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2006年2月の記事

2006/02/28

転職メルマガにドリアン助川

■毎日キャリアナビという転職サイトから毎週メールマガジンが届くのだが、「明川哲也の俺が聞いちゃる」というコーナーがある。転職サイトによくありがちな実践的な転職相談というよりは、毎回ほとんど人生相談みたいな内容で読むに値しないとやりすごしていた。

ところが先日、ヒマをもてあましてこの相談コーナーをよくよく読んでみると、回答者である「明川哲也」という人物が、元「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川であることに気づいて驚いた。僕がまだ名古屋で某大手電機メーカの経理部にいたころ、よく聴いていた深夜AMラジオ番組『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』のパーソナリティーだったあのドリアン助川ではないか。

リスナーからのきわめて真面目で重い内容の人生相談に、ドリアン助川が回答するというより、いっしょに悩むというスタンスで、当時の派手な外見とはうらはらに氏の誠実さがにじみでるとても良い番組だったと記憶している。

実はそのドリアン助川改め、明川哲也氏が原稿を書いていたということで、改めて「俺が聞いちゃる」のバックナンバーを読み返してみると、他の転職サイトでは読めない、ブンガク的かつテツガク的な転職相談になっている。さすが『ジャンベルジャン!』のパーソナリティ、その回答は単なる転職テクニックにとどまらず、人間の自意識や生きることの意味そのものにまで踏みこんだ広がりがあり、映画や文学作品など、およそビジネスとは無関係なジャンルからの引用も豊富だ。

そもそも転職というイベントは人生の転機なのだから、転職相談が単なるテクニックの伝授にとどまることの方がおかしいのかもしれない。転職しようと考えている人たちにとって、本当に自分は転職すべきなのかという「Why」の問題は、どうしたら希望どおりの転職ができるのかという「How」の問題よりもはるかに重要なはずなのだ。ところがほとんどの転職サービスは方法論・技術論の疑問には答えてくれても、「なぜ」の問題には答えてくれない。

働くということについて今の40代、50代が「なぜ」の問題を深く考えずにやりすごしてきた結果、いま日本で何が起こっているかは周知のとおりフリータやニートの問題だ。働く意欲の欠如に対して、職業訓練や就業支援など、純粋な技術論で対処することはたしかに効率がいいが、働くことについての「なぜ」というテツガク的な疑問を問わないままでは、おそらく根本的な解決にはならない。

働くことについて技術論の対処両方しか提示できない人たちは、自分たち自身、働くことについて疑問を抱いたことのない人たちに違いない。自分の理想に向かって一直線に突き進んできたようなタイプの人たちが、働くことに「なぜ」という疑問など抱くはずがない。フリータやニートが働くということに関する疑問についていっしょに考えたいと思う人は、むしろ明川哲也氏のような、ブンガク的でテツガク的な人物、つまり、多くの人が当たり前と考えて疑いもしないようなことを疑う能力のある人物なのではないか。

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2006/02/27

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『OH LA!』誌の記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

今週の『OH LA!』掲載のナターシャに関する記事

「ナターシャ・サン=ピエール、フランス語圏の新チャンピオン

『私の大好きなセリーヌ・ディオンと比べてもらえるのはうれしいけれど、彼女の単なるコピーだと思われたくはない』

彼女の輝く青い瞳、フレッシュで澄み切った声、第46回ユーロビジョンを見守る1億2千万人の視聴者を魅了した。ロベール・ゴールドマン(ジャン・ジャックの兄弟)による曲『Je n'ai que mon âme』で、ナターシャ・サン=ピエールはフランスに第4位をもたらした。この数年では思いがけない成績だ。このヌーボー・ブランシュヴィック出身のアカディア(訳注:カナダ南東部のこと)の少女は20歳で輝かしい未来を約束された。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でその姿を現し、ガルーのフランス・ツアーの前座を実際にしっかりとつとめた。ナターシャは輝かしいキャリアの始まりを私たちに語ったが、それはもう一人のカナダ女性、セリーヌディオンのことを思い出させずにはいられない。彼女はセリーヌ・ディオンを敬愛するが、もう彼女とは比べてほしくないと言う...。

あなたのセカンドアルバムは『À chacun son histoire』というタイトルですね。あなたの経歴(histoire)を聞かせてもらえますか...

私はヌーボー・ブランシュヴィック州の北部にあるバトュルスト出身です。歌はほんの幼い頃から始めました。8歳のとき歌の先生が舞台に参加するように提案して下さったんです。公演回数はだんだんと増えて、地元を公演して回るようになりました。14歳のときフランス語圏へということでケベック州に出発しました。2つの事務所が私を見出してくれました。15歳のときファースト・アルバム『Emergence』を発売しました。でもプロデューサと仕事に対する見方が違っていました。契約を打ち切るのに一年半もかかったんです。その期間にバカロレア(訳注:大学入試資格試験)に合格することができました。それからギィ・クロティエと出会ったんです。ルネ・アンジェリルとともにセリーヌ・ディオンを見出した人物です。そして2枚めのアルバムを出しました。間もなくギィは私にリュック・プラマンドンを紹介してくれました。そこから今につながっています。

まさに『ノートルダム・ド・パリ』で見出されたというわけですね。でもあのミュージカルに出演できたのはひょんなことからだったとか...

あっという間で実感がありませんでしたよ!リュック・プラマンドンに出会って10日後にはもうケベック公演ですよ。ジュリー・ゼナッティがアルバム録音の準備のために、予定より早くフランスに帰らなければならなくなりました。ある日の午後のうちに、フルール・ド・リ役を練習しました。いままででいちばんプレッシャーを感じました。舞台の上であんなに緊張したのは初めてでした。

そんな経験の中で何が印象に残っていますか。

とてもいい思い出と、とてもいい友人たちのことです。たとえばガルーのような。すばらしいアーティストたちと出会いましたし、歌について多くを学びましたし、いろんな人たちと出会うことができました(訳注:des gens du milieuの訳し方不明)。

ガルーのツアーではフランスの観客にどんな風に受け入れられましたか。

とても熱狂的でした。何を期待していいのかわかりませんでしたが、公演をしたすべての都市でスタンディング・オベーションでした。

フランスは最近ケベック出身の歌手に熱を上げているようですね。イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、ガルー...。この現象をどう説明しますか。

そういう好みは昔からあって、また繰り返しているだけだと思います。ロベール・シャルルボワ、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・テルなどの名前をあげるだけでも、フランスで成功しているということがわかります。フランス人とケベックの人たちの間には美しい兄弟愛がずっと続いています。フランス人は昔からカナダ人の感受性や作品を評価してきました。

よくもう新生セリーヌ・ディオンだと言われますね。そう言われて満足ですか、うれしいですか、それともいらだちますか。

ものすごくうれしいです。私は彼女の声とカリスマ性、彼女が歌にかたむけるエネルギーや誠実さを素晴らしいと思っているからです。でも同時に恐ろしいという思いもあります。私のことを単なるコピーだと軽蔑されるのは嫌なんです。私たちの似通ったところだけでなくて、違いもわかってもらえたらと思います。

これほどの力強さと説得力で愛を歌い上げるには、恋愛感情を経験する必要があるのではないですか。

必ずしもそうではありません。今のところ恋愛はしていませんし。恋愛感情を表現するために、アーティストは何よりもまず、自分の感情と想像力に語らせる必要があると思っています。

あなたはどんなタイプの女性ですか。

感情のままに生きる、とってもシンプルな人間だと思ってます。音楽やスポーツ、読書が好きですし、気分によってすることを変えます。家族や友だちともとても親しいです。1年に二度は海岸沿いにある実家に帰ります。自分が海辺を必要としている感じです。海辺が好きで、海辺にいるとリラックスできるからです。」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier声の変遷

■ご承知のように、この「愛と苦悩の日記」でナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)がユーロビジョンで4位入賞した2001年当時の雑誌記事を翻訳していると、セリーヌ・ディオンのことがよく話題になっている。ナターシャ自身、セリーヌ・ディオンのような歌手を目標にしているところがあったようだ。

今年に入ってから発売されたニューアルバムを聴くと、全体にマイナーでやや暗めの曲が多く、あまり彼女をセリーヌ・ディオンの明るく突き抜けるようなボーカルと比較しようという考えが起こらないが、先日、セカンド・アルバム『À chacun son histoire(人それぞれの物語〔恋愛〕)』をMP3サイトからダウンロードして聴いてると、なるほどこれはセリーヌ・ディオンだと納得できた。

このアルバムは1曲目に彼女がユーロビジョン・コンクールで歌った『Je n'ai que mon âme』が収録されているが、三連符による4拍子のいわゆるロッカバラードで、歌い始めはささやくように静かなヴォーカルが、終曲に向かって徐々に盛り上がり、最後は「エーイエー!」と力いっぱいの声量で歌い上げる。

2曲目のアルバム表題曲『À chacun son histoire』もイントロはいきなり無伴奏のささやくような歌声から始まるが、こってりしたペンタトニック・スケールのエレキギターがうなるブルースで、ナターシャのヴォーカルもブルージーなフェイクを織り交ぜながらうなっている。

3曲目の『Laisse-moi tout rever』にいたっては、セリーヌ・ディオンの域を超えて、ホイットニー・ヒューストンばりのたくましく伸びる声を響かせている。セリーヌ・ディオンはいくら声を張っても「うなり」はあまり目立たず、透明に響き続けるけれども、ナターシャの声はこの曲のラスト近くでちゃんとうなっている。

最新アルバムで聴けるようないかにもフレンチポップスっぽい「ささやき」型のヴォーカルから、セカンド・アルバムに顕著なホイットニー・ヒューストン並みに「うなる」ソウルフルなヴォーカルまで、この表現の幅を聴くとナターシャの表現力はすでにセリーヌ・ディオンを超えていると言えるのではないか。

ただ心配なのは、元S.E.Sのバダにも同じことが言えるのだが、20代半ばを過ぎると制作側の意向で不必要に大人びてしっとりした曲ばかりを歌わされるようになってしまうのではないかということだ。

S.E.S時代のバダは韓国の伝統芸能パンソリを色濃く受け継いだ「うなる」ようにソウルフルな声を聞かせてくれていたが、最近のアルバムでは「ささやき」型の妙にセクシーな曲ばかりでややうんざいさせられる。ナターシャ・サン=ピエールも今後同じように「ささやき」系セクシーヴォイス路線に入ってしまうのではないかと危惧する。

最新アルバムでナターシャの本来の声量が聴けるのは、辛うじて『À l'amour comme à la guerre』のサビくらいで、この曲はR&Bではなくフォークなので、力強い「うなり」は期待すべくもない。女性歌手が本来もっている表現の幅を保持したまま作品を発表し続けるというのはそんなに難しいことなのだろうか。

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2006/02/26

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

『Ciné Télé Revue』誌

ケベックのテレビ番組でセリーヌ・ディオンを敬愛していると宣言したことでいろいろと言われていますが、どういう状況だったんですか。

『De toutes les couleurs』というバラエティー番組に呼ばれたんです(訳注:en dire de toutes les couleurs à~ という熟語で「~をこきおろす」と言う意味。おそらくゲストを呼んで質問攻めにする感じの番組ではないかと思われる)。まだアルバムは録音していませんでしたが、そのとき既に名前は知られていました。15歳で2つの事務所と契約して、ファースト・アルバムを出しました。18か月の間はそれでうまくいっていましたが、彼らの仕事の進め方が好きではなかったんです。スタッフを変えたかったのですが、契約期間がまだ残っていたので一年半続ける必要がありました。途中解約ができなかったのです。バカロレア(訳注:大学入学資格試験)に合格して、16歳の頃に歌手になりたいんだと自覚しました。その頃まで歌は単なる趣味でした。契約交渉のため歌をやめざるを得なくなって、初めて歌が自分にとっていかに大切かが分かったんです。

セリーヌ・ディオンがあなたのお手本なんですか。

ええ。だって彼女の声は素晴らしいですから。それに彼女は地に足をつけて歩むことができる人です。性格も素敵だし、優しくて、誠実で。あくまで自分らしいし、あれだけ成功しているのに、そういう人はめったにいません。正直に言うと、彼女のようになりたいと思っています。

ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でロマンティックな少女役を演じていましたね。純真無垢な作中人物は、あなたと近いですか。

50%はそうですね。フルール・ド・リは情熱的な少女です。彼女はとても感情的で、周囲で起こるすべてのことに心を動かされます。彼女はまた決意の固い人物でもあります。ここまでは私に似ていますね。でも私はマキャヴェリのようになるほど頑固じゃないですよ!(笑)

あなたのアルバムは愛の言葉を思わせますが...

愛は私たち全員に関係することです。私は今のところ恋愛はしていませんが、とても感傷的な性格なんです。愛の感情を表現する方法はたくさんあります。だから歌えるということは幸せなことです。

恋愛経験はありますか。

ええ。『ノートルダム・ド・パリ』の公演中も恋愛をしていました。とてもいい恋愛でした。残念なことに二人の間がうまくいかなくなって、終わってしまいましたが。そのとき私は『ノートルダム・ド・パリ』を演じていて、ケベックではアルバムの録音で忙しかったんですが、恋愛をする時間を見つけ出していました...。

あなたに歌の仕事をさせてくれるような男性に惹かれるんですか。

特に関係ありません。私たちの仕事上の要請についてお互いに理解できるので、ときどき助けにはなります。この仕事にはいろんなことが必要ですし、会社員と私とでは優先すべきことが違いますから。

恋に落ちやすい方ですか。

いいえ。自分から声をかけたりしませんし、極端に内気なんです!だから思い違いをしないように、確認するためにじっくり時間をかけるんです。

ユーロビジョンが近づいてきましたが、どんな心境ですか。闘志や勝ちたいという気持ちですか。

自然な気持ちです。戦いに行くわけではありませんから。私らしく、ベストを尽くしたいと思っています。ユーロビジョンではとりわけ好みが問題になりますから。私の声が気に入られるかどうか。とにかく私らしくありたいです。」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌インタビュー記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。

『Ciné Télé Revue』インタビュー記事

『私は20歳だけれども、20歳が人生で最も美しい年だなどと誰にも言わせない』。これは哲学者でも作家でもあったポール・ニザン(1905~1940)の引用だが、ナターシャ・サン=ピエールには全く当てはまらない。満20歳のナターシャは、話題の絶えないセカンド・アルバム(ただし欧州では最初のアルバム)『À chacun son histoire』を発売したばかりだ。彼女の物語(histoire)はカナダ北東部の英語圏にあるヌーボー・ブランシュヴィックに始まる。ナターシャは幼い頃から抑えられないほど歌に引かれていることに気付いていた。ケベック州では15歳の頃から歌手として有名になり、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』では若くしてすでにジュリー・ゼナッティの代役を演じた。それからフルール・ド・リ役という肩書きを得て、英語版アルバムの録音に参加。今ではソロシンガーとして活躍している。ついに、と言ってもこれが最後ではないが、先日12日土曜日、ユーロビジョン・コンクールでフランス全土が彼女を後押しし、『Je n'ai que mon âme』という曲をフランス代表として歌った。つい数年前まで生物学者になることを夢見ていた、この未来のスターとのインタビューである。

カナダの輸出産業の中では、女性歌手はメープルシロップと並ぶシェアを占めているとか。あなたも流れ作業で生産されたんですよね。

(笑)違うわ、私の知る限りではね!実際には波があるんじゃないかしら。1970年代には、たくさんのケベック人がヨーロッパで有名になったし。ロベール・シャルルボワ、ディアンヌ・テル、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・デュフレーヌ...。今また波が来たのよ!

