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2000年1月の記事

2000/01/31

NOVA津田沼教室のVOICEにはもう行かない

■NOVA津田沼教室のVOICEにはもう行かない。NOVAのVOICEクラスの最大のリスクは教師の質ではなくて生徒の質だということに今日気づかされた。VOICEクラスは生徒が来たいときにふらっと立ち寄って、帰りたくなったらいつでも帰れるので、その日・その時間によって生徒の顔ぶれがガラッと変わる。一番面白いのはそれなりに話せる生徒ばかりが偶然集まったVOICEクラス。次に面白いのはあまり話せない人も混じっているけれど、そういう人たちもなんとか話そうと努力するVOICEクラス。まあまあなのは生徒が全員口数の少ないVOICEクラス(少なくとも僕はどんどんしゃべれるのでそう悪くはない)。だが今日僕は最悪のVOICEクラスというものを体験した。一人のやたらとよく笑ってやたらと声の大きい女の子が擬音だらけの英語と言うに値しないような拙い英語で、よく見知っている生徒どうしの内輪ネタでVOICEクラス全体を仕切ってしまうのだ。教師はなんとかちゃんとしたディスカッションに仕向けようとするのだが、その女の子が面白くもない冗談で軽~い話題に切り替えてしまう。僕はまだ津田沼教室に入って1か月なので生徒どうしの誰と誰が知り合いだとか、誰がどんな仕事をしているとかそんなことは知らないし、知る必要もない。だって僕は気分転換やお遊びでNOVAに来ているのではなくて英語力の向上を目的に授業料を払っているのだ。なのに生徒同士の親睦のためにVOICEクラスを私物化されたのではたまらない。その女の子はどうやら「不登校」をしていたみたいで、どうやらNOVAにようやく自分の「居場所」を見つけたらしいのだが、こっちとしてはとんだばっちりだ。というわけで津田沼教室へは余程の事情がない限り行かないことにした。生徒の質こそがNOVAのVOICEクラスの最大のリスクだということに今日気づいた。

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2000/01/30

『通販生活』「語尾上げ言葉撲滅キャンペーン」の無知

■『通販生活』のテレビCM「語尾上げ言葉撲滅キャンペーン」における制作者サイドの「井の中の蛙ぶり」には腹立たしささえ感じる。まず(1)あのCMは「語尾上げ言葉」がテーマであるにもかかわらず録音が悪いため登場人物の肝心の「語尾上げ言葉」が明瞭に聞き取れない。(2)そもそも「語尾上げ言葉」は関東方言特有の現象であって、たとえば大阪人には無関係である。

『通販生活』のCMは「通販」とはまったく無関係な事柄をテーマとするところに妙があるのだから、そのテーマを伝えることに失敗したのではどうしようもない。その失敗作をあれだけ堂々と放送するのは制作者の奢りとしか言いようがない。

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M社超薄型ノートのマーケティング関係者からメール

■以前このページで「超薄型ノートのマーケティング論」と題してSONYのVAIOと今は見る影もないM社のPという製品を比較して論じたが、実は最近そのM社のPという製品のマーケティング関係者からメールを頂いた(念のため断っておくとその方はM社社員ではない)。

その方の守秘義務があるのでメールの内容はもちろん紹介できないが「なるほどありそうなことだ」と大いに納得した。ただ最近のM社を見ていると少なくとも携帯電話機の事業では超薄型ノートPの失敗から多くを学んでいるように見える。

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ENIGMA『The Screen Behind the Mirror』は失敗

■買って失敗したCD。ENIGMAの『The Screen Behind the Mirror』。こんな通俗的な音楽で大聖堂に入った崇高な気分(日本語版の帯にはそう書いてあった)になれるか!バッハの『音楽の捧げ物』でも聴く方が余程神聖な気分になれるぞ。金返せ!

