしかるべきである。ところが物語の冒頭からすでにレントンはエウレカを守るために戦うと宣言し、物語の最後でスカブコーラルを守るために戦うという結末が見えてしまっている。

非常にまずい脚本である。これでは1年間放送しても泣かず飛ばずなのは当たり前。14歳のレントンは同年代の少年が感情移入するには大人びすぎているし、エウレカの母性表現は保守的すぎて、十代の少女には感情移入できないだろうし、大人が見るには上述のように脚本のできが悪すぎる。

また、敵軍の少年ドミニクとレントンのからみがほとんどないので、「やおい」系の「腐女子」の皆さん(=少年の同性愛描写が好きな皆さん)をひきつける要素がないし、エウレカや、敵軍の少女アネモネは綾波レイと違って胸が全くないので(下品な話で申し訳ない)、ヲタクの皆さんをひきつける「萌え」要素もない。

LFOと呼ばれるロボットどうしの戦闘シーンも少ないので、メカニックおたくや軍事おたくの皆さんをひきつける要素もない。これでは1年間引っ張っても周辺ビジネスも含めてヒットする要因がどこにもない。

最近のロボットモノでは、そういう意味で「やおい」系ファンに意識的に的を絞った『ガンダムSEED Destiny』の方がビジネスとして成功するのは当然といえば当然だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/09/08-11/01)

■(ナターシャ・サン=ピエール経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/09/08 次のアルバムは一部はフランス(パスカル・オビスポとのコラボレーション)、一部はモントリオールで録音される。

ナターシャフランス入り。6週間にわたって多くのテレビ・ラジオ番組の録画・録音がある。そしてセカンドアルバム『A chacun son histoire』から2枚目のニューシングル『Tu m'envoles』(訳注:ふつうenvolerという動詞は代名動詞として自分自身の「飛び立つ」「吹き飛ばされる」などの動作を示すためにしか使われず、この曲の題名のように「あなたが私を飛び立たせる」のような形では使わない)を発売する。

―2001/09/12 本日からガルーのツアーがモンペリエのゼニト(訳注:会場の名前)で始まり、12/01モントリオールのサンドニ劇場での公演まで続く。ナターシャは前座をつとめる。

―2001/09/15 30分間のガルーの前座でナターシャが歌ったのは以下の6曲。
1.『A chacun son histoire(人それぞれの物語)』
2.『Tous les cris les SOS(SOSの叫び)』(ダニエル・バラヴォワンヌの曲)
3.『Tu m'envoles』
4.『Can't find the moonlight』(映画『コヨーテ・ガールズ』から、リーン・ライムの曲)
5.『Je n'ai que mon âme』
6.『The winner takes at all』(アバの曲)

―2001/09/18 ナターシャが『Je n'ai que mon âme』でフランスのゴールデン・シングルに。30万枚以上の売上!

―2001/09/28 今晩午前1時からTV5がモントリオールのモルソン・センターからの中継で特別番組を放送。ケベックのアーティストが多数出演し(セリーヌ・ディオンも!)、米国9.11テロの犠牲者に哀悼の意を示す。ナターシャはベルギーでツアー中だが、激励のメッセージを録画しており、番組中で放送される予定。

―2001/10/04 第23回ADISQ授賞式が開かれる(訳注:ADISQとは1978年にケベック州の音楽振興のために設立された団体。Association québécoise de l'industrie du disque, du spectacle et de la vidéo〔ケベック州レコード・芸能・ビデオ産業振興会〕の略)。ラジオ・カナダの19時30分からのテレビ放送で10/28に開催される第23回授賞式のノミネートがサンドニ劇場からの中継で発表される。

ナターシャは「年間最優秀女性歌手」と「ケベック州の外で最も名声を上げたケベック出身のアーティスト」の2つのカテゴリーでノミネートされている。一般の人たちは2001/10/14まで「最優秀女性歌手」と「最優秀男性歌手」に投票できる。

―2001/10/11 ナターシャは明日の晩、リヨン郊外のラジオ・スクープでプライベート・コンサートを開く。フランスでナターシャが初めて開くソロコンサートである。

―2001/10/16 ナターシャの最新アルバムは予告された今年秋にはケベックで発売されず、2002/02になる予定とのこと。2002/03にはヨーロッパでも入手可能。

―2001/11/01 ナターシャはADISQで受賞することができなかった。彼女は新たなパートナー、セバスチャン・ブノワに抱かれて輝かしく登場。公式の場に初めていっしょに現れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/20

徳田和嘉子『東大生が教える!超暗記術』

■ダイヤモンド社から発売されているの徳田和嘉子著『東大生が教える!超暗記術』という本が、毎週のように日本経済新聞に広告が出ているし、Amazon.co.jpの売上ランキングでも91位になっているらしい。宣伝文句に「たった一年で東京大学法学部に合格した徳ちゃんの暗記術を大公開」とあるので、この本を読めばたった一年で東大に合格できるくらいの記憶力が身につくとだまされて購入する一般人がおそらくたくさんいるのだろう。

ただ、言うまでもなくこの著者はこの本に紹介されている暗記術のおかげで東大法学部(おそらく文化一類のことを言っているのだと思うが)に合格したわけではない。

自分の勉強法を他の人にも応用できるように体系化して、最終的にはこのように書物のかたちにまとめるだけの構想力や文章力があったからこそ、彼女は東大に合格したのだ。また、「たった一年で」合格したというのも大ウソで、彼女が東大に合格できた勤勉さは、受験勉強を本格的に始める前からすでにそなわっていたはず。

結局のところ、自分の考えの全体をつじつまが合うようにまとめ上げる能力とか、わかりやすい文章を書く能力とか、ものごとに地道に、勤勉に取り組む能力とか、そういったものがすべてこの著者にそなわっていたからこそ東大に合格できたわけで、この本に書かれている暗記術と彼女の東大合格とは直接の関係はないのだ。

そういうこともよく考えずにキャッチコピーにおどらされて、この手の「東大生本」に安易に手を出すような人たちは、残念ながら自分の子供を東大に入学させることもできないし、自分自身の記憶力を飛躍的に伸ばすこともできない。

昔から言うように「学問に王道なし」。本当に子供を東大に入れたいとか、自分の記憶力を伸ばしたいと思うなら、自分で苦心して自分にいちばん合った方法論を見つけ出さなければならない。この手の本を買って、楽して結果を得ようと思う人たちに、この本の著者のような結果を出すことはできないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006/03/18

『女王の教室』スペシャル1の脚本・演出に失望

■昨晩、日本テレビ系でドラマ『女王の教室』スペシャルの「エピソード1~堕天使~」が放送されていた。2夜連続スペシャルの1日目である。ご存知のように連続ドラマ版『女王の教室』は2005/07~09の1クールだけの放送だったが、最終回の視聴率はなんと25.3%を記録したそうだ。僕は連続ドラマ版は見ていないが、昨年末放送された総集編を見て、デフォルメされた主人公のキャラクタ設定に少しはまってしまった。

今回のスペシャルは、年末の総集編で予告されていたものだが、冷徹な女教師・阿久津真矢の秘められた過去を明かすという主旨で、彼女が小学校教師として初めてうけもった6年生のクラスや、私生活での結婚とその悲劇的な結末を通じて、なぜ彼女が冷徹な教授法をとるにいたったのか、その理由が描かれていた。

阿久津真矢のデフォルメされたキャラクター設定からして、演出がくどくなったり、脚本がご都合主義的になったり、見ていて鼻白むのはある意味当然というか、それでこそ『女王の教室』らしさが出るのだが、今回のスペシャルはひどすぎる。

例えば彼女が最初に担当した6年生のクラスで、阿久津真矢に同性愛的な思いをよせる女子生徒が登場する。真矢と二人だけの秘密だといって交換日記をするよう強要したり、物語の展開としては面白くなるはずなのだが、その擬似恋愛感情の描き方がいかにも中途半端で、女子生徒が一転して真矢に復讐の刃を剥く描写に説得力がまったくない。女子生徒が真矢の手に重ねる手だけを抜いたカットや、女子生徒の濡れた唇だけを抜いたインサートショットくらいは欲しい。

それから幼稚園児の息子を事故で亡くした真矢が、息子が溺死したのと同じ場所で入水自殺しようとするところへ、上記の女子生徒から5年ぶりに「今から死ぬ」という電話がかかってくる場面。これはシーケンスの組み立て方が間違っている。

正しくは、失意の真矢が呆然とした表情で、毎日のように息子の溺死現場に通い、日の暮れるまで川岸に座りこんでいるというカットの反復があって、ある日、いつものように川岸にすわって遠くを見つめているところへ突然、携帯電話が鳴る、というシーケンスだろう。

また、別れた恋人の子供を身ごもって自暴自棄になったその少女を救い出し、中絶手術の終わった産婦人科で少女につきそっているのが真矢一人というのも不自然だ。ここでは見舞いに来た母親を少女が拒絶して病室の外へ出し、真矢と二人きりになるというシーケンスを挿入することで、少女が真矢に対して持っている「教師を続けてほしい」という思いがより説得的に演出できる。