一定の知名度の他に、あなたが『ノートルダム・ド・パリ』の経験から得たものはなんですか。

実際はフランス、ケベック、英国すべての『ノートルダム・ド・パリ』公演に参加しているの。だからものすごくたくさんのことを学んだわ。リシャール・コキアントやリュック・プラマンドン、演出家のジル・マウーとの出会いだけじゃなくて、それぞれに違っていた3か国の公演での共演者たちからもね。共演者のほとんどが年上の人たちだったから、なおさら学ぶところが多かったわ。

正確にはどうやって出演者に選ばれたんですか。

(やや興奮して)あらら。ほんと、誰も私を信じてくれないんだから!1999年にケベック州公演のためにリュック・プラマンドンが開いたオーディションに合格したの。ケベック州での公演はフランス公演の後に予定されていて、私はフルール・ド・リ役をもらったというわけ。ところが、私が代役をしたジュリー・ゼナッティはケベックを去って急遽フランスに戻らなければならなくなったの。突然、舞台にフルール・ド・リがいないってことになってしまった。そこである日の正午、私が呼ばれて、『ノートルダム・ド・パリ』公演に予定よりも早く出演準備をして欲しいと言われたの。私が「はい。で、いつからですか」ってたずねたら、「今晩から」ですって!私はモントリオールのサン・ドニ劇場に駆けつけて、パトリック・フィオリ、ジュリー・ゼナッティとその日の午後、役の練習をしたのよ!歌は覚えていたの(フルール・ド・リは劇中で3曲、途中から歌に入るものも含めると4曲しか歌わない)。だって、オーディションに合格したばかりだから。でもそれだけ。何の準備もなかったから、私の身長に合った衣装さえなかったのよ。その晩8時に舞台は始まって、8時半には舞台に上がっていた。あれは人生でいちばん緊張した舞台と言ってもいいわ。

午後の練習だけで十分でしたか。

そうするしかなかったの!舞台上での立ち位置の移動とか、役についてのすべてのことを午後だけで覚えたの。その後2年間、ずっとその役を演じ続けているわ。時が経つにつれて、確実にフルール・ド・リの演じ方は少しずつ変わってきている。

その舞台では間違えませんでしたか。

ええ。すべてがうまく行ったわ。きっとビギナーズ・ラックってやつね。最初の公演が完璧だってことは、たまにあるわね。二回目はほどほどで、三回目は安定してきて。でもあのときの二回目と三回目がどうだったかはよく覚えてないけど...。

英語版でもその役を演じることに問題はありませんでしたか。

逆にうれしかったわ。だって英語で歌うのは好きだから。それから、おかげでジル・マウーと仕事をすることができたし、舞台に変化をもたらすこともできたし、自分の役柄を見直すこともできたし...。同じ役を400回やったとしても、常にその役にまで自分を高める必要があるの。それがミュージカルでいちばん難しいところね。実際、同じ役をやっていると疲れてしまうし、自分の体をいたわろうとしてしまうし。でもそうすることはできないの。劇場の観客には、初めてその役を演じたときの驚きを伝えなければいけないから。だからものすごく集中力が必要だし、エネルギーも必要ね...。

米国版の『ノートルダム・ド・パリ』を見たことはありますか。

いいえ。私が見損ねたのはラス・ヴェガス公演ね。ちょうどそのとき私はケベックと英国にいたから。どちらにしてもそれほど興味を引いたかどうか。歌手としては、私はヨーロッパとカナダを目指して始めたの。たぶん米国にも行くかもしれない。国際的なキャリアを積みたいから。でも、今のところその必要はないと思う。それに、ギャンブルの街で上演される『ノートルダム』はほぼ半分にカットされているし、最初のバージョンを400回以上演じた後にそこへ行っても、あまり幸福じゃないでしょうね。

15歳の頃にすでに『Emergence』を録音しているので、『À chacun son histoire』はセカンド・アルバムですよね。『Emergence』のときは批評家や一般の人たちはどんなふうに受け入れてくれましたか。

とっても、とっても良かったわ。ラジオでもたくさん成功したし、それにモントリオールではあのアルバムの曲をいろんなラジオ局で何度も耳にしたし。売上も良かったわ。ただ、当時私がいっしょに仕事をしていた人たちは、私とは違った見方をしていたみたい。だからスタッフを変えたいと思って、5年契約でまだ3年間契約が残っていたんだけれど、裁判に一年半かかってしまった。その期間は歌うことができなかったから、すごく長く感じられたけど、改めて本当に私は歌手になりたいんだって分かったの。

今のようにヨーロッパで活躍したいと思ったのは何がきっかけですか。

幼い頃の夢がかなった、というわけではないの。だってこんな日がいつか来るなんて夢にも思っていなかったから。でもそれが現実になってとってもうれしいわ。これは一つのチャンスだと思うし、きっとこのチャンスをつかんでみせる...。

ケベック出身の女性歌手が何人もヨーロッパで成功しているので、むしろ良い前兆だと思いませんか。

たしかに私も夢が持てるから!今のところケベック出身の女性歌手はヨーロッパで大活躍しているし。でもそれぞれに違いがあるというのは確かね。たとえばリンダ・ルメは私よりもずっと詩的で、素晴らしい作詞の才能を持っているわ。私たちはお互いにアドバイスできることはあっても、それぞれが自分らしさを証明しなきゃいけないと思ってる。

もしケベック出身の女性歌手ベスト10を選ばなければいけないとしたら誰ですか。

あらら!だって私まだこんなに若いのよ。ケベック出身のフランス語で歌う女性歌手を全員あげることさえできないのに...。でも順番に言うとすれば、セリーヌ・ディオン、ララ・ファビアン、イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、フランス・ダムール、それからナンシー・デュメかしら。

まだ6人しかいませんよ!

他にもいるはずだけど、英語の音楽もたくさん聴くから!英国に6か月滞在して、今はヨーロッパを走り回っているから、ケベックの音楽については、だんだん分からなくなってきてるの、正直に言うと...(苦笑)。

じゃあ、その10人の中に自分を入れるとしたら、何位になりますか。

たぶんフランス・ダムールとナンシー・デュメの間!

生物学者になりたかったそうですが、後悔はしていませんか。

ええ。確かに最終学年で、この夏から研究室での研究を始めなければいけないの。でも自分のやっていることをとっても愛しているから。それに大学に戻ろうと思えば後からでも戻れるし...。」

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2006/02/25

「愛と苦悩の日記」ユニークユーザ1095人/日

■お蔭さまで毎日更新しているためか、このブログ「愛と苦悩の日記」が、2006/02/13にユニークユーザ数1,095人となった。通常は概ね800前後で推移している。かなり読む人を選ぶかたよった内容のこのブログが、である。

しかし、これだけインターネット人口が増えているのに、たった800人だ。800人という人数は、絶妙な感じがする。これが仮に100人なら、検索エンジンから流れてきた行きずりの人たちが通過するだけのゴミサイトだろうし、10,000人なら、単に一般受けするだけの、別の意味でのゴミサイトだ。

たぶんこの「愛と苦悩の日記」の800人の常連の読者の皆さんは、選ばれた800人である。

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エヴァの萌芽としての『トップをねらえ!』

■先日『トップをねらえ!』の第1話、第2話について、GAINAXの歴史を知るためのお勉強としてのみ鑑賞に値すると書いたところ、以前『少女革命ウテナ』劇場版を推薦して頂いた読者の方から即座にメールが届いた。『トップをねらえ!』は第5話、第6話で「化ける」のでぜひ観てほしいという内容だ。この庵野監督作品がカルト的人気を誇るのも、ラストの2話によるものであるとのこと。それでは、ということで残りの第3話から最終話の第6話までをDVDで観てみた。

まいった。

まいった、としか言いようがない完成度だ。『新世紀エヴァンゲリオン』のような作品は、庵野監督から生まれるべくして生まれたのだということが理解できた。

まず脚本については、光速に近い速度で宇宙旅行することによって地球上と時間の経過に差が生じるという、アインシュタインの相対性理論の「浦島効果」をモチーフに、非常にドラマティックな展開を生み出している。最終話、主人公のノリコが地球の表面に見出した光のサインを目にしたとき、思わずこちらも涙を落としそうになってしまう。このラストシーンを見るだけでも、『トップをねらえ!』のDVD3枚を観る価値はある。

そして演出だが、9年間前『新世紀エヴァンゲリオン』を観たとき、僕はエレベータの中でのシンジとアスカの長い沈黙のシーンについて書いた。『トップをねらえ!』の最終話についても同じように演出技術の巧妙さについて書くことができる。

最終話がいきなりモノクロで始まり、ラスト近くまで一貫してモノクロで描かれる。形式こそが脚本に書かれた物語のカタルシスを保証するものであることを、『新世紀エヴァンゲリオン』の10年近く前にすでに庵野監督は表現してしまっていたのだ。と言うより、『新世紀エヴァンゲリオン』の技法や着想のすべてが、すでに『トップをねらえ!』に存在していたと言っても言い過ぎではない。

数十億体におよぶグロテスクな宇宙生物の銀河系への襲来という、通常の想像力を超えた物理的なスケールは、『アルマゲドン』などのB級ハリウッド映画の着想を軽く凌駕している。『新世紀エヴァンゲリオン』では空間的な拡大が行き着くところまで行き着き、ちょうどクラインの壷のように裏返って、少年、少女たちの心理的な内面に還ってきたというべきではないか。

『新世紀エヴァンゲリオン』における使徒や、巨大な綾波レイの上半身や、地球の最後は、『トップをねらえ!』におけるように地球の「外部」から襲ってくる存在ではもはやなく、登場人物たちのいわば心象風景のようなものと化している。『トップをねらえ!』では依然として明確な、地球とそれ以外という二項対立、人類を守るものたちと、人類を脅かすものたちという二項対立は、その最終話で「裏返し」になる極限まですでに行き着いてしまっていたのだ。

『少女革命ウテナ』同様、『トップをねらえ!』も最初の3分の1の部分はアニメ嫌いにとって少々つらいものがあるが、そこを過ぎるととんでもない表現が展開される。やはり日本が世界に誇るサブカルチャーをあなどってはいけない。


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ノーツとデスクネッツの比較:スケジュール機能

■昨日関連する記事を書いたばかりなので、仕事でネオジャパン社のグループウェア「デスクネッツ」(desknet's)のスタンダード版を導入・管理してみて、Notes/Domino 6.5.x, 7.0と比較したときの満足度について何回かに分けて書いてみたい。

(その他の機能の比較については本体サイトの「think or die」の「ITを考える」を参照のこと)

前提としてNotes/Dominoは単なるグループウェアではなく、SMTPサーバでもあり、IMAPサーバでもあり、LDAPサーバでもあり、JSPが使えるWebサーバでもあり、Visual Basic(Lotus Script)やJavaに対応した開発基盤でもあるのに対して、デスクネッツは文字どおりの意味で単なるグループウェアであるという大きな違いがある。

したがってNotes/Dominoとデスクネッツを比較する場合には、Notes/Dominoのメールデータベースのスケジュール管理・会議室予約、掲示板テンプレート、電子会議室テンプレート、作りこんだ場合のワークフロー機能と、それらに対応するデスクネッツの標準機能との比較になる。

デスクネッツは機能が22個ほどあるが、まず全ての機能を使うということはないだろう。後日書くことになるが、「ワークフロー」など、実際問題として業務では使えるレベルにない機能もある。僕が勤務先で運用しているのは、「スケジュール」「ToDo」「タイムカード」「設備予約」「インフォメーション(掲示板機能のこと)」「電子会議室」「文書管理」「アンケート」「アラーム」くらいである。

まずデスクネッツのメニューでいちばん上に表示されるスケジュール管理機能から。デスクネッツのスケジュール管理機能は会議室・備品予約(デスクネッツ上は「設備予約」という名称)と連動していて、個人のスケジュール予約からも会議室・備品を予約できるし、会議室・備品予約からも個人のスケジュール予約ができる。

個人のスケジュールは重複予約を許す設定にも、許さない設定にもできる。会議室・備品予約は当然のことながら重複予約は許されない。

また、ToDo機能で入力したToDo(おおむね1か月以内の期日までにやらなければいけない小さな仕事、タスクのこと)は、スケジュール管理のカレンダー上で、ToDoの最終期限日のところに表示される。

複数の人を会議に招集する場合は、通常のスケジュール登録機能で召集したいユーザを選択するだけ、個人のスケジュール登録と同じ画面で登録できる。メールを送信するチェックボックスにチェックを入れれば、参加者たちにスケジュール内容の書かれたメールが自動送信される。スケジュールを入れようとしている日時にメンバーのスケジュールがあいているかは、メンバーを追加する画面で棒状のチャートを見ながらチェックできる。

デスクネッツはDHTMLをほとんど使っていないので、画面操作全般はテキストボックスやプルダウンリストなど、シンプルな入力インタフェースしか登場しない。したがってスケジュールを登録するときも、マウスでぐりぐりドラッグすると時間の帯が伸びたりといった気のきいた(見方によっては装飾過剰な)インターフェースは存在しない。

Notes/Dominoのスケジュール管理・会議室予約機能は、ご存知のように使いやすさの面で最新のリリースになっても根本的な改善はなされていない。任意の人々の会議室・備品の週間スケジュールを一覧できないなど、Notes/Dominoのスケジュール管理は個々人のメールデータベースが基本になっているので、複数人のスケジュールを一度に管理する機能が弱いのは当然だ。

デスクネッツのスケジュール管理で、細かいけれど意外とエンドユーザに評判がいいのは、スケジュールに「カワイイ」絵を付けられるところだ。出張なら新幹線アイコン、通院なら病院アイコン、歯医者なら虫歯アイコン、研修なら鉛筆アイコン。このアイコンは大きささえ一致していれば好きなGIFファイルを登録できる。デスクネッツの画面はサイボウズAGに比べるとかなり地味で事務的だが、実はこういうお遊びの側面ももっている。

デスクネッツのスケジュール機能で実運用上いちばん注意したいのは、たとえば他の人がスケジュールのついでに会議室(設備)も予約していて、その予約を別の人が変更するという運用をしたい場合だ。この場合、デスクネッツではかなり面倒な設定と操作が必要になるが、今回はすでに長くなったので次回のお楽しみに。

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2006/02/24

デスクネッツ「スケジュール」機能の奇妙なアクセス権初期設定

■仕事でデスクネッツのスタンダード版(desknet's Standard)を使っているのだが、不思議な現象に気が付いたので検索エンジンに引っかかるようにここに記しておく。

デスクネッツのスケジュール機能では、ユーザごとにスケジュールを参照/追加/変更/削除する権限を設定できる。たとえば、Aさんのスケジュールに対して、Bさんは参照権限しかもたないが、Cさんは参照/追加、Dさんは参照/追加/変更、Eさんは参照/追加/変更/削除する権限をもつ、などのきめ細かい設定ができる。

ところが、デスクネッツに新規ユーザを登録するとき、「CSVファイルからインポート」の機能をつかって一括登録をした場合と、手で一人ずつ登録した場合とで、スケジュール機能のアクセス権設定の初期値が異なるのだ。

新規ユーザ登録のときに「CSVファイルからインポート」の機能をつかって一括登録したユーザについては、そのユーザのスケジュールに対して「全ユーザ」が「参照/追加/変更/削除」する権限を持つようなスケジュールのアクセス権設定が初期値になる。

それに対して、手で一人ずつ登録したユーザについては、そのユーザのスケジュールに対して「全ユーザ」が「参照/追加」する権限しか持たないようなスケジュールのアクセス権設定が初期値になるのだ。

デスクネッツを導入した後に入社した社員については、手で一人ずつ登録している場合は、それらのユーザについてもスケジュールのアクセス権設定が「参照/追加/変更/削除」になっているものと勘違いして運用していると、そのうちユーザから情報システム部門に苦情がくる。「社内会議のスケジュールを入れたのに、なぜか特定の人が参加している会議のスケジュールだけ、削除できないんですけど...」という苦情だ。

よくよく調べてみるとその「特定の人」というのは、デスクネッツを導入した後に手で一人ずつ登録したユーザで、スケジュールのアクセス権の初期値が「参照/追加」だけになっていた、というオチである。

ネオジャパン社のWebサイトにあるデスクネッツのオンラインマニュアルを読んでも、こんなことはどこにも書いていないので要注意である。

ちなみにこのことに気づいたら、全ユーザのスケジュールのアクセス権を一括で変更する方法がある。スケジュール機能の画面で画面右下の「管理者設定」ボタンをクリックし、左上のメニューから「全ユーザアクセス権設定」をクリックする。

そして上半分の「ユーザ選択」の画面の「アクセス権設定対象ユーザ一覧」のリストボックスに、すべてのユーザを表示させた後、その真下の「アクセス権一覧」の欄を「全ユーザ(参追変削)」に変更する。この状態で画面いちばん下のOKボタンをクリックすれば、すべてのユーザのスケジュールのアクセス権が一括で「全ユーザ(参追変削)」にぬりかわる。

「アクセス権一覧」の欄の下に、赤い文字で「※ 「アクセス権設定対象ユーザー一覧」に表示されている全ユーザーを対象に、「OK」ボタンにて同じアクセス権を設定します」と書いてあるので、このような一括変更ができるということがわかる。

