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2004/06/30

アンリ・マンソンジュ『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』

■会社の昼休みに大型書店の哲学書コーナーをぶらぶらしていたら、今さらながらといった感じでデリダ特集の棚があった。「あった」と書いたが実は数週間前に訪れたときからすでにデリダの棚はそこにあったので、「まだあった」と書くのがより正確だ。

その棚にはデリダの解説書(もっともデリダに対する注釈というものが可能だとしての話だが)や伝記(もっともデリダは自らの伝記的事実が事実であること、ましてその「事実」に自らの思想の起源を見出しうることについて異議を唱えるだろうが)も並べられており、その中にアンリ・マンソンジュによる『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』という書物があった。

デリダの解説書として文化人類学風の書名が並んでいることに違和感を覚えて手に取り、しばらく立ち読みしてみたのだが、確かに脱構築の書であることに違いはなく、デリダの著書に隣り合っていることが納得された。ちょっと立ち読みしただけなのだが、この本はあらゆるものが脱構築されている中で、なぜセックスだけは脱構築されないままなのか、セックスだけが依然として現前する記号として存在するのはなぜか、ということを論じているらしい。

ジャック・ラカンの『セミネール』からすっかり精神医学関係書に脱線したままなので、久しぶりに脱構築の書でも読んでみようという気になった。どうやらこのアンリ・マンソンジュという思想家(?)について、マルカム・ブラッドベリという英国人が書物を一冊書いているようなので、いつも訪れる近所の図書館でまずはそちらの方を借りて読んでみたい。その書物は『超哲学者マンソンジュ氏』という題名で、柴田元幸という人が翻訳している。

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2004/06/26

タイPOPの歌姫パーミー

■毎週月曜日夜23:00からNHK FMでAsian Popsの番組があるのをご存知の方は少ないと思うが(もっともこのページの読者のうちご存知の方の割合は全日本人に占めるこの番組を知っている日本人の割合よりは高いと予想されるが)、今週放送分にタイで最も人気のある女性歌手Palmyが出演して、豪州留学で仕込んだ流暢な英語でインタビューに答えていた。

Palmyのことは以前タイのポップスを日本に紹介する日本のレコード会社の社長が何かのテレビ番組で取材されていたものを偶然目にしたときに、彼が今まさに日本で売り出そうとしている歌手として登場したことから知っていた。

詳しくは新宿にあるタイ音楽専門店「サワディーショップ」のWebサイト内の彼女についてのページを参照して頂きたいが、タイ人とベルギー人の両親の間に1981年に生まれ、偶然にも王菲と同じくCranberriesが最もお気に入りらしい。先日2004/06/10渋谷での日本で初めてのライブでは洋楽のカバーとしてBring Me to Lifeを歌ったところからすると、この年齢になっても、ことPopsに関してはミーハーなままに留まっている僕と趣味が似通っていることが分かるが、へそピアスと鼻ピアスが気にならないと言えば嘘になる。

NHK FMに登場した彼女の英語は豪州で学んだわりに明瞭で通訳なしでも十分聞き取れたが、いまだに「私らしさ」が音楽家としての自己主張になるところは、さすが発展途上国タイという感じがした。王菲同様コロコロ裏返る美しいファルセット、楽曲によって雰囲気がガラリと変わる七色の声は魅力的で、曲調は邦楽で言えばLove Psychedelicoをもっと軟弱にした感じ。

NHK FMで数曲聴いて、この軟弱かつ軽薄な反復こそPopsの王道だと気に入ってしまい、今日、新宿高島屋の上にあるHMVで2004/03に日本で発売されたCD『パーミー』を購入した。タイで発売された一枚目、二枚目のアルバムから計18曲を収録した日本向けの製品。

同封の歌詞カードには、タイ語、タイ語の英字表記、日本語訳と3通りの表記で18曲すべての歌詞が記されている。タイ語入門のWebサイトを少し探ってみたが、子音と母音、文字の煩雑さから、すぐにタイ語の勉強はあきらめた。前職では国際テレビ会議でタイ人の同僚とも毎月顔を合わせていたのだが、こんなことならその時にタイ語を勉強しておけば良かったと今さら悔いても仕方ない。ご興味のある方はAmazon.co.jpでどうぞ

