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2003年4月の記事

2003/04/24

電車の中で思わぬドイツ人

■会社から帰る電車の中でいつものようにMP3プレーヤを使ってドイツ語の勉強をしていたら、なんということかイヤフォンでないあらぬ方向からもドイツ語が聞こえてきた。プレーヤの音を止めて聞き耳を立てると「ganz」や「aber」、「alles」といった単語が辛うじて聞き取れる。たしかにドイツ語だ。

気づかれぬようそちらを見ると、若いドイツ人女性が二人、つり革につかまって雑談をしている。一人は典型的な赤毛でストレートのショートカット。もう一人は大きなウエーブのかかった真っ黒のロングヘア。ロングヘアの彼女はフランス語版『マリ・クレール』に登場してもおかしくないスーパーモデル風のシャープな顔立ちだったが、二人とも背はせいぜい160cmくらいだった。

郊外へ向かう電車で都心からすでに1時間離れているようなところに住んでいるドイツ人女性とは一体なにを仕事にしているのか。手にはカレンダーのような厚手の紙でできたA3サイズくらいの大きさの、まったく同じ薄い冊子を二人ともビニール袋に入れて下げている。二人はすでに埼玉県に入った同じ駅で下車した。電車の中でドイツ人に出くわしたのは初めてのことだ。

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2003/04/19

ドイツ語学習に「午後のこ~だ」活躍

■最近会社のドイツ語研修に参加し始めた。教材はHueber社のテキスト『Themen neu 1 Lehwerk fuer Deutsch als Fremdsprache Kursbuch』なのだが、配布された音声教材がCDではなくカセットだったので、仕方なく自宅のノートPCでライン入力からMP3に変換しようと、有楽町ビックカメラで一番良さそうなMP3録音ソフト『Audio Magic』(TDK株式会社製)を購入した。

自動で曲分割できれば随分手間が省けるだろうと思い、40曲まで自動分割できる『Audio Magic Studio』を購入したのだが、これが大失敗。語学教材なので曲間の自動識別が全く用をなさない。やむなくネット上であれこれ探し回ったら、フリーウェアでライン入力からMP3ファイルの切り刻みまでできるんじゃないか。

入手したのは『午後のこ~だ for Windows』『spwave』

『Audio Magic』は録音しながら他の処理をしないで下さいという注意書きがマニュアルにあったので、一旦録音を始めると何も出来ないし、出力ビットレートが96bpsまでしか下げられないし、自動曲分割で40曲を超えるとこともあろうに配列の引数制限を超えましたというプログラミング経験のある人間にしか分からないようなエラーメッセージを表示して落ちるし、いったん中間ファイルを作成してからMP3にエンコードするし、作成されたファイルの音質も悪いし、こんなものに6,000円払った私が馬鹿でしたと言いたくなるほど出来の悪いソフトウェアなので皆さんはゆめゆめ購入なさるな。

『午後のこ~だ』は録音しながら作業しても問題なし、音質も自由に選択でき、ビットレートも64kpsまで下げられ、言うことなし。MP3のフリーウェアがこれほど充実しているという情報を事前に仕入れておけば6,000円もの大金を無駄にすることはなかったのだ。

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2003/04/18

ホラー映画のせこい広告手法

■今朝あたりからホラー映画に本物の幽霊が映っているというニュースが、朝の芸能情報でも、Yahoo!Japanのニュースでも報道されているが、宣伝のためのデマ決まってるだろうが。朝食を取りながら見るテレ朝『やじうまプラス』でも素直そうな某男性アナウンサーが毎度ながら薄っぺらな説明で、このデマをまことしやかに解説していたが、聞いたことを鵜呑みにして伝えるだけなら誰でもできる。

件の映画が香港・タイ合作で、ハリウッド映画ほど広告宣伝費をかけられないために、「劇場では恐怖のあまり途中退場する観客が続出している」といったデマを思いついたと考えるのが合理的だ。こんなデマが功を奏して観客動員数が上がったとしたら、日本の大人たちは「内容がバカらしいから」という理由で「クレヨンしんちゃん」を小学生に見せたくない番組の筆頭に上げても、その言葉に何の説得力もない。

