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2000/10/30

田中知事の名刺を折り曲げた例の長野県庁幹部

■田中知事の名刺を折り曲げた例の長野県庁幹部が、県民に謝罪、辞意を表明したが当の知事に慰留されたようだ。反省したら反省したでいきなり辞めると言い出すなんて、小学校の生徒会レベル。田中知事はこの幹部との会談の後、長野県を良くしていこうという志を同じくできる人だ、と知事らしく器の大きなところを見せた。この幹部、知事より年上のくせに手のひらで泳がされている。だが想像するにどの日本企業にも50歳前後にかかわらず子供っぽい頑固さが抜けきらない中間管理職というのはいる。組織が変革しようとするとき、もっとも保守的に抵抗する層だ。長野県は田中知事のような「大人」がリーダだからまだ救われているが、リーダまで頑固だと組織全体が救いようのない硬直状態に陥る危険性があることは言うまでもない。
■キッチンで3口コンロが使える環境になったので、昨夜、野菜スープを作ってみた。洋食のすべての煮込み料理の基礎である。肉がなかったのでベーコンをオリーブオイルとサラダ油でカリッとするまで炒め、玉ねぎ、ニンジンを加える。さらにキャベツを入れてしんなりするまで炒めたら水をたっぷり、コンソメ、ワインを入れて弱火で30分間煮込む。最後に塩・コショウで味をととのえて、シンプルながらも異様においしい野菜スープの出来上がり。2人分の分量を平らげてしまった。ああ、できたての野菜料理を味わう至福の時。今度はキャベツの代わりにジャガイモ、ベーコンの代わりに鶏肉を入れ、シチューでも作ろうかな。

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2000/10/28

経済学の期待形成に関する理論

■経済学の期待形成に関する理論(だっけ?)に「美人コンテスト」のたとえがあるのをご存じだと思う。美人コンテストは女性差別の含意があるが、ここではあえて原典に忠実にそのままのたとえにさせて頂く。たとえばあなたが美人コンテストの審査員だとしよう。「あなたが最も美人だと思う女性を選んで下さい」と言われればあなたは素直に自分が最も美人だと思う女性を選べる。この場合には最終的にどの女性が一位になるかは比較的予想しやすい。しかし、もしあなたが「このコンテストで一位になると思われる女性を選んで下さい」と言われたらどうするか。他の審査員の顔を見回して、この人たちだったらどの女性を選ぶだろうかと予想しなければならない。しかしその時点であなたはふと思い直す。「ちょっと待てよ、他の審査員も今の自分と同じことを考えているとしたら...」つまり他の審査員たちもあなたが選ぶだろう女性を選ぼうとしているかもしれない。だとすればあなたは素直にあなた自身が美人だと思う女性を選んだ方がいいのかもしれない。しかしもし他の審査員が同じように深読みをしているとすれば、やはりあなたは他の審査員の顔を見回して、この人たちだったらどの女性を選ぶだろう...と、あなたの深読みは限りなく続く。これが株価形成の基本的な理論だ。株を買う人は自分が好きな株を買うわけではない。他の人が買うだろう株(=値が上がるだろう株)を買う。上のたとえで言えば「他の審査員が選ぶだろう女性を選ぶ」ことになる。ところでこの経済学の理論はそのまま人間どうしのコミュニケーションにも応用できる。大人のコミュニケーションは自分の思ったことを素直に言えばいいわけではない。ある程度は相手の期待を反映したことを言わなければという配慮が自然に働く。しかしその配慮が強く意識されたときに問題が複雑になる。美人コンテストのたとえで言う、際限ない深読みが始まってしまうのだ。自分としてはこういう結果になるのが望ましいという想定がある。その想定を現実のものにするためには、その想定にしたいという自分の思いを素直に言った方がいいのだろうか、と考える。そのとき、自分も「素直に言う」ことに疑問を感じているなら、相手も同じように「素直に言う」ことに疑問を感じているはずだと考える。そうすると自分は「素直に言わない」方が得策だということになる。素直に言わない方が、相手はそれを素直に取らないだろうから、結果として自分の素直な気持ちが相手に伝わることになるからだ。しかし、もし相手も同じことを考えているなら、相手は自分に対して「素直に言わないでくれ」ということを素直に言わないはずだ。このとき、もし相手が自分に「素直に言って良いんだよ」と言ってくれているなら、相手は実は「素直に言えばいいってもんじゃないんだよ」と言っていることになる。この時点で相手が本当に「素直さ」を求めているのか、「素直に言わない」という形での素直さを求めているのか分からなくなる。それが分からない限り、自分は「素直に言う」べきなのか、あえて「素直に言わない」べきなのか決定不可能になる。つまり、期待形成にまつわる以上のような議論からわかるのは、お互いがお互いの望んでいることを読みとろうとしている状況にあるとき、事前にその結果を予想することはきわめて難しいということである。人のコミュニケーションというものはそれくらい危うい均衡の上に成り立っている。このことを哲学の分野で理論づけたのはご存じのようにヴィドゲンシュタインなのだが、今日のところはそこまで突っ込む余裕もないのでまた後日、ということで。

