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2002年8月の記事

2002/08/26

企業におけるITを活用した業務効率化は究極的には何のためかと問われて何と答えるか

■企業におけるITを活用した業務効率化は究極的には何のためかと問われて何と答えるか。最近の企業経営者なら「利益の最大化」、もう少し穏やかでも「適正な利益をあげること」と答えるだろう。資本主義のグローバル化は企業から利益の最大化(あるいはフリーキャッシュフローの最大化)以外の経営目標を奪ってしまったように見える。その結果、日本では大量の失業者が生まれ、生活の不安定な人々による犯罪の形で失業の社会的コストをじわじわと払わされつつある。個々の民間企業が効率経営を追求した結果生じる、このような社会的コストはいったい誰が、どういう形で負担させられるハメになるのだろうか。そもそもこうした社会的コストを数量化した上で今の社会(マスコミ?米国?)は企業に利益の最大化を推奨しているのだろうか。環境悪化で刑務所を建設しようと候補地を探したところ、自ら立候補する地方自治体が出てきたという。刑務所の建設はイメージの悪化が避けられず、昔なら考えられなかったことだという。刑務所を誘致しなければいけないほど、経済の原理が支配する世界になっているのかと思うと暗澹たる気分になる。

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2002/08/25

日経朝刊に蓮實重彦の現代日本批判

■今朝の日本経済新聞朝刊、文化面に前東大学長・蓮實重彦の文章が掲載されている。停滞する現代の日本社会を評して「そんな愚かなことはすべきでないという一言を回避しながら、無駄なエネルギーの浪費を労働の実践と勘違いすることで安定してしまう社会」、「そんな社会に欠けているのは『知性』にほかならず、その欠如は、『変化』の導入をいたるところで抑圧してまわる」と書いている。

本文を読んでいただければ分かるように、氏の省察は主に外貨をめぐってのものだ。知性の軽視が背景にあることは確かだが、一例として外務省の悪名高い体質はその源流に日本の近代化を支えた知性があることを忘れるわけにはいかない。知性を重視することが誤ったエリート意識をはぐくまないようにするためには、知性を担う側の倫理観こそ問われているわけだが、もしかすると『知性』に対する畏敬の念をもっとも欠いているのは、外交官を多数輩出している東京大学法学部ではないのか。

そして一方では誰もがたいした努力もなしにその『知性』を担いうるという誤った平等主義があることも事実だろう。平準化された、もはやそれを『知性』と呼び得ないような知性の普及に役立っているのが『サンデーモーニング』に代表されるようなマスコミであることは間違いない。

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2002/08/18

『サンデーモーニング』の牛肉買取偽装問題報道

■やはりTBS系『サンデーモーニング』のディレクターはさまざまな問題に関する洞察力のレベルが低いようだ。日本ハムの牛肉買取り偽装問題について、消費者の日本ハムに対する怒りの声に焦点を当てていたが、本質的な問題点を完全にはずしている。

狂牛病騒動に対して農水省が300億円の税金を投入して買取り制度を導入したが、当初買取り申請に必要だった牛の解体証明書を族議員の圧力で不要にするなど、農水省は偽装を許す方向に制度を意図的に甘くしたのだ。農水省がわざわざ抜け穴を用意することで、業界に対して買取り制度を悪用するように教唆したと言ってもよい。

逆説的な言い方をすれば、業界最大の日本ハムがその教唆に乗らないのでは、せっかく抜け穴を用意させた族議員の顔が立たない。そこにあるのは政・官・業一体の八百長試合であって、「消費者の信頼を裏切った日本ハム」という部分だけを切り出すのはとんだ検討違いだということがわかるだろう。

