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2006/01/16

他者という重圧について

■連日自殺の話ばかりで本当に申し訳ないが、昨日の日記について早速ご意見をいただいた。要約すると「自分の人生の意味は自分だけでは決められない」ということだ。つまり、自殺するのは確かに本人の選択かもしれないが、その自殺によって周囲の人々には重い問いが残される。その問いはあまりに重すぎて、ときに周囲の人々が自らの人生の意味を問い直さざるをえないほどだ。だから、人は自分の人生の意味を自分だけで決めているようでも、実際には、他の人が生きているという事実、または、他の人が死んでしまったという事実によっても自分の人生の意味を決定されている。僕の理解が正しければ、このような意見である。

この意見はもっともで、他人の存在が自分の人生の意味づけに影響しないなどということはない。自分の人生の意味のいくらかは、確かに他の人によって与えられている。その意味で「自分の人生の意味は自分だけでは決められない」というのは真実である。しかし、そうして自分の人生が他人の人生まで左右しているという事実の重さに耐えられないからこそ、死にたいと願う人もいるのではないだろうか。

一方では、ただただ孤独で、世界から見捨てられたように感じ、その虚しさから死を願う人もいるだろう。しかし他方では、自分の周囲にいる人たち、家族や職場の人たちが、あまりに自分の人生によって影響をうけてしまうがために、そのことの重大さに耐えきれず、死を願う人もいるのではないか。

つまり、「あなたは一人で生きているのではない」という言葉でなぐさめられる自殺志願者がいる一方で、その同じ言葉の重圧によって打ちひしがれる自殺志願者もいるということだ。家族を残して自殺する中高年は、ほとんどが後者だろう。家族を養わなければならないのに解雇されて再就職の見込みも立たないというとき、そんな人が死を願うのはまさに、自分が家族の人生の意味を決定的に左右してしまうからなのだ。

また、若者であっても同じ理由から死を願う人はいるだろう。例えば、ここまで親が期待をかけて育ててくれたのに、定職にもつけず、人並みの幸福な生活を送ることさえできない。そんな親に対する負い目から、いっそのこと消えてしまいたいと思う人もいるはずだ。

このように、自殺志願者に死を思いとどまらせるということは、それほど単純なことではない。自分の人生が他人を左右してしまっていることに重圧を感じている人たちに、「あなたは一人で生きているのではない」という言葉は逆に追い討ちをかけることになる。人間は生まれたときから他者に借りがある。そのことはある人にとっては生きる意味になるが、別の人にとっては死ぬ動機になる。

だからこそ、自殺志願者に対して安易に「生きろ」という意味のメッセージを投げかけるべきではない。生きる理由が人それぞれなら、死ぬ理由も人それぞれで、ひとつの言葉に還元することは不可能である。自殺をふみとどまる理由がおおむね一つに集約されるのだとしたら、どうしてこれほど多くの人が自殺を選択するだろうか。

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