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2004/06/23

岩手県自民党の被害妄想

岩手県の選挙管理委員会の作成した参議院選挙向けに有権者に投票を呼びかけるポスターに、地元の自民党会派がクレームをつけたため、撤去が決まったようだ。「どうして岩手の人は不満があるのに何も言わないの?」「投票しなきゃ変わらない!」というコピーの背景にタレント、セイン・カミュの写真があるというポスターだが、自民党がクレームをつけた理由は、現状を変える必要があるということを前提とした内容になっているからだということらしい。

僕は自民党がクレームを付けた結果、このポスターが撤去されたという事実そのものが、選挙管理委員会に対する自民党の不当な介入、というより、ほとんど言いがかりであって、大問題だと考える。このポスターにある「現状を変える必要がある」というメッセージを、自民党会派は「自民党以外の政党に投票する必要がある」と解釈したことになるのだが、これは曲解もいいところだろう。

「現状」の中には普通に考えてふがいない民主党や、つまらないスキャンダルでマイナー政党に落ちてしまった社民党、いつまでたっても共産主義の看板をはずせないでいる共産党も含まれているのであって、自民党だけが攻撃対象になっていると解釈するのは、岩手県自民党会派の被害妄想としか言いようがない。むしろ選挙管理委員会に対してそれほど強力な圧力をかけることができ、実際にかけてしまったという事実こそ、政権党としての自民党の横暴であり、ほとんど言論弾圧ではないか。まったくおかしな話だ。

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家族主義経営のウォルマートで性差別訴訟

■家族主義的な経営で有名な米ウォルマートで百万人以上が原告となる雇用上の性差別訴訟が起こったようだ。かなり意外な感じがしたのだが、以前の企業イメージが非常に良かっただけに、今回従業員から訴訟を起こされたという事実だけで、訴訟結果の如何に寄らず、同社の社会的な評判(reputation)はかなり悪化するのではないか。

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2004/06/22

学歴こそが新卒学生評価の最適な指標

■とある読者の方から一風変わったメールが届いた。以前このページのエッセーで、こと就職・転職活動に関する限り日本では依然として高学歴が有利に働いており、とくに新卒学生の能力を判断するにあたって学歴こそが最適な指標であると書いた。

たとえ経営学部や経済学部の出身であっても、そもそも新卒の学生が実業界で役立つ知識や経験を持っているとは考えにくい。大多数の学生については基本的な勤勉さや理解能力・論理的思考力でその能力を判断するしかない。それらの能力を判断するために、学歴、つまり学校での勉強の成績以上に客観的な指標があるだろうか。学校で学ぶ内容に価値はなくとも、勤勉に学んだという形式的な事実そのものは、社会人になった後でも具体的な実績につながると考えてよい。そういうわけで僕は就職・転職活動で客観的な指標として学歴と成績は重視されてしかるべきだと書いたのだ(なお、たとえ有名大学を卒業していても在学中の成績が悪いのは論外である)。

それはさておき、その読者はメールの中で具体的に出身大学として有名な私立大学の名前を書いておられ、この大学は社会人になってから、少なくとも学歴差別の対象にならないかどうか、4度も転職している僕に確認したいとの主旨である。この読者は理系出身であるため、文系出身の僕は確からしい助言は残念ながらできない。申し訳ないがこれが回答になってしまう。

しかしあえて付言すれば、この読者の出身大学が学歴差別の対象になることは考えにくいのではないか。もし大学院卒業後に就職を目指しておられるのであれば、大学名については心配することなく、むしろ進学先の大学院で説得力のある研究成果を残すことに専念されるのがよいと考える。

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2004/06/20

印象的な夢の話

■昨夜とても印象的な夢を見た。山の斜面をジグザグにゆっくりと下っていく鉄道は谷底でまた向かい側にある山のなだらかな斜面を今度は真っ直ぐに登っていく。それを登りきった小さな街に僕は小さな会社のシステムエンジニアとして生活している。

いつつぶれてもおかしくない小さな会社に将来の生活の不安を感じながらも、街の高台に建つ家の二階から見下ろせる山地の雄大な景色と、向かい側の山の斜面をジグザグに走る鉄道の様子、その斜面にミニチュアのように遠く点在する広い庭のある一軒家たちを眺めていると、生活の不安などどうでもよくなってくる。このように山あいをぬって走る鉄道という地理は僕の夢の中によく登場する。一度もそんな土地で生活したことがないにもかかわらず。しいて言えば小学生のころ住んでいた大阪郊外の高台にあるマンモス団地から見下ろす大阪湾と、広々した山あいの緑は似ていなくもない。

