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2002/02/20

明らかに適性にない地位に就けられている人を見るの

■明らかに適性にない地位に就けられている人を見るのは、たとえその人が年上であっても忍びないものがある。本人にとっても荷が重過ぎて不幸だし、周囲の部下にとっても仕事がはかどらず不幸だし、会社にとっても不幸。幸せな人は一人もいない。それを勘違いして励まして何とか頑張らせようという同期の社員は、一見人のためを思っているようでいて、本人を追い詰めているだけだということに気付いていないのだろうか。本人がその地位を降りれば、本人は分相応な仕事に安心もし、満足もできるし、周囲の部下も代わりが見つかりさえすればハッピーだし、会社としても嬉しい限り。誰も損はしない。どうしてそういう人事を断行できないのか。年功序列という硬直的な人事制度は、すべての人を不幸にする場合があるということの好例だろう。

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2002/02/18

学生時代の友人の結婚式に出席した

■学生時代の友人の結婚式に出席したが、同じ研究室の仲間がまったく変わっていないことに驚いた。というのは正確ではなく、8年という時間の経過から自分が期待していたほどには皆変わっていなかったというだけのことなのだ。現実には皆変わっている。毎日のように研究室で顔を合わせていた頃と違って、お互いの知らないところでそれぞれの時間が確実に流れている。結婚式の短い時間で知り得る範囲は自分が相手に変わらなくあってほしいと期待している部分でしかなく、変わっている部分がそう容易には認識できないだけのことだ。だからといってお互いの変化を理解できないほど変化しているわけではない。「あいつは誰だ?」ということはない。22歳を過ぎてから原型をとどめないほど変化することなど普通の人間にはできないというだけのことかもしれない。。
■坪内逍遥『細君』(現代日本文学全集1『坪内逍遥・二葉亭四迷集』筑摩書房)、『清治湯講釈』、『京わらんべ』(明示文学全集16)を読む。『清治湯講釈』『京わらんべ』は立憲政治をテーマにした啓蒙的な寓話。『清治湯講釈』の「清治」とは「政治」のシャレで、ガマの油売りではないが、この「清治湯」という妙薬を飲めば憲法や国会とは何ぞやということがよく分かるよ、と薬売りが庶民にも理解できる平易な例え話で当時設立を控えていた議会制度について説明するという物語。『京わらんべ』は日本国の象徴としての男性主人公が、権利や自由の象徴としての女性と許婚でありながらついに破談になるというスラップスティックな物語。この2作品はいずれも政治に関する啓蒙書で、逍遥の写実主義小説とはまったく別系統の寓話的な作品群とされている。逍遥の教育者としての側面がよく現れている。『細君』は逍遥最後の小説。最後の小説と言っても31歳のときに発表されたもの。ある夫婦の破局を描く。依然として三章では作者の説明が冗長だが、一章は小間使の少女の視点から夫婦の冷えた関係を描き、二章は妻自身の視点から描くという、凝った構成になっている。『当世書生気質』や『妹と背かゞみ』と違い、問題なく僕らの抱く現代小説の概念にあてはまる佳作。

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2002/02/16

坪内逍遥『妹と背かゞみ』

■ひきつづき明治文学全集で坪内逍遥の『妹と背かゞみ』を読んだ。文庫本にして200ページ弱の作品だが、やはり小説というより人情本に近い。ちなみに題名は「妹」と「背かがみ」という意味ではない。「妹と背(いもとせ)」は夫婦、「かがみ」は映し出す意味。つまり夫婦の生活を描写するという意味の題名だ。

題名のとおりこの小説は「自由恋愛」で結婚した夫婦と、親の都合で結婚させられた夫婦のいずれもが不幸な結婚生活を送る様子を、逍遥自身の小説論に忠実に写実主義で再現しようとしている。その意気込みの証拠に第一から第十八まですべての回に「写しいだす~」という副題がついている。

第一回は「写しいだす三田台の仮寓居」、第二回は「写しいだす人の身の栄枯盛衰」、第三回は「写しいだす新年の骨牌(かるた)あそび」などなど。『当世書生気質』と異なるのは人物の心理がより丹念に描かれている点。描かれる人物の苦悩は漱石に出てくるような利己主義どうしの葛藤ではなく、私情と世間の対立、義理と人情の対立だ。

