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2002/04/29

今朝の日経で目に留まったのがペイントハウスが従業員定着率向上のため給与体系の見直...

■今朝の日経で目に留まったのがペイントハウスが従業員定着率向上のため給与体系の見直しなどに取り組むという記事。同社は「歩合制による徹底した成果主義で急成長を遂げてきたが、一方で入社一年以内の離職率が50%を超えている。継続的な事業拡大を狙うには人材の定着が欠かせないとみて、給与体系の見直しなどに取り組む」。昨年から段階的に「基本給を12万円から20~25万円とし、固定給の割合を従来の平均2割から4割に引き上げ」ており、「営業拠点の管理職に対する研修や社員向けの相談窓口を設け、継続して勤務しやすい体制を整える」(8面)とのこと。同社の経営者は会社にとってのいわば折り返し点を的確にとらえて安定成長へのハンドルを切りつつあるようだ。ちなみに同社の創業は1988年で、昨年に店頭市場公開を果たしている。創業年数や公開・非公開にかかわらず、企業が成長のために人員を急増させると組織面の問題が必ず生じる。第一に人は金銭的な報酬のためではなく、正当な評価を得て自己実現の実感を得るために働いている。だから鼻先にニンジンをぶら下げる方法は長続きしない。逆にあまりに年功的な給与体系では優秀な社員から逃げていく。第二に、同じ日本国内とはいえ会社による文化・社風の違いは意外に大きい。中途で採用した社員を自社の社風に同化させるには、それなりの研修制度や会社として精神面でのサポート体制が必要。ペイントハウスはこの2点について対策の必要性を自ら認識し、実行に移せているということなのだろう。もちろん他方ではまったく対策がとれない企業があるという意味なのだが。日本企業は少子化のため中期的には中堅社員の絶対数が不足することは確実である。いまから社員の定着策をはかっておかないと10年後には人不足で営業規模を維持できないなんてことになりかねない。

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2002/04/28

人は現実だけで生きることはできない

■人は現実だけで生きることはできない。現実逃避的な行動は無責任さの証拠ではなく、一人の人間の有限な能力の範囲内で現実に対して責任を果たすために必要な基盤のようなものだ。現実の「外部」なしに現実の「内部」は存在しない。外部を切り離された現実はそれまでは内部であったところのものの内部に外部を強引に産み出そうとする。

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2002/04/27

昨日のテレビ東京ワールドビジネスサテライトで元財務官の榊原氏が小泉首相を評して構...

■昨日のテレビ東京ワールドビジネスサテライトで元財務官の榊原氏が小泉首相を評して構造改革をダシに使った自民党タカ派内閣だ、と述べていた。なるほど。首相就任以前、小泉氏は構造改革を政治理念に掲げたことは一度もなく、ただライフワークとしての郵政3事業民営化を繰りかえし主張していただけ、とのこと。小泉氏はそもそも構造改革を本気でやるつもりは毛頭なく、単にそれを支持率維持の道具として使い、本当に実現したかったのは60年安保の時代に防衛庁長官であった父・純也の遺恨である有事法制の実現や、個人情報保護法(別名「メディア規制法」)。たしかに道路公団をはじめとする構造改革の進捗がはかばかしくない一方、有事法制や個人情報保護法は「順調」だ。僕らは小泉首相のようなマスメディアの操縦法が、タカ派の典型であることをこの際、よく学んでおく必要がありそうだ。

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2002/04/24

文部科学省の諮問機関・文化審議会が世界的に評価が高いアニメーションを新しい芸術と...

■文部科学省の諮問機関・文化審議会が世界的に評価が高いアニメーションを新しい芸術として奨励していくべきだとの答申をまとめたとのこと。ちなみに会長は高階秀爾氏。ジャパニメーションは日本が誇る芸術だという自負も国内で生まれつつある。たしかにこれまで不当におとしめられてきた分の名誉挽回は必要だが、他方で同工異曲の模造作品が濫造されているのも事実だ。妙な(多くの場合露出度の高い)コスチュームを着た女の子が超能力の助けを借りて地球を守るという紋切り型。それによって生まれる超短寿命のアイドル声優。ジャパニメーションが日本にとってそれほど重要な芸術なら、宮崎駿や大友克洋はじめ一握りの作家だけが名声を独占している状況は異常だ。国家的芸術というにはあまりにそれを支えるクリエーターの層が薄い。なぜか。優秀な人材がアニメーションを職業として選択するインセンティブが働かないからだ。どちらかといえば自らアニメーションに現実逃避し、実業に無関心な人々が業界予備軍となっている。その状況が変わらない限り早晩ジャパニメーションは飽きられるだろう。

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2002/04/22

『コーポレート・カルチャーショック 組織異動からのサバイバル』

■普通の会社員よりも転職経験が多いせいか、企業における異文化体験について以前からよく考えることがあった。最近ずばりそのテーマに当てはまる書物を見つけたので読んでみた。『コーポレート・カルチャーショック 組織異動からのサバイバル』という英国の元コンサルタント、現大学教授の執筆した本である。日本語副題やカバーの稲光のイラストがものものしいが中身は節度ある研究書だ。

筆者独自の議論が展開されているというよりむしろ、企業を中心に組織内部に起こる異なる文化的背景を持つ構成員同士の文化的対立や摩擦についての、さまざまな学説を手際よくまとめた論文。最終章には筆者のコンサルタントとしての経験から、企業内部の文化的な摩擦を最小限におさえるための実践的なアドバイスが列挙されている。

さまざまな組織類型が紹介されているので、自分の勤務している会社がどれに当てはまるか考えながら読むとなかなか面白い。以前にもここに書いたかもしれないが、企業研究というと特定の有名企業に焦点を当てたものばかりで、多数の企業をサンプルとしていくつかの類型に分類するアプローチの書物がほとんど存在しないことが不思議でならなかった。これは僕が初めて出会った、企業を企業文化(社風)の観点から類型化している書物である。

終身雇用を前提に特定の企業の文化にどっぷりはまってそれを相対化できていない周囲の同僚たちを歯がゆく思いつつ日々仕事をしている中途採用者の方々にはおすすめの書。いつか僕が現在勤務している企業を極めて冷静に分析したケーススタディーとともに、この書物の内容をもう少し詳しくご紹介したい。

今は『人月の神話 狼男を撃つ銀の弾はない』(増訂版)と『経済幻想』を読むのに忙しい。そういえば山田美妙『武蔵野』、川上眉山『書記官』『うらがえし』の感想(もう批評は書けないかもしれない)を書き忘れている。そのうち書かなきゃな。

こうして凡庸さに堕していく自分が恐ろしくて仕方ないのだが、まだ凡庸さの自覚があるだけましだと慰めなくてはならない。テリー・イーグルトンの『イデオロギーについて』もあまりグッと来なかったし。いったい今、僕は何を読むべきなのだろうか。

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2002/04/20

初めての東京国際ブックフェア

■初めて東京国際ブックフェアに行った。最近よくゆりかもめに乗って東京ビッグサイトを訪れている気がする。JR新橋駅からゆりかもめ乗り場へ上がるエスカレータの下で割引券を配っていたので当日券1,200円のところ800円で入場できた。

会場に入るとすぐ人文・社会科学書の出版社ブースが目白押し、古書でない本が2割引で買えるというので、河出書房新社では『差異と反復』や『千のプラトー』には目もくれず話題の『インストール』を手にとっては「ま、いいか」、国書刊行会では吉屋信子『花物語』復刻版の上・中・下やイタロ・カルビーノ、レムの『完全なる真空』を手にとっては「ま、図書館で借りられるか」、藤原書店ではブルデューの『ディスタンクシオン』を手にとっては「ま、今さら読んでどうなるもんでもないか」、白水社ではフランス語の学習書を手にとっては「ま、今からフランス語を鍛えてどうなるでもなし」、みすず書房では『イデーン』やメルロ・ポンティ全集をぱらぱら立ち読みしながらも「ま、学生時代の良い想い出やね」、大修館書店ではドイツ語辞典を懐かしく眺め、結局買ったのはフランス人人類学者エマニュエル・トッド氏による反グローバリゼーションの書『経済幻想』(藤原書店)1冊だけ。定価3,200円を汚れ・キズあり特価1,000円で購入したので、自宅から往復の電車賃+入場料を上乗せしても元は取れた。

本来は洋書のバーゲン目当てだったが、マンキューのマクロ・ミクロ経済学教科書があったくらいで、ペーパーバックも、コンピュータ関係書も、めぼしいものは何もなし。4日間開催で木・金が業者のみ、土・日が一般公開日だが、人の多かったこと。

人文・社会科学書は展示スペースからするとごく一部で、児童書やデジタル・パブリッシングのコーナーもあり、家族連れも目立った。角川や講談社などの大手はさすがに大きなブース。大前研一や里中満智子がサイン会をやっていたり、お祭りの雰囲気に何故かキリスト教の尼僧さんの姿が目についた。たしかにキリスト教関連書専門の出版社ブースもあった。ついでに幸福の科学もあった。わけのわからない米国の自己啓発系出版社も出展していた。凸版印刷は電子ペーパ、NTTドコモはFOMAによるコンテンツ配信を展示していたが、人類はそう簡単に紙の書物を手放すことはできないだろう。

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2002/04/19

みずほファイナンシャルグループのシステム障害

■みずほファイナンシャルグループのシステム障害、僕が所属している企業でも会計システムの入出金部分に大きな影響が出たようだ。いちばんバカらしいと思ったのは入出金明細に相手の会社名が記載されなくなったため、債権債務の自動消し込みが不可能になったこと。みずほに問い合わせたところ「新システムの仕様です」という客を客とも思わないような回答があったらしい。今回のトラブルで各企業の会計担当者がどれだけの時間を無駄にしたか。公共料金の引き落とし遅延による延滞金負担のような実害がない限り、法律的には各企業がみずほに損害賠償請求をすることは不可能なのだろうが、みずほとの取引を見直す企業が今後増えるのではないか。お客さんや従業員がみずほに口座を持っている限り、各企業がみずほと完全に縁を切ることはできないが、完全なシステム統合にあと1年かかるとすれば、その1年間で国民が今回のトラブルを忘れるのが速いか、みずほとの取引が徐々に減退していく速度が速いか。
■みずほのシステムトラブルの原因の一つとして情報技術者の慢性的な不足があげられている。とくにここ数年、銀行の大型合併が集中したため十分な人員が手当てできなかったようだ。現代社会の根幹となるコンピュータの技術者不足はいわば国家的な問題。情報技術者の育成には一定の知的水準をもつ若者を数年かけて教育する必要があり、専門性が高いため他職種からの転換が難しい。しかも慢性的な人員不足のため、情報技術者は過剰な労働を強いられ、なりたいと思う人が減り、それがまた人員不足を招き...といった看護婦不足に似た悪循環を今後生み出す可能性がある。中国やインドの技術者を積極的に受け入れる企業も出てきたが、機械を制御するプログラムなら問題ないものの、銀行のような事務処理用のプログラムを開発するには日本語の理解力が必須。企業経営者や経済団体が情報技術者の育成について、いかにいい加減な考えしか持っていないかの証拠である。

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2002/04/15

その世界をどのように名づければいいのだろうか

■その世界をどのように名づければいいのだろうか、ごくゆるやかな起伏が延々と広がる台地にゆったりした幅の道路が一筋走っている。丘の部分に立って眺めるとはるか遠くに高層ビルがかすんで見えるが、視界をさえぎる建物は近くにない。鉄道は東西に走っているだけで南北の移動は路線バスかタクシーを使うしかない(僕は運転免許を持っていないのだ)。奇妙なのは鉄道の時刻表の複雑さだ。快速と普通の2種類しかないのだが、どの駅にも複数の路線が乗り入れている上に、列車の走行区間が、ある列車はA駅からC駅、別の列車はB駅からD駅という具合にずれているので、乗りかえる電車を間違えるとまた引き返してこなければならない。そして下車したフォームから乗り換え先のフォームへたどりつくための連絡通路は目も眩むような階段になっている。隣のフォームに移動するだけのために百段もある階段を息を切らしてのぼり、同じだけの階段を下る。路線バスは両側から人家がせり出して迷路のように狭い路地を走り抜けていく。自分では何時に何駅まで到着していなければならないと分かっているのに、いつまでたってもバスや電車を乗り間違えて目的地につかない。どうしてこれだけ見通しの良い土地で途方に暮れなければならないのか理解できない。夢の世界は多くの場合不条理なものだが、夢を見るたびに同じような土地で同じように迷っているのはどういうわけだろうか。

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2002/04/09

この「愛と苦悩の日記」は筆者の実体験を基礎に脚色しており

■この「愛と苦悩の日記」は筆者の実体験を基礎に脚色しており、完全な虚構を書くことはない。もちろん時間的な前後を意図的に入れ替え、かなり時間がたってから昨日のことのように記す場合はあるが、起こらなかった事実を捏造することはない。自然主義的な吐露の日記に近い。虚構の日記を書くのはスタニスラフ・レムのように虚構の書評を書くほどでないにせよ労力を要するが、会社員である筆者はそれほど暇ではない。ただ、読者の皆さんには誇張してでもお伝えしたい興味深い事実が、身内にとっては呆れるほど下らない事実である場合も多い。筆者が社会的フィールドワークとして行なっていることや、飽きっぽい自分にはどうせ長く続かないと思いながらやっていることでも、見方によっては単に下世話な趣味に見えるおそれがある。筆者はその下らなさこそ読者の興味をそそる点であることを十分に承知しており、そういったコンテンツを提供したいと思ってはいるのだが、他方でそういったことが書きづらい状況にあることも事実である。長くこの日記を書きつづけてこれほどの不自由さを感じたことはなかったが、それを喜ばしい変化として享受できるようになることを希望している(この迂遠な言い回しはいったい何なんだ)。

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