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中井久夫『徴候・記憶・外傷』

■中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)を読み終えた。身体論など哲学的なエッセーについては、対談の相手が鷲田清一とあっては僕としては内容の論理的強度がやや物足りないので、やはり「治療」や「症例」の章が興味深かった。

「高学歴初犯の二例」では犯罪者の心理が説得力のある説明を与えられているが、中井氏はこの心理分析を、裁かれる人間にとって納得のいく判決文を作るために引き受けている。犯罪者が刑務所を出た後に更正した生活を送れるかどうかは、判決文が彼らの心理を代弁している必要があるという観点は新鮮だった。また、精神科医仲間の余興の席か何かで、若手の臨床医が中井氏の診察のモノマネをして、小さな声で患者さんとぼそぼそ何かを話していたかと思うと、最後に大きな声で患者を励ましながら握手をして診察が終わるというコントをやったところ、大ウケだったと氏自らが紹介しており、私の治療は傍から見ればそんな風に見えるのかもしれないと書いているのが面白かった。

決して精神療法の有効性を見捨てない中井氏は、一言でいえば深い人間理解に基づく治療を実践しているといったような紋切型におさまってしまうのだが、精神医学の臨床は治療者にとっても患者にとっても、そのつど一回限りのものであるという主張は、普遍性を要求する「科学としての医学」という通念を相対化してくれる。

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2004/06/19

4万円の電気代をめぐる幸福な兄弟の対話

■都内某所のCAFE VELOCEでホットカフェラテを飲みながら中井久夫の本を読んでいたら、隣に兄弟と思しき50代白髪混じりの男性二人が向かい合って座り、まどろっこしい議論を始めた。どうやら弟の方の経営する小さな会社が森ビルのオフィスビルに入っているが、ビルの管理会社経由で請求される毎月の電気料金が他のテナントに比べて桁違いに高額であることに最近気づいたようで、それを兄に相談しているのだ。

社内で使っているパソコンなど事務機器の消費電力を足し合わせてもそれほどの高額になるはずがない。兄は電気メータが弟の会社が借りている事務所部分だけの使用量を指しているなら、請求書は弟の会社に直接来ているはずだ、請求書の内容をチェックできないのかと言い、弟は電気メータは鍵を持っている担当者しか見られないので、自分が直接読んだわけではない、請求書のコピーは管理会社に言えばいくらでも見せてくれるだろうと言い、すると兄はそのビルには親メータがあって、弟の会社のメータは子メータであり、電気料金は親メータの読みで決まっており、テナント各社へ子メータを規準に配賦しているのだろうと言い、弟は電気代が月4万円もかかっているのだと言い、30分近く真剣に話し合っていた。月たった4万円の事務所の電気代をめぐって、あれほど真剣かつ全くかみ合わない議論ができるとは、僕も50代になったらあんな幸福な人間になれるだろうか。

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執筆した『IT業界図鑑』が書店で平積み

■今日JR品川駅構内のBOOK GARDENの店頭にある新刊書コーナーに、僕が執筆のとりまとめをした『IT業界図鑑』(翔泳社)が見事に平積みになっていて、予想以上に目立つ扱いだったので驚いた。読者の皆さんも繁華街の書店でオレンジの表紙の『IT業界図鑑』を発見したら情報お寄せ頂きたい。とくに意味はないが。

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2004/06/18

読者数が最近微減傾向

■このページの読者数が最近微減傾向で、自分でも内容が随分つまらなくなっている気がする。徐々に「世間並み」といったことに馴致されていく自分を感じるのだが、組織の中で波風を起こすまいと思えばそうなるのも必至ということで、これから一体どういう方向へこのページを導いていけばいいのかと考える。前に勤めた会社の内情暴露では三流週刊誌並みでこれも「世間並み」の一種だし。

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2004/06/12

ついに『IT業界図鑑』出版へ

■3月来執筆していた『IT業界図鑑』だが、出版社の翔泳社から著者への贈呈分が2冊送られてきた。コンパクトな本で、カバーの題字がエンボス加工になっていて、思ったより手の込んだ装丁になっている。なにしろIT関連の職種を50も紹介しているので最終的に頁数がかなりぎりぎりだったようで、見返し2頁にまで読み方の説明が印刷されている。iii頁には僕の名前で「まえがき」が書かれている。賢明な読者の皆さんは、書店でオレンジ色の表紙の『IT業界図鑑』を見かけたら、ちょっと立ち読みしてから、さりげなく目立つ場所に平積みにしておくように。