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2000/01/23

NOVAのVOICEレッスンに入りびたりの週末

■この週末もNOVAのVOICEレッスンに入り浸っていた。今のところそれ以上に面白い週末の過ごし方がない。英語を話す快楽の他に、ふだんの生活で出会わない高校生・大学生との会話も良い。

週末は何もせずリラックスしたい人、週末こそ「充電」したい人、二つのタイプの人がいるだろうが僕は後者。可能な限り濃密な時間の週末を過ごしたい。それには本が最適。本屋に立ち寄るたびに読みごたえのありそうな本を探すが、休日にビジネス書を読むのもうんざり。ビジネスはcreativeに頭をつかう必要がないから面白くない。足は自然と哲学・思想のコーナーに向かう。

だが最近はこれといって読みたい本がない。そういうときは月刊『現代思想』をチェックしてみたりするが興味を引かれる特集が少ない。大学を卒業してから現代思想のトピックをフォローしていないのだから無理はない。強いて言えばジェンダー関連の話題に反応してしまう程度。

最終的に洋雑誌コーナーにたどりついて『The Economist』を買ってしまう。いっそ年間購読にしちゃおうかな。そういえば就職してしばらく『The Nikkei Weekly』と『NEWSWEEK』を購読している時期があった。それが今『The Economist』を読んで、ある程度楽しめるってことは僕の英語力は進歩しているということか?仕事は頑張っても顧客次第で成果が出ないこともあるが、英語はやればやっただけ成果が見える。短期的な目標中心に社員を管理するのもどうかと思うが。

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2000/01/21

日本のとある農村で村人全員をホームページで全国に向けて紹介する試みが行われた

■日本のとある農村で村人全員をホームページで全国に向けて紹介する試みが行われた。ところが実際やってみると自分の住んでいる村にこんな人がいたのか!という具合にむしろ村内のコミュニケーションに役立っているという。農村でさえ隣りに住んでいる人のことをよく知っているわけではない。案外インターネットは遠くの見知らぬ人より、近くの知人とより密なコミュニケーションするのに適した通信手段なのかもしれない。すぐ隣りに座っている同僚とメールのやりとりをするというのはよく冗談のネタにされるが、インターネットを遠隔地間の通信手段としか見ないことこそインターネットの可能性をせばめるのではないか。

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2000/01/17

NHK特集:トルコ大地震の日本支援が大失敗

■今日のNHK特集でトルコ大地震の被害に対する日本の援助物資が完全な失敗だったというリポートがあった。神戸の仮設住宅をトルコまで輸送したのは皆さんご存じだろうが、技術者を十分に派遣しなかったため現地のトルコ人スタッフが試行錯誤して建築しなければならなかった。その上住宅のつくりが寒い気候に合わないし、トルコと配管の規格が違うので水漏れが起こる。

他方ドイツは資金援助だけして現地のプレハブ住宅を調達する方法を選んだ。その方がドイツとしても安上がりだからだ。また建設後も管理者を常駐させているらしい。相手の事情を考えず親切の押し売りをするとは、いかにも国際感覚を欠いた日本人らしい失敗だ。

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自尊心を取りもどすためのNOVA

■今日も自尊心を取り戻すために(?)NOVAに行ってきた。今の仕事は英語を使わないので、NOVAでせいぜい英語を使って錆び付かせないようにしなければ。今日はVOICEを3コマ受講したが3コマめのイギリス人女性の先生は小柄で美しいQueen's Englishをしゃべる典型的なインテリって感じで知的な会話を楽しめた。

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米国の低失業率とインフレ抑制

■日本の景気が米国に大きく左右される以上、米国経済のマクロ指標に敏感にならざるをえないが、米国労働市場が未曾有の低失業率でありながらインフレは抑制されているという事実を誰もが不思議がっているようだ。

今週の『The Economist』によればその要因は(1)労働力供給の拡大、つまり女性やマイノリティー、不法移民がどんどん労働市場に参入していること(当然不法移民は政府の正式な統計には現われない)、(2)失業とインフレの関係そのものが変化している、つまりドル高と物価の低さのおかげで労働者が低い名目賃金でも満足できていること、あるいは従来の賃金指標が賞与やストックオプションを性格に測定できていないかもしれないこと、あるいはNAIRU(インフレを起こさない失業率水準)そのものが本当に低下していることがある。

