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2001/01/29

早く来い来いADSL

■今まで「ダイヤル中」というダイアログを見てからネットに接続するのが当たり前だったので、ルータ本体のボタンを3秒間押し続けると音もなくダイヤルアップされるという便利さになんとなく違和感がある。早く来い来いADSL。

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映画『秘密』のご都合主義的ストーリー

■週末、広末涼子主演の映画『秘密』をTVでちらっと観た。原作は東野圭吾氏だが、いかにもご都合主義的なストーリーで、星新一の影響でよくこんなお話を必死で考えていた小学生の頃の自分を懐かしく思い出した。

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Misia『Everything』の演奏時間は7分

■諸事情あってMisiaのシングル『Everything』を借りたのだが、この曲の演奏時間をご存じだろうか。何と7分間もあるのだ。Led Zeppelinの『天国への階段』なみの大曲である。歌謡曲の黄金時代、ヒット曲は3分が相場だったが、時代のテンポは速まっているのにヒット曲は重厚長大化している。消費者の本物志向のためというより、技術の進歩でレコーディングにかかるコストと時間が減少しているので大曲を作りやすくなっているのだろう。

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2001/01/28

持ち家か賃貸かの話だが

■持ち家か賃貸かの話だが、「日本人が家を買うのは出費の中で大きな割合を占める家賃の変動リスクをヘッジするためだ」というご意見を頂いた。なるほどそういう見方もある。確かに架空の家賃は自分自身に支払うので、家賃変動のリスクはヘッジできるが、住宅ローンを変動金利で借ると金利変動という新たなリスクを負うことになる。総合的なリスク管理の視点が必要ということなのだろう。賃貸に住み続けた場合、生活状況に合わせて家賃の安いところに住み替えるという方法もとれる。子供を作らないつもりなら教育費の心配なく住宅ローンを組めるし、子供が独立してから夫婦二人だけで住む終の棲家をキャッシュで買うという人生設計もある。他の人がそうしているから、というのがもっとも危険な意思決定の理由であることは間違いない。
■ついでに保険のこともぼちぼち勉強しているのだが、今までいかにバカなことをしていたかを思い知らされる。独身者が2000万円もの死亡保障の掛け捨て定期保険に入るなんて、単なるムダづかい以外の何ものでもなかった。死亡保障は葬式代くらいで、ケガや入院のリスクヘッジさえしておけばいい。独身者は扶養する義務のある配偶者や子供もいないのだから、よくよく考えれば当たり前だ。ところが他の人もそうしているからという理由で月1万円以上の保険料を支払っている独身者がいかに多いか。こんな単純なことにもっと早く気づいていれば、数十万の金を浮かすことができたはずなのだ。お恥ずかしい限りである。
■遊びのパソコンが1台できたので2年ぶりにLinuxをインストールしてみた(LASER 5 Linux 6.4)。2年前、COMPAQのPCにTurbo Linuxをインストールしようとしたがネットワークカードをまったく認識せず挫折。仕方なくスタンドアローンで仕立てたもののNetscape Navigatorのバージョンが古すぎて使いものにならず、PC本体をさっさと「じゃマ~ル」で売却した。2年後、Linuxをとりまく事業環境が大きく変貌してLinux自体も別ものになった感がある。インストール作業はあっけなく終了。GNOMEはWindows的直感が通用するGUIで、Netscape NavigatorもVer.4.75でWindows環境と比べて遜色ない。FTPのGUIクライアントも勝手に導入されており、ホームページの更新もLinuxに乗り換えられそうだ。DHCPでIPアドレスを取得する設定にしたら、昨日構築したばかりのダイヤルアップ・ルータ(MN128-SOHO PAL)を勝手にゲートウェイと認識して、1台のルータの下にWindowsマシンとLinuxマシンがぶら下がる環境になった。セットアップがすんなりいけば、あとはじっくりLinux環境そのものの勉強に励める。目標は家庭内LANにSMTP、FTP、ローカルDNSの各サーバを構築すること。Linuxについて利用者層の広がりと機能拡張の良循環が生まれたのは、やはりそこに「名誉の原理」だけでは飽き足らない企業の「市場原理」が導入されたからではないだろうか。ただ先日、社内のインターネット系サーバ再構築の打ち合わせで、某SI業者からはっきりと言われた。「Linuxは責任の所在が不明確なので企業内での運用はお勧めしません」。SolarisかWindows2000の選択となったが、インターネット系以外にデータセンターやアプリケーションサーバとしての活用となると、まだまだ大手企業のコミットメントが必要だろう。