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2000/10/27

長野県庁幹部の品性を疑う

■長野県庁幹部の品性を疑う。初登庁の田中康夫知事へのあの対応はいったいなんだろうか。きわめて見苦しい。大人げない。田中知事自身の評価はこれからの業績にかかっているので、現時点でどうこう言う問題ではないが、県庁幹部らの態度は単なる嫌がらせ、小学生のいじめ以下だ。県民に対する冒涜と言われても仕方ない。一般市民を心の底ではバカにしながら仕事をしているお役人たちの本音が垣間見えた「事件」だ。お役人たちは他人に「選ばれる」とか、他人に「評価される」経験がないから、長年の勤務の惰性の中で自分たちが県民の税金で生活していることを忘れ、ああいう県民の意思を冒涜するような態度を平気でとってしまうのだろう。
■知事vs職員の対立は長野県だけでなく東京都知事の就任初期にも見られたが、これらの事例はお役所という特殊事情を割引く必要がある。ただ一般の企業にも、教育現場にも、そしておそらくは日本のいたるところ「閉鎖的な集団」は存在する。僕自身「パッケージソフト」などという言葉を口にした途端にバカにされるという経験したことがある。組織人なので自分の意見にあえて反するようなウソもつくが、それは将来的に自分の意思を貫くための方便である。こちらはそこまで考えて立ち回っているのだが、額面どおり受け取る正直な人に対しては罪悪感を抱いてしまうだろう。ともあれ開放的な組織と閉鎖的な組織には歴然とした差異が観察できる。そのことに自分で気づけなくなったら、そこで組織の成長は止まる。
■このホームページが読者に与える効果にはいくつかの特徴がある。その一つに次のようなものがある。僕としてはその人に向けて書いたつもりは全くないのに、読者の方が勝手に自分に向けて書かれていると思いこむというものだ。例えばAという出来事をヒントにして批判を書いているのに、僕と面識のある読者が自分のことを批判されているのだと勘違いする、などのパターンだ。たぶんこう書いていること自体を「私のことだ!」と勘違する読者がいるに違いない。そういう読者の方に申し上げたいのは、「まぁそう自意識過剰にならないで。僕は個人攻撃のような不毛なことに頭を使うほどヒマではない」ということだ。たとえ僕の批判が特定の個人との軋轢をヒントにしていたとしても、エッセーを書くにあたって僕自身にふりかかる個々の事件が解決されるかどうかはどうでもいい。それらの事件から他の人にも当てはまるような普遍的な論点をいかに抽象化するか、それこそが重要なことなのだ。個人的な生活に終始拘泥するならわざわざホームページで公開する価値があろうか(多くの「日記」サイトはそのレベルにとどまっているが)。個人の特殊性をカッコにくくって、個々の事件の本質をいかに記述できるか。それがこのページの目指すところであって、僕が出会う個々の事件について愚痴を言うことが目的なのではない。それを理解できない人はこのページを読まない方がいいということになろう。