というのは、少女の母親は「不良」になってしまった娘になかば愛想を尽かしていて、少女はそうして母親の愛情を受けられなくなったことに絶望して自殺を考えていたということが、少女が母親を病室から追い出すというシーケンスを入れることでちゃんと説明できるからだ。

同時に夕暮れの病室に真矢と二人きりになることで、小学生の頃、やはり同じように夕暮れの教室で真矢と二人きりになったとき、少女が真矢に対して犯した罪をつぐなうという意味をもたせることができる。

少し考えただけでもこの3か所については脚本と演出を直したくなる。二日連続のスペシャルで作るのであれば、僕のような素人に簡単に欠点を指摘されるような手を抜いた作り方をしないでほしい。もととなるアイデアがよく出来ているだけに、それを脚本に落とし、さらに演出に落とす段階で、元のアイデアが台無しになっているのが際立つ。それくらい僕は今回のスペシャルに期待をしていたのだが、かなり失望させられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/06/21-08/26)

■(ナターシャ・サン=ピエール経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/06/21 今晩20:50、テレビ局「フランス2」のミシェル・ドリュッカー、ジュリー・スニダー司会による番組『レッド・カーペット』が音楽祭について放送。ナターシャは『Je n'ai que mon âme』を歌った。

―2001/06/27 『スタークラブ』誌2001年7月号の記事。『ナターシャ・サン=ピエール、私は決して泣かない』

「彼女は上位5位に入った。賭けに勝ったのだ!先日、5月21日のユーロビジョン・コンクールで第4位に入賞したナターシャ・サン=ピエールはカナダ出身で、フランス代表として目覚しい活躍をした。それでも人々は彼女に『ノートルダム・ド・パリ』英国公演でのフルール・ド・リ役としての輝かしい演技を期待していた。

私はカナダ南東部、米国国境近くのバトゥルストで、1981年2月10日に生まれました。結婚も、婚約もしていません。

16歳のジョナサンという弟がいます。私のことを誇りにしてくれていますが、私も弟のことを誇りに思っています。私たちの国ではホッケーの名選手ですから。

パパは刑務所の所長で、母はある種の病院の看護師長をやっています。基本的に母は看護師ですが、今はもう看護の仕事はしていないんです。ただ監督をしているだけです。私は今モントリオールに住んでいます。

歌のほかには映画、読書、友だちが好きです。友だちとはあまり会えませんけど。自由な時間があるときは、できるかぎり友だちと過ごしたいですね。

勉強の面では、理系の大学入学資格試験に合格しました。大学の生物学科に入るはずでしたが、ちょうどそのときに『ノートルダム・ド・パリ』の公園が始まったんです。生物学の勉強がしたいのか、研究所で研究をしたいのか、よくわかりませんでした。でも基本的に大学で4年間生物学を勉強して、それから先生になるために5年目も勉強するか、そのまま研究室に行くつもりにしていました。

夏は、海水浴や水泳、足こぎボート、水上スキーをします。冬は、ウォーキング、ジョギングや、むしろ室内スポーツをしますね。寒いのがちょっと嫌なので。

私はとても物静かで、とても内向的なタイプです。感情を表現しにくい性格です。日常生活を語るならそれでもいいのですが、感情を表現するには、たとえば誰かが私を苦しませたとしても、それを言うことに困難を感じます。私は決して泣かないです。一人きりのときでもです。何かとっても悲しいことが起こっても、泣くことはできません。泣くことについて一種の難しさがあるんですが、決して教育のせいではないんです。私の家ではタブーの話題というのがないので。ただ、私は快活ですし、ほとんどの場合、とてもまじめです。まじめというよりも、メリハリがある感じかしら。仕事をするときは仕事をするし、遊ぶときは遊ぶ。それぞれの物事にはそれぞれの時間があって、そんなふうに私は生活してます。とっても合理的なんですね。

私の両親は26年か27年前に結婚しました。だから当然私も結婚すると思っています。結婚は可能だと思ってますよ。たしかに私たちの社会では結婚することはだんだんと難しくなっていますけど、いつか一生を過ごすような男性と出会えると願っています。でもそんな男性に出会うまで、当然、ちょっと恋愛関係にはなれないような、いろんな人たちに出会うでしょうね。でもいつかは子供を持ちたいと思うような(子供は2人欲しいです)、そして一緒に年を重ねたいと思うような男性と出会えると期待してます。

正直な男性がタイプです。自分に正直であることを怖がらない人です。だから場合にもよるでしょうし、その人にもよるでしょうね。人はそれぞれいろんな長所と短所が混じっていて、それでその人独特の個性が生まれているわけですから。その混じり具合が良く出るときもあるでしょうし、悪く出るときもあるでしょうし。おいしいチョコレート菓子もあれば、おいしくないのもある。それは、中に何を入れるかによるってことね。

食べることは大好きです。でも実際には日によりますね。朝食はたくさん食べるほうではありません。でも15時以降はとってもおなかがすきます。肉は好きではありません。マッシュポテト、チョコレートが大好きで、ひどい虫歯が一本あります。ピーナツバターも大好き。ピーナツバターをぬったバナナがおいしいんです。

着心地のいい洋服が好きです。だからジーンズが強烈に好き。冬は大きなセーターを着るのが好きですね。着心地がいいし、すごくかわいいのがありますから。靴もすごく好きです。いちばんよく買うのが靴かしら。

今は実家から車で8時間くらいのケベック州に住んでいます。実家に住んでいたときはいつも犬か猫を飼っていました。でも家を空けるときは家に置いて行っていました。今住んでいる部屋にはサボテンしかありません。あまり世話をしなくてもいいですから。1か月に一度水をあげるだけでいいですからね。

学校で音楽の先生が舞台に立つように勧めてくれたのは8歳のときでした。そこでは生で歌ったんです。それ以来、何度も舞台に立つようになって、だんだんと私の歌が知られるようになりました。14歳のときに2人の方から契約のお話があって、15歳でファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音しました。」

―2001/07/06 ナターシャはCDシングル『L'un avec l'autre』の録音に参加。2001年7月にカナダで開催されるJeux de la Francophonie(訳注:フランス語圏の祭典=オリンピックの翌年4年に一度開催され、3,000人のフランス語圏の若者が一堂に会する唯一の祭典。2001年は第4回大会で、カナダとレバノンの共同開催。51か国から3,000人が参加。スポーツ分野では陸上競技、バスケットボール、ボクシング、サッカー、柔道、卓球、ビーチバレーが行われ、芸術分野では歌、演劇、ダンス、文学(詩)、絵画、写真、彫刻の展示が行われた)にあわせて発売される。

―2001/07/08 リュック・プラマンドンに捧げる大フランス祭 7月7日、オタワで『フランス語圏、プラマンドンを歌う』という公演が大フランス祭の一プログラムとして行われた。一時間半以上にわたり、イザベル・ブーレイ、ブルーノ・ペレティエ、ナターシャ・サン=ピエールなど、多くのアーティストがケベック人作詞家リュック・プラマンドンの美しい歌を歌った。数千人の観客が国会のある丘の上に集まってこの公演に参加した。

―2001/07/11 ナターシャはフランスの最優秀ゴールドディスク賞を受賞した。『Je n'ai que mon âme』がシングル売上チャートで第2位を獲得。

「ナターシャ・サン=ピエール:フランス最優秀ゴールドディスク賞受賞

フランスの人々はセリーヌ・ディオンのせいでナターシャ・サン=ピエールに惚れ込んだのか?ケベック出身のこの女性歌手はたしかに若々しい美貌を持ち、自信にあふれているが、ナターシャが私たちの心と耳を魅了したのはやはりその澄み切った声のせいだろう。その声はセリーヌの声を思い起こさせるのだ!

(中略)

ナターシャが成功したのは2001年のフランスデビュー以来、懸命に仕事をしてきたおかげだろう。高視聴率のテレビ番組に何度も出演し、いま人気絶頂のガルーのコンサートの前座をつとめ、フランスの主要都市をプロモーション・ツアーで回り、その成功を確固たるものにした。アルバム『A chacun son histoire』をソニー・ミュージックから発売するとやはりヒットし、フランスとベルギーの売上チャートに悠々と浮上した。

ケベックではシングルというものが存在しないので、ニューアルバムが店で売り出されたところだ。この弱冠20歳の歌手のファンはフランス語版と英語版の『Je n'ai que mon âme』を見つけて満足している(中略)。

ナターシャは7月から8月にかけてヨーロッパに滞在する。秋にはとても忙しくなるだろう。しかしそれもまた私たちが時宜を得て出会う、美しいサクセス・ストーリーではないだろうか。」

―2001/07/16 ナターシャは2001/09/12から12/01まで行われるガルーのワールド・ツアーの前座として参加することが決定した。

―2001/07/25 第4回フランス語圏の祭典が昨夜終わった。歌のパフォーマンスは閉会式のときに一回だけ行われた。ナターシャ・サン=ピエールとマリオ・ペルシャはこの祭典のためにリュック・プラマンドンが作詞した『L'un aven l'autre』を歌った。約40人のダンサーと800人のエキストラも参加した。

―2001/08/14 ベルギーの人々もナターシャが好きなようだ。彼女のシングル『Je n'ai que mon âme』はベルギーで35,000枚を売り上げ、ゴールド・ディスクとなった。