NAIRU低下の原因としては、男性労働力の2%が何らかの理由で投獄されていること、契約労働者の増加など労働市場の流動化などの説がある。他にグリーン・スパン議長がよく持ち出す説として(3)労働環境の不安定さがある。急速な技術革新による失業を恐れ、たとえ賃金が上がらなくとも今の仕事を続ける労働者が増えていること。いずれにせよマクロ経済学者にとっては興味深いサンプルなんでしょうね。

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2000/01/16

今日は人と会っていた

■今日は人と会っていた。家に帰ってきてから急に寂しくなって学生時代の日記を引っぱり出した。たまたま開いたページはとても凝った嗜好の日記で、僕の死後、その日記が出版されて、高校生時代の知人がその「あとがき」を書いたらどうなるか、という想定で書かれている。つまり日記の中で僕が第三者の立場になって、すでにこの世にいない自分自身の日記を読んだときの感想文を書いているという嗜好だ。で、その架空の「あとがき」は日記の筆者(つまり生前の僕)に同情を抱きながらも、筆者の自意識過剰ぶりや被害者意識を批判するという手厳しい内容になっている。そしてその続きのページには、その「あとがき」に対する架空の東京大学教授の批判が書かれている。
■ついでに僕の就職直後の日記からの引用。「私たちはグラスの中のジュースを吸い込んだわけではない。口の中の気圧を下げた結果、ジュースが上がってくるだけだ」
■一昨日エリアフ・インバル指揮のマーラー交響曲第4番のCDを引っぱり出して聴いた。とおして聴くのは数年ぶりだ。4番はマーラーの交響曲の中でも室内楽的な美しさを持つとされているので、夜中に部屋の照明を落として聴くにはもってこいだ。

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2000/01/10

今日も当然NOVAに行ってきたが4時間でやめにした

■今日も当然NOVAに行ってきたが4時間でやめにした。寝不足で体調が悪かったのと、「第一失望期」に入ってきたから。他の人はどうか知らないが僕は何か新しいことをはじめると最初は評価が良くても間もなく失望し、また良いところを見い出すが、しばらく経つとまた失望する、という具合にプラス評価とマイナス評価の間を往復して評価が一定しない。NOVAのVOICEレッスンについても出席4回目にして早くも第一回目の失望期に入ったというわけだ。でもNOVAのVOICEレッスンの場合それを回避する手段がある。VOICEレッスンは全国のNOVAのどこへでも飛び入りできるので、千葉近辺の各教室をわたり歩くという手がある。ただ英語で軽い話をすること自体にうんざりしてきたらどうしようという危惧もないことはない。もう少し鈍感に生まれたかった。

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2000/01/09

いろいろな人と話していて分かるの

■いろいろな人と話していて分かるのは、僕という人間がふだん関心をもっていることのほとんどが自分の日常生活と遊離した事柄だということ。たとえば車好きの人は実際に車を持っているし、ダンス好きの人は現にダンスをしているし、華道好きの人はお茶会に出席している。なのに僕はアメリカに住んでいるわけでもないのに米国のマクロ経済政策に関心をもったり、ユダヤ人でもないのにフランスのパポン裁判に興味をもったり、一平社員なのに日本的経営を分析したりする。そういうわけで誰かにいきなり「あなたが最近興味をもっていることは?」と問われると、まずしばらく困惑してから、日常生活からかけはなれたものすごく大げさな問題について語り始めざるを得なくなる。ところが地に足のついた生活をしている人と一日、日常生活のなんでもないことについてつれづれに話していると、意外にそういう些細なことにも語るべきことがたくさんあることに気づく。
■『題名のない音楽会』に東儀秀樹(ご存じない方は東芝EMIのこちらのページを参照)が出演して、最後にオーケストラ編曲の『越天楽』を演奏していた。今更ながら笙(しょう)と龍笛(りゅうてき・横笛)が女性によって演奏されていることに気づいた。鎌倉時代以降の能・狂言・歌舞伎は男だけの世界だが、奈良・平安の雅楽には女性が当然のこととして参加していたということだ。