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2000/10/25

何か買い物をするときの「買い方」の選択肢は昔と比べてずいぶん広がっている

■何か買い物をするときの「買い方」の選択肢は昔と比べてずいぶん広がっている。昔なら店頭におもむいて実物を見て店員と交渉しながら選ぶというのが普通のやり方だが、今ならインターネットで特売品を探すこともできるし、規格品ならオークションで安く落札してしまう手もある。いざ店頭で選ぶとなると時間的・体力的・精神的な制約があるが、オンライン・ショッピングなら数日かけて気の済むまで検索する慎重な買い物ができる。それだけ流通の環境も変わり、消費者にとって選択肢も広がっているのだから、逆に言えば広がった選択肢を有効活用できるかどうか、消費者の情報検索能力と頭の柔らかさにかかっている。いつまでも旧来の「店頭型」買い物法にこだわっていると、良い物を選んだつもりが、単に高いモノを買わされているだけということになりかねない。こと買い物という行為に関しては古い知恵がじゃまになる場合もあるということだ。僕らの世代は年長者と比較して賢明な消費者として誇るべき能力をもっているのである。一口に経験と言っても時代を経ても役立つ経験と、時代とともにムダになる経験もある。年長者が無条件に若者より思慮分別があるという考えは端的に間違っている。
■東京を醜い街にしているのは密集した戸建て住宅であるという主張にはまったく賛同だ(もっとも僕の利害が戸建て住宅所有者と完全に対立しているからだろうが)。だがこの主張を擁護するのに阪神大震災のような災害時の被害を小さくするためという理由を持ち出すのはあまり有効とは思えない。たしかに木造戸建て住宅の密集地はひとたび大震災が来れば壊滅的な被害を受ける。今、東海大地震が来れば死者が最も多いのは下町であるのは確実だ。実際、神戸の長田がそうだった。しかし日本は土地所有への執着が異常に強い国なので、持っている土地が小さければ小さいほど、死んでも土地を手放したくない人が多いらしい。ポイントはこの「死んでも」というところだ。都心で戸建て住宅を持っている人の価値観は倒錯している。つまり自分の命より土地の方が大事なのだ。死んでも子孫に土地を残す。そんな価値観を持っている人たちに対して「大地震が来たらあなた死んじゃいますよ」と言っても何の説得力もない。では現に土地を持っている人から土地を収容して、災害リスクの少ない街を作るにはどうすればいいのか。強権発動しかない、ということになるらしい。日ノ出町での石原都知事の決断がその先端事例だ。ところで墓地に対する考え方も同じかもしれない。死んだ後まで一定の大きさの土地を占有しなきゃ気が済まないのだから。

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2000/10/24

公正な競争のないところに良い物は何も産まれないわけだが

■公正な競争のないところに良い物は何も産まれないわけだが、それにつけても日本のこのNTTの寡占状態はどうにかならないものか。朝刊によれば公正取引委員会がディジタル加入者線について新規参入妨害の嫌疑ありとしてNTTの調査に入ったようだ。これだけADSLだCATVだとインターネットの常時回線環境が言葉としてはもてはやされているのに、そして東京めたりっく通信などのベンチャーが出てきているのに、現実が遅々としてついてこない背後には、NTTの新規参入妨害があったということだ。自社で提供している常時接続サービスの「フレッツISDN」さえまともに提供できていない事業者が(僕も申込んで3週間経ってもなしのつぶて)、他の事業者の妨害までやってしまうというのは犯罪的ですらある。やはりAT&Tのように分割するしかないのではないか。日本の trust busters は甘すぎる。

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2000/10/18

これはシステムエンジニアとしての常識だが

■これはシステムエンジニアとしての常識だが、限られた予算で新しいシステムを構築するとき、ハードウェアとソフトウェア開発と、どちらの費用を削るか究極の選択に迫られたら、削るのはどっちだろう?