―2001/08/26 『Paris Match』誌の表紙に登場。そしてパスカル・オビスポとの競演。ナターシャは既に真のヨーロッパのスターになった。先日『Paris Match』誌の表紙に登場し、パスカル・オビスポは2002年春発売予定の次のアルバムでナターシャと競演することになった。

また、ナターシャは服装と髪型を新しくして、快活な性格ときらめくような若々しい美貌にぴったりの、もっと快活な雰囲気になった。『Le Soleil(太陽)』誌の2001/08/21付けの記事にナターシャは新しいルックスで登場している。

「ナターシャ・サン=ピエールはいつもファッションを気にしていると言えばそれはウソになる。『以前は何が流行か、何が流行でないかには、関心がありませんでした。ショッピングに行くのは大好きですが、流行よりも着心地のいい服を探していました。一年前から、とくにこの仕事をしているせいで、服に気をつかわなきゃいけなくなったんです。そんなことに興味を持つなんて、自分でも驚きなんですよ」と彼女は語る。幼い頃はむしろ男の子っぽい服装をしていたという。

『小さな頃は、母親が私にきれいな洋服を着せたがったんですが、4歳のころパンツとスニーカーしかはかないって決めたんです。別に誰かが私の髪をとかすわけでもないので、髪も短くしていました』。おてんばだった彼女は木で小屋を作り、サイクリングをし、彼女にけんかをしかけて来た男の子の鼻をへし折った。

『基本的に私は今風のファッションが好きな、よくいる女の子なんです。変なかっこうはしませんが、今は前よりも少しだけ思い切ったファッションをしています。両方を混ぜた感じにしようとしてるんです』。彼女はファッションの趣味はパリに何度も滞在するうちに身についたと告白した。パリで、パコ・ラバンヌ、ジャン・シャルル・ド・キャステルバルジャック、ランヴァン、ジャンポール・ゴルティエ、ロリータ・レンピカなどなどの洋服を着るようになったということだ。ロリータ・レンピカは彼女がユーロビジョンに出演したときの衣装である。」


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/15

デスクネッツのトップ画面をカスタマイズ

■デスクネッツ・スタンダード版のカスタマイズについて。以前デスクネッツの「電子会議室」へVisual Basicで自動的に記事を投稿する方法について解説した。これはデスクネッツ本体に手を加えるというより、独自のデータ入力用インターフェースを構築してしまおうという試みだった。

(なお、デスクネッツとノーツ/ドミノの機能比較については、本体サイトの「think or die」の「ITを考える」を参照のこと)

今回はデスクネッツのトップ画面そのものに手を加えてしまおうというカスタマイズだ。と言っても、やることは単純である。サーバにデスクネッツをインストールすると、通常「dnet」というフォルダ配下にファイルが展開される。その下にある「page」というフォルダの中に「xtopmenu.html」というファイルがあるが、これがデスクネッツのトップ画面のひな型HTMLファイルになっている。

このHTMLファイル内には「$」で始まり「$」に終わるパラメータが埋め込まれているので、その部分を変更してはいけない。また「」というコメント部分が、ユーザごとに設定されているポータル画面が展開されるので、このコメントも勝手に変更・削除してはいけない。

したがって、それ以外のHTMLソースコードにも一切手を加えず、レイアウトを崩さないように様々な要素を追加することは、問題なくできるということになる。たとえばIFRAMEタグを使えば、他のWeb型システムの任意の画面をデスクネッツのトップ画面に常に表示させるようにすることもできる。

また「local.jp」というフォルダ内には、各画面のメッセージリソースが「インフォメーション」「電子会議室」などの機能別に保存されている。「local.jp」という名称から想像するに、日本語版のメッセージ・リソースという意味だろう。メッセージリソースの中身は単なるテキストファイルなので、画面上のメッセージを自社独特の用語に合致した言葉に変えようと思えば変えられる。

いずれもバージョンアップ時には新しいファイルが上書きされて設定がなくなってしまうし、ひな型のHTMLファイルやメッセージリソースの形式が今後のデスクネッツのバージョンアップで変更される可能性もあるので、まったく開発元の保証外であることをご理解いただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/12

『Find the Way』も『You Raise Me Up』も偶然ニ長調

■数寄屋橋HMVでパダのサード・ソロ・アルバムを入手できた。新大久保あたりまで行かないと買えないのではと思っていたが、それほど広くない数寄屋橋HMVの店舗の韓国POPSコーナーに1枚だけ在庫があった。明日から通勤電車は『Made in Sea』の毎日になる。

中島美嘉のオリジナルの『Find the Way』はEフラット(変ホ長調)だが、パダの歌う『Find the Way』は半音低いD(ニ長調)。僕がぎりぎり歌える高さのキーだ。偶然にもCeltic Womanの『You Raise Me Up』もやはりキーがDで、自分のあまり美しくないファルセットで個人的には気持ちよく歌える。どちらも2日でギターの弾き語りができるようになった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

富野喜幸『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』

■富野喜幸『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』(1982年)を観た。これでファースト・ガンダム劇場版三部作を観終え、ようやく一連のガンダムシリーズを語るための出発点に立てた。本作の劇場公開は公式Webサイトによれば1982/03/13。ちょうど24年前の時間にようやく追いついた。

『機動戦士ガンダムSEED』総集編DVDの3枚目がどれだけ多くをファーストの『機動戦士ガンダム』に負っているかも『めぐりあい宇宙(そら)編』を観て初めて分かった。「宇宙」と書いて「そら」と読ませるという引用の下らなさには苦笑するしかないが、ソーラ・レイと呼ばれる巨大砲や、ララァの搭乗するエルメスから発射される無数のビットがガンダムを四方八方から狙撃するシーケンス、両腕、片脚を失ったガンダムなど。

戦闘モノのアニメーションはどれも分かりやすい二元論を共通する構造として持っているが、ファーストと『SEED』の共通点は普通の人間/特殊能力をもつ人間という二元論だ。特殊能力をもつ人間はファーストでは「ニュータイプ」、『SEED』では「コーディネイター」と呼ばれるが、前者は人間が環境に適応した結果であるという一種の「自然的」な進化論なのに対して、後者は遺伝子操作によるものであるという明確な「人為的」原因が与えられている。

ファーストと『SEED』で決定的に異なるのは善悪の二元論のもつ構造だろう。『SEED』では普通の人間/特殊能力をもつ人間という二元論が善悪の二元論に重なっていてより分かりやすい。ファーストでは物語のものもがジオンと地球軍の停戦で終わり、「敗北」するのがジオン軍の一部分である。しかもララァという「ニュータイプ」は両軍を架橋する役割さえ果たす。

『SEED』で一見ララァと同じ位置にある、やはり特殊能力をもつ「コーディネイター」ラクス・クラインは、『SEED』におけるジオン軍であるザフト軍に明確に反旗をひるがえすことで、普通の人間/特殊能力をもつ人間の二元論が善悪の二元論にぴったり重なる構造を象徴する。その結果『SEED』は「戦争を終わらせるためには悪を滅ぼすしかない」という非常に単純な勧善懲悪の物語になってしまっている。物語が両軍殲滅の状態で虚無感とともに終わるのもそのためだ。

対してファーストは「ニュータイプ」がむしろ人類の未来を象徴し、地球連邦軍もジオン軍も人類の未来のために戦争をしているのではないかという可能性を残している。その結果として物語は休戦協定で終わり、未来への希望が残されている。

どちらにしても単なるロボット戦闘モノなのだが、より複雑な二元論の構造をもつファーストが単純に「優れている」と言えないのは、戦争が結局は善悪二元論の上にしか存立しないことを僕らがよく知っているからだろう。自由のための戦争が純粋な善であると信じている国が、僕らがよく知っている同盟国だからだ。あの国の世界観はどちらかと言えば『SEED』の単純な勧善懲悪の世界に近く、僕らにとってはリアリティーがある。

ララァの声を聴いた瞬間に、藩恵子だ、と分かった僕はさすが『1000年女王』ファン。ところがセイラ・マス役の声優・井上遥さんは3年前に癌で亡くなっているらしい。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/11

富野喜幸『機動戦士ガンダムⅡ・哀戦士編』

■アニメーションのネタばかりで申し訳ないが『機動戦士ガンダムⅡ・哀戦士編』(1981年)をようやく観終わった。先日も書いたように僕はリアルタイムではガンダムを観ていない。同級生はモビルスーツのプラモデルに夢中だったが、男の子向けのロボット戦闘モノというだけで全く興味が持てなかったからだ。

これで劇場版の2本を観たわけだが、守るべきもののために戦うという戦争正当化のイデオロギーは、少年と戦闘ロボットの組み合わせの元祖とでもいうべきこの初代『機動戦士ガンダム』ですでに決定的に根づいていたということだ。

