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2005年6月の記事

2005/06/26

『岡村孝子 STYLE GARDEN』

日曜日の朝は昔を懐かしむ時間帯と決まっているのだろうか。

たまたま朝早く目覚めてNACK5という埼玉ローカルのFMラジオ局を聴いていると、43歳になった岡村孝子が相変わらずスローペースなしゃべりで、リスナーからのリクエストにこたえて80年代全盛期の自分の曲をかけている。新しいリズムに挑戦してみました、という最新曲『フックエンド・マナーの丘』も、確かにリズムは若干バウンスしているけれど、判で押したような岡村作品と何も変わっておらず、音程の不安定さにだけ年齢が感じられる。これが7:30~8:00『岡村孝子 STYLE GARDEN』。変わっていないけれども確実に歳月は過ぎている。

そして彼女と同じ年代のリスナーが、コンサートで『アイ・アム・ザ・エディター』を聴いて、両親とテーブルを囲んで楽しく夕食をとっていた16歳の自分を思い出しました、というハガキを送るのは9:00~9:30『財津和夫の人生ゲーム21』。あの頃は友達と出かけたチューリップのコンサートも、今は結婚19年目の主人と。16歳の自分には二度と戻れないと思うと悲しいですが、チューリップの曲にひととき、あの頃の想い出が鮮明によみがえってきました、という内容。

16歳のころの僕自身は、実存主義哲学にふれる一方で、『夕やけニャンニャン』を見ながら東京での生活にあこがれていた単なるミーハーな男子。物心ついて初めて上京したとき、まだ河田町にあったフジテレビで夕ニャンの収録スタジオを見学し、渋谷の「SAILORS」でお土産を買い、華やかさの一方で「コンビーフ」の錆びついた看板も見える山手線からの風景に、ああこれも東京だと無意味に納得して、必ず東京で生活するぞと心に決めて大阪に帰ったあの日。

リクエスト曲は、ユーミンで『あの日に帰りたい』。
(何じゃそりゃ)

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2005/06/19

永遠の「バッハ少年」

■歌:奥田美和子、作詞:柳美里『雨と夢のあとに』の楽譜を探しにいつもの楽器屋に出かけると、またしてもあの「バッハ少年」を見かけた。今日も携帯型キーボードの音色をパイプオルガンにしてバッハのフーガの同じフレーズを飽くことなく弾き続けていた。子供が余りに悪戯するためか、最近この楽器屋は展示してある電子ピアノをすべて、店員が設定変更しなければ音が出ないようにした。そのためバッハ少年は音色の良い電子ピアノで演奏することができなくなり、携帯型キーボードの安っぽい音色に甘んじている。おそらく僕がこの楽器屋を訪れなかったこの三週間も、週末ごとに少年は楽器屋を訪れては何時間もバッハを弾くということを繰り返していたに違いないし、来週も、再来週もそうなのだろう。

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鉄道の安全と衆愚

■2005/06/17付けの共同通信配信のニュース。2005/06/04、午後3時過ぎ、JR中央線の国分寺駅で強引な駆け込み乗車をした乗客に対して、車掌が車内放送で「駆け込み乗車はおやめください。そのような乗り方でけがをした時は、お客さまの責任になります」と注意した。この放送についてJR東日本が行き過ぎた内容だったと謝罪したという。

僕にはJR東日本が謝罪しなければならない理由がまったく分からない。危険な駆け込み乗車をした上に、電車の発車を遅らせて、遅延回復のために速度を上げる運転を運転士に強要する原因を作ったのは、この乗客の方だ。こんな自己中心的な行為が、顧客として当然の「権利」であるかのように履き違えられていることこそ、鉄道の安全性に対する大きな脅威になっている。他の乗客にとってはいい迷惑だ。

少し前に起こった東武伊勢崎線の「開かずの踏切」での死亡事故にしても、踏切前で待たされている横断者が踏切の開閉を担当していた社員に対して、日常的に「早く開けろ」などの文句を言っていたという。ここにも顧客の理不尽なわがままが許され、社員が安全を守る立場として毅然とした態度に出ることが「悪」であるかのような了解ができあがってしまっている。