以上、デスクネッツは最近サイボウズとならんで売上を伸ばしている100%Web型グループウェアで、シェアはまだNotes/Dominoに遠く及ばないものの、グループウェア製品としてはそこそこメジャーだと思うが、そんなデスクネッツのシステム管理について、重箱の隅をつつくような、とってもマイナーな記事でした。

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2006/02/22

庵野秀明『トップをねらえ!』

■まだアニメーション鑑賞強化月間が続いているのだが、昨日、今日と1988年のGAINAX作品『トップをねらえ!』のDVD第一巻を観た。収録されているのは第1話、第2話と科学講座の第1回、第2回である。ご存知のようにこの作品は『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明が監督をしている。

詳しくはWikipediaの『トップをねらえ!』の項を参照して頂きたい。とにかくパロディのかたまりのような作品で、GAINAXの歴史を知るためのお勉強としての鑑賞にのみ値する。

主役のタカヤ・ノリコの声優がかの有名な日高のり子だったり、オープニングテーマとエンディングテーマをかのノリピーこと酒井法子が歌っていたり、かなりメジャーを意識した作品であるにもかかわらず、やっぱりマイナーに終わってしまった、ということがよくわかる。

Wikipediaの『トップをねらえ!』の項によれば日高のり子は当時まだ声優としては駆け出しで、本作をきっかけにブレイクしたとあるが、「日高のり子」の項によれば1985~87年にかけてすでに『タッチ』のヒロイン・浅倉南役を演じているので、1988年当時はすでに声優としてはかなり知名度があったと考えるべきだろう。

『トップをねらえ!』の前にGAINAXによって作られた『王立宇宙軍~オネアミスの翼』のDVDも借りてあるので、今週は言ってみれば『新世紀エヴァンゲリオン』のルーツをさぐれ!GAINAX週間、である。いったい僕は何がしたいのだろうか。


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Notes/DominoのWeb用カレンダ入力ダイアログ発見

■Lotus Notes/Domino はリリース7になってもいまだにWebブラウザへの対応が十分ではなく、結局Notesクライアントなしではまともに使えないではないかと、以前このページで文句を書いた。その状況に変わりはないが、Notesクライアントにはあって、Webブラウザにはない入力補助機能の一つ、カレンダコントロールがJavaScriptでかなりエレガントに実装されているのを見つけた。

こちらのNotes/Dominoに関するブログ「nsfl10n」の「Web用カレンダ入力ダイアログ」というエントリで紹介されているものだ。自前のNotesアプリケーションへのコピーも簡単で、なおかつ日付だけでなく、日付・時刻の同時入力もでき、見た目にも美しいので実務に十分使える。

ただこれはNotes/Domino用に開発されたというより、DHTML、JavaScript、スタイルシートを使ったWebアプリケーション用の汎用入力部品である。カレンダ入力ダイアログはNotesデータベースからデータを引用する必要がなく、JavaScriptの組み込み関数だけでデータを作り出せるので、Notes/Dominoと切り離しても単独で使えるのは当たり前である。

それに対して、メールの宛先指定などにつかうユーザ名選択ダイアログは、ドミノディレクトリからデータを引っ張ってこなければならないので、ドミノディレクトリのURLに文書検索用のキーをパラメータとして付加したものを引数として渡し、XML形式でビューを読み出すという処理をJavaScriptで記述する必要がある。

その他にも、選択するドミノディレクトリを変更したらユーザ名一覧が動的に変更されたり、ユーザ名を複数指定してもう一つのリストボックスに追加していくなど、記述すべきDHTMLの処理がカレンダ入力ダイアログよりも格段に複雑だ。

誰かユーザ名入力ダイアログもスタイルシート付きの美しいGUIで開発してくれないだろうか。

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ジャック・デリダ『グラマトロジーについて(下)』

■ジャック・デリダ『グラマトロジーについて(下)』を読み終えたが、予想に反して始から終わりまでルソーの諸作品についての綿密な読解で、読み通すのにかなり集中力を要した。基本的にデリダの読解の方法というのは、ルソーが作品で言おうとしていることと、意に反して伝えてしまっていることの矛盾を突くという方法になっている。

つまり、ルソーの書いていることを精密に読み込んでいくと、あちらこちらに論理的に矛盾するところが出てくる。でもその矛盾は、ルソーの論理的思考能力に限界があるからだとか、不注意によるものだとかいうのではなくて、いわば起こるべくして起こった矛盾だというのが、デリダの読み方になっている。

書くという行為を通して自分の言いたいことを自分で確認しようとすればするほど、意に反してそれとは反対のことを読者に伝えてしまうのは、書くという行為そのものがそのような性格をもっているためである。デリダは書くという行為について、そんな考え方を持っている。

ふつう僕らは、何かを書くからには、自分で「これについて書くんだ」と思っていることがあって、書くという行為は、あらかじめ僕らの頭の中に存在する「書かれるべきもの」をそのまま文字として書き記すだけだと考えている。たしかにこういうのがごく一般的な書くという行為についての考え方だが、本当にそうなの?というのがデリダが僕らに投げかける本質的な疑問だ。

そういうわけで、僕はこの調子で今度は『エクリチュールと差異』を読み始めなければならない。

しかしどうして僕は今ごろになって初めて『グラマトロジーについて』を読み、しかも日本語訳で、下巻だけを読むなどという妙なことをしているのだろうか。


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2006/02/21

キーワードは「上野樹里」

■最近アクセスカウンタを変えた。ご存知の方はご存知のとおり、あるWebサイトの直前に開いていたWebページのことを、Refererといい(英語として正しいつづりはReferrerだが、システム上はなぜかrが1文字でRefererとつづられる)、HTTPという通信手順の使用上、Webサーバ側でそのページのURL(アドレス)を取得できるようになっている。

最近乗り換えたアクセスカウンタの分析画面では、その検索キーワードの統計を参照できるのだが、「愛と苦悩の日記」で最近ずっと上位に食い込んでいるのが「上野樹里」というキーワードなのだ。その他は日によって変化が激しいのに、「上野樹里」というキーワードだけは一貫して10位以内に入っている。自分自身Googleで検索してみると、たしかに30位以内に入っていて、期せずして上野樹里でそこそこSEO対策ができていることになる。

きっかけは何であれ、このWebサイトにたどりついて頂けることは大変うれしい。もちろん今でも上野樹里の動向は気になっていて、最近ではブリジストンの自転車「アルベルト」のテレビCMの最新版に「おっ」と思った。「アルベルト」のCMは映画『スウィングガールズ』でブレイクする前から出演していて、僕も映画を観た後に、ああ、あのCMに出演していた彼女だったんだ、と気付いたほどだ。

そういえば僕の家の近所のスーパーマーケットに、彼女の真剣なまなざしの顔が大写しになった「火の用心」のポスターが色あせるまで貼られていたのだが、気がつくとなくなっていた。そのまま捨てられたのだったらもらって帰ってもよかったかもしれない。お隣の駅の図書券ポスターも、いつの間にかなくなっていたが、どうなったのだろう。

映画『亀は意外と速く泳ぐ』も観なければと思いつつ、TSUTAYAではまだ新作扱いでレンタル料が割高なので、もう少し待ってから観てみたい。なんだかまったりしてとりとめのない上野樹里に関する雑談にしかならなかった。

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使いづらくなったUSBメモリ

■職場でもプライベートでもパソコンを日常的に使う人にとって、スティック型のUSBメモリは手放せないが、最近のUSBメモリは決定的な使いづらさがある。それは、ホルダーに引っ掛けるための「穴」が、フタではなく本体側についていることだ。

僕が3年ほど前に購入したバッファローのUSBメモリは、フタ側にホルダー穴があったので、自宅の鍵と一緒にキーホルダーにぶら下げたり、会社のIDカードホルダーに、IDカードと一緒にぶら下げたりして、必要なときは本体を抜き取って使えばよかった。

ところが、何故だか知らないが、最近のUSBメモリはほとんどが本体側にホルダー穴がついている。すると、USBメモリを使いたいときは、フタをとったら、それをなくさないようにしっかりと握り締めつつ、USBメモリ本体の方は、自宅の鍵ごと、あるいは、会社のIDカードごとジャラジャラさせながら、パソコンのUSBポートに接続しなければならないのだ。明らかに不便である。

実際の使い方を考えれば、ホルダー穴はフタ側にあって当然で、これくらい自明の理はないと思うのだが、メーカ各社はどうして本体側にホルダー穴をつけるようになってしまったのだろうか。不思議でならない。

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2006/02/19

エクリチュールの「つねに、すでに」

■最近の「愛と苦悩の日記」はアニメーションとナターシャ・サン=ピエールの話ばかりで、書評がないじゃないかと思われるかもしれないが、通勤電車の中では毎日ジャック・デリダ『グラマトロジーについて(下)』を読んでいる。1か月ほどかかってようやく3分の2あたりまでだが、読み終わっても書評など書けるのかどうか分からない。しかし今ごろになってルソーをネタにしたエクリチュール論を読んでどうする。「つねに、すでに」ということをもう一度よく理解するためだろうか。

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「第七夜 永遠の世界エルハザード」

■ちょっと魔が差して『神秘の世界エルハザード』OVA(オリジナル・ヴィデオ・アニメーション)版を最後の「第七夜 永遠の世界エルハザード」まで観てしまった。第七「話」ではなく第七「夜」になっているのは、主な舞台であるエルハザードという名前の異界がアラブ風の味付けで『千夜一夜物語』に引っかけてあるのだろう。

こうして最後まで観てみると、イフリータという登場人物に対して、小学生時代の僕が松本零士原作『1000年女王』の雪野弥生に対して抱いたのと似た、懐かしい感情を抱いてしまうのは、やはり僕がアニおた(アニメーションおたく)になる素質を持っているからなのだろうか。

感情を持たない兵器であるイフリータに水原誠が「思い出」を与え、それによってイフリータが一万年の時を越えて水原誠をエルハザードに送り返すという、タイムマシン・パラドックスを完全に無視した設定も、最後にイフリータの視点から見た高校の夜明けの風景を描かれた日にはどうでもよくなってくる。

『交響詩篇エウレカセブン』への不満から始まったアニメーションの試視聴が、実際には抜けられない迷路に入りつつあるのかもしれないが、まあそれもいい。大学生時代のある時期から、諸事情あってAMラジオを聴きながらでなければ眠れなくなった。そのため声優ラジオはイヤでも耳に入ってくることになり、観たことがなくても『エルハザード』や『天地無用』『サクラ大戦』といった固有名詞にはなじみがある。

どこへ戻っていっているのか知らないが、たぶんどこにもない土地に、こうして戻っていっているのだろう。


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劇場版『機動戦士ガンダム』(1981年)

■『ターンAガンダム』を見る以前の問題として、やはり初代の『ガンダム』を見ておく必要があるだろうと思い、音声部分をデジタルリマスタリングしてある1981年劇場版『機動戦士ガンダム』を観た。139分もの長尺だったが、TV版の再編集ということもあるせいか、中だるみのない、最後まで一気に見せる展開だった。

僕の年齢からするとリアルタイムで熱狂していてもおかしくないのだが、初代のガンダムをまともに見るのは実はこれが初体験だ。神戸市にある某6年制の進学校で、ともにパソコン部を創設した当時の同級生たちは、当然のごとくモビルスーツに熱中していたのだが、僕はアニメーションは小学生時代の松本零士作品で「卒業」という感じで、もっぱらビルボードのヒットチャートにはまっていた。

ドラマを見せるシーケンスのワンカット、ワンカットに、いくつも印象的なものがあった。たとえば地球でようやく再会を果たせたにもかかわらず、戦士としてホワイトベースにもどっていくアムロを見送り、その場にくずおれるアムロの母親を俯瞰するカットなどは美しい。大気圏突入のシーケンスは『ガンダムSEED』に至るまで反復されているということが分かったし、とにかく原点・起源を知るという意味で勉強になった。

『哀・戦士編』や『めぐりあい宇宙編』では違ってくるのかもしれないが、設定として地球群=「正義」、独裁を目論むジオン軍=「悪」という単純な二項対立は、結局「正義のための戦争」を正当化することになっているわけで、その点では戦闘シーンのかっこよさを楽しむロボット戦闘ものの域を出ていない。

アムロ・レイが古谷徹、マチルダ・アジャンが戸田恵子(そういえばテレビドラマ版の『電車男』でマチルダのフィギアを握りしめる伊藤君が母親役の戸田恵子に突然声をかけられて「本物そっくり」とつぶやく台詞があった)、アムロの母親役に池田昌子(メーテル役の声優)、ミライ・ヤシマにいたっては白石冬美という、往年の名声優たちの夢の競演が時代を感じさせる。

それにしても、円広志作曲のエンディング・テーマをやしきたかじんが歌っているというのは、ちょっとイケてないのではないか。『銀河鉄道999』はゴダイゴみたいなバタくさいミュージシャンを使っているんだから。


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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23-05/23)

■お気づきのようにNatasha St-Pierのカタカナ表記を「ナターシャ・サン=ピエ」から「ナターシャ・サン=ピエール」に変更させて頂いた。動詞の不定詞でない限り通常フランス語の末尾の「r」は発音される。ただ、弱く発音されるのでカタカナで「ピエール」と表記してしまうと St.Pierre(聖ペテロ)のように聞こえるので「サン=ピエ」と表記していたが、今日、近所の新星堂で彼女のセカンドアルバムの日本発売盤を見つけ、「ピエール」と表記されていたのでそれにならうことにした。

いい加減飽きてきたという読者の方々は「ナターシャ・サン=ピエール」カテゴリーの記事は読み飛ばして頂いて構わない。単に個人的に日本で唯一のナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)のファンサイトを目指しているだけなので。

(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/23 ナターシャに関する記事をいくつか。

『Télé 7 jours(テレビ1週間)』より
「ナターシャ・サン=ピエール セリーヌ・ディオンの弟子

注目、一人のスターが人気を拡大しつつある。ナターシャ・サン=ピエール20歳は、プラマンドンのスターの中の新星だ。ケベックと英国の観客は去年この青い瞳のカナダ女性がミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役になったのをを発見した。ジュリー・ゼナティの代役である。最近彼女が一段ステップアップしたのは、ユーロビジョン・コンクールへの出場だ。デンマークのコペンハーゲンで2001/05/12にフランスを代表して歌った。(中略)

大部分が英語を話すカナダの極東の土地ヌーボー・ブランシュヴィックに生まれ、ナターシャはフランス語にこだわりをもつ。『英語で歌手としてキャリアを積めるかどうかなんて、一度も考えたことがないわ。両親もフランス語を話していて、母の先祖はアカディア、父はイタリアなの。最初に歌った歌はモリエールの言葉で書いた歌だし、最初に契約したのもフランス語を話す人よ。でも、いつかまた別の目標を達成したくなったら、英語でも歌うでしょうね』

ナターシャのキャリアはとても早くから始まった。『8歳で音楽の先生が舞台に出ることを進めてくれたの。そこでエルザ(訳注:フランスの女性歌手)の『Mon cadeau(わたしの贈り物)』という歌を歌ったわ。そこから毎年の夜の公演にひっきりなしに招待されるようになったの。私のバンドと一緒に出演して歌っていたわ』

私的な公演はもはやその成功を隠していることもできなくなり、14歳でファースト・アルバムを録音する。そして大当り!しかし彼女の所属した2つの事務所間の係争のために、1年半の活動停止を余儀なくされる。最後にはケベックで非常に有名なプロデューサー、ギィ・クロティエが彼女との契約を勝ちとり、リュック・プラマンドンに『ノートルダム・ド・パリ』に出演させるよう、彼女を紹介。そして彼女の名が知られるようになった。ニューアルバム『A chacun son histoire』はピエロ・カッサーノとイタリアで制作され、売上好調だ。次のステージはオランピア劇場に決定している。ガルーのコンサートの6回目の前座をつとめるのだ。

この力強く澄み切った声をもつ少女の新しいキャリアの始まりを、ある人々はセリーヌ・ディオンと比較する・・・しかし、それはまた別の話だ」

『Télé Club Plus(テレビクラブ・プラス)』よりインタビュー記事

たった20歳なのに、新人っぽいところが全くないね...
8歳で、母が私に歌を教え込んだの。突然舞台に立って歌っていたって感じ。私の番が来て、歌い始めたの。そしたらスタンディング・オベーション。だって、みんな帰っちゃうだろうって思ってたのよ。それでおしまいじゃなかった。12歳でケベック州の「歌の力」っていうコンクールに出場して名前を知ってもらうようになって、少しずつ歌う機会が増えていったわ。14歳でファースト・アルバム『Emergence』を録音して、チャートで1位をとったの。

ケベック出身じゃなかったっけ?
ちがうわ。もっとフランス語の強いヌーボー・ブランシュヴィック出身よ。私の家族は外では英語、家ではフランス語を話してるの。

だから『ノートルダム・ド・パリ』では英語で歌えたんだ
ええ、その通り。でも最初はフランス語で「フルール・ド・リ」役をやってた。新しいチームを結成するためのオーディションを受けて、一週間後にジュリー・ゼナッティがフランスに帰らなきゃいけなくなったの。エレーヌは病気だったし、二役をやる代役が一人しかいなかったから、私がフルール・ド・リ役をすることになった。それまでそのミュージカルはたった一度しか見たことがなかったのよ。パトリック・フィオリが私に午後と夜の二度リハーサルをさせて、舞台に立ったの。そこから2か月、フランスのチームと『ノートル・ダム』に出演して、ケベックのチームでもフルール・ド・リを演じることになったの。ツアーが終わってアルバムを作った後、ロンドンに出発した。フランス語ではかわいくて優しい女の子だって言うのに、英語では意地悪でセクシーって言うのね。みんな嫌いだって言っても、私は私に満足よ!