ただ『新世紀エヴァンゲリオン』や、やや質は落ちるが『交響詩篇エウレカセブン』も含め、初代『機動戦士ガンダム』を観ずにその後の少年+ロボット戦闘モノを語るわけにもいかないので、純粋な勉強のために『機動戦士ガンダムIII・めぐりあい宇宙編』も続けて観ることにしたい。もう一つ、以前読者の方に勧めて頂いた『∀(ターンエー)ガンダム』を観るための予備知識としても、である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

nirgilis『sakura』オリコンチャート12位

■3月末でテレビもクールの区切り。終わる番組は終わる。2006/03/13付けオリコンCDシングル週間チャートの12位に新登場しているのは、nirgilis(ニルギリス)という1993年頃に近畿大学の学生が結成したグループのスマッシュヒット。『アメイジング・グレイス』をリミックスした軽快なアレンジと、「聴きやすいChara」といった感じの岩田アッチュの舌っ足らずなヴォーカルが印象的。

メジャーシーンではおそらくこの曲の「一発屋」で終わるだろうと思うと残念だが、この曲が主題歌になっている番組が今クールで終わるのだから仕方ない。USENのストリーミング放送で毎週無料で最新話を視聴できるし、日曜日の夜23:30までに布団に入ってAMラジオをつければ『RADIO RAY-OUT』が聞こえてくるのだから、下らないと言いつつ観てしまう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/10

『You Raise Me Up』についていろいろ

フィギュアスケートの荒川静香選手がエキシビジョンの音楽として採用したことで有名になった『You Raise Me Up』という曲。荒川選手がつかったのはCeltic Womanというアイルランド出身の女性グループ演奏によるものだが、元々はノルウェー人男性とアイルランド人女性のニューエイジ・ミュージックのデュオ「Secret Garden」が2002/02/08にオランダで発表したアルバム『Once in a Red Moon』の2曲目に収録されている曲だそうだ。

Secret Gardenの公式Webサイトによれば、Secret Gardenは南ノルウェー出身のロルフ・ロヴランド(Rolf Lovland)という作曲家、プロデューサ、キーボード奏者と、フィオヌァラ・シェリー(Fionnuala Sherry)というアイルランド出身のバイオリン奏者のデュオである。『You Raise Me Up』の曲はロルフ・ロヴランド、歌詞はアイルランド人の小説家・作詞家のブレンダン・グラハム(Brendan Graham)によるもので、Secret Gardenのアルバムではブライアン・ケネディという歌手が歌っている。

ブレンダン・グラハムは1945年生まれ。小説は『The Whitest Flower』(1998年)と『The Element of Fire』(2001年)のたった2冊という寡作ぶり。前者はアイルランドでベストセラー第2位になったそうで、『Die Irische Nacht(アイルランドの夜)』という題名でドイツ語訳されている。この作品はアイルランドの大飢饉を伝えるドキュメンタリー小説とされており、マサチューセッツ工科大学の教科書として採用されているとのこと。彼はまた作曲家でもあり、元アイルランド音楽権利団体の首長。現在は西アイルランド在住。

『The Element of Fire』はアイルランドの大飢饉で未亡人となったヒロインのエレンが、生き残った二人の子供、そして飢饉のさなか取り残されていた「物言わぬ少女」とともに1850年代の米国ボストンに逃れるという物語。当時のボストンは米国交通・文化の要所で、エレンは安定した生活と新たな恋人を得るが、旧世界を捨ててきた絶望感と、米国で始まろうとしていた南北戦争の動乱の中、人生と愛の葛藤に翻弄されるという物語らしい。

話を『You Raise Me Up』にもどすと、この曲は多数のアーティストによってカバーされており、中でも有名な演奏がジョシュ・グロバン(Josh Groban、1981/02/27米国カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ)によるもので、2004年にはアダルト・コンテンポラリー・チャートで1位を獲得しているらしい。

ケルティック・ウーマン - Celtic Woman - You Raise Me Up

この曲の歌詞は宗教的な内容だという噂がインターネット上でも書かれているが、作詞者ブレンダン・グラハムの上述のような作風を考えると、素朴で力強いラブソングと考えるのが自然だろう。Celtic Womanの演奏では一番の歌詞しか歌われないが、Secret Gardenのオリジナルでは二番まである。

When I am down and, oh my soul, so weary;
When troubles come and my heart burdened be;
Then I am still and wait here in the silence,
Until you come and sit awhile with me.

ああ、打ちひしがれ、疲れきったとき
もしも困難がおとずれ 心に重荷を負ったとしても
じっとここで静かに待つ
あなたがやって来て しばらく座ってくれるまで

You raise me up, so I can stand on mountains;
You raise me up, to walk on stormy seas;
I am strong, when I am on your shoulders;
You raise me up... to more than I can be.

あなたが力づけてくれるから、山の頂に立つこともできる
あなたが力づけてくれるから、嵐の海もわたることができる
あなたの力を借りれば、私は強くなれる
あなたが力づけてくれるから、ひとりでできないこともできる

There is no life - no life without its hunger;
Each restless heart beats so imperfectly;
But when you come and I am filled with wonder,
Sometimes I think I glimpse eternity.

飢えのない人生などない
気ぜわしい胸の鼓動はひどく乱れている
でもあなたが来て、私が奇跡に満たされるとき
時に永遠をかいま見たと思うほどになる

(※筆者による試訳)

この曲の誕生についてSecret Gardenの公式Webサイトには以下のような記述がある。

「この曲は有名なアイルランド民謡の断片をメロディーに織り込んで、ゆったりしたアリアとして生まれた。この曲は不採用にしようとしたのが、どうしても心に引っかかった。おそらくこの曲は別の形になりたがっているのだろうと考え、歌詞をつけることを思いついた。そこでアイルランドの作家ブレンダン・グラハムにこの曲を聴いてもらった。彼の本『The Whitest Flower』『The Element of Fire』はエレン・ルア・オマリーの生涯を描いたベストセラー小説だが、この2冊が私たちに強い印象を与えたからだ。彼は即座にこのメロディーの中に「物語が聞こえてくる」と言った。そしてその晩、歌詞の第一稿を仕上げた。冒頭のバイオリンソロは、原版のデモテープのためにフィオヌアラが最初に録音したもので、そのまま手を付けずにおいた。バグパイプの名奏者、リアム・オ・フリンが曲の中盤をリードしている。ブライアン・ケネディーとトレイシー・キャンベル=ネイションの心のこもった歌声は、ロンドン・コミュニティー・ゴスペル合唱団、アイルランドのコーラスグループ「アヌナ」とともに、この歌詞の深く精神的な切望を完全に表現している」。


※2008/02/20付記:この「You Raise Me Up」は透明でおだやかな歌声の女性歌手にぴったりと思っていたが、たまたま先日、日本でインディーズデビューしたジェイド・インという中国人女性歌手を見つけた。彼女の声はまさに「You Raise Me Up」のためにあると言って過言でない。ご興味のある方は右の1stアルバム『七彩音色』のジャケットイラストをクリックしていただきたい。無料で「仰げば尊し」と「Danny Boy」の歌唱を聴くことができる。
1stアルバムはiTunesでも配信されている。ここをクリック→Jade Yin - 七彩音色~なないろねいろ~Prologue

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/03/09

『機動戦士ガンダムSEED』とパダのサードアルバムの関係

■一昨日、元S.E.Sのパダが今年に入ってからリリースした3枚目のソロアルバムと、その中の1曲『Find The Way』のプロモーションビデオについて書いた。そしてこの『Find The Way』という曲について昨日ちょっと驚かされる偶然の出来事があった。

実は先週末にTSUTAYAで『機動戦士ガンダムSEED』の総集編DVDの3枚目『機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙』を借りていた。先々週くらいに同作の1枚目を借りて観て、戦闘シーン中心でややお子様向けの内容だったので2枚目は観るまでもないだろうと、2枚目をとばして3枚目を借りてきていたのだ。

この『完結編 鳴動の宇宙』もやはり予想にたがわず、いまどきのお子様向けで深みのない、ただ戦闘シーンの強度だけで強引に観る者をひきこむ種類の作品だったのだが、核兵器の乱用で廃墟と化した終戦後の宇宙空間のラストシーンに静かに流れてきたのが、何と中島美嘉が歌うオリジナルの『Find The Way』だったのだ。つまりパダのサード・ソロアルバムに収録され、プロモーションビデオにもなっている『Find The Way』は韓国でも人気の中島美嘉のカバーだったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/07

知らぬ間にBADAが3枚目のソロアルバム

■フランスの実力は女性歌手、ナターシャ・サン=ピーエルの「ヴァーチャル追っかけ」をやっている間に、元S.E.S(1997年デビューの韓国人女性3人組アイドルグループ。パダ(韓国語で海〔Sea〕の意味)、ユージン、シューというメンバーの名前の頭文字をとったグループ名。日本でもMisiaのプロデューサーなどを迎えてアルバムを作成し、R&B色の強いPOPSでそこそこ活躍していた。BoAのようなR&B系韓国女性シンガーが日本で活躍できる道を切り拓いたグループでもある)のパダが3枚目のソロアルバムを発売していた。

この日記で以前、彼女のセカンド・ソロアルバムについて、楽曲やジャケットのイメージが随分「セクシーなお姉さん系」になっていてがっかりした、というようなことを書いた覚えがある。S.E.S時代の彼女はメンバーの中で韓国民謡パンソリ仕込みの非常のパワフルなボーカルを聞かせてくれていたからだ。ちなみに日本でS.E.Sが活躍していたころの代表曲は、フジテレビ系のバラエティー番組のエンディングテーマにもなっていた『(愛)という名の誇り』などである。この曲はカラオケで歌える。