日本ハム製品を撤去する小売店もその検討違いに流されているだけということになる。というのは日本ハムの偽装は「本来安全な牛肉まで政府に買い取らせた」というものであり、BSEのおそれのある範囲以上の牛肉を余分に処分したということだ。つまり日本ハムの販売する製品は制度の悪用によって「必要以上に安全になった」ということなのだから、消費者に対する食肉の安全性を基準にするなら、日本ハムの製品を撤去するのは理にかなっていない。果たして単なる社会的制裁という意味で小売店が自主的に日本ハム製品を撤去するのは正しいことだろうか。

あるテレビ番組で高田万由子が指摘していたのだが、結果として撤去された大量のハム・ソーセージは食肉として何の問題もないはずなのに処分されてしまう。むしろ小売店は日本ハム製品を販売しつづけ、購入するかどうかの判断は消費者にまかせるのが正しいやり方ではないのか。

安全なハム・ソーセージが単に日本ハムという一企業を社会的に制裁するためだけに大量に処分されるという「ぜいたく」について、僕ら日本人は責任を感じなくてもよいのだろうか。こういう「ぜいたく」といった感じの切り口の方がよほど『サンデーモーニング』らしいと思うのだが、おそらく同番組のディレクターは所詮バラエティーのディレクターなのでそこまで考える洞察力がないのだろう。あるいはTBS全体の報道力が低下しているということか。

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2002/08/16

CAMEDIAのテレビCMでバズーカのような望遠レンズがマウントされた銀塩一眼レ...

■CAMEDIAのテレビCMでバズーカのような望遠レンズがマウントされた銀塩一眼レフをもった外国人の男とCAMEDIAの8倍ズームディジタルカメラをもったタッキーが、望遠レンズで遠くの標的に描かれたイラストの模様をのぞいて正しく答えた方が勝利(?)という内容のがある。CM的にはタッキーが勝ちにならなければおかしいのだが、現実に同じことをやったら間違いなく一眼レフの勝ちだ。CAMEDIA C-700 UltraZoomを使っていたことがあるが、オートフォーカスの合焦速度がAF一眼レフと比べると比較にならないほど遅いし、カメラのAFが迷ってなかなか合焦しないことがある。銀塩一眼レフに買い換えて最大の変化の一つは構図を決めてからシャッターを押せるまでの時間が短いということ。もちろん構図に悩む時間は増えたが、AFの合焦に待たされることがなくなった。ディジタルカメラ以前から銀塩一眼レフを使っていた人にとっては当然のことなのだろうが、デジカメから銀塩に持ちかえた僕にとってはEOSの合焦速度は小気味よいのだ。要するにあのテレビCMは大ウソだということが言いたかった。

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2002/08/12

『草原のマルコ』のリアレンジ要望

■近頃なぜかお気に入りの歌に『草原のマルコ』というアニメ『母を訪ねて三千里』主題歌があるのだが、誰か歌詞を変えてリメークしてくれないだろうか。たとえばこんなふうに。壮大なAメロはギターのアルペジオにストリングス伴奏で『アランフェス協奏曲』風に、力強いBメロは打楽器の低音が腹に響く重厚なテンポで。

とにかくAメロが良い。インターネットで調査したところ作曲者の坂田晃一氏は1960年代後半から70年代後半まで40本近く日活の映画音楽を担当しており、大部分がポルノ作品。それが1970年代なかばになぜか高畑勲作品『母をたずねて三千里』の音楽を担当、1984年には『おしん』の映画音楽。欲情を煽る音楽と涙を誘う音楽に共通点があるのか知らないが、『もしもピアノが弾けたなら』も氏の作曲。ではみなさんご一緒に。さん、はい、「はるかぁ~そぉ~げんにぃ~」。

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2002/08/09

『日経ビジネス アソシエ』時代錯誤の理想の社員像

■日経BP社のWebサイトBizTechに『日経ビジネス アソシエ』9月号の記事が抜粋されていた。題して「自分自身を“V字回復”させる!夏休み活用術」。某化粧品メーカ子会社の弱冠39歳の社長はわずか4日間の夏休みに1時間刻みのスケジュールをたてて自己啓発に取り組むのだという。家族も気をつかって彼が1人きりになれるように帰省するのだそうだ。

