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1998年4月の記事

1998/04/26

名古屋・栄にやっと無印良品が誕生

■名古屋の繁華街・栄に、やっとのことで「無印良品」ができた。かなり大きな店舗で、自転車から歯ブラシまで生活用品はだいたい手に入る。値段も手ごろで、ついついチノパンとTシャツを買ってしまった。チノパンを選ぶとき、ウエスト73か76かでかなり迷ったが、ひょっとしたら入らないかも...と思いながらも73を買った。家に帰ってはいてみたらバッチリ。われながら28歳の誕生日を間近に控えて、まったく中年太りの兆候を見せないスレンダー・ボディーに満足。

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1998/04/25

過剰な「現場主義」の弊害

■ニュース番組で自民党の白髪の代議士が、従来型の土木中心の公共事業を記者に詰問され、憤慨した口調で言い返した。「あんたらは分かってない」。田舎にはまだまだ道路や橋が必要であり、それが国家の経済にも益するというわけだ。

最近、「企業における過剰な現場主義の弊害」について考えていたのだが、この代議士と、過剰な現場主義を標榜する経営者は、とてもよく似ている。現場コンプレックスと地方コンプレックスはよてもよく似ている。現場主義の経営者は元現場担当者であり、出世の階梯をのぼりつめた引け目もあって現場を持ち上げる。地方出身の代議士は飽くまで「善意」から地方に公共投資をバラまく。「善意」や「敬意」を褒めるのはたやすいが、それらは必ずしも正しいとは限らない。

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1998/04/23

英会話研修が今の生活で最も有意義な会話

■会社の研修で受講させてもらっている英会話の授業が、僕にとって1週間のうちでいちばん「実のある」会話ができる時間だ。先週は環境問題にからめて moral apathy の問題を(英語で)議論した。それに比べて、たまに同じ職場の人たちと飲みに行ったときの恐ろしく下らない話よ。分かりきったことを繰り言のように。自宅はどこだの、野球はどこのファンだの、家族の話だの、小市民的幸福の相互確認以外に話すことはないのだろうか?理解に苦しむ。

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1998/04/19

ドリアン助川『正義のラジオ』で「教師の性暴力」

■昨夜、久々にドリアン助川の「正義のラジオ」を聞いた。テーマは「教師の性暴力」。じっさいに被害にあっている女子高生2人が、電話で出演。ドリアン助川氏はその理不尽さに怒りを表現。全国からも(やられるあんたが悪いという一部のバカを除いて)励ましの電話やFAX。来週もこのテーマで行こう!

これはおかしい。そう思いません?性暴力の被害者である彼女たちに必要なのは、訴訟に持ち込んで加害者を有罪にするための実際的なノウハウでしょ?いくらドリアン助川が義憤を表現したところで、何になるの?もしこのページを読んでいる方で、自分も性暴力の被害にあってるという方は、別項で紹介した『御直披』という本を買ってください。巻末に各都道府県の警察署にある相談窓口一覧がのってます。また、この本そのものが告発から訴訟にいたる一連のプロセスの入門書になってます。

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1998/04/12

名古屋矢場町のドトール、サービス低下

■名古屋の中心街・矢場町に新しくドトール・コーヒーがオープンし、格好の読書スポットになったと喜んでいたが、客が入りだすと手のひらをかえしたようにサービスが悪くなった。210円のアイスティーをたのんだら、紙コップで出てきたのだ。紙コップですよ!あのカップベンダーと同じ大きさの。その辺のカップベンダーなら100円で買える紅茶を、210円で出すとは。経費削減もいいけど、ドトールも落ちたもんだ。

■名古屋人が電車の乗り方を知らないと思っているのは、僕だけではないことがだんだんはっきりしてきた。では、ここでもう一つの問題提起。名古屋で横断歩道を歩いていて、右折車に「殺意」を感じるのは、僕だけだろうか?名古屋のドライバーは、とくに住宅地の狭い道の場合、歩行者をゴミくらいにしか思っていないような気がする。横断歩道を思わずかけ足で渡ってしまうほど、横断歩道に突っ込んでくる車にスピードが残っているのだ。