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2000/01/08

午後2時から夜9時まで7時間

■午後2時から夜9時まで7時間、夕食も先延ばしにして「午後の紅茶」一本だけでNOVAのVOICEルームに入り浸っていた。あれだけ英語の世界にいると、NOVAから出てきた瞬間、誰かに話しかけられたら英語で答えてしまいそうになるし、周囲で話されている日本語を無意識のうちに英語として聞き取ろうとしてしまう。一つの部屋にカンヅメになって初対面の人たちと7時間日本語で雑談しろと言われても絶対できないが、英語ならできてしまうというのは不思議な体験だ。英語を使う仕事ならもっと楽しくできるのだろうか。いずれにせよ1枚2000円のチケットで7時間だから休日の絶好のヒマつぶしにはなる。

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2000/01/07

会社の人と飲みに行くと

■会社の人と飲みに行くと(僕自身は飲めないが)グチばかりでイヤになる。上司のグチならまだいいが、自分が扱っている製品のグチほど不毛なものはない。メーカーによっていろんな個性を持った製品があってその「違い」で競争しているのだから、それぞれに一長一短あって当然だ。ところがその短所ばかりをやり玉に挙げる。「自分は製品の欠点をあげつらうことができるほどの業務知識があるのだ!」という自尊心を満足させているのか?それより長所をちゃんと引き出してやることに専心した方がイヤな仕事が少しでも楽しくなるだろう。そういう人に限って仕事がイヤだとこぼしているのだから自己矛盾している。
■もう一つ気付いたのはヒエラルキーの下層に位置する人に対するコンプレックスだ。大企業に勤めている以上、親会社が下請け(あえて下請けという表現を使わせてもらうが)の上前をはねて商売するのは避けられないヒエラルキーだ。だからと言って「親会社=悪/下請け=善」というのは発想が素朴すぎる。独立できる下請け企業ならとっくに独立しているだろうし、そうなっていないのはそういうヒエラルキーがとりあえずは両者にとって経済的に合理的だからだ。そういうヒエラルキーの中で働いていて、例えば下請け会社の社員が親会社を不愉快に思っていることを聞いて、親会社の社員でありながらその下請け会社の社員に同情するほど偽善的なことはない。と、僕は思うのだが。

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2000/01/06

今日もNOVAに出かけてしまった

■今日もNOVAに出かけてしまった。昨日と違ってとても流暢にしゃべる女性が一人いたのでとてもやり甲斐があった。今の生活ではNOVAで英語を話しているときがいちばん幸せだ(プライベートで誰かさんといっしょのときを除いて)。その理由は(1)日本人どうしで話してもつまらないことが、ネイティブと話すと基本的なバックグラウンドが違うので面白くなる。(2)僕は日本語で話すときもかなり考えてからでないと話せないのだが、英語で話すときは考えてから話すのがノーマルなので、逆に日本語で話すときのようなプレッシャーを感じなくてすむ。(3)技術的に困難なことをやってのけること自体に快感を覚える。(4)英語の響きは日本語の響きよりも口に心地よい。とくにrの巻き舌音が。(5)閉塞感のある日常の自分自身が何かあたらしい土地に一歩踏み出したような気分になる。(6)VOICEクラスでたまたま顔を合わせたメンバーとはその場限りの交友であることが初めから分かっているので、持続的な人間関係を保たなければならないというプレッシャーがない、などの理由だ。NOVAで英語を話すことに幻滅するか倦怠するかまでしばらくの間はNOVA依存症になるだろう。