答えはもちろんハードウェア。なぜならハードウェアは時間が経てば立つほど高性能な機械が発売されるので、コストパフォーマンスは上がっていく。一方ソフトウェアは利用者が新しい改善要望を次々に出してくるので、コストパフォーマンスは下がりこそすれ上がることはない。

最初に金をかけていいソフトを作っておけば、多少性能が悪くても後からハードを買い足して解決できるが、ソフトウェアに金をケチって最初にまずいものを作ってしまうと、いくらハードの性能を上げても問題は解決しない。また、要求される可用性の水準が低いシステムを載せるハードウェアは、予算が限られているなら冗長性や停電対策よりもバックアップ装置に金をかけるべきだ。

■仕事としてシステムエンジニアをやっていて思うことは、システムエンジニアには二種類いるということだ。一つは所与の仕様を実現するのにより効率の良い方法を見つけだすことに長けているSE、もう一つは新しいことを企画するのが好きなSE。自分は明らかに後者のタイプだと痛感する。

もともと文系出身で創造的な行為に魅力を感じるためか、AからBへの最短距離を見つけだす仕事よりも、AからむしろCへ行ってみることの方にやりがいを感じる。そしてその新しい道をいかに歩きやすいようにするか、その計画を立てているときに無上の喜びを感じる。両方のタイプのSEがバランスよく混在しているのが、システム開発をする組織として理想的なのではないか。

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2000/10/17

おおっ!名古屋を離れて早一年

■おおっ!名古屋を離れて早一年、なんと名古屋市営地下鉄・名城線に「名古屋ドーム前矢田」駅と「砂田橋」駅ができているではないか。ちょうど通勤路の途中だったので毎日のように名城線延伸工事の進捗を横目でにらみながら歩いていたものだった。おそらく僕がかつて働いていた職場の方々も、北門ではなく東門から出て「名古屋ドーム前矢田」駅で地下鉄に乗る人がずいぶん多くなったに違いない。あと気になるのはあの辺りで工事をしていた高架を走るガイドバス。あれはもう完成したのだろうか?名古屋にお住まいの方、どなたか情報お待ちしておりまっす。
■竹中平蔵氏はまだ分かっていないようだ。日経に例の「IT受講カード」擁護論を書いていたのだが、有効需要創出政策としての情報インフラ整備をすると同時に、サプライサイド政策として情報リテラシー向上が必要だという論旨だった。そしてサプライサイド政策としてのIT受講カードを必死で擁護しているのだが、IT受講カードが政策として有効かどうかを議論しているのではないのだ。ましてや、IT受講カードがサプライサイド政策であるかどうかを議論しているのでもない。真の問題点は、情報インフラさえ整っていない段階で、情報リテラシーをやって実効があるか、という点なのだ。仮にパソコンのパの字も知らない人が、たった12,000円分の教習で奇跡的にインターネットを使いこなせたとしよう。その人が自宅に帰って、いざバリバリとインターネットをやってやるぞ!というとき、そこにあるのはせいぜい64kbpsの従量制回線。「なんだ、こんなつまらないことしかできないのか。教習なんて全然意味がなかったじゃないか」ということになるのは見えているではないか。なぜ竹中氏はそんな単純なことが分からないのだろうか。例えば日本全国に高速道路はおろか舗装道路も全くなかったとしよう。そんな状態で、誰が苦労までして自動車の免許を取りたいと思うだろうか?日本の情報インフラは実用的にインターネットを使う最低限の水準にさえ達していないということを、竹中氏はまったく分かっていないのだ。経済企画庁はいろんな方面に色目を使う必要は全くない。NTT寡占体制を解体するための通信規制緩和まっしぐらにマンパワーを集中させてくれれば、それでいいのだ。その方がお役所の人的資源を効率的に使えるというものだ。

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2000/10/15

3文字言葉を批判する前に謙虚に学べ

■今月号の『日経情報ストラテジー』を読んであらためて思ったことがある。日本人のシステムエンジニアにはCRM、SCM、ERPなどの3文字言葉について「まずはその真価を問うべきであって流行に踊らされるなかれ」「IT革命にだまされるな」としたり顔で論じる人が多い。

しかし同誌にも書かれているように、CRMはそもそも旅館のおかみの心得であり、SCMはトヨタのカンバン方式である。日本人が蓄積してきた商売やモノづくりのノウハウの中にその萌芽はあったわけで、CRMやSCMの「真価」をすでに知っているはずなのだ。

にもかかわらずそれら3文字言葉にアレルギー反応を示すのは、単にそれらが英語で書かれているからにすぎないのではないか。じっさいCRMはcustomer relationship managementだから、日本語に訳せば「お客様との関係を大切に」ってことだし、SCMはsupply chain managementだから「物流のつながりを『作る』側から管理しましょう」だ。