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2003/04/15

t.A.T.uと林明日香

■やっぱりロシア人女子高生レズビアン・コンビのt.A.T.uでしょう。公式サイトで"All the things she said"と"Not gonna get us"の2曲のPVが見られますが、こういうミーハー路線の洋楽は大好き(ウソぴょん)。そして何と言っても林明日香『母』。2003/04/14オンエアのHEY!HEY!HEY!でトークがあんなに短かった理由は、しゃべらせるとあまりに普通のチュー坊だからかも。せっかくインパクトのあるルックスしてるんだから、もうちょっと衣装とかシャベリまで演出してあげればいいのに。

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矢野龍渓『経国美談』

■矢野龍渓『経国美談』(岩波文庫)の上巻をほぼ読み終えた。解説によればこの漢文書き下し文体の小説は、龍渓が英国の正史文献を参考にしつつ、古代ギリシアの歴史を『太平記』風の小説にして民権伸張、憲政擁護を鼓吹することを狙ったとのこと。坪内逍遥の『小説神髄』が出る前、明治十六年の作である。

物語は、スパルタの侵攻により寡頭政治に堕したセーベ(テーバイ)を、アゼン(アテナイ)に難を逃れた有志者たちが数年間機の熟するを待って一計を案じ、民政に復帰させるという勧善懲悪の筋で、全くつまらないが、漢文脈のスピード感は読み進めるうち癖になる。

「斯クト見ルヨリ、奸党等ハ絶驚狼狽シナガラモ、兼テ坐辺ニ備ヘ置キタル短剣ヲ抜キ合セ、早ヤ組付カント、飛ビ入リタル有志者ニ、渡リ合イ、刺シ傷ケント、揉合フタリ。十二名ノ有志者等ハ、国ノ為メ、又世ノ為メニ、積モリ積モリシ、多年ノ鬱憤幾ソ干ゾ、ソノ艱難モ、皆是レ奸党ノ為ス業ニテ、今其仇ニ、面リ近ク、出逢フコトナレバ、春待チ得タル優曇華ノ花、咲キ出ル心地シテ、勇気日頃ニ、百倍スレバ、何カハ以テ堪ルベキ、ペロピダス、セヲポンプスノ両人ハ、難ナクポーリアルチ、クリチアースヲ組伏セテ、直チニ縄ヲカケタリケリ」(202-203頁)。

でもさすがにこの調子で下巻まで読もうとは思わない。こうなったら次は成島柳北『柳橋新誌』か。どんどん時代を遡っているような気がして明治二十年代からこちらへ戻って来られなくなりそうなのだが。「橋、柳を以って名と為して一株の柳を植えず。旧地誌に云う、其の柳原の末に在るを以ってなづくなりと。而して橋の東南に一橋有り、傍に老柳一樹有り。人呼んで故柳橋と為す。或ひと云く、其の橋柳有れば即ち往昔の柳橋にして、今の柳橋は即ち後に架して其の名を奪う者と。其の説地誌と齬すなり」(『柳橋新誌』冒頭)。まあ四方田犬彦の『月島物語』とあまり変わらないかもしれない。

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『英語でしゃべらナイト』に出演

■来週2003/04/21のNHK総合テレビ『英語でしゃべらナイト』という湿気た英会話番組に顔を出すことになっているのだが、昨日放送分の次週予告に数秒間だけ映っていたらしく、職場の上司がビデオに録画して持ってきたのをオフィスのテレビデオで見ていた。

僕は飽くまで脇役での出演なので、尺はそんなにないと思うが、このホームページの文面から想像たくましくした筆者像をブチ壊しにしたくない人、および、川島なおみの「濡れた仔犬の匂いのような」似非ソムリエぶりが大嫌いだという人以外は、ぜひ来週のオンエアをお見逃しなく。

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2003/04/13

山本七平『空気の研究』と日本企業の国際化

■なぜか今ごろ(というようなことを言い出すと本を読むのに適当な時期があるのかという話になってしまうが)山本七平『空気の研究』(山本七平ライブラリー・文芸春秋社)を読み始めた。意思決定を「空気」や雰囲気のせいにしてしまう日本人の無責任さは、物神化を手段とする価値の絶対化にあるという明快な分析を読んで、真っ先に僕の頭に浮かんだのは日本企業の現場絶対主義である。「そんなきれいごとでは現場が動かない」「現場の声を知らないからそんなことが言えるのだ」などなど。

僕は会議でこれらの意見を聞くたびに、現場とは誰のことなのだと反論したくなるが、会議の「空気」がそうさせない。日本企業は「現場」を物神化し、絶対化してしまったのではないか。変革を言い出せないのは「現場」のせいだというが、「現場」は特定の人物のことではない。