今年になって発売されたサード・ソロアルバムで、パダは大きくイメージを変えてきたようだ。「セクシーなお姉さん系」から一転、黒髪で少年っぽい雰囲気になっている。某ブログからの孫引きで恐縮だが、たとえばこちらのサイトに最近の写真がある。

http://www.newsen.co.kr/news_view.html?news_uid=38825

このブログにあったリンク先で、パダのサード・ソロアルバムの収録曲『Find The Way』のプロモーションビデオを見ることができる。韓国のこちらのWebサイトである。S.E.Sのファンが観ればすぐに分かるのだが、このプロモーションビデオでは何とパダも含めてS.E.Sのメンバー3人が出演している。元S.E.Sファンとしては涙もののPVである。

そしてこのビデオのストーリーそのものがまた涙ものなのだ。パダやS.E.Sに関心のない方もだまされたと思って上記のリンクからこのプロモーションビデオをご覧頂きたい。韓国語がまったく分からなくても、短編ドラマの感覚でうるうるできる内容になっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

デスクネッツにVBでデータを自動登録する

■Visual Basic系の開発環境で任意のWebフォームにデータを送信・登録できるようになると、社内の任意のWebアプリケーションにデータを登録できる。ただし言うまでもないことだが、下手にPOSTでデータを送信するとそのWebアプリケーションに負荷をかけるばかりか、とんでもない不正データを誤って大量に登録する原因ともなる。飽くまで慎重に実施して頂きたい。

さて、標的となるWebアプリケーションはデスクネッツ・スタンダード版である。その中でも電子会議室を使って、自動的にスレッドを立てる処理を書いてみたい。デスクネッツは最初の画面でユーザ名とパスワードを入力してログインする処理が必要だが、MSXML2.XMLHTTPオブジェクトの同一のインスタンスを一貫して使えば、ログインも簡単に出来てしまう。

デスクネッツにはGETメソッドでログインできる。「uid」に自分のユーザID(注意:ログインIDではなく、デスクネッツ内部で付番されているユニークな番号のこと。デスクネッツの「ユーザ名簿」で自分の画面を開くと、URLの中に「id」というパラメータがあるはずだ。これが自分のユーザIDである)、「_word」にパスワード、「cmd」には固定で「certify」という文字列をわたす。つまり下記のようなURLでログインできてしまう。

http://サーバ名/dnet.exe?uid=14&_word=PASSWORD&cmd=certify

これはユーザIDが「14」でパスワードが「PASSWORD」の例である。したがってプログラムにすると下記の2行でデスクネッツへのログイン完了だ。

oHttp.Open "GET", "http://サーバ名/dnet.exe?" & _
uid=14&_word=PASSWORD&cmd=certify", False
oHttp.Send

続けて特定の電子会議室に新規投稿する画面に直接ジャンプする場合もGETメソッドで対応できる。今度は「dnet.exe」ではなく「xforum.exe」というCGIプログラムを呼び出す。「id」というパラメータに電子会議室のID(これは対象の電子会議室を開くとURLの中にやはり「id」というパラメータがあるはずだ。これがその電子会議室のIDである)、「page」というパラメータには固定の文字列「formartentry」(おそらくForm for article entryの略)をわたす。つまり下記のようなURLで新規投稿画面が開く。

http://サーバ名/xforum.exe?id=25&page=forumartentry

ログイン画面でログインした後、25番の電子会議室の新規投稿画面に飛ぶという一連の処理は下記のようなプログラムになる。

oHttp.Open "GET", "http://サーバ名/dnet.exe?" & _
"uid=14&_word=PASSWORD&cmd=certify", False
oHttp.Send
oHttp.Open "GET", "http://サーバ名/xforum.exe?" & _
"id=25&page=forumartentry", False
oHttp.Send

あまりに簡単すぎる。次にこの電子会議室にそのまま投稿データを送信して、スレッドを一つ立ててみよう。呼び出すCGIプログラムは同じく「xforum.exe」だが、今度はGETメソッドではなくPOSTメソッドで送信する。しかし送信データの組み立て方はGETメソッドとまったく同じである。

「cmd」パラメータには固定の文字列「forumcmdartentry」(おそらくForum command for article entryの略)、「id」には電子会議室のID、「title」には投稿の題名、「contr」には投稿者名、匿名投稿にしたい場合は「anonymouse」に「1」をセットする(デスクネッツの開発者たちはanonymousという正しいつづりを知らなかったようだ)。そして「memo」に投稿内容の本文をわたす。

「title」「contr」「memo」の部分には必ず漢字が入ってくるはずなのでURLエンコード処理が必須になる。また「memo」の部分には改行が必ず入ってくるはずなので、1行ずつURLエンコードした上で、各行の末尾に「%0D%0A」というURLエンコードされた改行コードを付加する処理が必要だ。

LotusScriptでVariant型のデータに、パラメータ名とURLエンコードされた値をつなげていく関数を作ってみると下記のようになる。

Function AppendToSendData(vData As Variant, sName As String, _
vValue As Variant) As Variant

Dim vTmp As Variant
Dim I As Integer

If Datatype(vValue) = 8 Then
vTmp = Evaluate("@URLEncode(""Shift_JIS"";""" & vValue & """)")
vData = vData & sName & "=" & vTmp(0)
Else
vData = vData & sName & "="
For I = 0 To Ubound(vValue)
vTmp = Evaluate("@URLEncode(""Shift_JIS"";""" & vValue(I) & """)")
vData = vData & vTmp(0) & "%0D%0A"
Next
End If

If Right(vData, 6) = "%0D%0A" Then vData = Left(vData, Len(vData) - 6)

vData = vData & "&"

AppendToSendData = vData

End Function

この関数を呼び出しながら、投稿データを組み立てていけばよい。いったんデータ送信用のVariant変数vDataをクリアしてから送信データを組み立てていく。「memo」というパラメータにわたす投稿の本文部分は文字列の配列変数にしてみた。本文の各行を配列の各インデックスに代入して上記に定義したAppendToSendData関数にわたすと、URLエンコードしつつ「%0D%0A」で改行コードも付加してくれるというわけだ。

Dim sMemo() As String

vData = ""

Call AppendToSendData(vData, "cmd", "forumcmdartentry")
Call AppendToSendData(vData, "id", "25")
Call AppendToSendData(vData, "title", "テストの自動投稿です")
Call AppendToSendData(vData, "contr", "自動投稿者")

Redim sMemo(2) As String
sMemo(0) = "ちゃんと改行されるか、"
sMemo(1) = "検証中 http://www.yahoo.co.jp/"
Call AppendToSendData(vData, "memo", sMemo)

vData = vData & "s_ok"

oHttp.Open "POST", "http://サーバ名/xforum.exe", False
oHttp.Send vData

ここでなかなか気づかないのが最後の「s_ok」というパラメータである。このパラメータには値をわたさず、パラメータ名だけを送信する。このパラメータがないとデスクネッツのCGIプログラムは送信されたデータをPOSTデータと見なしてくれない。送信データの組み立てが終われば、今度は1番目の引数を「POST」にしてOpenメソッドを呼び出せばいい。POSTメソッドなので2番目の引数のURLに余計なパラメータはいらない。シンプルに「http://サーバ名/xforum.exe」だけで問題ない。最後のFalseは例によって同期処理という意味で、Webページの処理が終わるまでプログラムは待ち状態になる。

CGIプログラム側で厳しいセキュリティチェックをしていない限り、Webアプリケーションに対しては同じような方法でログインし、データを送信・登録することができる。どんなパラメータにどのような値をわたせばよいのかは、WebアプリケーションのHTMLのソースを注意深く分析すれば大抵のことは分かると考えていい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

LotusScriptでWebクライアントを実装する

■唐突ではあるがNotes/DominoのLotusScriptなど、Visual Basic系の開発環境で任意のWebサイトにデータをGET/POSTする方法をまとめておく。利用するCOMオブジェクトは「MSXML2.XMLHTTP」「ADODB.Stream」の2つ。ADODB.Streamが必要な理由は、Webサーバから受け取ったコンテンツの文字コードを正しく識別するためだ。以下の例はExcelのVisual Basic for Applicationsで一応動作検証をしている。

まず単純にGETメソッドで特定のWebページのコンテンツを読込む処理から。一例としてYahoo!JAPANのトップページを読込む。やや面倒なのは文字コードを正しく処理するためにADODB.Streamオブジェクトをいったんバイナリモードにしてページ内容を読み込んでから、テキストモードに変換して読み出すという点だ。

テキストモードに変換した後に読み出すときは、Webページの文字コードに合わせてADODB.StreamオブジェクトのCharsetプロパティに「Shift_JIS」「UTF-8」「euc-jp」などの文字コードを現す文字列を設定してからReadTextメソッドで読み出すこと。