危険行為に対する当然の注意や管理を、逆に鉄道会社側が引け目に感じなければならないなどという主客転倒がまかりとおっているのでは、いくら鉄道会社が安全管理を行っても、乗客みずからそれを骨抜きにしているようなものだ。まさに「衆愚」の典型例である。

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2005/06/18

『雨と夢のあとに』最終回

■柳美里原作のテレビドラマ『雨と夢のあとに』(テレビ朝日系)が昨日ついに最終回となった。前回このドラマにふれた日記で、原作では小学生になっている主人公の桜井雨がドラマでは高校生になっていると書いたが、中学生の間違いだということに最終回を見て気づいた。ドラマの最終回は雨の未来への希望を強調した脚本で、必要以上に父親を亡くした喪失感を強調しないさわやかな幕切れだった。もちろんB級ドラマであることには違いないのだが、このドラマ、第1回 9.5%、第2回 9.7%、第3回 9.8%と、この週で内館牧子脚本の『汚れた舌』9.7%を抜いて、第4回 8.4%、第5回 9.5%、第6回 9.2%、第7回 10.5%、第8回 11.5%で、この週は何と今をときめく宮藤官九郎脚本の『タイガー&ドラゴン』を抜いている。第9回は8.8%と失速。でも23:15始まりでこの高視聴率は一体...。さすが芥川賞作家原作ドラマ。(この記事自体B級ですみません)


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2005/06/16

システム監査技術者合格

■以前の日記で今春「システム監査技術者」試験を受験したことについては触れていたが、今日合格発表があり、スコアは最低200~最高800点、合格ラインは600点のところ、僕は午前試験715点、午後Ⅰ試験710点、午後Ⅱ試験Aランクということで無事合格となった。120分間、右手がつりそうになりながら必死で4000字近い論文を書いた甲斐があったというものだ。

実質1か月程度しか勉強しなかったので合格するか不安だったが、実務で情報セキュリティ監査に被監査者として参加した経験は非常に役立った。また、たまたま直前にEA(Enterprise Architecture)の勉強をしていて、ズバリEAに関する問題が午後Ⅱで出題されたのは幸運だった。

単にペーパーテストに合格したというだけで、これでシステム監査の実務ができるというわけではないが、僕自身は本質的に制度設計や規則遵守大好き人間なので、監査向きかもしれない(と何の根拠もないことを書いてみる)。


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2005/06/12

往年のPersonal Web Serverの代替製品

■昔は開発者がMicrosoft Internet Information Server(現在はInternet Informatin Service)上での各種スクリプトの動作を検証するために、Personal Web Serverという無償の個人用WebサーバがMicrosoftから提供されていたが、残念ながら現在はそれに代わるものが提供されていない。その代わり、Baby Web ServerというフリーウェアがPablo Software Solutionsというオランダの会社から提供されている。Windowsのサーバ製品を持っていない方が、ローカル環境でASPの動作検証をしたい方は、ぜひこちらの製品をご利用あれ。

ただしASP.NETの検証には、Microsoft社のASP.NETサイトからリンクが貼られている無償のASP.NETホスティングサービスであるWebMatrixHosting/Japanがいいだろう。こちらは拡張子「asp」ファイルの実行を許可していないので、逆にASPの動作検証には使えない。

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2005/06/06

いよいよ出版『SEの現場2005』

■先月まで執筆をしていた『SEの現場2005 プロSE、7つの力』(翔泳社)がいよいよ公刊されることになった。今回の企画は主要な執筆者7人を「七人の侍」に見立てており、表紙には侍姿のイラストで僕も登場している。イラストは「やや似」だが、第一章を執筆したので最前列に。キャリアアップを目指しているITプロフェッショナルの皆さんは、ぜひ書店で一冊お買い上げ下さい。


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2005/06/05

財津和夫作曲・松田聖子『チェリーブラッサム』

■今朝も遅寝の布団の中で財津和夫の『人生ゲーム21』を聞いていたが、リスナーからのリクエストで松田聖子『チェリーブラッサム』をかける前に、例によった訥々とした語り口で「聖子さんのために私が作りました曲、最近はすっかりお声が掛からなくなってしまいましたが」という自虐的なんだか批判がましいんだかわからないコメントがあり良い味を出している。この番組がクセになるのは意外に毒のあるこの財津トークのせいだな。でも松田聖子に何曲か楽曲提供しているということは、チューリップとしての活動以外でかなり儲けてるんだな。

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國分康孝『カウンセリングの技法』

國分康孝『カウンセリングの技法』(誠信書房)を読んだ。先日読んだ『カウンセリングの理論』もそうだが、カウンセリングについて体系的な知識のまったくない人が、手軽に耳学問するには最適の本ではないか。ただ、概論書を2冊たて続けに読んでそろそろ食傷気味になってきたので、ここらあたりで各論に入らねばと、いま同著者が編集した『論理療法の理論と実際』(誠信書房)を読み始めている。

論理療法とは環境を変えるよりも、まず本人の考え方を変えることで問題を軽減して、本人が環境に働きかける力を持てるようにするカウンセリング方法らしい。理論的には折衷主義で、「自分のことは自分で決める」という主体的な選択を重んじる実存主義分析の影響も受けているらしい。

しかし同書のケーススタディを読んでいると、カウンセラーによって同じ論理療法でも実践のしかたはさまざまで、僕からすると来談者がカウンセラーを神格化しすぎではと感じられるものもある。来談者がそうなることを求めているならそうするというのが真の来談者中心主義であり、ロジェリアンのようにただ傾聴するだけではなく、論理療法は積極的に来談者に指示を出して、考え方の変容を迫るものだえるというのも理解はできる。

しかし論理療法上irrational belief(本人の非合理な思い込み=論理療法の用語)と考えられるものであっても、極端な話、社会や組織を変革しようとしている人々にとっては合目的的であってrational beliefな場合もある。このような反論に対して論理療法はこう反論するだろう。その人にとって合目的的ならrational beliefなのだから、変革者が一部の問題を一般化するのは、普通の人にとってirrational beliefであっても、変革者にとってはirrational beliefだと。

そうすると残る問題は、その合目的性をいったい誰が判断するのかということだ。おそらく論理療法はこの問いに対して、実存主義的に「それは本人が判断するのだ」と答えるのだろうが、その判断そのものがirrational beliefにもとづいていたとしたら、論理療法は一体どうすればいいのか。

たとえば僕が僕自身のことを「サラリーマン社会の変革者」と考えていたとする(本当にそう考えているわけではないので、念のため)。このbeliefが正しいなら、サラリーマン社会という環境とのあつれきに僕が苦しむのは合目的的なので、論理療法が取り上げるべき問題とはならない。しかし自分を「サラリーマン社会の変革者」と考えること自体がちょっとした妄想なのかもしれない。こういう来談者に対して、カウンセラーはどう指示するべきなのか。

こういう問題提起に対して、おそらく論理療法は「カウンセラーがなすべき指示には、唯一の正しい正解があるという考え方そのものがirrational beliefである」と答えるだろう。しかし、そうなるともう相対主義の泥沼ではないか。どうやら折衷主義のカウンセリング理論は、最終的に相対主義とどう対峙するかという壁に突き当たるのではないか。カウンセリングの本を読み進めるにつれて、そのように考えざるを得なくなってきた。


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2005/06/01

美談の誘惑

■某公共放送の有名番組で、取材情報を大幅に誇張し、虚構までまじえた番組を作ってしまったということで問題になっているようだ。今回は公共教育機関が舞台ということで、虚構が明るみに出たのではと考えると、果たして企業を舞台にしたこれまでの同番組の、数々の美談や成功プロジェクトの物語が、いったいどこまで本当だったのか、きわめて疑わしくなってくる。

企業であれば、番組内容の修正そのものがネガティブ情報になって、さまざまな影響を与える可能性があるので、放送局が虚構をふくむ過剰な演出をやらかしたとしても、なかなかその修正を言い出しにくいだろう。いずれにせよ、あの番組は話半分に楽しまなければならない。

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