昔はこういう人物こそまさに社員の鏡だったが、仕事とオフで気持ちの切り替えができない人物、家族との時間を犠牲にするワーカホリックを、今さら「理想的な社員像」として取り上げる日経BP社の時代錯誤ぶりには、まったくあきれるより他ない。たしかに僕だって彼のように往復の通勤時間を無駄にしないために語学やIT関連の専門技術の勉強時間にあてているし、休みの日でもふと気がつくと仕事上の課題について考えていたりすることもある。しかしもっと大きな観点から生きることの意味を考える時間も人間には必要だ。だから音楽も聴くし、小説も読む。本当の意味での「哲学」を欠いた人物が、生身の人間である従業員や消費者を相手に、果たして成功できるのか。きわめて疑わしい。

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2002/08/08

Yahoo!Japanに掲載されていた毎日新聞の2002/08/08付けニュース...

■Yahoo!Japanに掲載されていた毎日新聞の2002/08/08付けニュースによれば、国立社会保障・人口問題研究所の試算によると日本の自殺者が日本のGDPに与えるマイナス効果は年間1兆3000億円、日本では失業率が高くなった時期に自殺者が増加するのに対して、国家的に自殺予防対策が講じられているスウェーデンでは失業率が上がっても自殺者が減少しているとのこと。かつて密かに優性思想が根強かったと言われるスウェーデンの予防対策なので素直に称揚できないし、失業による自殺者増に国家が対策を講じるのは高度経済成長時代の公害問題と同じく、民間企業が放置した問題を国家が税金を使って尻拭いするだけになる。民間企業にとって従業員の心の問題を放置するのが不利益になるような制度を作ることが必要だ。すべての企業に創業以来の総従業員数に対する総自殺者数の割合を公表することを義務付けてはどうだろうか。

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2002/08/07

先日テレビで大手コンピュータメーカ提供のドキュメント番組を観ていたら

■先日テレビで大手コンピュータメーカ提供のドキュメント番組を観ていたら、名古屋に本拠をおく典型的な年功序列制度の外食産業のレストラン部門に、社外からスカウトされた事業部長がかなりラディカルな成果主義を導入して180%の制度転換に社員が当惑する様子が放映されていた。成果主義はたとえば売上高など数値化可能な成果測定基準を決められさえすればバカでも導入できる。数値だけで人事評価を決められるのだから余計なことを考えずに済み、経営者にとっては非常に運用の楽な制度だ(「心が痛む」ということはあるかもしれないが)。しかし成果主義は社員が一度失敗して降格・減給されたが最後、その社員のモチベーションを回復することが極めて難しい。その社員はますます落ちこぼれになり、早晩自己都合退職せざるを得ない立場に追い込まれる。つまり日本のように労働市場が流動的ではない環境においては、番組で取り上げられていたラディカルな成果主義は人員整理の手段にすぎないのだ。おそらく番組中のあの事業部長はこのことを全く理解していない。流行だからと成果主義に飛びついたものの数値化可能な測定基準を案出できないなどという成果主義導入は論外だが、たとえ数値化可能な基準が決められたとしてもラディカルに降格人事を断行するのは、人間が成果をあげようという気になる「動機付け」という心理的側面を完全に無視した愚行である。ラディカルな成果主義を安易に導入する経営者は、複雑なことを考えるだけの能力がない人間だと考えて間違いない。
■ついでに先日まで日本経済新聞の朝刊1面左上に「いつまでも正社員による会社経営にこだわっていてはダメだ」という主旨の連載があった。ここでわざと「ダメだ」というあいまいな言葉で要約したのは、この連載がほとんど読むに耐えない日経記者の自己満足的連載だったためである。この連載ではしきりに正社員よりも派遣やパート・アルバイトへの権限委譲による有効活用、あえて派遣という労働形態を選択する人々の肯定的なコメントが、新左翼のパンフレットを読んでいるのかという錯覚におちいるほどイデオロギー的に書かれていた。この連載の執筆記者のみなさんにひとこと言いたい。「じゃああなたたちが真っ先に日本経済新聞社に辞表をたたきつけてフリーライターになりなさい」と。それくらいの覚悟がないなら経営側の御用記者のような記事は書かないでほしい。個人的に思うのだが、社会にとって雇用がもつ意味は経済的なものだけではない。治安のよい安全な社会を維持するために雇用の安定性は必須である。社会学的な観点もふくめた大きな枠組みで雇用問題をとらえられない人間に「さらば正社員」などといった主旨の記事を書く資格はない。