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1998/04/11

教育テレビ語学番組が新装開店

■4月になって教育テレビの語学番組が新装開店。中国語は、前半が基礎会話、後半が北京のアクチュアルな姿をえがいたドラマという贅沢な構成。しかも、第1回放送分では、毎回番組の最後に中国の歌を紹介するコーナーで、僕の大好きなフェイ・ウォンの最新アルバムの一曲がかかっていた。中国語の勉強を再開しようかという気にさせる。

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指紋押なつ逆転敗訴

■日本が国際標準の舞台に立つ資格のない国であることを露呈する判決が下った。在日韓国人ピアニストのチォエ・ソンエさんが最高裁で逆転敗訴になったようだ。僕は法律の専門家ではないし、チォエさんの訴訟についても今回の報道ではじめて経緯を知った。それでも、最高裁の判決が合法性しか争点にしなかったことは、僕ら日本人が外国人を合法的に排除するシステムの中に生きていることを思い知らせてくれる。

指紋押なつが国際的に見て明らかに問題のある外国人政策であり、徐々にではあるが当局もそれを緩和する方向にむかっている。にもかかわらず、押なつを拒否したまま渡米した外国人に頑として永住権を拒む。これがアメリカとならぶ経済大国の司法当局としてあるべき判断か?

結局、この日本という国はいまだに純粋な日本人(という幻想)の利益のためだけにしか存在しない。そんな国がいくらビッグバンだの規制緩和だの言っても、行き着くところは、ひそかに窒息していくだけのムラ社会なのだ。最高裁には日本を真に国際的な国家にしようという理念のかけらもなく、この閉塞したムラ社会を維持するためのウジウジした言いわけしか垂れることができないのだ。こういう判決を堂々と下してしまう自分の国を、日本人はいくら恥じても恥じ足りないだろう。

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愛知県政の閉鎖性

■高知県が知事の交際費について、相手の名前までの公表に踏み切ったそうだ。県庁に行けばだれでも書類を閲覧できるとのこと。高知県はなにかと地方行政の先端を行っている感じがする。それに引きかえ愛知県はつい最近、情報公開の全国ランキングで不名誉な最下位となっている。だから名古屋は閉鎖的で住みにくいのだ。

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1998/04/10

エドワード・ヤン『海辺の一日』

■エドワード・ヤン『海辺の一日』1983年台湾。彼の長編第1作とは思えない完成度。回想シーンにさらに回想を重ねる再帰的なカットバックの手法によって、いくつもの時間の流れがたがいに重なって透けるよう。成瀬巳喜男の『山の音』を思い出させるような、朝もやに浮き上がる光の筋。映像の美しさも輝くよう。台詞を最小限に切りつめ、表情や小道具、映像にすべてを語らせる。そしてその静謐な映像によって、幸福な結婚生活がゆっくりと音もなく崩壊していく様を淡々と描く。E・ヤンは間違いなく台湾におけるアントニオーニ。

それにしても、主人公の女性が父親のことを「お父さん」と呼び、母親を「お母ちゃん」と呼び、日本語で教える生け花教室に通っていたのはなぜなのだろう?台湾の上流階級では普通のことなのか?それとも彼女が日本語を使うこと自体、何かを含意しているのか?だれか知ってたら教えてください。

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1998/04/07

ウォン・カーウァイ『天使の涙』

■ウォン・カーウァイ『天使の涙』1995年香港。ウォン・カーウァイの映画はいつもカッコ良すぎて苦笑してしまうくらいスタイリッシュ。前にも書いたけど、香港映画といえばカンフーやジャッキー・チェンしか知らない人が観たらブッとばされたようなショックだろう。あと、中国返還後に彼のスタイルが生き残っているかどうか心配。

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1998/04/02

ついにパポン裁判の判決が出た

■ついにパポン裁判の判決が出たようだ。フランスではhumaniteに関する犯罪には時効がないらしい。それで50年以上前の裁判を今ごろやっているというわけだ。フランス・ローカルなニュースが日本のニュースで放送されると、フランス語専攻の卒業生としてはちょっとうれしい。

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