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自閉症の病理学的分析

■今読んでいる『自閉症の謎を解き明かす』、中盤からは自閉症の病理学的分析が平易な記述でわかりやすい。他者の感情の動きを理解できない点が、中枢神経の欠陥からくる自閉症の根本にある病理であると論じている。例えばAさんとBさんが舞台に登場し、Aさんが舞台上にある箱の中に自分の人形をしまって退場し、Bさんがちょっとした意地悪で箱の中の人形をそっとソファーの後ろに隠してしまう。再びAさんが舞台上に現れたとき、Aさんは自分の人形をどこに探すか。通常の知能水準の子供も、知能水準の低い子供も、箱の中を探すと正しく答えるのだが、自閉症児だけは高い確率でソファーの後ろを探すと答えてしまう。

自閉症の一つの症状として言葉を文脈の中で理解できないということがある。冗談やウィットは自閉症患者にまったく理解されない。逆に自閉症患者は場違いな発言をして周囲を戸惑わせる。他人の表情やしぐさに意味を読み取るなどのメタコミュニケーションをとることができない。これらの記述を読んでいて、僕は日本の会社生活にまったく馴染めないでいるドイツ人上司のことを思い出した。

母国の、特にベルリン人同士の直截な意思疎通とは全く異なる、日本人独特の婉曲で寡黙な意思疎通に、日々当惑するばかりの彼は、周囲の日本人に何度も文脈に依存しない意思疎通をするように協力を呼びかけていたが、その努力は虚しかった。四十年以上も日本人だけで生活してきた日本人に今さら文脈に依存しない意思疎通ができるわけがない。言葉の裏を読むなというのは、人間ではなく機械になれと言っているようなものなのだ。現にこのドイツ人自身、自分のベルリン的直裁な意思疎通をほとんど変えることができていなかったのだ。結果として彼は、いわば病識のある自閉症児として振舞わざるを得なかった。彼がときに無垢な子供のように思えたとしたら、それが原因だったかもしれない。

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2004/06/06

転職などで新たに人間関係を作るとき

■転職などで新たに人間関係を作るとき、誰しも必ずおちいってしまう出会いのパターンというのがあるに違いない。僕の場合にもいくつかそんなパターンがある。

僕はふだんテンションが低くつねに冷静で、抑揚なく話すひとことが時に論理的に鋭すぎるので、人によっては僕に対して率直に話しづらくなってしまう。そんな相手との間には妙な距離感ができてしまい、この距離感を縮めるのは時間をかけてもかなり難しい。なぜか相手が男性の場合、このパターンになりやすい。

逆に、誰に対しても臆せず率直に物を言ってしまえる相手との間には、さっぱりと気持ちの良い人間関係を持つことができるが、そういう相手は多くの場合、同じような学歴だったり、帰国子女だったり、僕と似たタイプの人間がごく身近にいたりする人たちで、しばらくたってからそれが分かると、なるほどと一人合点する。

この2つのパターンは僕としてはそれほど困ることはないのだが、いちばん当惑させられるのは「内気な子供を叱る母親」タイプの女性である。あまり社交的ではなく、しかも寡黙な僕のような人間のことを、まるで依存心の強い子供のように扱ってしまう女性がかならずどの職場にも一人はいるのだ。

たいていその誤解はすぐ解けるのだが、保護的に扱われると、そんな扱いに反抗すること自体が子供っぽく、依存心の強い子供という誤解を補強する方向に働いてしまうので、こちらとしてはされるがままになるより他ない。人との出会いがパターン化するのを避けたいのはやまやまだが、この年齢になると自分の行動パターンを変えることが難しい。

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2004/06/05

学生時代に知らなかった渋谷

■たまたま渋谷で働くことになったのだが、学生時代にはまったく知らなかったディープな渋谷をいまさらながらに知って驚いている。道玄坂上から京王井の頭線の神泉駅にいたる界隈は、センター街に代表される十代のための繁華街とはまったく違う、安い定食ランチを出す雰囲気の良い小さな食堂が何件も並ぶ裏町がある。お一人でも休憩できますという看板を出すホテル街を昼間に歩くのはまだ違和感があるが、こんな風に落ち着く渋谷もあるというのは新しい発見だ。