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2000/01/05

年初早々NYで株価急落

■年初早々NYで株価急落。それを受けて東証もハイテク・通信関連株を中心に急落。香港市場は輪をかけて暴落。やはり今年の日本の景気にとって最大の懸念材料は米国株式市場のネット・バブルのようだ。米国人はグリーン・スパンFRB議長を神様と勘違いしているのでは?という意地悪な米国経済人もいる。にもかかわらずNHKのニュースを見ていると、今日東京で開かれた経団連主催のパーティーではわが国経済界の要人が口をそろえて「欧米標準が世界標準になる」「グローバル化に乗り遅れてはならない」と言っている。なんだこりゃ。あまりに日本的な「横並びグローバリゼーション」。米国のネット・バブルがはじけたときには株価重視の経営を標榜する日本企業はやはり「横並び」でドつぼにはまるんでしょうな。
■ここ2年ほど電車に乗っていつまでも目的地に着かないという夢をよく見る。今日もそうだったのでいつもより余分に眠った気がして心地よい目覚めだった。というよりそもそも目的地があるのかどうかも判然としない夢なのだ。じっさい僕は電車にゆられながらぼんやり車窓の外を眺めるのが好きだ。自分は何もせず通りすぎていく風景をただ眺めるのが性に合っているのだろう。「傍観者」という言葉にはふつうネガティブな価値しか与えられないが、あのまま夢が覚めずに永遠に電車が走り続けてくれたらと思った。あてもなく...。
■初めてNOVAのレッスンに出席。前にも書いたように僕が申し込んだのは「VOICE」と呼ばれるfree conversationのクラスだが、今日の参加者は全体にレベルが低く、かなり退屈だった。でも英語を使う機会がないよりはましなので、こまめに通うようにしたい。今度の土曜日は4時間くらいネバってやるか(参考:NOVAのVOICEクラスは一日1枚のチケットで何時間いてもいいし、日本中のどの教室でも飛び込みで参加できる。レギュラーレッスンは特定の教室でしか受講できない)。
■今日皇室関連の番組をチラッと見たらヴァイニング夫人が取り上げられていた。それで思い出したが『The Economist』アジア版の1999/12/11号の物故欄が何とこのElizabeth Vining女史。言うまでもなく今上天皇の家庭教師。終戦直後の日本には英語の家庭教師として経験豊富な人材が多くいたのに、教授経験がわずかしかない彼女が選ばれた。スコットランド人を祖先にもつ古いアメリカの家系の出で、クウェイカー教徒。当時40代後半で子供のない未亡人だったという。
■ちなみに『The Economist』ミレニアム特集1000/01/01(←この年号間違いじゃないよ)~1999/12/31号の物故欄は「神様」。相変わらずironyが効いてますなぁ。

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2000/01/03

正月休みもあっという間に終わり

■予想どおりあっという間に正月休みも終わり。正月休みに入る前日、家路をたどりながら「きっと1月3日には『あっという間に終わったなぁ』と思っているんだろうなぁ」と思っていた通りになった。というより連休の最後の日にそう思うのは当然だから予想も何もない。問題なのは楽しみが始まる前から楽しみが終わった後のことを考えてうんざりするせいでその楽しみを心ゆくまで楽しめなくなる性格だ。楽しみが始まるときにはすでに終わりも始まっている。ついつい楽しみや幸福なんて永久には続かないのだと虚無主義的になってしまう。素直に楽しみを受け入れられる時が来るといいのだが。