アルバムではとっても落ち着いた感じだよね。もっと年上の女性みたいな...
たぶん同じ年の友だちが多くないからかも。普通の人が2年、3年で生きるところを、私は2か月、3か月で生きてるって感じなの。面白くて話上手な人と話していると、私の実年齢をなかなか信じてもらえないのよ。

どんなタイプの恋愛をするの?
ロマンティックで情熱的!前は子供なんて欲しくないと思ってた。だって両親がどんなリズムで生活してたか見てるから。今は、いつかは欲しいなって思う。でも当分は恋愛はしない。家庭を持ちたいと思わせてくれるような人とまだ出会ってないから。

どんな男性が好き?
正直言って、今のところ2人としか付き合ったことがないの。私の仕事を理解してくれる人がいいんだけど。愛情を示してくれるけど、束縛しないような人。私ってかなり独り占めしたい方なの。だから、けっこうわがまま。本当に愛してるってことを証明してほしいの。

ガルーの前座をやってるけど、大変だった?
『ノートルダム』の舞台裏で、彼は私をリラックスさせてくれたの。ロンドンでも守ってくれたし。お兄さんみたいな存在ね。お兄さんと友だちの中間くらいかな。本当のお兄さんだったら、親が同じだから全部話すわけにはいかないでしょ。友だちだったら、お兄さんほど信用できないから、やっぱり全部話すわけにはいかない。ガルーは、両方が混じった感じなの。お兄さんのようにすべてを話すことができるけれど、私の両親にいちいち報告したりしないし。二人でいると楽しいしね!それにフランスの人たちとたくさん会えるし。ガルーはどれだけ私を助けてくれてるか、自分では気づいていないけど...」

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2006/02/18

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier『天使が私の扉をたたく』試訳

■昨日書いたTV5MONDEのナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)出演、スタジオ・アコースティック・ライブを見ることができた。約30分の番組で、テレビで初めてじっくりと見る「動くナターシャ」である。

アコースティックでアルバムのアレンジよりゆったりしたテンポの演奏、しかも『À l'amour comme à la guerre』以外はすべてマイナー・コード(短調)の曲だったので、彼女の声量を堪能できたというよりは、しっとりしたスタジオ・ライブになっていた。

フランス語の勉強を怠っているだけあって、インタビューはほとんど聞き取れなかった。『Un ange frappe à ma porte』がなぜ日本文化に着想を得ているのか、インタビューの冒頭で話題になっていることまでは分かったが、その理由までは聞き取れなかった。TV5MONDEのWebサイトのストリーミングを何度も巻き戻して、聞き取ってみようと思う。

その代わりと言っては何だが『Un ange frappe à ma porte』の歌詞の翻訳をどうぞ。なんて陰惨な歌詞なんだろうか。間違いがあればご指摘下さい。

Un signe, une larme,
un mot, une arme,
nettoyer les étoiles à l'alcool de mon âme
しるし、涙、
言葉、武器、
心の酒で星を清め

Un vide, un mal
des roses qui se fanent
quelqu'un qui prend la place de
quelqu'un d'autre
しおれるバラの
虚しさ、苦痛
他の誰かの代わりの誰か

Un ange frappe à ma porte
Est-ce que je le laisse entrer
Ce n'est pas toujours ma faute
Si les choses sont cassées
天使が私の扉をたたく
入れてあげるのか
ものが壊れても
私のせいとは限らない

Le diable frappe à ma porte
Il demande à me parler
Il y a en moi toujours l'autre
Attiré par le danger
悪魔が私の扉をたたく
私と話したいという
いつも私のなかには
危険にひかれる他人がいる

Un filtre, une faille,
l'amour, une paille,
je me noie dans un verre d'eau
j'me sens mal dans ma peau
フィルター、ひび割れ
愛、ストロー
グラスの水に溺れる私
私は私に苦しんでいる

Je rie je cache le vrai derriere un masque,
le soleil ne va jamais se lever.
私は笑って仮面の下に真実を隠す
陽は二度と昇らない

Je ne suis pas si forte que ça
et la nuit je ne dors pas,
tous ces reves ca me met mal,
私はそんなに強くない
夜も眠らない
夢見るたびに苦しい

Un enfant frappe a ma porte
il laisse entrer la lumière,
il a mes yeux et mon coeur,
et derrière lui c'est l'enfer
子供が私の扉をたたく
その子は光を招き入れる
私のような目と心をして
その子の後ろは地獄

(c) Sony BMG Music Entertainment

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/17-05/21)

■ついにこの「愛と苦悩の日記」がキーワード「ナターシャ・サン=ピエール」でYahoo!JAPAN検索のトップに躍り出た。って、こんなマイナーなキーワードであっさりSEOが成功するのは当たり前。「ナターシャ・サン=ピエール」なんてキーワードで検索する日本人なんて一人もいない。

(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/17 盗作の訴え:『Je n'ai que mon âme』が議論の的になっている。というのはベルギーの女性歌手シャンタル・エデンが、数年前に作曲した自分の歌『La vigne de mon père(私の父のぶどう)』とメロディーが非常によく似ていると主張。

―2001/05/18 ナターシャがフランスのセールスチャート入り!ナターシャのアルバムが今週フランスのセールスチャートで37位にランクイン。約10万枚が売れた。そしてシングル『Je n'ai que mon âme』は8位に!

―2001/05/20 ベルギーでは『Je n'ai que mon âme』がフランス語シングルの2位に!ナターシャのアルバムとシングルはフランスのセールスチャートのランクではそれほど良くないが、フランスのテレビ局はナターシャの広告を流している。

―2001/05/21 「(www.dhnet.beの記事より)コンクールの後、ユーロビジョンの参加者たちは暗色の服装と長いドレスを着て盛大で粋なレセプションに参加する。アフター・パーティーと呼ばれるこのレセプションに、ナターシャ・サン=ピエールはほとんどいなかった。彼女はいちばんに会場を後にしてホテルに帰った。たぶん第4位という成績に少しがっかりしていたのだろう。もっと上位を期待していたのに。この若いケベック女性はフランス代表としてコペンハーゲンに出発したが、確かにその活躍を恥じる必要はない。彼女は最下位に甘んじるかもしれなかったのだ。デンマークのテレビカメラの前に、しかも、パルケン競技場の38,00人の観客を前にして、コーラスもダンサーもなしで、ひとりで立ち向かうことを選択したアーティストは、彼女ただ一人だったのだ。あの巨大な空間の中で、彼女はとても小さく見えた。それにもかかわらず、彼女は人々が見守る中、素晴らしい歌唱を見せた。満員の観客たちは言うまでもなく、テレビでも彼女はいつも美しいイメージを見せる。とくにこの会場では座席が四角く配置されていた。ライティングの束が天井から降りてきて、すべてが妖精のように見えた。ナターシャは女王のように歌った。確実にこの2001年のユーロビジョンの中では最も素晴らしい声だった。

逆におそらく選曲が悔やまれるだろう。アルバムのうち、彼女の本当の個性を引き出す曲とは程遠い曲が選ばれてしまった。『Je n'ai que mon âme』は彼女の将来の名声を築くためのシングルだ。もっとセリーヌ・ディオン風の曲に賭けた方が良かったのではないか。そしてユーロビジョンの最近の傾向、とくに何でもかんでも英語に頼る傾向(ドイツやフランスまでがそんな傾向になっている)のことを考えると、セリーヌ・ディオン風の曲というのは一つの大きな特徴になる。新しいものを求めるよりむしろ、前例を踏襲せよということだ。

それは1999年のシャルロット・ニールセンのヒット曲のケースに既に現れている。あの曲はアバの時代を思い出させる。去年はオルセン・ブラザーズが完全にサイモン&ガーファンクル風のスタイルを採用していた。ここからメッセージが読み取れる。みんな分かっていることなのだ。スウェーデンの人々はアバに賭けていたし、再びアバ風の曲に賭けている。リトアニアはリタ・ミツコの曲をとてもよく研究していた。ロシアは去年第3位だったラトビアの曲を単純に焼きなおす考えだったようだ。ファッションさえも同じだ。優勝者のタネル・パダール&デイヴ・ベントンでさえも(ユーロビジョンでグランプリをとった『Everybody』という曲を歌った)、ヴィレッジ・ピープル風であることを否定できない。

しかし、なんというサスペンスだろうか。4つもの国(ラトビア、デンマーク、ギリシア、フランス)が他の国をリードした。長い間、誰もがチャンスを信じていた。この4か国のうち一つが突然他の国を引き離すと、次の審査員はその国には投票せず、またグループに引きもどした。最後の3人の審査員のときは、エストニアとデンマークがたった1点だけ引き離していた。しかしマルタ島とギリシアの票は主催国であるデンマークのチャンスを奪った。ラトビアは、旧ソビエト連邦の国というよりは、白人と黒人のデュオで、アメリカ風のイメージに結びつけたおかげで優勝した。デイヴ・ベントンはカリブ諸島生まれで、プロのドラマーになり、トム・ジョーンズ、ビリー・オーシャン、ジョゼ・フェリッチアーノなどのバックミュージシャンをしていた。彼がエストニアに住むようになったのは、タネル・パダールと出会ったためで、これがデュオ結成のきっかけになった。ナターシャ・サン=ピエールがカナダからユーロビジョンに出演したように、デイヴ・ベントンはカリブ諸島から出演した。

エストニアがユーロビジョンで幸運を勝ち得ても不思議ではない。エストニアは1994年に初めて参加した。7回の参加のうち、エストニアは上位5位以内に4回選ばれている。したがって来年は、バルト海をはさんでデンマークと反対側にある、エストニアの首都・タリンでユーロビジョンが開催される」

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本日CS1/991ChのTV5MODEでナターシャのスタジオライブ放送

■この「愛と苦悩の日記」では先日来、フランスの実力者女性歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)の経歴をご紹介しているが、うれしいことに日本のテレビで視聴できる彼女の番組の情報をリアルタイムでお伝えすることができる。

CS110度放送を視聴できる皆さんは、今日、2006/02/18 18:45から、CS1の991チャンネルで放送されているTV5MONDE(テ・ヴェ・サンク・モンド)の『ACOUSTIC』という番組で、彼女のスタジオでのアコースティック・ライブを見ることができるのだ!

僕がこのことを知ったのは、昨晩TV5MONDEをなんとなく見ていたときの番組宣伝で、初めて自宅のテレビ画面で、動くナターシャを見たのだが、最新アルバム『Longueur d'Ondes』から『À L'amour Comme À La Guerre(愛は戦いのように)』を熱唱する場面と、インタビュー場面が流れた。

何に驚くかといって、『À L'amour Comme À La Guerre』のサビを歌うその口が信じられないほど大きく開くこと。半端な声量ではないその歌唱力は、やはり本物だ。僕は最近、毎朝、通勤電車の中でこの最新アルバムを聴いていて、ほぼ全曲メロディーは覚えてしまったので、この番組はかなり楽しめると思う。

ちなみに上記のTV5MONDEの番組ページからライブ映像をストリーミングで見ることができるので、時間の合わない方はぜひどうぞ。ページの左下に「Chansons(歌)」とあって、その下に「A l'amour comme à la guerre (acoustic)」などの曲目リストがある。こちらをクリックするとストリーミング放送が始まる。

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2006/02/17

オリコン調査「ハリウッド映画化して欲しいマンガ」

■今日、Yahoo!JAPANのニュースを見ていたら、オリコンが中学生から40代までの男女1000人に、ハリウッドで映画化して欲しいマンガは何?というアンケートをとった結果が紹介されていた。とっても意外だったのは、女性ランクの第5位に『銀河鉄道999』がランクインしていたことだ。

『銀河鉄道999』みたいな典型的なマザコン系マンガがどうして女性の第5位なんていう高ランクに入っているのかよく分からない。メーテルに憧れる女性なんていないと思うので、あと、考えられるとすれば、ショタコン女性が星野鉄郎に「萌え」たりするくらいか。不思議だ。


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2006/02/14

モダンな『十二国記』とポストモダンな『エルハザード』

■前回につづいて清濁併せ呑む覚悟でのアニメーション鑑賞記である。今回はなぜか『神秘の世界エルハザード』(OVA版)とアニメ版『十二国記』の2本。意図的に類似した作品を借りてきたわけではなく、結果的に似たような設定の作品を2本つづけて見ることになった。

この2作に共通した設定とは、ごくふつうの高校生がある日突然、同級生とともに何の脈絡もなくどこか知らない世界に連れ去られてしまい、主人公がその世界で非常に高貴な身分の人物であることになってしまう、という内容である。

結論から言えば、僕としては物語構造の面白さの点で、断然『神秘の世界エルハザード』の方に軍配をあげたい。

アニメ版『十二国記』は言うまでもなく小野不由美の長編ファンタジー小説が原作のNHK制作のアニメーションだ。主人公はいわゆる優等生タイプで、実は周囲の同級生からあまり快く思われていないという女子高生の中嶋優子。彼女がある日突然、異界からの使者である景麒に連れ去られるという物語。

小野不由美の原作は、いたって真面目にこの十二の国からなる中国風の道具立ての異界を描くのだが、今さらここまで真面目にオリエンタル趣味のファンタジーをやられたのでは、受容者としてはほとんど笑うしかないという感じになってしまう。

十二国とは、四大国の慶東国、範西国、奏南国、柳北国と、四州国の雁州国、才州国、巧州国、恭州国、四極国の戴極国、漣極国、舜極国、芳極国からなり、蝕が起こって海客がやってくると災難が続くとか、この手の独特の作品世界を大真面目で「構築」されてしまうと、どうもご苦労様としか言いようがなくなってしまうのだ。

まさにいま「構築」という言葉を使ったように、僕らが生きている世界と同じような社会的複雑さや制度的な緻密さをもった世界を、一生懸命、真面目にもう一つ作り上げたところで、それが文学として、フィクションとして、文学でなければ描けないもの、フィクションでなければ表現できないものを表現したことになるだろうか。そこにできあがるのは単に、僕らが生きているこの世界の、質の悪いコピーでしかない。そんなことに想像力を使って創作家として意味があるとは、残念ながら僕には思えない。

それに対して『神秘の世界エルハザード』の方では、関西弁で美男子の高校生、水原誠がエルハザードという名前の異界に飛ばされてしまう(こちらは中国風ではなくアラブ風の舞台装置)。そして、エルハザードのロシュタリアという王国の王女ヴェーナスの妹ファトラにそっくりであるという理由から、ファトラになりすますよう強要されるという展開になる。

ここですでに男子高校生が無理やり王女の妹の身代わりにされてしまうという、トランスジェンダーの「ひねり」が加えられている。この点だけでも『十二国記』より物語として出来がいい。しかもこの妹ファトラには愛人の少女アレーレがいるという、少女同性愛の話にもなっているという破綻ぶりである。