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2001/01/23

初めて聴くスティーリー・ダン

■毎週末TSUTAYAで借りるCDの傾向がやや変わってきた。ここしばらくTECHNO、HOUSE系がマイブーム(←死語)だったのだが、最近いちばんよかったのはDavid Bowie『Space Oddity』だ。このアルバムは全体の物悲しく、退廃的で、しかし戯画的な楽しさのある雰囲気が異常に気に入った。表題作のトム少佐の歌が口について離れない。Ground control to Major Tom...続けて『Ziggy Stardust and The Spiders From Mars』を聴きなおしているところだ。

もう一つ、不思議と今まで一度も聴いたことのなかったアーティストで、Lou Reed。まずアンディ・ウォーホルつながりで『The Velvet Underground & Nico』を聴いてみたのだが、特にこれといった感慨もなく、ただLou Reedがそのメンバーだったことを初めて知って彼のベストを借りてみた。これがそう悪くない。

それからElvis Costero。実はこの人も今までほとんど縁がなかった。ベスト盤を衝動借りしてみたが、超有名な「Veronica」はもちろん、ささやくように歌うバラードから、punkishな絶叫まで、彼の多彩なボーカルが楽しめる。ぜひ70年代のThe Attractions時代の録音を聴いてみたい。

最後にSteely Dan。ここまで来ると音楽の趣味が変わったんじゃないかと言われそうだが、これがまた変に気に入ってしまっている。昨年末だったかNHKの『トップ・ランナー』にオリジナル・ラブの田島氏が出演してライブ演奏していた曲が非常に耳にひっかかった。理由はコード進行だ。田島氏がピアノを弾き語りするその曲は予想の付かないコード進行ながらも、都会的、かつ大人っぽい雰囲気のバラードだった。

Yesのprogressive rockはコーラス・アレンジと変拍子が特徴的だが、コードは4小節ずつ区切ればそれほど奇抜な展開は出てこない。だがSteely Danはフュージョン嫌いの僕にとって非常に新鮮に聞こえるのだ。

まずベスト盤を借りてみて、丁寧なコーラス・アレンジと、9thや11thを多用しているであろうコードの響きがとても気に入ったので、『Aja』を借りた。表題曲は8分弱の大曲で、ドラムも変化に富むし、それこそプログレ的なのだが、やはりコード進行がなんとも言えない。Steely Danはご存じのようにWalter BeckerとDonald Fagenのコラボレーションだ。30歳を過ぎてこんな良いロックにまだ出逢えることの幸せをかみしめる。

■持ち家か賃貸かの話題は相変わらずたくさん反響頂いている。後日まとめてご報告する。

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2001/01/20

やっと満足のいく理解水準に達した

■やっと満足のいく理解水準に達した。下記の持ち家と賃貸に関する議論に一部誤りがあったので、エッセーのページで訂正させて頂きたい。「持ち家が利益をうまない固定資産である」というのは間違いで、「持ち家はキャッシュフローを生んでいる」ということだ。詳しくはこちらのページ