それを自力で翻訳できないから毛嫌いしているにすぎないのではないか、と勘ぐりたくもなる。そうしたノウハウを抽象化し、他の企業にも適用できる仕組みにし、わかりやすいキャッチフレーズ付きで世界に売り込む。それを日本人ができないから、欧米のIT関連企業が代わりにやっている。それだけではないか。悔しかったら日本人はそうしたノウハウを抽象化する努力をするか、謙虚に3文字言葉を学ぶべきだろう。少なくとも日本人に情報システムの3文字言葉を批判する資格などない。

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2000/10/13

米大統領選、第二回討論の模様がニュースでちらっと紹介されていた

■米大統領選、第二回討論の模様がニュースでちらっと紹介されていたが、司会席にすわっているのはジム・レーラー氏ではないか。選挙の正式な手続として討論会の司会をつとめるほどなのだから、米国内では一級のジャーナリストあつかいなのだな、と感心した。司会のやり方ひとつで両候補の有権者に対する印象も変わりかねないのだから、非常に難しい役目に違いない。もし日本の総選挙に正式な手続として与野党党首討論みたいなのがあったら、誰が司会をやるんだろう。
■広末涼子が出演しているはちみつ黒酢ダイエットのCFソング、あれはエルガーの『Pump and Circumstances』じゃないかと先月の「愛と苦悩の日記」に書いたが、今日たまたま近くのスーパーで買い物をしていたらこの曲がかかった。やはりサビのメロディーが『威風堂々』そのままだ。でも英国人がこの曲を聴いたら「なんで?」と思うかも。

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2000/10/11

日経BizTechのWebサイトで竹中平蔵氏が堺屋経済企画庁長官の「IT受講カー...

■日経BizTechのWebサイトで竹中平蔵氏が堺屋経済企画庁長官の「IT受講カード」を擁護している。論拠は2点。(1)IT受講カードは有効需要創出策ではなく、人的資源を高める長期的視野に立ったサプライサイド政策であること、(2)ITは読み書き能力の問題であり、希望者のみが受講すべきものではなく義務教育と同等であること。たしかに新聞がIT受講券を「ばらまき」と評したのは短絡がすぎるとしても、竹中氏の擁護にはまったく説得力がない。もし(1)のように長期的な人的資源育成が目的なら、IT受講カードが想定している90分8回、12000円分という受講時間はあきらかに不足だ。まったくのパソコン初心者が自分でパソコンを買ってインターネット接続できる環境を整え、インターネット利用のリスクを認識しながらオンラインショッピングや電子メールを楽しく使いこなせるようになるのに12,000円分の講座で十分なわけがない。また(2)のように義務教育的な位置づけであるとの擁護は、堺屋長官の「20歳以上の受講希望者」という計画と矛盾している。また氏は「日本はインターネット普及率で米国はおろかアジア諸国に大きく遅れている。リテラシー向上のために、他国にも例のない思い切った政策が必要だ」と論じ、日本のインターネット普及率の低さが、まるで情報リテラシーの低さによるものであるかのように論じているが、この議論にも無理がある。日本のネット普及率が低い最大の原因は、言うまでもなくNTTの回線接続料が高いことである。同じサプライサイド政策を言うなら、「通信インフラ整備・通信コスト低減」というサプライサイド政策によって、国民にネット利用のインセンティブを与え、それが結果として民間IT教育業者への需要を喚起するというのが、政府として正しい政策の実行順序ではないか。なぜインターネットに二の足を踏む国民がいるのか。それはインターネットが難しいからではない。できるかどうか分からないものとしては投資額が大きすぎるから、あるいは(通信速度が遅くて)思ったより大したことができそうにないから、である。通信インフラ・通信コスト問題をさておいてIT受講カードなんてことを言い出すから国民の理解を得られないのだが、堺屋長官も竹中氏もそこのところがよくお分かりでないようだ。最終的に「案外森政権は長期化するかもしれない」などと論をしめくくっているのだから、竹中氏はIT革命論者を標榜しながら、日本的な悪しき「寄らば大樹の蔭」主義に陥りつつあるのかもしれない。