そして十二国での中嶋優子や、その同級生で、異界では優子と対立することになる杉本優香が、クソ真面目に戦い、苦悩するのに対し、エルハザードでの水原誠や、その同級生で、エルハザードでは誠と対立することになる陣内克彦、そして教師である藤沢真理(まさみち)は、いたってお気楽で能天気に、あるいはとんでもない自己陶酔の醜態をさらしつつ、ドタバタの対決劇を演じる。

十二国記の登場人物はそれぞれ真面目に悩み、真面目に生活し、真面目に戦って、徹底して自己同一性(自分であること)を追求し、目的論的・終末論的で、きわめて「近代的」な生き方をするのに対して、『エルハザード』の登場人物は真面目すぎて滑稽で、自己同一性を追求しすぎてつねに自分自身からズレていて、現代を生きる僕らに近い、きわめて「ポストモダン」な振舞いかたをする。

十二国記のようなガチガチでモダンな(語の正しい意味での)教養小説風ファンタジーか、『神秘の世界エルハザード』のような差異と戯れのポストモダンなスラップスティック・ファンタジーか、どちらをとるかは好きずきだけれど、どちらがより創造的かといえば、やはり『神秘の世界エルハザード』であることに間違いはない。


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2006/02/13

文藝春秋に雅子さまの適応障害の記事

>>関連記事:英タイムズ紙の雅子様記事を『とくダネ!』が誤報

皇后陛下のめまいは回復されたようだが、心配なのは雅子さまの御容態である。先週、芥川賞受賞作を読むために『文藝春秋』を買ったが、こんな初老紳士向けの読む雑誌、このページの読者はほとんど読まないだろうから、同号にあった雅子さまの御容態についての記事をご紹介する。

雅子さまの状態をひとことで言うと、心身症にかかったのに、宮内庁の不見識で一年半も放置されたために、かなり重い「適応障害」になってしまい、治療が長引いているということらしいのだ。

皇太子さまが記者会見で、雅子さまの人格を否定するような動きがあったことを告白され、物議をかもしたとき、すでに雅子さまの心身症はかなり重い状態だったらしい。ところが宮内庁はその病状に適切な判断を下せず、いつまでたっても内科医にしか雅子さまの治療に当たらせなかったというのだ。

そんな状態が一年半も続いたため、皇太子さまはやや手荒な方法と知りながらも、あのような記者会見をすることで事態の打開をはかったのだという。

結果的にあの記者会見の後、まもなく精神科医が雅子さまの主治医となり、「適応障害」という診断が下された。主治医によると雅子さまは非常に真面目な方で、何かを楽しむということに罪の意識を感じる性格だという。また、知的水準が高いため、行動療法と認知療法を組み合わせた治療が効果的だろうという判断になり、現在も治療が続いているようだ。

何かを楽しむことそのものに罪の意識を感じてしまう傾向を軽減するため、行動療法の一環としてプライベートなお友達と会ったり、家族と会ったり、定期的に趣味の乗馬をするなどといった治療メニューが組まれているらしい。

ところがマスコミや一般大衆はこうした事情を知らないので、「公務を休んでいるのに乗馬をするとは何事か」「紀宮さまの結婚式に一人だけ洋装で出席するとは何とわがままな」などのいわれないバッシングを続け、精神科医による治療をさらに難しくしているのだ。

とにかく日本の一般人は心の病気について無知すぎるので困る。ようやく最近テレビCMでうつ病や社会不安障害の治療薬が宣伝されるようになったが、ゴシップ好きな一般人にまで心の病気についての正しい認識が広まるには、かなり時間がかかるのだろう。

こちらの「雅子妃、適応障害診断から学ぶ私たちの心の健康」のページも参照のこと)

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ライブドアブログPROのインポート機能は使えない

■この「愛と苦悩の日記」のミラーサイトをどこかに作ろうと考えて、livedoorブログのPROがインポート/エクスポート機能を持っているというので、試してみた。このココログでエクスポートした過去データを、livedoor Blog PROのインポート機能でインポートするのだ。

まずこの「愛と苦悩の日記」の過去データをすべて書き出すと、2MB以上になるので、livedoor Blog PROのインポート機能では何度やっても読込み途中でエラーになった。ただ、このエラーはデータがまったく読み込めなかったという意味ではなかったらしく、数度のエラー後、livedoor Blog PRO上でサイトの再構築を実行すると、同じエントリーが4つも重複するというとんでもないことになっていた。

やむを得ず、作成したlivedoor Blog PROをいったん削除し、再作成した後、今度はココログの過去データを5分割して1個ずつlivedoor Blog PROにインポートしたところ、すべてエラーなく読み込めた。おおむね1MB以内に収まっていればインポートに問題ないようだ。

そこで再度、サイトの再構築を実行したが、ココログの過去データに含まれているカテゴリがまったく反映されない。つまり「書籍」「映画」などのカテゴリ別アーカイブのエントリー数がすべて「0」になってしまっているのだ。

これはきっとインポートする前に、カテゴリを作成しておく必要があったのだろうと考え、再度いったんlivedoor Blog PROを削除して再作成した後、ココログで設定してあるこの「愛と苦悩の日記」のカテゴリ約20個をlivedoor Blog PROの方に手動で作成し、それから再び5分割した過去データのインポートを行い、サイトの再構築をおこなった。

ところが、これでもカテゴリがまったく反映されていない。どうやらlivedoor Blog PROのインポート機能は、カテゴリを認識することができないようなのだ。すべてのエントリについて、手動でカテゴリを付けていく時間などないので、livedoor Blog PROの使用は断念した。livedoor Blog PROの申込み料金、262円を返して欲しい。

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2006/02/12

『最終兵器彼女』『機動戦艦ナデシコ』『ガンダムSEED』『ああっ女神さまっ』

■先日も書いたように僕の今年の抱負の一つは、アニメーション嫌いを克服して、サブカルチャーとしての最近の日本アニメーションをしっかりフォローすることでだ。と言いながら、小学生の頃は松本零士作品と『幻魔大戦』にどっぷり耽溺していたのだから、アニメーションに溺れる素質は十分に持ち合わせている。

もちろん『少女革命ウテナ』や『フリクリ』など、まともな批評に耐えうる作品はもちろんのこと、客観的な評価とは無関係に、清濁併せ呑む覚悟で様々な作品を見なければということで、ブロードバンドテレビ、レンタルDVDを含め、節操なく見始めている。

USEN&楽天グループが運営しているShowTimeというブロードバンド・テレビのWebサイトでは、第一回だけ無料で視聴できるアニメーション作品がいくつか公開されている。そこで見てみたのが『最終兵器彼女』の第一回、『舞-乙HiME』の第一回、『D.C.~ダ・カーポ~』の第一回。

『D.C.~ダ・カーポ~』は「萌え系ハーレムもの」とでも表現すればいいのか、ちょっとついていけないので第一回で十分。『舞-乙HiME』は、これもよくありがちな、特殊能力を持った少女たちの戦闘ものだが、戦闘描写が痛快でメカデザインも良いので、無料ならもう少し見てみたい。

『最終兵器彼女』は平凡すぎる日常が突然血塗られた戦場と化す、考え方によっては日本人にとってもリアルな設定が、「戦闘機械化する彼女」という隠喩と並行関係になっているアイデアが興味深かった。時間があれば第二回以降も見てみたいが、このまま単なる「大きな陰謀が明かされ、地球平和のために立ち向かう」式の物語に終わるなら見る価値はなさそう。

また、有料であっても1回あたり105円なら一度見ておこうと思って見たのが、タイトルからして『宇宙戦艦ヤマト』のパロディであることがとっても分かりやすい『機動戦艦ナデシコ』だが、第一回を見る限りではもう十分という気がした。しかし僕でも題名を知っていたほどヒットした作品なので、最後まで見ればそれなりに楽しめるメタフィクション的な要素があるのかもしれない。

そしてレンタルDVDで見たのが『ターンAガンダム』と見比べるための『ガンダムSEED』と、こちらも題名だけ知っていた『ああっ女神さまっ』。

『ガンダムSEED』は1話ずつ見るのも時間の無駄なので、『機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場』の中ほどまで見た。まだ2話めまでしか見ていない『ターンAガンダム』と比べると、作品世界の格調が数段落ちるが、『交響詩篇エウレカセブン』と同様、お子様向けにちょっと大人の事情の複雑さを垣間見せる味つけと(「コーディネイター」のキラ・ヤマトがザフト軍所属の親友アスラン・ザラと戦うことに苦悩したり、フレイ・アルスターが地球連合軍に志願するあたり)、単純にカッコいいロボットものとしては楽しめるのだろう。

ところで、きっと女性の同人誌作家はキラ・ヤマトとアスラン・ザラの同性愛モノを描いているに違いない。インターネットで検索して確認しなくたってわかる。賭けてもいい。

そして『ああっ女神さまっ』の方は、題名だけから想像して宇宙ファンタジー系の作品なのかと思ったら、ただの『奥様は魔女』の焼き直しだった。きわめて従順な性格ながら特殊能力を持ってベルダンディーが森里螢一のピンチを救うというのは、非常に典型的な男に都合のよいヒロイン像の反復だ。

このまま本当に単なる『奥様は魔女』の焼き直しで終わるなら見る価値無しだが、こちらも僕でさえ題名を知っているほどヒットしているのだから、何かメタフィクション的な展開があるのかもしれない。でも第3回で十分。もう見る気はしない。

ただ、こうしてこきおろしているからといって、この種のアニメーション作品に僕が愛情のかけらもないわけではない。映画と同じようにB級作品にはB級作品なりの楽しみ方がある。今日もTSUTAYAに行って今まで立ち入ることがほとんどなかったアニメーションのコーナーを歩き回ると、この種のB級と思われる作品のDVDが無数に存在する。

今なお再生産され続けるこれらの「もう一つの現実たち」がこれほどの数だけ存在するのなら、もしかすると、「現実が夢で、夢が現実だ」と意図的に思い違いをし続けたまま、死ぬまで生き続けることさえできるのではないかとさえ思えてくる。酒もギャンブルも嫌いな人間にとって、低コストで健康被害ない現実逃避の手段として、B級アニメーションは悪くないかもしれない。


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絲山秋子『沖で待つ』

■文藝春秋の最新号を買って、芥川賞受賞作の絲山秋子『沖で待つ』を読んだ。彼女の他の作品を読んでみないと分からないのだが、この作品に限定して書くとしても、選考委員の何人かが、女性総合職の観点からの会社員の仕事の描写に、純文学の新しい可能性を見出している点に驚きを感じた。

河野多恵子は「女性総合職の<私>と同期入社で非常に気の合う<太っちゃん>との同僚づきあいを描いて、言いがたい魅力がある。彼等の職業の織り込まれ方の見事さには感心した」と書いている。黒井千次は「女性総合職の出現によって女と男の対等に働く場が生まれた。それは新しい現実である。その新しさがいかなる意味を持ち、どのような可能性を人間にもたらしたかを追求したのが本作であるといえよう。」と書いている。

このような評を読むと、高杉良をはじめとする、会社員の職業を描写している既存の小説化が、小説家としていかに「当たり前のこと」をしてこなかったかがよく分かる。

絲山秋子の『沖で待つ』の登場をもって初めて、会社員というものの職業描写が、NHKの『プロジェクトX』的な(そして多くのサラリーマンを主人公とする劇ががそうであるような)誇張された英雄主義や、逆に、「組織人の自虐」とでも言うべきネガティブな描写から解放されたということは、これまでの日本の純文学が、ありふれた現実としての会社員の仕事を、ありふれた現実として描写することにいかに怠慢であったかが分かる。

もちろん『沖で待つ』の正当な評価は、山田詠美の選評のように「友人でもなく、恋人でもなく、同僚。その関係に横たわる茫漠とした空気を正確に描くことに成功している」点にあり、同じく池澤夏樹が評するように「この作の要点は恋愛ではない女と男の仲である」。そして会社員の職業描写は、「この二人の仲を描くのに力あったのは彼らの職場の生き生きとした記述」(池澤夏樹)である限りで評価されるべきものだ。

河野多恵子や黒井千次のような評は、僕のように純文学を愛読する会社員が「奇特」になってしまうほど、日本の現代文学がほとんどの「会社員」と呼ばれる人たちから見捨てられている現実の反映でしかない。

ところで僕自身の感想だが、始めと終わりの純文学らしいファンタジー性と、中間部分の非常に現実的な会社員の職業描写が、同一の簡素な一人称独白体にさりげなく納まって違和感が無いのは、心理面のミニマルな描写と、「死生観」といったいかにもブンガク的なテーマを無理なく並列させている点とあいまって、やはり絲山秋子という人の才能なのだろうと感じた。


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日本に米国の「へたり牛」発覚を批判する資格があるか

■米国が日本向けに輸出した牛肉について、成田空港で危険部位の混入が発見された件(2006/01/20)、そして米国農務省監査局(OIG)の監査報告書で、歩行困難ないわゆる「へたり牛」20頭が原因不明のまま食肉処理されていた件(2006/02/08)について。

たしかに米国が日本との規制に違反し、しかも大統領や米国議会からそれを正当化するような発言が聞こえてきているのは許しがたい。また、日本国内には「米国と日本とでは食べ物についての考え方が根本的に違う、米国は食の安全性の管理について本当にいい加減だ」という意見も多くあるようだ。

ただ、成田空港で危険部位が見つかった直後の、いわば最悪のタイミングで、米国農務省の監査報告書がちゃんと「へたり牛」の食肉処理を公式に報告できている、その米国社会の制度的な透明性には、あきれる一方で、非常に驚かされる。

日本国内で安全性が問題になった事件といえば、2000/06の雪印乳業の低脂肪牛乳による集団食中毒、2001/10の雪印食品による牛肉偽装事件、最近ではヒューザーが販売したマンションの耐震強度偽装が真っ先に思い浮かぶ。

ご承知のように雪印食品の牛肉偽装事件は、雪印食品の取引先の内部告発でようやく明るみに出ており、マンションの耐震強度偽装も同じくイーホームズから国土交通省への情報提供から始まっており、こちらも内部告発である。雪印乳業の集団食中毒にいたっては、実際に被害者が出るまで明るみに出なかったという始末だ。

米国では農務省の監査制度がちゃんと機能しており、「へたり牛」の問題は内部告発や被害者が出る前に明らかになっている。それ以前の問題として米国国民はBSEのリスクを承知で国内(米国)産の牛肉を食べている。

それに対して実際に被害者が出たり、関係者からの内部告発があるまで、「食」や「住」など、国民の生命にかかわる問題が明るみに出ない日本のこの不透明さ、制度がまったく機能していない体たらくはいったい何だろうか。(地震大国の日本が建物の耐震強度を確保するための制度をまともに運用できていなかったのだから、なおさらだ)

もし僕が米国人なら、日本人の友人に対してこう言いたくなるだろう。「牛肉偽装や耐震強度偽装を内部告発でしか明るみに出せないような日本の方が、よほど国民の生命の安全について鈍感なのではないか」と。

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2006/02/11

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/11-05/16)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/11 マルク=オリヴィエ・フォジェル司会のテレビ番組『On ne peut pas plaire à tout le monde(みんなに好かれるなんて無理)』で(今週はユーロビジョンについてコメントし、先週はナターシャが出演した)、デルフィーヌ・キャンテリがナターシャはシングル、アルバムとも売れ行き好調と知らせた。いずれも売上上位に入っている(シングルは11位、アルバムは51位。カナダではアルバムはゴールド・ディスクを獲得している)

―2001/05/11 フランスのテレビ局TF1でナターシャを紹介するレポートが放送された。ガルーの前座をつとめたときのインタビューを放送。この2人のアーティストを結び付けている複雑なつながりがよく分かる番組だった。

―2001/05/11 フランスのテレビ曲キャナル・プリュスの番組『Nulle Part Ailleurs Midi(ほかのどこにもない正午)』で、マスコミ時評で有名なコロンブが、ナターシャやそのライバルたちを紹介するレポートとともにユーロビジョン・コンクールを紹介。

―2001/05/12 ナターシャは今日ロベール・ゴールドマン(別名ジル・キャプレ)作曲の『Je n'ai que mon âme』でコペンハーゲンのユーロビジョン・コンクールのフランス代表として出演する。彼女は曲の最後を英語で歌い、赤いドレスで登場する予定。土曜日にはみんなナターシャに投票するように呼びかけたい。参加国はすべて投票することができる(もちろんフランスは除いて)。デイヴとマルク=オリヴィエ・フォジェルの解説付きの放送はフランス3で21時から0時10分ごろまで。ナターシャ、がんばれ!