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2001/01/19

まだ家の話が続く

■まだ家の話が続く。名古屋在住の女性からメールをいただいた。この日記を読んでマイホームを買う気持ちが揺らいだとのこと。注意してほしいのは、僕は住宅事情が日本一劣悪な首都圏に住んでいるということだ。偶然にもその女性と僕は同じ間取り、同じ家賃の賃貸マンションに住んでいるが、たぶん通勤時間は僕の方が約2倍かかっている。一橋大学・米倉教授が言っていたが、通勤時間往復3時間として、会社員生活40年のうちなんと4年は電車に乗っているのだ。しかも東京と名古屋では同じ価格の一軒家でも広さや住環境がまったく違うので「名目価格」だけで家の「効用」を比較できない。いずれにせよ自宅にどれだけ金をかけるかは、その人が何に価値をおくかということだろう。住宅ローンの他に、株、子供の教育、自分の能力などの投資対象があるという人は、何も右にならえで重いローンをかかえてまで一軒家を買う必要などまったくない。ドラッカーの言葉どおり、もっともリターンの大きい投資先が「人間の能力」だとすれば、多少家は狭くても子供の教育や自分自身の能力に金をかけるのがいいだろう。マイホーム以外に何もいらないというなら住宅ローンに自己破産しない程度にいくらでも金をかければいい。結局はその人の価値観だということになる。
■最近自分自身のスタンスについて考えることがある。リーダーには二種類あって、敵を作らず時間をかけてコンセンサスを形成するタイプと、敵を作ってでも明快な主張するタイプ。明快な理想を語れるオピニオンリーダーでありたいと思いつつ、現実的には敵を作らずできるだけ多くの人たちとコンセンサスをとりながら事を進めたい。それにしても、頭が切れてプロジェクト全体を考えながら仕事ができる人間と仕事がしたいものだ。

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2001/01/18

持ち家か賃貸かにつき読者から大反響

■持ち家か賃貸かの話題についてとても反響が大きいので今日もその話。家計と企業は違うという指摘を頂いた読者の方から、企業は価値の最大化が目的だが、家計は破綻しなければよい、家計はキャッシュフロー・ベースで考えればよく、持ち家が資産であるか負債であるかは本質的な問題ではない、とのメール。なるほど、大変参考になる。

別の方からは『ゴミ投資家のための人生設計入門』という参考書をご紹介いただいた。ぜひ読んでみたい。いずれにせよ僕が問題提起したかったのは「家は買うのが当たり前、しかも新築を」という常識はもはや常識ではなくなっているのではないか、ということだ。

さすがthink or dieの読者の方々、常識という先入観ではなく、キャッシュフローなど合理的な基準で持ち家と賃貸を比較しておられる。経済のことはまだまだ勉強が足りないと痛感したので、これを機会に賢明な選択のための知識を仕入れたい。

読者のみなさんにお礼を申し上げます。現時点の結論としては、買うなら築10年以内の中古マンションを買おうということ。しかもすぐは買わない。理由は(1)地価の二極化がまだ進むだろう、(2)郊外も含めて住宅供給はしばらく増え続けるだろう、(3)新築にこだわる一般人がまだ多いので中古マンションの価格はまだ下がるだろう、以上3つ。

もちろん貯金がないからすぐ買えないってのもあるが。家に余分なお金をかけるより、豊かな生活のためには何が必要か、その「ほんとうに必要なもの」のための流動性を手元に残しておきたい。たとえば「もっとも効率のいい投資は、頭脳に対する投資である」と言った人もいる。

IT革命で単なる情報収集・分析が大幅に効率化されれば、人間にはますます創造的な能力や、情緒的な表現力が要求される。そうなったとき、豊かな生活のためには頭脳やハートにお金をかけることがますます重要になってくる気がするのだが。