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2000/01/02

今日、重い荷物を持ってJRの駅をうろうろした方はお分かりのように

■今日、重い荷物を持ってJRの駅をうろうろした方はお分かりのように、今JR駅構内のコインロッカーとゴミ箱は全面使用禁止になっている。先日浦和駅でおこった爆弾テロ事件のせいだ。でも無差別テロで狙われるのはコインロッカーだけではないし、例年どおり不審物が見つかったときには駅員に届けるよう利用者に注意を促しておけばいい。「全面」使用禁止にするのは単にJR側の都合のような気がする。帰省客の多いこの時期にコインロッカーが使えないのは乗客にとってとても不便なのだ。少し前、DDI、IDO、KDDの連合について日本経済新聞のコラムが全く体質の違う3社の連合がうまくいくのか疑問視していた。そこでKDDの官僚的体質の例として出されていたのがKDDの受付にあるという「輻輳している場合は...」という看板だ。「輻輳」というのは通信技術の専門用語で回線が混雑しているという意味で一般人には分からない。「受付が混雑している場合は」と言いたいらしいのだ。この日経のコラムを読んで思い当たったのが電車の「回送」という表示だ。英訳では「Out of Service」となる。よく考えてみると「回送」というのは運行ダイヤのつじつまを合わせるために電車を空のまま特定の駅へ走らせるという意味で、完全に鉄道会社側の都合による命名だ。英語の「Out of Service」は日本語になおせば「利用できません」となり、ちゃんと乗客の立場からみた表現になっている。「Out of Service」と言うべきところを「回送」と言ってしまうところに日本の鉄道会社の官僚的体質がうかがえる、というのはうがちすぎだろうか?
■フェイ・ウォンの出演しているJ-PHONE関西のテレビCMを観たぞ。日本語しゃべってる!最新アルバムからの曲が使われている。こんなCMを毎日観られるなんて、関西人は幸せなやっちゃ。

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2000/01/01

この「愛と苦悩の日記」のファイル名は実は2000問題非対応だけど

■この「愛と苦悩の日記」のファイル名は実は2000問題非対応だけど、制御系システムで最大の危険日(って書くと別の意味になっちゃうな)だった2000年1月1日0時はどの国も大過なく終えたようで何より。ただし企業の業務システムに関してはまだ危ない日が待ち構えてる。仕事始めの1月4日、今月の締め処理が行われる来月初め、1999年度から2000年度への繰越処理が行われる今年の4月~6月ごろなどなど。まだ安心するのは早いんだけど、世の中はすっかりもう大丈夫モード。いいのかなぁ。
■昨年末の『The Economist』で2000年代に課題を残す問題といえばWTOの決裂だろうか。労働基準法にこだわる米国は途上国で苛酷な労働を強いられる子供たちの人権を守る大義を標榜しているけれど、本音は既得権を失いたくないだけ。仮に子供たちから労働の機会を奪えば、今手にしているわずかの賃金さえ奪われて子供たちはさらに貧しくなる。労働条件の改善を強制すればそのコストが輸出品価格に転嫁されて途上国は国際市場で唯一の競争力である「安さ」を失ない、早晩子供たちは失業することになる。途上国政府が補助金でコストをかぶればインフレなどの悪影響が見えている。結局途上国にとって自由競争は豊かになるための唯一の選択肢ということだ。たとえそれが子供たちに過酷な労働を強いようとも。環境問題についても同じことが言える。今途上国に環境保護コストの負担を強制することは途上国から経済成長の可能性を奪うことになる。これが『The Economist』の論旨だ。では途上国児童の過酷な労働条件と環境破壊を放置していいかと言えばそうではない。排出権取引は「市場化」による解決策の一つだが(排出量をちゃんと監視できれば)、児童に過酷な労働を強制する権利(?)は取引できない。他方で自由競争は先進国内部の貧富の差をも拡大させる。自由競争が結果的にはすべての人に幸福をもたらすなんて楽観論が通用しない世の中になっていることだけは確かだ。しかし米国経済はそうした楽観論のイケイケムードに酔っている。NYSEのネットバブルは東証にも飛び火しつつあり、日本でもIT産業の隆盛が無条件に「善」とされている。しかし『The Economist』はもう一つ、英国人の国民性として大事な点を指摘している。それはironyの精神。『BUSINESS WEEK』のようなナイーブな楽観論を冷静になだめすかすironyも必要ということだ。米国流の楽観論でネットバブルに浮かれていては、おそらく日本はもう一度バブル崩壊の憂き目を見ることになるだろう。人はパンのみにて生きるにあらず。この国がなすべきことは米国といっしょにネットバブルに浮かれることではないはずだが。

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