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2000/10/09

東京都内のフレッツアイを利用している

■東京都内のフレッツアイを利用しているが、ここ最近接続が悪くなっている。ダイヤルアップするとログオンできることはできるのだが、メールの送受信やホームページの閲覧など肝心のデータ通信がまったくできない。そんなときはいったん切断して再度ダイヤルアップすればだいたいうまく通信できるようになるが、週末の夜はほとんどの場合、再度ダイヤルアップしないとうまく通信できないようになってしまった。NTTという会社はOCNの失敗から何も学習していないようだ。こういう状態になる前にちゃんと設備増強してほしいのだが。
■せっかくの休日だというのに電気草刈り機の音で起こされた。いま集合住宅の1階に住んでいるのだが、裏庭が殺風景なので6月ごろ適当に金魚草の種をまいた。それが意外にも秋になってたくさん花を咲かせた。本来なら地表から何cmの深さに何cm間隔で、といった具合に気をつかってまかなければならないのだが、よく咲いてくれたものだと感心していた。決して美しい花ではないが、朝、カーテンを開けると庭先に赤やピンクの花が咲いている光景は悪くなかった。しかし今朝、半年に一度の草刈りで愛らしい花が跡形もなく刈りとられてしまった。

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2000/10/08

人間の避けられない悲劇

■人間の避けられない悲劇は、年を重ねれば重ねるほど可能性は狭まるのに、それとは裏腹にますます賢明になってしまうことだ。生まれた瞬間の人間は何にでもなりうるが、そのかわり何もわかっていない。年を重ねた人間はこれから自分がどんな人生を送るか先がよく見えてくるが、そもそも人生にはさまざまな可能性がありえたことを知り過ぎる。ここでなすべきことは、今という制約を謙虚に受け入れることなのだ。もしその謙虚さをなくして、いつまでも「自分はこうもありえただろう」という夢を見続けるとしたら、ますます多くのものを失い、気づいたときには目の前に何もなくなってしまっているだろう。人間が生の瞬間、瞬間に行う選択という行為は、それ自体、それまでに流れた時間の一つの終着点だあるが、他方ではそこからの時間が流れ出す始発点でもある。可能性の夢を見続けるということは、その始発点をずるずると後に延ばすだけで、何かを産み出すわけではまったくないのだ。
■NetworkComputing誌が創刊10周年を記念してこの10年間でもっとも重要な10製品をリストアップした。NCSAのMOSAIC、Novell NetWare 3.x、Cisco Systems 7500ルータ・2500ルータ、Microsoft WindowsNT、Kalpana EtherSwitch、Apache Web Server、Network Associates Sniffer、CheckPoint FireWall-1など企業内ネットワークの歴史を作った製品に混じってLotus Notesの名前があがっている。アプリケーションサーバ製品では唯一のエントリーだ。他のどの業務アプリよりいち早く分散コンピューティングの波に乗ったこと、まったく新しい業務アプリのカテゴリーを産みだしたことがその理由だ。同誌はNotesを評して「表計算ソフトやワープロは既存の事務用品のコンピュータ化されたメタファー以上の何物でもなかったが、Notesはメッセージング、グループ討議、スケジュール管理、データベース管理、フォーム(様式)、ワークフローなどの要素を含んだ唯一のハイブリッド製品だった」。たしかにNotesは事務処理の世界にすでに存在する何物かの単なる代替品ではない。それ自身が新しい仕事のスタイルを産みだしたと言える。そして組織や業務の改革にまで踏み込んで、その真のインパクトを引き出し得ている企業はまだごくわずかしか存在しないのではないか。ツールを生かしきれない自分たちの非を、道具の性能や技術的な問題に転嫁するのは筋違いなのだが、MS-ExchangeのLotus Notesに対する攻勢が、ActiveDirectoryとの融合などMS固有の技術的囲い込みに終始しているのは危険だ。非本質的なところに利用者の目をそらさせるのはMSのマーケティング戦略の常で、そのおかげで利用者は免罪符を得て「今までうまくいかなかったのは道具のせいだ。MS製品を使えばうまくいく」と自分を納得させることができる。
■ところで同じ10周年企画として「最悪のNG集 TOP 10」「読者が告白したとんでもミス ワースト10」などのリストも掲載されている。ネットワークの仕事をしたことのある人ならなかなか笑える項目もあるので是非ご一読を。

