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1998年3月の記事

1998/03/27

「逆ポーランド記法」を知らないSE

■「逆ポーランド記法」、SEのイロハだ。左から順に、数字だったらスタックへプッシュ、演算子ならスタックからポップして結果をプッシュ、そうすれば自動的に計算結果が求められる。コンピュータで処理しやすいように、数式を書き換える規則のこと。SEのイロハのはずだ。

そのはずだよね。情報処理2種の試験対策用語集にもちゃんと出ている。「逆ポーランド記法」を知らないSEに出会うと、僕は自分が情報システム部門にいるのか、まだ経理部門にいるのか、分からなくなる。ひょっとすると僕は、悪い夢を見ているのかもしれない。いやいや、僕が間違っているんだ、きっと。SEにとっても、必要なのは正確な知識と論理的思考能力ではなく、声の大きさとみんなに好かれる俗っぽさなんだ。

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1998/03/23

塩野七生の中途半端なフェミニズム

■今、日経新聞に『女たちの静かな革命』というひじょうに面白いコラムが連載されている。先月そのコラムに塩野七生が「仕事で男か女かということは関係なく、女らしくできる仕事などない」と書いたことに対して、賛否両論があった、ということが今日の朝刊の同コラムで報告されていた。

「仕事に男も女も関係ない」というのは、リベラリストの塩野七生らしい意見だが、残念ながら彼女はウーマンリブ以降のフェミニズムにあまりに無知のようだ。今の社会で、「仕事に男も女も関係ない」と言ってしまうことは、「過労死もいとわないほどの男たち並みに仕事をする気のない女は、男よりも安い月給で働かされて当然であり、いわんや家事労働に経済的見返りを期待するのはナンセンスである」という意味になってしまう。塩野七生はそのことを分かっていない。

フェミニズムは、今の時代の男らしさの価値を無批判に受け入れて、女たちが自分も男並みになることを目標にするのではない。そうではなくて、今の時代の価値観を作っている男たちの発想そのものに対する異議申立てであり、塩野七生が思っているよりももっと深い価値観の転倒である。

その意味で、今日の朝刊に紹介されていた塩野七生への異議の中では、「女性が家事を担ってきたことは恥ずべきことではない。他に選べなかったことが問題なのだ」という30歳の主婦の方の意見が、塩野七生よりもはるかに的を得ている。

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1998/03/20

トリュフォー『家庭』のヘンな日本人

■フランソワ・トリュフォー『家庭』1970年フランス。ドワネルもの。『夜霧の恋人たち』の続編。日本人女性キョーコがアントワーヌの浮気相手として登場する。キョーコがアントワーヌとデートするために、ルームメイトを追い出す場面で長い日本語のかけあいがある。その平板なイントネーションと早口の日本語は、日本人がしゃべる日本語としては少し違和感があるが、トリュフォーが俳優に話させるフランス語も、フランス人からすると同じように少し違和感があるのかもしれない。

日本文化の描き方は、中国文化との混同があったりと、西欧人お決まりの大間違いがたくさんある。トリュフォーにしてこれだ。途中、日本語の台詞で、音声が消されている部分があった。きっと差別用語か4文字言葉だと思うが、何を言っているのか気になる。ただし、織物のバックに赤い文字という冒頭のタイトルは、明らかに小津安二郎の引用であり、キョーコがアントワーヌに愛想を尽かした最後の言葉が「勝手にしやがれ」(トリュフォーも原案に参加したゴダールの出世作の日本公開タイトル)である。

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1998/03/18

フランソワ・トリュフォー『隣の女』

■フランソワ・トリュフォー『隣の女』1981年フランス。テニスクラブの支配人(女性)が語り手となり、『緑色の部屋』にも観られる限りなく狂気に近い愛の激情を描く。崩壊する女をファニー・アルダン、愛に狂う男をジェラール・ドパルデューが演じる。

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ジョン・カサヴェテス『オープニング・ナイト』

■ジョン・カサヴェテス『オープニング・ナイト』1978年アメリカ。主演のジーナ・ローランズが圧巻。『チャイニーズ・ブッキー...』同様、バックステージとステージの2重の世界を劇中劇として描く。役に没入しようとする主演女優が、自らの強迫観念から「現実」を作り出すが、その「現実」を抹殺したとき、初めて舞台という虚構を演じることができる。カメラのアングルや、色彩、カサヴェテスにしか撮れない映画。言葉もありません。ちなみに、ピーター・フォークが2個所だけ顔を出してます。見つけてみましょう。

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孤独が恐ろしければ恋愛をするな

■必要があって三浦綾子のエッセーを読んだが、チェーホフは「孤独が恐ろしければ結婚するな」と言っているらしい。僕は残念ながら結婚の経験がないので、こう言いたい。「孤独が恐ろしければ恋愛をするな」人は恋愛によって孤独から救われると考えるが、恋愛によっても癒されない孤独を感じてしまったとき、その孤独感は絶望に近い。もちろん、キリスト者である三浦綾子は、「希望は絶望に終らない」と言うけれど...。