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中井久夫『徴候・記憶・外傷』

■中井久夫が面白かったので、毎週末に訪れる近所の図書館で同氏の著作を探していたら、何と2004/03に公刊されたばかりの『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)が入っているではないか。『自閉症の謎を解き明かす』を読んでいる途中であるにもかかわらず、迷わず借り出した。さまざまな場所で発表された論文、エッセー集で、まだ最初の部分しか読んでいないが、精神医学書の枠を超えて、人間についての哲学書になっている。

僕が精神医学関連書を最近読んでいる理由は、精神病・神経症が人間の周縁的な事態であるために、人間とは何かを境界線の側から問う有効な問いになっていると考えるからだ。人間をその中核にある事態から問うか、境界線の側から問うかというアプローチの違いがあるだけで、どちらも人間を主題化していることには違いない。

『自閉症の謎を解き明かす』の中で、The Whoのロックオペラの主人公であるトミーが、自閉症患者から着想を得ていることが説明されているが、その他にも、常に冷静で、身のまわりで起こる現象の情緒的な側面を完全に切り捨てる名探偵にも、自閉症患者に典型的な症候が読み取られている。そして他人の感情の動きをとらえる能力の欠如という点で、自閉症患者がロボットやチューリングマシンと人間の境界線上の存在であることを示唆している。あるものがなぜそうであるのかを問うときには、同時に、なぜそうでないのかも問わなければならない。

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2004/06/04

11歳少女が同級生を殺害した理由

■11歳の少女が同級生をカッターナイフで殺害した事件で、翌日、事件の起こった小学校の校長が涙ながらに謝罪していた理由がわからない。まだ犯行の具体的な状況や動機さえほとんどわかっていない段階で、あたかも学校側の指導責任であるかのように感情的に謝罪する必要性がまったく理解できない。

あるテレビ局の朝の情報番組では、依然としてコメンテーターが「テレビゲームのせいで現実と架空の世界の区別がつかなくなっているのだ」などと、何の根拠もない風説をもっともらしく繰り返していた。このように、ある点では行き過ぎ、ある点ではまったく進歩のない大人たちの見当違いな反応こそが、子供たちの「大人は判ってくれない」という苛立ちを強めているのではないだろうか。ほんとうに愚かな大人たち。

「最近の女性は元気になってきた」と発言した井上喜一有事法制担当相は論外。彼は1932年生まれで今年72歳のようだが、まったく耄碌政治家は後を絶たない。

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中井久夫『治療文化論』・フリス『自閉症の謎を解き明かす』

■中井久夫著『治療文化論』読了。精神科医にとって治療はそれぞれの患者のための一品料理である、精神科医は傭兵または売春婦のような存在であるなど、独特の職業観が印象的。

ひきつづき精神医学関連書ということで、ウタ・フリス著『自閉症の謎を解き明かす』東京書籍を読み始めた。読み始めた時点で非常に興味深い内容だ。歴史的な文献から自閉症患者とおぼしき人々を取り上げる章で、トリュフォーの映画『野生の少年』の原案として有名な『アヴェロンの野生児』が登場する。

おそらく皆さんのほとんどがこの「野生児」は人間に育てられなかったために、イタール氏の献身的な特殊教育にもかかわらず、ついに標準的な知能レベルに達しなかったと勘違いされているだろう。しかし真実は、自閉症児だったせいで10歳前後で両親に捨てられ、2年後に発見されたというのが真実らしい。

この本ではイタール氏の記録から読み取れる症状から、著者がそのことを論証している。19世紀当時は啓蒙主義全盛の時代だったために、人間らしい教育を受けなかったから「野生児」になった、という説明が受け入れられてしまった。現代に住む僕らでさえ、この説明にあっさり納得してしまうのだから、依然として僕らは啓蒙主義の強い影響下にあると言ってよい。

歴史上「野生児」と呼ばれた人々の多くは、自閉症や精神分裂病の患者であり、脳の先天的な器質的異常から、健常者と同じような社交的生活を送れないために、両親に遺棄され、結果として「野生児」と呼ばれるような境遇に陥ったとのことだ。なるほどそう考えると、トリュフォーの映画でも原案に忠実に描かれているように、ついに少年が社交性を獲得しなかったことも理解できる。