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2000/10/07

政府はほんとうにバカだ

■政府はほんとうにバカだ。学ぶ気のない国民に無理やりIT教育を受けさせるのに国費を使うなら、同じ費用を高速回線の敷設につぎこめ。政府がなすべきは「場」の整備であって、
■ここ最近Underworldの新譜『Everything Everything』のヘビーローテーションでそろそろ飽きがきたので、銀座HMVへCDを仕入れに行った。お目当てはNana Mouskouriと、HOUSEを何か。Nana MouskouriNana MouskouriはWORLD MUSICコーナーで意外と簡単に見つかった。Universalレコードの「The Universal Masters Collection」という往年の名盤をディジタル・リマスタリングしたシリーズの1枚として彼女のベストが発売されていたのだ(Mercury『Nana Mouskouri』PHCY-2015)。Nana Mouskouriは1934年ギリシア生まれの女性ボーカルで、『日曜はダメよ』で有名なギリシアの作曲家マノス・ハジダキスによる『アテネの白いバラ』で1959年にデビュー。『日曜はダメよ』で1961年フランス・デビューも果たしており、このアルバムにも1963年録音の同曲が収録されている。高く澄んだ声はまさに今流行の「癒し系」。読者の中にはナナ・ムスクーリの名前を聞いても「誰それ?」と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、つい先日ドラマ歴代視聴率の記録を塗りかえたお化け番組『百年の物語』の主題歌「Only Love」を歌っている女性だと言えば分かるだろう。アルバムの解説によればこの「Only Love」は1984年フランス制作のテレビドラマ・シリーズ『ミストラルの花嫁』の主題歌らしい。参考までにロマンチックな正田訳を掲載しておく。

FULL LICKさてもう一枚のHOUSEの方だが、迷いに迷った挙げ句、SATOSHI TOMIIE『FULL LICK』(1999年)を購入した。ざっと聴いてみて分かったのだが、どうやら僕はボーカル入りのHOUSEがあまり好きではないらしい。このアルバムからのヒット曲「INSPIRED」などはたしかに聴きやすいが、あまりにadult oriented過ぎて退屈なのだ。僕がTECHNO/HOUSE系の音楽に求めているのは、実験性や逸脱であると実感した。Underworldのprogressive houseを「好きなことをやりまくっている」と評した人がいるが、『FULL LICK』はお行儀が良すぎる。前衛性のない電子音楽なんて語の矛盾だと思うので、個人的にはUnderworldの方がはるかに面白い。

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2000/10/06

今日の地震にカタストロフの風景がよぎる

■今日の鳥取の地震では港区にある職場のビルの24階が船のようにゆらゆら揺れた。首都圏のビルの高層で仕事をしていた人も同じような揺れに襲われたらしい。大きな地震に襲われるたびに脳裏によぎるのは、文字どおり「カタストロフ」と呼ぶにふさわしく全壊した都会の風景で、『新世紀エヴァンゲリオン』のサード・インパクト後の地球に近い。そうなったとき自分はどうなってしまうのか。ただ子供の頃からときどき非現実的な空想にひたるクセのある僕は、むしろ単調な現実が仮の世界で、本当に僕が生きるべき世界はどこか遠くの別の場所にあると思ったりもする。

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2000/10/04

仕事の妥当性を判断する基準は「開放性」

■組織の中で新しいことをやろうとするといろいろなかたちで抵抗や陰湿な嫌がらせめいた目に遭うこともあるが、自分のやっていることの妥当性を判断する一つの大きな基準はやはり「開放性」だと実感した。

毎日同じメンバーで同じようなことを繰り返していると、毎日やっていることが、毎日やっているというその事実だけであたかも妥当性をもっているかのような錯覚に陥る。しかしそれ自体で妥当なことというのは存在しないわけで、妥当性は絶えず何かとの比較(差異)で検証し続けることによってしか保証されない。外部との対話を続けることで初めて妥当性は確認される。