―2001/05/13 ナターシャはユーロビジョン・グランプリで第4位に終わった。第1位はエストニアのタネル・パダールとデイヴ・ベントンの歌う『Everybody』(198点)、第2位はデンマークのロロ&キングが歌う『Never ever let you go』(177点)、第3位はギリシアのアンティークが歌う『Die for you』(147点)、そして第4位がフランス代表ナターシャ・サン=ピエールの歌う『Je n'ai que mon âme』(142点)。フランスに12点を投票したボスニア、ロシア、ポルトガルには感謝しなければ。ナターシャはミス一つない歌唱。セリーヌ・ディオンは放送直前、少し彼女を呼び止めて励ましたそうだ。その黄金の声でナターシャはヨーロッパを制覇し、国際的なキャリアに一歩を踏み出した。

―2001/05/16 ユーロビジョンでの第4位という成績についてのナターシャのコメント記事。

「ナターシャ・サン=ピエールは第4位を喜んでいる

フィリップ・ルノー『ラ・プレス』

審判はモントリオール時間で昨日18時に下った。歌手ナターシャ・サン=ピエールはユーロビジョンの壮大なコンクールでフランス代表として、5月初めに発売されたセカンド・アルバム『À chacun son histoire』からのバラード『Je n'ai que mon âme』を歌い、第4位を勝ち得た。

(中略)

『私の目標は5位以内に入ることだったの。だから目標は達成したわ!』。結果の公式発表から数分後、ナターシャは喜びをあらわにした。輝かしいコンクールの第46回大会の結果に失望した様子は全くなく、ナターシャは自分の歌に十分満足している様子だった。『ステージの上では気分が良かったし、だから自分自身に満足しているの。こういうイベントってとてもプレッシャーだけど、終わった今ではずっと気分がいいわ』

そのプレッシャーは、彼女のマネージャであるギィ・クロティエも感じていた。彼は彼女の新たなキャリアの階段となる新しい舞台に付き添っていた。『ああ、プレッシャーの1週間だったよ。ガルーとのコンサート・ツアーを終えたばかりだったからね。先月4月3日のアルバム発売以来、プロモーションで駆けまわっていたし。だから結果にはとても満足しているよ。とくに去年は23人が参加して、フランスは23位だったんだからね!』

実際フランスはここ8年ほど良い数字を残していなかった。そしてコンクールで優勝したのは1977年のことだ...。今年は皆が期待をかけていた。ヌーボー・ブランシュヴィック出身の歌手ナターシャは、リハーサルの段階ですでに印象的で、多くの人々が彼女に注目していた。(中略)

『ここに来たことで多くのことを学んだわ。巨大なショーウィンドーのようなもので、世界中のとてもたくさんの人たちに見てもらえたわけだし。でも何よりこの経験そのものが貴重だった。プレッシャーの中でも歌えるようになったという意味でね』

しかしコンクールが終わったからといって、20歳の歌手ナターシャは休みを取れるわけではない。パリで1週間のプロモーション活動の後、モントリオールでもう1週間のプロモーション、続いてまたフランスに戻ってくる。『この夏はケベックで2か月を過ごすはずよ。一つは新しいアルバムの録音と、もう一つは休みをとるためにね』」

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2006/02/08

路線検索をWebサービスとして使ってしまう

■日本のJR・私鉄・第3セクターをふくむすべての路線名と駅名のデータを何とか入手する方法はないものかといろいろ考えていた。もちろん商用目的ではなく、単に個人的に調べものをしたいだけだ。市販の路線検索のパッケージソフトを購入しても、中に入っている生データを取り出すことはできないだろうし、単に路線名・駅名一覧が知りたいだけなのにパッケージソフトを買うのもバカらしい。

そこで思いついたのが、路線検索サービスを提供しているポータルサイトに検索データを投げて、その検索結果かえってくるHTML文書を解析することで、路線名・駅名のデータファイルを作れないかということだ。

ただ、これをやるためには「自動化Webブラウザ」のようなプログラムを作る必要がある。つまり、特定のWebサイトに向かって次々とURLでリクエストを投げて、その結果をテキストファイルで読み取るといったプログラムでなければならない。

インターネットを調べてみた結果、これを実現するのに便利なActiveXオブジェクトが存在することが分かった。こちらのYU-TANG's MS-Access DirectoryというWebサイトにある「Webページをダウンロードする方法~ MSXML 編~」というページをご参照頂きたい。

「MSXML2.XMLHTTP」というActiveXオブジェクトを生成すると、このオブジェクトがミニWebブラウザのような役割を果たしてくれる。ただしリクエストの結果をUnicodeに変換しなければ正しく読み取ることができないので、StrConv()関数でUnicodeに変換してやる必要がある。つまり、StrConv()関数が利用できる開発環境でないとダメということだ。

StrConv()関数は、Windowsに無料で付属しているWindows Scripting Hostでは残念ながら利用できない。したがって、Microsoft Officeをお持ちの方であれば、Excelのマクロを作成するためのVisual Basic for Applicationsがいちばん手軽な開発環境になる(もちろんVisual Studioがあれば言うことなしだ)。

Excelを起動して[Alt]+[F11]キーでVisual Basicエディタを起動し、メニューの「挿入」→「標準モジュール」をクリックして、今開いているブックにVisual Basicのプログラムをマクロとして記述できるようにする。

プログラムを入力するスペースに下記のVisual Basicのコードをコピー&貼付けして[F5]キーで実行すると、「C:\WINDOWS\TEMP\EKI.CSV」というファイル名で、路線名・駅名一覧のCSVファイルが生成される。

ここで利用しているのは、@niftyが提供している「路線検索」サービスである。このサービスに「路線名から検索する」コーナーがあるのだが、このコーナーの「駅時刻表案内」検索の部分が、地域→路線名→駅名と絞り込むようになっている。

この部分のプログラムをURLをつかって次々と呼び出せば、路線名一覧や駅名一覧が表示される。表示されたHTMLを解析して、路線名と駅名部分のみを抽出すれば、CSVデータできるというわけだ。

たとえば「http://www.nifty.com/oyakudachi/webapp/timetable_support_line?an=-1」というURLをリクエストすると、全国の全鉄道の路線名一覧が返ってくる。さらに個々の路線名に付与されているコードで、「http://www.nifty.com/oyakudachi/webapp/timetable_support_station?sf=路線名コード」というURLをリクエストすると、その路線の駅名一覧が帰ってくる。

下記のプログラムはこのような理屈をプログラム化したものだ。Webで公開されているサービスを、いわばWebサービスのような感覚で利用して結果を受け取り、受け取ったHTMLファイルを解析して必要なデータを抽出するという感じだ。

ただ、Excelさえあれば「MSXML2.XMLHTTP」でHTTPのリクエストをじゃんじゃん投げることができるとなると、一定のVisual Basicのプログラミングスキルがある人なら、様々なWebサイトに対して自動的に大量のリクエストを投げるプログラムを書けてしまうことになる。当然のことながら悪意で特定のWebサイトに大量のリクエストを投げると、不正アクセス防止法には抵触せずとも、民法で処罰される可能性があるので決してやらぬよう。

また、Javaの実行・コンパイル環境がインストールされている端末なら、Javaを使えばもっとエレガントなプログラムに書き換えられるに違いないが、おそらく人数的にまだJavaプログラマよりも多いであろうVisual Basicプログラマのために、ここではVisual Basic版のみを記載した。

Option Explicit

Const ROSEN_URL = "http://www.nifty.com/oyakudachi/webapp/timetable_support_line?an=-1"
Const EKI_URL = "http://www.nifty.com/oyakudachi/webapp/timetable_support_station?sf="
Const CSV_FILENAME = "C:\WINDOWS\TEMP\EKI.CSV"

Sub GetRosen()

Dim oHttp As Object

Dim aRosen As Variant
Dim aEki As Variant
Dim aData As Variant
Dim I As Integer
Dim J As Integer

aRosen = GetDataArray(ROSEN_URL)

Open CSV_FILENAME For Output As 1

For I = 0 To UBound(aRosen)

aData = Split(aRosen(I), ",")
aEki = GetDataArray(EKI_URL & aData(0))

For J = 0 To UBound(aEki)
Print #1, aData(0) & "," & aData(1) & "," & aEki(J)
Next

Next

Close #1

End Sub

Function GetDataArray(sURL As String) As Variant

Dim oHttp As Object
Dim aLines As Variant
Dim sLine As String
Dim sBuf As String
Dim I As Integer
Dim bFound As Boolean

Dim sRes() As String
Dim iIdx As Integer

iIdx = 0

Set oHttp = CreateObject("MSXML2.XMLHTTP")
oHttp.Open "GET", sURL, False
oHttp.Send

aLines = Split(StrConv(oHttp.responseBody, vbUnicode), Chr(10))

For I = 0 To UBound(aLines)

sLine = aLines(I)

' 値一覧の途中である場合
If bFound And InStr(sLine, "<option value=") > 0 Then

sBuf = Replace(sLine, "<option value=""", "")
sBuf = Replace(sBuf, "</option>", "")
sBuf = Replace(sBuf, """ selected>", ",")
sBuf = Replace(sBuf, """>", ",")

' コード「-1」はダミー選択肢と見なして無視する
If Left(sBuf, 2) <> "-1" Then
ReDim Preserve sRes(iIdx) As String
sRes(iIdx) = sBuf
iIdx = iIdx + 1
End If

End If

' 値一覧の場所の開始点
If (Not bFound) And _
InStr(sLine, "name=""sf""") > 0 And _
InStr(sLine, "<select ") > 0 Then bFound = True

' 値一覧の場所の終了点
If bFound And _
InStr(sLine, "</select>") > 0 Then Exit For

Next

GetDataArray = sRes

End Function

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2006/02/07

ワークフロー基盤としてのNotes/Dominoの圧倒的優位性

■今日、仕事でJ2EEのアーキテクチャ(商品名で言うと「intra-mart」)とユーザインターフェースにリッチクライアントとしてFlashを利用したグループウェアのデモを見た。グループウェアとしての機能は、サイボウズやデスクネッツなどWeb型グループウェアと大差なく、Webメール、スケジュール管理、会議室予約、ToDo管理、掲示板、電子会議室などといったところだ。確かにFlash利用のリッチクライアントは、単純なDHTMLのグループウェアより使い勝手はよいのだが、本質的な機能の差異はない。

また、今日見たパッケージはワークフロー機能を備えていたが、社員マスタと役職マスタとワークフロー定義から、社員一人ひとりについて、すべての承認フローについて静的に経路データを生成するという仕組みだった。これでは社員が1,000人いて、ワークフローのパターンが10通りあると、1,000×10=10,000の経路データが生成されるという非効率なデータの持ち方になってしまう。

普通、ワークフローパッケージは、ワークフローにのせる申請フォームを作成した時点で、動的に承認経路を生成し、その申請フォームにひも付けるという動きをする。経路データは個々の申請フォームを処理するための、単なる使い捨てのトランザクションデータにすぎないというのが、一般的なワークフローシステムの仕組みである。

また、今日見たパッケージは、独自にワークフローにのせる申請フォームを開発したい場合は、いちいち販売元に開発を依頼する必要があり、パッケージの機能として簡易作成できる申請フォームのデザインは、項目名1列と入力欄1列の2列の縦長テーブルに限定されてしまうため、実用性に乏しい。しかも項目どうしの計算ができないのでは、「単価×数量」といった簡単な合計欄をもつ申請フォームさえ独自に作成できない。

なお、デスクネッツも同様のワークフロー申請フォームの簡易作成機能を持っているが、デスクネッツのワークフロー機能の最大の弱点は、最終承認が終わった後の申請フォーム管理のずさんさにある。つまり、承認が完了した申請フォームは、HTML形式の添付ファイルとして「文書管理」機能の「ワークフロー」フォルダに、分類もされずどんどん蓄積されるだけといったおそまつさだ。

本当なら承認後の申請フォームは、カンマ区切り形式のファイルで書き出して、人事システムや会計システム、基幹業務システムなどと連携したいところである。それがHTML形式で申請フォームのレイアウトのまま保存されたのでは、承認済み申請フォームに入力されているデータの再利用がまったくできない。

このように、最近販売されているWeb型のワークフロー・パッケージを見るにつけ、いかにNotes/Dominoがよくできていて、「枯れた」技術であるかが分かる。Notes/Domino用のWeb対応ワークフロー・パッケージのカスタマイズのしやすさに比べると、上述のような製品は足元にもおよばない。

Notes/Domino用のワークフロー・パッケージは、ワークフロー・エンジンが「サブフォーム」という再利用可能なプログラム部品として実装されている場合がほとんどで、申請フォームは普通のNotesフォームとして、かなり複雑な設計ができる。項目間の計算はもちろん、入力値のチェックや、項目間のクロスチェックも可能だし、ODBC接続で基幹業務システム内のリレーショナルデータベースから選択項目を表示させることもできる。

しかも、このような独自申請フォームの開発は、一定のNotes開発スキルがあれば、いちいち業者に依頼することなく社内でできてしまう。

Notes/Dominoの持っているディレクトリシステムや、「サブフォーム」といったプログラムの部品化の考え方、入力欄(Notesの世界ではフィールドと呼ぶが)の入力値チェックの仕組み、蓄積されるデータの外部への取り出し(Notes/Dominoデータベース自体にODBCで接続することさえできてしまう)など、「枯れた」技術の集積によって、Notes/Dominoはワークフローを非常に作りやすい開発環境になっている。

サイボウズやデスクネッツのような歴史の浅いグループウェアに比べると、Notes/Dominoは基本性能のレベルがまったく違うと言っていい。

あとはIBMがNotes/Dominoのリッチクライアント版であるリリース8を日本国内で発売するのを待つだけである。そうすればクライアント・サーバ版のNotesクライアントの使いやすさをWebブラウザでも享受でき、サイボウズやデスクネッツの活躍する余地は、ほぼなくなってしまうだろう。

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2006/02/05

東横インに見るワンマン経営者チェック機能の重要性

■やはり東横インが支配人に女性を活用しているというのは、決して社会的貢献として誇れるような種類の女性労働力の活用(やっぱり労働力をモノ扱いするような表現が気になる)ではなかったようだ。

東横インの女性支配人の初任給は年収たった320万円で賞与なし。勤続10年でも570万円という。東横インが離婚暦のある女性などを積極的に支配人として雇用したのは、(1)安い労働力だから、(2)東横インぐらいしか雇ってくれないという弱みがあるため御しやすいから、この二つの理由があったからだと断言してもよいだろう。

あるテレビ番組で、元東横インの女性支配人だった女性が匿名の電話インタビューに答えていたのだが、全国の支配人を集めた会議では少しでも社長に対して意見すると、その場でやりこめられるのだという。多少の誇張はあるとしても、女性支配人の方がコントロールしやすいのは真実だろう。

違法改造直後の会見を見ても、この東横インという会社に経営に対するチェックがまったく機能していなかったのは明らかだ。経営陣に対して批判的な意見を進言できる体制が機能していれば、社長があそこまで無神経な語り口になるはずがない。社長の周囲にイエスマンやイエスウーマンしかいないために、あの社長は自分の言葉づかいがいかに常識からズレているかさえ分からなくなってしまっているのだ。

経営陣に対するチェック機能が働かない企業の抱えるリスクが、東横インのケースにはよく現れている。創業者のワンマン経営が、東横インのようなコンプライアンス問題を引き起こさないようにするには、よほどワンマン経営者自身の倫理観が強くない限り、労働組合や監査役などのチェック機能が必須なのではないか。

これは一企業の問題というよりも、日本の法制度の未熟さの問題なのではないか。

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/02-05/10)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/05/02 フランスのテレビ局、フランス3でナターシャに関するルポルタージュが放送された。

―2001/05/02 J.キャプレ作曲のシングル『Je n'ai que mon âme』発売。カップリングは同曲の英語版『All I Have Is My Soul』とアルバム『À chacun son histoire』収録の『Près d'une autre』の2曲。

―2001/05/03 ナターシャが前座をつとめるガルーのコンサート最終日。3月29日から始まって、特にオランピア劇場での4月2,3,4,14,15,16が評判だった。今後ナターシャは来週開催されるユーロビジョンの準備に専念する。いよいよ秒読みが始まった!