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2004/06/02

無駄なことは一つとしてない転職経験

■それにしても今まで在籍したそれぞれの会社で経験したことは、ひとつとして無駄になっていない。日々働きながらそう実感する。もちろん同じ会社で働き続けていても過去の経験は無駄になっていなかっただろうが、おそらく同じ会社で働き続けていたら、これほど多様な経験を積むことはできなかっただろう。

同じ問題でも情報システムを売る立場と買う立場の両方から考えることができるし、第二次産業と第三次産業の異なる観点から見ることもできる。その意味で、一つの会社に長く勤めた後に転職するというのは、僕が想像する以上に困難なことかもしれない。

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KDDI携帯をDDIのPHSに買い換えた

■KDDIの携帯電話をDDIポケットのPHSに買い換えた。最新機種である京セラのAir H" PHONEではなく、ひとつ型遅れの日本無線の製品を1円で購入した。Opera搭載は魅力だったが、PHSでOperaを使ってインターネットを閲覧するくらいなら、携帯用パソコンを買ってPHSをつなげばいいだろうと考えてのことだ。日本語変換の効率が三洋電機製のau携帯電話より悪いことをのぞいては、とくに不満はない。

この日本無線の機種はPOPメーラー搭載で、@niftyのメールサーバにPHSから直接接続でき、@niftyから携帯電話のメールアドレスへの転送設定が不要になった。この点は便利になったが、インターネット閲覧はSSL対応とは言え、内部の記憶容量の制限でiモード用サイト程度のデータ量のページしか閲覧できないので、いままでのau携帯電話でez webを使っていたのと変わらない。

PHSは電池のもちが良いので毎日充電する必要がなくなった。カメラ付きが必要ないなら日本無線のPHSで十分ということだろうか。ちなみにこの機種、発売当時パソコン接続用のUSBケーブルは別売だったが、今は無料の付属品になっている。販売店の店員はまだ別売りだと勘違いしている場合があるので注意されたい。

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順法精神の欠如をまだ自覚できない某メーカ

■勘のいい読者はすでにお気づきのように、このホームページの筆者は最近4度目の転職をして数週間前から5社目の企業に勤め始めている。今回の転職は仕事内容に関する理由からではなく、コンプライアンス上あまりに問題が大きすぎる企業で働き続けることに困難を感じたからだ。

もちろんそのために業績が悪化し、ドイツ資本の企業との提携で生き残りを図ったが失敗したという業績面もあるが、最近分社された事業部門で3年前に続いて再び法令違反が明るみに出、さらに今日、本体の方でまたもや大規模な違法行為と長年にわたる隠蔽が明らかになった。

今日の報道を聞いたときは文字どおり空いた口がふさがらなくなると同時に、退職を決意した自分の判断は正しかったと確信した。そして同じ過ちを繰り返すことでブランドを汚す彼らに怒りを感じた。やはりこの会社には根強い法令軽視の社風があったのだ。

退職する直前、たまたま個人情報保護法の対応策を話し合う本部内の会議に参加したのだが、その席で配布された資料にこの法律に関する明らかな誤りが数か所見つかったので、即座に指摘した。するとその資料を作成した担当者の上司が、あろうことか僕に対して大声で怒鳴ったのだ。「細かい字面にこだわるな!」と机を叩いて、である。

彼としては3年前の違法行為が念頭にあり、この法律に対応しようとやる気になっている部下の努力を無にしたくなかったのだろうが、そもそも法律に関する資料を事前に法務部にチェックもさせないようではコンプライアンス以前の問題だ。部下をかばうという身内の理論を無意識のうちに優先させていることに、この上司はまったく気づく様子がなかった。このような社風が疑問視されない限り、この会社は違法行為を起こし続けるに違いない。

ちなみに怒鳴られた一件をコンプライアンス室に相談したところ、部内のコンプライアンス責任者にまず報告して欲しいとのことで、つまりはささいな問題だという認識だった。コンプライアンス室としては、じっさいの違法行為に関する内部告発でない限り対応はとれないというのだ。違法行為を未然に防ぐのがコンプライアンス室の責務ではないのか。すでに起こっている違法行為を明るみに出すという当たり前のことさえ、わざわざコンプライアンスと呼ばなければ実行できないところまで、この会社の遵法精神は失われていたのだ。

この会社で働き続ける人々は、残念ながら組織の一員として遵法精神を疑われても仕方がない。個人の信条として組織ぐるみの違法行為に加担する意思がなければ、できるだけ早く辞表を提出するのが人間として正しい生き方だろう。

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