福沢諭吉の啓蒙主義は日本における物神化・絶対化の問題(「神社のお札をふむと罰が当たる」など)そのものを批判によって解決しようとせず、単に否定しただけに終わったので、教育勅語や天皇の肖像など新たな物神化をもたらし、「空気」の支配を強化する結果になったという指摘は興味深い。結局、現代にいたるまで日本に相対化の思想は根付いていない。最近は「グローバリゼーション」が新たな「空気」になっているのではないか。

ただし僕個人は日本人が相対主義や批判をわがものとし、日本から「空気」を一掃できると考えるほど楽観的ではない。したがって「空気」を意図的に利用することも場合によっては必要だと考える。

というのは、日本企業の組織改革がときに個々の企業内の組織改革ではなく、まるで日本人そのものの改造を目指しているかのように見えることがあるからだ。より合理的で透明な経営判断が、より迅速に行われるように組織を改革すること自体は結構な話なのだが、その組織改革の議論が日本人論のような大げさなものになるのは馬鹿げている。

一私企業の組織改革に日本社会全体の改革が必要だなどと言い出した途端、組織改革は永久に到達できない目標になってしまう。むしろ既存の組織や経営体制を根本的に批判することはあきらめて(そんなこと十年やそこらで出来っこないのだから)、「グローバリゼーション」を物神化することでそれらをただただ否定するしかないのではないか。

日本人会社員がみな山本七平のようにユダヤ文化に造詣が深く、「空気」を相対化できるのであれば、「グローバリゼーション」の物神化はただ害悪をもたらすだけだが、所詮日本人は時代ごとに何かを強制的な「空気」として物神化・絶対化することでしか生きていけないのではないかと僕は考える。これは日常的に日本企業で西洋人と業務改善の仕事をしていることから帰納的に導き出される結論である。

西洋人は根本的で合理的な批判によって、日本人の「現場」や「実情」という言い訳を捨てさせることができると信じているのだが、それは「空気」といった物神化の文化を持たないが故の楽観主義だと考えざるを得ないのだ。

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2003/04/11

自宅に無線LANを導入

■ところで最近、自宅のパソコンをノートPCに買い換え、無線LANを導入した。基地局の設定に2時間もかけてしまったが、最終的には自宅内ならどこでもネット接続できるようになった。念のため基地局は特定のMACアドレスのネットワークカードしか接続できないようにし、なおかつ暗号化もしておいた。電源コードだけはどうしようもないが、食卓でノートPCを開いて作業するのがいちばん落ち着くし、何よりデスクトップPCのファンの騒音から開放されたのがうれしい。

Windows98 SEがWindowsXPになって起動時間が短縮され、かつ、動作が安定したことも良い。ちなみに購入したのは有楽町ビックカメラでダンボール箱が山積みになっていた安売りのNEC LaVie LL500/4、IEEE 1394端子付き、CD-R/Wドライブ付き14インチ液晶の条件では、最安値で買えたのではないかと思う。

ちなみに不要になったSOTECのデスクトップ(Celeron533MHz)はビッダーズで売りに出しているので、ほしい方はこちらをクリック。カノープスのDV Raptorなんかが付いたままだったりするので、実は相当お買い得だったりする。DV編集をハードウェアで計算するので、フェイドなどの効果のレンダリングがCeleronにしては結構高速なのだ。

■先日のエッセーに僕の実家が某新興宗教を信仰していると書いたら、新興宗教、すなわち、統一教会や旧オウム真理教などのカルト教団で、僕の両親がいかがわしい集会所で音楽に合わせて踊りながらお祈りでもしているように誤解している人がいるようなので、念のためにここで補足しておこう。

ところで、日本人はかくも宗教に疎いのだから、米国がイラクで行っていることがいかに独りよがりであるかを理解できないのも無理はないのだが。それはいいとして、新興宗教とは、仏教、キリスト教、イスラム教など、千年以上前から地球上に存在している宗教以外のすべての宗教のことである。インターネット上のとあるサイトから、日本の新興宗教の名前をいくつか列挙してみよう。天理教、金光教、大本教、生長の家、崇教真光、PL教団、創価学会、霊友会、立正佼成会などなど、これらはすべて新興宗教だ。