MSXML2.XMLHTTPオブジェクトのOpenメソッドで、3番目の引数は同期モードか非同期モードかの区別を表す。False(偽)にしておくと同期モードになるため、Webページが完全にダウンロードされるまで次の行には進まない。Visual Basicプログラムなら同期処理の方が便利だろう。

Dim oHttp, oStream As Variant

Set oHttp = CreateObject("MSXML2.XMLHTTP")
Set oStream = CreateObject("ADODB.Stream")

oHttp.Open "GET", "http://www.yahoo.co.jp/", False
oHttp.Send

oStream.Open
oStream.Type = 1 ' いったんバイナリモードにする
oStream.Write oHttp.responseBody

oStream.Position = 0
oStream.Type = 2 ' テキストモードに変換する
oStream.Charset = "euc-jp" ' Webサイトに合った文字コードを設定

Open "temp.html" For Output As 1
Print #1, oStream.ReadText
Close #1

次にPOSTメソッドでWebサイト上の入力フォームにデータを送信する処理。Yahoo!やGoogleはプログラムなどによって自動で検索データを送信することを許可していないようなので、@niftyの検索機能でテストしてみた。それでも検索結果のテキストファイルは形が崩れているが、一応正しく検索されていることがわかる。

Dim oHttp, oStream As Variant
Dim vData As Variant

Set oHttp = CreateObject("MSXML2.XMLHTTP")
Set oStream = CreateObject("ADODB.Stream")

oHttp.Open "POST", "http://search.nifty.com/cgi-bin/search.cgi", False
oHttp.setRequestHeader "Content-type", "application/x-www-form-urlencoded"
vData = "select=2&Text=AAA"

oHttp.Send vData

送信するフォームデータはVariantとして宣言し、GETメソッドの場合と同じ形式でQuery String(問い合わせ文字列:パラメータと値を半角等号で連結、そのペアを半角&記号で連結するという形式)を代入する。それをMSXML2.XMLHTTPオブジェクトのSendメソッドの引数にすればいいだけだ。「oStream.Open」以下は上記のコードと全く同じなので省略する。

送信するデータの中に半角英数字以外の文字が含まれている場合は、当然URLエンコードする必要がある。たとえば「高橋源一郎」という文字列は「%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E」というふうにURLエンコードする必要がある。LotusScriptであれば@関数に@URLEncodeというそのものずばりの関数が用意されているので1行でURLエンコードが完了してしまう。非常に便利である。

vData = Evaluate("@URLEncode(""Shift_JIS"";""" & vData & """)")
oHttp.Send vData(0)

LotusScriptのEvaluate関数を使った結果は配列変数になることを忘れないようにしたい。@URLEncode関数は1個しか値を返さないので配列のインデックスが0の値が戻り値である。したがって「oHttp.Send vData(0)」となる。「oHttp.Send vData」では正しくWebページが返ってこない。

VBScriptやVisual Basic for Applicationsの場合には残念ながらURLエンコード用の関数が用意されていない(Active Server PagesならServerオブジェクトのメソッドとして用意されている)。ただベクターなどからフリーウェアで変換ルーチンをダウンロードできるようなので、そちらをお試し頂きたい。

さて、このようにVisual Basic系の言語で任意のWebページに自由にデータを登録することで何をやりたいのかと言えば、他システムとデータをやりとりするインターフェースをもたない社内のWebアプリケーションに、自動でデータを登録することである。

勘の良い方はもうお分かりのとおり、デスクネッツ・スタンダード版にバッチ処理でデータを登録できないかと考えていたのだ。Notes/DominoならLotusScriptを使えば自動で文書を登録するくらい簡単にできてしまうのだが、デスクネッツ・スタンダード版には(そしておそらくEnterprise版も)そのようなAPIが存在しないので、直接Webフォームにデータを送り込むしかない。

そして最終的にはデスクネッツの電子会議室に自動でスレッドを立てられるようになった。それについては別途ご説明する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/06

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』

■さて今回は『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)についてである。ガイナックスの公式Webサイトによれば『新世紀エヴァンゲリオン』を制作したガイナックスが初めて制作し、バンダイが映像事業に進出した最初の作品とのことだ。Wikiぺディアの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の項によれば、そもそもこの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を作るためにガイナックスが結成されたということのようである。

アニメーションに興味のない方に前もって書いておくと、この作品は題名だけを読むとよくありがちな「宇宙戦争もの」で、ガンダムよろしく近未来の戦闘兵器がたくさん登場してドンパチ戦争をやるのだろうと勘違いされるかもしれない。

しかしその先入観はまったくの間違いで、実際には非常に地味で淡々とした映画である。かえってハリウッドの『マトリックス』を代表とするSFXものの派手なアクションが連続するような映画が好きな人にとっては、かなり退屈な映画かもしれない。どちらかと言えば日本の映画監督で言えば市川準や相米慎二に近く、とても洗練されたフレーミングとカット割りになっている。決して井筒監督のような情熱的な演出にはなっていない、かなり精神的に「大人」な人たち向けのアニメーションである。

ただ、たしかにガンダムなどの「戦闘もの」好きが思わずうなってしまうような、スピード感あふれる空中戦闘シーンはラスト近くに用意されている。この作品が作られた当時、作画監督の庵野秀明(『新世紀エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』の監督)はまだ20代だったわけだが、そのアニメーターとしての天才的な才能が存分に生かされている。

映画でいう「引きの絵」、つまり広大な風景の静止画を見せるカットは、一つひとつがまるで写真のように写実的に丁寧に描かれている。また、アニメーションにおける特殊効果的な表現も随所に見ることができて、絵の美しさに見惚れるだけでもこの『王立宇宙軍 オネアミスの翼』はじゅうぶん観る価値がある。しかも、さほど劇中では目立たないが、音楽監督が坂本龍一というところもぜいたくなアニメーションである。

この作品はそういうわけで、アニメーションというよりは一本の「映画」と呼びたくなる。宮崎駿作品に匹敵する、というよりむしろ、アニメーションとしての作画品質の高さは宮崎作品を軽々と超えている。

ただし本作品が商業的に大失敗に終わった理由もよくわかる。その最大の理由は脚本にある。もちろん僕は本作品の脚本はこのままの状態が最良だと考える。商業的な成功をねらうならいくらでも別の書き方ができたはずだが、この作品を作った人々はあえてあざとく商業的な成功をねらうような内容を避けたに違いない。

商業的に成功させようと思えば、たとえば主人公の宇宙飛行士と、熱心な信者である少女との出会いと別れをロマンティックに書き直し、恋愛映画として盛り上げることはいくらでもできる。主人公を狙う暗殺者が、あれほど間抜けな暗殺者一人しかいないというのも、書き直せばいくらでもハラハラドキドキのアクション映画にできる。

Wikipediaによれば、宮崎駿はこの作品について「主人公ら以外の人物の苦労や成功を描いていないことを批判している」らしいが、本当であれば実に宮崎氏らしいコメントだ。しかしこれは小津安二郎の映画に「人物の苦労を描け」と言っているのと同じくらいナンセンスなコメントである。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、宮崎駿が言っているような脚本にもできたところを、あえて抑制の効いた、野田高梧脚本のような洗練を狙っている。本当に宮崎駿は何も分かっていない。というより思い込みが激しい。

脚本以外にも、たとえば主人公の声優を森本レオではなく、もっと声にメリハリと表情のある声優を使うこともできる。個々のカットのフレーミングにしても、もっと「カメラを動かす」ことができる。できることは何でもやるという浅ましさは『王立宇宙軍 オネアミスの翼』にない。

極限までストイックでありながら、表現技法は画面からあふれ出るほどリッチである。そのふれ幅こそが、『トップをねらえ!』のような極限までにあざといパロディーも可能にしているのだし、『新世紀エヴァンゲリオン』のようなほとんど破綻しかかった作品をぎりぎりのところで作品として成立させることも可能にしている。宮崎駿から見たときのGAINAXの「恐るべき子供」としての資質は、全共闘世代的な目的論から自由なこの振幅ではないだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

インターネット広告、「ツカエル」のは今だけ

■最近、車内や新聞の広告を見ていると、Yahoo!JAPANやGoogleなどのインターネット検索エンジンで、特定のキーワードで検索して自社のWebサイトへ誘導する内容のものが増えている。

たとえば今日は八千代中央駅前3分のマンションが「ツカエル」というキーワードで検索して下さいという広告を東西線の車内に出していた。じっさいにGoogleで検索してみると、このマンションの開発業者は「ツカエル」というキーワードのスポンサーになっており、検索結果のいちばん上に背景色つきで表示される。

これはリスティング広告という広告手法で、たとえば「転職」のように一般的な単語になればなるほど検索する人数が多いので、検索結果のスポンサーとして自社のWebサイトが表示されるようにするために支払うべき広告料が高くなる仕組みになっている。逆に「ツカエル」のような、ほとんど誰も検索しないであろうキーワードは、安くスポンサーサイトになれる。言葉に値段をつけるとは、インターネットの検索サイトもよく考えたものだと思う。