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2001/01/17

QC(品質管理)活動のない職場に転職して痛感するの

■QC(品質管理)活動のない職場に転職して痛感するのは、QCがないことによる弊害は、QCがあることによる弊害よりも大きいということだ。QCは現場の担当者一人ひとりが毎日少しずつでも業務を改善しよう、あるいは何かしら勉強しようという動機づけには少なくともなっている。そういう動機づけがまったく存在しない企業では従業員は惰性で仕事をしやすい。QCが宗教に近くなるのには必然性があるのかもしれない。社会人になって、酒、タバコ、夕刊紙と、ただでさえ生活がダレてくるサラリーマンを勉強する気にならせるには、単なるお説教では効果がなく、ある程度の洗脳が必要だということなのだろう。
■昨日の日記は予想どおり大反響だった。ある読者の方によると今ビジネス書ベストセラーの『金持ち父さん貧乏父さん』には「家=資産ではなく、家=負債である」という趣旨のことが書いてあるらしい。さっき近所の本屋で立ち読みしたのだが、お金を産まない資産は資産ではなく負債だという意味のことが書いてあった。僕の考え方と一致している。「同じ買うなら良い物を」「安物買いの銭失い」という言葉があるが、どうやら僕は固定化された資産(B/S上では同時に負債でもある)に過剰な効用を求めず、流動資産をつねに厚めに持っておきたいという考え方のようだ。その効用について別の読者の方は、あくまで人生全体として最大効用を生むという観点で資産配分を考えるべきだとアドバイス頂いた。これは昨日の日記には書かなかったことだが「老後の安住の地」という効用は捨てがたい。だから大多数の人は持ち家にこだわるわけだ。ただ、これも生活費にあてられる年金(流動資産)があることが前提ではないか。もし僕らの世代が十分な年金をもらえないとすれば、ローンを払い終わった自宅を売却して年金に代わる生活費としての現金を捻出しなければならない可能性は高い。だとすれば、将来売却する自宅に対して、その売却価格の何割増ものローンを払うのは必ずしも賢明とは言えない。なぜ年金破綻のリスクが高まっているかといえば、やはりマクロ的な経済環境がバブル崩壊前とは根本的に変化しているということだ。その変化の中で従来と同じく持ち家主義が(少なくとも)「無条件に」正しいとは言えない、ということは正しい。この読者の方はもう一点「going concern」である企業は、寿命のある家計とは違うと指摘して下さった。この点はまったくそのとおりだ。別の読者の方は持ち家に住む満足は数値化できないと書かれている。しかし毎日1時間半以上の通勤時間を代償に一軒家を買ったとして、それが「数値化できない満足」だというのはすでに持ち家主義への不合理な偏向だといわざるを得ない。生活空間は自宅だけではない。そぞろ歩く街並みだって生活空間だ。ひきつづきご意見をお待ちしています。

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2001/01/16

家を買うとはどういうことかをいろいろ考えていた

■家を買うとはどういうことかをいろいろ考えていた(貯金がないので現実問題として家なんてすぐには買えないのだが)。家を買う前、僕個人の貸借対照表(B/S)を書くと、資産の部にわずかな貯金(つまり流動資産)、負債の部には借金ゼロ(車のローンもパソコンのローンもない)なので、純資産(企業のB/Sでいう資本の部)=現時点での貯金となっている。この貯金はわずかだが受取利息をP/Lに発生させる。そして借家の家賃はP/Lの費用として現れる。ここで貯金をはたいてマンション購入の頭金にすると、流動資産を丸ごと「自宅」という固定資産に置き換えることになる。同時に負債として膨大な借入金が発生し、結果として純資産は変化なし。「自宅」という固定資産は貯金と違って利益を生まないが、一方で借入金には支払利息が発生するのでローンの返済額は少なくとも「借家の家賃-貯金の受取利息」より少ないことが望ましい。なおかつバブル崩壊以前と違ってマンションの価格は下がり続ける。将来の売却を前提でマンションを購入する場合、売却時点で時価評価した「自宅」に対して借入金の額は不変なので、トータルで見ると「不良資産の売却損」が出たのと同じ事になっている。「借家の家賃-貯金の受取利息」がローンの返済額とほぼ等しいと仮定すれば、そのまま借家を借り続けて、将来の売却損分の「(借方)自宅/(貸方)借入金」の金額部分を、そのかわりに「(借方)貯金/(貸方)純資産」という資産内容に置き換えればいい。そして、ここで言っている売却時点になったときに初めて、貯金を固定資産に置き換えればいい(=マンションを買えばいい)。ということは家を買うなら死ぬまで住むつもりで買うか、個人の資産のうち「利益を生まない固定資産」部分をできるだけ圧縮したいなら、定期借地権つきの住宅(つまり土地の権利という余分な物がついていない住宅)を購入すべきだろう。バブル崩壊以前なら、今購入したマンションは将来売却益を生むので、マンションはできるだけ早く買った方がいいという理屈になったが、今の世の中では、今購入したマンションは将来売却損を生んでしまう。どうせ売却損を生むなら、その損失分は金利負担の発生する借入金でまかなうよりも、金利負担のない自己資金(貯金)でまかなった方がいい。つまりマンションは銀行や公庫がお金を貸してくれる年齢である限り、できるだけ遅く買って、その間に自己資金をできるだけ厚くしておいた方がいいということになる。...とまぁ、こんな風に考えたのだが、この考え方で正しいかどうか、だれか教えていただけないだろうか。