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2002/08/06

転職の面接で「あなたの短所は何ですか」と聞かれたら何と答えればよいか

■転職の面接で「あなたの短所は何ですか」と聞かれたら何と答えればよいか、最近転職を考えている職場の同僚(正社員ではなくて派遣社員なのでここに書いても問題ない)から質問をうけた。そこで次のように答えた。(1)まず自分の長所をならべる(2)そのうち「~すぎる」という言葉を付け加えておかしくないものをピックアップする(3)それを自分の短所として答える。例えば「論理的にきっちりと考えること」が自分の長所だとすれば、「論理的にきっちりと考えすぎることです」と答えればよい。短所の質問に対して下手に自分の弱点をさらけ出すのではなく逆に自分の長所をアピールする面接テクニックだ。

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2002/08/01

住民基本台帳ネットワーク導入について矢祭町が個人情報保護法が成立しない限り参加し...

■住民基本台帳ネットワーク導入について矢祭町が個人情報保護法が成立しない限り参加しないと表明したことが全国的に波紋を広げているが、そもそも住基ネット導入には保護法成立が前提というロジックがかなり屈折しているように思えるのは僕だけだろうか。確かに住基ネット導入がモラルの低い地方公務員による個人情報の漏洩を招く可能性はある。しかし漏洩されたからといって必ずしも情報を漏洩された個人にとっての不利益になるとは限らない。住基ネットから個人情報が漏洩すること自体が問題なのではなく、漏洩した情報が特定個人の不利益につながることが問題なのだ。逆にいえば保護法案を提出した議員の頭の中では、漏洩=個人の不利益という等式ができあがってしまっているということだ。この等式を前提とする限り、個人が不利益をこうむることを防ぐには漏洩自体をなくす必要がある。このとき処罰されるのは情報を漏洩した主体だ。しかし別の考え方もあるだろう。情報を漏洩した主体ではなく、漏洩した情報をもとに特定個人に不利益を与えた主体を処罰する考え方だ。個人が何らかの不利益をうけたとき、その根拠となる個人情報がどこから漏洩したかを探し出すのは現実的に非常に困難だし、まして誰が漏洩したか、その責任を一人の人物に特定するのはほとんど不可能だろう。これではせっかく保護法が成立してもほとんど実効のない法律になってしまう。ならばむしろその個人に直接不利益を与えた主体を処罰すべきではないか。そして不利益を与えた主体の方に「自分は通常知りえない個人情報をもとに行動したのではなく、他の合理的な根拠で行動した」ということを証明させるよう義務づける内容の法律にすればよい。そうすれば不利益を与えた主体、つまり処罰の対象は捜査するまでもなく明らかだし、個人情報の漏洩源を捜査する必要もないし、誰もが「通常知りえない個人情報」を知ろうとしないような心理的効果を与える効果もある。誰も「通常知りえない個人情報」を知りたくなくなれば、個人情報を漏洩すること自体が割りに合わなくなるので漏洩行為をする人もなくなる。このように考えれば漏洩自体を防ごうとする個人情報保護法案は無意味ではないかという気がしてくるのだが。

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