しかし「ツカエル」のような特殊な単語の場合は、広告料を支払わなくても検索結果の上位に表示させることができてしまう。たとえば「ツカエル」というキーワードでGoogleを検索すると、スポンサーサイトのすぐ下には、この八千代台中央駅前のマンションとはまったく無関係なWebサイトが表示され、旭化成L&L「サランラップ」のテレビCMに登場するあの皮肉屋の2匹のカエルが実は「ツカエル兄弟」という名前で実の兄弟ではないということも判明する。

リスティング広告の副作用は、この「ツカエル」の例でも分かるように、自社とはまったく無関係なWebサイトを間接的に宣伝することになってしまうことだ。この八千代台中央駅前のマンションが「ツカエル」というキーワードで広告を打ったおかげで、アクセス数が急激に伸びるという「おこぼれ」を頂けるWebサイトがいくつか出てくる。

ご存知のようにインターネット人口の増加率は少しずつ減少している。20~30代の中核となるインターネット利用者は今後なおさら伸び悩むだろう。そうするとインターネット広告も収穫逓減の法則にしたがって、費用対効果がどんどん低下していく。先日、ニューヨークの株式市場で「Googleショック」が起こったが、Googleの経営陣が正直に話したことはまったく正しくて、インターネット広告はビジネスとしては早晩、限界に達する。

しかもインターネットに参入する企業が増えるにつれて、同じ業種の企業の間ではwinners take allの色彩がますます強まる。消費者は商品やサービスの選択肢が増えれば増えるほど、自分が一度選択した商品やサービスに「ロックイン」してしまうものだ。たとえばあなたはオンラインショッピングをするとき、毎日違うWebサイトを探したりするだろうか。

思い返してみれば、検索キーワードが広告になるようになってから、つまり、言葉に値段がつくようになってから数年しか経っていない。リスティング広告のようなインターネットマーケティングは、Google社自身が危機感を示したように、そう遠くない未来に収穫逓減の法則にしたがって効果を失う。

そうなったときインターネット広告に特化している企業は、インターネット以外の媒体で地道に広告展開のノウハウを蓄積している企業に決定的に敗北することになる。その企業がインターネットを主体に事業を行う小売やサービス業の企業であれば、なおさらインターネット自体がもっているwinners take allの性質によって、致命的な集客の危機に陥ることになる。

インターネットが現時点で広告媒体として安価で、他の媒体に比べて費用対効果が高いのは確かだが、それは単に情報の非対称性、つまり、インターネット広告を知っている企業と知らない企業があるからというだけである。インターネット広告のうまみを知る企業が増えれば需要が増え、広告料が高くなり、相対的な費用対効果は他の媒体と変わらなくなる。先行者利益はあっという間に食いつぶされるだろう。

ただ、そうしたインターネット広告とインターネットビジネスに関する当然の理論的な帰結を理解しない会社員が多いのは、概して会社員に演繹的思考能力が乏しいためである。会社員は経験から学ぶ「帰納」の力はあるが、原理から結論を導き出す「演繹」の能力は極端に乏しい。会社員のほとんどが学生時代に「原理」にあたるもの、つまり、過去の偉大な学者たちが残した数々の思想・定理・原理といったものをまじめに勉強していないのだから、当然といえば当然である。

自分たちには世界を変えることができるというのは、ごく限られた天才にのみ認められた特権なのであって、その他のほとんどの人々は既に発見されている法則に従うより他ないのである。

※「収穫逓減」とニューエコノミーについては、こちらの永井俊哉氏のWebサイトの記事「ニューエコノミーとは何か」等を参照のこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/05

少子化問題の意図的な盲点

■少子化対策というとお決まりのように「女性が結婚や育児をしても働きつづけられる環境整備が必要」と言われるが、これを見てもわかるように、マスコミでは相変わらず少子化問題が女性だけの問題であるかのようだ。

なお最初に断っておくと、僕自身は国家的な施策として多産化を促進することには、特に日本の場合、社会全体を保守化に向かわせる危険がともなうので、少子化をことさら問題視する考え方自体に反対だ。

例えばフランスの出生率は先進国中では極めて高い水準にあるが、それはフランス社会全体の保守化の影響である。現代フランスでは、子供を産まない女性に対する風当たりがとても強くなっているらしいのだ。『第二の性』のシモーヌ・ド・ボーヴォワールを生んだ国とは思えないほど、フランスは女性が子供をもつということについて保守化しているようだ(講談社『クーリエ・ジャポン』008号の特集「世界の小しか事情『産まない』という選択」を参照のこと)。

おそらく少子化について「万策尽きた」感になった暁には、日本政府も電通や博報堂を巻きこんで同じような保守化キャンペーンを大々的に張ることになるだろう。子供をもつ母としての女性の行き方を美化し、子供を持たないことが罪であるかのようなキャンペーンを、テレビドラマや映画を通じて行うようになるに違いない。

したがって少子化を国家的な問題として危機感をあおるマスコミの論調そのものが危険だというのが僕の意見だ。

しかし、仮に少子化が解決しなければならない「問題」であると仮定した場合、世間の人々が少子化問題=女性の問題と短絡しているのは愚かである。具体的な例で考えてみればわかる。育児休暇をとった女性の穴を埋めるために、男性社員に長時間労働を強いるとすれば、今度はその男性が結婚や子供を作るチャンスを失うことになる。現状、企業がとっている「女性にとって働きやすい職場」というのは、この程度の努力に過ぎず、まったく少子化問題の対策にならない。

少子化問題は女性が子供を産みにくい、育てにくいことだけが原因ではない。男性が結婚しにくい、子供を作りにくい、育児に協力しにくいことの方がむしろ問題なのだ。小さな子供の育児コストが高くなることで、男性会社員が所得の低い二十代で結婚にふみきることを妨げている。たとえ結婚できたとしても、恒常的な残業や強いストレスは、長期的に男性の生殖能力を弱めたり、生殖の機会を奪う。たとえ子供ができたとしても、一般的な企業が男性に育児協力をゆるすような雰囲気でないことは言うまでもない。

少子化問題では、女性が子供を産みにくい状況と、男性が子供を作りにくい状況が表裏一体となっている。ところが少子化問題を取り上げるマスコミは、つねに「男性の問題」が存在しないかのように語る。この「男性が存在しないかのように語る」ということこそ、少子化問題の本質的な盲点、しかも意図せずして盲点になっているのではなく、語り手がほとんどの場合男性であるということによって、意図的に盲点にされているのである。

少子化問題について書いたり語ったりする男性は、それが自分の私生活には無関係の問題であるかのように語る。この状況がつづくかぎり、少子化問題が本気で「問題」ととらえられることはない。そういう意味では僕個人にとっては安心である。所詮、少子化問題を喧伝するマスコミの男性たちは「口先だけ」であって、本気でそれを「問題視」していないからだ。少子化問題をまるで問題であるかのように取り上げることが、彼らにとって一種の免罪符となっているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小川洋子『博士の愛した数式』

■『グラマトロジーについて(下)』を読み終えた後、Amazonで注文した『エクリチュールと差異(上)』が届くまで数日間があったので、携帯電話で電子書店パピレスから小川洋子『博士の愛した数式』をダウンロードして読んだ。小川洋子作品は一作品は読んだ覚えがあり、読んだとすれば芥川賞作『妊娠カレンダー』に違いないのだが、内容がまったく思いださせないところからすると、きっと読んでいないのだろう。

映画化された作品だが、作品そのものが非常に映画的である。最近の小説は高橋源一郎のように言葉そのものの可能性を、まるで現代詩にように極限にまで追求しているのでない限り、どれも映画的になるのは仕方ないのかもしれない。『博士の愛した数式』は基本的に語り手である家政婦の回想形式で、映画的にはカットバックと省略法の集積でかたち作られている。物語の終わりに近づくほど、省略法が飛び越える月日の幅が長くなっていくというのも、微笑ましいほどお決まりの手法である。

過ぎ去った時間は、過ぎ去っているという事実だけによってすでに美化され、固定化されている。その上、この作品の登場人物は誰もが愛すべき善良な市民たちだ。そこに「記憶が80分しかつづかない天才数学者」が登場すれば、道具立てとしては完璧で、そこに小川氏の安定した文章の才能が合わされば駄作にならないわけがない。

そういう意味でこの小説はとても退屈な小説である。読む前から、どんな種類の感動が待ち受けているのか容易に想像できてしまう。もちろんこの種類の作品は、安心して感動できることを期待して読まれる作品なので、これはこれでいいに違いない。

ただ、博士が熱狂的な阪神タイガースファンであるという設定はなくても、十分作品として成立しただろう。また、プラトン的イデアの美しさに魅せられている博士は、80分しかつづかない記憶を補うためのメモを、体中にぶら下げることはしないだろう。少なくともメモ用紙を一冊の束にしてポケットに入れるくらいのことはするはずだ。そして、数字に対して偏執狂的なこだわりをみせる博士が、子供の無邪気な無神経さに徹底して寛容であるというのも、博士を神化しすぎている印象がある。

80分しかつづかない記憶という一点を除いたあらゆる点で、その極端な謙虚さや自己卑下も含めて博士という登場人物があまりに理想化されすぎている。そうした点が、僕のようにひねくれた読者にとっては物足りない。