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2001/01/10

今日、竹中平蔵氏の講義を生で聴く機会があったのだが

■今日、竹中平蔵氏の講義を生で聴く機会があったのだが、氏の発案による「IT受講券」に対するマスコミ等の批判で、氏が唯一なるほどとうなった批判があったという。それは「日本人の情報リテラシーを上げるにはIT受講券のようなアメの政策だけではダメで、ムチもなければならない」。具体的には住民票の窓口交付手数料を1万円にする一方で、インターネット経由の手数料を100円にする。税の申告をインターネットでしか受け付けないようにするなど、インターネットを使わざるをえない状況を作り出すということだ。じっさい大学生のネット利用率が急増したのは、企業が就職希望者のエントリーをインターネットでしか受け付けなくなったからだと言われている。これも一種「ムチ」の政策だ、というわけだ。しかしこんなこと企業の社内情報システム部門で働いている僕らにとっては常識なのだ。社内にたとえばLotus Notesのような新しいツールを広めるときは、当然アメとムチの戦略を考える。アメは立ち上げ当初に魅力的なコンテンツをそろえること。ムチは特に出張旅費精算など、使わなきゃお金を返してもらえないものをNotesに載せてしまうことである。一介の社内SEが竹中大先生に伝えるべき知恵もあるということだろうか。
■下記のITは問題解決の単なる手段ではない、という議論について、ある本でうまいたとえ話を見つけた。「金づちをもっているひとにはすべてが釘に見える」。もし金づち以外の道具をもっていたらどうだろう。世界の見え方そのものが変わるかもしれない。ITもそうだ。たしかにITは単なる道具だが、ITという道具さえ持っていない人が現代社会を正しく把握することができるだろうか?

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2001/01/03

「ITは問題解決の手段に過ぎない

■「ITは問題解決の手段に過ぎない。まずは問題に対する解決法を考えて、その後にどの部分をITで実現するかという順序が正しいのであり、ITを使うことが自己目的化されてはいけない」。一見もっともらしいが、この考え方が正しいためには(1)問題は解決手段の影響をうけない、(2)問題はそれを問題ととらえる人の問題意識の影響をうけない、この2つが満たされている必要がある。まず(2)はウソである。問題はそれを問題だととらえる人がいるから問題化されるのであり、何を問題ととらえるかはその人の問題意識と不可分だ。もしその人の問題意識が不十分であれば、そもそもそれはニセの問題であり、本当の問題は他のところにあるかもしれない。できるだけ妥当な問題意識を持つには、逆説的なようだが、できるだけ多くの問題解決手段を仕入れておくことだ。初めからITという解決手段を遮断していたのでは、本来問題化されるべきことが問題として見えてこないおそれがある。「ITは単なる手段だ」という頑固さは、問題把握の視野をせばめてしまうということだ。次に(1)の「問題は解決手段の影響をまったく受けない」という前提条件もウソだ。ある問題が生まれる社会環境と、ITのような解決手段が生まれる社会環境は同一である。つまりITが必要とされる社会になったからこそ、その問題が生じたということになり、問題そのものがすでに解決手段を予告している。ある時代に生じる問題とその解決手段は共通の根を持っている。IT時代の問題を考えるとき、ITでの解決を前提として初めて見えてくる問題点や議論の広がりは必ずある。以上のようにITを単なる解決手段として問題と切りはなす考え方は端的に間違いである。問題とその解決手段はそうかんたんには分離できない。分離できると考えているなら、いまだに近代的なディコトミー(二項対立)に犯されている証拠だ。

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