ところで僕自身の宗教観はといえば、くだんのエッセーに書いたばかりなのでそちらをご参照いただきたい。ひとことで言えば、僕はデカルトの省察よろしくすべてを疑問に付すことが信念なので、その帰結として、特定の宗教を信仰できない人間になっている。すべてを疑わせる「良心の声」を神の声と呼びたい人がいるなら、呼べばよいという程度のことだ。

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2003/04/09

今日は相当下らないことを書くので

■今日は相当下らないことを書くので、覚悟してほしい。駅で電車を待つとき、僕は律儀に各車両の扉の位置を示す印のところに立つのだが、プラットフォームの端ぎりぎりではなく、たいていは目の不自由な人のための誘導ブロックよりも内側に立つ。後ろから「善意の」酔っ払いに衝突されたぐらいのことで線路に転落して死ぬのが馬鹿らしいので、少なくともあと一歩はふんばれるだけの距離を残しておくためだ。そこへ同じ扉から乗りたいらしいサラリーマンが歩いてきて、先に待っている僕に並んで立つことがよくあるが、そのとき、必ずといっていいほど僕よりもホームの端に近い位置に立って、「俺が先に乗るんだ」と言わんばかりに股を広げて、自動車でいう「幅寄せ」をしてくるのだ。ほんとうにこの現象は相手が男性会社員であれば、ほぼ100%の確率で起こると言っていい。この現象に気づいてから、僕は扉の位置をしめす扉のど真ん中へ、両脚を開き気味に「先に乗るのは俺だ」という気持ちで立ってみたらどうなるだろうと実験してみた。すると不思議なことに、たとえ立ち位置が誘導ブロックより後ろであっても、後から来て僕より前に立とうという男性会社員はいなくなった。そこで再び以前のように遠慮がちに立つようにすると、後からやってくる男性会社員はがばと股を広げて、じゃまだと言わんばかりに立ち止まる現象が再現できる。これは電車を待つ場面に限った話ではなく、やや混雑した車内に立っているときも、座席に座っているときも、男性会社員の集団にもまれている場合はつねに観察される現象で、例外なく少しでも自分をより強く見せようという虚勢が働いているようなのだ。座席が一つ空いて、そこへ腰をかけるときも、わざわざ勢いをつけてどっかと座り、肩幅をつかって両隣の乗客を威圧する。通路に立っていれば、そのときはそのときでわざと通路の半分以上を占有するように立ちはだかる。こんなどうでもいい日常生活の場面でさえ、汲々とした縄張り争いをせずにはいられないのは、おそらく男性会社員の悲しい性とでもいったものだろう。会社で一秒の油断もならず既得権益の維持に神経をすり減らしているため、他人を威圧することが年齢とともに縮小する脳みそに刻み込まれてしまっているのだ。いい加減、日本の男性会社員も会社における地位にしか人間としての存在価値を見出せないような貧困な生き方からは卒業してもいいと思うのだが、会社から一歩出ても会社の中でのようにしか振る舞えないのは、まったく哀れとしか言いようがない。やはり彼らはリストラされて会社から放り出されるまで、自分の存在の卑小さに気づくことはないのだろう。

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2003/04/06

今日の日経朝刊「春秋」欄が花見の場所取りをさせられる新入社員の姿に

■今日の日経朝刊「春秋」欄が花見の場所取りをさせられる新入社員の姿に、旧態依然たる日本企業の人材浪費を嘆いていたが、ことは花見だけでない。部下を無意味な雑用や休日出勤に駆り出すことで、自分の権威を誇示したがる日本人上司というのはどこにでもいるものだ。三井住友化学の合併頓挫でも経済合理性より自社の権威の誇示が優先された結果のようだ。時価評価額で二倍の住友に対して、三井の経営陣が対等合併に固執した。花見の場所取りでは新入社員が同じ時間を使って、教育・研修を受ける機会を損失しており、三井住友の合併頓挫では二年間以上にわたって合併業務にたずさわってきた社員の人件費などの費用だけでなく、モラールまでが犠牲にされている。そうすることでかえって自らの権威が失墜することさえ予想できないほど、おじさん世代は追い詰められているのだろうか。悲しくさえある、非合理性である。
■宇野浩二『枯木のある風景』『子の来歴』、ゴーゴリ『外套・鼻』を読んだ。宇野浩二については対象との冷徹な距離感がよい。ゴーゴリについては饒舌体やシュールな物語の魅力。自分にとって未知の名作がまだまだあると思えば、人生も捨てたものではない。

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