僕なら次のように書きたくなるだろう。博士の記憶の持続時間が80分から短くなっていけばいくほど、理念的な数の世界への執着を強め、日常のすべてを数学的な法則によって語るようになる。それによって、周囲の人々とふつうの会話を成り立たせるためのありふれた言葉、「こんにちは」とか「さようなら」とかいった言葉を失っていき、ますます孤独へと落ちこんでいく。しかし成長して教師になるべく数学を学んでいく少年ルートだけが、博士と数学の言葉で対話するすべを少しずつ身につけ、博士が周囲の人々に祝福されながらこの世を去るよすがとなる。こんなふうに書けば、数学とは何か、言葉とは何か、数学が僕らの世界にとってどのような存在価値をもつのかについて、もっと考えさせる作品になるに違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『ぼくの地球を守って』OVA総集編

■さて、例によって「アニメーション、漫画嫌いの僕が、日本が世界に誇るサブカルチャーであるアニメを見よう!」キャンペーンの続きである。今回ご報告すべきは2作。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、つまり『新世紀エヴァンゲリオン』のGAINAXが初めて制作した作品。そしてなぜか「ぼくたま」、『ぼくの地球を守って』である。ただしOVAの総集編『総集編完全版~亜莉子から輪くんへ』でダイジェストを観たにすぎないが。

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』については後日ゆっくり書くとして、今回はなぜ「ぼく球」なのかの説明をしなければならない。アニメを見ようキャンペーンのために、いままで寄りつくことのなかったTSUTAYAのアニメコーナーを何度もおとずれるようになったわけだが、『ぼくの地球を守って』のOVAが目に止まってしまったのだ。目に止まるからにはすでに僕はこのアニメ、というより白泉社から発売されている日渡早紀原作のこの漫画の題名を知っていなければならない。

ではいつ知ったのかというと、TSUTAYAでそのVHSビデオカセットを見た瞬間に「覚醒」したのだ。僕は自分が『ぼくの地球を守って』という固有名を知っていることを思い出した。しかしこの固有名を知ったのは僕がこうして地球に「転生」する前、月にいた前世のころの話ではない。残念ながら僕は一度も「転生」せず、三十数年前に地球に生まれて平々凡々たる会社員をやっている始末だ。

TSUTAYAでの「覚醒」によって僕が送り返されたのは、ほんの十数年前、杉並区の永福町というところに大学生としてひとり暮らしをしていたころである。いまとなっては信じられないことだが、僕はどうやらそのころ日本でいちばん偏差値の高い大学の学生だったらしいのだ。そしていまではまともに聞き取れないフランス語の講義さえ受けていたという。それらもすべて、まるで夢の中のように遠くかすんでしまっている。

僕の所属する学科の研究室にはちょっと美少年タイプの助手さんがいて(以前にもこの日記に登場していただいたが)、その助手さんが『ぼくの地球を守って』に完全にハマっていたのだ。研究室の壁に勝手に個人的な趣味で『ぼくの地球を守って』のポスターを貼っていたくらいだ。

どおりで『総集編完全版~亜莉子から輪くんへ』の発売は1995年、総集編のもととなるOVAの発売は1993年である。十数年前にふっと動き始めた僕の右手が、いまごろになってようやくTSUTAYAの棚にあったVHSビデオに届いたというわけだ。

でも、あの夢の中のようなころのことに、いつまでもこだわっていても仕方ない。「ラズロ」と「キャー」が待っていると思って駆け込んでも、そこには虚しい部屋があるだけ。ただ、壁には天井までとどく「木蓮」の肖像がある。僕は「木蓮」の歌声によって「地球」へ帰って来なければならない。あそこにあるのは僕のむくろだけで、僕は平々凡々たる会社員にすぎないのだから。「九年」どころか、あれからもう十年以上も経っているのだ。しかしそれでも僕はいまだに『エクリチュールと差異(上)』を読んでいる。読み直している。「木蓮」の最期の言葉を思い出そう。

「私たちは みんな 未来へ・・・
未来へ 還るの

みんな 未来へ 還っていくんだわ

あなたが 懐かしいのも
こんなに 懐かしいのも
きっと また 未来で 出会えるからなのね

約束よ
決して自ら 命を 絶たないで
お願い・・・」

(「木蓮」最期の台詞より)

そうすれば、きっと僕は未来へと還っていくことができる。ところで、僕を呼び戻し、再び呼ぶ歌声は、僕の場合いったい誰の歌声なのだろうか...。

ちなみにビデオのクレジットで初めて知ったのだが、アニメ版の音楽は溝口肇担当。主題歌の作曲は彼を夫とする菅野よう子。ということは『天空のエスカフローネ』もそのうち観る必要があるということか。

【参考Webサイト】「竹の歌が聞こえる」


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/02

高校生意識調査で誤った分析がひとり歩き

財団法人日本青少年研究所がおこなった「高校生の友人関係と生活意識-日本・アメリカ・中国・韓国の4ヶ国比較-」という調査の結果が、今朝布団の中で聴いたAMラジオで取り上げられていたので、同研究所のWebサイトで詳細を確認してみた。

※フォロー記事を「think or die」本体サイトにアップしておいた。「高校生意識調査の正しい分析法」

「単純集計表」で生の結果を読むことができるが、調査結果をそのまま受け取ってもよさそうな設問とそうでない設問がある。たとえば「問6 あなたは次のことにどのくらい関心がありますか」では、さまざまなことがらについて「非常に関心がある」「まあ関心がある」「あまり関心がない」「関心がない」の4段階で回答させている。

このように心理的な強度をたずねる質問は、各国の社会的な文脈によって選択肢の意味そのものが違ってしまうので、調査結果を鵜呑みにするわけにはいかない。米国のように日本に比べると平均的に自己主張の明確な社会に生きている高校生は、「非常に関心がある」や「関心がない」という両極の回答率が高くなり、逆に日本人の回答は「まあ関心がある」「あまり関心がない」というあいまいな選択肢の回答率が高くなる。

また、一般的に「善」とされていること(勉強や成績など)への関心を問われたとき、実際以上に自分をよく見せようとする自己顕示欲が働きやすい国民性か、逆に謙虚さが美徳とされる国民性かによっても、回答結果が異なってくる。したがって「問6」の回答結果はよほど慎重に読み込まないと、単純に数字だけを見て「日本の高校生は中国・韓国に比べると勉強や成績への関心が低い」と結論づけるのは早急だろう。

対して「問8 あなたは現在、大事にしていることは何ですか?」のように、多数の選択肢の中から複数回答させる設問は、一点だけ注意すれば比較的参考になる。その一点というのは、複数回答を許した場合、一人の回答者が平均いくつの選択肢に丸をつけるかである。

「問8」の結果の数値を日本青少年研究所のWebサイトで見ていただければおわかりのように、米国人・中国人・韓国人は日本人よりたくさん丸をつけていることがわかる。これは日本人高校生が、他国の高校生よりも「大事にしていること」が少ないという意味ではなく、「いくつでも丸をつけていいよ」と言われたときに、どれくらい遠慮なく丸をつけるかという国民性の違いにすぎない。

したがって、国別に回答率合計に対する各選択肢の回答率をさらに百分率表示する必要があるが、それにしてもこの「問8 あなたは現在、大事にしていることは何ですか?」ははっきりと国別の格差が現れている。

上述のように、一般的に「善」とされていることについての考えを他人から質問されたときの自己顕示欲は割り引く必要があるので、「希望の大学に入学すること」「成績がよくなること」で日本と他の3か国に差が開くのは、本当に個々の高校生が「大事にしている」かどうかとは直接関係ない。この調査結果をもって、日本の高校生の「希望の大学に入学すること」への関心が他国と比べて異常に低いと結論付けるのは間違いだ。

しかし、「親に自分のことをわかってもらうこと」で、日本 7.9%、米国 36.5%、中国 38.4%、韓国 25.6%というのは、以上の諸点を割り引いてもなお差が大きすぎる。同じく「家族が仲良くすること」で、日本 13.8%、米国 57.7%、中国 42.0%、韓国 35.2%というのも差が大きすぎる。

つまりこの「問8」から読み取れるのは、日本人が志望校への進学や成績に対する関心が低いということではなく、他の3国と比べて極端に「家族との関係」を軽視しているという傾向である。

同研究所のレジメでは「問8」について、「3 現在の希望」という部分で「成績がよくなる」ことについて米中韓の7割台に対し日本は3割台と特記しているが、そもそも日本人は丸をつけた選択肢の数(選択率の合計)が他国の半分なので、「成績がよくなる」ことについての関心は4か国ともほぼ同じ、という結論が正しいのではないか。

次の「問9 あなたは、どのタイプの生徒になりたいと思いますか」では同様に、「リーダーシップの強い生徒」という選択して、日本 15.7%、米国 54.1%、中国 53.0%、韓国 48.7%と日本と他の3国に明確な差があり、「先生に好かれる生徒」でも日本 13.9%、米国 3.8%、中国 49.9%、韓国 35.8%と、日米と中韓で大差がある。

せっかくこういう調査をするのであれば、結果について専門的な統計学的処理をしてから要約を作ってほしいものだが、案の定、マスメディアでは「日本の高校生は成績に対する関心が低い」という誤解がひとり歩きしているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »