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2005年2月の記事

2005/02/27

俗化する大地真央

■ほんとにどうでもいいことなのだが、「上海冷茶」のテレビCMで大地真央がピンクレディーの『カルメン '77』の曲に合わせて金一色の衣装で腰をふって踊っているのは、離婚した元旦那、松平健のマツケンサンバを意識したCMディレクターの演出だということに、二、三日前気づいた。

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2005/02/23

ニッポン放送の「内輪の理論」

■とうとうニッポン放送が既存の株主を犠牲にしてまでライブドアに買収されるのを避ける最終手段に訴えたようだ。新株予約権は飽くまで権利であって、今回これを買ったフジテレビが実際に新株の引受を行使するかどうかはわからないが、別に新規事業を展開するために資金調達するわけではないのだから、ニッポン放送という会社そのものの企業価値が変わらないまま、発行済み株式数だけがドカンと増えるので、一株あたりの価値が大幅に下がることくらいは、企業ファイナンスの素人の僕にだって分かる。これでは株価の下落は必至で、既存のニッポン放送株主は、他ならぬライブドアも含めて大損害をこうむるおそれがある。

ライブドアの堀江社長は、本当に実現できるかどうかは別にして、少なくとも、ニッポン放送の企業価値を高めるというポジティブな意図で買収をしかけているだけ、ニッポン放送の今回のやり口よりもまだましだ。今回のニッポン放送のグループ内での新株予約権の発行は、ただただフジサンケイグループが保身を図るためだけの、完璧に後ろ向きな内輪の理論にもとづく対抗策だ。

もしフジテレビが本当にニッポン放送との事業提携によるシナジーを、今まで少しでも本気に考えたことがあるなら、ライブドアに買収をしかけられて初めて、思い出したようにニッポン放送の株を買い始めるなどということにならなかったはずだ。ライブドアが行為に出るよりも前に、ニッポン放送を子会社化するなどの策を打っていたはずだ。今までそれをせずに、今ごろになってライブドアへの対抗上、ニッポン放送の株を買い始めるなど、一般の株主の利益を無視した、フジサンケイグループの保身以外の何物でもない。

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阿部和重『シンセミア』

■一昨年の出版時から早く読まなければと思いつつ、近所の市民図書館の蔵書が貸出中のままになっていたりで読まずにいた、毎日出版文化賞・伊藤整文学賞受賞の長編小説、阿部和重『シンセミア』上・下巻をようやく読了した。数十人の登場人物が織りなす腐臭を放つ濃密な憎悪関係が、登場人物の内面に踏み込みながらも飽くまで冷徹であり続ける文体で窒息しそうなほど緻密に描かれる。あまりに醜悪で中毒になりそうな物語。純文学でしか描けない世界を描いているという意味で現代文学の極北であることには違いない。


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Free Tempo 『Oriental Quaint』

■近所のTOWER RECORDSで視聴して1曲目が気に入ったので、TSUTAYAでFree TEMPO新譜『Oriental Quaint』を借りて、毎朝、気が滅入りがちな通勤途中に景気づけに聴いている。メロディーの美しい超軟弱HOUSEは、リズムを除けばまるで1980年代の洋楽POPSで、バカみたいに単純な歌詞とともに耳障りがよすぎる。FreeTEMPO - Oriental Quaint - EP


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2005/02/09

むしろ単調なコード進行

■今日の未明、たまたま目が覚めてトイレに行って帰ってきて布団にまたもぐりこんで、いつものように両耳にイアホンをねじこんでAMラジオをつけ、寝入ろうとすると、ちょうどTBSラジオの深夜番組で矢野絢子のコーナーが始まった。矢野絢子のアルバムを聴こうと思ったのは、この深夜番組の終わり近くのコーナーで、彼女が地元の高知で愛犬を散歩させながら録音機に向かって一人ごちた内容が放送されており、その中の一つのエピソードがとても「文学的」で印象に残っていたからなのだが、まったく意識せずに、たまたま目が覚めた時間にまた同じ番組を聴けたのは偶然にしては出来すぎている。先日、どうしても自分で12分の大曲『ニーナ』を歌いたくなって、MP3にエンコードした曲を繰り返し聴きながらギターで和音をとってみると、見事にハ長調でベースが一つずつ下がっていく、C→G7onB→Am→ConG→F→G7→C→G7という典型的なコード進行になっている。彼女の公式ホームページによると、どうやら難しい楽譜は読めないということのようで、『ナイルの一滴』の他の曲も調べてみた。『てろてろ』C、『夕闇』C、『ゼンマイ仕掛け』Am、『嘘つきの最期』Em、『わかれ』Am、『ニーナ』C、『ひとさじ』Em、『レモンスライス』F、『ソリダスター』F、『闇の現』Em、『かなしみと呼ばれる人生の優しさよ』C、『坊や』A、『ナイルの一滴』Em。13曲中、シャープ、フラットがないハ長調・イ短調が6曲。一つしかシャープ、フラットがつかないホ短調・ヘ長調が6曲。シャープが二つだけつくイ長調が1曲という結果になった。予想通りほとんど黒鍵をたたかずにすむ曲ばかりだ。『てろてろ』も『夕闇』もベースラインは『ニーナ』と殆ど同じで、拍子こそ違えコード進行のバリエーションは限定される。それでも一曲一曲の個性が粒立って単調さを感じさせないのは、詞の強烈な叙情性・情念と声の力だろう。しばらく『ナイルの一滴』を聴き続けることになるだろう。

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2005/02/05

市川準『トニー滝谷』

■村上春樹原作、市川準監督『トニー滝谷』(2004年)を観た。たった75分間のほぼ全編、カメラが右へ水平移動しながらの場面転換、映像による描写を抑制する代わりに淡々とした西島秀俊のナレーション。その映像は色彩も抑えられ、坂本龍一の静かなピアノ曲とともに、まさに様式美だけで成立しているようなストイックな映画で、個人的には宮沢りえが他界した妻の洋服を試着するシーンなど、固定ショットのままもっと長回しでもいい。

トニー滝谷が妻を失ってからのワンシーン、ワンシーンはもっと長いカットでもいい。たった75分間で終わってしまうのが本当に惜しい映画で、これほどあっさりした中篇映画になってしまっていることが残念な佳作。ちなみに、最後のクレジットでキャストのところに「猫田直」の名前を見つけたのだが、どこに出演していたのか気づかなかった。女子更衣室で宮沢りえに話しかけていた同僚OLの役立ったかもしれない。


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2005/02/04

Is there Internet here?

■今朝、久しぶりに英語を話した。行きつけのカフェでラテを飲みながらノートパソコンで原稿を書いていたら、アジア系の白髪混じりの中年女性から「Do you know 'Internet'?」といきなり話しかけられた。その発音がアジア系で一瞬聞き取れなかったので首をひねると、彼女は同じことを繰り返し、「Is there Internet here?」とブロークンな英語で付け加えて天井を指差した。無線LANが使えるかどうかを尋ねているのだと理解した僕が「No, I don't think so.」と答えると、彼女は納得した様子だった。念のために「There is no connection to Internet here.」と言うと「Thank you」と返して自分の席に座った。おそらく僕がノートパソコンのUSBポートに挿していたUSBメモリーを無線LANアダプタだと勘違いしたのだろう。カフェからの帰り際に彼女の方をちらと見ると、椅子にリラックスした様子で背を凭せかけながら、優雅な手つきでノートパソコンを操っていた。DEAN & DELUCAでの朝の一コマだ。

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2005/02/03

松下製品不買運動

■松下電器がアイコン特許侵害裁判でジャストシステムに勝訴し、「一太郎」「花子」を製造販売中止の判決が下りたとのこと。仮執行は見送られ、すぐに販売中止になるわけではないが、すでにジャストシステムには株価のストップ安という経営上の実害が出ている。

どうやら松下電器は同じ特許についてソーテックやジャストシステムなど、特許係争対応力が弱い企業を狙い撃ちしているようだ。ジャストシステムはATOKに並ぶ主力製品の「一太郎」「花子」の販売を停止するわけにはいかないので、最終的にライセンス契約を結ばざるを得なくなる。わずかばかりのライセンス利用料が毎年松下電器に入るというわけだ。どう考えても進歩性の低いこのアイコン特許をネタに、日本で唯一マイクロソフトに対抗できるOAソフト「一太郎」や「ATOK」を開発するジャストシステムから小金を稼ごうという松下電器の特許戦略は、松下電器にとっては合理的な経営判断かもしれないが、企業の社会的責任の観点からすると明らかに誤った経営判断だ。

松下電器とソーテックやジャストシステムでは誰が見ても企業規模の差が大き過ぎ、一般消費者から「中堅企業の係争能力の弱みにつけこんだ小金稼ぎ」というそしりを受けることは避けられないのではないか。現に松下電器製品の不買運動を呼びかけるWebサイトもすでに出てきているようだ。一方で松下電器は好業績にもかかわらず今期中にデジタル家電部門で1000人、子会社の松下電子部品などで600人の人員削減も進めている。「消費者向け」製品メーカーとして、松下電器は社会的責任をもう少し考えた方がいい。もちろんこのWebサイトでも松下製品の不買を訴えておく。

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2005/02/02

矢野絢子「ニーナ」

■映画やドラマの主題歌などではなくて、純粋に歌だけを聴いて泣いたことなど今までなかったと思う。矢野絢子『ナイルの一滴』の中の「ニーナ」を聴いて不思議なほど涙がぼろぼろこぼれた。物語性の強い歌詞のせいもあるが、その物語性をあえて抑えるよう単調な反復、それでいてクライマックスでは異なる旋律が不意に現われる音楽上の適切な演出が、甘ったるさのないストイックな声質とともに歌詞の物語にぴたりと寄り添っているからこそこれだけの感動が生まれるのだろう。矢野絢子の声は少し聴いただけでは少年少女合唱団のようにただ力強くまっすぐな発声法だけかと思わせるが、声の細部の表現を注意しながらアルバムを通して聴くと、さまざまなスペクトルがあることが分かる。最近の女性ボーカルは殆どがホイットニー・ヒューストン系列のころころファルセットに転がる声の技巧面で評価されるが、矢野絢子は大胆な率直さと繊細さが奇妙に同居する、言わば心の奥底から直接届く響きで評価できる少数派ではないかと思う。それにつけても伊集院光が深夜ラジオで彼女の最新シングル『氷の世界』(勿論井上陽水のカバー)をかけた後、「なんじゃこりゃ!」と罵声を浴びせていたのはただただ腹立たしかった。彼女のアルバムを聴いてみようと思ったのは伊集院光のこの下劣さに対する軽蔑もある。


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誇り高き三菱自工社員

■三菱自工がついに母体である三菱重工中心の支援で「最後の再建」に臨むことになったようだが、ブランドイメージの低下による販売台数の減少で、とても現在の生産設備を維持したまま黒字を維持できるとは思えない。一体三菱重工はどう始末をつけるのか、あと数年間はかなり興味深い見ものだ。よく言われるように日本の製造業は現場は一流、経営は三流だ。せっかくダイムラークライスラーが資本参加して、経営と管理機能の部分を根本的に変革しようとしたのに、三菱自工のプロパー社員たちは高すぎるプライドのために従来のやり方に固執し、再建の機会をみすみす失った。

昨年度の再建計画発表以降も再び三菱グループの支援に甘え、ローカルルールを排除して管理部門のオペレーションを標準化することを怠った。おそらく三菱自工のプロパー社員たちはいまだに、再建が失敗したのはダイムラークライスラーから派遣された人々の現状を無視した強引なやり口のせいだと考えているのだろう。そうでなければここまでの状況に陥ることはなかったはずだ。

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リニアな世界観の限界

■2005/01/31の日経朝刊で、元米国通商代表部、現日本NCRの共同社長という人物が、自ら経営コンサルタントとして日本企業に経営改革を提案し、その部分的実行までに3年もかかった体験を引きながら、経営改革を阻止する五つの壁として「認識の壁」(=そもそもわかってない)「判断の壁」(=判断が甘い)「納得の壁」(=無理だとあきらめる)「行動の壁」(=計画だけ作って安心する)「継続の壁」(=三日坊主)をあげ、そして日本企業の経営改革に時間がかかるのは人材の流動性の低さが一因だと書いている。

いかにもアングロサクソン的な、リニアな因果論、キリスト教的終末論だ。アングロサクソンは世の中を、原因と結果が連鎖する、始まりと終わりのある一本のチェーンと見る。アジア人はさまざまな事象が互いに原因でもあり結果でもある網の目と見る。日本の労働市場の流動性が低いことと、日本企業の経営改革が遅いことは、お互いが原因となり結果となっており、一方を解決すれば他方が解消するのではない。労働市場の流動性を高めようとすれば、他の複数の要因がそれを阻害する。

アングロサクソン的世界観にもとづくコンサルティング手法は同じ世界観にもとづく組織に対してしか効果をあげない。現日本NCR共同社長の改革提案が三年を経ても一部しか実施されなかったのは当然であり、彼の議論はアングロサクソン的世界観の押し付けでしかない。

ただし、唯一、アングロサクソン的世界観の押し付けが日本企業に対して機能する場合がある。それは米国が外交で常にそうするように、力にものを言わせる方法だ。企業経営の改革なら、資本の力にものを言わせてその日本企業を買収し、経営陣をアングロサクソン化すればいい。これが唯一、アングロサクソン的な意味での日本企業の経営改革を成功させる方法だ。

そう考えると日本の政治問題について、通常の政権交代の文脈で現日本NCR共同社長の議論を援用するのはあまり意味がない。米国が軍事力にものを言わせて日本の総理大臣を共和党党員の白人にすれば、懸案の構造改革はあっという間に実現するだろう。敗戦直後GHQの強力な指導下であっという間に「民主化」が実現したように。この選択肢は明らかに非現実的なのだから、日本人はむしろ自分たちの改革能力の限界を自覚することから始める必要がある。

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近未来ビル群/超高級マンション/屠殺場

■東京・品川近辺に勤めているので、朝、品川駅前にあるグランドコモンズと、インターシティーというオフィスビル群の近くを通ることがある。今日、ビル群の背後の私道に大型トラックがずいぶんもたつきながら入っていくなあと思って、そのトラックの方を振り返ると、荷台の側面に細長くあけられた窓から黒毛の牛が何頭も居並んで顔を出している。インターシティーの裏に中央卸売市場食肉市場があることは知っていたが、本当にここで屠殺しているとは思わなかった。以前僕はグランドコモンズに入居している自動車メーカに勤めていたことがあるが、大株主のドイツ企業から出向してきていた女性管理職はどこからかいち早く食肉市場があるという情報を仕入れていて、きっと夏になると悪臭がただよってくるに違いないと心配していたが、これはまったくのデマだ。大型トラックで搬送される牛たちを偶然目にしない限り、ガラス張りの未来的なオフィスビル群のすぐ背後で、整然と牛たちが屠殺されているなど想像もできない。品川駅を隔てた向こう側の御殿山には超高級賃貸マンションが整然と屹立しているのもまことに対照的な光景ではある。

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