外販対応のシステムエンジニアから社内情報システム部門に転職して、「動き」のない環境の中で自分自身の妥当性を確認できなくなるのではないかというのが最大の危惧だったが、部門の旧習を破ってあえて外に出る仕事の仕方を選んだ結果、交換する名刺の数はそこそこのレベルを保っている。

組織人が組織とともに腐るか生き残るかどうかは、組織の外部とどれだけ頻繁に接触するかにかかっている。外へ踏み出す仕事のスタイルを選べなければ、退屈な仕事に縛られるのは仕方ないし、それをできない人間ができる人間を不愉快に思うことこそ組織の腐敗度をよく示している。このページの読者にも社内情シス部門の方がいらっしゃるようだが、セミナーでもベンダー主催の勉強会でもいいので、とにかく外部との接触を切らないようにしよう。それが自分の妥当性を確保するもっとも有効な手段である。

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『The Economist』Webサイトのすすめ

■すでにお気づきのように英『The Economist』のWebサイトが今月からリニューアルされている(拡張子からすると開発ツールはColdFusionらしい)が、先週号のsurvey of the new economyは一読の価値ありだ。今回のリニューアルでご親切に印刷用ページまで追加されたので、Webサイトでぜひどうぞ。

いわゆる「ディジタル・ディバイド(情報格差)」に関する俗説の論駁や、米国のIT関連株は明らかにバブルであること、ITは果たして鉄道や電機など過去の技術革新に匹敵する経済効果を持ちうるのか、などなどについて、米国のビジネス誌のような極端な楽観論にも、あるいは極端な悲観論にも陥ることなく、慎重かつ堅実に論じているので非常におもしろい。こういう繊細さこそ経済誌としての良心であって、一企業の債務超過疑惑で部数を稼ごうとするような「特ダネ・すっぱ抜き主義」の日本の経済誌とは違うところだ。それにつられる日本の会社員も会社員だが。

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2000/10/03

転職活動中、履歴書の「スポーツ」欄に「水泳」としか書けなかった

■転職活動中、履歴書の「スポーツ」欄に「水泳」としか書けなかった。球技が不得意なので唯一できるスポーツといえば幼稚園のころから習っていた水泳だけなのだ。しかも「水泳」と書くにしたって夏でさえ泳ぎに行くことはなく、やってもいないスポーツを履歴書に書くのが「学歴詐称」ならぬ「スポーツ歴詐称」のようで軽い罪悪感を抱いていた。しかしこの夏から本格的に泳ぎ始めた。これほど足しげく温水プールに通うのは何年ぶりだろうか。泳ぐ快楽はいくつかのディテールに存在する。たとえばクロールなら、呼吸をするため顔を水から半分だけ出したとき、頬をなでて過ぎる水の抵抗。平泳ぎなら力強く水中をキックして全身が伸びた瞬間、ぐんと後ろへ流れ去る水中の景色。それらに共通するのは水の抵抗感。困難すぎる生活が憂鬱なように、安逸すぎる生活が退屈なように、ほどよい抵抗感は快楽をもたらす。

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2000/10/02

システムエンジニアが単なる技術屋で食っていける時代は終わっているはずだが

■システムエンジニアが単なる技術屋で食っていける時代は終わっているはずだが、戦略的にものを考えられるSEがいない職場で仕事をするというのも乙なものだ。CRM、SFA、ERPなどの3文字言葉を批判することが良識であるかのように考えているSEがいるが、それを言う資格があるのは少なくとも一度は3文字言葉を実践した経験のあるSEだけだ。たしかに3文字言葉はソフトハウスのマーケティング戦略のためでもあるが、言葉にすることで初めて道しるべが明確になるという効果は十分にあるはずだ。
■先月の「防災の日」に会社でもらった賞味期限直前のカンパンがまだなくならない。僕は酒をまったく飲まないかわりに夜に間食をするので、夜食代が浮いて重宝するのだが、いい加減カンパンの味にも飽きてきた。カンパンを美味しく頂く方法、ご存じの方ご教示ください。

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