―201/05/04 ナターシャは23時20分から放送のマルク=オリヴィエ・フォジェル司会のフランス3の番組『On ne peut pas plaire à tout le monde(みんなに好かれるなんて無理)』に出演。マルク=オリヴィエは、デイヴとともにフランス3のユーロビジョン中継の司会をつとめる。ナターシャはLââmとソフィア・メタリ(2000年ユーロビジョンのフランス代表)の横にすわっていた。いつもどおりナターシャはリラックスして感じのいい雰囲気。5月12日のユーロビジョンでは『Je n'ai que mon âme』の3番の歌詞を英語で歌うと話した。

―2001/05/09 『Télé Star(テレビスター)』誌と『Gala』誌の今週号にナターシャの記事。

「『Télé Star』誌

ユーロビジョンでフランス代表となるカナダ女性歌手

ナターシャ・サン=ピエール『私は「新セリーヌ・ディオン」じゃない』

その晩、コペンハーゲンで、彼女はフランス代表として戦う。20歳のナターシャ・サン=ピエールはカナダのスターだ。ガルーはコンサートの前座に彼女を選んだ。

TÉLÉ STAR:一人のケベック女性としてユーロビジョンはどういう存在ですか。
ナターシャ・サン=ピエール:私はケベックの人間じゃないって!カナダの南東にあるヌーボー・ブランシュヴィックというところの生まれです。私たちの国ではユーロビジョンと言っても誰も知らないわ!この2月になって初めて、みんながユーロビジョンのことを話すようになったくらいかな。私の所属しているレコード会社がロベール・ゴールドマン(ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟)作曲の歌を歌うように提案して、コンクールのフランス代表選定委員会で歌ったの。私が選ばれたと知ったのは、4月だった。
TS:ラッキーだったと?
ナターシャ:フランス代表として歌いたいっていう思いはあったから。みんなが私を励ましてくれたのでとても感動したの。舞台では、日に日に(ナターシャはガルーのフランス・ツアーで前座をつとめている)私の歌を受け入れてくれて、今では覚えていっしょに歌ってくれているの。感動的だわ。
TS:昔から歌手になりたかった?
ナターシャ:音楽の先生がコンサートで歌うように誘って下さったのは8歳のとき。それ以降、舞台が好きになったの。バンドといっしょに舞台に立って、マイクを握って、さあ歌うわよ!って。14歳でファースト・アルバムを録音して(フランスでは未発売)、17歳でモントリオールで一人暮らしするようになったの。リュック・プラモンドンが私を『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役に選んでくれたのは、カナダのモントリオールにいたときね。
TS:みんなが声高にセリーヌ・ディオンと比べるのはイライラする?
ナターシャ:むしろ褒め言葉だと思ってるわ。だってセリーヌは、ずっと幼い頃から私のあこがれの歌手だから。でも、そんな風に言われると恐い気もする。私が彼女のマネをしたがっていると思ってほしくないから。私たちの違いもちゃんと見てほしいと思う。
TS:間違いなくこんなに忙しい中で、プライベートの時間はあるの?
ナターシャ:当面は何より仕事ね。私の最初の2枚のアルバムはカナダではとてもよく売れたの。この夏にはサード・アルバムを録音する予定。今度も成功するかですって?それはみなさん次第ね。」

―2001/05/10 ソニー・フランスの協力で、ナターシャはフランス国境にもっとも近いドイツ・ザール地方のザール・ラジオに出演。「ミュージックマガジン」という番組の「DOUCE FRANCE」と「FRENCH CONNECTION」というコーナーに出演し、シングル『Je n'ai que mon âme』が放送された。(『DOUCE FRANCE』は週一回フランス音楽を紹介するドイツ唯一のラジオ番組。1999年6月15日の初放送以来、最新のフランス音楽をドイツに紹介している。始まった当初は1920年代から70年代のオールディーズだけを放送しており、2:00までの45分間の放送。エディット・ピアフ、フランシス・キャブレル、シャルル・アズナヴールなどのフランスの歌手、フランコフォリなどの大きな音楽祭、ドイツで活躍中のフランス人歌手などを紹介。音楽の面でザール・ラジオは素材に事欠かない。ドイツ全土でもフランス音楽のコレクションは最も充実している。『DOUCE FRANCE』はビストロ音楽の録音も放送している。1996年からは、ラ・トルドュ、ヴィルジニ・ラミール、モワナ・エリクソン、エンゾ・エンゾ、ケントなど、現代の歌手も掘り起こして紹介し、国境をはさんで両側にいるフランス好きを楽しませている)

―2001/05/10 ナターシャにとって有望な記事が掲載。「第46回ユーロビジョン・グランプリ:フランスが一番人気」

「第46回ユーロビジョン・グランプリ:フランスが一番人気

2001/05/09 コペンハーゲン(AFP)―23人の候補を迎えてコペンハーゲン、パルケン・スタジアムで土曜日に開催される第46回ユーロビジョン・グランプリで、スウェーデン、スロヴェニアとならび、フランスが一番人気となっている。38,000人の聴衆と、1億から
1億2000万人のテレビ視聴者がその模様を見守る。

ナターシャ・サン=ピエールの『Je n'ai que mon âme』を聴いた後、多くの人々が『Listen to your heartbeat』を歌うスウェーデンの3人組フレンズや、『Energy』を歌うスロヴェニアのヌーザ・デレンダよりも、このカナダのフランス語圏出身の歌手を選んだ。

デンマークの国立競技場パルケン・スタジアムでの非公開リハーサルで、ナターシャ・サン=ピエールは印象的な声で、ライバルたちも含めて人々の心をつかんだ。

しかし彼女は、もう彼女のグランプリは間違いないだろうと思っている人たちを前にしても謙虚である。『人気のアーティストに入るだけでも光栄だわ。私にとっては、トップ10に入れば十分。上から5番目までに入れば幸せね。競争するのはとても好きだけど、負けたからといってうんざりしたくはないの!』と彼女は言う。

ナターシャ・サン=ピエールはケベックでの名声は高く、1988年、20歳でユーロビジョンのグランプリを受賞したカナダ人のセリーヌ・ディオンと比べられることに『満足』している。『セリーヌ・ディオンと比べられるのはうれしいことだわ。彼女には才能があるし、お気に入りのアーティストの一人だし。でも彼女のように歌いたいわけではないの』と20歳のナターシャはそう打ち明ける。ナターシャは8歳のときから歌っているのだ。

ユーロビジョンは公共テレビ放送局のデンマーク・ラジオ系列で放送されるが、記録的な観客数の恩恵を受けるだろう。

毎年開かれるこのヨーロッパの歌の祭典は1956年に始まったが、今回はユーロビジョンの歴史で最も重要となるだろう。

昨年のストックホルムでは18,000人だった観客が、今回主催者側では記録的な38,000人を期待している。主催者はスタジアムに350平米の巨大な舞台と、330平米のスクリーンを5個設置する。

またヨーロッパからカナダ、オーストラリア、日本、韓国にまでテレビ中継され、世界中の視聴者は1億2000万人と見積もられている。こちらも過去最高の人気となる。

さらに予算も6,000万クローネ(804万ユーロ)と過去最高。デンマークの人々はこのコンクールを観光の目玉になるとして、予算を惜しまずつぎこんでいる。

2回のリハーサルと土曜日のフィナーレに携わるスタッフはのべ8万人。土曜日のフィナーレは前売り券のみの入場となっている。

ブラックマーケットでチケットを手に入れたければ、グランプリのファンは350クローネ(47ユーロ)の立ち見席に3,000クローネ(402ユーロ)をためらわず払わなければならない。そして座席の場合は7,000クローネ(938ユーロ)になるだろう」

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/04/21-04/30)

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)

参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER

―2001/04/21 フランスのテレビ局フランス2のティエリー・アルディソン司会の番組『Tout le monde en parle(みんなのウワサ)』(TV5でも再放送中)に出演。ナターシャはリラックスして微笑みながら登場。はっきりしない質問もあったが、ナターシャはくつろいだ雰囲気で答えていた。(当然のことながら)「初体験インタビュー」を受けることになった。初めての思い出は、従姉妹のベッドの上で飛び跳ねていたとき背中をケガしたときのこと。初めてのショックな出来事は、4歳のとき電気のコンセントに鍵を差し込んでしまって感電したときのこと。初めて悪いことをしたのは、ウソをついたこと。でも両親からビンタされるようなことは決してなかったとか。初めてあこがれたアイドルはセリーヌ・ディオン。そしてインタビューの中で、15歳のときは波乱に満ちた一年間だったこと、彼女はタバコをすわないこと、などが分かった。ちなみにタバコを吸わないことを、アラン・ド・ラ・モランデ氏はしきりに褒めていた(パリ在住の作家・評論家・映画監督らしい。アラン・ド・ラ・モランデ Alain de La Morandais のブログはこちら)。最後に彼女が初めて身につける最も美しい洋服は、今度の5月12日、ユーロビジョンでの衣装になるだろう。

―2001/04/24 フランスのテレビ局TF1のクリストフ・ドシャヴァンヌ司会の番組『Ciel mon mardi!(うれしい!私の火曜日)』に出演。『Je n'ai que mon âme』の一部を歌った。マルク=オリビエ・フォジェルとともに5月12日、フランス3のユーロビジョン中継で司会をつとめるディヴが見守る中、いくつかの質問に答えた。

―2001/04/28 ミシェル・ドリュッカー司会の『Tapis Rouge Spécial Séductrices(レッド・カーペット~魅惑の美女スペシャル)』に出演。『Je n'ai que mon â』を歌い、司会のミシェルと数分間おしゃべり。ミシェルは彼の選んだ曲を歌ってほしいと提案。その曲はダニエル・バラヴォワンヌの『Tous les cris des S.O.S(SOSと叫ぶ声)』。

―2001/04/29 TV5の『L'invité(招待席)』に出演。

―2001/04/30 雑誌『7 jours(1週間)』に「インターネットのナターシャ・サン=ピエール」という記事掲載。

「インターネットのナターシャ・サン=ピエール

『Je n'ai que mon âme』という曲はナターシャ・サン=ピエールが来月5月、デンマーク、コペンハーゲンで開催される第46回ユーロビジョン・コンクールで歌うことになっている曲だが、アルバム『À chacun son histoire』のフランス版に収録されている。しかしケベックで発売されている版には未収録だ。そういうわけでケベック州のナターシャ・ファンはこの秋に次のアルバムが発売されるまで待たなければならない。しかし待ちきれないなら、Webサイト www.eurosong.net でこの曲をダウンロードできる。1988年にセリーヌ・ディオンがスイス代表としてユーロビジョン・コンクールに参加し、優勝したときのことを思い出してみれば、当時フランス代表のララ・ファビアンは第3位に終わった。そのほかの歌手たちも、ユーロビジョン・コンクールに出演することで、国際的な舞台で有名になっている。特にスウェーデンのABBA(アバ)や、ジュリオ・イグレシアス、ナナ・ムスクーリ、フランス・ギャル、オリヴィア・ニュートンジョンなどが有名な例だろう」

―2001/04/30 ケベックで発売されている雑誌『Echos Vedettes(女性スターのうわさ話)』と『7 jours(1週間)』に新しいナターシャに関する記事が掲載。

「名声を確立したナターシャ・サン=ピエール

『幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』

セリーヌ・ディオン以来、カナダ人の女性スターが多国語で出版されている『Oh La!』誌の巻頭を飾ることはほとんどなかった。同誌がセリーヌの赤ん坊、ルネ=シャルルをケベック州に初めて紹介して大成功を収めたように、今度は発行部数を増やしてケベック州の読者たちに巻頭で女性スターたちを紹介した。ナターシャ・サン=ピエールは同誌のケベック版の第一面に選ばれたが、20歳の若い女性歌手にとってまさに素晴らしい出来事だった。
私たちはリヨンで数時間後に舞台を控えていたナターシャに直接インタビューすることができた。フランスでガルーのコンサートの前座をつとめて以来(すでに20回以上に及ぶ)、彼女は観客の反応に感動している。『コンサートが始まる前、いつもホールの観客はガルーの名前を叫んでいるの。でもブザンソン公演で、とても特別なことが起こったわ。舞台袖にいたとき、みんなが私の名前を叫ぶのが聞こえてくるの。幕が開いたとき、ホール中に私の名前の横断幕があったの。そしてみんなが「ナターシャ!ナターシャ!」と叫んでくれた。本当に感動したわ。』

すべてがつながっている

ナターシャがユーロビジョン・コンクール(セリーヌ・ディオンが1988年にスイス代表として優勝している)でフランス代表をつとめることは、フランスではようやく人々が知るようになったばかりだ。『ソニーはジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟、J.キャプレが作った「Je n'ai que mon âme」で出演することを決めたの。審査員は十数人いた他の候補者の中から、今度の5月12日にデンマークのコペンハーゲンでフランスを代表する歌手として私を選んだの。とても光栄に思ったし、その信頼にぜひこたえたいと思っているわ』

ナターシャにとってはすべてがつながっている。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役でフランスで知られるようになった後、『Oh La!』誌の巻頭を飾った。巻頭を飾ったのはケベック版だったが、取材などはすべてパリで行われた。『あの取材ではH&K事務所の写真家、リュック・ルーと一日を過ごしたわ。あのとき撮影してもらった写真は他の雑誌にも使ってもらえたし。リュック・ルーはイザベル・アジャーニや、ソフィー・マルソーのような大スターの写真も撮影した人なのよ。ほんとにうれしかった』

ユーロビジョンに参加するために、ナターシャはガルーのコンサートの前座をジュリー・ゼナッティに譲らなければならないだろう。『ガルーは5月12日にコンサートを終える予定で、私は4日から12日までコンクールのためにデンマークに滞在するの。だから「ノートルダム・ド・パリ」では私が彼女の代役をしているので、今度はジュリー・ゼナッティがガルーの前座をつとめることになったの』

ナターシャの場合、スケジュールは非常にタイトだ。5月半ば、ケベックに帰るとすぐに
サード・アルバムの録音のためにスタジオに入る。『すべてがうまくいけば、アルバムは秋には発売できると思うわ。その後、みんなの反応にもよるけど、ソロコンサートを開くかもしれない。でも今のところは、ガルーの前座として歌う6曲に集中することね(そのうちの1曲、『Tous les cris, les S.O.S』は当地ではマリー・ドニズ・ペレティエが歌って有名になった)。ほんとにすべてのことがうれしいわ。とてもうまく行っているの』

彼女は大好きなツアーで多忙なので(彼女によれば『私、ギャングの素質があるのかも』とのことだが)、恋愛について考えるひまはないようだ。『今のところ本当に恋人はいないの。でも人生を賭けてもいい人に出会ったら、何とか彼のための時間を作るようにするつもりよ』」

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2006/02/04

久しぶりに普天間かおりの歌声『花星賛歌』

■今日までまったく気付かなかったのだが、何とテレビ東京系放送『美の巨人たち』で、いまエンディングテーマになっている『花星賛歌』(はなほしさんか)という曲を歌っているのが普天間かおりではないか。しばらく訪れていなかった普天間かおり公式Webサイトもこの曲のジャケットがトップページになっている。『美の巨人たち』でつかわれているのがロシア語バージョンなので、普天間かおりだと分からなかった。相変わらず美しい歌声。沖縄中心の活動で、東京のマスメディアではなかなかお目にかかれないのが残念だ。


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ココログで記事の日時を手早く変更する方法

■ココログで過去の記事を分割して2つの記事にしたいとき、一度、新規の記事として作成し、記事の日時を変更する必要がある。ところがココログで記事の日時を変更しようとすると、別ウィンドウでカレンダーが表示されて、1月ずつクリックして過去にさかのぼっていくという、非常に手間がかかる作業になる。たとえば2年前の日時に変更するには、カレンダーを24回クリックしなければならない。

これを手早く済ませる方法が見つかったので、ココログ利用者の方のためにここに記しておく。

(1)過去記事の編集画面を開いて、そのアドレス欄(URL)の末尾に「&created_on=20040301163500」などと入力する。この例は、記事の作成日時を「2004/03/01 16:35:00」に設定したい場合である。

(2)入力したらそのまま[Enter]キーを押して画面を更新すると、編集画面の左下の「記事の状態」欄に表示される記事の作成日時が「2004年3月1日 午後 4時35分」になる。