たとえば第十一回、親の意思で田沼という男と結婚させられようとしているお雪の心理を逍遥は「お雪の本心ハ果たしていかに。今一魔鏡を取いだして。お雪の肺肝を写しいださん。(お雪肚の裏に思ふやう)」と書き起こしている。「いつそ思ひきつてお母さまへ。妾の肚の中をお知らせ申して。此縁談を断らうか。イヤイヤ田沼さんを断れバとて。別に是ぞといふ目的もなし。生中田沼さんと破談になつたら。いつかの縁談がまた・・・・・・」と、この「・・・・・・」という句点法はたしか『当世書生気質』にはなかったもの。言葉に尽くせない内面を示しているのか。

ちなみに中村眞一郎はこの作品を次のように評価している。「現代の小説の通念からすれば、あまりにも説明なり、議論なりが多いということになり、小説としては純粋でないということになるかも知れない。しかし、私はこうしたロマンチックな作風(作者の介入という意味であって、伝奇趣味ということではない)も、小説の展開のために、大いに意味があると思う。叙述、分析、描写、説明を自在に用いて、物語を進めるこのやり方は、小説というものを、とらわれた写実主義から解放してくれるだろう。そして、方法意識の強い前衛的な作家ならば、たとえば女主人公の心の描写に、二十世紀小説の『意識の流れ』の方法の先蹤さえ発見するだろう」。

たしかに逍遥の話法はときに「そりゃやりすぎだろう」とつっこみを入れたくなるほどバラエティーに富んでいる。作者自身がしゃしゃり出てきたり、延々と独白が続いたり、新聞記事の引用があったり、余計な注釈が入ったり。雑然とした逍遥の小説世界が、逆に現代に小説の多様な可能性を想起させる役割を果たしているのではないか、という中村眞一郎の問題提起にはなるほどと思わせるものがある。

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2002/02/15

新聞の迷惑メール記事に見る性差別

今朝、日本経済新聞の社説を読んでいてギクッとした。「迷惑メールの防止急げ」というタイトルだが、その末尾に次のような文面がある。

「迷惑メールは男女の出会いからわいせつ画像まで様々で、『迷惑』の定義も受け手により異なるため、それを一律に規制することは難しい。しかし、だれもが携帯電話を持ち歩くようになった今、携帯電話の利用者には女子高生など数多くの未成年者が含まれている。教育上の観点からも規制は慎重かつ早急に進めなければならない。役所間の縄張り争いをしている時間的余裕はない」。

議論の主旨には賛同するが、では男子高校生には迷惑メールに関する教育上の配慮は必要ないということなのか。「教育上の観点」にかんする議論に、ついつい男子高校生を無視して「女子高生」だけをとりあげてしまう、この無意識の選別に、日本経済新聞社の女性差別意識が垣間見えてひじょうに興味深い。

男子高校生には多少わいせつな迷惑メールが届いたとしてもいいが、女子高生にはその種のメールは届いてはいけない、という無意識の前提には、女子たるもの結婚するまで無垢でなければならない、男子たるもの結婚するまで多少の性的な冒険も必要だ、という処女性信仰が透けて見えないだろうか。そもそもこんな詮索をする以前の問題として、男子高校生を無視して「女子高生など数多くの未成年者」と勢いで書いてしまうのはいいが、それを「中高生など数多くの未成年者」と書きなおせない人物に、公正な報道を使命とする新聞記者がつとまるのか、はなはだ疑問だ。

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2002/02/14

ひきつづきP2Pについて反論に対する反論を頂いた

■ひきつづきP2Pについて反論に対する反論を頂いた。久しぶりの骨のある反論なので今回もここでさらに「反論」させて頂く。昨日の僕の反論は「P2Pと政治的な話の関連性などない」という論旨ではない。「P2Pが反グローバリゼーションだ」という命題は偽で、「P2Pも情報技術である限りはグローバリゼーション擁護的だ」という命題が真だという論旨である。それは「そもそも情報技術を利用すること自体がグローバリゼーションへの幾分かの加担であって」と書いたことからも明らかだ。この点を読み違える読者はまずいないと思う。僕が書いたのは「P2PやLinuxなど個別の情報技術が政治的に右だとか左だとかいう議論はまったく無意味だ」ということであって、「P2PやLinuxが政治とは無関係だ」ということではない。「陽気な米国人」という言葉にももちろん政治的な含意をあたえて使っている。ただしそれは「陽気な米国人」が集中処理型のアーキテクチャよりP2Pを喧伝しているからではなく、その逆だからでもなく、集中処理型であろうがP2Pであろうが、個別の技術内容が何であれ、情報技術を喧伝すること自体がきわめて政治的、しかもグローバリゼーション擁護的だからである。そういうわけで僕は初めから政治的なことを言おうとしていたわけで、この読者の理解は完全に正しい。昨日の僕の反論もこの読者の理解に沿った内容なのだから、「そうそう、情報技術を使うこと自体が政治的、こちらの考えていたこととピッタリ!」となるはずだ。ところがこの読者は僕が反論したという事実そのものから、自分の理解が間違っていたと早合点してしまったようだ。その早合点の原因はおそらく議論の内容にもとづく合理的な判断ではなく、僕の反論がこの読者に与えた精神的なプレッシャーだと思われる。いままで僕の文章が「威圧的」だという感想メールは受け取ったことがないが(たぶん「威圧的」と感じる人はこんなページ二度と見たくない!と思うのだろう)、この読者は僕の文章は人を「威圧」していると書いている。しかしこの読者がそう感じたのは、僕とこの読者の特別な関係によるものに違いない。それはそれで僕ももう少し言葉の政治的含意に気をつかわないといけないなぁ、と反省させられた。個人的なことは政治的なことだから。

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2002/02/13

数年前は転職のために情報技術者関連の資格を取ることに熱心だった

■数年前は転職のために情報技術者関連の資格を取ることに熱心だったが、最近は不況下での雇用不安に乗じた資格ビジネスにうんざりだ。先日第一回合格者が発表された「マンション管理士」もマンション管理組合に関する法制度の変更が生み出した官製ビジネスといった感じで、別に取得したからそれで生活できるといった資格ではない。「ITコーディネータ」だってどこまで世間に認知されるか分かったものではない。公認会計士や税理士、弁護士、不動産鑑定士などそれ自体が職業として確立している資格なら、費用と時間をかけて取得してもそれなりにペイするだろうが、官製ビジネスとしての資格試験に踊らされて個人として何の利益があるだろうかと疑心暗鬼になってしまう。情報技術の世界を例にとれば、情報処理技術者試験に合格するための知識は実務者として最低のラインであって、それに加えて、プレゼンテーション能力であったり、他人を説得する力であったり、グループをまとめる力であったり、自分の知識を個々の組織の中で具体的な成果につなげるための能力が求められるのではないか。
■昨日のP2Pにかんしてこちらの論旨を完全に誤解した「反論」が届いたので少し補足しておきたい。まず「企業システムに利用できるという議論は極めて疑わしい」と書いただけで、なぜ僕が「企業システムに利用できないものは価値がない」と考えている証拠だと判断されてしまうのか理解に苦しむ。僕は企業内で情報技術を利用する立場として「企業の外のことはよく分からないので言わずにおくとして、少なくとも企業の内部ではP2Pはあまり使えないだろう」と謙虚な判断を下しているだけなのだが...。そしてDNSのようなインターネットの名前解決のしくみが「分散システム」であることはよく承知している。しかしクライアント・サーバ・システムというのは「サーバの方が台数が少なく大きな機械で、クライアントの方が台数が多くて小さな機械」ということではない。「何らかのサービスを提供するのがサーバで、そのサービスを受けるのがクライアント」ということだ。この厳密な定義にそって考えれば、P2Pとはたまたまほとんどすべての機械が同時にクライアントでもありサーバでもあるという事態を指している。P2Pが登場したからといってコンピュータがクライアント(サービスを受ける機械)とサーバ(サービスを提供する機械)というパラダイムから逃れられる訳ではない。そういう意味でP2Pはクライアント・サーバ・システムというしくみのスペクトルの一部を構成するアーキテクチャにすぎないと書いたのである。
■さらに付け加えれば、情報技術の世界の人々がどうしてたかが情報技術のアーキテクチャを政治的に語るのか、僕にはどうしても理解できない。たとえば「P2Pがグローバリゼーションに反する政治的含意を持っている」という言明は自己矛盾である。P2Pという言葉の意味さえ分からない(分かろうとしない)人々がより反グローバリゼーション論者らしくはないだろうか。そもそも情報技術を利用すること自体がグローバリゼーションへの幾分かの加担であって、P2Pに加担することやLinuxに加担することが政治的に右であったり左であったりという議論そのものがまったく無意味なのだ。

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2002/02/12

富士通とアクセンチュア

■富士通とアクセンチュア(元アンダーセン・コンサルティング)が提携するって話。アクセンチュアは破綻したエンロンの監査問題を見ているといい時期に監査法人アーサー・アンダーセンから完全独立したと思ったが、富士通と提携するということはベンダー中立という売り込み文句が使えなくなってしまうのではと他人事ながら心配だ。短期的な株主価値の極大化を追求するコンサルティングファームというのは信用して良いんだかどうだか分からない。あまりに商売気が無いのも不安になるが、クライアントの意思を無視してものすごい変化球で受注をもぎとろうという態度には気おくれせざるをえない。

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2002/02/11

どこまで信頼できるかわからないが15歳から69歳までの全国の日本人に調査した電通...

■どこまで信頼できるかわからないが15歳から69歳までの全国の日本人に調査した電通の「全国デジタルライフスタイル調査」によれば、自宅や職場、携帯電話など少なくとも一つ以上でインターネットを利用している人が、ついに全体の過半数を占めたという。Mbps級の高速回線といえば昨年までは職場でしか体験できなかったが、インターネットそのものが日常になり、電子メールやWebブラウジングも特別な趣味ではなくなった。しかし技術の進歩に追随できる速度は年齢差が大きく、「俺はパソコンなんて使えない」と居直る管理職は相変わらず存在する。ビデオ予約が出来なくても仕事には困らないが、パソコンが出来なくては会社役員でもなければ収入に響く。今までにこれほど世代別の利害に直結する応用技術があっただろうか。電子化されたコンテンツが増えるほど、ネットを日常的に使いこなす人々とそうでない人々が体験する世界の様相はかなり違ってくる。どちらの生活が「良い」かということは時代と地域の価値観が決めることだから、居直りつづける管理職は農村で土仕事でもしなければならないかもしれない。
■集中か分散か。極言すれば適材適所ということになるのだろうが、首都機能の話ではなく電子データの話だ。分散によって回避されるリスクと高まるリスクがある。回避されるのは情報損失のリスクで、高まるのは情報漏洩のリスク。情報管理をどれだけ厳密に考えるかで採用できるアーキテクチャもまったく異なる。その意味でP2P(peer to peer)が企業システムに利用できるという議論は極めて疑わしい。非同期のコミュニケーションはある程度の遅延を許容するので、情報交換はハブの役割を果たすサーバに集中させた方が効率がいい。電話を考えてみればよい。郵便や宅急便は有形の物体の配達なので情報システムと比較できないが、電話はその誕生から100年たった今でも集中型である。しかも電話は同期型のコミュニケーションだ。トランシーバが電話に換わるだろうか。携帯電話に課金システムが不要だとしても、電話機の中に交換機を組み込むわけにはいかない。P2Pが普及しても結局名前解決やルーティングの機能は個々の端末に組み込むより、ある程度「集中」させざるを得ない。名前解決やルーティング機能を持たせる機器に、その仕事だけをさせるのはコンピューティング資源の無駄である。じゃあデータ配信の機能も持たせよう、ということになれば結局のところP2Pが広義のクライアント・サーバ・システムに逆戻りである。P2Pというのはクライアント・サーバのようにコンピューティング・システムの基本的なアーキテクチャを現しているのではない。クライアント・サーバというアーキテクチャの一部分を構成しうるコンポーネントに過ぎない。逆に言えばクライアント・サーバなしにP2Pは成立しないのだ。陽気な米国人の熱狂に流されない冷静な頭脳を持とう。

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2002/02/06

坪内逍遥『小説神髄』『当世書生気質』

■最近の純文学系読書は樋口一葉以来、専ら自然主義以前の明治文学なのだが、徳田秋声『不如帰』を岩波文庫で読みかけたところが現代かな遣いのせいか気分が乗らず、近所の市立図書館で明治文学全集の第一巻、坪内逍遥を手にとった。まさに日本近代文学の幕開け、『小説神髄』と『当世書生気質』を並行して読んでいる。進歩主義的な文学観から写実主義を近代小説の原理であるとうたった『小説神髄』に比して『当世書生気質』は余りに戯作文学の影響が強く、失敗作とも言われるが、風俗小説としてはかなり面白い。地の文が無駄に七五調なのも笑える。明治文学全集第一巻がこんなに下らなくていいのだろうか。

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2002/02/03

某食品会社の牛肉偽装事件

■某食品会社の牛肉偽装事件、調べが進むにつれてセンター長の会社に対する造反ではなく組織ぐるみの犯行だったことが明らかになってきた。事件が明るみに出たのは社員のリークなのは確からしいが組織ぐるみとは、僕が思ったより同社の社員は下らない人間だったということだ。
■田中外相更迭問題はS議員の問題ではなく外務省の問題であることが明白になってきた。外務省は公務員であり、組織のトップである外相に逆らうことは定義上許されない。ところがNGO問題その他の案件に関して外務省は外相との意見対立に業を煮やし、田中外相に政治的圧力を加えるためS議員の政治力を利用してしまったのだ。これは公務員が絶対にやってはいけない政治活動にあたるのではないか。もしそうだとすれば外務省は組織ぐるみで公務員法に違反していることになる。考えてみて欲しい。外務省が政治的に左傾したり右傾したりして、国民が選出した行政府の意思と無関係に外交を行ったとしたらとんでもないことになる。今回のNGO問題で外務省はそういった「暴走」とでも呼ぶべき領域に踏み込んだのではないか。政府を利用した官僚たちの反逆はクーデタに他ならない。官僚の増長は危険水域に達しているのではないか、と書けば杞憂だろうか。
■2002年冬のユニクロの売上を1割増加させるには、スーツの上から着られるエアテック・ジャケットを発売すればいい。フォーマルなロングコートの他に、雪の日に着る多少濡れてもいいカジュアルなナイロン表のジャケットをユニクロやGAP、コムサ・イズム、その他カジュアルショップでいろいろと探したのだが適当なものが一つもない。ウール100%のコードの袖がするりと通るにはフリースの裏地がついていてはいけないのだが、シンプルなデザインのジャケットは判で押したようにフリース裏地が脱着できる3wayなのだ。じゃあ裏地を取りはずせばいいだろうと言われるかもしれないが、はずすと表地が薄すぎて大寒の時期には寒さがこたえる。要は中途半端なのだ。ではユニクロのエアテックはどうかと言えば、袖口がゴムで絞ってあるのでスーツの上から羽織れないのだ。無理に袖を通すとスーツの上着の袖がまくり上がってしまうのである。どうしてゴムで絞るなどという余計なことをするのだろうか。真冬は手袋をするのだから袖口はそのままにしておいても換気が入ってくることはない。どうしてジャケットのデザインをする人間はそこまで考えてモノを作れないのか。また、3wayのジャケットには前のファスナーを閉めた後、さらにマジックテープで前を合わせるようになっているものがほとんどだ。袖口もゴムの絞りがないと思うとマジックテープで絞れるようになっているものが大多数。このマジックテープ、そのうち綿ぼこりがからみついてきてみっともないったらありゃしない。デザインとしてセンスのかけらもないディテールなのだ。まとめると(1)裏地はフリースや毛を付けず、つるつるのナイロンのままでよい、(2)袖口はゴムで絞らず、マジックテープの絞りもつけず、そのままでよい、(3)前は合わせ部分をやや深めにとったファスナーがあれば十分で、マジックテープなどいらない、(4)襟に格納できるフードなどいらない、(5)内ポケットは左右に同じ大きさのものがあればよい、ペンや携帯電話用の細長いポケットはあるだけムダ、(6)外側のポケットは左右やや大きめの深いものが必要、(7)外側の胸ポケットはいらない、余計な装飾になってうるさい、(8)下らないメーカーのロゴマークは外側には一切つけてくれるな、(9)色は黒、チャコールグレー、カーキ、ベージュの4色、(10)シルエットはスーツの上から羽織ることを前提にゆったりめ、(11)ボタンはどこにも使うな、(12)飾りのステッチも一切いらない、そういうシンプルで実用的な定番商品を作ればユニクロの売上だって回復するのだ。

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