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1998/03/13

トラン・アン・ユン『青いパパイヤの香り』

■トラン・アン・ユン『青いパパイヤの香り』1993年フランス=ベトナム。奇蹟的な美しさの映画。セットかな?いや、これはセットじゃ撮れないだろう。と思ったら、全編フランスのスタジオにセットを組んで撮影されたとのこと。この監督の美的センス、繊細さ。映画の最後までうっとりと酔わせてくれる。すごいとは聞いていたけど、これほど美しい映画とは。

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1998/03/12

ハル・ハートリー『フラート』

■ハル・ハートリー『フラート』1995年アメリカ・ドイツ・日本。以前から観たいと思ってたハートリー作品だが、映像や脚本のアイデアがめちゃくちゃ面白い。ネタバレになるのでその「アイデア」をここで述べることはできないけれど、さすが東海岸の監督は一味違う。アイデアの面白さだけで十分楽しめる映画なんて、めったにない。

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1998/03/11

トリュフォー『夜霧の恋人たち』

■フランソワ・トリュフォー『夜霧の恋人たち』1968年フランス。トリュフォーのいわゆる「ドワネル」ものの一作。テンポの良い展開で、深刻ぶらずに恋愛ドラマをさらりと描く。

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1998/03/09

サラリーマン生活でいちばん辛いこと

■サラリーマン生活でいちばん辛いことは、遅くまで働かされたり、つき合いが多かったりすることではない。明らかに間違っているプロジェクトが、目の前で着々と実行されていくことだ。

(2006/01/15注記。この「プロジェクト」とは、当時僕が在籍した会社でのSAP R/3導入プロジェクトのことで、標準モジュールを一切使わず、100%アドオン開発するというプロジェクトのことを指している)

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1998/03/08

トリュフォー『日曜日が待ち遠しい』

■F・トリュフォー『日曜日が待ち遠しい』1982年フランス。トリュフォーの遺作。モノクロなのでてっきりスーパーが1962年の間違いかと。天才やね、トリュフォーは。批評から出発しただけあって、映画の技法を知り尽くしてる。

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橋口亮輔『二十才の微熱』

■橋口亮輔『二十才の微熱』1993年。監督第一作。美少年好きの淀川長治大先生はどのようにおっしゃっているかと思えばものすごい酷評。超長回しの固定ショットで、俳優は延々ドキュメンタリーっぽい「自然な」演技。感情の起伏のない演技と、固定ショットや長回しの多用、ほとんどカットバックのない一方向の時間の流れ、自然光、ロケ、素人の俳優、同録、わざと聞き取りにくく録音してある台詞、人間関係への決定的なコミットを回避しつづける登場人物、こうしたものが、最近の日本の「若手」映画監督の共通点のような気がする。

なぜこうなっちゃったのか?もちろん小津の影響は大きいだろう。あの機械的な台詞。しかし「若手」の脚本にはムダ話しが多すぎ、野田脚本の切りつめられた様式美に程遠い。いくらPFFの奨学生だからって、注意して観なきゃいけないのかも。

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1998/03/07

三菱電機とシャープのノートPC広告比較

■1998/01/24の「愛と苦悩の日記」で、三菱電機とシャープのノート型パソコンと広告戦略の比較をしたけれど、同じような違和感を感じているのは僕だけではなかったらしい。Express PCギョーカイWatchの記事を参照。

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1998/03/02

巖浩『息子の告発』

■巖浩監督『息子の告発』1995年香港。95年東京国際映画祭でグランプリ・最優秀監督賞をダブル受賞。香港といっても舞台は中国本土。母親が10年前父親を毒殺した事件を24歳の息子が告発したという実話がベース。演出は簡潔なエピソードの積み重ねで、カットバックのリズムも巧み。全編にわたって「湯気」「蒸気」「吐息」の表現が秀逸で印象的(豆腐を作る厨房の湯気、死刑を目前に、母と最後の面会をする息子が言葉とともに吐き出す白い息など)。この監督、最近、吉本ばななの『kitchen キッチン』を日本と合作している。ちょっと観てみたい気がした。

■昨日、アジア映画劇場で申相玉監督『離れの客とお母さん』(1961年韓国)を録画してたのに途中でテープがなくなったぁ!大好きなチェ・ウニも出てたのにぃ~。残念。どなたか録画してらっしゃったら、メールくださいませんか?この映画、当時、韓国外の映画祭でも上映され、韓国映画国際化の嚆矢となった重要な名作。録画できた40分だけでガマンするしかないのかぁ~!

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1998/03/01

団塊世代の悪しき「行動主義イデオロギー」

■愛知県が、ナイフによる少年犯罪の増加で、「どうしたらわが子はキレないか」というシンポジウムを開いたという滑稽なお話し。結論は学校と家庭の協力関係を深めるとか。ますます「子供包囲網」は強化され、子供たちは息苦しくなる。団塊の世代は、問題が起こったら行動しなきゃいけないという、「行動主義イデオロギー」に取り憑かれすぎ。あんたらは何もせんでええ。受け皿を作りさえすれば十分です。公民館を子供に解放する、図書館などを子供の「たまり場」として使えるようにするなどなど...。子供どうしの自助で解決するための受け皿だけ作ってくれれば十分。

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