(3)最後に「保存」ボタンをクリックすれば、記事の作成日時が指定した日時に変更される。

このように、たいていのWebアプリケーションは、ソースを覗いて、INPUTタグで渡されているパラメータをURLにくっつけて画面を更新させることで、データとして反映させられる。この場合は記事の作成日時が「created_on」という名称のパラメータに、「yyyymmddhhnnss」という形式でわたされていることさえ分析できれば、過去記事の整理作業がかなり効率化できるということだ。

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ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(1995/01-2001/04/19)

■今回もナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)の経歴の続きを翻訳しようと思ったが、続きの部分は彼女のコンサートやディスコグラフィの羅列で面白みがない。事実としての彼女の経歴についてはLe site de référence sur NATASHA ST-PIER (ナターシャ・サン=ピエール情報サイト)という網羅的なWebサイトが見つかった。このサイトでは1995年、彼女が歌手として最初の契約を結んでから現在までの、公演、テレビ出演、ゴシップ誌の記事、アルバム、シングルなどが時系列で紹介されている。

―1995/01 最初の契約に署名(プロダクション・ミ・レ・ラ)
―1995/07 モーリス・タンゲ基金(病気や体に障害を持つ子供たちのために1991年にカナダ、ケベック州で設立された基金)のテーマソングを録音
―1996/02スティーヴ・バラカットによるファースト・アルバム『Emergence(出現)』を録音
―1996/08ギィ・クロティエ・コミュニケーションズによるアルバム『Emergence』のトリプルリリース
―1996/09 アルバム『Emergence』からのファースト・シングル『Il ne sait pas(彼は知らない)』が13位に
―1996/09 アルバム『Emergence』からのセカンド・シングル『Sans le savoir(知らないあいだに)』のビデオクリップ発売
―1997/02 『Sans le savoir』のビデオクリップがデコント・ミュジーク・プリュスで第1位に。
―1997/03 『Sans le savoir』がラジオ・カナダのチャート5位に。
―1997/04 アルバム『Emergence』からのサード・シングル『Portés par la vague(波に運ばれて)』発売
―1999/10 ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』に出演
―2000 『ノートルダム・ド・パリ』の英国公演に参加、「フルール・ド・リス」役。
―2000/11/10 フランスのテレビ局TF1のヴェロニク・クロティエ司会の番組「La Fureur(フィーバー)」に出演。ガルーとデュエットでジョー・コッカーの曲『Up Where We Belong』を歌う。
―2000/11/25 この日、ナターシャを初めてフランスとベルギーのテレビに『Tapis Rouge(レッド・カーペット)』という番組で出演させたのはミシェル・ドリュッカー氏。番組の中でナターシャは『Tu m'envoles(あなたは私を飛び立たせる〔訳注:s'envolerは再帰動詞としてしか使わないはずだが〕)』を歌った。
―2001/03/28 Yahoo!フランスのニュースにナターシャの記事。「ユーロビジョンのフランス代表は誰?」。

「間もなく開催されるユーロビジョン・グランプリでフランスのために戦うのは『ノートルダム・ド・パリ』でブレイクしたカナダの女性歌手。ナターシャ・サン=ピエールは実際フランスではまだ知られていない女性歌手だが、第46回ユーロビジョン・コンクールにわが国代表として出演し、3月12日のコペンハーゲンでの模様はフランス3で生中継される。この20歳の少女はガルーと同じヌーボー・ブランシュヴィック出身、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ド・リ」役(フランスではジュリー・ゼナッティが演じた)で注目され、ケベックやロンドンでもこの役を演じた。また2001年4月2, 3, 14, 15, 16とオランピア劇場で開催されるガルーのコンサートの前座を担当する。彼女のセカンド・アルバム『À chacun son histoire』は4月3日に発売。コンクールではこのアルバムからのシングルカット曲『Je n'ai que mon âme』を歌う。この曲は誰もが知るゴールドマン兄弟のロベール・ゴールドマン作曲。昨年のコンクールではソフィア・メタリが最後から2番目だったため、ナターシャ・サン=ピエールはソフィアより悪くなりようがなく(よほどの不運がおとずれないかぎり)、両肩に何のプレッシャーもなく旅立つ。」

―2001/03/29 フランスのテレビ局、フランス3でジュリアン・ルペール司会の番組「Questions pour un champion(チャンピオンに質問)」に出演し『Je n'ai que mon âme』を歌う。

―2001/04/01 「ケベック音楽情報」に記事「第46回ユーロビジョン・コンクールにナターシャ・サン=ピエール参加」掲載。

「1956年以来、欧州参加国の楽曲から毎年1曲が栄冠に輝く有名な歌のコンクール、ユーロビジョンの第46回が2001/05/21夜に開催される。歌の国民性は何よりも作曲家の出身国によって決まるもので、作曲家は自分で歌手を選ぶことができる。そういうわけでダブリンで開催された1988年にはスイスを代表してセリーヌ・ディオンが『Ne partez pas sans moi(私をおいて行かないで)』でグランプリを受賞、同じ年にはララ・ファビアンがルクセンブルク代表で出演した。2001年の今回は、ナターシャ・サン=ピエがフランスを代表し、ロベール・ゴールドマン作曲『Je n'ai que mon âme』を歌う。ちなみにロベール・ゴールドマンは、わがセリーヌ・ディオンがリスペクトする作曲家の一人、ジャン=ジャック・ゴールドマンの兄弟だ。ユーロビジョン2001はデンマーク、コペンハーゲンにあるパルケン・スタジアムから生中継され、23か国が代表を送り込む。ユーロビジョンで賞を得た楽曲は羨望の的となるが、1965年のユーロビジョンで、セルジュ・ゲンスブール作曲、フランス・ギャルが歌った『Poupée de cire, poupée de son(夢みるシャンソン人形)』ほどの成功を収めた曲はない。その他の受賞者としては、1960年ジャクリーヌ・ボワイエ(フランス)の歌った『Tom Pillibi』、1966年ウド・ユルゲンス(オーストリア)の歌った『Merci ch&ecute;rie』、1967年サンディ・ショー(英国)の歌った『Puppet On A String(あやつり人形)』、1971年セヴェリーヌ(モナコ公国)の歌った『Un banc, un arbre, une rue(ベンチ、樹、道)』、1974年アバ(スウェーデン)の歌った『Waterloo(ウォータールー)』、1988年セリーヌ・ディオン(スイス)が歌った『Ne partez pas sans moi』、1999年シャルロット・ニルソン(スウェーデン)の歌った『Take Me To Your Heaven(あなたの天国に連れてって)』、2000年オルセン・ブラザーズ(デンマーク)が歌った『Fly On The Wings Of Love(愛の翼に乗って)』。歌われる歌の完全なリストと最近の受賞結果は、几帳面なファンのWebサイトにあるユーロビジョン・データベースで検索できる。ナターシャの話に戻ると、彼女は3月28日からガルーとともにフランス・ツアーを行っている。そして彼女のアルバム『À chacun son histoire(それぞれの愛の物語)』はソニー・ミュージック・レーベルから2001年4月3日火曜日に発売される。ユーロビジョン・コンクール公演は各国で同時生中継される」

―2001/04/01 ナターシャはフランスのテレビ局フランス2のミシェル・ドリュッカー司会『Vivement Dimanche(日曜日が待ち遠しい)』に出演。『Je n'ai que mon âme』を歌う。

―2001/04/03 ナターシャに関する記事。

「ナターシャ・サン=ピエールはセリーヌの軌跡を歩む・・・もしセリーヌ・ディオンが好きなら、ナターシャ・サン=ピエールも好きになるだろう。ケベックのスター、ナターシャは15歳でファーストアルバムを録音。リュック・プラマンドンが『ノートルダム・ド・パリ』のケベック公演、欧州公演で彼女を「フルール・ド・リ」役に抜擢。以来、彼は彼女のニューアルバムにいくつか詞を提供し、この春『À chacun son histoire』として発売。20歳にしてナターシャは話題の人となり、3月5日と、4月14,15, 16日、オランピア劇場でのガルーのツアーの前座をつとめる。セリーヌ・ディオンのように、このカナダ人の少女は5月21日のユーロビジョンでフランスを代表する。Tabernacle!(訳注:訳し方が分からない)」

―2001/04/03 セカンド・アルバム『À chacun son histoire』発売。
―2001/04/09 サーシャ・ディステル司会のフランス3のテレビ番組『En attendant l'Eurovision(ユーロビジョンを待ちながら)』に出演。彼女の曲『Je n'ai que mon âme』を二度歌った。TV5での再放送はない。
―2001/04/17 フランス2のローラン・リュキエ司会のお笑い番組『On a tout essayé』でナターシャが取り上げられた。番組スタッフは『Je n'ai que mon âme』を検証し、ダン・ボランデは自らのレポートの中で、オランピア劇場でのガルーのコンサート出演以来、カナダ人歌手がユーロビジョンでフランス代表となることに抗議していると述べた。ダンのインタビュー・カフェのコーナーではナターシャは今までになく好感の持てる態度で接し、スタッフは彼女の優しさを強調。歌に関しては、意見が割れた。
―2001/04/19 カナダの『CANOE』誌にナターシャの記事。

「『ここまでやってこれたことに満足しています。すべてがうまくいけばいいと願っていますが、期待しすぎてもいけないでしょうね』。翌日のパリのオランピア劇場での公演でガルーの前座をつとめる前、ナターシャ・サン=ピエールは浮き足立っていた。『公演前にそれほど緊張することはないんです。本当に緊張するのは舞台に上がるほんの5分前。でも歌い始めると、気持ちがすっかり入れ替わります』。舞台に上がる直前、ガルーは彼女を前座として紹介するのがほとんど恥ずかしいくらいだったと語る。ずっと以前から彼女は一人で舞台に立っていたのだから。そしてヌーボー・ブランシュヴィック出身のナターシャは今やもっぱら賞賛を浴びるようになった。彼女は6曲を歌い、スタンディング・オベーションを受けた。オランピア劇場の前座としては初めての出来事だ。『公演の後、コカトリックス夫人(長らくオランピア劇場のパトロンだったブルーノ・コカトリックス氏の未亡人)が私に会いにいらして、目に涙をいっぱいにためてお祝いの言葉を頂いたの。とっても感動的な瞬間だったわ。彼女、前座をつとめたアーティストのために観客が立ち上がるのを見たのは初めてだって言ったの』とナターシャ・サン=ピエールは話した。オランピアの後、ナターシャはガルーとともにフランス・ツアーに出た。『各地を訪れるのにいくら時間があっても足りないくらいです。とっても忙しい日々でした。フランスではたくさんのプロモーション活動があったし。私のアルバム『A chacun son histoire』がカナダでも発売されました。たくさんインタビューを受けて、午後の終わりには音声のチェックのためにコンサート・ホールに入らなきゃいけなかったんです』。ナターシャは5月半ばにケベックにもどるつもりだ。『今年の夏は、ニュー・アルバムの録音のためにスタジオにこもる予定です。当面何が待ち受けているのかよく分かりません。あまりに多くのことが起こりすぎて。ユーロビジョンの後は、全てのスケジュールを再調整すると思います』。ユーロビジョンと言えば、彼女が5月12日にコペンハーゲンでフランス代表歌手として歌うことはすでにご存知の通り。先週末にはフランスのテレビでこのコンクールを取り上げたスペシャル番組『ユーロビジョンを待ちながら』が放送された。残念ながらケベックのTV5ではこのスペシャル番組は再放送されない。この放送の中で、ガルーはナターシャ・サン=ピエールを、自分がコンクールに推薦したのだと紹介した。コンクールでは彼女は『Je n'ai que mon âme』を歌う。ジャン=ジャックの兄弟であるロベール・ゴールドマンの作曲だ。このコンクール、第46回ユーロビジョンは、昨年33か国7億人に向けて放送された。セリーヌ・ディオンは1988年に『Ne partez pas sans moi』を歌ってグランプリを受賞している。」

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2006/02/02

フランスの人気実力派歌手ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)

■今フランスでナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)という女性歌手が人気らしい。たまたま愛用のmp3ダウンロードサイトにフランス語の題名で新譜が掲載されていたので、購入して聴いてみると、エレクトロポップのわりに非常に上品かつ繊細なアレンジで、何より歌い手のファルセットが美しい。しかも1曲目のイントロでいきなり「オハヨ、スミマセン、コンニチハ」と片言の日本語をしゃべっている。

これはインターネットで検索して調査しなければと思い立ち、Natasha St. Pierの公式サイトを見つけた。このサイトで新譜『Longueur d'Ondes(波長)』の1曲目、『Un Ange Frappe A Ma Porte(天使が私の戸をたたく)』のプロモーションビデオを見ることができる。このビデオは必見である。ああ、やっぱりフランス人もいまだに中国と日本の区別がついていないんだな、いつになったら西洋人は日本について正しいイメージを持ってくれるのだろうか、と嘆かずにはいられない内容になっている。

ビデオにおける日本文化の描写がとんちんかんなのはどうでもいいとして、とにかくPOPSとしては僕の非常に好きな部類の優美なつくりである。ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)のファルセットの美しさは、クランベリーズの影響を受けて歌唱法を変える以前の王菲(フェイ・ウォン)にとても似ている。日本人の女性歌手でここまで伸びのある艶やかなファルセットを聴かせてくれるのは、たとえば岩崎宏美くらいしか思い浮かばない。

ナターシャのファンサイトNatasha St-Pier - Onlineから経歴を翻訳しておく。

「1981年2月10日、カナダのヌーボー・ブランスヴィック州バトゥルスト生まれ。幼い頃から歌に愛着をもち、8歳のときアマチュアのショーで初舞台をふむ。力強く心を動かすたぐいまれな声によって、ほどなくカナダの人々を魅了する。初舞台の後に多くの公演や舞台に参加。

しかし本当の意味でのデビューは1992年、12歳のとき。Sweet People(スイスのイージー・リスニング系ボーカル4人組グループ)の公演へアラン・モリゾー(Sweet Peopleのメンバー)に招待されて参加した。同じ年、テレビに初出演。ナターシャは地域では有名人になった。

しかし誰もが知るスターになる前、ナターシャは優秀な学生でもあった。クラスではトップの成績で、生物学科に入学する準備をしていた。ちょうどその頃、歌の力で彼女は冒険の世界へと旅立つことになる。

1993年がその旅立ちを決定付けた年だ。彼女は「歌の力」というケベック州のコンクールに出演し、史上最年少のチャンピオンになったのだ。その後、彼女はためらうことなく多くのテレビ番組に出演するようになった。同じ年に最初の事務所と契約することになり、歌手の仕事にいっそう力を入れることができるようになった。

2年後の1995年、『Le parcours du coeur(心の路程)』という曲で、彼女はカナダ全土の60以上のラジオ局で注目されるようになる。そして1996年夏、スティーヴ・バラカットのプロデュースによるファーストアルバム『Émergence(出現)』を発売する。多くの人々が、たった15歳のアーティストの、衝撃的で驚くほど成熟したその声を初めて耳にした。このアルバムから多くの曲がケベック州のヒットチャート上位にランクインした。
1999年、18歳のとき、ナターシャ・サン=ピエールは新しい出発をとげた。ギィ・クルティエにプロデュースを依頼する重要な契約を結んだのだ。クルティエは彼女の中に将来の大スターの素質を見抜いていた。
同じ年、今度はリュック・プラマンドンがこの若い天才歌手の手をとり、ヴィクトル・ユーゴー原作のミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』の「フルール・ドゥ・リ」役を託した。彼女のたぐいまれな声はすべての批評家の注目の的となり、本当に彗星のように現れた才能だと評された。

勢いに乗った彼女は、英語版のロンドン公演でも同じ役を演じ、英語によるアルバムも制作した。

しかしソロとしての彼女のキャリアもなおざりにされていたわけではない。ナターシャはギィ・クルティエと彼のバンドの助けを借りてアルバムを準備していた。ミラノでピエロ・カッサーノ(エロス・ラマッツォティとのコラボレーションで有名な作曲家)の下、録音を行ない、2000年4月10日『À chacun son histoire(人それぞれ)』をケベック州で発売した。そしてソニー・フランスがナターシャ・サン=ピエールの声に魅せられ、その年の秋にフランスでコロンビア・レーベルでアルバムを発売した。
 2001年、こうしてナターシャは大西洋の両側で、テレビでもアルバムでもデビューを果たした。」

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